2008年1月の日誌。

 

 

 

 

 

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1月31日(2) 昨日の組合の代議員会では、新たな学長の選考に当たって、何かしなければならないのではないか、という意見がだされた。組合代議員会の本来の議題以外の問題だが、若干議論となった。広島大学では、教員組合代表を一人の候補として推したことがあったことなどから、組合が何らかの形で推薦するやり方もありうるかとの意見もあった。

 

さる法人経営者は、前回、「なぜ、組合は代表を出さなかったのですかね」といったという。

実際、前回の学長選考の前後に、負けてもともとでも、「組合の代表を候補とすべきだ(った)」という組合関係者の主張を耳にしたこともある。

 

しかし、教員組合(から)の代表という課題と法人副理事長・当局側としての学長との立場は、問題によっては組合に対して対立的であり(事実、この間、教員組合は評価制度をめぐり、昇進問題をめぐり、学長に対して抗議や説明要求をしてきた)、組合からの代表が組合・組合員の利益に反することも発生しうるので問題ではないか、やはり、推薦人15名で学長候補を出すとしても、組織的な組合としての立場では無理なのではないか、といった議論となり、まとまらなかった。

議論は、本来の活動方針等に力点が置かれて、進んだ。

 

多くの大学で(たとえば、山形大学、滋賀大学、新潟大学、高知工科大学、その他)、大学教職員の意向と法人サイドの意向とのハザマで、さまざまの問題が出ている。難しい問題ではある。

 

本学では、加藤学長(1期)→小川学長(任期途中3年目?)→ストロナク学長(任期途中2年目、残任期間2年間)と、「改革」をめぐる問題の困難さを端的に示す交替であろう。一方における市の厳しい財政事情やグローバル化・新自由主義の圧力、それに市民の要求群、他方における大学内部の教職員の直面する難問群と学生院生の要求群のハザマに立つことになるからである。

 

いったい誰が、この難局で、このような火中の栗を拾うのか?

 

ある人が、教員の資質として重要なこととして、「大きな耳、小さな口、優しい目」という新聞記事の言葉を教えてくれた。

その人の考えでは、現在の難局・挑戦的課題に立ち向かう学長の資質に必要なことも、これではないか?、と。

 

そうか? 「資質」のひとつの要因ではあろうが・・・・

人々に、諸問題を整理し、提示して見せる文章力は、資質として必要ではないか? 

日本語能力? 分析力と論理力? 文章による体系的プランの構築・・・・

 

どこに、そのような人はいるか?

 

いずれにしろ、単独の個人が、こんな大変な問題群を処理できるはずがない。

 

しかし、「三人寄れば、文殊の知恵」という格言がある。

単純な機械的物理的な三人の寄せ集めではなく、3人それぞれの相互の知恵を有機的発展的に組み合わせるということであろうが、・・・

 

難問群を処理しうるとすれば、大学内部では、教職員と学生院生の希望の中心となり(「大きな耳」)、法人当局や市当局の希望にもよく耳を傾け(「大きな耳」)、双方の諸要求の間できちんと調整をおこなう能力(「小さな口」)をもち、どちらの方向に対しても、合理的に説明する能力({優しい目})を持った人(そのために回りに一定数の有能なスタッフを集め「文殊の知恵」に統合できる人)、ということになろうか。

 

さて、どうなることか。

 

医学部では、O教授とS教授グループの間で(?)、情報が錯綜しているようである。

 

Ground zero からの高層超モダンビルを構築」することは、市民が誇りうる大学にするためには、また、教職員と学生院生・卒業生・父兄が満足し、発展を祝うためには、絶対にやり遂げなければならない課題である。

とともに、あと何人かの学長の任期途中の辞任や「戦場で倒れる」といったことを要求するのか?

 

この問題では(も?)、市当局の考え方、大学内部の諸構成員の考え方、市民や地域社会の考え方などのすべての要因が、社会全体の情勢(総選挙などの動向)とも絡み合いつつ、俎上に載せられることになろう。

 

 

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1月31日(1) わが大学における「9・11」は、大学固有の法律的諸問題、憲法や教育基本法、学校教育法といった諸法律の体系と任期制などの相互関係について、きちんとした法的知識とその運用能力のないことも、ひとつの理由である。その意味では、法律系教員の充実、あるいは法人固有の職員に法的能力の高い人を養成することなどが求められているといえよう。文部省の役人を理事あたりで招聘することもありうるのではないか、との巷の意見もある。

 

国立大学法人と地公共団体の作る公立大学法人との決定的違いのひとつは、まさに、前者が持っている大学関係諸法律のプロの有無であろう。

再建を軌道に乗せるには、たしかに、緊急避難的に、一定時期、一定任期で、そうした人の招聘も必要となろう。

 

 

 

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1月30日(2) 下記のような制度変更を実現するためには、やはり最終的には、新しく学長の候補となる人への信任が、教員層、職員層、学生などの中に、どの程度あるか信任投票の制度が必要(よわい立場の人々は、有力者の請願などに名を連ねるのはいやであろうし、単独でもやれないだろうし、請願書が回ってこないかもしれないし、請願書など書く時間がないかもしれない)であろう。

しかし、多くの人の信任ないし、再建への協力姿勢を確認できなくては、新しい候補は、ごく少数の人の支持しか得ていないかも知れず、それでは、政策への信頼性や発言力がなくなろう。

        

信任投票は、教員組合の執行委員の場合、10日くらいかけて行っている。

 

        すくなくとも、その程度の日数をかけて、信任投票を行うが、最初の出発はおくれても、その後の進み方は、スピードが上がるであろう。そして、50%以上の信任をえたものが、なるべきだろう。それが、民主主義の原則であり、大学構成員に基盤を置く大学改革であり、とのトップを選ぶ、ということであろう。

 

         はたして、信任投票の準備は、できているのであろうか?

           制度ができていなければ、どのような形で、構成員(すくなくとも教員、職員の信任を確認するのか?

 

          優に50%を超える広範な教職員の信任を得る人物が、どこかにいれば、すばらしい。そうでない場合、多かれ少なかれ、ストロナク氏のようなことになる可能性が残るであろう。しかし、何とか、50%さえ超えていれば、諸困難をクリアできるかもしれない。二人以上の場合、最高得票者がなるとしても、投票率は50%以上が、本来は、最低必要であろう。(各種選挙で、そのようにはなっていないが・・・・)この場合、学長選考委員会が、学長を選ぶ権限を与えられているとするならば、その学長選考委員会が主体となって、信任投票を行うシステムを準備しておく必要があろう。前回の場合、確か、所信表明の機会が、対立候補の二人の間であったと記憶するが、今回も、そのような所信表明の制度しか準備していないのであろうか?内閣支持率を見てもわかるが、大学構成員(少なくとも教員)の支持率こそは、民主主義的統治原則では、重要な要因であろう。はじめが肝心。理事会、経営審議会や教育審議会が、選考委員会の決定を、全教員の信任投票にかければ、そして、50%以上の信任を得れば、教員の支持は確認できよう。また、学内職員の信任投票を組織すれば、そして、その過半数の信任を得れば、職員の信任も確認できよう。

 

 さらに、学生に関しても、学生の過半数の信任投票を得れば、学生からの信任もえたことになろう。どの範囲まで、信任投票を広げるのが妥当か?本来的には大学自治の土台をしっかりするためには、全構成員に広げるべきだが、その点の検討はすんでいるであろうか?

 

@  今回の投票権者の範囲(教員だけか、職員もか、また学生は)と名簿の確定

A  その全員に対する投票期間・場所等の周知徹底

B  開票の公開性・透明性・公正中立性

など

 

            学長辞任にいたる経過なども含め、教員の中にどの程度の意識が高まっているか、そして、候補がどのような人々か、それぞれの候補がどのような言動を行い、どのような人々にどの程度の信任を得ているか、どのような人が、候補者たちとともに大学を改革していこうとするか、そういった諸要因すべてが、かかわってくるであろう。

 

           もし、候補のうち一人も、一定の信任を得られる候補がいなければ、現学長は、このまま学長職にとどまるか、臨時代理を置くか、しなければならないだろう。いずれにしろ、この場合、法人の責任、さらには、市当局の責任は、全社会の前に、露呈してくることになろう。ニュースが新聞やテレビを駆け巡ることになろう。すでに、ストロナク学長の辞任は、広く社会の関心を集め始めているからである。入試期だから、なおさら、社会の関心は高い。

 

 

 

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1月30日(1)  「改革」断行の結果、大学のすべての分野で、トップダウンの官僚主義的システムがまかり通ることになり、有機的生命体たる大学の組織上の頭脳(学長)と組織・構成員(教員集団)の神経中枢・神経網・動脈・毛細血管網が切断され、心あるほとんどの教員は怒り、諦観・無気力などの状態に陥った。

 

これを、革命的に変化させるには、各種レベルでの構成員の自由と民主主義の統治システムを再建しなければならない。それが、次の学長・そのバックにある法人、さらにそのバックにある市当局の義務であり、責任であり、課題である。

 

          大学教員全体に、また、法人や市当局に向かって、明確にしておくべきは、自由と民主主義の原理に基づく現在の憲法にしたがって、大学自治を再建することが、大学のグランドゼロからの再生の絶対条件だということである。

 

          一番基礎にあり全教員が所属する「コースレベルの教授会」、さらに、「7つないし8つのコース全体を包摂する学部教授会」が、そのレベルごとに、自治を獲得すること、これが絶対条件である。

全メンバーの主体的な、自由でのびのびとした組織運営への参加を保障するには、権限と義務および責任が不可欠であり、それらが明確化されていなければならない。出ても出なくてもいいようなコース会議では、だめである。また、一部のメンバーだけでなく、全員が主体的能動的に参加できるシステムとするようにしなければならない。

 

全員が教授会原則に基づき審議・決定に参加権を持つ場合には、その権利がある以上、その組織に属する全員に、決まったことの執行責任・義務も生じる。

 

           

すなわち、コースレベルの会議は、名称も、明確に、「コース教授会」として、メンバーの権限・責任・義務を明確にすべきである。学校教育法に基づく重要事項のどこまでを、どのように審議し決定するか、その明確化が課題となろう。

 

また、従来の年に一度だけ、形式的に開かれている教授会は、「学部教授会」として、自治を獲得することが必要であり、人事に関する審議権(人事決定の諸段階の最終点において法人が任命権を持つことは当然であるが)などを持つべきである。この間の不透明さは、まさに、この欠如にある。

 

その際、「教授昇任を審議する人事教授会は、メンバーは教授以上が正規メンバー」、「助教の准教授への昇任を審議する人事教授会は、准教授以上が正規メンバー」というのが、23年間所属した私の前任大学の場合であり、ほとんどの大学の場合であろう。

 

かつての教授会が必ずしも万全に機能していなかったことは認めることにやぶさかではない。

 

しかし、まったくの形骸化した教授会が、機能不全に陥り、一年に一度しか開催されず、したがって、一般の教員(教員全体)が全学的な問題に関して、問題を共有し、議論し、学部全体の発展、大学全体の発展をめざして責任・権限・義務を一切持たない状態では、ずたずたに寸断された死せる組織体でしかなかった。

 

この死体に生命を吹き込むこと、それには根底からの自治の再建しかない。

毎月、一回、全員が参加可能(する必要はなく、委任状を出せば足りる)な教授会開催の定期化が必要である。

 

この数年間の苦痛を経て、ほとんどの教員は、自治と自由・民主主義の大学における決定重要性をいやというほど認識、ないし再確認してきた。

 

したがって、自治権=自治義務=自治責任をもつコースレベルの教授会と学部教授会は、悲惨な経験を踏まえた生命体として、再出発する能力・意欲を十分に蓄えているものと思われる。

 

この自治的教授会は、メンバーがコース長を選挙で選び、自分たちで選んだ管理職とともに、コースの運営を行っていく自治・自立の組織である。各メンバーが権限=責任=義務を持つためには、コース長は、毎年交代し、原則として、必ず全員がその管理職務を遂行する責任・義務を負うシステム(統治者が必ず被統治者となるシステム、統治と被統治の生きた循環システム)としなければならないだろう。

最初は、副コース長に選ばれたものが、次年度のコース長となることを定め、管理の潤滑な継承のシステムとすることも必要であろう。毎年、副コース長を選挙して、一年間の訓練期間をおくことになろう。

 

一部の者のみが長期にわたり管理職の地位にあり、他のものは傍観者、受動者、命令されるものとしての立場に隔離されている状態では、権利=義務=責任の血流が循環する生きた組織体とはならない。

 

学部教授会は、学部長を選挙し、原則として、毎月、一回、全メンバーの参加する教授会として再建し、すなわち、自治組織としての機能を回復すべきであろう。しかし、二つの学部とも、100人を超す組織となる以上、毎月全員が参加する教授会が、何らかの工夫をしない限り機能しないであろうことは予測できる。

   

議題を明確にし、審議事項を前もって(1週間前)全員に知らせ、自らの希望・利害・要求・権益にかかわるときには、すべての教員が参加できるようにしておく必要があろう。ただ、議題に問題ない普通の場合には、多くの教員が委任状を出す(義務と責任を伴う)ことで、審議結果に従うことを明確にすれば、たりるであろう。

 

委任状は、現在では、e-mailを使えば、議題さえ前もってわかり、必要最小限の資料が提示されていれば、簡単に、教授会開催時点までに、送付できるであろう。

 

コースレベルの自治的教授会学部全体の教授会との血の通った運営のための工夫は、必要であろう。

 

その血の循環がうまく流れていれば、大きな組織体となる全体教授会(学部教授会)も、必要最小限の、7−8つのコースに共通する問題に限定しての審議事項となり、それほど紛糾することはなかろう。

 

 

 

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1月29日(2)  恩師[1]・西川正雄先生がご逝去されたとの報に接した。この間、多忙を極め、お見舞いにもいけなかった。いずれ、しのぶ会などにはぜひ参加したいものだ。

 

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現代史研究会の皆様

 西川正雄先生が本日午前11時、順天堂病院にて永眠されました。
ご葬儀はごく近親の方々で密葬にされるとのことです。

 慎んでご冥福をお祈り申し上げます。

伊集院 立

 

 

 

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1月29日(1)  推理が行き詰ったところで、もう一度考え直してみる。

 

        現状の絶望的な学長選考規定を打破する道は何か?

