12月25日 OECD諸国の一人当たり国民所得の順位で、日本は順位を下げ続けている。
Cf. 下記国民経済計算確報の参考(OECD諸国の一人当たり国内総生産) (PDF形式 80KB)
「一人当たり」の平均でそうなのだから、内実としての格差拡大を考えれば、日本の低所得者層は相当ひどい状態になっていると見ることができる。
ただし、米ドル表示ということなので、最近のように円高が急に進むと、ドル表示も跳ね上がる。来年度の統計ではどうなるか?
国民経済計算確報 |
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平成19年度確報 (平成20年12月25日:フロー編を公表しました。) New |
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['What's
New' E-mail Service] from ESRI, CAO Dec.25,
2008
内閣府経済社会総合研究所からの新着情報のお知らせ
このメールは、Webから当サービスにお申し込みいただいた方々のみにお送り
しております。お心当たりのない方は、下の記述を参照してお申し出ください。
リンクをクリックして文字化けする場合には、ブラウザの更新(再読み込み)
を押してください。
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平成19年度国民経済計算確報(フロー編)は、12月25日(木)15:00に公表されました。
http://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/toukei.html#kakuho
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12月22日 教員組合ニュースが送られてきた。ここにも現在の大学の問題が示されている。教職員、学生院生が大学構成員としてそれぞれの持ち場で連携しながら大学を発展させるような構造になっていないことが指摘されている。大学の自治の形骸化の進行している現状がここにも指摘されている。
----------横浜市立大学教員組合週報-------------
組合ウィークリー
2008.12.22
もくじ
●守衛室の内藤さん・中村さんが本年度末で退職
●守衛室の内藤さん・中村さんが本年度末で退職
内藤和保さんは本学医学部に技能吏員として3年金沢八景キャンパスの守衛室に30年の計33年間、中村隆明さんは医学部4年間と守衛室21年間の 通算25年間にわたって勤務されました。お二人とも職員組合の活動に積極的に参加され、長い間教員組合との橋渡し役も果たしてくれました。
守衛さんの仕事は教職員に対するものだけではありません。見学に来る高校生、非常勤講師やゲスト講師の先生方、関連業者等々への対応があります。休日には、プールなど施設の開放や各種の試験会場に大学校舎を貸している関係で、訪れる多くの市民に学内の案内等をしています。
なかでも重要なのは、学生への対応です。講義棟・研究棟に夜遅くまで残って勉強する学生やサークル棟の学生に対して、大学の教職員として接するのは守衛さんたちです。
今月、内藤さんが教職員あてにメッセージを作成中との話を聞き、本「組合ウィークリー」用にとくに短めに書いて頂いたものを、以下に掲載します。
この中で内藤さんが、学生は大学にとってお客様ではなく大学の構成者と書いてあることに目を開かされます。市大に入学した以上、市大生は単に大学のサービスを受動的に受ける対象ではなく、市大を改善・発展させていくための主体なのです。
「最後の大学職員守衛として」 ―― 内藤さんからのメッセージ
来年度から守衛室の業務は全面的に警備会社が行うようになります。市大に20年、30年以上にわたって守衛として働いてきた同僚の中村さんと私 が来年3月で定年を迎えるからです。私たち市派遣職員は市に所属してますので定年後は市関連の業務に嘱託職員として働くことになります。
全国的に守衛業務が委託化されている状況のなかでよくぞここまでこれたかという思いがあります。ひとえに教員をはじめとする多くの方々に支えられてきたものと感謝しております。
長期にわたって市大の守衛として働いてきたことによって、多くのことを学ばせてもらいました。昔と今とを比較すれば状況は大きく変化していますが、いつも大切にしてきたと思われる基本的なことをお伝えして、大学における守衛業務について考えていただけたらうれしいです。
「職場を守る闘争を通して学ぶ」
守衛室は定年制が導入された以後、退職者が出るごとに「欠員補充・民間委託反対!」の闘争をしなければなりませんでした。「第2臨調」による民 営化路線によって最初に現業部門が委託化、合理化の攻撃にさらされました。市大では市大病院(現センター病院)、看護学校(看護学部の前身)の守衛や給食 調理、清掃関係が委託化されました。定年制導入によって委託化に拍車がかかり、横浜市のどこの現業職場も欠員は不補充・民間委託化などが提案され、労使の 攻防が噴出していました。市大では浦舟町にあった医学部の福浦移転にともなって現業部門は全面委託、残る金沢八景キャンパスの守衛室も2001年に3人の 定年退職を機に夜間委託、その後は欠員不補充、委託の拡大となって推移しています。今や「構造改革路線」の元で、押し返す取り組みはできない状況です。現 在の残る2名は委託業者から派遣されてくる人たちと業務をしてきました。定年を間近に控え、委託の人たちが業務をしやすいようにと整理しているところで す、しかし、委託業務は3年ごとの入札があり、来年度も同じ業者なのかわからない状況にあって、守衛室の今後はどうなってしまうのか、皆目わかりません。
私たちは、数度の欠員補充闘争を経験するなかで、当時の教員、職員、学生、さらに市庁舎、各区役所などでもビラを配布しながら訴えたりもしてきま した。教員組合もこの問題について「組合ニュース」を数回にわたって発行してくださり、8割以上の教員が署名をしてくださいました。大学だけでも 1,800名以上の署名を集めることができたことは忘れられない思い出です。仕事をしていくうえで大きな励みとなっています。私たちはこの闘争を通して、 大学職員の役割、大学に働く意味について認識を深めることになりました。
大学の職員は、大学の機能(教育・研究)と運営に貢献していること。教職員は一体になって、学生に対処するのが大学だということです。守衛は大 学で活動する教職員、学生などすべての人たちの活動に役立つことで“潤滑油”の役割を果たせることです。「守衛は大学の顔として、第一義的対応を旨とし て、威厳をもって対応してほしい。大学のイメージにも影響すること」だと言われてきました、しかし、背景に民営化路線が敷かれていたせいかミーティングも ほとんどない状態での職場状況でした。欠員補充闘争などを通して、私たちは多くの方たちの支援を背景に、みんなに役立つ守衛室をめざして歩んできたと思い ます。
また,市従大学支部(現「市大職員労働組合」)に執行委員を出して、大学の様々な状況を知り、情報不足の守衛室に反映してきました。より民主的 に、安心して働けるように、教員の立場、学生の立場、職員の立場を尊重しながら職場運営をしてきました。大学の職員として、公立大学公務員として、いざと いうときに毅然として対応してくることができたと思います。なぜなら、私たちも大学の職員として尊重されてきたからです。
「守衛室は市大の環境の一部です」
金沢八景キャンパスの守衛室の特徴は、個人研究室や実験室の鍵を預かっていることとあいさつ行動にあります。
鍵は教員の出欠確認にもなっていますが、鍵を手渡しすることで、あいさつを交わします。ときには軽口を交わしたり学生との関係での相談ごとなど を通して、教員の感覚に触れるなどの機会を与えてくれます。学生にも貸出対応を通じて顔なじみになり、コミュニケーションがとれて巡回にも役立っていま す。
あいさつ行動は、守衛室からのすべての人たちに対する発信です。守衛に声をかけやすくする効果があります。事故などが起きたときに早期に伝えて もらえる、そして、いっしょに対処することが可能です。守衛が困っているときには手助けも期待できる、そういう関係をつくりだしてくれるのです。
このことは全面委託になっても引き継がれてほしいことです。働く委託の人たちにとっては、よその現場と違って大量の鍵に驚くと思います。200 本からの鍵の管理、常勤非常勤の教職員、院生・学生への鍵の受け渡しには顔と名前を覚えなければならないからたいへんです。間違ったら事件、事故につなが りかねないからです。しかし、今後も市大らしさの一部を担っている守衛室としてがんばってほしいと思います。市大の環境の一部だからです。
「みなさんの活躍に期待しています」
私は守衛室に勤務する前に医学部で3年働いていましたので、市大には通算33年間勤めました。当初と今とでは雲泥の差がある大学の環境。施設的 な外観的なことよりも、目には見えない雰囲気に強く感じます。単に昔はよかった、というのではなく、教職員と学生などの横のつながりがなくなったように思 えます。かつては教職員・学生そして生協職員もいっしょに遊んだり、ボランティア活動をしたりしました。今は「新自由主義」、成果主義の間違ったやりかた が横行しているためか、世間も大学もぎすぎすとして、人が人として尊重されていない悲しい状況にあります。それなのに、昔は若者、その代表の学生が敏感に 反応しましたが、いまはそれが期待できないことが寂しいです。学生は、大学の構成者というよりもお客様になっているようです。それでも大学がおかしい、と 感じている学生はいるはずです。「いつかコップの中の水が溢れ出す」ような状態になるのではと内心は期待しています。
私たち教職員の状況も厳しいものがあります。職場の欠員が出ても補充されない、非常勤や派遣にかわってしまうなど、ひそかにリストラが進行して いる状況にあります。職場の状況をよりよい状態にして安心して働ける職場環境を整えることは、学生の勉学環境の向上にもなることです。だれもがものをいえ る職場環境を求めて、職場のあり方についてねばりづよく追求することが必要だと思います。理事長、学長、副理事長などトップの方たちが急に変わってしまう ような信じられない状況にありますが、教職員の連携で乗り越えてほしいと思います。よりより市大づくりに向けてみなさんのご奮闘に期待しています。
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横浜市立大学教員組合
〒236-0027
横浜市金沢区瀬戸22-2
Tel&Fax 045-787-2320
E-mail kumiai@yokohama-cu.ac.jp
HP-URL http://homepage3.nifty.com/ycukumiai/
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12月1日(2) なぜ3月に発生した事件がこの時期になって、ニュースとなったのかわからないが、下記の読売新聞ニュースが巷間、話題となっていた。不正を働くものを適正に処罰するのは当然として、なぜそのようなことが発生するのか、問題の根源に関しても、よく吟味する必要がある。
そのひとつの原因に、学生の専門分野・将来の進路・希望の有り様を無視した画一的な進級基準の問題性があろう。「PE重視」が、PEの「画一基準の強制」になってしまっている。
PEの一科目だけのために、2年間も留年し、さらにまだ何年も留年しなければならないとしたら、その経済的負担たるや恐るべきものではなかろうか?あるいは、あきらめるとすれば、これまでとってきたすべての科目が無駄になるとしたら、4年(2年次に2年間留年したものは4年間在籍したことになる)におよぶ全投入はどうなるのか?
なぜ、中国から日本にやってきた留学生に実用英語資格と称してTOEFL500点(TOEIC600点)等を一律に課す必要があるのか?そのカリキュラム上の必要性・必然性はどこにあるのか?
制度発足当時の官僚的なやり方が、その後の諸問題の発生にもかかわらず放置されてきたことと関係していることは否定できないであろう。処罰の厳格化で問題を処理しようとしても、根底にある問題性が解決されない場合には、同様のことが再発するであろう。
制度設計を行ったもの、その制度設計を今日まで頑強に(代議員会等でのたくさんの意見にもかかわらず)堅持してきた責任ある人々・組織に対して、問題は投げかけられているであろう。
ときあたかも、4年次生に対するアンケート調査の実施中である。4年間の経験から、学生諸君がしっかりとアンケートに経験・その問題性・解決すべき課題・改善の方向性に関しても、意義ある回答を書いてほしいものである。
また、昨日だったかのニュース(神奈川新聞)では、医学部の「名医」の教授(52歳)の辞職についても、報じられている。「辞職させないように」と求める多くの患者の署名活動もあったことが報じられている。公式には関係ないとされるが、医学部長、副学長の辞職問題と関連しているであろう、とは、これまた巷間の噂である。
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12月1日(1) 本学と同様、行政主導の強引な改革を行った東京都の場合も、首都大学の学長専攻は闇の中のようである。というか行政主導ですべて決まっているということなのであろう。選考委員のあり方がそれを証明しているようである。
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「意見広告の会」ニュース460
*ニュースの配布申し込み、投稿は、
qahoujin at
magellan.c.u-tokyo.ac.jp まで、お願い致します。
*迷惑メール防止のため@をatに書きかえています。アドレスは@に直して下さい。
** 目次 **
1 案内 強制と選別の教育からの転換を!
12.14集会 東京・星陵会館
2 東京の学校に自由を取りもどすことを願って!
賛同署名の御願いです。 http://blog.goo.ne.jp/ganbaredohi/
3 首都大学東京 次期学長選考に関する組合からの要望
「手から手へ」2510号
3 案内 講演「世界史の中での日本国憲法の意義」
法学館憲法研究所 12月6日(土)
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1 強制と選別の教育からの転換を!
12.14集会 東京・星陵会館
「被処分者の会」星野です。
私たち「教育の自由裁判」関連団体も呼びかけの集会です。多くの人の参加を呼びかけ
るとともに、まわりの方に広げていただきたく事をお願いします。石原都教育行政がい
かに現場の教育を破壊し続けているか、どう打ち破っていくのか、元気の出る集会にし
たいと思います。
現在の強制と新自由主義的改革に翻弄される教育の実態を大きく切り替える契機にし
よう、ということで、今年の12月集会を開催します。皆さんの参加と賛同をよろしく
お願いします。当日は会場の星陵会館を満杯にして、皆さんで問題意識と元気を共有し
たいと思います。
★異議あり改悪教育基本法、チェンジ石原教育行政、教育の自由裁判勝利
強制と選別の教育からの転換を! 12.14集会★
*日時 12月14日(日)13:30〜16:00
(開場13:00)
*会場 星陵会館
●有楽町・半蔵門・南北線(永田町駅6番出口)3分
●千代田線(国会議事堂駅5番出口)5分
●銀座線・丸の内線(赤阪見附駅)7分
*プログラム
★報告
日本の教員評価制度に、国際機関がNO!
