経済史A講義メモ

 人類原始史における生産技術の発達・知力等人間的能力の発達社会形態の発展

No.8 Filekogikeizaishi618-25

最終更新日:2002327()

 

 

19世紀における人類社会進化の認識・・・先に引用したフーリエの見解・歴史発達・人類史の大局観[1]

 

 

ルイス・H・モルガン『古代社会』(1877年、ロンドン)[2]

 

第一篇第一章(A(T) 発明や発見をとおしての知力の発達[3]

(T)野蛮時代

(1)   下段階。人類の揺籃期。その本来の限られた住地にすみ、果実や木の実を食料とする。

     この時代に音節語の始まり。を食料に獲得し、また火の使用の知識の獲得を持って終わる。この状態にある諸部族は、人類の歴史時代には発見されない。 

(2)   中段階。魚を食料にし、また火の使用をもってはじまる。人類は原住地から、地表の

     大部分にひろがった。

(3)   上段階。弓矢の発明ではじまり、土器製作技術の発明を持って終わる。いわゆる「地

 理上の発見」で西洋人に発見された当時の南北アメリカのいくつかの部族

(U)未開時代

(1)   下段階。土器製作技術で始まる[4]。次の段階(中段階)にとっては、西と東との2つの半  

球の相異する資源が考慮に入る。

東半球では動物の馴養。

西半球では灌漑によるトウモロコシや植物の栽培。同時に家屋建築における乾燥煉瓦や石の使用

19世紀中頃−70年代で、この段階にあったのは、たとえばアメリカ合衆国のミズーリ川東方のインディアン諸部族。土器製作をおこなっていたが、馴養された動物を持っていなかったヨーロッパやアジアの諸部族

(2)   中段階。東半球では、動物の馴養ではじまり、西半球では灌漑による栽培、建築にお

ける乾燥煉瓦や石の使用で始まる。鉄鉱の溶解方法で終わる。

19世紀中頃−70年代で、この段階にあったのは、ニューメキシコ、メキシ

コ、中央アメリカ、ベル−の村落インディアン。そして、家畜をもってい

るが、鉄の知識をもたない東半球における諸部族である。

(3)   上段階。鉄鉱の溶解、鉄器の使用などではじまり、表音文字の発明、文藝作品におけ 

る書字の使用をもって終わる。未開の上段階にあるのは、ホメーロス時代のギリシャ諸部族、カエサル時代のゲルマーニー族。 

* 発見当時のオーストラリアやポリネシアは、純粋で単純な野蛮にあった。

アメリカのインディアン人種は、発見されたとき、未開の下段階と中段階を、そのほかのいかなる部分の人類よりも詳細に、そして完全に示していた。極北のインディアン、南北アメリカのいくつかの沿岸部族は、野蛮の上段階にあった。ミシシッピ川東方の半村落インディアンは、未開の下段階にあった。南北アメリカの村落インディアンは中段階にあった。

 

第一篇第二章 生活手段の諸技術

 人類の進歩の大きい諸時期は、多かれ少なかれ直接的に生活手段の諸資源の拡大と一致していた。

(1)   かぎられた居住地での、果実または草根による自然的な生活手段。原始時代、言語の発明。このような種類の生活手段は、熱帯的または亜熱帯的な気候を仮定する。熱帯の太陽のもとで、果実や木の実を生ずる森林。

(2)   魚食品。 最初の人工的な食べ物で、料理しなくては、完全に用いられない。がはじめてこの目的のために利用された。(野鳥の狩猟は、人類の生計の唯一の手段とするには、つねにあまりにも不安定であった。)

この種の食べ物によって、人間は気候や場所から独立するようになった。海や湖の岸をつたい、また河の流域に沿って、野蛮の状態にあるあいだに、地表の大部分に広がることができた。

これらの移住の事実について、全大陸で発見された燧石や石器の遺物に豊富な証拠がある。

つぎの時代までの間に、食べ物の種類や分量における重要な増大。

改良された武器、特に弓矢による狩の獲物の不断の増加。弓矢は、槍や戦闘棒の後にあらわれた。弓矢→狩猟の決定的武器であり、野蛮の末期(野蛮の上段階)にあらわれた。弓矢はポリネシア族一般やオーストラリア族に知られていなかった。

魚がいる広大な地域の外部では、すべてこれらの食物資源の不安定性によって、人食い(カニバリズム)が人間の手段となった。

 

