2007年11月の日誌

 

 

11月30日(2) 週報が発行された。当局に対して、職務業績給の具体的な引き上げ提案・その合理的な説明を求める要求である。

 

-----横浜市立大学教員組合週報------


 
組合ウィークリー

2007.11.30

もくじ

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職務業績給に関する要求書を出しました


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職務業績給に関する要求書を出しました
 現在行われているSDシート等の評価制度は、まだ処遇に反映されるものではありません。しかし処遇に反映されないからといって、当局が現行の職務業績給を凍結したままとするのは、許されません。当局は、その間、教員は研究・教育の実績を何も積まなかったのだと勝手に判断しているということなのでしょうか。こういった傲慢な態度こそ、組合がきちんと批判し、交渉によって、合理的な態度・納得のいく提案に改めさせなければなりません。評価制度が給与に反映されるまでの間の職務業績給の具体的支給に関して要求書を出しましたので、お知らせいたします。


副理事長
松浦敬紀 様

                           20071129
                               教員組合執行委員長
                                   永岑三千輝

            職務業績給に関する要求

 われわれの当問題に関する要求に対して、法人から、20073月の協定書に基づく職務業績給の当面の具体的支給を明確に提示いただけると期待しておりましたが、ご提案は、その期待にはまったく応えるものではありませんでした。
 ここにあらためて、評価制度が給与に反映されるまでの間の具体的支給に関する要求を提示します。誠実にご検討のうえ、納得のいくご提案をお願いします。

             

職務業績給のアップを全教員に対して実施せよ。

1.処遇に反映させるべき教員評価制度は労使協議事項であることは、当局の一貫した主張であった。しかるに、処遇に反映させるべき評価システムはまだ行なわれていない。松浦副理事長は「教員が納得のいく評価制度になるまでは処遇に反映させることはない」と昨年11月の団交において明言している。しかし、教員評価システムが労使合意のものとして成立していない現状においては、長年の労使関係の蓄積の上に、また市当局と市職員組合の長年の交渉の上に成り立ってきた給与実績を、当面の職務業績給の運用において、反映することを求める。

2.そもそも3月の合意書で提示された職務給業績給の制度における、職務業績給の職務とは何であり、業績とは何であるかは明確になっていない。評価制度が反映されるまでの間は、長年の実績を踏まえて制定された職務業績給の段階的上昇の基本線を踏まえ、全教員に対して平均的な号数アップ行うべきである。

 いずれにしても、評価制度が給与に反映されるものとなっていないこと等を理由に、給与を現行に据え置くことは、許されることではない。教員は、毎年経験を重ねていくことによって、その実績・経験は着実に向上し、教育等へ明確に反映されている。職務業績給の凍結は、毎年の経験・実績をも否定するものである。したがって経験・実績が何らなかったかのごとき、職務業績給凍結は断じて認められない。

 評価制度が給与に反映されることになっていないこと等を理由に、教員が成果・実績を挙げていない、あるいは研究教育経験・実績を深めてこなかったのだ、とは言えないはずである。職務業績給の凍結は、教員の日常的活動・努力自体が何らなされなかったと、当局が一方的に認定していることに他ならない。それは許されることではない。
                                         以上

 

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11月30日(1) 昇任の前提条件として、任期制への同意を確認するなどという違法・不当な行為は論外として、現在、当局が「昇任規程」と称しているものに関しても、多方面から異議が出されている。寄せられた最近の意見の一つを紹介しておこう。

 

------現在の「昇任規程」は認められない--「でたらめなもの」---- 

まず第一の問題は、

この規程は、多くの教員の意見を聞き、皆で相談して、納得した上できめられたものではないこと。つまり皆が承認したものではない。

ここに大きな問題がある。 人事は大学のなかで、最も大事な根幹をなすもの、皆で納得したものでないと絶対だめだ。

 

第二に人事委員会の問題がある。

大学の執行部が自分達の都合の良い人たちだけからなる人事委員会を作っており、きちんと業績を評価できる人が委員になってない。

 

第三に、昇任規程が一部執行部が勝手に自分達に都合のいいように、作ったものであるから、その内容も常識では理解できない、ふざけた内容になっている。

例えば、

1. コース長を何年かすれば昇任とか

2. 外部資金をいくらとってくれば良いとか

3. 論文X年間でY編

 

大学は役所ではない、コース長は選挙で選ばれるのではなく、市から任命された学長や管理職が自分達に都合の良いひと(自分達の意見を聞きそうなひと)を勝手にえらぶのだから、1.は管理職らに都合のいい人という規程と同じである。現に・・・系の・・・のコースは、人望もなく学問業績も殆どない人がコース長になっている。

  

2は.大学は金儲けをするところではない。まして、学問は金儲けのためにするものではない、企業と全く結びつかない、金儲けと無縁な純粋な基礎研究こそが、大学でやるべき研究のはず。 

  

3.研究業績とは論文の数のことではない。10年間にどうでもいいような論文を50編書いた人と、キラリト光る論文1編書いた人と、どちらが、学者として優秀かは言うまでもないでしょう。研究業績は数ではない。その内容が肝心であり、その内容をきちんと評価することこそ人事委員会の役目であるのに、学問ということを全くわかってない人達が管理職になり、規程を作るとこうなるという悪しき例になっている。

  

さらに、今組合でも審議の後の審査報告のことでも、問題になってますが、問題点を洗い出すと、きりがないように思います。

 

 

 

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1128日 本日の「全国国公私立大学の事件情報」によれば、首都大学でも、行政主導・管理部門主導で何が何でも「教員評価」の「本格実施」にもって行きたいようである(首都大学東京労組、「試行結果の十分な検証抜きの年度評価本格実施は許されない! 人事委委員会は一方的決定を行うな!」。首都大の教職員組合は、本学の教員組合と同じく、そうした強引なやり方、さまざまの問題点をきちんとクリアしないままの強行に対して、強く抗議している。この主張が明らかにしている多様な問題は、教員評価という重大な問題を軽々に取り扱っては、大学の教育研究を破壊してしまう、ということを示している。

 

大学の教育・研究・社会貢献を健全に発展させるためには、教員の評価が合理性・妥当性・透明性・公正性と言った市民的普遍的諸基準をクリアしたものでなければならないだろう。それが、試行段階でどのようになっているか、検証が必要である。市民感覚の上からも、常識的にも、ごく当然のことを、組合は主張している。

 

歴史の教えるところによれば、自己の自由を守りうる人びとだけが自由を保つことができた。そうでない人びとは、自由を奪われてしまったし、たとえ強者の憐れみと軽蔑から自由が保たれたとしても、その自由をまったく利用しなかったにちがいない。イギリスのブルジョワジーが自由を保っているとすれば、それは彼らが自由を守る力をもっているからであって、その力がなければ、彼らは自由を失ってしまうだろう。」(ジュリアン・フロイント著小口信吉・板倉達文訳『パレート―均衡理論―』文化書房博文社、1991年、167ページ)

 

「社会的均衡は、自由、平等への意志からなるけれども、若干の利害の追求と力の必要からもなっている。・・・均衡は、もともと、自由への意志、平等の要求、正義への配慮、力の介入のあいだの妥協を必要とする。・・・社会的均衡は、競合し、時にはまちまちの諸要素と野心との合力だから、いかなる要素ないし理想の独占をも退ける。」(同、167−168ページ)

 

「パレートは『私の日記』の中で、ほぼ同じころになされた二つの演説を比較している。一つは、イギリス首相ロイド・ジョージのものであり、もう一つは、プロイセン貴族院議長フォン・アルニムのものであって、二人とも、自由のために勝利の日まで闘うと主張している。1914年の大戦以前には、ドイツ文化を知らないものは野蛮人とみなされた。大戦以後には、ドイツ文化を賛美するものが野蛮人と見なされている。もっと奇妙なことには、どちらの国も、自国がこの上ない高貴な使命を与えられていると信じている。『どの民族も、それぞれの使命があると主張する。しかし、その使命を誰から受けたかわからないし、その証拠もまったくない』。ここから、パレートは次のように結論する。『使命ほど好戦的なものはない。この点では、これに比較しうるのは、《死活問題》のほかにない』。社会主義者たちはプロレタリアートを勝利に導くことを使命とし、自由主義者たちは民主主義wを世界中に拡げることを使命とするなどである。どのエリートも、民衆の名において行動すると主張するけれども、民衆が決定において登場することはない。つまり決定するのは、いつも少数者であるか、一人の人物である。・・・・」(同書、183ページ)。

 

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11月27日(2)  社会(日本社会、地球社会)には、多様な専門分野・活動分野がある。それら全体において、「いつの時代でも、凡人が気楽でいられるのは、凡人たちのあいだにおいてだけである。」(ジュリアン・フロイント著小口信吉・板倉達文訳『パレート―均衡理論―』文化書房博文社、1991年、6ページ)

「凡人」は、その語義からして、ごく普通の人々であり、それが社会の、またそれぞれの分野での圧倒的多数を占めるであろう。社会の圧倒的多数の人々は「気楽に」暮らしている、ということになる、か?戦時においても、平時においても?

「社会」・・・大学社会、大学教員社会・・・・大学教員の「教員評価制度」や「昇進問題」で、問題となるのは、教員社会、そのそれぞれの専門分野の社会・・・そこにおける能力・業績の上下の「ばらつき」と「平均」とは? その実証は?

また、グローバル化する世界(競争関係が世界的に拡大する社会)のなかでの「ばらつき」と「平均」とは?(それぞれの専門分野における給料の国民的相違)。

処遇諸条件のなかでは、職務給・業績給のあり方は?その算定の仕方は?

商品(今の場合、労働力商品)の価値は? その価値の貨幣表現(通貨表現)としての給料の額は?

