経済史A講義メモ

   社会的分業の発達史と商品・貨幣の発達史−それらを前提とした前期的資本−

No.9 File kogikeizaishi702

最終更新日:2002515()

 

 

未開時代から文明時代への移行・氏族制度解体の一般的経済的諸条件[1]

  1.分業・交換の発生・規則化・恒常化[2]と商品・貨幣の発生・発展

 

2.生産物・生産手段の私的所有の発生・発展・・・氏族制度の基礎的前提の解体

 

 

 

氏族は、野蛮時代の中段階に発生→野蛮時代の上段階に発展→未開時代の下段階に全盛期 

 

未開時代の下段階

    部族はいくつかの、たいていは2つの氏族にわかれていた(・・・本源的氏族)。

     → 人口の増加

     → それぞれの氏族がいくつかの娘氏族に分裂。

       母氏族は、娘氏族に対しては、胞族として現れる。

       部族自体もいくつかの部族に分裂し、その諸部族のそれぞれの中に、おおかた古い諸氏族がふたたびみいだされる。

  

     支配と隷従、部族と氏族との異なる階級への分裂は存在しない。

 

 人口: 人口はきわめて希薄である。人口が稠密なのは部族の居住地だけで、その周囲には広大な地域にわたって、まず狩猟地帯があり、つぎにその部族を他の諸部族から隔離する中立防衛林がある。

 両性関分業: 分業は純粋に自然発生的である。分業は両性のあいだに存在するだけである。男子は戦争し、狩猟と漁労にでかけ、食物の原料を手に入れ、これに必要な道具をつくる。女子は家事と衣食の用意とに従事する―つまり料理し、織り、縫う。両者はどちらも自分の分野で主人である。男子は森の中での主人、女子は家庭の中での主人である。どちらも、自分がつくって使う道具の所有者、つまり男子は武器、猟具の所有者女子は什器の所有者である。世帯は、幾つかの、往々にして多数の家族の共産主義的世帯である。共同で作って利用する物、つまり家屋、園圃、長艇(カヌーなど)共同財産である。

 

「多数の家族の共産主義的世帯」に関する原注: 特にアメリカの北西海岸でそうである―バンクロフト参照。・・・ハイダ族では、一つの屋根の下に700人におまでも及ぶ人が住んでいる諸世帯がある。ヌートカ族では、諸部族(正しくは「諸氏族」)全部が一つの屋根の下に暮らしていた。

 

馴養動物の発見・飼育・・・アジアでは人間は飼い馴らすことができる、そして飼いならした後でさらに飼育することのできる動物をみいだした。野生の雌の水牛は、狩で捕らえなければならなかった。だが飼い馴らした雌水牛は、毎年、1頭の仔牛と、そのうえミルクをもたらした。多くのもっとも進歩した部族―アーリア人、セム人が、まず家畜の飼い馴らしを、後にはただその飼育と見張りだけを、彼らの主要な労働部門とした。遊牧諸部族が爾余の未開人の群れから分離した。― 最初の社会的大分業

  遊牧部族は、爾余の未開人よりも多量の生活手段を生産したばかりではなく、爾余の未開人のものとは違う生活手段をも生産した。彼らは、ミルク、乳製品、肉をより多量にもっていたばかりではなく、獣皮、羊毛、山羊毛、また原料の分量が増えるに連れて増加する紡糸と織物をも持っていた点で爾余の未開人にまさっていた。 そのことによって、

規則的な交換がはじめて可能となった。・・・それ以前は部族内部例外的な交換のみ。

 遊牧諸部族が分離したあとでは、異なる部族の部族員のあいだの交換のための、そしてこの交換規則的な制度として形成され確立されるための条件が、すべて備わっているのが見いだされる。

 最初・・・部族間交換=部族と部族のあいだの交換・・相互の氏族長たちを通じて交換。

 ついで、畜群が特有財産(私有財産)に移っていき始めると、個別交換がしだいに優位を占め、ついには唯一の形態になった。

 遊牧部族がその近隣部族と交換して引き渡した主要な物品は、家畜

 家畜は、他のすべての商品がそれでもって評価され、またどこにおいても他の商品と引き換えに好んで受け取られる商品となった。

              要するに、家畜は、すでにこの段階に貨幣の機能を獲得し、貨幣の役を務めた。商品交換の発端においてすでに貨幣商品に対する欲求が、こういう必然性と速さをもって発展した。

