828日 教員組合週報(本日付)が届いた。教職員倫理規定および法人職員の任期更新「拒否」(?)にかかわる重要な内容をもっている。ニュースが指摘するように、更新「拒否」の問題は、職員の問題だからといって、教員と関係のないことではない。

精密な議論なしの「拒否」(?)あるいは、拒否の「示唆」(ニュースによれば「人事当局あるいは上司から更新の可能性がないかのような対応」)は、当該職員だけでなく全固有職員を萎縮させ、精神的隷属状況を作り出すであろう。「普通にやっていれば」任期更新するというが、法人固有職員の場合、「普通」とは、いかなる基準で、どのように各人の仕事を評価するのか。その客観性・透明性こそが大切だが、それがない状態では(不服審査委員会がそもそもあるか?)、一方的に職員側が不利になる。大学の自治的な創造的な発展とは逆のことになろう。

 

そうした「示唆」、「脅かし」(?)を行うのは人事関係当局であり、理事長以下、法人当局の主要管理職は、市当局からの派遣(任命)なのである。市当局への大学の隷属をさらにいっそう決定的に進めていくものとなろう。

弱い立場のものは組合に結集して、正当な権利を守るしかない。職員組合と連携した教員組合の毅然とした対応を期待したい。今回のウィークリーが示す申し入れも、その毅然とした対応のひとつであろう。

 

倫理規定の箇所も、本学の本質的問題に関して指摘するものとなっている。入学に関して、教授会審議はない。「不正入試に対して脆弱」な現在の本学のシステムは非常に問題だという指摘は、まさにそのとおりであろう。ここでこの重要な問題の所在を重ねて指摘しておくことは、大変重要なことだろう。

 

教員評価問題では、当局は、「消極的」になっているという。どのような意味か?

何も具体的な検討を進めないで(あるいはひそかに検討を進めておいて)、「時間切れ」で、当局の提案を押し付けてくる可能性はある。「95%も参加しているから」と、マイノリティに煮え湯を飲ませることも辞さない可能性はある。そうした「時間切れ」という手段に直面した苦い経験は、組合執行部経験者なら何回か味わっているはず。新給与体系の提案は、1226日だったかと記憶するが、仕事納めの前日だったはず。教員組合が仕事納めから正月まで慌てふためこうが苦しもうがそんなことはお構いなし、当局に有利なやり方で提案すればいい、とでも言うかのようであった。その苦い記憶はよみがえる。金を出すほうは、交渉がまとまらなければ旧の体系のままですよ、給料は上がりませんよ、と落ち着いていればいいことになる。われわれとしてはそうしたひどいやり方に対しても、誠実に(「弱さ」から?)対応したのではあるが。そして、それなりの体系にすることになったとは思うが。

 

「処遇に反映させる」とする教員評価のシステムについても、ぎりぎりまで何も提案しない、折衝しないということか?

法人の管理職・人事当局は、すべての時間をその仕事に当てればいいのだろうが、教員組合の執行部は、教育・研究・社会貢献の仕事もやっている。時間的にきびしいなかでの対応なのだから、きちんと時間的余裕を持って提案をしてくるべきではないか?

この間、当局が提案するとしてきた新給与体系にもとづく給与アップ(業績給部分)について、何も前進していないのではないか?

合意が出来上がるまでの中間的な妥当な引き上げを実施すべきだというのが組合の度重なる要求なのだが、このままでは、本学とほかの公立大学、国立大学や私立大学との給与の差はどんどん広がっていくのではないか?

いずれにしろ、教育・研究・社会貢献とうにまい進できる状態をこそ作り出すべきだが、その諸条件はどこにあるか?

 

 

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827日 「全国国公私立大学の事件情報」(本日付)に、大学の教員評価に関する朝日新聞記事(昨日付)がリンクされ、紹介されている。その記事は、教員業績評価なるものをポジティヴに評価し、推進する立場からのものである。そこでは、その業績評価が、大学の学問研究教育の自由や発展につながることを前提にしている。果たしてそうか?