―世界初の現地調査から6ヶ月、ILO・ユネスコが「根本 的吟味」を勧告―
報告者:牛久保 秀樹氏
(弁護士/『国際労働標準で日本を変える』共著・『労働の人間化とディーセント・
ワーク』著)
★チェロ演奏
★パネル
教育を蝕む「改革」から、子どものための教育へ
―「校長は名ばかり管理職、教員は営業マン、子どもは“お客さん”」?
…こんな教育でいいのか!―
パネリスト:
○池添 徳明氏 (「都立高校校長の〈反乱〉」(『世界』)などを執筆し、都教
委を告 発した現職校長の取材を続けているジャーナリスト)
○東本 久子氏(子どもはお国のためにあるんじゃない!市民連絡会共同代表・「
学 校に言論の自由を!9.27集会」の中心メンバー)
○白井 劍氏(「日の丸・君が代」裁判で、遠藤周作の小説『沈黙』で役人が踏み
絵 を踏ませるシーンを再現し、強制の不当性を明らかにした弁護士)
○特別支援学校教員
○都立高校教員
主催:「強制と選別の教育からの転換を!12・14集
会」実行委員会
連絡先:坪根 (080-5376-5710)
* よびかけ団体(アイウエオ順)
●学校に自由の風を!ネットワーク
●教育を壊すな!市民と教職員東京ネットワーク
●東京・教育の自由裁判をすすめる会
●都立高校のいまを考える全都連絡会
●都立の大学を考える都民の会
●「こころとからだの学習」裁判を支援する全国連絡会
●「日の丸・君が代」強制反対・嘱託採用拒否撤回を
求める会
●「日の丸・君が代」強制反対・予防訴訟をすすめる会
●「日の丸・君が代」不当解雇撤回を求める被解雇者の会
●「日の丸・君が代」不当処分撤回を求める被処分者の会
* 賛同申し込み 賛同の旨と連絡先をお書き下さい。
*FAX送り先:042-587-3599
*賛同金納入先
・郵便局以外から納入の場合
郵便振替口座 加入者名:12・14集会
口座番号:00150-3-0357877
・郵便局から納入の場合
口座番号:019店 当座0357877
2 東京の学校に自由を取りもどすことを願って!
賛同署名の御願いです。 http://blog.goo.ne.jp/ganbaredohi/
“職員会議での挙手・採決禁止”という都教委の通知に敢然と異議を唱えた都立校校長
、東京の教育の危機に立ち向かう活動に賛同署名を御願いします。
<重複ご容赦・転送歓迎> 丸浜江里子
☆東京都教育委員会が職員会議での挙手・採決を禁じた通知について、都立三鷹高校
の土肥信雄校長が、都教委との公開討論を求め続けているにもかかわらず、都教委はい
まだ応じようとしません。ぜひ応じるべきだということで、下記の研究者・著名人の呼
びかけ人一同で、都教委に「土肥・三鷹高校長との公開討論に応じてください」という
要請書を提出することになりました。
※下記の要請書にたくさんの賛同署名を添え、12月9日(火)午後3時に記者会見を開き
都教委に提出の予定です。賛同署名のご協力をお願いします。
<要請書>
東京都教育委員会 殿
◆土肥・三鷹高校長との公開討論に応じてください◆
東京都教育委員会は2006年4月、「学校運営の適正化について」という通知を出し、職
員会議において職員の意向を確認する挙手・採決を禁止しました。
この通知に、私たちはたいへん驚き、衝撃を受けました。
教育は、子どもたちを育む教師同士の協力と協働なしにはなりたたない営みだからです
。そして日本は民主主義社会であり、学校が校長から教師への、また教師から子どもた
ちへの一方的な上意下達、命令服従の場であってはならないからです。こうした私たち
の懸念
と憂慮に応えるかのように、2008年8月、都教委に対し、通知の撤回を求めて公開討論
を要請したのが、土肥信雄・三鷹高校長でした。
土肥校長は、その要請書の中で、「教員には何を言っても意見が反映されないのなら言
っても意味がないという空気が広がっている」と述べ、「生徒に民主主義を教えなけれ
ばならない学校だからこそ、生徒を教える教員組織は民主的に運営されなければならな
い」と通知撤回要請の理由を明らかにしています。私たちには、土肥校長の言葉は極め
て真っ当であり、常識にかなうものに聞こえます。
2008年9月27日、三鷹市武蔵野公会堂で、土肥校長の話を聞く集いがもたれました。
都教委が公開討論に応じないのであれば、自分の意見を表明するとの土肥校長の決意を
実行に移したもので、350名定員の会場に倍以上の人びとが詰めかけました。数百人
が会場に入れず帰らざるをえませんでした。この問題に対する市民の関心がいかに大き
いかを示したものといえます。
都教委は、公然と異議を申し立てる土肥校長に対し、校長が報道各社に配布した文書の
中で「守秘義務に違反した」などと別件での処分をちらつかせ、真摯で建設的な意見表
明を封じようとしています。それは、「挙手・採決の禁止」と同根の専制的な行政手法
ではないでしょうか。
私たちは、ここに改めて都教委に対し、土肥校長との公開討論を求めます。
活発で生き生きした学校を創り、民主主義社会を豊かに築く次世代を育てていくための
方向を考え合うために、ぜひ生徒、教員、保護者、都民の前で語り合っていただきたい
と思います。
2008年12月15日までに文書での回答を求めます。
(呼びかけ人)
・藤田英典(国際基督教大学教授)・尾木直樹(教育評論家)
・勝野正章(東京大学准教授)・石坂啓(漫画家)
・広田照幸(日本大学教授)・喜多明人(早稲田大学教授)
・西原博史(早稲田大学教授)・池田香代子(翻訳家)
・醍醐 聰(東京大学教授)・奥地圭子(東京シューレ)
・小森陽一(東京大学教授)・毛利子来(小児科医)
・暉峻淑子(埼玉大学名誉教授)・堀尾輝久(東京大学名誉教授)
・佐貫 浩(法政大学教授)・佐高 信(評論家)
・奥平康弘(東大名誉教授)・高橋哲哉(東京大学教授)
・上原 公子(元国立市長)・成嶋 隆(新潟大学教授)
・大門 哲(元 都立豊多摩高校校長/元杉並区教育委員)
・林 量俶(埼玉大学教授)・荒牧重人(山梨学院大学教授)
・井出孫六(作家)・安藤聡彦(埼玉大学教教授・元国立市教育委員)
・世取山洋介(新潟大学準教授)・山本由美(東京田中短期大学準教授)
・高嶋伸欣(琉球大学名誉教授)・青木 悦(教育ジャーナリスト)
<順不同>
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インターネット署名
PC用 http://form1.fc2.com/form/?id=358942
ケイタイ用
http://k.fc2.com/cgi-bin/hp.cgi/towa10ron2ouzeyo/?pnum=0_0
※携帯電話メール対応の署名サイトも開設しました。
携帯電話にも転送お願いします。
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※問い合わせ先:ganbaredohi@yahoo.co.jp
土肥校長とともに学校に言論の自由を求める保護者&市民の会
ブログ http://blog.goo.ne.jp/ganbaredohi/
3 次期学長選考に関する組合からの要望
首都大学東京労働組合中央執行委員会 「手から手へ」2510号
[ 中央執行委員会声明 ]
次期学長選考に関する組合からの要望
2008.11.26 公立大学法人首都大学東京労働組合中央執行委員会
11月初旬、次期学長を選出するための「学長選考会議」が発足した、と伝えられてい
る。 今年度で現西澤学長の任期が終了することから、法律、および法人定款に従って
選考会議が発足することについては当然の手順といえる。 ただし、遺憾なことに、今
回の選考会議委員の選出に関しては、学内の多くの教職員に以下のような疑問が生まれ
ている。
ひとつは委員の母体についてである。 経営審議会選出の3人の委員は、学外委員2
名と事務局長、教育研究審議会選出の3人は、システムデザイン学部長、健康福祉学部
長および基礎教育センター長となっている。 疑問は、教職員と学生の圧倒的多数が在
籍する都市教養学部からひとりも委員が出ていないことである。 もちろん、各委員が
全学的視点と見識を持って選出を行うのであれば問題ないとはいえるが、素直な選び方
は最大多数の教職員と学生の意向を看取しうる基盤を持った委員を挙げることではなか
っただろうか。 このことはたんに数量の問題ではなく、可能な限り大学の構成員の総
意のもとで学長を決定するという大学自治の理念実現のひとつのポイントとなるから重
要なのである。
ふたつめの疑問は、今回両審議会で行われた選出が果たして、いかなる選出規程ある
いは規則に則って行われたのか、という点である。 組合が確認しうる限り、学長選出
に関する規程、規則あるいは手続きは一切存在しない。 ただ、定款に、学長は選考会
議の選考に基づき理事長が任命すること、およびその構成が記されているだけである。
会議の成立要件も、議決の要件もない。つまり、選出された選考会議をどのように運
営されるのか全く不明のままなのである。 この点では、選ばれるはずの議長氏名や選
考作業のスケジュールさえ、いまだに明らかにされていないことは非常に不可解である
。
もっと本質的に重要なことは、学長の選考手続き、すなわち、(1)選考会議にかかる候
補者がどのようにして選ばれるのか、 (2)学内諸階層の意向や意思をどう反映させるの
か、が本学では全く規定、規則、手続きとして決められていないのである。 他の国公
立大学では例外なく、詳細な学長選考に関する手続き、規則が定められており、当然、
選考会議委員をどのように選び、運営するのかも規定され、公表されている。 [注]
組合はこの点をとくに重視する。
選考会議がともかくも両審議会の合意に基づいて選出されたのであれば、組合は上述
の疑問を持ちながらも、成立そのものに異議を唱えるものではないが、以下の点を強く
要望する。
第一に、両審議会と学長選考会議は、可及的速やかに本学の学長選考規程およびその
実施に関する規則類を策定し、公開するべきである。 そうでなければ、本学の教学の
トップが、規則もないままに恣意的に、あるいは場当たり的に選出されるという大学と
しては考えられない事態となってしまうからである。
第二に、その選考手続きにおいて、選考会議にかかる候補は必ず複数としていただき
たい。 大学の将来や教育・研究に関するさまざまな考え方、意見を知ることは大学と
いう多様な価値観の共存を不可欠とする組織にとって必須だからである。
第三に、最終選考の以前に、それら候補の所信を全学に公開し、全教職員、学生の意
向を何らかの形で問う機会を設けていただきたい。 組合としても教学のトップであり
副理事長でもある学長の所信、プランは教職員の労働条件の今後に深く関わることとし
て関心、期待を持たざるをえないからである。 もちろん、もっとも望ましいのは、他
の多くの国公立大学と同じく全学的な意向投票である。 選考会議としても、この意向
の結果は最終選考を自信を持って行ううえで重要な判断材料となる筈である。
すでに完成年度を過ぎて、自立した大学として飛躍せねばならない本学が、万が一で
も、密室での審議、あるいは学外からの圧力によって次期学長候補が決められるような
ことになれば、教職員や学生のあいだに四年前以上の失望と大学への不信感が広がり、
再建の途についたばかりの本学に、計り知れない損失となる。
組合は、両審議会と学長選考会議に、公開された公正な審議と判断を強く期待し、要
望する。
[注] 例えば京都大学を例にとれば、総長選考に関する規則類は、「総長選考会議規
程」「総長選考会議」「総長学内意向投票実施細則」「学内予備投票規程」「学内予備
投票実施細則」と実に五本もある。 名古屋大学でも「総長選考会議規程」「総長選考
規程」「総長選考規程施行細則」と三本。 東大でも同様だし、小さな規模の静岡大学
でも「学長選考会議規則」「選考規程」「学長適任候補者意向投票管理規則」「学長選
考に関する申し合わせ事項」が定められている。 同時に、ほぼすべての大学で「意向
投票」が手続きの最も重要なプロセスとなっていることも注意して欲しい。
4 案内 講演「世界史の中での日本国憲法の意義」
法学館憲法研究所 12月6日(土)
当研究所におきまして開講中の「08秋!憲法を本質的に考えるリレーレクチャー」第4
回講演会を行ないます。度々のご案内で恐縮ではございますが、当研究所主席客員研究
員浦部法穂教授を迎えて、下記のとおり開催いたしますので、ご参加いただければ幸い
に存じます。
(このメールは、2007年若しくは2008年の連続講座、または講演会にご参加いただいた
皆様、並びに憲法オンライン講座をご利用いただいた皆様にお送りしています。)
記
2008年12月6日(土) 15:00〜17:00
「世界史の中での日本国憲法の意義」
講師:浦部法穂氏(名古屋大学教授・法学館憲法研究所客員研究員)
協賛:歴史教育者協議会
【会場】 伊藤塾 高田馬場校(JR高田馬場駅早稲田口より徒歩3分)
【入場料】各回1000円(法学館憲法研究所賛助会員・学生・
伊藤塾塾生500円)
【お問合せ先】法学館憲法研究所(所長:伊藤真)
(窓口)法学館憲法研究所事務局(大川、蓼沼、田中)
以 上
尚、当日会場にて、講演会開催日刊行見込みの
浦部教授の新書籍をご紹介させていただく予定です。
法学館憲法研究所
事務スタッフ 田中恭子
〒150-0031 渋谷区桜丘町17-5
tel 03-5489-2153
fax 03-3780-0130
E-mail info@jicl.jp 又はtanaka@jicl.jp
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11月19日 帰宅前にトイレに入ったところ、「PE廃止を」との悲痛な声を基調にした小さなビラが何枚か張り出されていた。「PE撲滅委員会」なる学生の組織があるようである。
practical englishのために大学が一定の合理的な水準で「ヒト・モノ・カネ」を投じることは、現在の国際化社会においてひとつの合理的選択肢であると考える。
しかし、現在のPE制度は「撲滅すべきだ」という学生諸君の声に共感する。
国際総合科学部だけの一律の500点基準の合理性が欠如し、アカウンタビリティがないと考える[1]。段階的評価システムにすべきなのである。これまで繰り返しこの日誌で主張し、たたき台としての改善策を示してきたとおりである(この間行われた学部の教員アンケートにもそれを書いておいたが、さてどのような扱いとなるのか?)。
さらに、2年から3年への進級要件とすることにも合理性が欠如している。アカウンタビリティ欠如である。カリキュラム体系における合理性がない。Practical englishにコンプレックスを持っているルサンチマンの改革か、その疑念はぬぐえない。単純な宣伝文句としてのPEとなってしまっていないか。実態がまったくわからない。最初のころはPEの実態が報告されていたが、秘密化が進んでいる。聞こえてくる話は、芳しくない。(他方で、国際化の推進で学生が海外ボランティアなどに多く出かけるようになった事例は、身近に聞く限りでは、すばらしいことのひとつだと思われる。)