(3)   栽培による澱粉質食物

東半球のアジアやヨーロッパの諸部族では、未開の下段階、そしてまた中段階の終わりに近づくまでは、穀草の栽培は知られていたなかったらしい。

反対に西半球では、未開の下段階にアメリカ原住民に穀草栽培が知られていた。彼らは園圃耕作を持っていた。

両半球は自然によって与えられたものが等しくない。

 東半球は馴養に適したあらゆる動物大部分の穀草をもっていた。

 西半球は、栽培に適する一つの、だが最良の穀草(トウモロコシ)をもっていた。

 

未開の中段階のはじめに、

 東半球のもっとも進歩した諸部族が、穀草に知識がなくても肉や乳を与える諸家畜をもっていたとき、彼らの状態は、西半球のアメリカ原住民(トウモロコシや植物を持っていたが家畜を持っていなかった)よりも、はるかに優れていた。

 動物の馴養とともに、セム人種やアーリア人種の、未開人からの分離が始まったらしい。穀草の発見と栽培が、アーリア人種の間では、動物馴養よりもあとである・・・

 (証明: アーリア語のいくつかの方言で、動物のための共通語はあっても、穀草または栽培された植物のための共通の用語がない)

 

耕作(囲まれていない小地面の耕作)囲まれた園圃の地面の耕作田畑の耕作

東半球での園圃耕作は、人間の必要よりもむしろ家畜の必要のためにおこったらしい。

西半球では、トウモロコシとともにはじまった。アメリカではそれは集中的居住と村落生活をもたらした。

 

 穀草や栽培植物のおかげで、人間は食物を豊富にする可能性についての最初の印象をえた。−澱粉質食物とともに、人食いが消える。それは戦時には残存したし、未開の中段階にあるアメリカ原住民、たとえばイロクォイ族やアステカ族の間では、戦闘集団によって実行された。だが一般的な慣行は、消滅していた。

 人食いを、野蛮時代の野蛮人は、捕虜とした敵たちに対して、そして飢饉のときには、友人たちや親族者たちに対して実行した。

 

(4)   肉と乳製品

西半球では、ラマを除いて、馴養に的した動物の欠如。例外的に家禽や七面鳥、その他の野鶏。

東半球において発達した動物の馴養葉、肉や乳製品をたえず供給した。それらを持っていた諸部族は、そのほかの未開人から分離した。→ 脳の大きさのちがい。「アーリア人種やセム人種の優秀さは、大量の家畜の維持のおかげである。」

動物の馴養 → 人類揺籃の地から離れて、ユーフラテ河とインドの平原、アジアの諸草原での牧畜生活へ → 穀草栽培を習得して、西アジアやヨーロッパの森林地帯へ生活圏を広げる。

(5)   田畑耕作による無限の生活手段

諸家畜は人間の筋肉を、畜力でもって補い、もっとも高い価値のある新しい要素である。

ずっと遅れて、鉄の生産は、畜力によって引かれる鉄頭の犂、そして、もっとよい鍬と斧を与えた。

そして、これらのおかげで、従来の園圃耕作から田畑耕作がおこり、それによってはじめて無限の生活手段が保証された。

  → 森林開墾、広い野原の耕作

  → 限られた地域での稠密な人口が可能となった。  

 

 

 モーガン『古代社会』重要部分抜粋[5]

人類史における生命の生産・再生産(家族)の仕方の発達・労働能力の発達・生産諸力の発達・富の形成・その継承相続の欲望 → 家族・社会関係の変化発達、国家の起源

家族形態・・・血族、姻族の親族名称(誰を親と呼び、誰を兄弟と呼び、誰を子供とするか、誰をいとことするかなどの名称体系)のあり方を巡る研究から、家族形態の変化発展を解明。モーガンは、人生の大部分を19世紀中頃当時、ニューヨーク州に住んでいたイロクォイ族のなかで過ごし、イロクォイ族の一つのセネカ部族に養子として迎えられた人物[6]

大局的な対応関係:

野蛮・・・集団婚、  未開・・・対偶婚、  文明・・・単婚

 

現代の考古学・歴史学では

  狩猟・採集の時代→石器時代→青銅器時代等という時代区分を使用(客観的な生産手段・生産様式による時代区分法を採用しているといえよう)

 

古代家族

最 古・・・乱婚を伴っている群生活。無規律(現在または以前の時期に行われる禁制[7]の障壁が行われていなかった)の性交。「たんに兄弟と姉妹が元来は夫婦であったばかりではなく、親子の間の性交さえ、多くの民族では、今日でも[8]なお許されている」。