 

パレートの言うように、人々の能力・業績の「ちっぽけな小丘、細かい小石までを含めた・・・描写を手に入れるわけにはいくまい」。

「教員評価」、「職務・業績給の算定」において、パレートの言う地理学と地形学にあたるものは何か。

 

一般的な情勢としては、人事院勧告に反映された給与改善状況を、個々の大学においても実現していくということになるだろう。

 

 

------われわれの加盟する全大教の方針-----

>                                       
>
>
1 当面の方針
>
>
 大学法人等の賃金・労働条件は労使交渉で決定するという原則及び
>
全国の国立大学・高専法人は事実上人事院勧告準拠とされている現状
>
をふまえ、各単組が賃金改定にあたっては、人事院勧告改善分の4
>
実施を最低限の要求として交渉を強めます。「非常勤職員」についても
>
常勤職員に準じて改善を要求します。
>
>  
同時に、この間「給与構造見直し」によって給与が上がらない中・高年
>
層などの昇格・昇給や諸手当等賃金・労働条件の改善を要求し交渉を
>
行います。
>
>  
全大教は高専機構との交渉により、人勧改善分について「非常勤職員」
>
を含めて4月遡及実施を確認しています。また、現在、多くの大学が交渉
>
中ですが、4月遡及実施を確認した所も出ています。
>
>  
人勧改善分について、次の観点から4月遡及実施を要求します。
>
>   全大教・単組は賃金引き下げの場合(労働条件の不利益変更)、
>
遡って引き下げることに反対しました。これは賃金引き下げを遡る
>
ことは労働組合の合意なしにはできないという立場からです。
>
>  
一方、賃金引き上げを遡って実施することは労働法等の法律に照らし
>
てもなんら問題ありません。交渉に基づき就業規則を改定すればできる
>
ことです。
>
>  
大学法人等が、人事院勧告について賃金引き下げの時には準拠し、
>
引き上げの場合は準拠しないということでは教職員の合意が得られま
>
せんし、社会的にも説明できません。

 

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価値(使用価値・効用の価値とは別物の、価格という量的比率関係=交換価値においてのみ現象する価値)の実体Substanzとしての、全商品に共通のもの=全商品で同じもの=対象化された抽象的人間労働。その量的基準としての時間、「社会的平均労働時間」、「社会的必要労働時間」−商品・労働の不断の需給アンバランス・価格上下変動の渦中にある市場競争・市場条件を貫く法則性

法則性は、パレートにおいては、力学、自然科学からの概念を借りて、「均衡」概念とそれへの近似概念で説明される。

「経済現象の研究は、地球の表面の研究に比較することができる。地球の形がほぼ楕円だとわかっていることは。すでにきわめて貴重な知識であるけれども、それは高い山、太陽の深海を無視した第一次近似にすぎない。第二次近似は地理学によって、第三次近似は地形学によって得られるけれども、ちっぽけな小丘、細かい小石までを含めた地球の描写を手に入れるわけにはいくまい。同じように、経済現象がごく細部にまで分かることは決してあるまいが、ますます近似的に表現することはできる。経済的『均衡』の概念(これが科学においては基本的である)によって、経済現象の第一次近似へ導かれる」。(フロイント、前掲書、3435ページ)

 

「フランス、イギリス、ドイツ、ベルギー、アメリカ合衆国、スイス、オーストリアの統計資料・・・記録にもとづいて問題を科学的に究明しようとした・・・・多種多様なデータを標準化するためにAL・コーシーの内挿法を用いて、且つ又フランスのフォヴィーユとイギリスのギッフェンの統計的労作を有効に利用して、かれは、1895年から所得の分配現象にかんする一定の斉一性を実験的に垣間見ることができた。翌年かれは、ローザンヌ大学の『論文集』にその研究成果を発表した。・・・富の配分曲線は、経済・社会体制がかなり異なっていても当該の国々においては、ある時期から他の時期にかけてほとんど変わらない。配分曲線は、グラフの上では独楽の形をとって、高額所得者をあらわす先端は上向きになり、丸くなった底部は低額所得者を表わしている。・・・」(論争、ジーニによる修正・発展)(同書、4344ページ)

 

社会問題に関する「真の解決は、富の分割にではなく、古典派経済学者たちがすでに見ていたように、絶えず増大する生産にある」。「最低レヴェルの所得を上げるためには、あるいは所得の不平等を減らすためには、富が人口よりも早く増大しなければならない。したがって、貧困階級の状態を改善する問題は、とりわけ富の生産の問題であるらしい。」(同書、44ページ)

 

法則の斉一性と法則の示す規則性からすると、配分が偶然によるものではないことがわかる。なぜなら、偶然によるばあい、その曲線は確率論特有の曲線をとるはずだからである。ところが、この曲線はそれとは異なっている。曲線がさまざまの地域、時代、組織によってほとんど変わらない・・・・」(同書、45ページ)

 

 

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11月27日(1) 昨日の組合員あてメッセージに関する週報が発行された。

 

-----横浜市立大学教員組合週報----- 

 

 

 組合ウィークリー

 

2007.11.27

 

 

もくじ

 

       執行委員会からの組合員・教員の皆様へのメッセージ

 

 

 

 

 

       執行委員会からの組合員・教員の皆様へのメッセージ

 

 昨日、「組合員・教員の皆様へのメッセージ」をメールで組合員の皆様に配信いたしました。週報として、次に再掲させていただきます。なお、このメッセージは、学部長、研究科長等にも、プリントアウトしたものを、教員組合委員長名で届けましたことを、あわせてお知らせいたします。

 

 

 

組合員・教員の皆様へのメッセージ

 

 

                               20071126

                         横浜市立大学教員組合執行委員会

 

 

 すでに1119日付組合週報でお知らせしましたように、学長は、1114日「教授・准教授及び助教昇任候補者の推薦について」という文書を学部長、研究科長等に宛て出しています。

しかし、昇任問題に関しては多くの問題点が明らかになっていない上、さらに加えて、教員管理職にも被害が及びかねない新たな問題も出てきましたので、組合員・教員の皆様に、執行委員会としてメッセージをお届けいたします。

 

 

1.

この「教授・准教授及び助教昇任候補者の推薦について」という文書に記載された手続きは、下記学則に反しています。

学則第633項には

「コース長はコース会議の議を経て、以下の事項について決定する」

とあり、その(2)および(3)には、はっきりと

(2) コースに係わる教員人事の学部長への発議に関すること
(3)
コースに係わる教員配置に関して学部長への発議に関すること

と書かれていますが、未だ当局からは納得のいく説明がありません。どのように読んでも、この(2)に記載の教員人事は新任人事と限定されているわけではありません。

コース所属が明らかな教員の人事にかんしては、その発議者は「コース会議の議を経」たコース長であるべきです。

学長は自ら、大学の学則を破る行為を行なうつもりなのでしょうか。法は法、規則は規則です。学長から出された学則無視の文書は、やはり重大問題です。

「昇任候補者の推薦」にあたっては、まずこの問題を明確にしなければならないと考えます。

 

2.

また同文書には、

「学長からの人事委員会への諮問にあたり、任期制への同意状況等も判断に加味した上で審査を依頼します」と書かれています。

 これは、許しがたい言葉です。

すでに組合は64日、本年4月昇任人事について質問書を出し、「教授等の条件を文部科学省は大学設置基準第14条等で厳格に規定している」と書きました。大学設置基準は「一大学の一時期の経営方針」などより明確に上位に位置するものです。ここでも文部科学省の示した基準を遵守するどころか、恣意的「判断を加味」しようとするものです。

文部科学省と異なる条件を恣意的に加えることは問題である、と組合はすでに質問書で指摘しましたが、この質問事項に関して、当局は何らの回答もしていません。

また組合は、本年4月の昇任人事に関して、詳細な審査報告書を示すよう、また少なくとも詳細な審査報告書の総頁数ならびに総文字数が何字であるのか示すよう、質問を繰り返しているにもかかわらず、当局は総頁数や総文字数といったものすら示そうとしないことは、奇怪きわまりないことです。

このような状態のままでは、公正・公平・透明な人事が行なわれるとは、とても思えません。

 

3.

さらに、学長の1114日のこの文書には、

「候補者の推薦にあたっては、任期制への同意状況等を確認して下さい」

とあります。

任期制への同意・不同意の確認を、学部長、研究科長等の中間管理職に求めているわけです。つまり、任期制への同意・不同意の選別を、あらかじめ中間管理職にさせようという意図であるのは明らかです。しかし、これはこの先大きな問題をはらむことになると考えます。

もし仮に、自己申告希望者が推薦されなかったことを不服として、労働委員会等に提訴するといった行為に及んだ場合は、この段階では学長の関与ではなく、学部長、研究科長等の中間管理職が選別に関与したとして、係争問題の当事者となる危険があるのは明らかです。

つまり、当局はその責任・危険を中間管理職に押し付けようとしていると考えられます。同じ職場の教員が、係争問題の当事者とされる危険すら予見されうることでもあるので、同じ教員という立場の者として、きわめて問題であると考えます。

 

 

 

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11月26日(2) 教員組合執行委員会の議論を踏まえたメッセージが作成され、本日、10時過ぎ、組合員に送られた。

いずれ、近いうちに、組合ニュースでも公開されることになろう。

 

また、下記メッセージは、委員長名の前書きをつけて、学部長・研究科長・研究院長など、学長から「職務命令」(?)を受けた中間管理職にも、プリントアウトして届けた。中間管理職が、任期制不同意教員から、コース会議の議を経て、自己申告書が提出された場合[1]、どのような態度をとるか、これが関心の的となる。

 

 

「上から」の命令だということを理由として、その「命令」の内容の可否・妥当性・法的問題を問わないやり方は、歴史上、行為の内容・その当不当・合法非合法・人権などに照らし、厳しい批判を浴びることになる。その一例は、ナチ体制下における中間管理職の態度であり、有名なもの・象徴的事例は、「運び屋」アイヒマンのそれである。

 

非人道的なもろもろの犯罪行為を中間管理職として担った場合、しかるべき処罰を受けることになる。オームの事件でも、最高責任者・松本だけが責任を問われるわけではない。その命令の元に実際の行動をした幹部・中間管理職が、責任を問われている。

 

行為の内容が、違法・不当なものであれば、それへの関与は、しかるべき重さで、中間管理職にも、責任が問われる。その責任が問われる危険性を中間管理職に対して前もって知らせておくのは、同僚のよしみ、であろう。

 

世間では、末端のもの、中間管理職の立場のものが、不法・不当な問題の責任を取らされる。彼らが「いけにえ」となることが多い。

           教員組合から中間管理職への注意喚起は、同僚として、当然のことである。

忠告に従うかどうかはは、中間管理職のそれぞれの判断によるであろう。

 

身分上の不利益を被る恐れのある教員は、自らの立場を守るために、しかるべき防衛措置を講じる必要がある。今回は、学長名の文書に対しては、代議員会でも問題とされ、また、われわれの教員組合でも問題とした。

 

眼前の問題を、問題視しないで放置すれば、あるいは問題点を指摘しないで見過ごせば、非は、弱いものに押しかぶせられる。イエーリングの『権利のための闘争Kampf ums Recht』(岩波文庫)は、昇任問題でも当てはまるといえよう(その典型例は、昨年、任期制不同意を理由に発令を延期された教員の主張であろう、その一例)。

 

 

 

-------執行委員会から組合員へ-------- 

 

組合員・教員の皆様へのメッセージ

                               20071126
                         横浜市立大学教員組合執行委員会

 すでに1119日付組合週報でお知らせしましたように、学長は、1114日「教授・准教授及び助教昇任候補者の推薦について」という文書を学部長、研究科長等に宛て出しています。
 しかし、昇任問題に関しては多くの問題点が明らかになっていない上、さらに加えて、教員管理職にも被害が及びかねない新たな問題も出てきましたので、組合員・教員の皆様に、執行委員会としてメッセージをお届けいたします。