 

 

貨幣は、規則的・恒常的・大量的な交換の必要が発生してくるとともに、規則的・恒常的・普遍的な交換の用具として、ある特定の商品が選ばれることから発生

・・・このことに関して、アダム・スミス『国富論』に面白い叙述がある[3]

 

「社会の未開時代には、家畜が商業の共通の用具であったといわれる。そして家畜はきわめて不便な用具であったには違いないけれども、それでも昔はしばしば物が、それと交換に与えられる家畜の数に応じて評価されたことをわれわれは知っている。」として、ホメロスの『イリアス』(岩波文庫訳、上、193194ページ)を引用している。

すなわち、「ディオメデスの鎧(よろい)は牡牛9頭にしか値しないのに、グラウコスの鎧(よろい)は牡牛100頭に値したとホメロスはいっている」と。そして、エチオピア、すなわち「アビシニアでは塩が、インドの沿岸のある地方では一種の貝殻が、ニューファウンドランドでは乾燥した鱈(たら)が、ヴァージニアではタバコが、われわれの西インド植民地のあるところでは砂糖が、他の幾つかの国では生皮またはなめし皮が、商業と交換の共通の用具であるといわれている。そして、今日でもスコットランドのある村では、職人が貨幣のかわりに釘をパン屋や酒場にもっていくことが珍しくないという話である」と。

 

モルガンも『イーリアス』から、貨幣の発生の歴史を示す別の箇所を引用している。そこでも、牛が取り上げられている。

すなわち、貨幣といっても鋳造貨幣は知られていなかった当時、取引は、ほとんど物々交換だったことについて、しかし、葡萄酒が多様な商品・財の等価形態(多様な商品が共通に自己の価値を表現するものとして)として選び出されている事実について、次のように言う。

 

「そのときから、長髪のアカイア人は葡萄酒を買うようになった。

 あるものは青銅で、あるものはひかる鉄で。

 あるものは牛皮で、またあるものは牛そのもので、

 あるものは奴隷で」(『イーリアス』VII472-75)

 

 

貨幣発生史:若干先取りすることになるが、貨幣の発生史にここで触れておこう。

貨幣の本質はまさに、多様な商品(商品所持者、商品交換関係者)が共通に自己の(所有する生産物・商品の)価値を表現するものとして選び出さした特定の商品というところにある。貨幣商品は人間活動、歴史の産物(分業と交換の産物)であり、貨幣は、商品種類が増えた段階でたくさんの商品が自己の価値を共通の尺度で表現する一般的等価の形態である[4]。 

いかなる商品が貨幣に選ばれるか、これは商品交換関係・市場関係の地域的空間的発展・広がりと関係する。

 

貨幣商品として、商品世界の無数の財貨の中からなぜ金属が選ばれてくるか、特に貴金属が選ばれてくるかに関するアダム・スミスの説明: 

交換の用具として、「不可抗的な理由で、他のすべての商品にまさるものとして金属を選ぶ」ことになった。なぜなら、

「金属ほど腐敗しにくいものはほとんどないから、保存(保存可能性・蓄積可能性)しても損失を招かない点では金属は他のどんな商品にも劣らないばかりでなく、同じようになんの損失もなしにどんな数の部分にも分割できる(分割可能性)し、しかもそれらの部分を溶解によって容易に再結合することができる(結合可能性)のであって、この性質は同じような耐久性を持ったほかのどんな商品にもないものであり、他のどんな性質にもまさって金属を商業と流通の用具に適したものとするものである。たとえば、塩を買いたい人がそれと交換に与えるものを家畜以外には何も持っていないものとすれば、彼は一度に牡牛まる1頭ぶん、または羊まる1頭ぶんの価値だけ塩を買わざるをえないにちがいない。彼がこれよりも少なく買うことはめったにできないだろう。なぜなら、彼が塩と引き換えに与えるべきものは、損失なしには分割できないからである。また、もし彼がそれよりも多く買う気があるとするなら、同じ理由で、2倍か3倍の量、すなわち2頭ないし3頭の牡牛または2頭ないし3頭の羊の価値だけ買わざるを得ないにちがいない。」・・・・分割不可能性