家族はなかった。嫉妬という障壁は成り立たなかった。

ここでは、人類が乱婚を抜け出し新たな社会形態を作り出す契機としては、母権だけが、何らかの役割を果たすことができた。母権制、親子間性交の禁止へ。(自然淘汰の原理) 部族の中での氏族(母系)の分化へ

 

血族家族(家族の第1段階)・・・もっとも原始的な形態にある家族・・・血縁の兄弟たちと姉妹たちのあいだの交婚制。婚姻制度の範囲が広がるにつれて、傍系の兄弟姉妹たちをしだいに含めた。・・・一集団のなかでの直系傍系の兄弟姉妹たちの交婚

   この血族家族では、夫たちは一夫多妻婚で、妻たちは多夫一妻婚で暮らしていた。

群れは、乱婚(近親繁殖の害が多い、現実の経験)から、血族家族にならなければならなかったが、血族家族は最初の「組織された社会形態」であった。 

 

プナルア[9]家族(家族の第2段階)・・・血縁の兄弟と姉妹たちとの婚姻関係を漸次的に排除した結果としての家族制度(近親繁殖の害の排除)。しかし、傍系の兄弟たちと姉妹たちを婚姻関係のなかに留める。

     兄弟たちは彼らの直系の姉妹たちを娶ることをやめてしまい、氏族組織が社会に対してその完全な結果をあたえたあとでは、彼らの傍系の姉妹たちと婚姻することもやめた。だが、この中間では、彼らは彼らの残りの妻たちを共有した。同じようにして、姉妹たちは、彼女たちの直系の兄弟たちと婚姻するのを止めてしまい、長い期間の後で、彼女たちの傍系の兄弟たちと婚姻するのをやめた。だが、彼女たちは彼女たちの残りの夫たちを共有した。

     未開の中段階のマッサゲタイ族についてヘーロドトスの章句、「各人は一人の女を娶るが、彼らはすべての女たちを共有している」は、対偶家族の端緒を示す。それぞれの夫は、彼の主妻となった一人の妻とむすばれていたが、集団の範囲のなかでは夫たちと妻たちは共有でありつづけた。ヘーロドトスの別の章句、「彼らは、互いに兄弟たちであるために、また親族者たちとして、互いに嫉妬も嫌悪もいだかないために、妻たちを共有している」。

 

対偶家族(家族の第3段階)・・・排他的な同棲を伴わない個々の一対のあいだの婚姻

   「すでに集団婚のもとでも、あるいはさらにそれ以前にも、長短の期間にわたる、ある程度の対偶関係は生じていた。夫は多くの妻のうちに一人の主要な妻(まだ愛妻とまではいえない)をもち、彼女にとって彼はほかの夫たちの中でももっとも主要な夫であった。・・・しかし氏族が発達すればするほど、そして、いまでは互いに通婚できなくなった「兄弟」や「姉妹」の階級が多人数になればなるほど、そのような慣習的な対偶関係はますます強化されざるをえなかった。

    氏族によって与えられた血縁者間の通婚阻止への衝動は、その後さらに力を振るった。こうしてわれわれは、イロクォイ族やそのほか未開の低位段階にある大部分のインディアンでは、彼らの制度に列挙されるすべての親族の間での婚姻が禁止されているのを見るのであるが、通婚禁止親族は数百種にも上るのである。通婚禁止が複雑さを増し、集団婚はますます不可能になり、対偶家族によって駆逐されていった。この段階では、一人の男が一人の女と同棲するが、しかし、一夫多妻制と時たまの不貞は、たとえ一夫多妻制が経済的な理由でまれにしか生じなかったにしても、男の権利であることに変わりはなかった。これに対して女は、同棲の期間中、たいていはきわめて厳格な貞操を要求され、その貫通は残酷な処罰をうける。しかし、婚姻紐帯はどちら側からでも容易に解消できるし、子は依然として母にだけ属する血縁者を婚姻紐帯(ちゅうたい)からますます排除していくことのうちにも、自然淘汰が作用しつづける。血縁関係のない諸氏族間の婚姻は、肉体的にも精神的にも強力人種を生みだした。進歩しつつある二つの部族が混血すると、新しい頭蓋と脳髄は自然に拡大して、両部族の能力を包含するまでにいたる。」[10]

 

   「対偶婚以来、婦女の略奪と購買がはじまる。[11]

 

   家父長的家族(家族の第4の、だが通常的でない段階)

 

 

一夫一妻婚家族(家族の第5段階)

富の増加→直系の子どもたちへの富の伝達の欲望→出自を母系から父系へと変える。財産の直系による相続の設定[12]

 