1.
この「教授・准教授及び助教昇任候補者の推薦について」という文書に記載された手続きは、下記学則に反しています。
学則第633項には
「コース長はコース会議の議を経て、以下の事項について決定する」
とあり、その(2)および(3)には、はっきりと
(2)
コースに係わる教員人事の学部長への発議に関すること
(3)
コースに係わる教員配置に関して学部長への発議に関すること
と書かれていますが、未だ当局からは納得のいく説明がありません。どのように読んでも、この(2)に記載の教員人事は新任人事と限定されているわけではありません。
コース所属が明らかな教員の人事にかんしては、その発議者は「コース会議の議を経」たコース長であるべきです。
学長は自ら、大学の学則を破る行為を行なうつもりなのでしょうか。法は法、規則は規則です。学長から出された学則無視の文書は、やはり重大問題です。
「昇任候補者の推薦」にあたっては、まずこの問題を明確にしなければならないと考えます。

2.
また同文書には、
「学長からの人事委員会への諮問にあたり、任期制への同意状況等も判断に加味した上で審査を依頼します」と書かれています。
 これは、許しがたい言葉です。
 すでに組合は64日、本年4月昇任人事について質問書を出し、「教授等の条件を文部科学省は大学設置基準第14条等で厳格に規定している」と書きました。大学設置基準は「一大学の一時期の経営方針」などより明確に上位に位置するものです。ここでも文部科学省の示した基準を遵守するどころか、恣意的「判断を加味」しようとするものです。
 文部科学省と異なる条件を恣意的に加えることは問題である、と組合はすでに質問書で指摘しましたが、この質問事項に関して、当局は何らの回答もしていません。

 また組合は、本年4月の昇任人事に関して、詳細な審査報告書を示すよう、また少なくとも詳細な審査報告書の総頁数ならびに総文字数が何字であるのか示すよう、質問を繰り返しているにもかかわらず、当局は総頁数や総文字数といったものすら示そうとしないことは、奇怪きわまりないことです。

 このような状態のままでは、公正・公平・透明な人事が行なわれるとは、とても思えません。

3.
さらに、学長の1114日のこの文書には、
「候補者の推薦にあたっては、任期制への同意状況等を確認して下さい」
とあります。

 任期制への同意・不同意の確認を、学部長、研究科長等の中間管理職に求めているわけです。つまり、任期制への同意・不同意の選別を、あらかじめ中間管理職にさせようという意図であるのは明らかです。しかし、これはこの先大きな問題をはらむことになると考えます。
 もし仮に、自己申告希望者が推薦されなかったことを不服として、労働委員会等に提訴するといった行為に及んだ場合は、この段階では学長の関与ではなく、学部長、研究科長等の中間管理職が選別に関与したとして、係争問題の当事者となる危険があるのは明らかです。
 つまり、当局はその責任・危険を中間管理職に押し付けようとしていると考えられます。同じ職場の教員が、係争問題の当事者とされる危険すら予見されうることでもあるので、同じ教員という立場の者として、きわめて問題であると考えます。



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11月26日(1) 教員組合執行委員会・拡大執行委員会(22日)における議論のエッセンスは、会議名で今日のうちにメッセージとして全組合員に知らせることになった。問題の焦点は、任期制と昇任とを絡ませるやり方、しかもその今回の新たなやり方にある。かつてのように事務当局(人事係長等、法人サイドの事務職)が任期制承諾文書等を持って、個々の教員のところに赴き任期への同意を迫るやり方ではなく、教員中間管理職(学部長、研究科長,研究院長)を職務「命令」で動員しようというやり方に、教員組合は重大な問題を見ているのである。

 

教員組合は、法人化以後の採用者など任期制(有期契約)に同意せざるを得なかった教員の身分保障のため、したがって、大学自治(学問の自由)を守るために最大限の努力をして、10月31日付けの合意書を取り結んだ。

その条件を見ると分かるが、任期制教員の場合も、更新条件は、きわめて幅広く緩やかに設定するものとなっている。

それは、教育研究の自由を、そのための大学の自治を守るために最大限の制度的保障を確立すべきだ、という見地からである。その見地から、しかるべき条件を設定して、テニュア制度もはっきり制度化すべきこと、そのような身分保障を再確立することを打ち出している。その点は、法人と教員組合の合意事項となった(付帯事項参照)

 

しかし、10月31日付けの合意書における更新条件の緩やかさは、逆用、ないし悪用すれば、ほとんど仕事をしないでも更新回数最大までの任期が保証される、というものとなっている。少なくとも、そうした制度理解も可能である。しかも、教授の場合は、回数制限がない[2]

 

そのような緩やかな条件下で、もしかりに、任期制の同意をハードルにして、教授への昇任を決めれば、どういうことになるか?

任期制に早々と同意して、緩やかな更新条件で定年まですごそうとするものが出てきても、論理的には可能である。

 

まさに、そうしたことがすでに起きているのではないか、というのが、不昇任問題・昇任差別問題(4月昇任における差別問題−教授への昇任を拒否されたものが東京工業大学教授として採用決定されたことを見よ、昨年7月昇任発令を拒否された若手助手が名古屋大学の当該専門大学院研究科准教授として採用されたことを見よ)で、教員組合が疑問視し、問題提起していることである。

この間、繰り返し、審査報告書の公開を求めて行動してきているのは、そこに根本理由がある。

 

任期制に同意していない教員(がたくさんいる分野で)は、情熱を持って教育研究にまい進し、いかに厳しい自己規律で教育研究で優れた業績(さまざまの形態・角度からのピアレヴューで実証されている業績)を上げていても、任期制不同意だから、昇任審査から排除ないし差別され(遅延させられ)相対的に低位の業績しか上げていない教員は任期制に同意したことをもって優遇され、昇任において優先されるということになる。

任期制への同意・不同意が、その個々の教員の業績(教育・研究・社会貢献)とは、別物だからである。

 

このまま、学長文書が横行すれば、大学の知的道徳的退廃は恐るべきものとなる。

こうした重大問題を深く考えずに、「学長文書」を出した学長(副理事長)の責任は、重大極まりない。

その危惧を、意見書としてまとめて当局に提出したのである。

 

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11月23日 最近よく耳にするようになったのは、医学部においては教授会自治が復活し、機能しているということである。その実態をつまびらかにしないが、おいおいに情報が入ってくることになろう。

 

ともあれ、国際総合科学部の人事においては、最近の「学長文書」でも明らかになったように、学長・学部長・研究科長が任期制を強制するシステムの担い手(意思確認の圧力行使主体)になり、昇任対象教員(自己申告する教員)の任期制同意の確認状況を踏まえる役目を負わされているということである。その学長文書がそのまま行使されれば、学長は副理事長として経営サイドの人間でもあるが、教学サイドの管理職を、昇任審査に入るかどうかの前提として任期制への同意状況を確認する仕事に組み込んでいるのである。

 

学長文書が示すように、任期制に同意した(することを約束した)教員しか、昇任審査の人事委員会にかけないということは、今までにない事前の公然たる任期制強制システムであり、身分継承教員・定年までの身分保障を継承した教員への不当差別・不当労働行為を学長・学部長・研究科長が分担して行使することになる。教員組合が、ただちに、意見書で、重大問題だとして批判し、撤回を求めたのは当然である。

 

昇任審査は、その教員の教育・研究・社会貢献等の実績の総合評価で行うべきであり、労働契約の条件である任期の有無とは関係なく行うべきである。それが、法人化以前のやり方であり、今なお全国ほとんどの大学で行われていることである。

任期制の内容、任期制を適用する法人サイドへの信頼感がないとき(信頼できない人々にとって)、その任期制への同意不同意を昇任の判断基準とするのは、教育・研究・社会貢献の業績を正当に評価しないことに繋がる。

 

任期制に同意する教員は、あまりにも法人サイドを信頼しているか、法人サイドに信頼されているか、いずれにしろ「当局寄り」の人々、ということになり、そうした経営サイドに協力する教員だけが、教育・研究・社会貢献等のしかるべき業績なしか相対的低水準であっても、当局に対して従順(「任期制同意」、任期制に危険性を感じない、etc.)だから昇任できるということになる。これは、処遇条件の中でも最も重要な問題、すなわち、人事(昇任)問題を武器とする思想・信条・精神活動の抑圧行為ないし、それに繋がる。重大問題であることは明らかであり、撤回させなければならない。

 

任期制不同意教員は、教員組合に結集し、有期契約に反対してきたのであり、大学自治破壊の改革過程の諸問題、これまでの当局のやり方、さらに、つい最近もみられた不当労働行為(労使対等の粘り強い交渉結果としての合意書が出たそのすぐ後で、合意書内容を否定するような評価システムを平気で提案するような法人サイドの態度)を批判する人々であり、大学自治の重要性を認識し、守ろうとする人々であり、その教育・研究・社会貢献等の業績は、ピアレビューできちんと評価するべきものだと考えているような人々である。

 

もし学長文書がいうように「任期制への同意状況等も判断に加味して、学長が「人事委員会に審査を依頼」すれば、事実上、文科系の圧倒的教員(任期制に同意していない教員が多数を占めるから)は、昇任審査において業績審査に入る前,すなわち、事前に、差別される、排除されるということになる。

 

学長文書を書いたのは誰か?・・・学長責任であるのはもちろんだが、かなり問題のある日本語公文書を書いたのは学長ではないのではないか、とうわさされている。検証が必要!

このシステムを推進するのは、誰か?・・・誰がこのシステムを推進しようとしているか注意深く観察せよ!

このシステムによって利益を得るのは誰か?・・・・誰が、任期制に同意したことによって昇任したか、注意深く検証せよ!

任期制同意によって昇任を勝ち得た人はどのような人か?

今回のような学長文書を作成したひと、同意する人、推進する人は、どのような人か?・・・誰が推進しているか、注意深く観察せよ!

 

推進者は、任期制に同意することによって、きびしい業績審査をクリアしないでも、昇任できた人々ではないか?

厳しい業績審査をクリアし得ない人々が、任期制への同意によって、昇任しようとするのではないか?

任期制への同意がハードルとしてあれば、競争相手が少なくなり(場合によっては、分野により、同意者一人なら競争相手がいなくなり)、それだけ、教育・研究・社会貢献の業績のハードルは、低くなる。それだけ、自分の昇任が早くなる?

その結果、任期制への同意・不同意のハードルが業績審査の前にあることによって、相対的に低い業績のものが優先的に昇任審査を受けられることになれば、本学の教育・研究・社会貢献の諸力は、確実に、長期的に低下していくのではないか?