 

        外部の、とりわけ行政権力のトップである市長の理事長任命権に依拠できない(大学自治違反)とすると、正々堂々、大学の自主的判断を具体的に提示することが必要となる。

 

         大学とは?

 

         内部は、教員(非常勤も含む)、職員、学生・院生といったところか?

 

         さらに、学生OB/OG、OB/OG教員、OB/OG職員も、かつての内部であり、大学に重大な関心を持ち、大学の世界的な発展を心より願う人々であろう。

 

 

         選挙制度のない時代、人民が自分の意思を表明するための投票権を持たない時代、どのようなことが行われていたか?

歴史は何を物語るか?

         かつて、第一次ロシア革命(1905年1月22日)[2]の勃発の原因は、何であったか?

 

         民衆の悲惨・塗炭の苦しみを忘れ、無視し、日露戦争で巨費を投じるツァーリ政府(皇帝政府=権力)が、食べるものもなく、貧困の「どん底」で、やむにやまれず「請願」に来た民衆に対して、その気持ちを汲むことなく、発砲したことではなかったか?

(最近の事例では、ミャンマーにおける軍事政権の大衆デモ武力鎮圧)

 

          とすると、選考委員会(各委員、あるいは委員長)に、請願」するということは、無権利の民=無権利の大学全構成員にも、可能ではないか?

          その内容は、人物の名前というよりは、やってほしいこと、そのやってほしいことのために法人が積極的な努力をすること、市当局からしかるべき措置を積極的にとってくることを求めるものとなろう。

 

          選考委員会(経営サイドと大学サイドがあるようだが)のメンバーは、それぞれの希望・思惑・利害・勢力をバックにしているであろうから、筋違いで持っていくと、うらまれたり、報復措置(「発砲」されたり)を覚悟しなければならないかもしれない。

 

          選考委員の誰にもって行くのが一番いいか、誰が一番信用できるかは、その人その人(利害・希望・勢力など)によって異なるであろう。

三々五々と話し合って希望をまとめて、それぞれが信頼できる選考委員に、持っていくことになるのではないか?

peaceful revolution of hopeJ.F.Kennedy) 

 

新しい学長には、「これこれのことをしてほしい」、「これこれを実現してほしい」など、いろいろ具体的な希望があるのではないか?

それにみあって、「自分はこれこれをする」と。

 

孫副さんは、夜2時、3時まで毎日仕事をしていた、とか、ストロナクさんは教員組合との関係で意思疎通がうまくいかなかったとか、大学内部に基盤と協力がないとうまくいかないことを示唆していると思われる。

彼らには、大学内部のかなり多くの人の自発的自主的協力がなかった。

その自発的協力をしようとする人はどのような条件をもった人か?

こういう仕事をする人なら、自分も協力する、分業と協業の原理で、一定の負担は背負う、と。

 

そうしたことを制度化すれば、自治的なコース会議と教授会の再建、ということになろう。

 

コース長、学部長の選挙(弱い立場・反対の立場・マイノリティを保護するための秘密投票)による選出は、そうした分業と協業の関係を再構築することになろう。

選挙権と責任とは相互補完関係にあろう。

 

コース長や学部長などの役職も、任期制のひとつの形態であり、特定役職期間だけ、特別の役職手当のつく任期制である。その任期が終われば、普通の教員に帰る。特権の独占は、許されない。

 

 

こうした場合にも、ケネディの言葉が、参考になるのではないか? ケネディの場合はアメリカ大統領だが・・・・

 

「国が自分に何をしてくれるかを問い給うな。自分が国に何ができるかを問い給え」と。

Ask not what your country can do for you-----ask what you can do for your country.)

 

これは、民主的手続きによって、大統領として選ばれたときの言葉であり、国民の支持を踏まえ、その人々に対する協力・自発的参加の呼びかけである。血が通っている。

 

 

 

経営審議会や教育研究審議会は、教職員・学生院生・卒業生、地域社会などからの希望を最大限に実現する覚悟を決め、それにふさわしい人物を選び出すこととし、責任ある形態での請願などで大学内部から出されたさまざまの希望の実現にむけて、最大限の努力を行うことを誓約しない限り、どのような候補者の名が出てくるにしても、引き受ける人はいないだろう。

 

また、仮に引き受け手が現れたとしても、孫副さんやストロナク氏のような悲劇に陥らないためには、しかるべき覚悟が、法人側、そのバックにある市当局に求められるであろう。予算その他で、大々的な支援の姿勢がない限り、「グランドゼロ」と化した大学の再生はありえず、大学のすべての希望は、画餅にきするであろう。

 

そして、悲劇が再生産されるであろう。

 

これまでのシステムとどのように違っているのか、大学の教職員・学生院生などの希望を実現し、しかも、大学の飛躍的な発展を実現するために、どのような姿勢を見せようとするのか、その大学内外に対する説明が必要であろう。

 

 

その際、改革課程の「暴力的な任期制」の押し付け[3]はやめ(少なくとも実質的に無理のないものにするように改善を重ね、組合と交渉を積み重ね・・・・法人化当初の意見書も全面否定のスタンスではなく制度内容が種々問題をはらんでいるとの見地だったはず)、大学教員任期制法の立法の趣旨に合致した「魅惑の任期制」を導入することが必要であろう。

 

「魅惑の任期制」とは、全国的に誰もが納得できるような明確な実績を上げた高水準の教育研究者を、3−5年の任期で探し出すことであり、しかるべき予算措置を講じることである。真に「魅惑」的な任期制であるならば、すなわち、やってくる本人も、また内部の人々も恨みを込めてみるような任期制でなければ、最高水準の教育研究者が、こちらの打診に応じてくれるであろう。

 

そうした最先端の教育研究者による国際総合科学部とその上に新たに形成される三つの大学院博士課程を一挙に(マル合教授だけで)構築する気迫が、法人側、そして、そのバックにある市当局から約束されない限りは、再生はありえないだろう。

 

9・11」で脱出した教員層、ないしはそれ以上の教員を集めること、そのための予算措置をきちんと確保することを内外に約束する必要がある。

 

高水準のマル合教授を10−20人集めれば(内部の若手が昇進を心配しないでいいように、通常定員とは別枠(学長枠?)とし、定年か定年近い研究者に3−5年間の任期であれば、そして当面の3−5年間も毎年内部のしかるべき昇進対象者が実績に応じた審査を受け昇進できることを保障すれば、外部から任期制でやってくる教員が自分たちのチャンスを奪うなどという懸念・心配・意気消沈もなくなるであろう)、理論上は可能である。

 

内部の若手の助教から准教授、准教授から教授への昇進にしても、実力主義第一とし、継承教員を萎縮させる任期制の同意強制など、違法行為は行わないと約束する必要がある。

 

また、承継教員のなかから、その業績に応じて定年後の「特任教授」を任期制で再雇用することを始めたようであるが、それは、全教員を対象とするものとし、その制度設計の内容を内外に、そして関係者である承継教員全体に明確に示し、説明責任を果たすべきである。

 

68歳までの雇用(人材をめぐって競争する私立大学の多くも、今では70歳定年が68歳に引き下げられる傾向にある)が、しかるべき健康状態・しかるべき業績水準であれば保証されるとすれば、したがって、「普通にやっていれば、定年後、一年更新で3年間の任期つき教員になれる」ということは、「魅惑の任期制」ではないか? 

究者の常として、晩婚などでまだ子供の教育費などが必要で、生計の道を見つけため、わざわざ私立大学にあたふた再就職を探さなくてもいい。

本学で腰を落ち着け、きちんと業績を積み、教育研究に熱心であれば、公開された審査基準にもとづき、声がかかる、というシステムである。

声がかからなければ、業績評価にかかわる問題だから、これから当局と組合で検討しようとしている不服審査制度を構築し、訴え出ればいい。訴えでて恥ずかしくないだけの、業績をつんでおけばいい。

 

(だだし、給与水準は、職務を教育と社会貢献に限定し、それに応じたものとすべきだろう。本来の65誌定年までの給与が、教育・研究・大学運営・社会貢献の4つの分野に対応している以上、ごく当然にも、特認教授のばあいには二つの分野(教育と社会貢献)のみで、大学運営と研究が欠落する−個人的には研究を継続するものがいても研究費は支給されず教育重視・社会貢献重視の法人の方針に従い学生院生を「大切に、自分の子供や孫のように」扱い、全力で学生・院生の意欲と能力向上に力を注ぎ、しかるべき社会貢献に力を注ぐものとする−ので、65歳時点の給与の3割、4割、5割、6割、せいぜい7割といった水準になろうか、他大学の調査、その根拠などを調べる必要あり)

 

 

どのような基準で、何年間、任期制の再雇用が可能なのかは、若い人々の業績の上げ方に関係してこよう。したがって、「任期制」の「特任教授」採用の基準を早急に明確化する必要がある。

 

以上のように3−5年、ないし7−8年続けていけば、かなりの高い割合の任期制が、しかも、大学教員任期制法に合致した任期制教員集団が出来上がることになろう。

 

また、法人化後に採用された任期制教員のテニュア制度の確立の検討を、すでにある内外の研究を元に開始すべきである。どのような条件で、安定した生活設計ができるのか、内外に明確にしなければならないだろう。

 

さらにまた、コース会議やしかるべき会議における教員の権限と責任の関係を、自治的な組織に再編成、下からの意見・審議結果が有効性を持つように改めていくことも必要だろう。下からの民主主義を活性化させる制度再編が、必要だろう。

 

 

「魅惑の任期制」は、現在問題になっている「任期制」問題の発展的な解消の仕方であろう。

1. 公務員身分継承教員は、65歳までの任期・・・途中、更新の手続きは必要ない。

2. 法人かごの教員は、3−5年の任期で、准教授の場合、最長15年。その後どうなるかは、現時点では不確定。本人および組合と当局との交渉事項

       

     以上の任期制の同意教員と非同意教員は、65歳の段階で、同じ競争地点にたつ。

大学教員任期法に基づく最先端の研究をしている人の場合、任期と、そうでない人の場合の任期とは当然に違ってくるであろう。

また、学部教育だけに専念してきた人(A)、学部大学院の教育に専念してきた人(B) 、さらに、学部大学院の教育と研究において実績を上げてきた人(C)、さらに、それらプラス社会貢献でも実績を上げてきた人、これらが、65歳の時点で、評価されることになろう。

 

 タイプ1:非常勤講師の給料が月額3万程度、年間36万として、定年退職後、3こま程度を担当する人、年収約100万

 タイプ2:学部教育特任教授として、年収200万ほど(?)。教養ゼミなどを中心に、5こま担当。

 タイプ3:学部・大学院特任教授として、年収400万ほど(?)。(学部と大学院で、5こま程度)

 タイプ4:学部大学院教育プラス社会貢献の特任教授として、年収600万ほど(?)。(学部と大学院で5こま、プラス社会貢献活動)

 タイプ5:スーパースターで、現役時代と同じほどの収入の人・・・・

 

 これらのタイプが、65歳の低年次に振り分けられることになろう。

 いずれのタイプの場合も、教育(学部であれ大学院であれ)が第一の職務であり、学生や院生を「3歳の孫のように可愛がる」精神で、熱心に、暖かく育てることに専念する。

 社会貢献等に活躍する人は、さらに、社会的な活動実績を上げ、しかるべき給料との対応関係をつける。

 

 これらの対応関係は、原則一年ごとに検証し、最長3年間とする。

 スーパースターは、もちろん、このかぎりではない。

 

以上は単なる思い付きだが、 いろいろのファクターを検討してく価値がありそうである。

 

 

日ごろ感じていることにつき、一点だけ付け加えれば、65歳の任期を有する承継教員は、一番、身分保障されている安全な教員であり、それだけに、安全さの裏面にある責任が伴うであろう。すなわち、大学当局やその他の問題に関して、最高度に自由に批判的な態度・行動をとるべきだということである。身分が保証されているのだから、それだけに、その自由を最大限に発揮して、活発に批判的な意見を公開していく義務があるだろう、ということである。

 

フリーライダーは、身分保障教員と任期制教員との関係でも、組合員と非組合員との関係でも、道義的に容認されないだろう。

 

        

 

 

 

 

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1月28日(3) 昨日、本学を定年退職するS教授が理事長となるのではとの妄想を述べた。

       しかし、理事長は、誰が任命するのか? 定款どおりなら、

       市長だ!