進級要件と設定し、必修科目として設定していることから、英語以外の諸科目で有能な学生(だからこそ入学できた学生)に対して、恐るべき鞭・絶対乗り越えられない鉄条網と化しているのではないか。それが「PE撲滅委員会」などとして出てくるのであろう。なんとしてでも基準クリアを達成させて上げようという姿勢、そのための手厚い「ヒト・モノ・カネ」の配分がないこと、その実質が実績としてPEに苦しむ学生諸君に行き渡り、当局の暖かい気持ちが染み通っているのなら、「撲滅」を掲げたりはしないであろう。
一般教員、一般代議員は繰り返し、4年前から問題点を指摘してきた。官僚的な上からのシステムだけが、合理的な改善要求に対して、耳を貸さないでもすむようにしている。教授会機能の事実上の廃止という学校教育法違反のシステム(その運用における問題性)だと考えるが、よほど問題が深刻化[2]しない限り、続けられるのであろう。前副理事長(経営最高責任者と学長の二人)が、任期途中でやめたことは何の意味があったのか?現在進行中の4年次生アンケートは、現状打開の上からはきわめて重要なものとなろう。
PEを担当する教員組織は、普通のカリキュラムを担当するコース会議等の教員組織とはまったく切り離されており、PEのクラスの実態は闇の中となっている[3]。「PE撲滅委員会」なる学生の組織のビラの中にはその闇の事情も推測させる文言もあった(PEセンターというまったく独自の組織を作り、PE教員を組織し予算措置した法人の責任者、大学の首脳部、大学教育研究審議会、学部の責任者はPEの17人(?)の教員が担当しているとされる約300近い(?)とされるクラスの実態を当然に明確に認識していなければならないし、知った上で制度を継続しているのであろう)。他の教員の話では研究棟の掲示板にもべたべたと何枚も張られていたという。(今朝は一枚もなかったので、当局により撤去されたのであろう。)
PEだけを理由とする何年もの留年の制度は、教授会審議の上で決められたものではない。どこで決めたか、まさにそれが重要である。改革推進本部、および大学の教育研究審議会で決めたはずであり、それらに席を持つ管理職諸氏は市当局の任命(直接でない場合も制度上から実質的に)であった。
現場の声、一般教員の声を反映できる場としては代議員会が一応の可能性を持つものとして存在する。この教授会を形骸化する代償としての代議員会では、PEの開始直後から、何度も何度も、PEの制度改革の主張が出された。それらの声はすべて無視されてきた。「今はその時期ではない」、「審議の対象としない」と切り捨てられてきた。多くの代議員も諦観の状態にあったというのが、この1-2年の実情であろう。
PE制度導入と同時に入学した学生が4年目を迎えるこの段階になって、いよいよ学生諸君の中からやむにやまれない直接行動が起きてきたということか。
この土壇場の状況は、学生と直接接する教員とその声を反映するコース長たちの「進言」もあってある程度は認識されてきたようであり、4年次生に対するアンケートの準備が進められてきた。そのアンケート用紙は、今朝ボックスに入っていた。「PE撲滅委員会」の決起にあわてたような感じすら受ける。
ともあれ、アンケートを実施するという姿勢は重要であり、学生諸君はしっかりアンケートに答え、自由意見欄にきちんと主張を述べてほしい。学生諸君の声が圧倒的にPE廃止を求めるものであれば、あるいはPEの抜本的改善を求めるものであれば、「学生中心」を標榜する当局も、これまで強硬路線を突き進んできた首脳陣も、無視はできないであろう。まさに、Changeは、学生諸君の真剣な広範な声によって実現する道が開かれよう。
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11月18日 教員組合ウィークリーが届いた。執行部の奮闘、団体交渉に参加した人々の尽力に感謝したい。
大学を良くするはずの改革が、行政主義的に「上から」、「外から」強行されるとき、どのような事態になるか。とことんどん底にまで落ちなければ(下記ニュースにいうところの「暴落」の現実からすれば、本来あるべき姿・長い間の先人の苦労で確立し到達していた伝統的な水準からすれば、すでに「どん底」にまで落ちているとみることもできよう、心ある卒業生はそうみているのではないか、大学にとって研究教育の中心的担い手である教員人件費を中期計画で半減することが決められているとすれば、それだけでも研究教育の厚みが減ることは確実であるが[4])、市当局は理解しないのであろうか?なにがなんでもコストダウン(教員人件費大幅削減)に成功すれば、それでよしと。
これまでもマスコミのランキング報道には興味を持ったことがなく、見たことはないが[5]、下記ニュースによれば、大学ランキングで暴落とか。誰が喜び、誰が手柄としているのか?「任期制」、「教員評価制度」を堅持することで、行政当局(そこから派遣され選ばれた大学経営陣・首脳陣)は何のお咎めもないのであろうが、教員の質の向上、大学の活気ある発展ということではどうなるのであろうか?上記ランキングの変化がその反対のことを暗示してはいないだろうか?
この間も、本当によく仕事をする若手が何名か流出するということを耳にした(文科系に関しては私立K大学、私立R大学)。すくなくともそのうちの二人は、教員組合の活動にも積極的だった人である。特にそのうちの一人は、文科系の人で、教員組合の最も活動的な中心人物の一人であり、能力抜群・業績抜群と敬意を持っている人である。
残念きわまるが、大学教員がより尊重されより敬意を表され、より内発的意欲の湧き出てくる大学、給料・留学条件・定年その他の処遇もよりいい大学ということで移られるのであろう[6]。比較の上で「よりいい条件」だからこそ移るのであろう。新たな大学での能力の全面的な発揮・開花を、その結果としての研究教育業績、社会貢献の業績の充実を、学問文化の普遍的発展のために祈りたい。
新任でやってくる人と流出していく人との全体を見ると、本学に対する研究者の評価が見えてくるということになろう。(神奈川県内に国立の医学部がないなかで、本学医学部は特別の地位にあり、国際総合科学部とは全国的な競争条件が違っている。医学部における他大学への流動性の相対的な少なさは、別にカウントしなければならないだろう)
下記ニュースによれば、「再任審査は、絶対評価に基づき、相対評価は用いないこと」という組合の要求に対して、当局は、“評価者である教員(コース長など)が行った絶対評価のみに基づく。経営判断を加味した相対評価は用いない”ことを明言しました、と。
研究教育の素人による経営判断が再任を左右することになれば、まさに、大学の自治・学問の自由など皆無となる。(「憲法23条」と解説:芦部『憲法』)「経営判断を加味した相対評価は用いない」というのはごく当たり前である。
「評価者である教員(コース長など)が行った絶対評価」には、「教授会が名ばかりのものになってしまった」現在の状態では、すなわち、コース長などの管理職が「上から」、「外から」自由に恣意的に任命できる現状では、危険性はないか?
教員評価のピア・レヴュー制のきちんとした検討がなくてはならないのではないか?
---------横浜市立大学教員組合週報--------
組合ウィークリー
2008.11.18
もくじ
●
教員評価と処遇への反映に関して11月12日に団体交渉を行いました
● 教員評価と処遇への反映に関して11月12日に団体交渉を行いました
ア これまでの経緯
すでに教員組合ニュースでお知らせしましたように、人事当局は9月18日の経営審議会に「(案)教員評価結果の処遇への活用について」を提出、同審議会で審議しました。
この内容は、これまでの折衝等において教員組合が明確に反対を表明してきた重大事項、折衝で話題となっていない事項を含んでいます。そこで教員組合は撤回要求を行ってきました。
10月24日の団体交渉(団交)でも、当局は撤回を拒否しました。教員組合は、拡大執行委員会で検討した結果、繰り返し撤回要求を行うとともに、教員評価結果の処遇への反映等に関する組合提案に対して当局の明確な回答を求めることを目的に団体交渉を行うこととし、11月6日に団交要求書を手渡しました。(以上既報)
そして、11月12日午後6時から団交が行われました。
イ 11月12日の団交での当局回答
団交での当局回答について主な内容は次のようです。他の事項については、今後の交渉の経緯をふまえて後ほどお知らせします。
T撤回問題について
当局は、「(案)教員評価結果の処遇への活用について」の撤回要求には応じられないとしながらも、「9月18日(木)の経営審議会では、『(案)教員評価結果の処遇への活用について』を、教員組合との交渉の際の当局の基本的な考え方として提示し、今後教員組合と協議をすすめ、しかるべき時期に再度、経営審議会に諮ることを確認し了承されたものです」といった趣旨の確認文書を教員組合との間で交わすことについて、今後教員組合と協議することを約束しました。
U評価制度の改善について
当局は、教員評価制度の改善をめぐって労使間で協議すると答えました。そして、教員評価制度に完成形があるわけではなく、今後も問題点を改善していくので、積極的に意見を聞いていくと述べました。
V教員評価結果の処遇への反映について(以下、項目の数字は11月6日付団交要求書『教員組合週報』11月7日付を参照下さい)
1職務業績給への活用・評価方法について
(1)組合要求の「ウエイトは各領域5パーセント以上で教員が自由に設定できるようにすること、1次評価者・2次評価者等から変更を指示されないこと」については、“面談で合意が成立したときには変更することはあり得る。合意できなければ変更を強制することはない”との回答でした。
「(2)従来の昇給ペースが維持されるよう職務業績給を運用すること」については、“従来の給与より下げることはないが、従来同様に昇給させることは、財政上困難である”とのことでした。
「(3)1次評価と2次評価は絶対評価とすること」に対しては、当局はそのようにすると答えました。
2 再任審査への活用の考え方について
(1)評価結果の活用開始時期に関して教員組合は、「評価結果の無い17年度〜18年度の実績については再任審査において資料とすることができ」ないので、「任期の始期は平成20年度からとすること」を要求しましたが、当局はこれを拒否しました。
(2)「再任審査は、絶対評価に基づき、相対評価は用いないこと」という組合の要求に対して、当局は、“評価者である教員(コース長など)が行った絶対評価のみに基づく。経営判断を加味した相対評価は用いない”ことを明言しました。
(3)教員評価結果がよくなかった場合の任期更新に関して組合が提示した案について、当局は、そのまま受けいれることはできないが今後協議を重ねたいと回答しました。
3 教員評価制度の評価結果と昇任について
教員評価結果を昇任審査に用いることは理論的におかしく、大学設置基準(文部科学省令)に反するという組合の主張に対して、当局は、「判断材料の一つとして活用する」と答えました。
4 教員評価不服審査制度について
評価者は不服審査委員会の委員とはならないことを当局は認めました。
不服審査の手続きについては、教員組合作成案(「教員評価結果に対する不服申立の手続きに関する規程(案)」)について、当局は、とくに不服審査委員会の委員を教員の選挙によって選出するという条項について、受け入れがたいと回答しました。また当局は、“不服申立人の指名する者を委員に加える”ことを考えていると回答しました。
5 評価結果の開示について
組合側の「すべての評価を被評価者に開示すること」という要求に対し、1次評価以外は開示すると答えました。
「1次評価、2次評価その他すべての評価について、教員から疑義が寄せられた場合は、評価の理由を文書で回答すること」という組合側の提案に対して、当局の回答は、現段階では未検討であり、今後検討するとのことでした。
ウ 教員評価制度の重大性
以上が、11月12日の団交における当局の主な回答です。教員評価制度は、われわれの労働条件を大きく左右する重大なものです。さらに、それをこえる大きな影響力を持ちます。教員評価制度のあり方は、横浜市立大学の今後の死命を制するものです。
先月発行の『週刊東洋経済』(2008年10月10日号)の「大学ランキング」では、横浜市大は07年の35位から08年は55位に急落しました(ちなみに、首都大学東京の場合は27位から40位に後退)。<http://www.toyokeizai.net/business/industrial_info/detail/AC/df3e627f1ad7956b170131f33362b6f3/page/3/ 参照。>このランキングの信頼性には疑問がないわけではありませんが、本学の順位の下がり方には大きな不安を抱かずにはいられません。
横浜市立大学がかつての栄光を取り戻し、学生・卒業生、横浜市大に寄せてくれる横浜そして日本国内の人々、さらには本学への留学を考えてくれる外国の若者達の期待にこたえるためには、本学が優れた教員を迎え、本学赴任後はその教育研究力量を発展・伸張していけるシステムが必要です。
教授会が名ばかりのものになってしまった現在、教員の意見を集め、それにもとづいて一定の影響力をもつことのできる組織は、ほとんど教育組合だけになってしまいました。
大学や教育・研究について特段の知識と経験をもたない職員と交渉することは、大変骨が折れる仕事です。しかし、教員組合執行部は、教員の教育・研究条件の向上を図るとともに本学の発展に資するための教員評価制度に少しでも近づけるべく、当局と交渉を進めて行きます。教員評価制度等について、組合員の方々のご意見・ご要望をお寄せ下さい e-mail:kumiai@yokohama-cu.ac.jp。
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11月10日(2)
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横浜市立大学教員組合週報
組合ウィークリー
2008.11.7
もくじ
● 団体交渉の要求書を当局に手渡しました
● 団体交渉の要求書を当局に手渡しました
教員組合は、教員の教育・研究条件の向上を図るとともに、本学の発展に資するための教員評価制度の処遇への反映の方法を追究すべく、当局と協議を重ねてきました。ところが、すでに教員組合ニュースでお知らせしましたように、人事当局は、9月18日の経営審議会に「(案)教員評価結果の処遇への活用について」を提出、同審議会で審議しました。そして、その日の午後の組合との折衝で、この文書を初めて教員組合に示し、「経営審議会で了承されたので、今後の協議はこれにもとづいて行う、細部の修正は可能であるが、基本はこれに従う」と述べました。