 

自然科学系では任期制への同意者の割合が多い。しかし、それは、実は、日本の科学技術研究に深刻な破壊的な影響をもたらしかねない。信頼できる知人から頂戴した下記情報を引用しておこう。

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最近の文部科学省の研究機関である、科学技術政策研究所が10月に発表した報告書「科学技術分野の課題に関する第一線級研究者の意識定点調査」(分野別定点調査2006[NISTEP REPORT No. 106]で、大変興味深い調査結果が公開されています。その結果は任期制はじめ日本の学術体制に関って、非常に重要の問題を提起しています。


 ライフサイエンス、情報技術、ナノテクなど日本の重点的な8つの科学技術分野について、最先端の100人に当該領域について、2001年の水準との比較において聞いたものです。・・・、次の点がおおよそこの報告書からいえるように思いました。

(1)              これら8の分野に関して、2001年と比較して5つの分野では研究者の質的水準は低下し、3分野では変化なしであったこと(32頁)、若手人材ではすべての分野で低下していること、5年後に欧米との相対的な水準が低下することが予想されること、

(2)                       水準の停滞や低下の最大の理由は、人材が育っていないこと(研究資金の不足ではない)、

(3)                       人材が育っていない最大の理由は、大学院やポスドクの就職が悪化したこと、

(4)                       就職問題の背景の問題として、政府による教員定員の削減とともに、任期制の導入は研究者の不安定状況を作り出してデメリットの方が大きいことなどなど。


 日本の戦略的分野の科学研究の絶対的水準の低下の指摘というのは、いままであったでしょうか。非常な危機感に満ちた内容と思います。その原因として、政府による定員削減政策とともに、任期制の導入が明確にマイナス要因として指摘されていることも、なかなか画期的な調査であろうかと思います(任期制の蔓延についての危惧は、日本学術会議の委員会がすでに表明していまように記憶していましたが、これだけはっきり否定的な結果を認識したのは、はじめてのような気がします)。添付した文書の44−45頁の自由記載欄には、任期制の拡大による不安定状況の創出が研究の発展にもたらすデメリットについて、実感のこもった回答がならんでいます。
 この報告書、なかなかの内容で、きちっと分析する必要があるように思います。・・・
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身分継承教員に対する不当労働行為・差別行為をやめさせるために、団体交渉等が必要となってこよう。

 

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意見書(11月19日)抜粋 

 

同文書には、「学長からの人事委員会への諮問にあたり、任期制への同意状況等も判断に加味した上で審査を依頼します」、とあり、これは看過し得ない大きな問題であると削除を要求しました。

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           今回の提案では「再任の基準としては、任期期間中を通しての教員評価結果が“B”相当以上であり、教員評価以外の項目について期待する水準に達している場合を再任可とします。ただし、仮に任期期間中の評価結果に”C”相当以下の評価が含まれている場合でも、その後の改善状況や改善への取組姿勢も審査において考慮し、再任を可とする場合があります」と書かれているが、これは団体交渉とその結果である下記合意事項違反といわざるを得ない。8月から10月末までの長期にわたる何回もの長時間の事務折衝と2回の団体交渉における誠実交渉の結果である下記、合意事項を無視することは、信義誠実に基づく労使関係を破壊するものであるだけでなく、労働関係諸法の違反として重大問題となる。

 

 

 

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11月22日 大学の自治・学問の自由という見地から、この間の改革のあり方に批判的で、ついに、大学を去られることになったかにうかがっている吉岡直人教授の仕事が、広く社会に紹介されたことを知った。こうした全国的に価値のある業績を達成されている研究者を、何とか本学に引き止めることはできないものか?もしその可能性がないのなら、地震研究の継続が可能な研究所等での研究の継続を、日本の地震研究の前進のために、期待したい。

 

------本学・元教授・佐藤真彦氏HP------- 

 


砂山に地震予知のヒント 横浜市立大 吉岡直人教授ら実験 『東京新聞 2007年11月20日付 科学欄』(2007.11.21)

 

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11月20日 昨日提出した当局への抗議書「意見書」を掲載した組合ニュース11−19が発行された。

 

4月における昇任否定問題と関連して言えば、学則によるコース会議の審議を経ない昇任人事が人事委員会等を経て発令され、コース会議の議を経た昇任人事が否定された。昨年の学則無視の行為を、今回は学長が公然と文書で示したという意味を持つことになろう。

 

また、昇任に値するどうかの教育研究上の業績審査と処遇条件における任期制の同意・不同意とは、次元の違うものであり、学部長や研究科長という教学のものが(単に法人によって任命されているという事実に基づいてのみ)任期制への同意・不同意を確認する(昇任の可否に関して間接的圧力をかけることになる)仕事をやっているとすれば、それは、当該学部長や研究科長が、不当労働行為等で訴えられた場合に被告に連なることになるのであって、そのあたりの法的問題をわきまえる必要がある(こうした点は、代議員会で指摘されたということである)。

 

 

------横浜市立大学教員組合週報------


 
組合ウィークリー
2007.11.19


もくじ
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「意見書」を出しました

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●      
「意見書」を出しました


学長は1114日「教授・准教授及び助教昇任候補者の推薦について」という文書を出しました。その文書および昇任審査フロー図によれば、手続きは「自己申告書」を作成し、学部長等が受理(提出先は経営企画室人事課)し、学長に提出することになっています。

しかし、これは学則無視のやり方です。

学則の第63条の3項には

「コース長はコース会議の議を経て、以下の事項について決定する」

とあり、具体的に6つの事項が並べられています。

(1)
コースに関するカリキュラムの編成について学部長への発議に関すること
(2)
コースに係わる教員人事の学部長への発議に関すること
(3)
コースに係わる教員配置に関して学部長への発議に関すること
(4)
学生の成績及び進級の管理について学部長への発議に関すること
(5)
学生教育費のうちコースに係る予算に関して学部長への発議に関すること
(6)
その他コースの運営に関すること
 この学則にしたがえば、コース長はコースに関わる教員人事に関して「コース会議の議」をへなければなりません。ところが、この(2)の議が必要であることは、学長文書のどこにもありません。今回の手続きは、コース会議の議を無視した、学則違反のやり方です。そのことを組合として強く抗議しました。

 また、同文書には、「学長からの人事委員会への諮問にあたり、任期制への同意状況等も判断に加味した上で審査を依頼します」、とあり、これは看過し得ない大きな問題であると削除を要求しました。

11
14日、「教員評価結果の教員の処遇への活用について」という提案文書が当局から教員組合宛に提案されましたが、そこには「各評定の分布割合については、19年度の評価結果や経営状況に応じて、法人の経営判断により決定」するという文言があり、相対評価を示唆し、評価に関しても再び「経営判断」という恣意的要素を入れようとているとして、抗議しました。また、今回提案された評価基準は、どのように見ても、当局・組合間の団交での合意文に反する提案で容認できないとして抗議しました。

さらにこの問題については、22日の執行委員会、拡大執行委員会の議論を経て、再度当局に文書を出す予定ですが、以下に、まず1119日に当局に出した「意見書」全文をご紹介いたします。

 


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公立大学法人横浜市立大学
理事長 宝田良一 殿
学長 ブルース・ストロナク 殿
副理事長 松浦 敬紀 殿

                                20071119

                         横浜市立大学教員組合執行委員長
                                  永岑 三千輝

       意見書

1.昇任問題
(1)平成191114日、学長名で、「教授・准教授及び助教昇任候補者の推薦について」という文書が出されたが、ここにある「自己申告書」の提出に関する手続きは、明らかに現行の横浜市立大学学則の第63条3項の2に違反している。これは、学長の重大な手続き上の瑕疵である。
(2)また同文書には、「学長からの人事委員会への諮問にあたり、任期制への同意状況等も判断に加味した上で審査を依頼します」とあるが、これは極めて不当な文言である。
したがって、同文書の該当箇所(項目)の削除を要求する。
(3)当局は、今年4月昇任者の審査に関する詳細な報告書を教授会構成員に示すことなく、また、最低限の要求としてきた総頁数、総文字数すら未だ明らかにすることなく、いかようにして新たな人事をなしうると考えるのか、その根本的姿勢に問題がある。

2.教員評価制度と処遇への反映の現時点における根本問題
 (1)「教員評価結果の教員の処遇への活用について」という提案文書が1114日当局から教員組合宛に提案された。そもそも、現在のSDシートは、文字通り、各教員の成長・発展のためのものであり、当局は、教員の納得が得られるまで処遇への反映を行わないものと説明してきた。当局はその立場から労使交渉の対象外と主張し、学長および法人はその旨を教員に説明し、臨んできたはずである。ところが、今回、今年のSDシートを既成事実として、それを前提にした処遇への反映を打ち出している。当局のこれまでの説明と約束に反する。現在のSDシートについても大小多くの問題点があり、その改善も必要不可欠であるが、上記の点をはじめとして、今回の提案文書自体も多くの問題をはらんでいると考える。
 すでに組合は、昨年の試行の結果・総括・反省点を示すよう、また数々の学長宛質問に誠実に答えるよう、一度ならず要求しているのであり、それを経ることなしには、処遇への活用問題に入ることは出来ないと考える。まず、昨年試行の総括反省点を明確に示すよう、また学長から誠意ある回答をするよう求める。

(2)さらに今回の提案では「再任の基準としては、任期期間中を通しての教員評価結果が“B”相当以上であり、教員評価以外の項目について期待する水準に達している場合を再任可とします。ただし、仮に任期期間中の評価結果に”C”相当以下の評価が含まれている場合でも、その後の改善状況や改善への取組姿勢も審査において考慮し、再任を可とする場合があります」と書かれているが、これは団体交渉とその結果である下記合意事項違反といわざるを得ない。8月から10月末までの長期にわたる何回もの長時間の事務折衝と2回の団体交渉における誠実交渉の結果である下記合意事項を無視することは、信義誠実に基づく労使関係を破壊するものであるだけでなく、労働関係諸法の違反として重大問題となる。

 また「各評定の分布割合については、19年度の評価結果や経営状況に応じて、法人の経営判断により決定」するというのは、評価に関しても、またもや「経営判断」という恣意的判断と相対評価を方針に掲げていることに他ならず、容認できるものではない。

念のため、以下に1031日付の合意書文を示しておく

【合意事項】

1 再任に関しての基本的な考え方

教員の任期更新に関しては、次の考え方による。

(1)大学教員としてその能力及び意欲が欠如しており、教育・研究内容やそれらに対する取組みがきわめて不十分で、大学が果たすべき社会貢献について取り組む姿勢が見られず、また大学運営にもほとんど協力が得られないなど、本学の教員として、再任が適当でないと客観的に判断される場合以外は、再任する。

 (2)これらの問題がある場合にも、改善のための働きかけを行い、本人の姿勢や行動から改善が期待される場合は再任も可とする。

2 任期更新手続きの時期

任期が3年の教員の更新手続きの時期については、3年ごとに行うこととする。

なお、准教授並びに助教について、任期中に労働基準法14条1項1号の規定に基づく厚生労働大臣が定める基準に該当した場合には、次期任期期間を5年とする。その場合も、当該職位の任期の上限年数は変わらないものとする。