     

学長などというのは、選考のプロセスがややこしく、そもそも、大学構成員がいかんともしようがないようになっている。馬鹿らしくて、真剣に規定など調べて見たことがない。大学教員の無力感の終局点が、学長選考委員会だどうせ、何をやっても無駄、と。すべて、自分たちとかかわりのないところで任命されるから。

     

しかし、理事長は、定款などからして、市長の任命、で十分なはず(これも調べたことがないので、推測)。

 

       それでは、市長が、S教授の実力を認識していなければならない。

 

       その可能性は、S教授の実力・評判・実績、市当局・県当局との密接な良好な関係からして、十分考えられる。

 

        しかし、大学の自治の原則からして、行政の長である市長が、自分の利益のために、大学を手段として利用することはできないはずだ。

 

昨日、どう考えてもわからなかったこと(「単純」、論理の「飛躍」)は、まさに、私の主張している大学の自治の根本にかかわること(大学自治原則違反の論理)であった。

 

盲点とはこのことを言うのであろう。

 

         とすれば、どうなる?

         妄想が行き詰った。

 

 

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1月28日(2) 私の日誌を読んでくださっているある卒業生から、下記のような「弱い立場の学生」に関する重い意味のあるメールをいただいた。繰り返し見つめなおしてみるべき貴重な情報として、匿名でコピーしておこう。

 

TOEFL問題で、まさに、「弱い」立場の学生諸君を、さらに苦しい立場に追いやっていいのかと、さまざまにこの日誌でも書いてきたが、これまでの大学当局は、それに一切耳を貸さなかった。今回の学長辞任によるひとつの責任の取り方(組合が団体交渉への出席を求めているので、学長が出席すれば解明できよう)からして、大胆な変更の可能性はありうる。

 

市当局が、中期目標・中期計画を盾にとって、「大学が自分で(?)決めたことを、途中で変更していいのか」などといわなければ。

大学の自治(大学の自由な意思形成、大学の自主的決定)を尊重すれば・・・(なお、その大学当局の責任・理事長および副理事長の責任等に関しては、教員組合が団体交渉で追及することとなっており、団体交渉の日程は、2月4日か5日ということになっている。)

 

すなわち、たとえば、愚案では、

@    TOEFL500点は、進級要件としては廃止し、進級は全員4年までは可能とする。TOEFL500点は、全員が4年までにクリアすべき目標として設定しなおす。

A    その目標達成のために、さまざまの到達度の学生の意欲を増進するようなクラスを増設する。学生の自発的自主的意欲の向上、それに基づく実力向上を、特別クラス担当の教員の評価に反映する。この科目の場合、向上を示す客観的データは、数値化されたものとして存在するので、ほかの普通の科目と比べて、容易。学問や思想の自由を侵害することにはならないだろう。

B    TOEFL500点だけを優先するのではなく、TOEFL500点水準を基礎にして、ドイツ語やフランス語の検定も、可能とする。英語とそれ以外の語学の教員の競争を可能とする。英語に、特権的、独占的地位を与えない。

C    各コースによる目標値の設定は、それぞれのコースの特性により行うものとする。

D    各コースは、コースの教育体系の独自性・個性を考え、外部評価(すなわち、英語ならTOEFL,TOEIC、ドイツ語ならドイツ語検定、など)を基にした代替科目の設置を行う。ただし、法人化の際の中期目標等の設定からして、英語重視は続くであろうから、第二外国語のための実践的な講義のために予算を獲得することは難しいかもしれない。

E    学生の意欲・能力・希望・目標などを無視した画一的なPE必修は、法人化の理念と政策を明確化するために、一年生の一学期だけに限定する。後は、本人の自由にまかせ、到達度別のクラスに進むもよし、第二外国語の履修に向かうもよし、数学やそれぞれの進む方向のメニューに力を入れるなど、さまざまの自由を与える。

F    4年生の卒業判定時に、TOEFL500点−549点を優とする。TOEFL550点以上を秀とする。TOEFL450点−499点を良とする。TOEFL350-449を可とする。甘すぎるか?

G    英語重視の中期目標、英語センターの設置等から考えて、高い水準を望むものを伸ばすための、特別到達度クラス(外国人と日本人を問わない、内容による特別クラス)は増設する。

 

以上のようなことが考えられる。

 

なお、今回の学長候補選定に当たっては、まさに、こうした卒業生の声も、反映させるべきではないか?

卒業生の生の声を反映する制度設計とその公平透明な運用が求められはしないか?

その際、卒業生の組織(同窓会)の意向も、また、個々の卒業生の自由・自発的な意思表明も、選考委員会は受け付けるようにすべきではないか?

 

同窓会の幹部は、場合によっては、市当局の意向に服従するかも知れず(これまで、同窓会幹部の「改革」過程の態度を見ると、そのような服従の傾向を感じた)、やはり、多くの卒業生が生の意見生活体験や社会体験に基づく意見を、選考委員会に自由に発信できるようなシステムを構築すべきだろう。

 

 

たとえば、卒業生名簿にe-mailリストを掲載し、卒業生と特定できるようにしておけば、個々の卒業生の意見をe-mailで送ってもらえばいいわけだ。単なる数ではなく、推薦の意見・理由を責任をもって文章化してもらえば、その文章に説得力があれば(批判的意見ももちろん可、いやそのほうがいいくらい)、衆愚政治には陥らないのではないか?

 

大学改革や大学運営への参加は、現在の全構成員だけではなく、卒業生諸個人の意見表明も踏まえて、行うようにすれば、卒業生の大学への愛着も関心も増えるのではなかろうか?

 

さらに言えば、私はよく知らないが、今回の学長選考に当たっては、卒業生だけでなく一般からの意見(生の意見)や希望は、どのように収集することになっているのか?

匿名(無責任)の希望ではなく、責任を持った市民の文章による希望や意見の表明ならば、まさに、大学経営・大学運営に参考にできるのではないか。すくなくとも、新しく選定された学長は、その責任ある市民の意見の数々を読み、大学運営に生かしていく努力をすべきだろう。

場合によっては、そうした市民と学長との懇談会の場(自由な意見交換の場)を設定することも、大切な仕事となろう。

 

 

 

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先生の大学改革日誌を読んでいて,一つ気になったことがあります.

 

夏休みにルアンダに行った「冴えた学生さん」のことを話題にしていましたが,「冴えない」学生さんのことも少しは考えてほしいと思っています.

 

自分の経験を書いてみます.

僕は・・・・・横浜市立大学・・・学部に入りました.当時から家庭の問題で悩んでいました.それは僕の姉のことです.

 

僕の姉はいわゆる統合失調症であり,現在,障害年金を貰っています.小学生のころから不登校になり,家で泣き叫んで暴れて手がつけられない状態でした.もちろん両親はいろいろと医療機関に行ったようですが,原因ははっきりしないままでした.ようやく十代の後半になって幻覚や妄想などのいわゆる陽性症状が強くなり,精神分裂病(現在の統合失調症)と診断されました.しかし,僕が小学校二年くらいから現在までの二十数年間ほとんど毎日泣き叫んで暴れている状態でした.僕も強く影響を受けたと思います.高校時代,大学時代は家庭の問題を誰にも言えずに抱えながら,学問に没頭しました.

 

大学時代も他人から見れば何を考えているのかわからない,「冴えない」学生だったことでしょう.実際に授業をよく休んでいて,やる気のない学生に見られたこともあり,また,演習を落としたこともあります.

 

大学時代の後半になって,どうしても我慢ができなくなり,当時の指導教員の教授に打ち明けた次第です.

 

現在の学生のなかにも家庭的な問題やその他の問題を抱えて苦しんでいる学生はかなりいるのではないでしょうか.教員としては優秀な「冴えた」学生さんを可愛がるのは当然でしょうが,さまざまな問題を抱えた「冴えない」学生さんにもご配慮をいただけるとうれしいですし,また,必要なことでもあります.

 

どうか弱い立場にいる学生にも配慮してくださるようお願いいたします.

 

 

 

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1月28日(1) 斉藤毅憲先生の最終講義の案内の写真をデジカメで撮影したので、明るいものだけ二つ、リンクを張っておこう。

             明るい校舎(デジカメ写真なので、明るさがあまりくっきりとは出ていないが)

             楽譜がバックの意味深なもの

          セピア色のもの

 

      斉藤先生は謙虚なお方だし、商学部時代には主要科目・中心的基礎科目(経営学)をずっとご担当だったが、新しい学部への再編に際して、ヨコハマ起業戦略コースの科目のご担当となったので、学生数がすくなく、それを考えてのビデオ・ホールだと思われる。

しかし、企画者が、積極的に横浜市や県の各種委員会(県では人事委員会の委員長という要職をこの何年間か勤めておられるはず)にちょっと連絡すれば、たちどころに100人程度は集まるのではないか?

それだけの貢献はしているのではないかと思われる。

そうすると、当初予定の150名程度を優にオーバーしてしまうのではないか。

やはり、カメリアホールは確保しておく必要があるのでは?

 

 

 

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1月27日(3) ベトナム戦争当時に大学院に進学し、「アメリカ帝国主義」とその大統領に対する反感に強いものがあったので、大統領就任演説の類を丁寧に呼んだことがなかった。この間、戦後アメリカ大統領の教書、就任演説などを集め始めた。ヨーロッパ統合(歴史と理念)との関係で、アメリカのスタンスを今一度、自分の頭で確認してみるためである。

 

ケネディの演説集の中で、印象的な文章(米語)(日本語)に出会った。

 

そして、驚いた。ケネディは革命家だったのだ。

本学の革命的改革を実現するために、じっくりかみ締めてみよう。

 

ケネディのこの就任演説には、revolutionary, revolutionが冒頭にある。

そしてまた、peaceful revolution of hope 

(武力革命・ソヴィエト型社会主義を徹底的に批判するケネディならではのキー概念「希望の平和的革命)

 

本学の改革のスローガンは、まさにこれと重なるであろう。

 

グランドゼロからの今日までの道は、世界的超一流大学を希望する自由と民主主義の革命の道大学自治の革命的再建の道、といえるかもしれない。

 

私の信じるところでは、本学の「改革」のプロセス、本学の定款・学則のあり方、今日までの全大学構成員の自由で民主主義的な意思表明・意向確認の欠如ないし無視の統治機構は、自由と民主主義を基本理念とする日本国憲法の第23条や学校教育法を踏みにじったものであることは、確実だからである。

現時点は、憲法・学校教育法違反の異常事態の大学の、自由で民主主義的な大学への、ラディカルな平和的-革命的転換の開始段階だからである。

 

 

 

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1月27日(2) 午後、もう一度、図書整理のために研究室に来た。そこで、斉藤毅憲先生最終講義の案内を写真に取った。本日誌を見ている人の中にも、さまざまの理由で脱出した人がいると思われるので、斬新と感じられる一枚のものを記念として写しておいた。

 

実際には、3枚のヴァージョンがあり、一枚は白黒の古いイメージの校舎をバックにしたもの、もうひとつは、カラーの明るい校舎の写真をバックにしたもの。

3枚をならべてはじめて、何を意図しているのか、見る人に考えてもらおうという趣向のようである。しゃれている。

 

しかし、3枚は、少なくとも、最終講義の行われるビデオ・ホール(卒業生の数が一番多く、全国的に著名な先生なので収容能力150人程度のべビデオ・ホールで十分か?カメリアホールを確保しておかなくていいのか?)ところには、並べられていない。

人々は、3枚をじっくり見て、自分の頭のなかで、じっくり再構成し、意味を発見することを求められているのであろう。

 

          斬新と感じられる一枚のものは、楽譜がバックにある。

その意図するところは何か?

誰の発想か?

管弦楽団関係者か?