「(案)教員評価結果の処遇への活用について」の内容は、これまでの折衝等において教員組合が明確に反対を表明してきた重大事項、折衝で話題となっていない事項を含んでいます。そこで教員組合は「(案)教員評価結果の処遇への活用について」の撤回要求をこれまで2度わたって行いました。
ところがこの2度目の撤回要求に関する団交要求書を手渡した、その日の夕方に、人事当局は各教員に電子メールで「(案)教員評価結果の処遇への活用について」を送信しました。
10月24日の団交で、「(案)教員評価結果の処遇への活用について」は、教員組合との交渉の際の基本的な考え方・方針を示したものにすぎず、処遇への活用について今後教員組合と協議するという理由で、当局は撤回を拒否しました。しかし、「(案)教員評価結果の処遇への活用について」は、「考え方」・「方針」とは言い難いほどの具体的なもので、内容上も手続き上も教員組合と誠実な協議を行うことに反するものとなっています。
このままでは、教員評価結果の処遇への反映方法および反映時期について労使間での協議による合意が得られることなく、無駄に時が過ぎてしまうおそれがあります。従来の昇給問題についても未解決の状態がさらに続くことにとなります。
教員組合は、11月30日に拡大執行委員会を開いて検討した結果、次のような団体交渉の要求書を渡して、団体交渉を行うこととし、11月6日に団交要求書を手渡しました。
今回の団交要求書における教員組合の主張の内容は、第1に教員組合との真摯な協議をすすめること、すなわち9月18日の経営審議会に提出した「(案)教員評価結果の処遇への活用について」を撤回すること、第2に、評価制度そのものの改善に向けて労使で協議をすること、第3に教員評価結果の教員の処遇への活用に関する教員組合の主張です。以下に団交要求書(11月6日付)から抜粋します。
T 教員組合は、当局に対し、教員評価結果の処遇への反映方法などについて、教員組合との真摯に協議することを要求します。
1 内容上の問題点について
「(案)教員評価結果の処遇への活用について」は、これまでの教員組合との折衝の内容をふまえたものとはなっておらず、組合と未だ合意に至っていないもの、折衝で全く話題にあがっていない内容、組合が明確に反対を表明してきた内容が含まれています。これまでの折衝の意味を疑わせる内容です。
2 手続き上の問題点について
9月18日の経営審議会に提出した「(案)教員評価結果の処遇への活用について」の撤回を繰り返し要求します。撤回要求をしているのは、教員評価結果の処遇への反映を妨げようという意図ではありません。問題はもっと根本的なものです。すなわち、組合との協議対象となっている事項について、当局の一方的な案を経営審議会にかけて、「基本は決まったからこれに従え」ということを認めるわけにはいかないということです。
教員組合は、10月3日に、この文書を経営審議会で審議したことを撤回する要求書を提出しました。これに対する回答を受け取りましたが、当局は撤回要求には応じませんでした。そこで教員組合は撤回を求める団体交渉を求める要求書を17日に当局に手渡しました。
すると、この要求書を渡したその日の夕方、教員評価委員会事務局(担当者は人事課の企画係)は、各教員に、「教員評価結果を平成21年度から処遇へ活用することに伴い、理事長・学長メッセージと本法人の処遇活用に対する具体的な考え方を、別添のとおりお送りいたします。」とのメールを送信しました。添付ファイルの「(案)教員評価結果の処遇への活用について」は、まさに経営審議会に提出された「(案)教員評価結果の処遇への活用について」と同一文書です。教員組合が撤回を要求している文書を、各教員に送信する行為は、「教員組合と協議する」とは口先だけであって、むしろ教員組合に対し、当局が誠実に協議する意図がないことを示すものといわざるを得ません。
教員組合は、当局に対し、教員評価制度が大学の発展に寄与するための協議を組合と進めることを求めます。そのために、一日も早く当局が「(案)教員評価結果の処遇への活用について」を撤回することを要求します。
U 教員組合は、評価制度そのものの改善に向けて労使で協議をすることを要求します
現在の評価制度には、評価者が選挙で選ばれた者でないこと、また、少数に限られた評価者が、いろいろな専門分野の教員の仕事をすべて評価できるはずがないこと、その他多くの問題が存在するので、引き続き制度の改善に向けて教員組合と協議することを要求します。
また、学校教育法に定められている「重要事項を審議する」教授会の役割が極小に限られている現在の大学の状況は、“法令遵守の原則”に反します。「重要事項を審議する」教授会を実質的に担保した上で、それに応じた評価制度に改善することについて労使で協議することを求めます。
V 教員組合は、教員評価結果の教員の処遇への活用について、まず、次のように行うことを求めます(主要点)。
1 職務業績給への活用・評価方法について
(1)ウエイトは各領域5パーセント以上で教員が自由に設定できるようにすること、1次評価者・2次評価者等から変更を指示されないこと
(2)従来の昇給ペースが維持されるよう職務業績給を運用すること。
(3)1次評価と2次評価は絶対評価とすること
2 再任審査への活用の考え方
(1)評価結果の活用開始時期
評価結果の無い17年度〜18年度の実績については再任審査において資料とすることができず、19年度の評価結果は処遇に反映しないこととなっているので、任期の始期は平成20年度からとすること。
(2)再任審査は、絶対評価に基づき、相対評価は用いないこと
(3)教員評価と再任(同一雇用期間の再契約)について
任期期間中の教員評価結果が毎年度Cである場合は、改善のための働きかけを行うことを条件に1回再任(同一雇用期間の再契約)し、その後の改善状況や改善への取組姿勢から改善が期待される場合は次回(すなわち1回再任後の任期終了時)も再任を可とすること。
※参考[2007年10月31日付「合意書」]
(ア)大学教員としてその能力及び意欲が欠如しており、教育・研究内容やそれらに対する取組みがきわめて不十分で、大学が果たすべき社会貢献について取り組む姿勢が見られず、また大学運営にもほとんど協力が得られないなど、本学の教員として、再任が適当でないと客観的に判断される場合以外は、再任する。(イ)これらの問題がある場合にも、改善のための働きかけを行い、本人の姿勢や行動から改善が期待される場合は再任も可とする。(ウ)なお、(ア)にある「客観的判断」の基準と判断方法、「改善のための働きかけ」方法、並びに想定しうる不服申立・審査制度のあり方に関して、当局と組合との間で、協議を行っていく。3 教員評価制度の評価結果は昇任には用いないこと。教員の昇任は、過去5年間、過去10年間等の一定期間のみの評価ではなく、それまでの研究実績の蓄積に対する評価を基本にして行うべきである。 教授、准教授、助教、助手の資格要件は、大学設置基準(文部科学省令)が定めているが、いずれも研究業績を主とし、ついで教育能力を求めている。4 教員評価不服審査制度を整備すること不服審査委員会の構成は、教員により選出された委員が過半数を占めること。評価者は委員会の委員とはならないこと、その他不服審査の手続きについては、教員組合作成の別添「教員評価結果に対する不服申立の手続きに関する規程(案)」にしたがうこと。5 評価結果の開示について 第1次評価、第2次評価、総合評価をはじめすべての評価を被評価者に開示すること1次評価、2次評価その他すべての評価について、教員から疑義が寄せられた場合は、評価の理由を文書で回答すること 以上
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Tel&Fax 045-787-2320 E-mail kumiai@yokohama-cu.ac.jp
HP-URL http://homepage3.nifty.com/ycukumiai/〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
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11月10日(1) ドイツ出張で留守の間に、卒業生から下記のような意見が寄せられていた。その趣旨に賛成だが、現在の大学運営は、大学教員の意見を吸い上げるシステムを持っておらず、絶望的である。
----------市大も大学憲章を制定すべき:卒業生意見--------
横浜市立大学には大学憲章があるのでしょうか。
たとえば、東京大学には東京大学憲章があり、学術の基本目標、教育の目標、人事の自律性を定めています。また、憲章の意義についても触れ、「東京大学の組織・運営に関する基本原則」であるとしています。
いわば大学の憲法のようなものではないかと思います。横浜市立大学に欠けているのは、大学の骨格を定める大学憲章です。
ある人が市大改革を評して、中間労働者層の供給源にされてしまうのではないかと心配の声を上げていたことが心に残っています。
大学関係者が一丸となって大学憲章を作成し、真理の探究と人類の福祉に貢献することを目的とし、世界最高水準の研究・教育をし、次世代の人間を育て、社会に貢献することを明記するべきだと思います。当然、教員の地位や人事の自立性についても明記し、保障するべきです。
まずは大学の憲法というべき大学憲章をつくることから真の大学改革は始めなくてはならないと思います。
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10月21日 新しい教員組合週報が届いた。昇給と教員評価との関係のあり方など、全教員にかかわる重大問題であり、教員組合の行っていることを広く説明し、理解と意見を求めるものとなっている。昇任問題も、任期制と絡めて出されており、任期制を認めていない教員だけでなく、全教員の身分保障の問題、したがって大学の自由のあり方、学問のあり方にもかかわる重大問題として、全教員が真剣に考えるべきものであろう。
-------横浜市立大学教員組合週報--------
組合ウィークリー
2008.10.21
もくじ
●教員評価をめぐる教員組合の対応と現状に関するご説明
●「昇任人事に関する教員組合の声明」を出しました
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●教員評価をめぐる教員組合の対応と現状に関するご説明
教員評価の処遇への反映をめぐる教員組合と当局との交渉経緯と現
教員評価をめぐる教員組合と当局との交渉結果は非組合員にも影響
2008年10月21日
横浜市立大学教員の皆様
横浜市立大学教員組合
委員長 榊原 徹
教員評価をめぐる教員組合の対応と現状に関するご説明
横浜市立大学教員組合の組合員以外の皆様にもこのプリントを配布
これまでの経緯
教員評価制度は労働条件にかかわるものなので、
教員組合は、これまで処遇への反映について、
ところが、9月18日、経営審議会で「(案)
人事当局は教員組合に対し、
しかし、この文書の内容だけでなく、
そこで、教員組合は、経営審議会に提出した「(案)
にもかかわらず、
撤回を求める理由
教員組合が撤回要求をしているのは、
すなわち、組合との協議対象となっている事項について、
今回の当局の措置を許してしまうと、これが前例になり、今後、
教員組合は、当局に対し、
※ 詳しくは、10月10、18日付教員組合週報(
●「昇任人事に関する教員組合の声明」を出しました
昇任人事に関する手続きが進められていますが、
2008年10月21日
昇任人事に関する教員組合の声明
横浜市立大学教員組合
委員長 榊原 徹
現在、本学では昇任人事に関する手続きが進められています。
任期制への同意を昇任の要件としないこと
教授、准教授等の資格要件は、大学設置基準(文部科学省令)
期間の定めのない労働者に有期雇用契約への転換を強制することは
任期制は大学のために有害である。任期制は,
任期制への同意を昇任の要件とすること、
昇任の人数を制限しないこと
当局は、法人化に際して教授・助教授の人数枠を廃して、
また、助手、助教、准教授は任期更新の回数に制限がある。
昇任人事の申告締切を遅らせること
昇任人事に関する書式が人事課から示されたのは10月中旬である
昇任審査を教授会の権限に戻すこと
研究内容やそれに基づく教育について理解するのは、
以上
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
横浜市立大学教員組合
〒236-0027
横浜市金沢区瀬戸22-2
Tel&Fax 045-787-2320
E-mail kumiai@yokohama-cu.ac.jp
HP-URL http://homepage3.nifty.com/
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10月19日 教員組合週報。
横浜市立大学教員組合週報
組合ウィークリー
2008.10.18
もくじ
●「9月18日に経営審議会に提出した『(案)教員評価結果の処遇への活用について』の撤回の再要求および団交要求書」を提出しました
●「法人固有職員の任期更新に関する再質問書」を提出しました
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●「9月18日に経営審議会に提出した『(案)教員評価結果の処遇への活用について』の撤回の再要求および団交要求書」を提出しました
すでに教員組合週報でお知らせしましたように、教員評価結果の処遇への反映は法的に教員組合との協議事項であり、そのことを当局も認めているにもかかわらず、当局案=「(案)教員評価結果の処遇への活用について」を経営審議会で審議してしまいました。この内容は、これまでの教員組合との折衝の内容をふまえたものとはなっておらず、また、折衝で話題にしていない内容が含まれており、教員組合として到底容認できるものではありません。一例をあげるならば、B評価の場合、職務業績給は1号しか上がりません。これは、基本給(年齢給)とあわせて、これまでの半額しか昇給しないことになります。言い換えれば、従来5年後に得られた給料の額に、10年たたないと到達しないのです。
教員組合は、この文書を経営審議会で審議したことを撤回する要求書を提出したところ、8日にこれに対する回答がありましたが、撤回要求には応じていません。
教員組合は10月16日に拡大執行委員会を開いてこの問題を検討した結果、撤回を再度要求し、教員組合との労使交渉を労働法にそくして行うことを確認するための団体交渉を要求することとなりました。以下のような要求書をまとめ、翌17日に当局に手渡しました。
2008年10月16日
公立大学法人 横浜市立大学
事務局長 田中 克子 様
横浜市立大学 教員組合
委員長 榊原 徹