ところが、「逆に、もし彼が羊や牡牛のかわりに、塩と引き換えに与えるべき金属を持っているものとすれば、彼が直接必要としている商品の正確な量にその金属の量を容易につりあわせることができるだろう。」そこで、「さまざまな金属がさまざまな国民に酔ってこの目的のために用いられてきた。古代スパルタ人の間では鉄が、古代ローマ人の間では銅が、そしてすべての富裕で商業的な国民の間では金と銀が、共通の商業用具であった。[5]

 

金属貨幣の発達史・・・最初は粗製の延べ棒。

「プリニウスが古代の歴史家ティマエウスを典拠として語るところによると、セルヴィウス・トゥリウスの時代まで、ローマ人は鋳造貨幣をもたず、何であれ彼らの必要とするものを買うのに刻印のない銅の延べ棒を使っていた。[6]

 

粗製の延べ棒の交換用具としての不便さ

1、重量を量る手間・・・「量のわずかな差が大きな価値の差を生む貴金属のばあいには、しかるべき正確さで重量を量る仕事でさえ、少なくともきわめて正確な分銅と秤を必要とする。特に金の重さを量ることは、かなり微妙な操作である。」第2には、試金する手間・困難・・・その金属の一部がしかるべき溶剤とともに坩堝のなかで適切に溶解しない限り、そこから引き出されうるどんな結論もきわめて不正確なものである。」不純物の混入、詐欺やごまかしの可能性など[7]

 

→→ 公的な刻印をおした鋳造貨幣(鋳貨)の創出。金属の品質と重量を保証する刻印!

 

しかし、「世界のすべての国で、王侯や主権国家の貪欲と不正は、臣民の信頼を悪用して、本来自分たちの鋳貨の中に含まれていた金属の正味の量をしだいに減らしていった・・・ローマのアスは、共和国の末年には、本来の価値の二四分の一に減らされ、1ポンドの重量でなく、わずかに半オンスの重量しかなくなっていた。イングランドのポンドとペニーは、今日、当初の価値の約3分の1、スコットランドのポンドとペニーは約36分の1、フランスのポンドとペニーは約66分の1しか含んでいない。それをおこなった王侯や主権国家は、外観上は、そうでない場合に必要である量よりも少ない銀で債務を支払い、契約を実行することができた。しかし、確かにそれは外観上のことにすぎなかったのであって、なぜなら、彼らの債権者たちは、自分たちに支払われるべきものの一部を実は詐取されていたのだからである。この国のほかのすべての債務者も同じ特権を認められていて、旧鋳貨で借りていたものがいくらであっても、名目上同額の劣悪な新鋳貨で支払っていいことになっていた。したがって、そのような操作はつねに債務者に有利で、債権者には破滅的であることが判明したのであり、きわめて大きな社会的災害によって引きおこされえただろうものよりも大きく普遍的な変革を、時々私人の財産にもたらしたのである。」

 

 負債に苦しむ王侯、主権国家は、悪貨を作り出す[8]。 

 

表面の公的刻印と内実との乖離・・・流通、取引において、「悪貨は良貨を駆逐する」(グレシャム[9]の法則)---ある鋳貨(内実は価値が低いもの)名目が同じものだからというので良貨(内実の価値が高いもの)と同じものとして通用するなら、ほんとうに価値のある良貨は手元において、まずは悪貨を使用する。市場取引からは良貨は駆逐されてしまう。市場には悪貨のみが残る。悪貨が一般化する。

 

紙幣・・・価値章標・・・「銀製や銅製の金属純分は,法律によって任意に規定されている。それらは,流通しているうちに金鋳貨よりももっと速く摩滅する。それゆえ,それらの鋳貨機能は事実上それらの重量には係わりのないものになる。すなわち、およそ価値というものにはかかわりのないものになる。金の鋳貨定在は完全にその価値実体から分離する。つまり,相対的に無価値なもの、紙券が、金に代わって鋳貨として機能することができる。金属製の貨幣章標では,純粋に象徴的な性格はまだいくらか隠されている。紙幣では,それが一見してわかるように現れている。ここで問題にするのは、ただ,強制通用力のある国家紙幣だけである。それは直接に金属流通から生まれてくる。[10]

 

強制通用力のある国家紙幣=法定貨幣・・・その背後には、何の「裏打ち」もないか?