そういえば、大学管弦楽団の顧問だったかは、組合書記長だったはずだが。

 

2月8日15:00−16:30に、『経営学と私』の最終講義で、お話になることの中に、意味が含まれているのであろう。あるいは、講義終了後の懇親会で、種が明かされるんかも知れない。講義のエッセンスが3枚の写真にまとめられていることは間違いないであろうと、私は予測する。

 

          私の勝手な解釈では、「白黒基調の古い大学」から、「カラー豊かな明るい大学」に向けての根本的(ラディカル)転換(したがって革命的(レヴォリューショナリ)転換点にあたり、ハーモニー豊かな音楽で祝い、全学的な意思統一、全学の教職員・学生諸君の新たな大胆な発展的改革への道を踏み出す第一歩としようというのではないか。

 

「 グラウンド・ゼロから地球的規模の超一流大学の構築へ

  −大学全構成員の人間力フィルハーモニー

破壊と恩讐を乗り越えて世界的画期的大学の創造へ−  」

 

といったキーワード群になろうか?

 

これなら、ストロナク学長の「人間力」=「マンパワー」man powerも、その大々的宣伝も、きわめて有効なものとなる[4]

莫大な費用をかけた「人間力」大宣伝は、ストロナク個人の宣伝のためではなく、本学の革命的改革の中心的スローガンとして生き返り、強烈なパンチを保守勢力に、いや全社会に、与えることになる。

 

それなら、巨額の宣伝費は無駄にならない

これはすばらしい。

いや、実に有効な宣伝費ということになる。

 

そこまで徹底した構想を持った人物が、経営陣の中にいたのか?

もしそうなら、本学の経営陣のなかにも、優れた人物がいることになる。

さて、だれか?

 

 

さて、参加者の多くは、どのようなスローガンを思いつくか?

 

 

しかし、さらに考えると、斉藤先生の全人間力・社会的な豊かな結びつき、市や県当局との連携などを総合的に考えると、理事長というのがふさわしいのかもしれない。まさに、目の前に、超一流の優れた経営の大家がいるのではないか? 

 

もしかすると、2月8日は、そのお披露目か?

それなら、陰謀の場や総決起集会どころではない。いや、やはり陰謀か?

これこそは一大事。

これは画期的な大変なニュース。諸新聞・マスコミが大騒ぎとなろう。

 

さて、学長選考委員の諸先生は、どのように考えるか?

また、どのように説明責任を果たすか?

 

説得的な理由が、全構成員の前に提示されるならば、全学一致の大学の新たな出発を祝うことができよう。

 

そうすれば、大学改革日誌は、必要なくなるであろう。

このHPの閉鎖も近いこととなろう。

 

各種の批判・非難におびえ、怒り、苦しんだ皆様は、このHPが閉鎖されることに、安堵されるであろう。

それを期待しよう。

 

 

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1月27日(1) 日曜朝のさわやかな時間に、研究室整理のため、大学にやってきた。

 

         掲示をよく見ると、2月8日は、学長候補のための総決起集会ではなく、S教授の退官記念の最終講義(15:00−16:30ビデオホール)『経営学と私』であった。

 

最終講義と特定グループの総決起集会を見間違うとは、そうとうに意識衰弱、混乱状態にある。

年度末諸業務・入試関係業務などで一番大変な2−3月の疲労・精神的ストレスで、3月にかつて2度ほど倒れたが、二回の経験を踏まえ、ペースをゆっくりして、少々のミスは気にしないようにして、ストレスをためないようにしなければならない。若手のホープ、超優秀な研究者に、研究への「没頭はいけません」といわれたが、まさに、そのとおりだろう。若い人が、老人より、冷徹・冷静。天才は目の前にいるかもしれない。この若手の人など、本学の将来を全体的に担う人であろう。

 

        昨日は、久しぶりに研究会で、かつて23年間お世話になったR大学に出かけた。

研究会のためで、H大の院生、YK大の教授の報告は、じつにいい勉強になった。自分がまったく勉強していないところで、仕事のエッセンスを話してもらうのは、気持ちいい。こちらが勉強していないことなのだから、かなりあつかましく、細かな、その分野の専門家なら誰でも知っているかもしれないことを質問できる。研究会のメリットではある。

 

久しぶりに訪れて、きれいになったと驚いたのは、昨年春の研究会だったかと記憶する。

そのときは、新しい図書館糖(11階建て)の会議室は全部ふさがっていて、古めの(とっても私がいたころに新しく建てられた研究棟だが)の一室で行った。今回は、最新の図書館棟の11階会議室であった。すばらしいものであった。

 

私が横市に来てからの12年間に、三つほどの学部を新しく作り、大崎に経済学部・経営学部・仏教学部・心理学部、熊谷に法学部・社会福祉学部・地球環境学部を作ったが、たいしたものである。しっかりした経営は、大学の発展の基礎であることがよくわかる。母校を愛する職員が中心となり、卒業生たちが支援して、このような発展を勝ち取ったのであろう。

 

しかし、他方で、経済学部では、この数年間に、11件も公募人事がつぶされたという驚くべき事実も耳にした。

経済学部をつぶして、経営学部に統合したらどうかという意見が強くなっているということであった。もちろん、私に情報を耳打ちした人のバイアスがかかっているであろうが。あるいは私が勝手に解釈したのかもしれない。

 

本学のように三つの学部をひとつの学部に統合するのではなく、もともと、経済学部があり、そこから経営学部が独立、さらに、これら二つの学部を基礎にして法学部が独立した歴史を考えると、現在の状況で、経済学部と経営学部を、経営学部に統合することは、R大にとっての時代の要請に応えるもののように思われる。

大学によって、大きな学部を分割して新しい学部を作るところもあれば(立教大)、本学や桜美林、東京女子大などのように二つ以上の学部を統合する改革のあり方もある。それぞれの大学の発展理念、学問理念、教授陣のあり方、法人の方針などと関係するであろう。

 

R大の場合は、そうした経済学部を吸収した経営学部によって、社会、ビジネス界の求める人材を教育するため、教授陣も充実することは不可欠となろう。大きな袋、新しい袋にして、しかるべき力量を蓄積した教授陣を一挙に募集すれば、いい学部になるのではなかろうか。

 

どこの大学にも、『ブリキの太鼓』[5]の主人公のような人物、3歳児のまま成長が止まって大人になったような教員(教授でも)がいる。

これは大学に限らず、政界などでもそうである。二世、三世の議員のなかには、親から譲り受けた莫大な株の評価額(評価損)を得意げに記者会見で公表するなど、3歳児ではないかと思われるような人物もいる。

 

大学の場合、18歳か19歳で東大・京大など超難関大学に合格し、そこで成長が止まったような人間の場合、一番始末が悪い。

「俺は・・・大学の出身だ、文句あるか」という態度で、ことあるごとに物議をかもす。これが、どこの大学にも、ごくごく少数ながらいるというのが、きのう北海道から名古屋までの大学の17人ほど集まった教員の結論であった。近くのF女学院にもいるという話だった。

 

どのニュースでもそうだが、そのような極端な人物は、0.5%とか、何十年かに一人、0.01%とか、せいぜい1−2パーセントなのだが、あたかも2割も3割もいるかのように、ためにする議論がなされる。それで、大学に対する風当たりが強くなる。

本学の改革などでも、何十年間に一人の「問題児」のために、学部全体が迷惑した。それを口実に「改革」が強行された側面もある。しかし、圧倒的に多くの教員は、まじめで、黙々と、時には華々しく、仕事を続けているのである。

 

ともあれ、立派になった古巣の大学は、「帰ってきたい」と感じさせるものであった。70歳まで働けるかも、と。

 

内部では、11人もの人事が滞っているようであり、したがって外面のすばらしさだけを信じるわけには行かない。

しかし、問題が煮詰まってくれば(すなわち、問題が明確化され、問題が定式化されれば)、その反動で、一挙に、根本的な改革に進むことも十分考えられる。まさに、弁証法的発展ということになろうか?グランドゼロからの革命的脱出を図る本学と似ているわけだ。

経営学部の学部長は温厚なY氏の長期政権のようであり、彼の元で、新たな編成が成功するかもしれない。そのときには、推薦したい教員が、何人もいる。

 

私も、1996年に去るとき、N教授(まじめで、酒タバコをいっさいやらず、温厚な人であったが、若いときの胸のわずらいや肝炎のせいで、お別れしてから2−3年後に逝去され、葬儀に参列させていただいた)は、「65歳になったら戻っておいでよ」といってくれた。

 

私が空想するような大改革が急ピッチで進み、数年後には、声がかかるかもしれない。

何人かのかつての知り合いに、「すばらしい大学になりましたね」とエールを送ったので、もしかしたら、かなり早い時期に声がかかるかもしれない。

 

R大経済学部にとって、何よりも、大変なことは、経済史の分野が、今年の4月から、ほぼ崩壊状態となることだ(本学とは違って、科目はむしろ充実しているのに)。他方、経営学部には経営史の教員がいるという話は、少なくとも西洋関係では、耳にしていない。

昨年、ベルギーに関する著書を出版し、最近、その著書を学位論文として、N大で学位を取得したK氏は、東京経済大学に移るという。また、若い日本経済史の将来性ある研究者が、渋谷のA大学に移るという。

二人も、働き盛りの優秀な研究者がいなくなるのは、カリキュラム維持上、厳しいのではないか? とすれば、・・・

 

新自由主義・グローバル化の嵐が吹きすさぶ中、各大学は、競争力強化のため、優秀な研究者の引抜を、いたるところで行っているようである。

競争力豊かな、真の実績・実力を持った研究者教育者を集めること、これが改革の眼目であろう。大学間競争の眼目は、よその大学からいかにして優れた学者研究者を引き抜くかにある。その魅惑的な条件や環境「魅惑」)を提示することである.

 

本来の任期法の精神にのっとった任期制によって、10−20人、運良く全国からべめぼしい人を集めることができれば、その学部に対する全国の注目度は、飛躍的に高まるであろう。定年が近い、あるいは定年を迎える全国的に有名な実績実力のある学者(何々賞受賞者、世界のいろいろの国の何々勲章受賞者など)で、いまのところ定年後の進路が決まっていない人、そしてやる気のある人、教育熱心な人を、3年から5年の任期で、目的意識的に調べれば、10−20人くらいはいるのではなかろうか。

 

こういうところでこそ、新しく選定されるべき学長の学問上も人間的にも本物の、研究教育の実力者同士のコネクションが必要となる。

その検証が、直ちに問題となる。

小物の相撲ではなく、横綱相撲が、一番人気のように、学問上も、大物同士の学問的土俵での対決があれば、最高だ..

全国の有名な大学には、どれぞれの立場(とくにそれぞれの学問分野で対立的な立場のもの−たとえば政治なら右翼と左翼)の代表格がいるであろう.

そうした人々に声をかけるには、相当な人物が、学長には求められる

 

 

 

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1月26日(2) そういえば、私自身、決定的に重要な人を忘れていた事に気づいた。

 

私が、この日誌に、あることないこと、妄想でも単なる思いつきでも、あるいは、何でも耳に入った情報を書いてしまうので、私は、秘密保持の点で信用できないとみなされ、動きから排除されている可能性はある。教員組合の委員長を陰謀に巻き込むのはまずいという判断かもしれない。

 

馬鹿の一本やり、「大学の自治」、「学問の自由」を大義名分として、こんな日誌を書き続けている「ストーカー的」な変人!(陰口)。

これは、ほかにいないから、そう思われるのも仕方ない。

あいつにだけには、秘密を漏らすな、すぐに、何でもかんでも日誌に書くぞ、暴露される危険性があるぞ、と。

 

さて、その人物とは?