9月18日に経営審議会に提出した「(案)教員評価結果の処遇への活用について」の撤回の再要求および団交要求書
教員組合は、10月3日に、「9月18日に経営審議会に提出した『(案)教員評価結果の処遇への活用について』の撤回要求」を田中事務局長に手渡しました。8日午前、これに対して、人事当局から教員組合に回答書が示されました
この回答書は、「教員評価結果の処遇への活用は、労働条件に関することであり、組合との協議事項であると認識しています」と述べています。しかし、他方で、「法人の経営に関する重要事項として、教員組合へ提案する基本的な考え方を9月18日の経営審議会に諮りました」と記しており、矛盾しています。
また、経営審議会に「基本的な考え方」を諮ったと書いていますが、諮ったのは「(案)教員評価結果の処遇への活用について」であり、これは細部にわたり、具体的な運用をも規定していて、とうてい「基本的な考え方」とは言えないものです。また、前回の撤回要求書で指摘したとおり、それ以前の折衝において話し合われてこなかったもの、教員組合として明確に反対してきた重大事項を数多く含んでいます。
教員組合が合意していない事項を経営審議会にかけること自体が、「組合との協議事項であると認識」していることに反するものです。これは、誠実交渉義務に反し不当労働行為にあたると言わざるを得ません。
教員組合は、経営審議会に提出した「(案)教員評価結果の処遇への活用について」を、当局が撤回することを再度要求します。
また、労使交渉をめぐる手続きに関して、団体交渉で確認・協議することを求めます。
ところが、上記の要求書を渡したその日の夕方、教員評価委員会事務局(担当者は人事課の企画係)からメールで各教員に、「教員評価結果を平成21年度から処遇へ活用することに伴い、理事長・学長メッセージと本法人の処遇活用に対する具体的な考え方を、別添のとおりお送りいたします。」とのメールが送信されてきました。添付ファイルの「(案)教員評価結果の処遇への活用について」は、まさに経営審議会に提出された「(案)教員評価結果の処遇への活用について」と同一文書です。教員組合が撤回を要求している文書を、各教員に送信するというのは、教員組合を無視する行為といわざるをえません。
教員組合が撤回要求をしているのは、教員評価結果の処遇への反映自体を阻止しようという意図ではありません。問題はもっと根本的なものです。すなわち、労働法上、組合との団体交渉の対象となっている事項について、合意形成に向けて協議中に、当局の案を経営審議会にかけて、「基本は決まったからこれに従え」ということは認められないということです。今回の当局の措置を認めてしまうと、これが前例になり、今後、他の事項についても当局がこのように勝手に「経営審議会で決めた」と主張するようになるでしょう。これは労働者の団体交渉の権利をないがしろにするものです。
●「法人固有職員の任期更新に関する再質問書」を提出しました
本学の職員のうち、横浜市の公務員の身分をもたない職員を法人固有職員といいます。法人固有職員はすべて有期雇用です。つまり期間の定めのない職員はいません。今年の夏以降、ある3年任期の固有職員が、3年の任期を更新しないかのような対応を受けています。
法人化に際して、大学当局は教職員に任期制を導入する際に、繰り返し「普通にやっていれば再任される」と説明してきました。とくにこの職員は一般の職員とは異なる専門職という職員ですから、教員との類似性が高く、今回、任期更新がされないという事態が生じれば、教員の任期更新にも大きな悪影響を及ぼすおそれがあります。
この固有職員に対して、人事当局は3年任期の雇用を更新することについてはっきりした話をしていないそうです。教員組合はこの件について以前質問書を当局に提出しましたが、16日の拡大執行委員会で、再び以下のような質問書を作成し、翌17日に当局に手渡しました。
2008年10月16日
公立大学法人横浜市立大学
理事長 本多 常高 様
横浜市立大学教員組合
委員長 榊原 徹
法人固有職員の任期更新に関する再質問書
教員組合は、任期制・有期雇用が様々な点で大学の発展を阻害することを指摘してきました。ところが、本年夏、12月末に任期更新の時期を迎える専門職の法人固有職員について、当局が更新の可能性がないかのごとき対応をしていると聞き、教員組合は7月23日付で「法人固有職員の任期更新に関する質問書」を作成し、人事当局に提出しました。8月22日の折衝で、口頭での回答があり、9月末までに決定するとの返答を得ました。しかし、未だに教員組合への返答はありません。
すでに他大学で有期雇用でない雇用条件にある場合、本学に転職する上で任期制が大きな支障となっています。もしも職員が更新を希望しているにもかかわらず雇い止めとし、そのことが世に広まれば、ますます本学の職への応募者の数は減り、質も低下してしまいます。
法人化に際し、また法人化以降も、当局は教職員に対して、「普通にやっていれば再任される」と説明してきました。固有職員の中でもとくに専門職は教員との類似性が高く、教員の任期更新への影響を懸念せざるを得ません。
当該固有職員の任期更新について、上記のような教員組合の懸念に関して、当局の文書による回答を求めます。
以上
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横浜市立大学教員組合
〒236-0027
横浜市金沢区瀬戸22-2
Tel&Fax 045-787-2320
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10月14日 「全国国公私立大学の事件情報」(本日付)より。教員評価問題に関する下記の意見に賛成。「教員評価」において重要なことを一切無視したシステムを押し付けようとする憲法違反の大学運営に立ち向かう必要がある。
一切無視したことをまったく理解しようとしない官僚的形式主義。それが、「経営審議会」における審議を経たという当局回答の実態である。
そこでは、「外から」「上から」任命されたことを当然至極に思い込んで、憲法の規定する大学の自治など何も知らないかのごとき態度が横行する。それで、法律の「コンプライアンス」を喧伝している。
法律には憲法は入らないということ、法律とは市の条例や定款、しかもその自分たちの理解する範囲で、ということになっている。予算と人事を握ってしまえば、何でもできる。まさにそれこそ防ごうとするのが、憲法23条なのだが。
教員評価問題に関する当局回答は、私の理解では憲法違反の精神の典型例である。こうした態度を続け、文書を残しているのだから、いずれ「コンプライアンス」問題で厳しい事態になるであろう。また、そうしなければ、大学の真の活性化はないであろう。
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「自由」で「平等」な雰囲気の中でこそ、素晴らしい研究の突破口が開けるのではないだろうか?画期的な成果なんて、決して、研究者のほっぺたを札束で叩けば出てくる類のものではないからである。…
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10月7日 教員組合ウィークリーが届いた。
-----------横浜市立大学教員組合週報------------
組合ウィークリー 2008.10.6
もくじ
● 教員組合学習会が開かれました。
● 「9月18日に経営審議会に提出した『(案)教員評価結果の処遇への活用について』の撤回要求」を事務局長に提出しました。
● 教員組合学習会が開かれました
9月24日(水)に教員組合学習会を開催しました。
はじめに、9月18日に当局から、経営審議会に提出したといって示された「(案)教員評価結果の処遇への活用について」について、その経緯と、今後の対応策を議論しました。
その後、首都大学東京労働組合の副委員長と書記長から、首都大学東京における教員任期制と法人職員の雇用をめぐる組合の取り組みについて話をうかがいました。
本学の法人化に際しては、大学の特性や教育・研究の論理に反する無謀な都立大学の改革が、次々と本学にも取り入れられ、横浜市大は都立大学の次に無茶な改悪を強いられた大学として有名になりました。しかし、今回首都大学では、かなり大学本来の運営に戻りつつあることが報告されました。
首都大学の任期制は、そもそも労働基準法ではなく、教員任期法による任期制で、任期制という点では不当ですが、労基法よりも大学に適したものとなっています。また、首都大学では、昨年度まで法人の事務職員は全員任期制でしたが、本年度から期間の定めのない法人職員の採用が始まり、これまでの任期採用の職員から何名か移行しました。
教員の評価制度についても、首都大学では教員が主体的に決めているので、教員の反発・嫌悪感は本学よりずっと少ないようです。横浜市大の当局案では、評価結果は職務業績給に反映されるため、各年度の評価結果がその後定年までの給料に影響するのに対し、首都大学の場合は次年度のボーナスにしか反映されないという点でまともなものです(人事考課の理論によれば、ある年の業績評価は次年度の給料にのみ反映させるのが妥当で、ある1年の業績評価の結果が定年に至るまでの毎年の給与を左右するのはおかしい)。
首都大学東京では、教授会自治が制度的には破壊されたが、その後実質的には、徐々に復活しているとのことでした。そうしないと大学がうまく機能しないことを当局も認識しているからだということでした。討論の中では、事務職員の管理職と接触の多い教員の管理職が、本来の大学のあり方を説明して、改善すべき点をしっかりと主張していくこと、また、教員の管理職が、学内の主要な会議で、教員組合の合意を得てから行うよう主張することの重要性が指摘されました。
● 「9月18日に経営審議会に提出した『(案)教員評価結果の処遇への活用について』の撤回要求」を事務局長に提出しました。
9月18日に、人事課から「(案)教員評価結果の処遇への活用について」と題する文書が教員組合に示されました。人事当局は、この文書は当日午前の経営審議会に提出したものであると述べ、基本的にこれにしたがって処遇への反映を行うと説明しました。組合側はこれに対し、組合との協議事項について未だ合意に至っていないものを、組合の了承も相談すらもなく経営審議会にかけて、基本が決まりましたというのは、手続き的におかしいことを主張しました。内容を見ても、これまでの教員組合との折衝の内容をふまえたものとはなっておらず、また、折衝で話題にしていない内容が含まれており、教員組合としてとうてい容認できるものではありません。
この問題について、前述のように9月24日の学習会で話し合い、10月2日の拡大執行委員会で検討した結果、以下のような「9月18日に経営審議会に提出した『(案)教員評価結果の処遇への活用について』の撤回要求」を事務局長宛に提出し、経営審議会からの同文書の撤回を要求することを決定しました。そして、翌10月3日に事務局長に手交しました。
2008年10月3日
横浜市立大学
事務局長 副理事長代理
田中 克子 様
横浜市立大学 教員組合
委員長 榊原 徹
9月18日に経営審議会に提出した「(案)教員評価結果の処遇への活用について」の撤回要求
9月18日に人事当局は教員組合との折衝において、「(案)教員評価結果の処遇への活用について」を教員組合に示し、当日午前の経営審議会に提出したと述べた。
そして「(案)教員評価結果の処遇への活用について」の内容について、多少の修正は可能であるが、当局の基本方針であると述べた。
しかし、教員組合との間で折衝中の事項について、教員組合への相談なしに、しかも教員組合が明確に反対を表明しているものを経営審議会に提出することは、誠実交渉義務に反し不当労働行為にあたる。
人事考課制度は、そもそも労働組合との義務的団交事項である。当局はこれを認め、評価結果の処遇への反映は教員組合との合意なしには行わないとこれまで再三にわたり明言してきた。2006年11月30日の団体交渉(「団交の記録」(2007年6月4日確定))、さらに2007年3月16日の教員組合と当局の合意書でも、教員評価結果の職務業績給への反映は、今後における教員組合都当局の協議事項であることが確認されている。
以上のことから、教員組合は、経営審議会に提出した「(案)教員評価結果の処遇への活用について」を、本年10月10日までに人事当局が撤回することを要求する。
以上
なお、上記要求について、組合員の皆さんは各種の文言・用語について以下を参考にしてください。
「労働者の労働条件その他の待遇」は、労働組合と使用者が団体交渉を行って決めることが労働組合法によって義務づけられています。これを義務的団交事項といいます。また、誠実交渉義務とは、使用者が単に労働組合の要求や主張を聞くだけでなく、組合の要求や主張に対して、誠実に回答を行ったり論拠を示したり、必要資料を提示することなどを通じて、合意達成を模索する義務です。また、労働者の団結権・団体交渉権・争議権および組合の自主性などを侵害する使用者側の一定の行為を不当労働行為といいます。
今回の当局の措置は、義務的団交事項に関する誠実交渉義務違反ですから、不当労働行為であり、労働組合法に反するものです。
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横浜市立大学教員組合
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9月22日 教員評価制度に関する当局の提案がやっとでたようである。(教員組合ニュース本日付)
l
ソ連でもそうだったのだろうが、官僚主義的なシステムは、教員組合の主張している本質的な問題点には答えず、形式だけを整えたプランを出してきている。その形式の背後に、実質的な不平等、思想学問の自由への抑圧が潜みうる構造となっている。不服審査の委員会についても、何も前進していないようである。
l
他大学の場合などを正当化の根拠に、A=30% ,B=70%などとしている。仮にそうだとしても、その大学は本学と同じように、まったく教授会の自治がない状態か?
l 管理職のすべてが、上から任命され、下からのチェックを受けないようなシステムか?
l
下からのチェックは、秘密自由の投票によるというのが、民主主義の原則、弱い立場のものも、差別・報復をおそれないで自らの意思を自由に表明するため(それを可能とする)の基本的システムだが、それがあるか? この自由と民主主義の基本がわかっていない人々が経営を行なっているということを示すのが、今回の回答である。
l
国際文化創造コースは、複数候補を秘密自由の選挙で選び、そのなかから当局が選ぶという形(妥協の一形態)で、実質的に一定の民意を確認できるやり方を今回は採用した。それはコース会議の議論を踏まえてのことであった。コース会議への参加も自由であったし、投票も秘密投票であった。まさに、自治的側面のわずかの復活である。
l
他のコースは?学部長は?学長は?研究科長は?専攻長は?研究院長は?