   財産の創出、保護、享有を主要な考慮に入れて、統治機関と法律が作り出された。財産は、それの生産の手段として、人類の奴隷制度を生み出した。財産所有者の子どもたちによる財産相続の確立とともに、厳格な一夫一妻婚家族の可能性が、はじめて現れた。

   一夫一妻制家族が、子どもたちの父を確保し、氏族、部族の共同所有権を不動産や動産の個人的所有権にかえ、父系親の相続を子どもたちによる排他的な相続にかえた。

 

第四篇 財産観念の発達[13]

第一章        相続の三規則

 「最古の財産観念(!)」は、生活手段の獲得、基本的な欲求と、密接に結びついていた。生活手段が依存している諸技術の増大とともに、所有権の対象が、自然的に多くなる。財産の発達は、このように、発明や発見の進展と歩調をあわせた。こうして、継起的諸時代は、発明の数ばかりでなく、これらから生じた財産の多様さと数量においても、先行の時代と比べて、著しい進歩を示している。

 財産の諸形態の多様性は、占有と相続に関する一定の諸規定の発達をともなわねばならなかった。財産の占有と相続のこれらの規制が依存する諸慣習は、社会組織の状態と進歩によって決定された。こうして財産の発達は、発明や発見の増大と、人類進歩のいくつかの継起的時代を特徴付けている社会制度の改善とに、密接に結びついていた。

 

(T)野蛮の状態における財産

  野蛮人の財産は取るに足らぬものである。粗野な武器、織物、什器、衣服、火打石()、石器、骨器、等が。彼らの主な財産品目である。財産物件が少ないので、所有欲もない。

 土地(=主要な生産手段)は、部族によって共有され、また、共同長屋はその居住者たちによって共有された。

  発明のゆっくりした進歩とともに増大した純粋に個人的な物件に対しては、所有欲が、その芽生えつつある力を育てた。もっとも価値あるものとみなされた物件は、死亡した所有者の霊界での継続的な使用のために、死亡した所有者の墓にうずめられた

 

相続、その第1の大きい規則は、氏族制度とともに生まれたが、この規則は、死者の動産を、その氏族員たちに分配した。実際にそれらは最も近い血族者たちによってつかわれた。だが、財産は死者の氏族に残された。そして、その成員たちの間で分配されたというのが一般的な原則である。

 氏族・・・母系・・・母系相続・・・子どもたちは彼らの母を相続したが、彼らの父とみなされたものからは、何も受け取らなかった。

 

(U)未開の下段階における財産

  主な諸発明・・・土器製作技術、手織り。栽培技術、動物馴養。

(1)   見ぶり言語=人身記号の言語、(2)絵文字、象形的な記号、(3)象形文字、すなわち慣習的な記号、(4)音標力の象形文字、すなわち図式によって培われた音標記号、(5)音標字母、すなわち記述された音声。

   栽培(労働)の発達→耕されている田畑または園圃という財産形成・・土地財産

 

土地は部族によって共有されていたとはいえ、耕地に対する占有権は相続の主体となった個人または集団に、いまや認められた。共同世帯に統合されていた集団が、だいたいにおいて同じ氏族に属し、そして、相続規則は土地が血族関係から引き離されることを、許さなかった。

 

相続。夫と妻の財産および動産は、別々に保有されていて、彼らの死後には、彼らがそれぞれに属していた氏族のなかに、留めおかれた。妻や子どもたちは、夫や父から何も受け取らなかった。

男が妻や子供たちを残して死んだならば、彼の財産は、彼の姉妹たち、その姉妹たちの子どもたち、彼の母方の伯叔父たちが、財産の大部分をうけとるというように、彼の同氏族者(母系氏族)たちの間で分けられた。

妻が夫や子供たちを残して死んだならば、彼女の財産は、彼女の子どもたち、姉妹たち、母の姉妹たちによって相続されたが、大部分は彼女の子どもたちに割り当てられた。 

つまり、いずれの場合も、財産は氏族のなかに残された。

 

財産の種類と量は野蛮時代よりも多かったが、それでもなお相続に関して強い感情を発展させるには、いまだ十分に強くなかった。

 

人類生成発展史における野蛮時代、未開時代の長さについて:

「野蛮の段階、未開の下段階、これら2つの時代が、地球上での人類の全生存の、少なくとも5分の4をおおっている。未開の下段階に、人間のよりすぐれた諸特質が発達し始めた。人格の尊厳、雄弁、宗教的感情、正直、剛毅、勇敢が、いまや性格の一般的な諸特徴であるが、残忍、反逆、狂信もそうである。宗教における自然力崇拝は、人格伸や大霊についての漠然とした観念、素朴な試作、共同長屋、トウモロコシのパンとともに、この時期に属している。それはまた対偶家族をもたらし、また胞族や氏族から組織された諸部族の連合体をつくりだした。人間の向上に、かくも大きく貢献した大きい能力である想像力は、いまや神話、伝説および伝承の口承文学を生み出した。」(『ノート』p.63)

 

(V)未開中段階における財産

 財産。個人の財産の著しい増大と、人々の土地に対する関係におけるいくらかの変化。

 

土地の所有権なおも部族の共有に属したが、いまや一部分は統治機関の維持のために、一部分は宗教目的のために、別個にされたが、またいっそう重要な部分−それから人々がその生活手段を手に入れた−は、同一の部族に居住していた人々のいくつかの氏族あるいは共同体のあいだで分配された。

 諸氏族または人々の諸共同体による土地に対する共有諸共同長屋、親縁の諸家族による占有方式によって、家屋や土地の個人所有は存在を許されなかった

 

相続の第二の大きい規則の端緒・・・財産父系親族者に与え、そのほかの氏族員たちを除外する。父系親族関係と父系親族者は、いまや父系による出自を仮定する。・・・父系親の基礎にあるのは、所与の系統において同じ共通の祖先からの直接の出自による氏族の中の人々の血縁関係である。

 

第二章           相続の規則(続き)

 

未開の上期は東半球で始まった。

鉄鉱石の溶解法。青銅があるにもかかわらず、技術的な目的のために、じゅうぶんに強くて固い金属の欠如によって、進歩がはばまれていた。→ 鉄の発見!これにより進歩急速。

 

(W)未開上段階における財産

 この時期の末には多量の財産が一般的になった。・・・定住的農業、手工業、地方的な取引、外国貿易による。・・・財産は多種類となり、個人的所有権により保持された。

 

人間労働の産物ではない土地(人間労働の大前提としての土地)については・・・古い土地共有のまま(一部においてのみ単独所有)

 

この段階で奴隷制が発生。それは、富の生産と直接的に結びついていた[14]

 

田畑耕作による生活手段の増大した豊富さのおかげで、諸民族が発展しはじめ、一つの統治のもとで、以前には2.000-3.000人にすぎなかったが、いまや数千人がかぞえられた。

もっとも望ましい諸地域の領有のための闘争が、一定の諸地域や城塞化された諸都市における諸部族の集住と、人口の増大とによって、強められた。それが戦闘技術を発展させ、勇敢さに対する報償を大きくした。

 

未開上期のおわりには、所有の二形態、すなわち国家による所有と個人による所有が分離してくる。

古代ギリシャ人にあっては、土地は、なおも一部分が諸部族によって共有され(部族共有) 、さらに一部分が氏族によって共有されたが、土地の大部分が単独に個人所有に入った。

古代ローマの諸部族は、その最初の定住のときから、公有地をもっていた。同時に土地は、宗教的な使用のために胞族(クウリア)によって、氏族によって、また単独に個人によって、保持されていた。 

→部族の公有地、胞族の宗教的共有地、氏族の共有地が、部族、胞族、氏族等の社会的団体の消滅のあと、しだいに私有財産になった。

 

土地所有形態の歴史的発展・・・最古の土地所有は、部族による共有

          耕作の開始の後、部族の土地の一部分が諸氏族に分けられた(各氏族がその分け前を共有・・・氏族による共有)。

      このあと、ときがたつにつれて、個人への土地の割り当てが続き、これらの割当地が、結局は単独の個人的所有に成熟した。

 

富・財産の相続

 未開の上段階における家屋、土地、畜群、および交換しうる物資が極めて多量になった。

   個人的所有によって保有された後、相続が問題となった。

 

     諸家畜は、それまでに知られていたあらゆる種類の財産を一まとめにしたものよりも、もっと大きい価値のある所有物であった。それらは食料に供され、物資と交換され、捕虜たちの買戻しや罰金の支払い、宗教的な生贄に用いられた。諸家畜は、数の限りない増殖が可能である。それらの所有は、人の心に、富についての最初の概念を示した。

     ときがたつにつれて、土地の組織的な耕作が続いた。そこでは、家族を土地と同一視する傾向があり、家族を財産を作る組織にした。

     父や子どもたちの労働は、ますます土地、家畜の生産、商品の製作と合体するにいたり、これは家族を個別化する傾向をとり、子どもたちが生産に援助した財産の相続に対する子供たちの優越的な要求を示唆した。