【付帯条件】

1 【合意事項】1にある「客観的判断」の基準と判断方法、「改善のための働きかけ」方法、並びに想定しうる不服申立・審査制度のあり方に関して、当局と組合との間で、協議を行っていく。

2 任期更新に係る再任審査の実施にあたり、3年任期の教員あてに配付した文書「任期更新に伴う自己申告書の提出について」(平成19724日付)にある、「今回の取り扱いは」「当面の間の運用とします」という文言の扱いに関しては、評価制度の任期更新への反映、並びにいわゆるテニュア制度の実現に向けた取り組み等を、当局・組合間で協議していく中で、今回の再任のあり方も含め、整合性のあるものとして整理・協議していくこととする。

 

 

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11月19日(2) 都立高専・首都大学で、またもや、任期制強制問題が発生しているようである(Cf.「全国国公私立大学の事件情報」首都大学教職員組合ニュース)。大学に関しては、労基法14条の適用が違法であることを都知事・都の官僚たちは理解したようで、大学教員任期法を適用して、その拡大解釈でのりきろうとしているが、高専に関しては、本学と同じように労基法14条の適用を考えているようである。しかし、下記のニュースが指摘するように、労基法14条の拡大解釈は、高専教員に対しては無理であろう。

 

大学の活性化のための手段と称して、法の趣旨に反した「全員任期制」しか思いつかない日本の代表的地方公共団体の行政とは、恐るべきものである。

 

このような劣悪な大学(法の趣旨をゆがめる大学)が多ければ、日本の大学の階層において上層部にある大学が、世界ランキングで相対的に下位に位置するのは、必然ともいえよう。全入時代の日本の大学が抱える構造的問題は、立法の趣旨を歪める事を平気で行う大学の存在によっても形作られているとみるべきなのだろう。

 

教員組合は、行政当局による法の主旨を歪めた適用を、是正するために粘り強い交渉を続け、たとえば、10月31日の合意書によって、任期制同意者の奴隷化・精神的隷属の危険性を可能なかぎりなくそうとしている。

 

-----首都大学教職員組合ニュース『手から手へ』------- 

 

「労基法14条による任期制」は法の趣旨に反する
  第一に、教員の任期制について、労基法14条をその
趣旨を歪めて使おうとしているという点である。同法はもともと、雇用者が労働者をその意に反して長期間拘束することを禁じるための規定としてつくられたものであり、なんら任期付雇用の根拠になりうるものではない。したがって本来的に長期性、継続性を要する大学や高専等の業務を行う職員に適用することはその制定趣旨から大きく外れるものである。
 仮にその点をおくとしても重大なことは、提示された任期制は、
この法の例外規定を不当に拡大解釈しようとしていることである。労基法改正時に出された厚労省労働基準局長通達(2003年10月22日)に明示されているが、この法では除外の特例として認められる、労働契約交渉で劣位に立たない「専門的知識等」をもつ者についてのみ5年、それ以外は3年を期間の上限としている。しかし、この特例が博士学位をもつ者、平均年俸1075万円以上の者など具体的な限定がある以上、高専教員全員に適用できるものではない。同通達には「法14条第1項に規定する期間を超える期間を定めた労働契約を締結した場合は、同条違反」と労働契約締結そのものを違反と明記されている。過去の判例等に基づき、仮に3年を超える期間を身分保障期間であると解釈できた場合にも、それが労基法等によって保護・保障されるものではない。したがって同法に基づいて全員に5年の任期を付すという現在提案されている制度は、法的に重大な疑義がある


 ここであえて申し添えておけば、我々はだからといって3年任期であれば合法的であるからよいというわけでは決してない。
そもそも継続的な教育・研究に携わる教員について、3年であれ、5年であれ有期雇用という制度を導入すること自体に強く反対しているのであり、最低在学年限5年間の高専で、教員の任期がそれをも大幅に下回る期間であるなど、言語道断である。教員への同法適用については、実態として様々な任期雇用が存在している大学ですら、教育的職務に就いているものには適用しがたいために、時限的研究、教育的責務の薄い場合に限って大学教員任期法が特例として作られた経過があったことを忘れてはならない。かつて都立の大学の法人化に際して、旧大学管理本部が労基法14条適用の可能性を示したが、組合や大学側から、その問題点が指摘されるなかで、これを断念し、大学教員任期法のみに限定したという経過もある。たとえ大学教員任期法であれ、すべてのポストにそれを適用することは、同法の拡大解釈であり許されないことは、組合は再三にわたって指摘してきた。しかし、今回、高専教員に大学教員任期法が適用できないからといって、再び労基法14条の教員への適用を行おうとすることは、現にある法人の教員任期制度の実質的な拡大であり、許されるものではない。

 

「法人への移管」は労働条件の変更の理由にはならない
  第二に、現に期間の定めのない雇用である高専教員の全員に、「法人移管」を理由として、明らかな労働条件の変更である任期制を
選択の余地なく押しつけている点である。たとえ雇用者が都から法人に替わろうとも、現に高専に働く教員の法人への移籍は、以下にみるように雇用としては継続しており、個々の教員が「いったん都を退職し、個々に法人に採用される」ものではない。したがって雇用者が一方的に労働条件を変更できるものではない
  まず高専の都から法人への移管の手続の性格である。これは、学校教育法第4条に基づく、産業技術高専の設置者の都から法人への変更という設置者変更手続を文部科学大臣に対して行うものである。産業技術高専は昨年4月に新たに認可を受けて現在、2011年3月までの完成年度に向けて、認可された基本計画の履行中であり、基本計画にない組織・人員等の変更は基本的に許されない状態である。したがって、移管はすなわち設置者の変更が行われるのみであり、都と法人には、その組織・人員を可能な限り変更することなく引き継ぐことが義務づけられている。設置申請にあたっては、教員についてもその担当科目等を記載した名簿が添えられており、教員本人の側の特別の事情等のない限り、そのまま維持することが求められている。そこで、
とくに移籍を希望しない場合を除き、雇用は継続していると考えられ、都と法人は本人の希望以外の理由で移籍教員を選考することや、労働条件の重大な変更を可能にするような雇用の断絶は存在しないと考えられる。なお選考に関しては、その手続は変更されると伝えられるので、当面、推移を見守りたい。
  次に、地方独立行政法人法の規定内容である。都立高専の移管は、たとえ新たに法人が設立されるのでなくとも、現にある高専という組織がそのまま法人に移管され、なおかつ、そのまま高専教員の職務を行う以上、少なくとも
職員の身分移行は同法上の移行型法人にあたると考えられる。したがって法第59条2に示されるように、職員は「別に辞令を発せられない限り、当該移行型一般地方独立行政法人の成立の日において、当該移行型一般地方独立行政法人の職員となる」のであり、むしろ個々の職員の意思にかかわらず地方公務員から法人職員に所属変更されてしまうのである。その点からも雇用と労働条件の継続は自明のことなのである。

 

労働条件決定は対等交渉を経た「同意」でなくてはならない
  第三に、現在期間の定めのない雇用にある労働者に有期雇用への切り替えを事実上強要している点である。前述の労働基準局長通達は、「使用者が労働者との間に期限の定めのない労働契約を締結している場合において、当該労働者との間の合意なく当該契約を有期労働契約に変更することはできないものであること」と明記している。法人(および教育庁)は任期制を含む労働条件を提示して、個々の教員の「同意書」を得れば違法ではない、と強弁するつもりでいるのだろうか。しかし、教員免許等の事情から都立高校等への転属ができない、あるいは望まない教員にとって、不同意は離職を意味する。現行と同じ条件での労働契約の道を閉ざしておいて「同意」を迫るのは強要に他ならない
  労基法第2条は「労働条件は、労働者と使用者が、
対等の立場において決定すべきものである」と労働契約の大原則を述べている。今回の移管に伴う高専教職員の労働条件の決定過程では、法人側が前もって決めておいたものを一方的に押しつけるのではなく、労使の対等かつ十分な交渉と協議を尽くしたうえで、双方納得がゆく労働契約の締結に至るよう、受け入れる法人の自省を促したい。

 高等専門学校は、その目的や受け入れる学生の年齢などの点で、少なからぬ違いがあるとはいえ、そこに働く教員は高等教育教員として、大学教員と共通する性格を多くもっている。学生への系統的な教育の継続性安定性を維持することが責務である大学・高専の性格からして、全員任期制あるいは任期制を基本とするという教員人事制度は、とうてい容認できるものではない。また、現在行われている、それへの切り替え手続きは同じ法人の労働組合として看過できない。
  我々は、法人がこのような雇用制度の導入を早急に再考することを、強く求めるものである。

 

 

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11月19日(1) 10月31日付団体交渉記録(再任に関する合意書)を組合ニュースで知らせるのと相前後して、当局から、昇任問題、教員評価問題と処遇への反映の問題に関して、「提案」なるものがあった。しかし、その内容は、8月から10月末にかけての何度もの事務折衝や団体交渉の結果・合意書内容をまったく無視したものとなっており、労使関係に亀裂を入れることを意図したもの、労使の誠実交渉を妨害するものであって、当局の乱暴なやり方に激怒する声が噴出している。

教員組合としては緊急に執行委員長名での意見書を本日中には提出し、さらに、今週木曜日(22日)の執行委員会・拡大執行委員会で、これら問題に関する審議を行い、当局に対して団体交渉を求める回答書を出すことになろう。

 

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11月15日 週報が発行された。法人経営者から大学管理職のすべてが、「外から」、「上から」任命されている全国でもまれな大学において、ぎりぎりのところで、任期制に同意した教員の自由・民主主義的権利を守っていくために、努力したが、この結果を、大学の自治、自由と民主主義の発展に活かすためには、全教員の不断の注意・努力が必要となろう。

改革過程から今日までの当局のやり方を信頼できない多くの人々は、教員組合の一貫したスタンスに共鳴し、その基本的立場を現在なお支持し、「任期制への同意強制に反対」している。この同意強制は、労働基準法違反との見地である。昇任の可否という重大な処遇条件をハードルにして、任期制への同意を迫るものであり、差別条件の強制は、労使の友好的で良好な関係に基づく真の合意にもとづくものでないことを証明するものだからである。

この間の昇任に関わる問題を見ても、当局に対する不信感には強いものがある。当局が示した新しい「説明」には、信義違反、団体交渉の結果の誠実な実行という点での違反もみられ、不信感と怒りを増幅している。

 

 

-------横浜市立大学教員組合週報------ 


 
組合ウィークリー
2007.11.15

もくじ

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「合意書」が取り交わされました

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●      
「合意書」が取り交わされました

すでに111日付の速報でお知らせしましたように、1031日の団交を受け、再任に関しての基本的な考え方等に関して、付帯条件を付した「合意書」が作成され取り交わされました。

