経済史講義メモ
宗教改革と資本主義−プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神−
No.15 File kogikeizaishi14-2
最終更新日:2005年2月5日(土)
カトリックとローマ教皇に批判的な勢力
イギリスのウィクリフ(1320?−84?)
チェコのヤン・フス・・・1370?南ボヘミア・現チェコ生まれ、98年プラハ大学で神学講義、1400年司祭、02年プラハ・ベスレヘム礼拝堂の説教師に就任。ウィクリフの考えに共鳴。教会は救いを予定された人々のトン共同体とする予定論から、聖職者・教会の財産所有や世俗化を厳しく批判。これが、主にドイツ人で構成されていたボヘミアの聖職者への批判と結びついて、チェコ人から熱狂的に支持された。08年、フスは大司教によって説教の禁止と聖職停止を受け、11年には教皇から破門を受けた。その後も説教と著述を続けたため、14年の第6回コンスタンツ会議で断罪され、翌15年、火刑に処せられた。
火刑に処せられたプラハ市庁舎前広場とフス記念の像(1990年撮影当時は講義資料として考えていなかったため、背景のフス像が小さい)
(プラハ市庁舎前広場)
(プラハ城)
参考文献
マックス・ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』岩波文庫、その他、各種。
http://opac.yokohama-cu.ac.jp/cgi-bin/opac/cal950.type?data=363904_1_1、
http://opac.yokohama-cu.ac.jp/cgi-bin/opac/cal950.type?data=363904_1_2
http://opac.yokohama-cu.ac.jp/cgi-bin/opac/cal950.type?data=363904_1_3
クリストファー・ヒル『宗教改革から産業革命へ』未来社、1992年
http://opac.yokohama-cu.ac.jp/cgi-bin/opac/cal950.type?data=363907_1_1
「禁欲」に関するウェーバーと別の見方・・・1580年代から1780年代の晩婚傾向
晩婚=何よりも効果をあげた避妊の手段・・・「事実、婚姻前の禁欲が厳格に守られる条件の下にあっては、女性が25,26歳になってから、遅い結婚をすることで、3回ないし4回の出産を回避しえた。このような、婚礼の時に至るまで完璧な独身生活を守るという性生活上の慣習は、ピューリタニズム、ジャンセニスムの禁欲イデオロギーにみごとに合致するものであった。そして、この種の、工業化以前のヨーロッパのいたる所で隆盛を誇ったイデオロギーは、1580年代から1780年代までの間にみることができる。
ついでながら、もしマックス・ウェーバーの所説を信じるならば、この禁欲のイデオロギーは、時代を下って、対照的に小生産者、ないし資本主義の精神の発展に寄与するのである。だが、17世紀、18世紀についていえば、この種のイデオロギーは、おそらくよりよい対象を欠いていたがゆえに、もっぱら若年の男女に厳格な純潔を強要するための口実として利用された。この結果、これらの男女は思春期から結婚にいたるまでの約一〇年間の完全な純潔を余儀なくされたのである。実際のところ、アンシャン・レジームにおいて、村で結婚するにあたっては、生活を営むために、一軒の家を取得するか相続するかしなければならず、そのため、長期にわたって純潔状態のまま、ながく待たなければならなかったらしい。[1]」