 近代経済学の代表的な教科書でサミュエルソンは、次のように言う

 10ドル紙幣か、あるいはほかの紙幣を調べてみられよ。そこにはおそらく『連邦準備紙幣』と書かれていると思う。それにはまた、「公私を問わず、すべての負債のための法定貨幣」と書かれてある。

 この10ドル紙幣の背後には何があるのであろうか。それは、金か銀か、あるいはその他の何かで『裏打ち』されているのであろうか。実はそこには、何もない。何年も前には、人びとは、わが国の通貨は『金の裏打ち』故に価値があるのだ、と信じていた.今日ではそのような見せかけは全然ない。

 今日、合衆国のすべての硬貨および紙幣は法令にもとづく貨幣である。この用語の意味するところは、ある何かが貨幣であるのは、政府が政令で貨幣と決めるからだということに他ならない。もっと厳密な言い方をするなら、政府、硬貨や紙幣は公私を問わずすべての負債に対して受認されるべき法定貨幣である、と宣言するのだ。金属による貨幣の裏打ちは、今日の合衆国においてはなんら実際的な意義をもたない」と[11]

 

しかし、「貨幣の歴史」の説明でサミュエルソンが触れているように、貨幣は財貨、商品の「交換の媒介物か支払手段」であり、その本質的な機能は、それぞれの商品の価値=価格を表現し、商品世界の無数の商品群の価格=価値の相互関係を表現しているのである。紙幣や硬貨は、その額面によってある一定量の価格=価値を表現しているが故に、交換の媒介物となるのであり、支払手段となるのである。

商品世界の膨大な商品群が、それぞれに一定の価格を持ち、その背後に価値を持つが故に、すなわち、そのような商品世界の価値と価格の実質的裏づけがあるが故に、紙幣や硬貨が媒介手段として、支払手段として通用するのである。

国家がなし得るのは、あれこれの偽の紙幣や硬貨に対する禁止力であり、商品世界全体に通用する紙幣を商品所有者、商品売買者に示すだけであり、交換のために安定的な通用を保証することであって、国家は諸商品の価値を創造するものではない。

 

 

 

未開から文明への移行の問題に戻ろう。

 

未開の中段階・・・アジアの未開人の間で、園圃栽培が畑地耕作の先駆として発生。

         →牧草栽培と穀物栽培へ。

          穀物はまずは家畜用として。ついで,人間の食物に。

        耕地はまだ依然として部族所有であり,

当初は氏族の利用に、後には氏族によって諸世帯共同体(Hausgenossenschaft)の利用に,最後には個々人の利用にゆだねられた。

        産業的発展・・・重要なのが,第1は機織であり、第2に金属鉱石の溶解と金属の加工。銅と鈴、それに両者の合金である青銅が,とりわけ最も重要な金属。青銅は有力な道具と武器を提供したが,石器を駆逐することはできなかった。それをやれるのは鉄だけであったが、鉄を製することはまだ知られていなかった。金と銀が装身具と装飾品につかわれはじめていた。

生産力の上昇と剰余生産物の創出

           すべての部門―牧畜,農耕、家内手工業―で生産が高まったことは,人間の労働力に、その生計に必要なものより多くの生産物をつくりだせるようにした。

        労働量の増大→新手の労働力の導入→戦争がこれを供給。すなわち、捕虜が奴隷に転化された。

 

   最初の社会的分業は、それが労働の生産性を高め、したがって富を増大させ、また生産分野を拡大させるにつれて、あたえられた歴史的全条件のもとでは、必然的に奴隷制を招来した。最初の社会的大分業から,2つの階級への社会の最初の大分裂が生じた。―主人と奴隷,搾取者と非搾取者への大分裂