付帯条件においては、再任に関して、当局が一方的に再任についての判断を行なわないよう判断基準や方法に関して、また不服申立やその審査制度に関しても、当局と組合間で協議を行なっていくという文言が入れられました。

また、任期の開始時期に関しては、当局と組合間での見解は相違したままでしたので、「今回の取り扱いは」「当面の運用」とするということについて、評価制度やテニュア制度等を当局と組合間で協議をしていく中で、どのようにとらえるかを考えていくといった趣旨の文言を付することとで合意し、これらの問題においても当局と組合と協議が行なわれることが必要という条件を付することになりましたので、以下に、その全文を掲げ、お知らせいたします。

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合 意 書

     平成19年10月31日

公立大学法人 横浜市立大学            署名
副理事長  松浦 敬紀

横浜市立大学 教員組合              署名
執行委員長 永岑 三千輝


公立大学法人横浜市立大学(以下、「当局」と言う。)と横浜市立大学教員組合(以下、「組合」と言う。)とは、平成191031日までの交渉の結果、以下の条件を付して合意した。
なお、この交渉結果について変更が必要となる場合は、改めて、当局と組合の間で協議を行う。


【合意事項】

1 再任に関しての基本的な考え方

教員の任期更新に関しては、次の考え方による。

(1)大学教員としてその能力及び意欲が欠如しており、教育・研究内容やそれらに対する取組みがきわめて不十分で、大学が果たすべき社会貢献について取り組む姿勢が見られず、また大学運営にもほとんど協力が得られないなど、本学の教員として、再任が適当でないと客観的に判断される場合以外は、再任する。

 (2)これらの問題がある場合にも、改善のための働きかけを行い、本人の姿勢や行動から改善が期待される場合は再任も可とする。


2 任期更新手続きの時期

任期が3年の教員の更新手続きの時期については、3年ごとに行うこととする。

なお、准教授並びに助教について、任期中に労働基準法14条1項1号の規定に基づく厚生労働大臣が定める基準に該当した場合には、次期任期期間を5年とする。その場合も、当該職位の任期の上限年数は変わらないものとする。

【付帯条件】

1 【合意事項】1にある「客観的判断」の基準と判断方法、「改善のための働きかけ」方法、並びに想定しうる不服申立・審査制度のあり方に関して、当局と組合との間で、協議を行っていく。



2 任期更新に係る再任審査の実施にあたり、3年任期の教員あてに配付した文書「任期更新に伴う自己申告書の提出について」(平成19724日付)にある、「今回の取り扱いは」「当面の間の運用とします」という文言の扱いに関しては、評価制度の任期更新への反映、並びにいわゆるテニュア制度の実現に向けた取り組み等を、当局・組合間で協議していく中で、今回の再任のあり方も含め、整合性のあるものとして整理・協議していくこととする。





【その他情報提供】

・「雇用契約書 労働条件通知書」の様式について情報提供を行い、当局と組合で内容を確認した。

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11月14日(3) 8月からの長期の交渉と2回の団体交渉の結果、対立点を残しつつも、その対立点に関する折衝は続けていくことも含めた労使合意書が、まとまった(日付は10月31日付)。明日には、週報等で組合内外に報じられることになる。

 

合意書に関しては、組合員からいろいろな意見が出てくると思われるが、それを踏まえて、折衝を続け、しかるべき制度の構築を推し進めることになろう。その際、教員組合にどれだけの人々が結集し、知恵を出し合うかが、重要になると思われる。

合意書に書かれた文言を、どのように大学自治の見地で発展させていくかは、個々の教員と教員組合のたゆまざる営為にかかっているであろう。

 

なお、本日の事務折衝の場において、@昇任審査に関するわれわれの資料公開要求、A職務業績給に関する要求に対する当局の提案、B次年度昇任に関する文書が提示された。そのいずれもが重大な問題をはらんでいる。教員と組合の理性の力と戦闘能力が問われることになる。明日の会議から,また大変になるであろう。

 

特に准教授以下の若い人々は、任期制不同意の教員だけではなく、任期制同意の教員にも、重大な利害関係があるはずである。「インセンティブ」とされるものは、任期制同意教員が増えれば増えるほど(全員任期制が当局の政策だから)、インセンティブとしては機能しない。マイノリティ差別の機能だけになる。

 

定年が近いわれわれのような教員、数年で関内や大学外に移っていく人などは、自分たちだけのことを考えてしまう可能性がある。「わが亡き後に洪水は来たれ」。この間の改革の中で、その事例はたくさん見たであろう。今回の提案の中にもそれがみられる。准教授以下の若手の活発な意見を、組合に寄せてもらう必要があろう。

 

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11月14日(2) 昨日、教員組合ウィークリーが発行された。昇任問題の不透明性(したがって不公平性、説明責任の欠如、現在の人事制度の根本的欠陥)を指摘し、解決の方途を探ろうとするものである。当局側は、この間の繰り返しの組合の要求に誠実に答えず、「個人情報」を理由に、形式的な質問事項にさえ答えようとしていない。つまり、かつての教授会では存在した公開の業績評価報告(審査報告)とその了承というシステムが欠如し、学長(その諮問委員会)のもとへの人事権の掌握・集中によって、法人当局(学長も副理事長)に都合のいい人事審査が行われている、という疑いがますます強まってきた、といわなければならない。

 

下部の組織から業績審査を経て上部(人事委員会)に提出されたものが昇任を否定・拒否され[3]、下部の基礎組織には一切の業績リストが提出されなかった人物が昇任しているという現実は、まさにその証拠となる。こうした不透明状況で、新たな昇任人事が進められようとしており、このままでは不透明さはさらに蓄積していくことになろう。

 

-----横浜市立大学教員組合週報----- 


 
組合ウィークリー

2007.11.13

もくじ
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要求書を再度出しました

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要求書を再度出しました

本年4月の昇任人事に関しての、教員組合からの1031日付「要求書」に対して、当局から、8日「回答」があったものの、詳細な審査報告書は「特定の個人に関わる情報も含まれているという御意見や御指摘もあり、公開しておりません」と繰り返すばかりで、何ら質問に答えようとしない、回答とすらいえないものでした。

そこで、昨日1112日、あらためて、下記の要求書を再度出しましたので、お知らせいたします。

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公立大学法人横浜市立大学

理事長 宝田 良一 殿

学長 ブルース・ストロナク 殿

副理事長 松浦 敬紀 殿

2007
1112

                         横浜市立大学教員組合執行委員長

                                  永岑 三千輝


              要求書

 教員組合の1031日付要求に対して、118日付で当局から文書回答があったが、とても「回答」とはいえない、回答の体すらなしていないものである。

詳細な審査報告書は「特定の個人に関わる情報も含まれているという御意見や御指摘もあり、公開しておりません」というなら、当該個人情報部分のみを伏せたものであったとしても、まずそれを全教授会構成員に示すよう求めているのであり、それすら当局は示そうとしないことは、いかにしても不可解極まりない。
 大学における教員の昇任等の人事は、学問業績等にかかわるきわめて専門性の高い問題の客観的評価なくしては成り立たない。それらが明確に示せない人事をおこなうことは、透明性ならびに公平性への疑いを呼び起こすことに他ならず、それはとりもなおさず、公立大学法人横浜市立大学としての自滅的行為である。

よって、ここに再度1031日付要求に対する誠意ある対応を求めるにあたり、まず第一に、詳細な審査報告書に関して下記の事項(要求書内の(1))を、ただちに示すことを強く要求するものである。

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まず、公開していないという審査報告書について、総頁数何頁であり、総行数何行であり、総文字数何字のものであるのか。各審査対象者毎に、明示することを求める。

 

 

 

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11月14日(1) 茨城大学も、学内体制構築において、難問があるようだ。学内教職員の力を結集する体制になっていない、という根本問題があるようだ。

「全国国公私立大学の事件情報」(本日付、参照)

        

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11月13日 「全国国公私立大学の事件情報」で引用・紹介された丸山真男の「現実主義の陥穽」は、憲法問題だけではなく、本学の現状とその改革に関しても、再読すべき文献のように思われ、リンクを張っておきたい。

 

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11月9日 市長に関する週刊誌報道に驚いたが(第2回目はまだ読んでいないが)、市会議員が、実名で経過を述べている、ということを耳にした。太田正孝議員HP

さて、真実は?

       市長に関するうわさで、「恫喝」の体質に関しては、市職員(幹部)の相当部分が震え上がり、萎縮している、とは、よく耳にする。本学改革過程において、市長腹心の市幹部の恫喝的な言葉が想起される。

        

        先日の学会で、あるひとから、小田実『世直しの倫理と論理』上・下、岩波新書の復刊をおしえていただいた。そこで、あらためて、この間の「改革」過程の問題を振り返り、「巻き込まれる側」の人間の論理をかみなおしてみる必要を感じている。ナチズム、スターリニズム、・・・主義の「巻き込む側」の論理に対抗する普通の人々のしたたかな論理。TOEFFL問題で、教授会開催要求をすべきではないか、と何人かの人に打診したとき、「この改革を推し進めた人に、とことんやらせておけばいい」といった反応・論理にも通じるものがある。

 

ある人が、10月31日の日経新聞の記事について教えてくれた。その日経新聞の記事は、文科系研究棟1階のエレベーター前の掲示板に貼り付けられている。「巻き込まれた側」の人間が、ひそかに掲示したと思われる。

 

看護学科教員の13名の教員に対する「配置転換命令」に対し、昨日の期限までに承諾書を出したのは、ごく少数だったようである。それで、昨夜再度、メールで学科長から招集がかけられたようである。今日の昼休みに、「ご依頼したい儀」で、お集まりいただきたい、と。

 

文部科学省に責任者が出向いていって、これまで学生教育でどこまできちんとやっていたかを説明し、わずかに4名しか残っていないこと、そのカリキュラムをきちんとやっていること、必要最小限の人数で十分教育の責務を果たせることなどを、説明したのであろうか? 

 

看護学科からのある情報によれば、今問題のことだけではなく、看護学科の教育の将来に関する重大な事項があるようである。それは文科省から「H21年からのカリキュラム改正」の指示が出ている件だそうで、改正の主旨である「学生の実践力の向上」とは全く逆の、実践力低下としか思えない内容のカリキュラム案が作成されているとこのことである。授業時間を大幅に削り、科目担当者に全く断りもなく科目名も変更したもの、という。

 

こうした情報は、人によって判断が違うこともあり、きちんと検証が必要であろうが、自分で経験しているカリキュラムの問題(TOEFL問題など)を念頭に置くと、一部の人間が、「時間がない」と、ゴリゴリと策定したカリキュラムに、いろいろと問題があるであろうことはわかる。その点も、本当は、教授会で、全体の場で、全教員が参加する場で、議論し、論争してみるべきことではなかろうか? そうすれば、議論は紛糾しても、これだけはきちんと訂正しなければならない、ここだけは軌道修正しなければならない、という最小限のことは発見できるのではないか?