 

業績評価が公明性・透明性・客観性を持っていれば、すなわち種々の次元の公明・透明・客観的なピアレヴューに基づくものであれば、その可能性はある。やるとすれば、そのような業績評価のシステムを作る必要がある。

その際、やはり、大学の自治が問題となる。

全管理職が「上から」、「外から」任命されるシステムで、さらに業績評価とその処遇への反映までに結び付けられると、業績評価を行う主体がそうした「上から」、「外から」任命の管理職によるものだと、大学の精神風土は荒廃するのではないか?そうしたシステムでは、業績評価が緻密であればあるほど、「上から」、「外から」の締め付けの効果だけが細部にまで入り込んで強力になるであろう。管理職が、業績を評価される教員の秘密自由の一切のチェックを受けないとき、「上」「外」にこびへつらい利権にさとい人々だけが優遇されることにならないか?上記の朝日新聞記事は、「学部長による」加減の修正に問題点を何も感じていないようなのであるが、どこまで客観性・公平性などが保障されるのか。

 

本学の教員組合は、そうした根本的問題性を種々の角度から問題とし、指摘している。業績評価自体を問題にしているのではない。そのプロセスにおける自由や民主主義の原理、大学の自治の観点を問題視している。新聞記事で示されているような講義負担その他は、客観的数値として出すことは簡単だが、問題は、それをどのように評価するかであり、その評価の仕方に問題がはらまれている。

新聞記事において「先進的」な事例とされる大学は、いったい、こうした点はどうなっているのか?

 

人文社会科学系だけが精神的自由の点で、抑圧の危険があるのではない。自然科学も、その危険性がある。「創造的な大胆さと市民的な大胆さとは、心理的には同じものである」とは、スターリン時代の「科学とスターリン主義」を扱った本の一節である。すなわち、

 

「物理学者が働いている諸条件と彼を取りまく雰囲気は、彼の業績の特徴と成果に影響を及ぼす。その影響は単純なもの、あるいは『直接に比例的な』ものではないが、しかしそれは疑いのないものである。創造的な大胆さと市民的な大胆さとは、心理的には同じものである。・・・・」「1930年代までには、科学行政の『中央集権化された官僚主義的システム』が確立された。このシステムは『その後それ自身の官僚主義的法則によって進化し、豊富な資金供給にもかかわらず、ますます科学から魂を搾り取った』」と(R.W.デイヴィス著内田健二・中島毅訳『現代ロシアの歴史論争』岩波書店1998年、351ページ)。

 

ロシア革命後からスターリン体制の確立までの希望・理想にあふれる精神的高揚の時期の科学的達成が、第二次大戦中のソ連の科学と生産力の基盤となった。「原子力と宇宙分野での成功は本質的には、その成功の創造者たちが科学界に入った1930年代の副産物であった」と。

その30年代中ごろからのスターリン主義体制下の学問の行政的統制は、第二次大戦後のソ連科学の衰退(チェルノブイリの原発事故に象徴される)を運命付ける。科学における自由の抑圧、官僚主義による衰退は、何十年か後に露呈する。ソ連の科学と政治の相互関係は緻密に検討していく必要があるが、ひとつの思考素材としては意味があろう。

業績評価システムにおいては、まさに、そうした長期的観点も必要ということだろう。

 

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819日 今日の朝刊に、脳血管センター病院長の発令に関する記事が出ていた。「横浜市の施設だから」ということで市当局が病院長を任命し、元市大医学部教授を任命したという。そこであげられている積極的理由は、病院長に任命された人物の役割に関するもので、ピアレヴューに基づく業績審査が公正中立の適切な業績審査委員会において行われたうえでのことかどうかに関しては、言及がない。市の施設だから、市の行政当局が任命権を持つ、市当局に覚えめでたければよし、ということでは、脳血管センター(いろいろと事件がおきているようであり)が抱える難問群を解決するのは難しい。市大市民医療センターの病院長だった人のようで、そこでの実績が評価されたのは間違いないのであろうが・・・病院長時代の業績評価は、公正中立のピアレヴューに基づく委員会によるものだったかどうか(この件に関する人事委員会の構成は?委員は誰が選ぶか?)、こうしたことも、今後何か問題が発生した場合、重要なポイントになろう。

 

E.H.カー著塩川伸明訳『ロシア革命−レーニンからスターリンへ 19171929』(岩波現代文庫、1980)の「第17章 独裁制の様式」によれば、

「スターリンの力は、党と国家の重要な地位への任命を統制する党機構を彼が厳格かつ細心に管理したことに依拠してきた。彼に認められた者は、確実に昇進することができた。彼は、自分のまわりに忠実な支持者の一団を集めていた。そのほとんどは二級の党指導者たちで、彼らの政治的命運はスターリンのそれと結びついており、彼に無条件の個人的忠誠の義務を負っていた。1924年のレーニン入党よって開始された党員補充政策は、党の路線に容易に従うことで知られる、信頼できる労働者たちから成る平党員群をつくりあげた」と。(241242ページ)

 

さて、大学の経営(理事長)およびその他の管理職(学長以下)の任命はどうなっているか?