    また、畜群が,部族ないし氏族の共有から、個々の家長の所有への移っていった。

    いまや畜群その他の新しい富の出現とともに、家族に一つの革命が起こった。生計稼得(かとく)はいつも男子の仕事であったし、生計稼得のための手段は男子によって生産され,男子の財産であった。畜群は新しい生計稼得の手段であり、当初は畜群の飼い馴らし,後にはそれの見張り彼の仕事であった。だから、家畜はかれのものであり、家畜と交換して得た商品と奴隷は彼のものであった。生計稼得がいまやもたらす余剰はすべて男子の手に帰した。女子はその消費にあずかったが、その所有にはあずからなかった。

    未開下段階までの「粗暴な」戦士かつ猟人は、家庭では女子に次ぐ第二の地位にあまんじていた。

    「より柔和な」牧人は、その富をたのんで家庭内の第1位にのし上がり,女子を第2位に押し下げた。家族内の分業が男女の間の財産分配をすでに規制していた。この分業はもとのままだった。にもかかわらず,この分業がいまや,いままでの家庭関係をひっくり返した。それはひとえに家族の外部での分業が別のものになったがためであった。以前に女子に対し家庭内における彼女の支配を保証していた原因―つまり家事労働への女子の限定―この同じ原因が、今では家庭内における男子の支配を保証した。すなわち、女子の家事労働は,今では男子の生計稼得労働に比べて影の薄いものとなった

    ここにすでに、女子社会的な生産的労働からしめだされて,私的な家事労働に局限されたままである限り、女子の解放,男子と女子の対等な地位は不可能であり、今後も不可能であろうということが示されている。女子の解放は,女子が大きな社会的な規模で生産に参加することができ、家事労働がほんの取るに足りない程度にしか女子をわずらわさなくなるときにはじめて可能になる。そして,こういうことは,女子労働をたんに大規模にゆるすだけでなく、本式にそれを要求しもする、また私的な家事労働をもますます公的な産業に解消[12]しようと努める近代的大工業によってはじめて可能になったのである[13]

    家庭内における男子の事実上の支配にともなって、男子の専制を妨げる最後の障壁がたおれた。この専制は,母権の転覆、父権の採用、対偶婚から一夫一婦婚への徐々たる移行によって確認され、永久化された。だが,それによって,古い氏族秩序に一つの割れ目が生じた。すなわち、個別家族が一個の勢力となり、氏族に対抗してそれらを脅かすものとして台頭してきた。

    ここから1歩すすめば、未開時代の上段階、すべての文化民族がその英雄時代をたどる時期,すなわち,鉄の剣の時代、だがまた鉄製の犂頭(すきさき)と斧の時代に入る。

 

 

の剣の時代、鉄製の犂頭(すきさき)と斧の時代

   鉄は歴史の上で変革的役割を演じたもっとも重要な原料

   *いっそう広い面積での畑地耕作、延々たる森林地帯の開墾を可能にした。

     鉄は、どんな石も,どんな他の既知の金属も太刀打ちできない硬さと切れ味を持った道具を手工業者に与えた。

鉄の勝利は徐々に・・・最初の鉄は往々にして青銅よりもまだやわらかだった。

石器は徐々にしか消滅しなかった。

1066年のヘイスティングズの会戦[14]でもまだ石斧が戦闘に現れた。

   

だが、進歩はとどめがたく、間断なく、ますます急速に!

    石造りの家や煉瓦造りの家を、石壁とやぐらと凹凸型胸壁で囲んだ都市が、部族や部族連合体の中心地になった。こういう都市は、建築術の巨大な進歩を示すものであったが、しかしまた危険と防衛の必要との増大のしるしでもあった。

 

  富は急速に増大したが。しかしそれは個人の富としてであった。機織り、金属加工、その他ますます分化していく手工業が、生産の多様性と技巧とをますます展開していった。農耕は、穀物、豆類、果実のほか、オリーブ油と葡萄酒をも―これらの製法がすでに習得されていた―もたらした。こんなにも多様な活動をもはや同じ一人のものが営むわけには行かなかった。第二の大分業が起こった。すなわち、手工業が農耕から分離した。農耕と手工業という二大主要部門への生産の分裂とともに、交換を直接の目的とする生産、商品生産が成立する。商品生産とともに、部族内部と部族境界での交易ばかりでなく、すでに海外貿易も成立する。だが、これらはすべてまだきわめて未発達である。貴金属は、主要な一般的な貨幣商品になり始めるが、しかしまだ鋳造されず、まだ地金(じがね)のままの目方で交換されるだけである。 