 

やはり、全教員が参加と発言の権限と責任をもつ教授会の定期的開催が必要ではないか?

 

現在の状況では、将来を憂える建設的な意見がでても、しかるべき判断をする人にまで届かない、という事態になっている。TOEFL問題で留年した学生に関して、両親に成績を教え、留年していることを知らせることはしていないそうである。今日、多くの大学で、先日の清成氏のいう大学進学の「ユニバーサル段階」では、学生の親に定期的に成績を送るのは、普通になっている。

 

それは、一昔前には考えられなかったことだが、現実に、全入時代に向かって突き進んできた大学教育の現場・大学の生の実情からすれば、必要なことでもあろう。自分のこどもが、PEだけのために留年していることを知らない親たちが、あるとき、大量に、この問題に気付いたときどうなるか?憂える人は、心配を深くしている。

 

 

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11月7日 看護学科全員に対する説明会が昨日開催されたという。副理事長などが参加したという。この間の経過に関するかなり詳しい文書での説明が行われ、最後に配置転換に関する文書(「配置転換命令書」、「承諾書」)が配布されたそうである。ことの経過からして、移籍対象とされた多くの教員の不安・怒りを解消できず、納得は得られないのではないかと思われる。つまり、あまりに唐突な配置転換に同意する教員は、そう多くはないのではないかと予想される。

 

したがって、この間の一連の事態に責任を持つ管理職(ボトムアップの民主的制度を欠如したままで、全員が上から任命され、当局からしかるべき処遇を受け、しかるべき職務を託されてきた人々―したがってこうした場合、まさに率先垂範すべき人々)が、「学生のため」に、自分たちで対応する必要があろう。

弱い立場の一般教員(特に若手教員、「降格か」と思われるような、経歴に傷だけが残る可能性のある教員)に対する不利益措置、不当労働行為、不当な配置転換などという問題に発展しないよう、当局の慎重な行動を望みたい。

 

教員組合の多くの人には、「任期制同意」を迫られた当時の悪夢がよみがえる[4]

教員組合の立場からすれば、任期制同意と任期制不同意とでの差別措置の現実(これも、具体的事例は、准教授クラスの、したがって比較的若手の教員に対するものとなっている。本学で准教授への昇格を発令されなかった任期制不同意の若手教員が名古屋大学に准教授として引き抜かれ、教授への昇任を認められなかった任期制不同意の教員が東工大に教授として引き抜かれる事例・・・ただし、この2名のうち、明確に任期制不同意を確認しているのは名古屋大学に移った若手の場合で、他の4月昇任拒否の人に関しては直接確認していない)を考えると、そのような不当なことが起きれば[5]、真正面から問題にしていかざるを得ない[6]

 

また、任期制更新問題や昇任問題で、当局側に誠実な対応が見られなければ、この問題とも絡めて、問題提起していかざるを得なくなるだろう。問題の背景には、共通の要因、すなわち、強行的改革過程の諸問題、教授会機能の停止状態での法人化への移行措置でのさまざまの問題、したがって、そこでのさまざまの混乱、さらにその後の法人化された大学での教授会機能の停止状態、などがあるからである。

全員参加型の、民主的チェック機能の作用するシステム、権限と責任のある組織運営で、事態を改善していくしかない。

 

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11月6日 昨日の13名の当初対象とされた教員に対する学長説明会は2時間ほど行われたらしい。11月1日提案の13名ではなく、看護短大の設立が依拠する「看護師学校養成所の指定基準」における人数、すなわち、「別表3に掲げる各教育内容を教授するのに適当な教員を有し、かつ、そのうち8人以上は看護士の資格を有する専任教員とし、その専任教員のうち一人は教務に関する主任者であること」という基準から、「8名の移籍」が提案されたという。

 

しかし、現在は、看護短大の設置段階とはちがう。4年制への移行が3年目を迎え、来年度にはいよいよ4年制の完成年度になる。看護短大は、その募集停止から3年を経過し、圧倒的多数の学生は卒業している。したがって、看護短大の設置要件としての人員は必要ないのは当然である。当初提案はもちろん、第二回目の案も、こうした基礎的な事実関係さえも、反映していない。

 

ある教授が、文部科学省に非公式に問い合わせたところでは、現在、学生が4名しか残っていないという現実、その4名が必要とする教育内容に対応する科目・教員でいい、その教育をきちんと責任を持って遂行できる体制であればよい、といった回答だったという。合理的で明快である。

 

4年制に移行した岐阜のある看護短大の場合も、同様の問題が発生したが、兼任が認められたので、「短大への移籍」といった配置転換は行わなくてすんだという事実もあるとのことである。定年退職した教員を来年3月までの間、再雇用し、専任教員として「任期採用する」こともありうる、ともいわれる。

 

そういった他大学の実際のやり方、それを指導した文部科学省の担当部局とも、よく相談し、現状を冷徹に見据え、いたずらに紛糾の種をまかないように処理すべきであろう。

不当配転、不当労働行為といった問題にならないよう、すなわち、組合が乗り出さなくていいような適切な処理を期待したい。

そもそも、今回の問題点は、5月か6月に指摘されたものだともされる。この数ヶ月間、関係管理職は何をしていたのか?

当局、管理職がきちんと迅速に調査・折衝(文部科学省に出かけていく)・行動しなければならないだろう。

 

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11月5日(2) 大学FDの一環として清成忠男氏の講演会があった。当初、大学運営に関する講演会と宣伝されたように記憶するが、実際のテーマは、「教員の教育力とFD」であった。教員組合の執行委員として引っかかったのは、首都大学を事例として、「任期制・年俸制で世界に公募すれば、いい人材がたくさん集まってくる」という一節だった。果たして、実際にそうなのか、どのようなデータに基づいているのか、内部の知人(文科系)と話す限りでは、そのようなポジティヴな声ではないので、理科系の場合にそうなのかなど、「情報の非対称」がある。理科系を中心に、オーバードクターが大量生産される現在の大学院と社会(大学と企業・研究所など)の受け入れ態勢のアンバランスの下で、応募者が非常に多いのは需給関係の不均衡の当然の結果に過ぎないのであって、任期制がすばらしい制度だからではない(Cf.「若手研究者の就職難打開の道探るシンポ、学術会議」「全国国公私立大学の事件情報」117日付)。少なくとも、任期制年俸制が魅力だから集まっている証拠とはならない。優秀な人材が、任期制ではない安定した大学に集まっている可能性は厳然としてある。

 

かつて、ドイツ資本主義研究会(ADWG)、あるいは日独社会経済シンポジウムなどで、何度かお会いしたときとはずいぶんちがった発想・経歴となっていたが、中小企業関係の官庁から研究者の道を歩まれた原点のところ(大塚史学の社会移行における中産的生産者層論・経済発展の独立自営農民類型etc)は、現在の発想・着眼のここかしこに残っているように感じられ、興味深かった。

社会のニーズで、御手洗氏などの発想を紹介するあたりでは、きわめて一面的なことになるのかと危惧したが、さすがにそうではなかった。もう少し広い社会への目配りがあった。

北海道に出向いたときの往復のタクシー運転手の話(大学卒技術者が、生産の海外移転により失業し、50歳台でタクシー運転手となっている)に象徴される地方の切捨状況の問題などへの着眼も、共感できるとことではある。一極集中、極端な効率化の進展で、日本の全体的な発展が危うくなっているが、これをいかにして押しとどめるか。「知識社会」の時代に地方をどのように再活性化するか。ただ、こうしたことは、清成氏独自の言説ではなく、社会全体が認識し始めている(その象徴が清成氏も言及した参議選挙での民主党大勝)ことでもある。(ただ、今回の小沢辞任劇にみられるように、アンチ自民の意識はあっても、それに代わる政党たりうるかは、小沢氏自身が自認するように、すでに疑問が呈された。2大政党の党首の辞任劇に見られる政治家の水準の低下は、清成氏のいうとおりであろうが、それが日本社会全体の問題性の露呈であるとすれば、それこそ由々しい深刻な問題ではある。しかし、社会の不均等発展も現実にあり、かつてとはまったくちがう日本女子フィギュアスケート界の世界的活躍ぶりに示されるような隆盛著しい分野もある。)

 

大学評価の重要なポイントが、大学院にあること、これは、大学院研究科のFDなので、依頼者・聴衆の聞きたいことをいったのという側面があるかもしれないが、共感できた。しかし、ポイントは、大学院にいかにいい教員を集め、教育力を発揮するか、という点にあるようで、その内実こそは、まさに社会的にも問われることであろう。そして、それはわれわれにとって厳しい問いかけになろう。FDの意味内容が問われることになろう。

 

 

学長の看護学科教員に対する説明会には、移籍を強制された教員から教員組合責任者の立会いの要望があったが、今回は、移籍対象教員への説明会、いずれ組合とは独自の場を設定します、という法人サイドの説明を受けたので、別の機会に、事態の進展を見て、その場を持つことになろう。

 

看護学科の教授の話では、在籍者数わずかに4名という現実を踏まえ、文部科学省に問い合わせをしたところ、その実態に合わせた教員数でよく、その実際の必要にあわせた少数の専任教員(責任者)でもいいとの情報を得たとか。確かに、一方で、4年生看護学科の要員として13名の教員は貼り付けられているわけで、それを看護短大に移してしまうと、4年生学科の必要教員数が不足するという問題も発生しうる。緻密な調査と緻密な配置計画が必要であり、その点、今日の学長説明が納得のいくものか、いずれ明らかになろう。

 

 

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11月5日(1) 先日、大学の民主的活性化のための運営の民主化に関して意見を表明したが、一方では、「当局も困っている」という実情を伝えてくれる人、他方では、コース長レベルだけではなく、少なくとも学部長の選挙制度も必要、要求していくべき、との至極当然の意見も寄せられた。全国の800近い大学のいったいどれだけが、ましてや国公立大学のどれだけが、選挙による洗礼を受けない学部長体制がつづいているのであろう。国公立では、首都大学と本学くらいではないのか?人事問題の不透明さも、こうした教授会(その運営体制)のあり方とも密接に関連しているように思われる。

看護短大問題も、大学側責任者として学長が看護学科の教員たち(13名?)に説明会を行い、また、学科全体への説明会を行うことになったようである。当然である。教員たちの了解、内発的協力体制なくして、大学の教育研究はうまくいくはずがない。新たな大学院申請・その実現も、学内融和なくしてうまくいくはずがない。今回の場合、何名かの「看護短大生の在籍」が問題の出発点にあり、「学生のため」というのが大義名分である。だが、「学生のために」、日夜努力している教員をないがしろにし、配置転換を勝手に強行するなどということが許されてはならない。この問題は、強制的に短大担当を命じられた13名の教員だけの問題ではなく、全教員の問題であり、全教員の身分保障の問題でもある。教員組合が、重大な関心を寄せるのは、その意味で当然である。