 

現実に発生する諸問題を、適切に提起し処理しうるシステムとなっているか?

PE問題がその検証の一番の素材となろう。

 

 

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81日 医学部問題に関して、中田宏横浜市長は三十一日の定例会見で、横浜市立大学医学部の学位謝礼金問題で関係者計二十人の処分が出たことについて、「大学が浮くも沈むも自分たちの運命は自分たちの責任であることを再確認し、しっかりと再建に取り組んでほしい」と述べた、という(カナロコ)

     

問題の流れからすると、医学部の学位審査問題なので、それならば、「医学部が・・」といえばいい。なぜ、「大学が」というのか? 

 

     「自分たち」とは、誰のこと?

 誰が、どのような権限を持っているのか?

 誰がその権限に応じて責任を果たしうるのか?

 

 今朝の新聞には、小坂井 敏晶『責任という虚構』(東京大学出版会)という本の広告が出ていた。

 

大学の経営陣を任命しているのは、かつてから、市長であり、法人化した後も、公立大学法人として、大学を発展させるような経営陣を構築するのが、市長の責任であることはいうまでもないであろう。法人の法的最高責任者・理事長の任命は、市長である。事務局長以下の管理職の中心ポストも市当局の任命である。そうした体制で学長や学部長・研究科長が選ばれる。責任の所在は、きちんと整理しなければならない。

国立大学などのように、大学教員の中から選ばれた人が学長・総長として理事長もかねるという、独立性のあり方とは決定的に違うのが本学や首都大学であろう。とりわけ、大学改革の過程を見ても、市当局の改革本部が果たした役割が決定的なことは言うまでもないであろう。

 

市大で何か問題が起きると、「責任は大学にある」といい、市大が何かいいことをすると、市長・市当局の功績とするというのでは、大学人はむなしくなるだけであろう。最近の組合ニュースが示すように、「何とか私学にでも脱出したい」と願望する人がいるひとつの要因もその辺りにあるのであろう。

 

そもそも今回の問題において、「責任は大学にある」という命題が成立するかどうか、いかなる意味において成立し、いかなる意味で単なる責任逃れ、単なるプロパガンダになるのか、検証が必要である。その際、この間の経営陣・管理職の任命のあり方、および定款・学則(これらを定めたのは市当局である)なども含めて、吟味が必要である。

 

責任主体として、自治・自立・自律の主体として大学は存立していたのか?

法人化後3年間の理事長・副理事長は誰が任命し、学長は誰が任命したのか?

その突然の、任期途中の退任(「逃げ出し」あるいは暗黙の辞任強制?)や転職に関して、いかなる責任の所在の明確化があったのか?

前学長は、アメリカ的で、給料が倍になるから(いや3倍になるから)、トラヴァーユしたのだ、それが本当のところだ、などという噂話で済まされるのか?

少なくとも、大学人の多くは、彼らの辞職に唖然としただけである。責任ある人々からの合理的な説明を聞いたことがない。それともどこかで説明されているか?

 

予算決定権(これはかつての公立大学時代から大学にまったく権限がない状態だったが)や人事などの決定権限などむしりとられてもなおかつ、この間のむなしさ・不安にもかかわらず、多くの教職員が必死なってがんばっている、何とか大学の責任主体となれるように、すなわち大学自治を回復するために多くの教職員が模索している、必死になっている、何とか崩壊を食い止めている、というのが本当のところだ、と私は考える。

権限のない普通の人々が、不安を抱えながら、がんばっている、と。その多くの人々にとっては、「責任の取りようのないシステムですよ、一体どう責任を取れというのですか、責任をいうなら権限も、学校教育法に従いきちんと与えるべきでしょう」ということになろう。

 

中田市長の新自由主義的改革によって、多くの教員に広がるむなしさや不安は、まさに最近の組合ニュースが生々しく伝えるところである。