 

   生産の不断の高まりと、それと同時に労働の生産性の不断の高まりとは、人間労働力の価値を高めた。前の段階にはまだ成立途上にあり、ちらほらしか存在しなかった奴隷制は、今や社会制度の本質的な構成部分になる。奴隷は手伝い人ではなくなり。何十人もの群れをなして畑地と工房で仕事に駆り立てられる。

 

自由人と奴隷[15]との区別とならんで、富者と貧者の区別が出現する。新たな分業とともに、諸階級への社会の新たな分裂が出現する。個々の家長の間の財産の差は、古い共産主義的な世帯共同体(ゲマインデ)を、それがそれまで維持されてきたところではどこででも粉砕し、と同時に、この共同体の計算で行われていた土地の共同耕作をも粉砕する。耕地は、まずもって期間を限って、後には決定的に個々の家族の利用に委ねられ、完全な私的所有への移行は、徐々に、また対偶婚から一夫一婦制への移行と平行して行われる。個別家族が、社会の経済的単位になり始める。

 

人口の稠密化→対内的対外的に緊密な結束が必要となる。

 親族的諸部族の連合体の形成

 親族的諸部族の融合→別々の部族団全体の一領域への融合

 部族団の軍隊指揮者が不可欠の常設の公職者となる。

       ・・・・公的権力の形成、国家の発生、国家諸機能の発生

 

 隣人の富は、富の獲得をすでに生活の第一目的の一つとみなしている諸部族団の貪欲をかきたてる。・・・新たな築城工事を施した都市の周りの威嚇的な囲壁は、言われなく屹立しているわけではない。囲壁の濠には氏族制度の墓穴が口をあけ、囲壁のやぐらはすでに文明時代に入ってそのなかにそびえているのである。

 そして、事態は内部でも同じである。略奪戦争は、軍隊の最高司令官の権力をも、下級指揮官の権力をも高める。後継者を慣習的に同一家族から選出するやり方は、とくに父権の採用以後、しだいに世襲制に移行する。―はじめは大目に見られ、ついで要求され、最後には簒奪される世襲制に。世襲王権[16]世襲貴族の基礎が築かれる。

 

  

  

文明時代の入り口・・・文明時代は分業の新たな進歩によって開始。

文明時代は、既存の分業を―特に都市と農村との対立を激化させることによって(この場合には、古代でのように都市が農村を経済的に支配することもありうるし、あるいは中世でのように農村が都市を経済的に支配することもありうる)―、強化し増進させ、既存の分業に第三の、文明時代に特有な、決定的に重要な分業を付け加える。すなわち、文明時代は、もはや生産には従事せずに、生産物の交換にだけ従事する一階級―商人を生み出す。・・・ここにはじめて生産には何ら関与することなしに、生産全体の指揮権を手に入れ、生産者を経済的に従属させる一階級が登場する。この階級は、二人の生産者各人の間の不可欠の仲介人となり、その双方を搾取する。