l
問題なのは、教員評価によって、30%と70%の振り分け、実質的差別が、こうした「上から」、「外から」任命された管理職で行なわれることである。誰がいかなる基準によって行なうか、その公正さは何の保証もない。その実質的差別権力により、一挙に、統制システムが強化されるということであろう。
l
当局回答は、30%と70パーセントに振り分けることで何かいいことをしているかのごとき文章だが、それを誰がどのように行なうのかによって、支配は強化される。その支配にチェックが利かない。管理職も、教員評価委員会のメンバーも、すべてが上からの任命である。下からの声を一切封じることが可能なシステムとなっている。利害の関係と統制とが結びつく。これほどひどいシステムはあるだろうか?まったく大学の自治(憲法の意味)がわかっていない(無視している)人々による回答である。(法律の遵守、コンプライアンスがこの間、当局の文書のいろいろの場で使われているが、当局の法律概念では、憲法は除外されているのか?憲法の遵守は、考えなくてもいいのか?教員組合は、この観点から、コンプライアンス委員会に提訴するというのはどうだろうか?)
l
どこの大学と比較しているのか知らないが、他の大学との違いは決定的なのではなかろうか?
l
大学の自由な精神活動は、こうして評価権(年々の評価だけでなく、昇任、あるいは任期更新においても)をもつ人々の上からの任命で、限りなく押さえ込まれることになる。
Ø
SDシートを出し、評価制度に一応参加した人は多い。その人々の中で、自分の評価と管理職・評価委員会の評価が違った場合、不服審査を申し出る人はどのくらいいるであろうか?
l
仮に数が少なくても、不満がないことの証明にはならない。不服を申し出ても、それを公正に審理するシステムがなければ、どうしようもない[7]。
l スターリン体制も、「1930年代、3次にわたる5カ年計画によってソ連をヨーロッパ第一、世界第二の工業国に」し、「国防力を強化した」とされる[8]。その背後で、スターリンの大テロルが行なわれ、農業の強制的強権的集団化で、大変な飢餓が発生し、多くの農民が餓死し、強制移住させられた。
l まさにこうしたスターリン主義的な体制が、確立しつつあるかに見える。
l さて、スターリン体制の場合に見られた一時的なめざましい業績すら、現在のシステムでは達成することができるかどうか?
l 提案する当局は、そんなことは関係ない。「上からいわれたことをやるだけ」。それが今回の「当局案」なるものにも歴然としている。
l 教員組合の闘いは、こうした管理職システム、統制システムと評価との問題性をきちんと批判し、不服審査制度の確立(現在のように教授会が機能していない状況では、自立的組織としての組合が不服審査制度におけるひとつの代表として、審査制度の中に位置づけられなければならないだろう)、大学の自治の回復に向けていくことになるのであろうか。大学がこうした強権的な、下からの民主主義的なチェック機能のない状態で、何年後かに完全に空洞化しても、こうした提案を行なった当局はどこか遠くに去っており、「そんなことは知ったことではない」。
l 以上のようなやり方は、学生に対するPE問題とまったく同じだ。
l 強制のためだけの進級基準。カリキュラム体系における必然性のない進級基準。
l 諸個人の希望・進路・専門分野・実力等々に応じた段階的成績評価ではない、画一的強制。画一的強制は、諸個人の自由の抑圧に他ならない。
l それで学生本位といえるのか?学生本位とは、建物の壁にペンキで、その言葉をおまじないのように書けば達成されるというのか?
l 強制による差別化。
l 強制を民主主義的に正当化するための制度の欠如。
今回の当局提案は、非提出者をマイナス評価するというこれまでの主張にとどまっていない。任期更新や昇任人事においても、SDシートを利用するとしている。この問題の多いSDシートを、きちんと教員組合と協議しないで、そこまで使うということは、正常な労使関係ではないであろう。
教員組合は、今回の教員評価制度において、評価権を与えられている管理職のすべての民主的選挙の制度を、この案を受け入れる前提として要求すべきではないか?
大学自治の憲法的基本原則からして、これが必要だと思われる。
そして、そうした憲法原則にしたがった民主的選挙システムの構築のない限りは、業績給の一律の引き上げ(一号なり1.5号なり2号なり、この数年間の据え置きを考えると4号とか5号)を求めるべきではないか?
これは今回の提案を受け入れるのか拒否するかに関する組合員投票を行なうことにより、決めていくべきことであろう。
拒否する場合、あるいは条件を付けて交渉する場合の条件として、上記のような大学自治回復の制度設計をもとめるということになるのではないか。
その際、国際文化創造コースでやったように、当面の措置として、自治的議論に基づいて、自由秘密投票を行い、複数候補(たとえば上位三名)を選び、そのなかから経営サイドが選ぶ、という妥協的措置が求められるであろう。
そして、業績とは何か、客観的準は何かを関係者の自由に参加する会議で民主的に決めて、その決定の後はそれに従う、というシステムにすべきではないか。ひとたび決めた基準も充分ではない場合、変更すべきである場合は、まさにまた各レヴェルの民主的討議によって決定していくべきではないか。業績がなんであるかをみんなが納得してこそ、公明性、客観性が保障されるのではないか。それでこそ、「働きと業績」が正当に報われる(報酬・給与)、ということになるのではないか。市場原理=等価交換原則=自由と民主主義の交換原則の実現への道が切り開かれるのではないか?
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横浜市立大学教員組合週報
組合ウィークリー
2008.9.22
もくじ
●
9月24日(水)教員組合学習会に参加下さい
●
9月18日に組合に示された 「教員評価結果の処遇への活用について」と題する当局案
●
9月24日(水)教員組合学習会に参加下さい
メールですでにお知らせしましたように、9月24日(水)18:00−20:00に、文科系研究棟5階小会議室にて教員組合学習会を開催しますので、ぜひご参集下さい。
はじめに、教員評価制度の処遇への反映に関する組合と当局との交渉について報告します。その後首都大学東京労働組合の副委員長と書記長から、首都大学東京における教員任期制と固有職員雇用をめぐる組合の取り組みについて話をうかがいます。
●
9月18日に組合に示された 「教員評価結果の処遇への活用について」と題する当局案
9月18日に、人事課から、「(案)教員評価結果の処遇への活用について」と題する文書が教員組合に示されました。これまでの教員組合との折衝の内容をふまえたものとはなっておらず、また、折衝で話題にしていない内容が含まれており、教員組合として到底容認できるものではありません。
例えば、B評価の場合、職務業績給は1号しか上がりません。これは、基本給(年齢給)とあわせて、これまでのおよそ半額しか昇給しないことになります。言い換えれば、従来5年後に得られた給料の額に、10年たたないと到達しないのです。
また、「4 再任審査への活用」9行目に「19年度の実績については、19年度のSDシートを自己申告書に添付することも可とします」と書いてありますが、平成19年度の評価結果を処遇に反映しないことはすでに昨年度団体交渉で合意した事項ですから、教員組合の承諾なしにこのようなことを書くのは、許されるものではありません。
人事当局は、「この文書を18日の経営審議会に提出して了承された」と述べています。組合の合意なしに教員評価結果を処遇に反映することはできないと認めつつも、この文書が基本方針であると述べました。
前年度の執行委員会の時代から行ってきた折衝の多くが徒労であったと思われるほどの不当な内容です。教員組合としては到底受け入れられないので、この案を変更しない限り次の折衝に入ることは困難だと返答しました。
この件について詳しくは、24日(水)の教員組合学習会で報告します。
ご意見を教員組合にお寄せ下さいkumiai@yokohama-cu.ac.jp。
以下、当局が示した「(案)教員評価結果の処遇への活用について」を掲載します。
(案)
教員評価結果の処遇への活用について
■ 平成20年度実施分の教員評価結果から21年度以降の教員の処遇へ活用していきます。
1 教員評価結果の活用対象
処遇反映にあたっては教員評価委員会で決定した評価結果を踏まえ、それを職務業績給、再任審査、昇任審査(推薦)に活用していきます。
(1)年俸(職務業績給部分)
(2)再任審査
(3)昇任における推薦並びに審査
2 教員評価結果割合の考え方
教員評価結果割合の考え方について以下のとおり説明します。
本学の教員評価制度は教員の能力向上と各種活動の活性化を図ることを目的として、年度当初に組織目標を踏まえた個人目標を設定し、年度末に達成状況を評価する制度です。目標とは「成し遂げようとして設けた目当て」のことを指し、現状よりも上を目指すことを意味します。評価制度を運用している組織において、目標に向かって努力し成し遂げている人が大半で、目標よりも業績が大幅に上回っている人は割合として少ないことが一般的です。また、教員評価制度を導入している他の大学においても処遇反映に関する上位割合を30%程度としています。本学の教員評価制度においては、目標を大きく超える水準の職務をこなした場合がA評価であり、法人としては評価結果の割合をAが30%程度、Bが70%弱、Cを若干名と想定します。
3 職務業績給への活用
教員評価委員会で確定した教員評価結果(A〜C)を職務業績給に活用します。
A評価の中から特に優秀な教員を職務業績給(S〜C)のSに位置づけ、昇給幅はS=+3号、A=+2号、B=+1号、C=±0号とし、SDシートの提出がない教員は−1号とします。また、実施要綱により評価対象から除外となる教員は±0号とします。
ただし、A評価の割合が想定する評価割合を大幅に上回る場合(20年度は40%を上限)には、評価結果を職務業績給の反映にそのまま用いることはせず、AとB全員を+1号とするなど、部会別に経営的な判断を加えることとします。
なお、上記のようにA評価の割合が想定する評価割合を大幅に上回る場合でも、特に優秀な教員はS(+3号)に位置づけることを可能とします。
【想定している反映割合】 【Aが想定を大幅に上回る場合】
4 再任審査への活用
教員評価委員会で確定した教員評価結果(A〜C)を再任審査に活用します。
教員評価結果がB以上の場合は再任することとします。ただし、任期期間中にCが続く場合は、本人からの改善計画書の提出を受けるとともに指導や助言等を実施します。その際に改善の見込みがない場合は、再任を不可とする場合があります。改善の見込みがある場合は研修を受講したうえで、取組状況の確認に必要な期間を再任することとしますが、改善が見られず評価結果がB以上とならない場合には、その必要な期間(任期)の次期の再任を不可とします。
評価結果の無い17年度〜19年度の実績については、「任期更新に係る自己申告書」の中で記述することとし、19年度の実績については、19年度のSDシートを自己申告書に添付することも可とします。再任審査は、原則として当該任期の最終年度に実施するため、時期的な都合上、最終年度の教員評価結果は原則として次期任期で活用します。ただし、最終年度に評価を左右する重大な事情が発生した場合には、その評価内容も再任に活用することとします。
なお、年度途中採用の教員については、審査時期がずれる場合があります。
<17年4月当時在職又は採用された教員の一期目の任期更新の時期と評価結果の状況>
|
任期 |
原則更新回数 |
最長 年数 |
17 |
18 |
19 |
20 |
21 |
22 |
23 |
24 |
25 |
教授(学位あり) |
5年以内 |
制限なし |
|
|
|
|
評 |
★ |
|
|
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教授(学位なし) |
3年以内 |
制限なし |
|
|
|
★ |
|
|
|
|
|
|
准教授(学位あり) |
5年以内 |
2回 |
15年 |
|
|
|
評 |
★ |
|
|
|
|
准教授(学位なし) |
3年以内 |
4回 |
15年 |
|
|
★ |
|
|
|
|
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|
助教(学位あり) |
5年以内 |
1回 |
10年 |
|
|
|
評 |
評 |
評 |
★ |
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|
助教(学位なし) |
3年以内 |
2回+1年 |
10年 |
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評 |
★ |
|
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助手 |
3年以内 |
1回 |
6年 |
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★ |
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|
★:任期更新審査年度 評:処遇反映に活用できる評価結果
(次のページに続く)
5 昇任への活用
教員評価委員会で確定した教員評価結果(A〜C)を昇任における推薦と審査に活用します。
部局長等が昇任候補者を推薦するにあたり、これまでの教員評価結果が昇任にふさわしいものであるかを判断する資料の一つとするとともに、昇任審査の判断材料の一つとして活用します。
部局長等が昇任候補者として推薦する基準は、昇任規程及び昇任内規に定める基準を満たした上で、原則として、評価結果がA以上とします。ただし、例外として、評価結果がBであっても、昇任に値する理由がある場合は、昇任候補者に加えることがあります。
(以上 おわり)
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9月19日 「全国国公私立大学の事件情報」(本日付)から、下記を引用しておこう。国立大学も厳しい環境にあることが、わかる。
貴重な教育研究にできるだけ時間を割くことを可能にするのではなく、ほとんど読まれもしない文書の山を築くことに、追い立てられているという。
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国立大学を評価する機関の長は、あの悪名高い東京都教委の委員長
国立大学を評価する機関の会議の出席率
4年前に国立大学は「独立行政法人」化され,各大学にこの制度固有の「中期目標」が課されました.その期間の終了を来年度に控え,これまでにも増して,各大学はそのための書類作成に時間を取られることになります.ところでこの国立大学の「成績評価」を実施するのが「大学評価・学位授与機構」という,これまた独立行政法人なのですが,この組織とその運営には大いに問題があります.このことについて,業界内向けに文章を書きました[註]が,一般の皆さんにも知っていただきたいと思い,このブログにも少しだけ書きます.
この「大学評価・学位授与機構」の審議機関である評議員会の構成を見ると,ほとんどが学長や会長など組織の長が占めているのですが,そのため当然と言うべきか,会議の出席率が極めて悪いのです.一昨年6月から今年の3月までの2年間に開かれた6回の会議のうち4回は出席率が50%以下で,内規で認めた委任状でなんとか成立させているという状況です.メンバーごとに見ると,委員20名のうち8名は(持ち回り会議を除く)出席率が5割を切っています.東大総長や京大総長もこの評議員会のメンバーなのですが,この2人を含む5名は,この間になんと一度も出席していないのです.もしこれが大学の授業なら「履修放棄」で単位ゼロです.(これでも何らかの報酬を受け取っているのだろうかと勘ぐりたくなります.)