 

経営学の大家、全国学会のいくつもの役員・代表を務め、出版書籍の数(単著・編著)、本学第一のS教授である。

もちろん、学位も相当に早い時期に取得されている。

しかも、横浜市や県の各種委員会のメンバーや座長を勤め、社会貢献の面でも抜群の人である。こんな人はほかにいない。

 

教育・研究・社会貢献・大学運営力、その総合力によって、欲得抜きに見る人が見れば、本学第一の人物である。

どこかに引き抜かれて当然の方である。

 

人柄も抜群。

私のように、怒りを日誌に書つけ、本学の「恥」(・・・私の主観的意図では、改革すべき本学の危険性・問題性を指摘しているだけなのだが・・・)を、学内外に知らせるような(といってもこの問題に心を痛め、怒っているような人だけだとは思うのだが・・・)人柄ではない。温厚篤実そのもの。

 

この方は、私の恩人でもある。

(私を引っ張ってきたということで、多分迷惑しているであろう。いや、種々の現象からして、疎外され、疎遠にされていたであろう。主流派グループもその多くが去ってしまったので、現状は知らないが・・・)

 

この教授は、M教授と一緒に、私の割愛願いのため、当時の勤務大学(R大学)に、きてくださった方である。

この方は、本学、経済学研究科に、博士課程を作る必要ありと主張され、そうした考えを持つ同志(中国論中国Y教授ほか)と大学院博士課程創設にまい進したわけである。

 

          ところが、現状に満足し、あるいは、現状変革を恐れ、さらには博士の院生なんかの指導は面倒だ、このままがいい(実際には、博士の院生の指導などできない?博士の学位を持っていない?博士の学位に匹敵する業績を持っていない?院生のほうが実力がある?)、博士の院生などは、東大・京大・一橋といった「大手」に任せて、われわれは学部教育だけを、こじんまりとやれば十分だ、といったことを考えている人たちにとっては、これは、脅威であった。「教育重視」を主張する勢力は、まさにこれと重なり合う。教育すべき内容は研究でやるしかないのだが、そのことがわからない人々である。 

          

          だから、ありとあらゆる口実を持って妨害しようとした。

もっともらしい口実は、どこにでも転がっている。

 

しかし、市当局(この点では社会の変化をしっかり見つめていた優秀な役人がいたわけだ)が、改革を推進しようとする人々(いわゆるマルクス経済学のわが国の代表的研究者で学会の代表を務めるような研究者・・・といっても変人の私から見ればマルクス労働価値論を理解しているとは思えないのだが・・・、いわゆる主流派経済学で多くの仕事をし、若手にもチャンスを与え東洋経済新報社から教科書などの出版を手助けし、大学院創設後早稲田に引き抜かれた人など)が、中心的推進力となって、経済学研究科25周年記念のイヴェントを開催し、一橋大学の石教授(現在は放送大学学長)を基調講演に呼ぶなど、奮闘して、博士課程創設を決定した。

 

ところが、いざ、その博士課程設置が本決まりになると、S教授を学部長から引き摺り下ろし、博士課程創設は自分たちのグループで握ろうとし、実際握った。

マイノリティに転落したグループから、2度にわたって学部長に押されて、いい気になった私が、当然のごとく、敗北したのは、すでに書いたとおり。

 

細かく語ればつきない話だが、この博士課程創設のためには、○号教授が必要である[6]

私は、やっと(小心ものが大きなテーマを扱ったので、気の狂うような苦しみの中で)、単著を書き、学位を申請している段階で、審査に一年間かかる博士の学位はまだとっていなかったが、公募に応じた。それを審査してくれたのが、マルクス経済学の代表的研究者、アダム・スミス研究の代表的研究者など5名であった。

このため、歴史系の代表者は、かなり、いろいろな機会に、主流派経済学の人々から、攻撃されることとなった。

 

こんな経緯もあって出来上がった博士課程の創設準備の中心だったS教授は、本来の経営学関係の旗頭のような人々からは、いつも煙たがられていた。

今回の「国際総合科学部」、同大学院の創設編成にあたっては、経営学本流部分から排除され、新設の海のものとも山のものともわからないコースに配属された。

 

しかし、さすが、実力随一のS教授。

自分が追いやられたコースでしっかりと指導的役割を演じ、現在では、新しく創設されたコースの中で最も意欲的に改革を推進しようとするコース風土を作り上げ、若手を育てた。

 

この温厚で、調和の取れた本物の教授中の本物を、私は、今回の候補から、忘れていた。

 

しかし、この教授を押すグループは、2月8日に、決起集会を開くという「噂」である。さて、どうなるか。

教員組合委員長としては、大量の引継ぎ文書の整理も必要だし、時間が取れるかどうか。出席届けは出しておいたが、実際に出席できるかどうか?

 

これは面白いことになってきた。

 

Y教授もS教授とおそらくは気脈を通じているであろうから、場合によっては、2月8日に会場に姿を見せ、二つの陣営で調整を図るのかもしれない。

 

一大勢力となるわけだ。

 

以上は、これまでの私の経験した10年ほどの実体験を、勝手に作文してみただけである。

妄想(?)であればいいのだか?

 

 

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1月26日(1) 「現代中国論の大家」のY氏といえば、われわれにはすぐにわかるが、このHPを覗きにきた学生さんにはわからないようなので、リンクでも張っておいたら、というご連絡をいただいた。確かに、そうかもしれない。

 

先日も、組合執行委員会で、学長戦のことをほとんど知らない人がいて、「えツ、この人、執行委員?」とびっくりしてしまった。

 

教員の組合執行委員でさえ、利権・蜜・予算をめぐってしのぎを削る政治闘争の場となっている学長戦の到達点を知らないとすれば、学生諸君が知らないのは当たり前だろう。学長戦の候補に、本学関係者ではどのような人が関係してくるのか、最有力候補の本学関係者が数年前に定年退職で本学を去った方である以上、何も知らないのは不思議ではない。

 

だが、この人は、「歯に衣着せない罵倒」で、弱い人々からは、まさに、蛇蝎のごとく嫌われていた。

「この人だけはだめだ」と、この人を支持するグループの分断工作を若手将校が担った。

同陣営の新人を「学長には・・・・」とほめたりしたのである。その結果、後に副学長となった人が、候補となった。相手を分裂させたのだから、戦術は成功したわけだ。というわけで、このあたりのことになると、かなり生々しい話になるので、やはり、実名はあげないで、さまざまに想像してもらうのがよかろう。

わかる人にはわかる。

 

 

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1月25日 昨日執行委員会があり、次回団体交渉で、学長責任、経営陣の責任など、学生に説明すべき諸事項を議論した。そのときに、次の学長選挙の候補者に関する「噂話」がでた。医学部は、O教授とS教授のそれぞれの陣営が票読みをやっているとのことであった。下記情報は、別の源泉からのものである。

下記情報のとおりだとすると、次は、最近小耳に入った現代中国論の大家の周りのうごきだけということになる。だいぶ前に、「あの方は、学部長などやらないが、学長ならやってもいい」とおっしゃってましたからというのことであったから、なるほど、その線はあるだろうと思った。

 

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医学部は微妙な状況です。
本日夕方、医学科教授だけで、会合がもたれます。
教員管理職の、O先生、S先生と名前が挙がっており、一本化しようとのことで
す。

A
先生の門下生で、研究室を後継した生物のU先生にお話を伺いましたが、
擁立の話は、これといってないそうです。

 

 

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1月23日 ある人から、治験関係のプロジェクトで利権が動いているのではないか、医学部(その一部)が外部と組んでどうも「胡散臭い」動きをしているようだが、との連絡があった。医学部は、次々と要求を突きつけてくる。これを抑えるには、強力な別の競争的大学の医学部関係者とぶつからせる必要があるのではないか、と。競争させて、実績を示させる必要があるのではないか、そうしないと危ないぞ、とも。

 

また、「胡散臭さ」と関係して、内と外できちんとけじめをつけるべきところ、内外癒着があるのではないか、「薬品業界の僕」みたいな組織になるのではないか、とも。そうすれば、薬害肝炎に類似の検査ミスが発生した場合、大学法人に巨大な負担がかかるのではないか、とも。

さらにまた、組織陣容の一部に、大学院担当として不適切な水準のものが含まれている、とも。

 

しかし、私の得た情報が一面的断片的かもしれないが、またごく一部の関係者しか知らないが、相当に真剣に緻密な計画の下で本学をよくしようとしているように見受けられる。まったく断片な情報でしかないが、先進的な全国初の専門職大学院構想として練り上げられたものであり、涙ぐましい努力を積み重ねているように感じられる。

 

全国的にすばらしい名実備わった大学院にしよう、治験という重要な問題でわが国の拠点としての大学院を作ろうとしているようである。

漏れてくる断片情報では、われわれには考えられないような血のにじむような東奔西走ぶりが感じられる。それによって、国内外のかなり水準の高い人々を集めているように感じられる。それは、オープンされれば、歴然とするであろう。

もし、本当に「胡散臭い」問題があるのなら、いずれは露呈するであろう。文部科学省や厚生省の審査の目が節穴でなければ。

 

ただ、鶴見が作られたときもそうだが、割り切れない思いもある。八景キャンパス、その一員としての私などは、つるみキャンパスができたのを大学の発展として、率直に喜んだ。

しかし、その財政負担が、「改革」の理由のひとつとされる「赤字」なるものと結び付けられ、八景の予算(人件費等)が大幅に削られることに関連してくると、喜んではいられなくなる。その意味で、今回のプロジェクトも、八景の文科系メンバーには、「もしかしたら、また、予算(人件費)削減の口実にされるのでは」との危惧がぬぐえない。複雑な心境ではある。

 

この間の改革で、大量に優秀な人材が流出した八景キャンパスこそ、しっかり議論して、中国関係、アジア関係(たとえばインド、中東)などを充実させなければならない。

欧米関係でも、いろいろと充実すべき分野がある。

 

優先順位は、インド、中東が、現在の世界の問題を考えると第一かもしれない。インド・中東関係の専門家に全国的に声をかけて、抜群の人を集める気迫が必要だろう。

また、再び世界の関心の的となりつつあるロシアも重大分野となっている。ゼミの学生も、最近のプーチン政権の変容振り、その背後にあるロシア社会経済に大きな関心を持っている。そこでも、いい人がほしい。私の知っている40台の人で優れた人がいるので、ほかにも、ロシア問題・ロシア語が不遇な時代に研究を蓄積した人がいるであろう。東京外国語大学の学長が、ロシア文学研究者・翻訳者となったのは、まさに、ロシアへの世界と日本の関心の高まりとも関連するであろう。

 

これまで黙々と研究を蓄積した人のなかから、この機会にうまく発掘できれば、すばらしい。ある意味、時流に流されない、非常に先進的な研究者を擁することになろう。北海・バルト海関係も重要だ。EU東方拡大・北方拡大問題も重要だ。また、ルーマニア・ブルガリアなど、バルカンの研究者も緊急に必要だ。そういえば、本学関係者で、セルビア人のすばらしい女性研究者がいた。バルカンも旅行して歩いてみたいところだ。バルカンへのEU拡大の可能性を探求しながら。

 

さらに、この間の改革過程で、明確に抗議の意思を示したために、一番、悲惨な目にあったのが、数理科学のひとびとである。

数理科学は、どちらかといえば、文科系の哲学系科目に近く、人件費だけ、といっていい。だから、装置科学・実験科学としての物理・化学・生物などにくらべ、予算がほとんどかからず、それだけに、予算・設備に縛られて「金ずる」に支配されがちな自然科学の諸分野とは違い、自由に批判的に行動することができる。それだけに、体制派、保守派、守旧派、などには、場合によっては蛇蝎のごとく、「批判ばかりして」と、嫌われている。

最近でも、二人の人から、「批判ばかりだ」、「ずーっと、つるし上げられてばかり」、との感想を聞いた。私も、ちょっと緩むと厳しく「つるし上げられた」ので、その感想は理解できる。しかし、少なくとも今回は、「改革」の最大の被害者グループなので、危機意識には深刻なものがあるのであろう。

 

しかし、数理科学は、捲土重来、その数学の利用者である文理双方の諸学問が必要とする普遍的武器をみがくという意味で、心機一転、文理双方の教員の結節点となることも可能であろう[7]

 

小学校・中学校・高等学校の過程で、数学嫌いになって文科系を選んだ人にも、数学の面白さを教える入門科目(それに適していると思われる本が最近も岩波書店から出版されたはず)とか、現代数学(岩波で現代数学全集15巻だったかが公刊されたと記憶するが、その一つ一つの間のエッセンスをわかりやすく解説する科目、経済系で使う行列やベクトル、微分積分のエッセンスをわかりやすく面白く解説する科目、すべて必要と思われる。

文理融合コースは廃止される方向(?あるいは再編強化?)のようであるが、まさに数理科学コースこそは、文理共用コースとして、復活させなければならないのではなかろうか。科学が、分野を問わず、サイエンスであるためには、数理科学的な純粋さ・美しさが求められる。教養ゼミのためにかなりの数の藤原正彦の本を読んだが、がどこかで言っていたような気がする。

 

ちょっと気がつくだけでも、こんなにもたくさんある。迅速に、しかも、日本人で(科目によっては外国人も含めて)、優秀な人を採りたいものである。公平無私、ピアレヴューを徹底すれば、現時点での一番優秀な人を採用することができるであろう。

 

そうした分野の採用人事を可及的速やかに進めることが重要である。

その際、絶対不可欠なことは、実力主義の貫徹、ドイツ流に言えば、業績原理Leistungsprinzipの貫徹である。それによって、すぐれた研究者を選抜することである。

 

現在本学にいる教員が、「恥ずかしい」と感じるくらいの、後任であるにもかかわらず先に昇進するかもわからないような優秀な人材(豊かな業績)を持っている人材を、勇気を持って(身を犠牲にして、なぜなら、後から来て自分より上に立つことになるから)、採用できるかどうかが、問題となる。

 

この10年ほどの私の経験では、弱者は、強い競争相手が入ってくるのを恐れ、弱いものだけで集まり、数の力で改革を阻止してきた。民主主義は悪用された。民主主義は衆愚政治になっていた。私など、歴史研究者はマイノリティに属するので、2回もマイノリティ側の学部長候補に押され、2回とも敗北した(さらに報復的にか、経済史・経営史の科目も、数理科学と同じく嫌われ、廃止された)。

 

その意味では、再建に当たっては採用人事は、当分の間、はじめから、いわゆる○合教員ばかり博士号をもち、あるいは専門的著作を何冊かもち、しかも、英語やドイツ語、フランス語の論文・著作もあればなおさらすばらしい、その双方を持っているような人、現在、課程博士が増えているので、その中から、ドイツでいえば教授資格論文となるような本格的著作を持つ人、ドイツでは博士はゴロゴロいる。しかし、本物のProfessorは、そのごく一部である)を選び抜くことが、不可欠であろう。

 

そうすれば、一挙に、本学の教育研究の人材・力量・業績・社会貢献能力は充実する。若手で、法人化ご採用された環境経済学などの何人かの研究者は、ゼミの応募者があふれて「大津波」になるほどだという(この「大津波」だという表現を私に教えてくれた人も勇気がある)。こうした高い水準の人をこそ、見つけ出すべきである。その多くは、地方にいるのではないか。東京・横浜一極集中はまずいのだが・・・

 

東大、一橋、京大、その他、最高の陣容を擁する大学の研究者の中から、最高水準の研究業績があり、さらに教育熱心なことを立証できる、誰からも文句の出ない人(恐れられ、煙たがらはするが)、しかも人柄のいい品格のある人を探し出してくるのも、この危機脱出では必要なことだろう。

これは、想像を絶するような(空想的?気が狂いそうな、あるいは気の狂った?)厳しい基準だが、わが国には探せばいるのではないか?(妄想?)