 

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11月2日(3) パートタイム労働の劣悪な条件、低い水準の総収入が、現代日本で問題になっている。生活できない、結婚できない若者たち。しかし、それは、19世紀的な野蛮な資本主義時代の現象ではないのか。マルクスの『資本論』第1巻第6編第18章時間賃金Zeitlohnを読んでいたら、次のような箇所があった。規制緩和の名目のもと、90年代長期不況(冷戦体制の崩壊にともなう世界的社会経済構造の大転換)の圧力の下で、社会全体の再生産や健全な発展をないがしろにする経団連流新自由主義が、社会全体で(大学でも)横行してきたが、そのトップダウン手法(独立行政法人化という名の行政支配体制)の民主的制御こそが大学の強靭な発展を切り開くであろう。

 

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11月2日(2) 昨日のコース会議で明らかになったことの一つは、この4月に「経営的観点から」という意味不明な、説明責任欠如の理由で、教授への昇任を拒否された准教授が、東京工業大学に教授として来年4月1日から、採用されることになったということである。多くの教員から、「それはすばらしい」、「良かったですね」と、ため息交じりの賞賛の声が出た。優秀な、その道の専門研究者や社会から高く評価される人が、任期制不同意を理由に差別されることの不当性が、わかるであろう。

昨年度も、任期制不同意で昇任差別を受けた若手教員の一人が名古屋大学に引き抜かれたが、またもや同じ事態が発生した。優秀な教員を追い出す、優秀な教員が移籍先を探すように仕向ける、そのような制度として、現在の人事委員会制度や「任期制」が作用していることは、これでもまた、はっきりしたといえよう。すくなくとも優秀な教員を引き止めるような魅力ある制度ではないことだけは、明らかであろう。

差別措置を執行された教員が不愉快きわまるということが、当局に分からないとすれば、当局者が人間理解の基礎的素養の点で問題があることになる。

 

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11月2日(1) この間の大学自治破壊状態から、自治再建をどのようにすべきか、暗中模索の気持ちであったが、先日、政治経済学・経済史学会で報告(パネルA 「国立大学法人化4年目の歴史的ステージ−大学はどこに向かうのか?−」の第3報告)をしたことを契機に、次のような考えを持つにいたった。それを、大学の自治的運営のあり方の必要性を理解してくれるであろう何人かの人に伝えた。秘密にすべきことではなく、憲法の保障する大学自治(「憲法23条」と解説:芦部『憲法』を実質的に一歩一歩再建していく、ひとつの手法ではないかと考えるので、いろいろな人の目に触れる可能性はあるが、メールの文章をここにコピーして置こう。

 

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大学の民主的な再建を模索する教員の一人として、自立的自治的な組合活動の重要性を確認してれおられる皆様に、意見具申します。

この間、来年度の「管理職」の選び方に関する問題が、表面化しつつあります。とりわけ、激務であるコース長の人事に関しては、引き受け手がない、というコースもあるかに見えます。
また、事実、「上から」任命されたコース長等の管理職が、あまり長期にわたり同じ地位にとどまるのも、問題かと思います。
各種委員等で回りもちの原則があるように、管理職も、できるだけみんなが回り持ちするようにして、行くべきではないか、そうすれば、相互協力も今まで以上のものとなるのではないか、と考えます。

やはり、この際、原点に返り、民主的選挙に基づく管理職選挙を、できるコースから、内規として確立し、それによって選ばれた教員を、当局が任命するようにさせるべきではないか、と考えますが、いかがでしょうか?

現状の自治破壊状態では、中間に立つコース長は、もっとも苦しい立場におかれることになるかと思いますが、それだけに、下からの支えのある人(民主的選挙により、過半数を得たものを選ぶ、コースの中で過半数の支えと協力を秘密の意思投票で確認する)が、職務を執り行い、「上」に対して、しかるべき意見表明を行っていく必要があるかと考えます。

そうした原則を確認して、コースの過半数以上の意思表明により、管理職就任を求められたものは、23年の長期の管理職経験者を除き、拒否できないものとする、というのはいかがでしょうか?

先日の学会の時、わが大学の自治崩壊状態を報告し、そのあと、首都大学の教員と話し合う機会がありました。彼によれば、コース内規としての選挙制度を確立し、そこで選ばれた教員を当局に認めさせる、ということをしているようです。それが、上記意見の背景にあります。

当面少なくとも、一番基礎の組織であるコースだけでも、民主化を実現していくべきではないか、と。

意見表明まで。

 

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11月1日(3)  『横浜市大変革コミック のうさぎ一揆』創刊号が手に入った。「特集:144人いる!!」が記事の内容である。実践英語(PracticalEnglish)、の画一的な基準、すなわち、PE(TOEFL500点、TOEIC600点)のハードルをクリアできず、留年させられた学生の苦しみ・怒りを描いたものである。この記事によれば、PE担当の英語教師は相当に強圧的である。

 

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11月1日(2) 医学部看護学科の教員13名に対し、昨日夕方、突然、今朝11時30分に集まるように緊急招集がかけられタ。何事かと9名の教員が出席すると、唐突に身分変更の申し渡しが行われたという。

4年生学部への申請時に、看護短大の学生のいる期間(短大存続期間)、専任教員として貼り付けておくべき13名の教員を配置せず(看護の関係教員によると8名でいいはずとか)、全員を医学部看護学科教員として配置したことが不適切だったこと、そのことを今年6月に文部科学省によって指摘されたこと、したがって、看護短大生が卒業するまで専任教員の配置が必要だとのこと、その後始末として、11月1日付で、13名の旧看護短大の教員を、医学部教員から看護短大専任教員と配置換えすることにしたということのようである。

 

もしそれが事実なら、看護短大の4大化に当たっての法人サイド(任命責任)・学長以下の大学事務当局サイドの執行ミスであり、当の看護短大教員にはなんら責任はない。

通常は、医学部教員から看護短大への配置換えは、重大な処遇上・身分上・精神上の不利益措置であり、そうしたマイナスの措置について、単なる口頭説明では不十分であり、きちんと慰謝の態度を文書で明確にし、また、事情経過と責任の所在に関しても文書による説明を行うべきであろう。

 

また、当該短大生の卒業後はきちんと身分復帰すること、さらに、経過措置としての短大専任教員としての身分の期間が、当該教員たちの不利益にならないような細心の保障を行うことなどが必要であろう。

組合としては、身分上の不利益措置とならないよう、当局に申し入れることになろう。

その対応によっては、また団体交渉も必要となろう。

 

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111(1) 昨日、18:00から終了予定の19:3010分ほど過ぎた時点まで、任期更新問題に関する団体交渉を行った。当局の立場と、任期に同意した教員との立場は対立するが、その対立を現時点で可能なぎりぎりのところで調整する交渉となった。一定の合意ができたので、その合意を文章化する事務折衝レベルの作業が、今朝行われることとなった。すみやかに基本的部分での合意が文章化され、公開できることを期待している。 

 

 

 

 



[1] 自己申告書を出す権利は、全員に保障されなければならない。業績に自身のあるものは、しかるべき昇任基準をクリアしていると判断すれば、自己申告をコース会議で申し出なければならないだろう。あるいは、関係教員が推薦しなければならないだろう。 

 

[2] 職務業績給の制度を、ピアレヴューを踏まえたものとして、確立していけば、給与格差によって、上記の問題を一定はクリアできよう。

 しかし、職務業績給に関しては、当局から、先日の唖然とするような合意書無視の案しか出されていない。

 職務とは何であり、業績とは何であるか、その評価の仕方は、だれが、どのように、といったことをきちんと整理し、検討し、公明正大な基準を打ち出していかないと、大学の知的道徳的退廃は、職務業績給の制度によって推進されることになろう。

 

[3] しかも、その一人は、東京工業大学に来年41日からの教授採用が決定した人物、したがって、教育研究業績で、コース基礎会議で行った評価と全国有数の高い評価の大学の評価(その裏づけとなる業績・社会的評価)を持った教員なのである。

 昨年度は、任期制不同意を理由に、若手助手が准教授への昇任発令を拒否され、名古屋大学に転出することとなった。これも、「経営的観点」、不当な「任期制」の強行・押し付けがもたらしたものである。

 

[4] 任期制更新問題では、現在、二回の団交、組合の粘り強い折衝で、任期制更新の危険性が一定程度、軽減されたという段階である。

 

しかし、この間、痛い思いをした教員からは、当局が示した「考え方」に根本的な問題を感じる教員もいる。

 

「極めて問題が多い内容だと思います。・・・」。改革過程の不当な差別により、新学部や新大学院に所属せず、しかるべき担当職務の配当措置が講じられていない教員の場合、その事実を持って、『教育・研究内容やそれらに対する取り組みがきわめて不十分』というのであれば、それは詭弁としか言いようがありません」と。

さらに続けて、「また『大学運営にもほとんど協力が得られない』といいますが、今はすべて委員などは上からの任命で」、「声をかけられたことすらない」教員もいるのではないか、と。

「つまりすべてトップダウンで決めておいて、『やっていない』、『非協力的』などというのはペテン以外のなにものでもありません」と。

 

「同じ理由によって、評価制度もうまく機能するはずがない」と。

 

 まさに、こうした問題があるからこそ、教員組合は、不服審査制度の構築などを求めて交渉を続けてきた。かつてのように教授会が機能していれば、教授会で、選挙などにより不服審査委員会の委員が選挙される、当局推薦委員と教員組合推薦委員を入れる、といったことがあろうが、その制度化は、今後の課題である。

 

[5] 現実には、目に見える差別ではなく、当該者しかわからない幾多の不利益措置があろう。

 

[6] 他大学に転出する理由は、もちろん、任期制や年俸制だけが理由ではない。教育研究の総合的条件が、本学にとどまるか移籍先を探すかを左右するであろう。総合的に見て、好条件のところに移るということであろう。

 

 年俸制に関しては、この間の組合の努力もあって、その実態は、以前の給与体系に類似してきている。ただし、職務給・業績給の内容は、不明確で、今後どうなるかは不明。

 

 また、任期制も、「教授は更新回数の制限なし」なので、教授に昇進さえすれば、定年までの雇用が、ほぼ、保障されている、ともいえる。

 

 「ほぼ、保障されている」とみるか、そこになお不安定性・危険性を見るかは、これまでの大学当局のやり方を同判断しているかに関わってくるであろう。

 

 教員組合のスタンスは、安定性を増すように、実質テニュア制に近いように、努力することであり、団体交渉の結果も、その方向への一定の前進と見ている。

 

 私の記述の不正確さに関するご指摘をいただいたので、注記しておきたい。