次が出欠表です.
http://pegasus.phys.saga-u.ac.jp/UniversityIssues/hyouka/hyogiinkai.html
議事録まで立ち入って見てはいませんが,このような出席状況では熱心さ,真剣さが疑われます.
大学評価機関の長は問題人物
評議員会のありかただけでなく,この組織の長も問題人物です.木村孟というのがその人ですが,彼は「君が代・日の丸」強制で悪名高い東京都教育委会の委員長であり(2008年7月17日現在),石原都知事と並んでこの違憲行為,教育破壊行為の最高責任者です.また彼は,全国都道府県教育委員会連合会の会長でもあるので,最近問題となった大分県教員採用汚職事件と全く無関係というわけでもありません.このような人物を長とする機関が,国立大学全体の「勤務評定」をしようとしているのです.
本来業務を妨げる書類の山
またこの「中期目標」というものがどれほど煩雑なものかは,文部科学省のサイトにあるリンク一覧の,バイト数だけ見れば明らかかも知れません(最長は京都大学の649KB).
http://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/houjin/04042701.htm
仮にこのような種類の文書が必要だとしても,本来の教育・研究に割く時間とのバランスを考えてその分量に節度を設けなければ,むしろ業務の阻害要因になってしまいます.このことは,この仕事に携わる多くの教員が感じているようです.
このような,書類の山を築くことが本来の業務を阻害するという傾向は,小中高などの学校にもあると聞きます.(今問題になっている汚染米流通事件でも,おそらく農水省には,「問題なし」という膨大な調査報告書の山があるのではないでしょうか.)
行政による大学支配
事務量の問題より深刻なのは,すべての国立大学に対する「評価」の作業が,名実ともに文部科学省という行政機関によって行われるということです.これは,メディアと同様,国家や権力からの独立性という,大学が本来持つべき性格を大きく傷つけています.これは国立大学の独立行政法人化以前にはなかったことです.
一部の国立大学関係者は,独立行政法人化反対運動を熱心に行いました.その時,外国の著名な学者からもメッセージを寄せてもらいましたが,そのうちの二人からの文章の一部を紹介しましょう.今もう一度読み返すときだと思います.
ノーム・チョムスキー教授 (マサチューセッツ工科大学)
「しかしこうした不十分な情報しかもたない私の立場からも,この法案は大学とその教員の独立性を損ない,それらを官僚的決定に従属させるのではないかと思われます.そしてこうした従属は単に日本の高等教育と知的文化にとってのみならず,世界における日本の役割の重要性を考えるなら,世界全体にとっても極めて有害なものです.」
全文(原文も):http://pegasus.phys.saga-u.ac.jp/znet/news/chomsky.html
リチャード・ゴンブリッチ教授 (オックスフォード大学)
「提案をよく吟味してみると,『独立』という言葉はほとんど本当の意味を持たず,予見されるのは政府による中央集権的な支配です.そのような制度はたしかに経済効率を改善し,また行政上の形式を整える事にはなるかも知れませんが,大学に対しては,学問の自由と大学の本質的な役割を危険にさらすに違いありません.」
全文(原文も):http://pegasus.phys.saga-u.ac.jp/znet/gombrich.html
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9月13日 PEに関しては、学生の家族や市民、それに卒業生の関心も高いようである。このあたりで本腰を入れて、きちんと問題を整理しなければならないと思うが、さて、どうなるか?
PEの重視はひとつのありうる選択である。ただ、本学のように、異常なやり方は、各方面に無理を押し付けることになる。PEにいろいろの理由で意欲のわかない学生、理数系は好きだが語学系は弱いといった学生などを、PEで縛りに縛り、出席強制(8割以上出なければ受験資格なし、など)の鞭と進級基準のハードルで何年も留年させるなどというのは、総合的な教養教育を打ち出す大学の政策とは思えない。
PEの強制が学生にかけている負担の重さを目の前にしている教員(それを感じる教員)は、いろいろのところで本来の専門教育の面で加減をせざるをえなくなる、など、PEのために、他のカリキュラム体系が影響を受けているのは事実である。そのような多方面の影響を肌身で感じているのは現場の教員である。教育の現場から遠のいている人、教育の現場など知らない人は、何も感じない。知っても、保身のため、だんまりを決め込むだけ。
現場の問題を感じている教員からの生の声を聞かないですむように、学則を変えて、一般教員の発言の権利を奪う。一般教員は、かろうじて代議員を通じて、間接的に現場の状態をつたえることができるだけ。ところがその代議員会も、この間、3年ほど、一切審議を封殺している。意見は聞き置くだけ。
問題が煮詰まってきて、それはさすがに問題かと、今月初旬に、臨時代議員会が開催されることになっていたという。
ところが、提案されるはずの案が、「今年度の4年生だけに適用」というものだったために、頓挫し、結局、代議員会も開催されなかったようである。
一定の前向きの提案なら、このさい、全学年に適用するものとして、練り直し、国際総合科学部の新たなものとして打ち出すべきだろう。
挫折した提案を全学年に適用した場合、どこに問題が出てくるか、それをきちんと煮詰めるべきだろう。そして、一定の基準で、第二外国語の実践的実力でも可とするなど、真の意味での大学らしい制度に変更していくべきだろう。2年生で進級か留年かを振り分けることのカリキュラム全体との整合性がないならば、それも廃止すべきだろう。
何もしないで、このまま行くとどうなるか?
2年次にとどめ置かれている学生は、3年次、4年次と後必然的に2年間大学に在籍しなければならなくなる。たった一つの科目のために。
2年次に留年している学生は、4年間の在学期間に、PE3単位と3年次・4年次の年次指定単位(国際教養系・経営系では3年次ゼミ、4年次ゼミ、理系では?)以外の単位を取得していても、あるいは、せいぜい残るところ24単位程度になっていても、あと2年間、在学しなければならない。それだけの時間、人生の貴重な時間、そして学費・生活費を、強制することになる。
それほどの重みをPEが持つのならば、カリキュラム体系の中で、どのように位置づけられているのか?
TOEFLやTOEICの語学専門の各種学校で普通の人はやれる(その必要性と意欲があれば)ことを、大学でここまで強制力を持たせてもいいという合理的な説明はどこにあるか?少なくとも、私はそのような説明を読んだことも聞いたこともない。
かつても留年生はあった。それもかなりの割合になる場合もあっただろう。就職氷河期にはそれも仕方ない面があった。
しかし、たったひとつの科目だけのために、その強制と縛りのためだけに、1年も2年も、さらにはそれ以上も留年させるという逃げ道のないやり方ではなかった。必修科目があっても、選択必修科目であった。何科目かのうち何科目かをとればいい。科目に対する好き嫌い、先生に対する好き嫌い、得手不得手などによる選択の道、逃げ道、自由意志の働く場所があった。得意を十分に生かす道があった。
かつても外部試験の利用はあった。その場合は、大学内部のカリキュラムに基づく専任教員の外国語教員が基本にあり、内部の試験にいろいろな事情で合格しない場合、英語だけでなく第二外国語も、外部試験において、一定の点数基準以上であれば、大学内部の単位と同等のものと評価するというシステムであった。ここにも、一定の選択の自由性があった。逃げ道があった。それぞれの学生が一定の得意を生かして選択する自由があった。
ところがPEは違う。PEは、息の詰まる統制的画一主義。
教員に対する全員任期制[9]と同じで、必修は、文字通り全員必修となっている。自由度がない。逃げ道がない。まさに、官僚の形式主義・統制主義。スターリン主義。恐るべきことではある。
PEと教員に対する全員任期制の強制と。こんなことをやることができるのは、市当局であり、そこから派遣される官僚。それに追随する一握りの学内者であることは確かだ。大学の自由・自立・自治がないことを象徴するものだ。それをこの間、4年近くにわたって、変更できなかった。
意味はわからないが、それでも、それほどに大学教育全体を左右する重要性を持つと確信するなら、それを繰り返し、学生に説明しているか?
教員にも説明しているか?
少なくともその重要性を解き明かしてくれる人は、いない。そのような説得に時間を費やしている管理職を見たことがない。「決まったこと」と押し付けるのが官僚主義であり、それは見受けられる。
PEがカリキュラム体系全体を左右するほどに重要な科目なら、何回も試験を受けなければならない学生、それに留年させた学生の一人一人に、どのような手厚い配慮をしているのか?一人一人に外国語教師を家庭教師のように貼り付けるほどのことをしているのか?
何回も試験を受けなければならない学生、そして、1年、2年と留年した学生諸君は、その手厚さに感激し、意欲を増進し、能力をアップし、生き生きとのびのびとしているか?
PEを強制してもらってよかった、手厚い配慮があってよかった、これあるが故にこそ、英語の実力がつき、すばらしい大学生活だった、という感想が、吹き出ているか?
アンケートをやるという。学生一人一人の意見を聞く態度は、大切だ。それをやるということだけでも、学生は生き返るところがあろう。
そのアンケートに学生はどのように答えるだろう?
かつて、アンケートはしても、どんな意見を公開するかは、当局が勝手に取捨選択した。
今回は、全回答の公開が求められることになろう。
自由意見欄をこそ、充実する(意見の書きやすいように質問を設定する)ことが大切だろう。
------一卒業生の意見のひとつ------
横浜市立大学の英語教育について一言申し述べます。
受けた経験がないのでわかりませんが、どうもTOEFLなる試験は大学で認定するようなものではないという気がします。希望者が自分で資格を取るべきでしょう。
大学の英語の勉強は、英文法、英文解釈(さらに進んで翻訳)、英作文を中心として教えるべきで、資格を目的とするのは大学教育にふさわしくないと考えます。
生成文法理論、認知言語学等の知識は英語の教職にも必要だと思います。また、翻訳の知識は単なる英文解釈と異なり、日本語の表現力が必要とされます。別宮貞徳、安西徹雄、河野一郎氏などが翻訳の参考書を出しているから参考になるでしょう。また、日本語自体への関心から、池上嘉彦、大野晋、渡辺実といった言語学者の著書に進むことも歓迎されるべきことだと思います。
単なる資格のための教育は大学の外で行ってもよいだろうと思います。学問的な知識に基づいたすぐれた教育実践をすることが大学の英語教育に求められていると考えます。
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9月11日 PEに関しては、国際総合科学部での問題への対処を当局も必要と認め、一定の行動を行なったようである。初年度の人についてのみの特例措置を考えたとされる。しかし、そうした初年度の人だけを特別扱いした制度は、文部省によって認められない、と指導されたという。そうであろう。しかし、すでに、初年度の学生たちには最初から、制度が練り上げられていないため、異例な対応ばかりが続いた。その異例の連続を、どうするか。この際、やはりきちんと制度の見直しをするしかないであろう。
4年間在学のうち2年間留年したものに対して、3月までにPE進級基準をクリアし、しかも100単位を履修済みあれば(すなわち残るのが必修科目および選択科目を合わせて24単位いないであれば)、あとの一年で卒業を可能にする、という制度見直しだというが、それは十分に可能なことだろう。
その際、あくまでもPEだけに(しかもTOEFL500= TOEIC600といった基準だけに・・・この二つの等値も大いに問題があるのに)固執している点[10]が、改めて問題になろう。
外国語は「実践英語」だけでいいのか。TOEFL、TOEICと、あまりにも軽佻浮薄に時流に乗っていないか?
そんな姿勢は、教養ある大学人のとるべき態度か?
同じレベルの第二外国語(ドイツ語、フランス語、スペイン語、中国語など)に代替することはできないのか?
英語帝国主義(逆に英語に対する憎悪の形成)を放置しておいていいのか?
大学側に責任のある制度設計の不十分さを放置して、学生だけに負担をかけ続けていいのか。問題ははっきりと提起されているように思う。
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9月10日 学問の評価・大学人の評価を、官僚的行政的にやってはならない、「2日間の研修」で「一夜漬け」のようにできあがる評価者などが権限を持ってはならない。誰が誰を評価するか、これが根本から問題になる。根本的な学問の自由の憲法的保障の点から、大学の自治が如何に大切かを象徴的に示すものとして、経済学の「ノーベル賞」の問題性に関する次の記事を引用しておこう。
ノーベル賞といっても、きわめて偏ったものなのであり、下記のように違った視角から見れば、どうしようもない視野狭窄に陥って、重箱の隅をつついている類のものである。「経世済民」の学問ではないものが、「経済科学」を称している。
「経済学」のノーベル賞といえるのか。
それは単なる金融工学、単なる金融技術の理論化にしかすぎないのではないか。
そんなものに「ノーベル賞」など箔を与えて(本来のノーベル賞でない物を作って)、軽佻浮薄な風潮を助長したのではないか?
「金融界」(本山氏の言う「金融権力」?)は、それに便乗し(いやノーベル経済学賞自体が、スウェーデン国立銀行をはじめとする金融界の願望からでたものか?)、今日のサブプライム問題の原因の一端を担ったのではないか?
金融的危機を当面、一時的に(せいぜい10年?)、分散する技術の結果、その間に累積する巨大な基礎経済全体における危機(経済実態と金融技術の乖離)が隠蔽される。
アメリカの民、世界の民の経済危機(支払い能力を超えた信用貸付、そのギャップの爆発)が本当に深刻化して初めて、金融技術が隠蔽してきたことが、露呈し、表面化する。
まさに、ノーベル経済学賞の問題性は、今日のサブプライムローン問題に象徴的にあらわれているといえるのではないか?