そして、そのような超優秀な人を集めれば、東大・京大・名古屋大・大阪大などの選り抜きの研究者を集めたことを意味し、世界の頂点を形成するような大学になるのではないか。「改革」で荒れ野となった大学に、超モダンな超高層ビル群がたつようなものか?

 

9・11によって破壊された後にできる超高層ビルとわが大学の新たな教員人事!!

超モダン、最先端!!

 

これなら、禍福転じる?

 

ともあれ、すくなくとも、任期制などというハードルは、日和見主義のものは、「もう大丈夫」と同意してしまうかもわからない。

しかし、教員組合(実質的には自由自立の教授・准教授・助教・助手たちの自治組織)が、書記局長・書記次長による当局との何回もの折衝で作り上げた合意書(団体交渉の帰結)において、ハードルを限りなく低くしたのは、自由に、精神的に活発に研究し研究教育社会貢献の実績を上げるため、それぞれの諸個人が自らの潜在能力を開発し、その人なりの最高度に達することを可能にする制度枠組みとしてである。

教員組合執行部は、少なくともこの合意書を勝ち取った現執行部は、低い水準を認めているわけではない。むしろ逆で、Habilitationが必要ですねとうちうちの自由な議論のなかで話し合ったのである。すなわち、課程博士の学位だけではだめで、本物の教授であることを内外に証明する著書・それに匹敵する各種分野の業績が必要ということである。何もしないで遊んでも大丈夫ということではない。「働かざるもの、食うべからず」が、普遍的経済原則の一つである。

 

同一労働=同一賃金とは、優れた労働に優れた賃金を支払うこと意味する。現実は複雑だが、そして現実に等式関係を実現するのは、難しく、つねにアバウト、でしかありえないが、数学の等式(理念型)は、まさに、労働と対価との関係を明確に、単純に示している。数学・数式の優れたところ。しかし、逆に言えば、現実の複雑さから言えば、単純すぎ、抽象的過ぎる。

 

自由なのびのびとした研究活動、批判を恐れず、また勇気を持って批判することでこそ(しかし多くの人は、学問外のこと、すなわち生計を脅かされ、不利益をちらつかされれば萎縮する・・・だからこそ研究者をさまざまの不利益措置で脅迫・差別してはだめなのだ!!!)、従来の学問的達成を乗り越えられる、そこにこそ学問の自由、思想の自由の本質的意味はあろう。

「自由とは必然性の洞察」(ヘーゲル)であるとの意味は、深く広い。本質的な自由とはそこにある。

 

しかし、ピアレヴューで確立された業績を達成することは、学問分野にもよるが、分野によっては、長年月をかけてしか、できない。気が狂いそうな精神的重圧を乗り越える必要もあろう。私の知っている何人もの相当な学問的傑物は、学位論文を仕上げる過程で、あるいは仕上げた後で、何度も病に倒れている。

 

そうしたすぐれた人をこそ、この際は集めるべきである。

研究業績目録を並べて比較して見れば、それは、一目瞭然となる。研究業績目録には、ピアレヴューが反映している。そこで実証される。[8]

 

 

さらに、大学院において、八景キャンパスで3つの研究科に分けることが具体化するのと平行して、指導教官の流出が連続して、かわいそうな院生が何人もいる。こうした院生・諸科目のための補充人事・あるいは新規採用人事が不可欠である。その分野は、上の諸科目と重なるように思われる。

 

自分の専門分野だが、経済史も、アジア経済に関する歴史と現状に詳しい研究者、バイタリティがあり、英語力抜群の精力的な人材がいれば、すばらしい。

京都大学の知人は、毎年、学生を連れて、今年は中国、来年はベトナム、カンボジアと旅行し、現地を見させている。研究における現場主義であり、それには、行動力・バイタリティを実証するエネルギッシュな業績のある人が求められる。

私のように、ベトナム、カンボジアなどといえば、ちょっと危険を感じ、足がすくむようなやわな人間は、こうした地域、あるいはアフリカ研究では、失格であろう。

私のように、毎日弁当持参で大学にやってきて、昼の時間にはお茶や紅茶・コーヒーまで、しかも何度も出してもらって、日本にいる限り、食事のことなどいっさい心配したことのないような人間は、現地に行けば、どこで食事したらいいか心配ばかりで、すぐに体を壊してしまう。ドイツに短期間行っても、単身だと、胃潰瘍になってしまうくらいだから。フランスに行ったときには、2−3日で胃潰瘍になった。言葉ができないから・・・

 

アフリカ研究もますます緊急性が高まっている。

ルアンダの悲劇を研究している人など、エイズ、民族紛争をはじめとするアフリカ地域の深刻な問題群を研究している人はどうしてもほしい。後期のヨーロッパ社会演習を副演習として履修しているある女子学生(前期講義の「ヨーロッパ社会」を履修したときに、冴えた学生さんだと感じて記憶に残っていたが)は、夏休みにルアンダ大量虐殺の現場に出かけた報告をしてくれた。とても行く気にはなれない私は、驚嘆した。

若い研究者の中には、勇気と行動力のある研究者がいるであろう。

 

そうした人材の必要が蓄積しているときに、専門職大学院のためにほとんどの予算が削り取られるようでは三つの研究科と国際総合科学研究科の発展望めない。そこが、苦しいところである。

だから、はじめから、「予算の分捕りあい」の様相を呈し、学長候補推薦もそれぞれの陣営から出てくる可能性がある。となれば、四分五裂。

 

そのあたりは、どうなっているのか?

 

どれだけ、横浜市が、苦しい財政状況の中ではあっても、本学を再活性化させ、復活させ、優秀な研究者をそろえた魅力ある大学に再生させようとしているかにかかっているといえよう。その点になると、以上述べたような学問状況を知り、全国・全世界の研究動向を知り(あるいは知っている優れた研究者たちとの連携があり)、必要な革新的情報を、内外のすぐれた研究者に電話一本で聞けるような実力理事長(見識・品格・実績で誰からも文句の出ない人物−陰口は何でもありだが公然とあるいは面と向かっては文句の出ない・出せないという意味−、科学研究に求められることに関して厳しいこと・高い水準のことを歯に衣着せずいう人物、批判を受け入れる寛容な心の大きい人物だが、しばしば小人からは煙たがられ恐れられる人物)が必要だろう。その実力派理事長・シュンペーターの言う創造的破壊者としての理事長・革命的理事長が、独立・自立した大学の立場に立って、また全学的発展の長期構想・ヴィジョンを持って、市当局を説得する傑出した能力を持っていること、そして、その合理的説明によって、予算を獲得すること、これが一番重要であろう。

 

問題は提起された。

問題は発見された。

「問題の発見は解決と同じ」(マルクス)。

 

ただし、この場合は、生身の人間が求められているわけだから、その生身の人材を探しだす必要がある。その人材を選定する人間が必要になる。どこにいるか?

 

候補として、巷間、ささやかれている教員たちは、どのような構想を持っているのであろう。

どの程度、世界と日本の実情に関する研究をしているのであろう。

どのくらいの日本・世界の優秀な研究者との情報網・コネクションを持っているのであろう。その実証は?

 

今回の「改革」の問題は、そうした大学構成員の疑問に公然と答える場が破壊されたことである。

かつてならば、評議会や教授会があった。日常的に、各教員の水準を各メンバーが評価することができた。

 

現在は、本来の自治的自立的教員組織としての教授会が機能していない以上、教員組合が問題にすべきことかもしれない。

 

教員組合の執行委員会・拡大執行委員会は、明日である。

さて、どういった議論となるか?

 

 

 

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1月21日 この間、次期学長がだれになるのかが、談話室などで問題になっている。学内の人ならばすぐにわかるであろう、K教授、O教授など学長選挙といえば必ず登場した評判の実力者がもっぱら取りざたされている。

また、「学外からの実力者」という噂もある。

あるいは、本学をいろいろな事情で去った有力者を押す動きもあるとか。誰のことかわからないが、私なら、そのなかでも、学士院賞を受けた世界的な科学的発見(確か、読売新聞社の連載記事をまとめた『21世紀を代表する日本の科学者』、とか言う本に載っている)によって東大に移られ、駒場のトップ、そして日本学術会議でもご活躍の先生のことが浮かぶ。証明済み、立証済み、ピアレヴューで科学的業績の確立した教授、といえば、真っ先に浮かぶのはこの方である。

 また、文科系では、現代中国論のY名誉教授のことも念頭に浮かぶ。実力名声とも、抜群といえるだろう。最近も、郷土の学問的偉人の3部作の著作を翻訳した、といえば、わかる人はすぐにわかるであろう。そういえば、この方の後任も、採用されていない。

 

しかし、「学外からの実力者」(財界?山形大学のような文部官僚?)、「元教授」、ないしは「名誉教授」は、本学のように「改革」にかかわる諸問題で混乱・難問山積の現状では[9]、学内の相当多数の支持・協力、学内構成員の自主的自発的行動を調達できる人でなければ、ストロナク学長のように、任期途中で辞任せざるを得なくなる可能性もあろう、などと議論されている。

 

私のところに寄せられた意見で納得できるものによれば、「改革によって伏魔殿[10]化した本学では、ストロナク氏も犠牲者」と。突然、逝去された「孫福氏につづいて、学長も、大変なところにやってきたのだ」とも。

テンプル大学にいけば、彼の国際関係学の研究実績も含めて、彼が持っている能力のすべてを、今以上に、建設的に自由に発揮できるであろう、と。自由にのびのびと働くことは、すばらしい人生を意味し、それは、ストロナク氏にとっても、また、その大学の全教職員・学生院生にとっても、すばらしいことを意味するであろう、と。

 

そうかもしれない。

「改革」で打ち砕かれた組織のさまざまの問題をきめ細かくフォローするためには、改革の神経中枢となりうることが条件となり、全学の意見交換・血流をよくするためには、日本語が自由自在にできなければならないだろう。「普通の日本人」以上の日本語ができるとしても、その程度ではだめであろう、と。

 

母国語の重要性は、このようなところにも噴出するといえよう。

 

母国語とは、精神そのもの、母国語の活用は、自由でのびのびとした精神状態の基礎、といえるかもしれない。

 

 

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1月18日 当局との懇談会では、かなり自由に意見交換を行った。相互理解が深まっていれば、近いうちに開催されるであろう団体交渉の場において、一定の具体的な進展も見られるであろう。

 

24日、執行委員会、30日、代議員会、2月6日(水)総会、2月7日以降、新執行部信任投票(10日間)、その後、21日が開票・新役員決定・引継ぎ、ということになる。

 

朝日新聞しかみていないので知らなかったが、下記情報によれば、学長が理事長に辞任を申し出た日付は、12月20日のようである。

この日は、まさに、当局と組合の懇談会の当日である。3時ごろになって、突如、担当係長から、「事務局長が市会に出向く必要がある」との理由で、いわゆるドタキャンになった日と重なる。

学内通知文は、12月21日付で、本学HPに掲載されたようである。 私は、HPにアクセスしておらず、知らなかった。

 