GW(買い入れ)、とWG(売却)2つの交換行為で商業利潤を獲得する。

商人層とともに、金属貨幣すなわち鋳貨が生まれ、また金属貨幣とともに、非生産者が生産者と彼の生産を支配する新しい一手段が生まれる。他のすべての商品を自己の中に隠し持っている、商品のなかの商品、どんな望ましいもの、望みのものにでも思いのままに姿を変じることのできる魔法の手段が、発見された。それをもっている者は、生産の世界を支配した。そしてそれを誰よりももっているのは、だれだったか? それは商人だ。商人の手の中で、貨幣の崇拝が確実にされた。商人は、貨幣の前ではすべての商品、したがってすべての商品生産者がどんなに恭しく地にひれ伏さざるをえないかが明らかになるようにつとめた。商人は、富そのもののこの化身に相対しては、他のすべての携帯の富がどんなにそれ事態のたんなる仮象にすぎぬものとなるかを実地に証明した。貨幣の権力が、貨幣のこの青年期に見られたほどに原始的な粗暴さと暴虐さをもって現れたことは、2度とふたたびない。貨幣との引き換えによる商品購買に続いて、貨幣の前貸しが現れ、それとともに利子と高利貸しが現われた。 G ― G‘(=G+Δg)そして、後世のどんな立法でも、古代アテナイと古代ローマとの立法ほどに、あのように仮借なく無慈悲に債務者を高利貸し債権者の足下になげつけているものはない。しかもこの両立法は、経済的強制以外のどんな強制もなしに、自然発生的に慣習法として成立した。

商品と奴隷での富とならんで、貨幣での富とならんで、今では所有地での富も現われた。・・・完全な自由な土地所有、土地の譲渡可能性、抵当権→少数者の掌中への富の集積と集中が急速にすすみ、大衆の貧困化の増進と貧民大衆の増加が生じた。[17]

 



[1] 以下、今回のメモは主として、モルガンに依拠したエンゲルス『起源』第9章 未開時代と文明時代、より抜粋したものである。受講者各人は、みずからの正確な理解のためには本書(邦訳は何種類もあるが,新しいもの程よい)に直接あたって確認して欲しい。

[2] これは歴史において地域と時代の段階ごとにますます広がり進化する。分業と交換・交流は人間・人類の経験の蓄積、科学技術・知的能力、人間諸個人の総体的な諸能力の深化拡大をもたらし、またそれによってますます進化・発展する。その意味で歴史貫通的要素。現代の人間・人類に求められているのは,地球規模での生産力・科学技術などの合理的発展と合理的制御。レスター・ブラウンなどの奮闘も象徴的だが、そのためには、アインシュタイン,湯川秀樹などが提唱した世界政府,世界議会の理念の現実化と前進が求められることになろう。世界で多発する諸事件,世界規模での軍事問題・平和問題などとその解決の多次元的な世界的努力を通覧すると、現代はまさにその生みの苦しみの時代のように感じられる。現代の課題にわれわれ一人一人がどこまで対処する能力を身につけているのか悲観論も渦巻くが、人類が、宇宙的規模での必然性によって地球崩壊(生物の存在の不可能な状態に残り4億年とか?)するまでは生き延びようとするなら、それを達成していくしかない。

地球自体は、太陽の寿命によって規定され、後46億―50億年ほど存続するというが、その地球上での生物の存続可能性は、それより短いことは確実である。

「核融合反応により、太陽の中心部の水素がほとんどヘリウムに変わるには、まだ50億年くらいかかる。その後、太陽は膨らみ始め、赤色巨星となり、やがては地球を飲み込む大きさに膨れ上がる。」(『地球と宇宙の小事典』家正則・木村龍治・杉村新・三輪主彦著、岩波書店、岩波ジュニア新書348145ページ)つまりは、地球崩壊・消滅である。

[3] 水田洋監訳、岩波文庫、1、第四章 貨幣の起源と使用について、p.52参照。 

[4] 物々交換からはじまってどのように商品交換関係が発展し、それに対応してどのように価値が表現されるか、商品と貨幣との相互関係に関して、また、貨幣商品としてなぜ菌が選び出されるかについては、上述のスミスの『国富論』を、さらに厳密な理解のためには『資本論』第1巻第1章を熟読する必要がある。金や銀がもっとも普遍的な適合的な貨幣商品として、世界史的にしだいに選び出されていった。交換価値の細分可能性、価値の保存可能性、価値の不変性、携帯・移動・輸送の可能性、価値の蓄積可能性など貨幣に求められる本質的性質が、総合的に貴金属、とりわけ金においてもっとも優れていることなどを認識する必要がある。  

[5] スミス、前掲書、pp.5354.

[6] 同上、p.54.

[7] 同上、p.55.