ノーベル経済学賞にもピン・キリ、アマルティア・セン、あるいは最近ではスティーグリッツのような世界的経世済民を志向する例外もある、という人もいるだろうが。
-------「全国国公私立大学の事件情報」本日付------
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大阪産業大学経済学部教授、本山美彦氏の『金融権力』(岩波書店)によると、ノーベルの兄弟の曾孫、ピーター・ノーベル氏は「『ノーベル経済学賞』はノーベル記念スウェーデン銀行経済学賞に改めるべきだろう」と指摘。
受賞者はシカゴ学派に偏重
さらに、「経済学賞の3分の2はアメリカの経済学者に与えられている。特に、株式市場やオプションに投機するシカゴ学派に与えられている。これらの賞は、人類の状態と私たちの生存条件を改善するというアルフレッド・ノーベルが抱いていた目標とはなんの関係もない。それどころか、正反対のものである」という。…
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9月8日 総選挙が一挙に近づいてきた。そこで問題になることのひとつは、選挙制度。国民の意思を、どのようにすれば、もっとも的確に国政に反映できるか、これが問われる。現在の小選挙区制が大政党有利であることははっきりしているが、それを一歩推し進めようという案を民主党が出しているという。むしろ、中選挙区制や比例代表性の徹底こそが、国民の声の正確な反映を保障するのではないか。
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9月8日(1) 9月4日の「法人評価」のオリジナルが、「全国国公私立大学の事件情報」本日付に掲載されている。全国的な関心を呼んでいる、ということで、そこから引用しておこう。
この法人評価を通読して、個々の教員はどのように感じるであろうか?
すべてを「外から」「上から」取り仕切って、評価しており、白々しい、どこまで実態をきちんと見ているのか、という感じがする。私だけか?
管理職以外の多くの教員はこの存在すらも知らないのではないか?
他の大学でも、「現在の認証評価制度では大学の事勿れ主義も相まって本質的な問題改善にはつながっていないのでないか」という意見が出されている。大学の自治の程度、責任と権限の所在の程度にもよるだろうが、「大学の事勿れ」主義なのかどうなのか?
外部評価の委員は、どれだけ大学の内部を実質に即して知っているのであろう?
「理事長・学長のリーダーシップ」という文言がちりばめられているが、だれがそれを実感しているであろうか? そもそも、それが可能なシステムか?
「理事長・学長」が実質的に「外から」任命されるシステムでは、「リーダーシップ」が感じられない程度の方が、いいのかもしれない。疎外感を持つものにとって、「感じられる」ものは、「外から」「上から」の圧迫だけとなるだろうから。
ともあれ、「リーダーシップ」の基本的意味合いが問題となろう。
プラクティカルイングリッシュなども、実態がどうなっているのか?
インストラクターを増やしたことだけは出ているが、どのように実績が上がっているのか?
データがまったくわからなくなっているので、検証のしようがない。
PEだけをハードルにする2年次進級制度(PE一科目が基準に満たないと進級できない、すでに2年間、2年次にとどめ置かれて学生が出ている制度、彼らが仮に基準点をクリアしても、その一科目だけのために、なお2年間(したがってトータル6年間)は在学しなければならない制度、もしまだ不合格なら・・・)は大学のあるべきカリキュラム体系上、根本的に問題だと考えるが、何の問題もないかのような表現になっている。また、PEで基準点をクリアしても、それがかつてのような英語の論文・作品の読解力にかならずしも結びつかないが、そのあたりのこともどうなっているのか?実践力のある英語力とは、TOEFL,TOEICの一定点をクリアすれば出来上がるものか?
強制された「自己評価」などというものは、自己評価に値するのか。教員評価なども、数の多さ(割合の増加)だけが取り上げられている。その背後にある大学の自治の危機に関しては、何の関心もない。自治体においても、国においても、地方分権・地方の独立性が大きな問題になっている。ところが、大学だけは、逆に、完全な官僚統制下に置かれる、その締め付けのために多くの教員が、閉塞感を抱いている。あるいは、余儀なく順応している。しかし他方で、それにもかかわらず、目の前の学生や社会・学界の提起する諸問題に向き合っている教員が自発的に身の回りでできることには鋭意努力している、という複雑な状況にある。
教員評価の処遇への反映については、教員組合のこれまでの粘り強い主張を一定反映したとみるべきなのか、文言には慎重な表現も見られる。大学の自治の担い手としては、教員組合しかない現状を考えれば、そうした文言に見られる慎重な態度は、大学の「自主自立」を尊重するには必要なことであり、今後の対応を注意深く見る必要があろう。教員組合と当局との交渉を見ていこう。
あれだけ巨大なソ連が、結局は、崩壊した原因は何か。人事・予算・経営すべてを国家(中央)に集中し、官僚が取り仕切る。行政・官僚国家、行政・官僚資本主義、行政・官僚独裁。それと、「事勿れ主義」の結合。
自治を圧殺して、すべてを中央集権化しても、内部は空洞化し、張子の虎にしかならない、ということであろう。そして、気がついてみれば、大きな遅れ。チェルノブイリ事故に象徴される全般的危機。大学にとっての「チェルノブイリ」とは?
とすれば、当面は、目の前の学生や社会・学界・世界の提起する諸問題に向き合っている教員は、大学内の自治・自立の芽を育てる見地、実質的な(運用における)自治・自立の拡大の見地で(定款、学則など、制度的にはがんじがらめ、自治の抑圧の機構なので・・・ex.教員組合ウィークリー7月7日号、7月31日号)、茨の道を歩かざるを得ない。
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■平成19年度公立大学法人横浜市立大学の業務の実績に関する評価結果
横浜市立大学法人評価委員会による2007年度業務実績に関する評価結果を掲載。同大学では学長が任期を2年残したまま辞任したり,理事長も任期を1年残して辞任した。法人の管理運営に関するこれらの問題は,一切触れられていない。もちろん,謝礼問題に関しても根源的な評価を行ったとは言えない内容だ。
因みに,大学法人自らが作成した実績報告書は以下。
平成19年度公立大学法人横浜市立大学の年度計画における業務の実績報告書(平成20年6月)
平成19年度
公立大学法人横浜市立大学の業務の実績に関する評価結果
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さらに,このたび明らかになった大学院医学研究科における学位審査等に係る一連の事態については、後ほど改めて触れるとおり、市民の信頼を大きく損なう極めて遺憾なことである。19年度においては、法人独自のコンプライアンス推進体制を制度として発足するなどの新たな取組も見られたが、結果としては、かなり以前から継続していることでもあり、健全な法人運営の基盤そのものを揺るがしかねない大きな課題が内包されていたと言わざるを得ない。
法人は、自ら設置した「横浜市立大学学位審査等に係る対策委員会」の最終報告を厳粛に受け止め、職員倫理規程の制定、医局運営の透明性の確保、コンプライアンス推進体制の見直しなど、法人全体としての内部統制・管理体制の確立に今後総力を挙げて取り組まれたい。…
[関連ニュース]
■横浜市大法人評価委 謝礼問題で「運営基盤に大きな課題」
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9月4日 外部の委員による大学評価が出されたという(「全国国公私立大学の事件情報」本日付)。そこで書かれていること(さしあたり『読売新聞』記事)は、重大問題化して世間周知のことに関する常識的な評価である。大学自治の根底からの再建に向けたような文言は、記事で紹介されている限り、見出されない。
問題は、この間の大学改革過程とその後に見られた諸問題は、どうなっているか、ということである。大学当局は、「反省する」といったようであるが、新聞報道で見る限り、答申は表面的であり、果たして大学の今後の「反省」の素材となるかは、疑問だ。
この評価をどのように大学のものとするのか、誰が実質化できるように審議を指導し運営していくのか?
教授会を解体し、一般の教員が全員で参加する自治の担い手としての機能が教授会から剥奪されている(これが憲法違反だということはこの間、教員組合などの文書で繰り返し指摘されている)ことから、単なる「お上」からの通知だけ、ということになるのか?
[2] 先週末、ある若手とあったら、「今度都内のH大学に移ることが決まりました」と。こうしてまた若手の一人が去っていく。
一方で、「任期制」、教授会・大学自治の欠如した非合理的な教員評価制度、その評価制度を昇進にまで使うという態度。
ところが、他方で、この間に行われてた昇進人事では行政的仕事をした人だけが特別にプラス点をもらっていること。その傾向がますます強まりそうなこと。
したがって、研究教育の本来の仕事にまい進している(だからこそ「任期制」の強制や不合理な教員評価制度に反対している、「奴隷化」の可能性の強い任期制に反対している)若手教員は、「SDシートを出さないとマイナス一号俸」などが突きつけられると、いよいよ脱出の道を探さざるを得なくなる。
[3] 大学の中に、まったく大学と関係ないTOEFL/TOEIC専門学校がある、という感じである。しかも、PE500点基準の強制力によって、大学のほかの諸科目よりも絶対的に強い圧力を学生にかけることとなっている。大学内にある特殊専門学校が、学部全体のカリキュラム体系を脅かしている、という感じである。
[4] 今回の当局回答でも、教員人件費を減らすことが主要目標になっていることがわかる。この間の教員の退職・流出を一方におき、新しく採用された教員数を他方において比較してみれば、いかに教員数が減っているかがわかるであろう。人件費の枠(総額)は大幅減少のはずである。
「改革」の主たる目標が、数字で明確に把握できる人件費大幅削減ということであれば、それは着実に実現している、大成功、ということになるのではないか?
検証必要。
八景キャンパスでは、わたしの記憶では200名近くの教員がいたはずだが、現在は百数十人ではないか?
こうした教員数(常勤職の教員数)の減少にさらに輪をかけるのが、「任期制」と絡ませた「教員評価制」の強硬姿勢であり、単なる教員数の削減以上の萎縮効果を、大学内部に対して発揮している、といえよう。
全国的な教員数の削減率を調べてみると、本学は飛びぬけているのではないか?
その根拠は、中期計画において人件費50%削減を打ち出しているからではないか。
どんどん教員が減っても、「任期制」と結びつけた「教員評価」を、すなわちやる気の出る評価システムではなく、再任制限をちらつかせた教員評価を主張し続けることができるのは、中期計画の大枠があるからであろう。
意欲があり実績がある人をどうして見つけ出すか、そのピアレヴューシステムの構築とそれによる建設的な方向性ではないところに、現在の問題があろう。
[5] 大学ランキングのあり方はきちんと検討が必要である。
大学評価学会でも、本当の「大学力」とは何か、学会の検討素材にしようとしている。来年春の大会テーマのひとつが、「大学力」である。大学ランキングの作成に携わっている人々を報告者として、議論してみようというわけである。
[6] 本学から5年ほど前に私立C大学に移った若手は1年間の留学をすでに昨年だか一昨年だかに行なっていた。留学制度やサバティカル制度が充実しているということであろう。
若手を取り巻く研究条件の水準を知らなければ、留学条件を整えようという発想も出てこないであろう。
サバティカル制度も、「任期制」と抱き合わせで導入されるとされたが、任期制の締め付けだけは実行され、サバティカルの制度化はまったく進んでいないようである。
若手が意気消沈していくのは必然であろう。
業績に応じた留学条件の整備でなく、「任期制」を認めるかどうかを基準とした留学制度など、誰が喜ぶのだろうか?
公正な評価のためには、客観的な評価基準をそれぞれの活動分野に関して確立していく、ピアレビュー原則をそれぞれの分野ごとに適切に確立していくことしかないが、「上から」、権威(予算、処遇差別を持つもの)から、「外から」の評価でよしとする体制では、それは不可能であろう。ピアレヴュー原則の実現を求める声が、管理職や評価委員会等ででてきているということを耳にしない。そもそも、昨年度に関して、参加率だけは知らされるが、どういった問題があったのかについては一切わからない。
こうした力関係のなかで、「上から」、「外から」決められたことに、従う(余儀ないこととして)ということが蔓延せざるを得ないのであろう。すでに、その「諦観」のなかに、問題が含まれているであろうが、それは上からの圧力の強さとの関係で見る必要があろう。
いかにして、評価の客観性を確保するか、それを議論していくなかでこそ、教員が行なう諸分野の活動とそのあるべき評価とが一定共通の認識になるのではなかろうか?
[8] 富田武『スターリニズムの統治構造』岩波書店、1996、1ページ。
[9] 任期制を受け入れていない教員が定年退職・途中退職で減るに従い、全員任期制は完璧に実現する・・・しかしそのときまでに大学の教員の水準がどうなっているかはわからない、任期更新のハードルに脅かされる教員の比重の増える度合いで、大学の空気はますます閉塞化するのではないか?
すでに首都大学などでも、「任期制」でも公募に応じる教員は、たとえば、博士担当の教授ないし准教授を求めても、その条件に合うような人が応じてこなくて、再募集し、しかも、特定の人を探した上で科目名などもその人にあった形に変えて一本釣りでやっと見つかったという話もある。
しかも、その人は、やはりそれまでの職位が、研究実績などと不釣合いだったという特殊な事情があったがゆえに、招聘が可能になったという。
よい職場・よい職位から悪い職場・悪い職位に移る人はいない。任期制という悪い条件をつけていてなお公募に応じるには、それなりの理由がある、ということである。
何らかの事情で悪い条件にある人を救い出す、というのが任期制の趣旨なら、それもありうる、ということであろう。
法人評価のなかには、手乳汗井戸に関する検討をした、という一節もある。早くそれをリーゾナブルな形にするのも、大学の沈没を回避するためには必要なことであろう。
[10] 入学前にクリアできている人、一年生前期でクリアした人など早々とクリアできた人が、さらにTOEIC700点、800点とまさに実践英語力を強化する手厚い教育システムになっているのか?
どの程度そうした実力アップが図られ、実績として示されるのか?
果たしてデータは?
実践的英語力を高めるということの精神が、そのために手厚い援助をするという精神が、どこまで徹底しているのか?
学生の中の、意欲的な、更なる実力アップを目指すもののために、どのような制度設計があるのか?