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読売新聞(神奈川版)によりますと、学長は先月20日に宝田理事長に辞任の意向
を伝えたと報じられています。

学内周知文(主な教員管理職).pdf  (application/pdf)はサイボウズ上に、
2007/12/21
(金) 14:28の時点で載せられています。

先生のおっしゃるように、無責任の極限ですね。

別件ですが、

横浜市も紙媒体の庁内報の発行を復活しました。何でもかんでも、Webでやれば
いいというわけではないことに、ようやく気付いたようです。横浜市で
横浜市ではが口癖の派遣官僚も見習ってほしいものです。

 

 

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1月17日 本日、教員組合執行部が12時過ぎから会合を開き、明日に予定されている当局との懇談会(団体交渉要求団体交渉に向けた事前の話し合い)に向け相談した。

突如、「12時半から、教職員のみなさまに学長からお話がありますので、時間のある方は御参加ください」との学内アナウンスがあった。昨日、非公式情報として耳にしていた公式発表だろうと、教員組合執行部は、この学長の「挨拶」会に参加した。2時から対外的な記者会見があるという話であった。

 

学長は、当局が用意した日本語の文書を読み上げるだけで、会を閉じようとした。

その「挨拶」は、3月31日までで学長を辞任する、任期途中の辞任はもうしわけない、という事実のみを述べるもので、「なぜ、この時期に」といった参加者がもっとも説明してほしい部分には一切言及がなかった。唐突な辞任の理由こそ知りたい多くの参加者は、私同様、唖然としたであろう。

 

一切質問を受け付けないという態度で、事務当局は取り仕切ろうとした。

しかし、一教員が挙手し、「責任追及というのではなく、質問ということでお尋ねしたい。建設的な質問であり、大学をこれから良くしていくために何をなすべきとお考えか、3点ほど、お聞かせ願いたい」というものであった。

 

学長は、最初は質問があっても答えないという態度だったが、親しく会話をしたことのある教員だったためか、質問の穏当さに応えようとしてか、しかし慎重に、「正確さのために英語で」と前置きして(しかし、そのために、われわれ耳の悪いもの(「英語耳」のないもの)には微妙なところがよくわからない)、「いずれ3月までに答えたい」といった趣旨のことを述べるにとどまった。「自分にとってもあなたがたにとってもtoughな3年間だった」という言葉が、印象的であった。そのtoughの意味合いは、後の組合の会合でも話題となった。

 

Toughは、下記のように、多義的である。

さて、われわれ歴代の教員組合(実質上のかつての自由な自治を担う主体としての教授会機能を担うもの)の執行部に関わるもの、「改革」の持つ問題性に苦しみ、大学自治の神経中枢・動脈までも切り裂かれた思いのしているもの、自治再建を模索しているわれわれにとっては、まさに、4や5、あるいは6の意味でしか考えられないが、多くの人の受け取り方はどうであろう。

 

任期制に同意しなければ(不利益措置)、昇任審査に入らないという学長の文書で不安や怒りに苦しむ多くの若手にとっては、どうであろうか。

管理職には任期制同意者のみ任命、ということに「怒り」、あるいは、「苦しむ」人々にとってはどうであろうか?

ストロナク氏の気持ちは、どのようなものであろう。3月までに、どのような説明があるのであろう?

 

tough /t#f/

a

1 強くて弾力性のある, 強靭な, 丈夫な; なかなか(かみ)切れない, 硬い〈肉など〉 (opp. tender, soft); 粘着力[性]の強い.

2 《肉体的に》丈夫な, 頑健[屈強]な; 《精神的に》頑強な, 不屈な, タフな, たくましい, 手ごわい.

3 断固とした, 強硬な, 〈法律・措置など〉きびしい, 情け容赦のない; 情に動かされない, 妥協しない, 頑固な.

a tough customer 手に負えぬ相手.

get tough (with sb) (人に対して)強硬な態度に転ずる, 断固たる態度で臨む.

4 非情な, 冷酷なまでに現実的な.

Things are tough. 世間はせちがらい.

5 むずかしい, 困難な, 一筋縄では行かない; 信じがたい.

a tough racket 《俗》 困難な仕事.

a tough act to follow とてもまねできないみごとな芸当[行為].

a tough story 信じがたい話.

Tough! 《俗》 まさか!

6 〈戦い・争いなど〉激しい, 熾烈(しれつ)な.

7 《口》 好ましくない, ひどく残念な, 不愉快な, つらい, ついてない.

・→TOUGH BOUNCE.

(That's) tough! [Oiron] そりゃお気の毒[おあいにく]さま.

tough →LUCK [→SHIT, →TITTY1, etc.].

8 乱暴な, 手荒な, 無法な〈男〉; よからぬ連中の出入りの多い, 荒っぽい, 物騒な.

9 #《俗》 すばらしい, りっぱな, けっこうな.

(as) tough as nails ⇒→HARD as nails.

(as) tough as old boots [an old boot, leather] 《口》 とても忍耐強い[強靭な, 非情な]; 〈肉などが〉とても硬い.

adv 《口》 荒々しく, 乱暴に, おどすように.

n tough な人; 悪党, 無法者, よた者, ごろつき.

vt #《口》 (ひるまずに)耐える〈out〉.

tough it out=tough sth through 耐え抜く.

〜・ly adv

〜・ness n +靭性, ねばり強さ.

[OE t#h; cf. G z#h]

 

[株式会社研究社 リーダーズ英和辞典第2版]

 

 

 

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1月16日(3) 他大学に転出することを決めた学長(Dr. Bruce Stronach has agreed to join the Temple familyが、任命した管理職人事(ほとんどが留任)が、発表されたようだ(「Pdf版、学内周知版」・・われわれ一般教員はそれを受け取らず、知らない)。

 

こんなことは許されるだろうか?

現在のシステムでは、新学長が学部長・研究科長・コース長等を選任するというシステムのようであるが・・・、

 

任命された人々は、学長がテンプル大学に移ることは知っていたのか?(知っていて任命を受け入れたのか?)

知っていて任命を受け入れたとすれば、なんということか?

大学の人事における自治・自立は、いったいどうなるのか?

 

彼らは、知らなかったのか?

もし学長が転出を知らせないで、したがって学部長等の管理職に転出を知らせないで、次期管理職に任命したとすれば、いったいどういう神経か?

無責任の極限といえないか?

 

「元学長」、外国の大学の学長に任命されることは、筋違いではないか?

大学自治破壊も極限状態ではないか?

 

市長に任命された法人経営者の人びとは、それで良しとしたのか?

独立行政法人としての独立性は?

 

大学の自治をいったいどのように考えているのか?

大学の構成員、教職員や学生が、どのように考えようとも、いいということか。

 

大学の自主的判断」は、大学自治の根幹を成すものとして、重要だと思われるが、そうではないのか?

 

市長の責任は?

今後の展開によれば、まさにそこが問題となるであろう。

 

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「大学の自治の内容としてとくに重要なものは、学長・教授その他の研究者の人事の自治と、施設学生の管理の自治の二つである。ほかに、近時、予算管理の自治(財政自治権)をも自治の内容として重視する説が有力である。
 (1)人事の自治  学長・教授その他の研究者の人事は、大学の自主的判断に基づいてなされなければならない

以下略・・・・・・・・・・・・・・・」(芦部『憲法』岩波書店)

 

 

 

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1月16日(2) ある人から、「学長がテンプル大学に移るのはご存知ですか」と電話を頂戴した。

その方の入手した情報は、下記のものであった。

その方は、下記のようなメッセージをつけておられる。

教員組合としては、大学自治再建の見地から、しかるべき主張をしていかざるをえないであろう。

               ------------   

先ほど電話で申し上げたメ−ルを2件、転送いたします

今こそ、全教員が結束して、活路を見いださなければならない時ではないでしょうか。

           ----------- 

 

         学長選考委員会があり、選考規程があるが、その委員は教員やその他の構成員が選ぶものではない。さて、どのような手順で、次を選んでいくのであろう。問題山積状態であることは明らかである。この難局を乗り切るには、構成員の自治的意志の結集が必要だと思われるが、・・・・

 

 

 

 

--------ある情報------------

自分の大学のトップの人事を、外国のHPで知ることになろうとは、、、、

 

八景の先生から、下記のHPの存在を聞きました。

横浜市大の「former president」の話が掲載されています。

彼は、こんなことで、忙しかったのですね、、、、、納得しました。

 

あと2年の任期を残して、この時期に突然、、全く非常識、破廉恥な行為としか言えません。

大学宣伝パンフレットやキャンパスなど、あらゆる場所に彼の顔写真がでていますが、どういうつもりなのか、、、、

 

なにより、どうしてこのような人間を学長にしてしまったのか。

市長に主導されたあり方懇以降の大学経営のあさはかさを端的に示す、とてもわかりやすい事例です。

 

中期的にはよかったと思っていますが、、短期的には、対外的にあまりに格好が悪いです。

大学全体がこけにされました。大学の立場がありません。なにより学生がかわいそうです。

 

学生のためにも、私たちは、これまで以上に、現場でしっかりがんばり、将来に備えなければなりません。

 

新しい学長には、自分の為にではなく、横浜市大の為に全力投球してくださる方に、なっていただきたいものです。

HPのアドレスを送ります

http://blogs.temple-news.com/

http://www.temple.edu/provost/tujdeansearch/SecondCandidate.htm

http://media.www.temple-news.com/media/paper143/sections/20071127Opinion.html

http://blogs.temple-news.com/news/2008/01/03/new-year-new-tuj-dean-deadlines/

 

 

 

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1月16日(1) 昼休みに耳にした情報、その後、組合委員長の関係で頂戴した情報によれば、テンプル大学のHPに、本学学長ストロナク氏(すでに、テンプル大学のHPでは、former president元横浜市大学長となっている?)が、Dean(テンプル大学の位置づけでは学部長、渋谷とかにある日本校の位置づけ・名称では、学長?に就任するとのことである。とすれば、私が昨年末に得た非公式情報はまさに本当だったということになる。このニュースは、学内各方面で、騒然とした状況を作り出している。本学の学長が、他大学の学部長に転出する、ということになる。

 

Dean・・・《大学の》学部長; 《米国の大学・中等学校の》学生部長; 《Oxford, Cambridge 大学の》学生監.[株式会社研究社 リーダーズ英和辞典第2版]

 

さて、本学はいったいどうなるのか?

非公式情報によれば、本学の正式発表は、明日(17日)だということである。

  

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January 11th, 2008

Japan dean finalist to stay on

Yesterday it was announced that Bruce Stronach, (depicted at left) 57, former president of Yokohama City University, would be hired as the next dean of Temple University-Japan, taking over for retiring Dean Kirk Patterson.

The only other finalist was Matthew J. Wilson, 37, current chief legal counsel for TUJ. He has been a frequent acting dean when Patterson was away on leave and, most recently, in the interim between Patterson’s TUJ departure Dec. 17 and Stronach’s appointment, has alluded to his intentions to stay on at TUJ and his enthusiasm to work with Stronach.

I am excited that Dr. Bruce Stronach has agreed to join the Temple family,” he wrote in an email to The Temple News from Tokyo. “[I] look forward to working with him in my capacities as Associate Dean and General Counsel.”

There had been some question to the delay in the decision to nominate Stronach, a friend of Patterson’s. Official comment on the timing of the announcement has not been made.

Written by: Christopher Wink

 

 

 

1月11日        謹賀新年。

       今年が、昨年よりも、ひとつでもいいことが多い年となりますように。

 

 

外国出張(3日成田発、9日シュツットガルト・ルートヴィッヒスブルク発)、昨日8時半過ぎ成田着。

昼頃帰宅。

2時過ぎ研究室。たまったメール・事務関係の処理。4時過ぎからコース会議、6時から7時過ぎまで大学院会議。

 

コース長等は未定状態らしい。

基礎組織の運営が、その該当組織を構成する全員の仕事であり、分業と協業に基づき、また、一定の年齢・職階・順番で分担・バトンタッチで回っていくのが、普通の大学のあり方であり、それを無視した「上から」、「外から」のあり方は、行き詰らざるをえない。

自由と民主主義の統治のシステムを、大学においてどう再構築するか?