     土地が財産の主題となり、個人への割当地が個人的所有となるやいなや、・・・死亡した所有者の子どもたちに財産を与える・・・第三の相続規則

     すべての地面が、単独に個人によって所有される財産の主題となりうるということを、田畑の耕作が示したとき、また、家長が蓄積の自然的な中心となったときに、人間の新しい財産の経歴が開始された。・・・子どもたちの父性を確実なものにし、彼らの死亡した父の財産を相続する彼らの排他的な権利を維持するものとしての一夫一妻婚へ[15]

     「財産の差が生じるにつれて、したがってすでに未開の上位段階で、賃労働が奴隷労働と並んで散発的に現れ、そして同時に、その必然的な相関物として、自由人の女子の職業的な売春が、奴隷の強制された肉体提供とならんで現れる。」『起源』p.88. 

 

モーガンの『古代社会』最後の文章:「文明時代に対する判決!」

 「文明時代の出現以来、富の増加はじつにはかりしれないものがあり、その形態は実に多様になり、その使用はじつに広範になり、その管理はじつに巧妙に所有者の利益をはかるものとなったので、この富は人民にとっては統御できない力となった。人間の精神は自分の創造したものを前にして呆然自失している。だがそれにもかかわらず、人間の理知が富を支配するまでに高まり、国家とそれが保護する財産との関係、また財産所有者の(義務)と権利の限界(と)を定める時代がやってくるであろう。社会の利益は個人の利益に絶対優先し、そして両者は正当な調和ある関係におかれなければならない。もしも進歩が、それが過去にとって法則であったように、将来の法則であるとすれば、たんなる富の追求は人類の最終使命ではない。文明時代の開始以来過ぎ去った歳月は、人類の過去の生存期間の一断片でしかない。今後来るべき時代の一断片でしかない。・・・行政における民主主義、社会における友愛、権利の平等、普通教育は、経験、理知、知識が着々と到達を目指している次代のいっそう高度な社会段階への道をひらくであろう。その社会段階は、古代の氏族の自由、平等、友愛の復活‐ただしより高度な形態での‐となるであろう。」(『古代社会』岩波文庫版、下巻、389390ページ)



[1] 「フーリエの、社会の歴史に関する見解は構想雄大といっていい。彼は今日までの社会の全過程を、未開野蛮家父長制文明の四つの発展段階に分ける。」エンゲルス『空想より科学へ』岩波文庫、p.43 

[2] マルクスはモルガンの著書を半分くらいに抜粋要約した。以下の講義メモは、そのマルクスの『古代社会ノート』邦訳、未来社、1976年から、講義用に若干抜粋したものである。

[3] 頭脳の発達の基礎となるのは生活諸条件獲得のための人間の営為。歴史貫通的原因!

[4] 燧石や石器は、土器製作よりも古く、古代の居住地では、しばしば土器を伴わずに発見された。

[5] エンゲルス『起源』岩波文庫による補足。

[6] 『起源』の最新訳(土屋保男訳、新日本出版社、1999)の解説(浜林正夫)によれば、モーガンはニューヨーク州で生まれ、1844年弁護士資格を得て事務所を開いた。

「アメリカの原住民であるインディアンは、1830年の強制移住法によって西部に追いやられ、東部に残った人々も差別と貧困に苦しんでいたが、白人の中にもインディアンに連帯する動きがではじめていた。そして、インディアンの土地を買収しようとした土地会社とのトラブルに、弁護士としてモーガンはインディアンの側に立って交渉にあたり、結局、土地買収を阻止することに成功した。この成功によって、モーガンはインディアンから多いに尊敬されるようになり、イロクォイ族の一つであるセネカ族の養子という身分を与えられた。養子というのは、氏族以外のものを氏族員として受け入れることである。」同書、p.288.  

18611868年共和党下院議員、6869年上院議員。『古代社会』等の現じ人類史、原始家族史の研究成果が認められ、1875年アメリカ学士院の会員に推され、80年にはその会長に選ばれた。その翌年、64歳で没。

[7] 「禁制」(タブー)の観念も一つの障壁。タブーとしての「近親相姦」観念の形成は人類がある発達段階に達して獲得した歴史的なもの。地球はある意味で「横倒しの世界史」の現象を示す。19世紀70年代でも、つぎの注に見られるような古い制度慣行が例外的に残存し、したがって近代的一夫一妻婚と並存状態にあった。

[8] 「今日」とは、つぎの意味。バンクロフト(『北米太平洋岸初秋の原住人種』1875年、第一巻)は、ベーリング海峡沿いのカヴィアト族、アラスカ近くのカディアク族、英領北アメリカお口のティンネー族について、これを報告している。ルトゥルノーは、北米のチップウェイ・インディアン、地理のクークー族、中南米のカリブ族について、同じ事実の報告を集めている。エンゲルス『起源』岩波文庫、p.48.

