第三帝国のシュペーア軍需大臣の回想録
執筆のきっかけは?
研究すべき問題群
事実(過去の経験) と その思いで 相互関係は?
「思い出」は、 はたして、「体験した通り」か?
「体験した通り」とは?
「私の目に見えるまま」とは?
「私の目に見えるまま」が、歴史の本当の姿・真実の姿か?
「私の目に見えたまま」は、実は、ある特定の「色眼鏡」や、ある特定の「角度」や、ある特定の「視野」によるもlのではないか?
「一人の人間が無制限の権力を握ったことが、どんな結果を招いたか明らかにする」というが、「無制限の権力」とはどんな意味合いか?
「無制限の権力」が、実際に機能した範囲・地域・時期は?
「無制限の権力」が、ぶつかった制約・限界は?
1905年生まれ・・・第一次大戦のとき、9歳から13歳。
「前線の一進一退のこと、兵士の苦しみに思いをはせた」(17ページ)、
「焼けつくような共感」から、わざわざ{固い床の上で寝た」(17−18ページ)
大都市の食糧不足と「ハボタンの冬」・・・「まだ平和なころに作られたこちんこちんの犬用のビスケットを、人に隠れてがつがつ食べるようになった」(18ページ)
「マンハイム空襲が度重なるようになった」(同上)
シュペーアのインフレ体験(1923年)
ナチ党への接近・ヒトラー演説・入党
ヒトラーに直接会い、党大会場の設計図を見せ、「よし」と。
ヒトラーの「高い目標」とは?
1935年秋、ワイマールからニュルンベルクへ(党大会)出席のため
その道中の様子・・・・民衆のヒトラーへの熱狂・・・・「経済と外交の成功」
世界制覇の野望=巨大建築=ドイツ人の民衆の自信・誇り・野望
巨大スタジアム建設(1945年党大会の日に完成予定)・・・・その後、
オリンピックは永久にドイツで。
1936年3月のラインラント進駐・・・ロカルノ条約侵犯…最大の賭け
演説…自分で何週間かかけて推敲・最後に後述筆記
軍拡・国家財政をめぐるヒトラー対シャハト
財政収入を超過する軍事費の急増・・・財政の限界に・・・シャハトの軍備拡大抑制(スローダウン)の要求。
ヒトラーの軍拡テンポ継続・・・・シャハト退陣
ヒトラーの日本・日本人観、アメリカ評価
巨大な世界帝国の構想…その首都の巨大な建築群の構想
巨大帝国=ゲルマン帝国の首都の官庁街における植民地省・・・長期戦略としての世界帝国の植民地獲得構想
全国的にも、競争的に、建設計画を奨励。
ゲッベルス夫人の悲劇
ヒトラーと民衆の間の乖離・民衆のなかの幻滅の広がり、ヒトラーの不安(民衆暴動)とその建築への影響
支配のシンボル・・・地球をわしづかみにする鷲
独ソ不可侵条約
ポーランド侵攻
イギリスとの実際の戦争は、「想定外」…イギリスに対する判断ミス・極端な軽視観
1943年7月―9月
軍需生産の全機構がシュペーアのもとに。
1942年が転換点…1942年から1943年にヒトラー変質
ドイツへの連合国空襲の激化、ドイツ敗退の連続、ヒトラーの仕事・過重負担
連合国の主導権…ヒトラー無力状態
ヒトラー・・・・あたかも{虜囚」の生活・・・・孤立化・現実からの逃避
机上作戦
参謀本部の誰彼となくを罵倒・侮辱・・・・・そのなかの何人かが、のちにヒトラー暗殺計画に加わる
フランス、ベルギー、オランダなどの生産能力を活用
軍需生産の基礎・・・基本的諸資源・・・・その確保の決定的重要性
イギリス・「オブザーバー紙」のシュペーア評価とそれに対するヒトラーの態度
1944年5月のアメリカによる大空襲・・・重要生産設備への打撃・・・ドイツ軍需生産の終焉
ロンメルの軽蔑的態度
新兵器・・・V1 への過剰期待
自己暗示…自己信仰・・・・絶え間ない敗北の時代にあっても、勝利の確信を持ち続ける強靭さ
兵器開発…新兵器開発に関するヒトラーの介入
Me262
最終局面・・・・東西・そして空から全面的な連合軍の攻撃
国内におけるヒトラー暗殺計画・・・・挫折
グデリアンのヒトラーへの反論・抵抗
シュペーアが示す避難民の苦難の写真に反応せず…無視
シュペーア、最終の最終局面で「大砲よりバター」の意見具申
ヒトラー対ゲーリング
ヒトラーによるゲーリング侮辱・責任追及
ヒトラー対ヒムラー
ヒトラーによるヒムラー罵倒・非難・・・・・ヒトラーとヒムラー、離反。
ヒトラー対シュペーア
軍需生産の窮迫、絶望的状態、どうするか?だれの責任か?
ヒトラーのシュペーア冷遇、 離反
ヒトラーのネロ命令(連合軍が占領する地域のドイツの生産設備を破壊してしまえ)、
これにシュペーアは反対・・・・その命令無視・否定のために奮闘
ニュルンベルク主要戦犯裁判
判決