 

       大学院は、国際総合科学研究科から三つの大学院(国際文化系、国際経営系、理学系)が分離独立する方向性が固まってきたようだ。医学研究科とあわせれば、4研究科の体制となる。大学院は専門研究・専門教育の場だから、その方向性は理になかっているであろう。

国際総合科学部という学部の総合性を維持しつつ、大学院の三つの系の専門性を発展させる方向で、学部のあり方においても一定の再編が行われるならば(PEのあり方なども含め)、また、その再編の議論の過程に、構成員の一般教員の全体が参加し、この間の無権利状態から脱却し、責任と権限をもった構成員として、自由に意見を述べ、新たな大学院システムの構築に参加できるならば、次の発展が望めるであろう。

 

 

 

 



[1]   最初の留学先ボーフム(1975919979)でお近づきを得た。当時、東大とボーフム大学の間の(今日でも続くと思うが・・)協定により、客員教授をなさっていた。

 

 われわれ家族が住む家の前を、ゲステハウスのほうから背筋をまっすぐに伸ばして、さっさと歩いていかれるお姿を拝見し、多分日本のかただろうと妻と話し合っていた。(日本ではお名前しか知らなかった。当時、42歳だったかと記憶。私より一回り年上、との記憶。)

 

ケルン文化会館(当時の館長が大学院時代の恩師・松田智雄先生)での学術シンポ・その後の懇親会において、初めて話し合う機会があった。それ以後、実にきめ細かくご指導いただいた。

 

ボーフム→ミュンヘン→フライブルク→トリア→ボーフムの一周ドライブの旅の思い出が懐かしい。

 

先生が、ローザ・ルクセンブルクの生誕地などの現地調査のため、ポーランドへ単身で出かけられ、ポーランド一周の最後の町ブレスラウ(ヴロツワフ)のホテルで倒れられ、意識不明のまま、ブレスラウ大学医学部で緊急の胃摘出手術を受けられた。

ドイツに帰ることが可能になったとき、ボーフム大学客員教授としてゲストハウスにご滞在の有賀弘先生(当時、東京大学社会科学研究所教授)と一緒に、ブレスラウまで出かけ、ドレスデン、バイロイト経由で、先生をボーフムまでお連れした。

 

ドイツ留学中から、現在まで、直弟子ではないが、直弟子以上に学問的にお世話になっているのではないかと、心底感謝している。

 

心より、ご冥福をお祈りしたい。

 

 

[2] まったくの偶然の一致だが、私の誕生日と同じ122日とは!

 この日は、一年でも一番寒い日のひとつ。

 

 

[3]  その犠牲者の一人ではないかという教員の、魂の抜けたような姿を見るにつけ、心が痛むと同時に、この間の改革への怒りも再生する。

 

[4]  あらためて、この「人間力」man powerを考えていて、高校一年生のときの経験を思い出した。当時在学し、卒業した高校は、観音寺第一高等学校という高校であるが、その前身は三豊中学校である。

 その卒業生の一人に、大平正芳がいた。

 この大平正芳が、池田内閣の官房長官になり、故郷に錦を飾ったわけで、母校の後輩に演説をしたのである。

 私は、運動場で、母校の先輩として話を聞いたが、正直言って「何を言っているんだ、まどろっこしいな、頭悪いな」と感じた。

 それで、クラスルームで議論になったとき、「官房長官など、たいしたことない」と若気の至り、意見を発表した。そのとき校長が参観に来ていたが、苦笑していた。

 ともあれ、そのまずい、何を言っているかわからない演説の中で、一言だけ印象に残り、折にふれて思い出す言葉が、「マン・パワー」だった。

英語の勉強が重要だということも主張し、自分が高松高商の学生時代にいかに英語を勉強したかも強調したと記憶する。だから、彼は、「人間力」などと日本語で言わずに、マン・パワーとだけいった。そして、その英語力で東京商科大学(現、一橋大学)に進学した、といったことを語っていた。

 

 「今の急速な経済発展、日本の地位向上を支え主導するのは、結局は人間であり、マンパワーだ。しかも、田舎から都会に出て行く君たちのような若者こそ、まさにマンパワーの中心だ」といった意味である。

 

 このように話せばすぐわかることを、なにやら、「えーっと、うーん」の連続で、筋道をたどるのは用意ではなく、頭が悪いとの印象をもっただけだった。

 それが、いま、よみがえった。

 

 人間力=man powerが決定的に重要なことは、まさに、高度の科学技術・高度の精神的発達の現代社会でこそ、ますます妥当することであろう。

 

 その意味では、このキー概念を選び取ったストロナク学長は、優れた貢献を大学に対してなした、といえよう。

 しかし、ストロナク学長が、「マン・パワー」というカタカナ語を使っていたら、インパクトは決定的に弱くなっていたであろう。

 

 「人間力」と、日本人のにでもわかる言葉を前面に、外国人の彼が真正面を見ているからこそ、強烈なインパクトを与えるものとなったといえよう。

 

なお、ホッブズは、その『リヴァイアサン』(国家論、コモンウェルス論)の冒頭・献辞において、「社会的権力(シヴィル・パワー)を増進させようとする私の努力」といって、civil power を用いている。

 

 

 

[5] 『ヨーロッパ社会』の履修者Iさんが、この『ブリキの太鼓』を、日本の戦後文学の代表・太宰治の『斜陽』などと比較して、レポートを書いて、私は強烈なインパクトを受けた。

 Iさんは、『ブリキの太鼓』の映画も見たという。

 私も見たが、そのときには、何のことかわけがわからなかった。

 この間の私の経験、「魅惑と暴力」のナチスの理解の土壌のうえで、Iさんの報告を聞いて、最初見たときにはばかげていて、途中で見るのをやめたのだが、「そうだったのか、3歳で成長の止まったばか者=ヒトラーが、ナチ体制の権力の頂点にたち、国家権力(軍事力と警察力)を握り、不気味なブリキの太鼓をたたき」、その太鼓の鳴り響くごとくに、摩訶不思議な、つまりは不条理・不可解な悲劇が起きるというわけである。

 まさに、「鬼に金棒」。

 

 さきに、R大学における「1819歳で成長の止まったばか者」が「博士号」を持っている人で、人事案件を11件もつぶすだけの力をもっていることが、悲劇。「ソ連崩壊の最終局面を見るようです」とは、ある人の悲痛な声。

 

[6] なにやらわけのわからない教授、さまざまの形容詞のついた教授(茶道教授、華道教授、その他、先日の執行委員会でその話題が出た、「准教授」が、准をとってしまってすっきりと「教授」と言う肩書きを名刺に書いていいのか、それは私文書偽造ではないか、公的任務にある人の場合、公文書偽造問題となるのでは、など)ではなく、

本物の教授(学位、学位論文、それに匹敵する本格的研究書を持つもの)のことである。本物の教授は、名詞に、「経済学博士」、「経営学博士」、「商学博士」といった学位をつけているので、名刺を見れば、本物か、そうでないかはすぐわかる。

 

(ただし、最近では、学位製造・印刷工場の博士の学位を持っている人も数多く摘発されている世の中なので、印刷されも字だけを信じるわけにはいかない。

 

また、旧制度の博士は取得するのが難しく、また、若いうちにとるなど許されなかったので、東大の先生などは学位は、とるとしても定年がちかくなってからであり、とらない人のほうがむしろ多かった。そのような雰囲気の中で、育ったわれわれは、先生から学位をとるように進められることはない雰囲気だった。今の、課程博士取得が当然となるような時代状況とは決定的に違う。だから、「博士」が命にしついていないことだけを、判別の目安にするのは、単純すぎる。要は、その人の業績リストをきちっとみることだ。) 

 

[7] 運動法則の解明の手法として微分を発見する世界史的業績のニュートンの著書(自宅においてあり、今、研究室にないので英文タイトルを確認できないが)、『自然哲学の数学的体系』ではなかったか。哲学的純粋さにまで洗練された論理としての数学。

[8] 外国の優れた雑誌に掲載されているのかどうか? 専門家が見ればすぐわかる。素人は、どの雑誌が、世界水準にあるかはわからない。

その著書が、学界動向などでどのように評価されているか、これも客観的評価であり、ピアレヴューである。

同じ競争の土俵(日本の土俵、世界の土俵・・・・)に乗っているか。それが問われる。

私に意見を寄せてくれた若手研究者の言うように、論文は、本数ではない。質の高さが必要であり、質の高い論文の集合が必要だ。

これは、気の遠くなるような話ではあるが。

 

 

 

[9] さきほども、数学関係の教員から、次のような訴えがあった。

 

 

昨年の末から、現在にかけてOKが数学担当教員に、事前に何の相談もなく、勝手に、共通教養の数学の担当科目を変更、廃止したことについて、以下に経過報告をします。

 

事の発端は、11月4日、K長から、IFT(この3名は、微分と積分、行列とベクトルを現在担当している数学の常勤教員です)宛に、何の相談もなく、いきなり、

 

  「行列とベクトル」「微分と積分」の前期開講分のうち、

    文系対象となっているものは廃止します。

 

   

  「統計と確率」については文系対象の1b、1c、1dのうち

   1クラスないしは2クラスを廃止予定です。これについては、

   聴講者の状況等を調べてからお知らせします

 

と電子メールで連絡してきたことです。

文系の「行列とベクトル」は今年度は、Tが担当し、

文系の「微分と積分」はIが担当しておりました。

また、統計と確率は(I,F,Mが担当しておりました)

 

さらに、K長からのこの電子メールの中に、この廃止案は

 

               議論するために提示したものではない

 

という一文がありました(つまり、もう自分?で勝手に決めたことなので、

反論は受け付けないという意味です)。

 

担当者に、何故廃止するのか、なんの説明もないので、

Iが3名を代表し、責任者であるOに、説明を電子メールで求め、来年度の開講科目を相談したい旨連絡をしました。

ところが、それに対するOからの返事が全くありませんでした。

我々数学担当教員は、

文系対象の「微分と積分」・「行列とベクトル」の講義は経済学ばかりでなく他の文系の学問を学ぶ為に必要と考えまたこれらの講義は後期に開講される「統計と確率」を聴講するための基礎的知識を提供し,前期に今までどうり是非開講すべき

であると考えておりました。

 

そこで、Iが担当教員の意見を聞き、開講科目と担当者案を作成し、

Oに、この案を検討してもらうよう電子メールで送信しました。

ところが、これに対してもOから全く返事がありませんでした。

我々は、Oからの返事をまっておりましたが、

12月の中頃、学務課から来年度の共通教養担当表を手に入れると、

そこには、文系の「行列とベクトル」、「微分と積分」が廃止されており

さらに、統計と確率は 1コース(I担当)と記載されておりました。

 

我々数学担当教員の意見を全く無視するOK

傲慢無礼な態度に対して、我々は、再三にわたり、事情説明を求める電子メールを彼らに送信しましたが、全く無視され続けました。 Iは、統計と確率1コースを担当することについて、Oから何の事情説明もないことに対して抗議し、

この科目を担当することを辞退する旨連絡しました。 

またMはこのように、勝手にやりたい放題に、科目や担当者を変更廃止する

OKのやり方では、責任をもって、共通教養の教育を担当

できないと判断し、きちんと我々に謝罪し、今後このような勝手な行為をしない

と約束できないのなら、共通教養の全ての科目の担当を辞退する旨、OKに連絡しました。

これらについても、彼らから何の返事もありませんでした。

12月20日にIは直接、OKに会い口頭で

事情説明を求めましたが、OKに任せてあると言い、全く持って無責任な態度をとりました。またKは、私には権限がないからと、

実際は、自分が科目の変更、削減をしたのにも関わらず、これまた無責任な態度をとりました。(権限と責任の混乱状態、無責任体制)

 

 その後、我々に何の相談説明もなく、いきなり12月25日に

Oから、「行列とベクトル」、「微分と積分」の開講科目については、

我々数学教員が提案した案とほぼ同じで、来年度は考えている という一方的な電子メールをもらいました。ただ、1月21日の段階で、「統計と確率」をどのように開講するのかについては、まだ、Oから何の連絡を受けていません。

 

ところが、さらに、先日、全教員に配布されたシラバスの電子入力をせよとの

通達にしたがって、担当科目を調べると、

文系の「行列とベクトル」、「微分と積分」が廃止されており、

さらに、統計と確率は 1コース(I担当)と記載されたままでした。

これに対して、Oに学務課から連絡をとっても、未だ、返事がかえってきてません。

 

以上が経過報告です。

1月21日現在でも、OKから、誠実な返事は一切ありません。

共通教養コースのカリキュラムを決定する権限が、最終的にOにあるにしても、科目を廃止したり、科目の担当者を変更するのであれば、その科目の担当者にその事情を説明するのは、当然です。

また、担当者から廃止す理由や変更する理由を尋ねられれば、それを説明するのも当然です。今回の件は、OKが事情説明を全くせず、説明してくれるよう要求しても全く無視するという傲慢無礼な態度をとり続けた(現在もそうです)ことが、原因であります。 

 

このような担当教員を全く無視した傲慢無礼な態度をとり続けるOKを断じて許すことはできないと我々担当数学教員は考えてます。

 

また、このような教員を無視し続けてゆく限り、横浜市大はまともな教育機関から益々遠ざかるでしょう。

 

[10] ふくま‐でん【伏魔殿】

#悪魔のかくれている殿堂。

#悪事・陰謀などが陰で絶えずたくらまれている所。

 

[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]