イランのパルチア族、ペルシャ族、黒海北岸のスキタイ族、中央アジアのフン族、等などに関する古代のギリシャ人やローマ人の説話も、これを報告している。同上、p.49.

[9] 1860年ホノルルのある裁判官が伝えたハワイの血族名称体系の表に添えた手紙の文章・・・「プナルアの親族関係は、むしろ2重的である。それは二人またはそれ以上の兄弟たちが彼らの妻たちを、または二人またはそれ以上の姉妹たちが彼女の夫たちを、互いに共有する傾向があった事実から起こった。だが、この言葉の現在の用法は、親友または親しい仲間のそれである。」

[10] モーガンからのエンゲルスの引用。『起源』岩波文庫、pp.62-63. 現代世界は、経済関係、文化関係、人間関係のグローバル化の進展を通じて、かつては見られなかったほどに婚姻関係をもますます世界的なものグローバルなものにしている。現代世界は、諸人種・諸民族の「混血による新しい頭蓋と脳髄」の拡大を人類史上、かつてないほどに飛躍的に拡大しているといえるかもしれない。人種・民族・国家のこれまでの枠組みは、人間移動、人間関係のグローバル化の進展度に応じて、根底から変革・破棄されていき、新しい高次元の人類が形成されていくということか。しかし、人種、民族、国家の枠組みの変化がいかに多大の痛みを伴うかは、現代世界の無数の悲劇が端的に示している。現代人が直面している巨大な課題の一つであろう。

[11] 同上、p.64.

[12] 「未開の下位段階まで、永続的な富は、家屋、衣類、粗野な装飾品、食料の獲得と調理のための道具、すなわち小舟、武器、ごく簡単な什器にほぼ限られていた。いまや、馬、らくだ、ロバ、牛、羊、山羊、豚の畜群という形で、前進的な遊牧諸民族―インドの五河地方(パンジャブ地方)とガンジス河地帯等にいたアーリア人、エウフラテス河とティグリス河の流域にいたセム人―は、わずかの見張りとごく大雑把な世話をしさえすれば、ますます大量に繁殖して乳や肉の食料をきわめて豊富に供給する財産をもつにいたった。・・・この新しい富は、当初は、氏族のものであった。しかし、畜群の私的所有はすでにはやくに発展したに違いない。・・・確実なのは、正史の入り口では、畜群がすでにいたるところで家族首長の単独財産であったのが見いだされる、ということである。未開期の工芸品、すなわち金属器、奢侈品、そして最後に人間家畜―奴隷、とまったく同様に。」エンゲルス『起源』岩波文庫、p.72.

[13] 財産の発達と財産観念の発達の関係・・・現実の発達とそれに関する観念の発達。財産の存在しないところに財産の観念はない。財産の史的形成に対応しつつ財産観念が歴史的に形成され、さらに財産に関する規則・法律などが発達する。

 財産は過去の労働の産物である。財産は生産の結果・成果であり、同時に、新しい生産における客体的要因、必要前提条件である。肉体的精神的労働の生産力(人間的能力)の発達は、生産手段・労働手段という客体的要因の蓄積と相互関係にある。

現代世界においては、生産手段・労働手段という財産・資産の圧倒的部分を所有するのは(したがってまた生産の圧倒的部分を担っている、ないし支配しているするのは)民間の私企業である法人企業である。

現代世界の最先端を行く国々における就業者のなかの圧倒的部分を構成する雇用者・サラリーマン(具体的にはたとえば、日本・・・以前の講義資料で示した就業者・雇用者構成の表を見よ)は、生産手段・労働手段(=資本)の所有者ではない。その意味で、また、その限りで、人口の圧倒的部分を構成する雇用者は無産者である。

雇用者・サラリーマンが自らの肉体と一体化して所有しているものは、仕事をする能力であり、肉体的精神的労働能力である。生産・仕事・労働の現代化は、精神的労働・頭脳労働の比重を日々増大させている。

科学技術の発展は、労働の知的精神的性格、そのウエイトの増大と併進する。教育・研究の高度化(一世代前と違って、いまや大学院の比重がかなり大きくなっている)、大学進学率の上昇、大学院生の増加はその具体的な証拠。現代の労働の現場、仕事場は、大量の人間がともに働き、精神的交流・情報交換をおこないつつ仕事をする共同組織・社会的組織となっている。

現代の生産システムにおいて、その全体に対して決定的に重要な主体的要因=人間の労働の意義(したがって人間の労働能力の意義)について、現代法人企業、その経営者陣は、「青田買い」などによる人材獲得の行動でその自覚を表明している。しかし私的企業間での人材の取り合いは、社会全体の人間的能力を増大させるものではない。A社が優秀な人材x人を取れば、全社会の人材資源からx人が差し引かれ、A社以外の会社は残りの人材源から必要な人員を確保しなければならないだけである。

各個人の側からすれば、みずからの仕事能力の蓄積・充実・発展こそ、自己利益であると同時に、いかなる会社組織・社会組織においても有用なものとして、自己実現が可能になる前提、必要条件だということでもある。自らの肉体的存在と切り離せない個人的力能こそが、生産・職業活動の客体的条件(生産手段・資本)を所有していない現代の圧倒的人間にとっての富である。自己利益の実現と社会的利益の実現の共通前提の一つが、自己の能力の開発であることは確実ではないだろうか。

その意味で、全社会的に必要なことは、優秀な人間をできるだけ多く育てることである。優秀な人間とは、たとえば、機械的受動的ではない人間であり、能動的建設的人間、自分の頭・自分の全身・全生命で思考し、それぞれの分野・それぞれの持ち場で現代の到達点を乗り越え、新たな境地を創造する人間だといえよう。歴史の発展を総括すれば、まさに求められる人間類型は、人類史の今日的到達点を総括的に把握し、その法則性を掴んで行動する能動的建設的人間の類型ではなかろうか? だが、「人類史の今日的到達点」とはなにか? 

それをこそ深く体得しなければならないが、その場合に、生産手段の発達、労働手段の発達、知力の発達、これらに対応した社会関係と社会形態の進化という人類史を貫く太い一本の赤い糸=法則性を洞察しながら、多様な具体的な史実の相互関係とロジックを認識し、理解することが求められるであろう。

[14] 「下位段階の未開人には、奴隷は無価値であった。したがってまた、アメリカ・インディアンも征服した敵を、ヨリ高次の段階で行われたのとはまったく別の方法で取り扱っていた。男は殺されるか、または勝利者の部族に兄弟として迎え入れられるかした。女は娶られるか、またはその生き残りの子と一緒に、同じく養子に迎えられるかした。人間の労働力は、この段階では、まだその生活費用をこえる剰余をいうにたるほどもたらしはしなかった。」 エンゲルス『起源』pp.72「牧畜・金属加工・機織り、そして最後に畑地耕作の採用とともに、事情は変化した。以前にはあれほど容易に得られた妻が、いまでは交換価値をもち、買われるようになったが、労働力についても、特に畜群が最終的に家族所有に移行して以来、同様のことが生じた。家族は家畜ほど急速には増加しなかった。家畜を見張るためには、もっと多くの人間が必要となった。戦争でつかまった敵がそれに利用され、そのうえ彼らは家畜そのものと同様に繁殖させられたのである。」同上、p.73.

 対偶婚時代に、実母と並んで公認の実父・・・当時の家庭内分業によれば、食料の調達とそれに必要な労働手段の調達夫の仕事であり、したがって、労働手段の所有もまた夫に属していた。妻はその什器を保持。当時の社会慣行によれば、夫は新しい食料源泉である家畜の所有者であり、またのちには新しい労働手段である奴隷の所有者でもあった。

  父から子への富の継続・相続の欲求・・・母系氏族の打破。一夫一妻婚と富の所有者としての「男性の独裁」。

 「富が増加するのに比例して、この富は、一方では、家族内で男性に女性よりも重要な地位を与え、他方では、この強化された地位を利用して、伝来の相続順位を子に有利なように覆そうとする衝動を生み出した。・・・母権制による血統が覆られなければならなかった。」同上、p.74.

 現代の男性の圧倒的多数は、生産手段・富の物的源泉を所有しない。男性の側に「男性独裁」の物的基礎が残っているとすれば、家計所得の「単独稼ぎ手」ということであろう。しかし、その割合は女性の社会的進出(稼ぎ手としての能力・ウエイトのたかまり)によってますます低くなっている。

[15] 婚姻は便宜婚。ここでの「単婚は決して個人的性愛の果実ではなかった。」「一夫一婦制が歴史に登場するのは、けっして男女の和合としてではなく、・・・一方の性による他方の性の圧制として」である。『起源』岩波文庫、p.86.