[8] 現代日本国家の巨額の負債を見て、海外の信用ランクづけ機関が日本国債をこれまでより低く評価したのは、経済原理そのもの。日銀が政府の圧力に屈して、銀行券を流通が必要とするより大量に発行し始めたら、インフレとなる。

 最近の報道によれば、経済不況脱出策として、「インフレ目標」などというものが議論になっている。通貨大量発行によりインフレを引き起こし、それによって景気を回復しようという「思いつき」のようである。はたして,根本的な需要創出にとりくまないで、あるいは生産拡大の必要性の創出をおこなわないで、通貨操作で景気は回復するか?

[9] 1558年,イギリス王室財務官グレシャムがヘンリー8世以降の悪鋳を「悪貨は良貨を駆逐する」といった。悪貨,品位の低い鋳貨を作り出したのはまさに王室だった。市場原理は遅かれ早かれ悪貨を見ぬく。看板が同じでも中身のいいものを選ぶのは経済原理・経済的法則性。「天網恢恢疎にして漏らさず」とは大局において悪人・悪事は天の網に引っかかるということだが、粗悪なものは結局は見分けられ駆逐されるということで共通の法則性があるともいえよう。鋳貨における品位、商品における品質・価格、人間においては? たとえば、交際相手を選ぶ原理は?グレシャムの法則は,その一般的妥当性を考えると含蓄が深い。肩書き、タイトル、表面のラベルと内実との乖離! それは、市場によって、競争を通じて不断に検証されている。

インターネット社会は、消費者、生産諸主体の情報量を飛躍的に増加させ、商品・サービルの価値を比較考量する者に対して、真実の価値を教える機会を飛躍的に増やした。消費者主権のための条件を活かすのは、諸個人の自覚・認識力・識別力である。世界の諸市場の分断はインターネット情報によって突き破られ、いわば世界的な一物一価の貫徹をこれまで以上に可能にしたといえよう。閉鎖的な地域的な市場に視野を限定するものは、世界の提供する有利な価値を享受しないことになろう。視野の世界性、精神の世界性がますます求められ、またIT革命の成功の程度にしたがって形成され、養成されていくということだろう。

[10] 『資本論』第1巻、第3章 貨幣または商品流通、c.鋳貨,価値章標 の節より。

[11] P.サミュエルソン著都留重人訳『経済学(原書代13版)』上、1992年(第5刷、2000年)、220221ページ。

[12] ファミリーレストラン、外食産業などの隆盛、クリーニング業の隆盛、家内掃除産業の広がりなどなどによって,ますます女子の私的家事労働の範囲と量が限定されてきている。

[13] 今日の科学技術の発達にもとづく企業体制は,ますますその可能性を創出している。

[14] ヘイスティングズの会戦は、1066年に,イングランドに侵入したノルマンディー公ギョーム(ウィリアム)の軍隊と,ハロルド王の率いるアングロ・サクソン人との間に起こった。群生のなかに氏族社会の残滓を保持し,原始的な武器をもっていたアングロ・サクソン人は殲滅的敗北を受けた。会戦で殺されたハロルド王に代わって、ギョームが―制服王ウィリアム1世を名乗って―イングランドの王になった。

[15] 古代アテナイの最盛期の全自由民は、女、こどもを含めて九万人。それとならんで、365000人のどれいと、45〇〇〇人の居留民(他国人と解放奴隷)。大人の男子市民一人当りすくなくとも18人の奴隷と二人以上の居留民がいた。奴隷の数がこんなに多かったのは、その多数のものが、工房で、広い室内で、監督者のもとで集まって働いていたことによる。コリントスでは同市の全盛期に奴隷の数は46万人、アイギナでは47万人。どちらの場合も自由市民の人口の一〇倍以上であった。

[16] 世襲王権も時代の産物であり、世界的に見れば消滅の運命にある。現代世界になお存続している王権もしだいに象徴化し、かつてのような実質的権力を喪失し、形式化・装飾化している。諸国民がその存続を承認している限りで継続しうる性質のものである。君主制存廃問題の基礎にあるのは、諸国民のそれぞれの国における社会的政治的成熟の度合いであり、民主主義の安定的成熟度、それを可能にする国内的国際的条件である。君主制の支配的な時代から共和制の支配的な時代への移行が世界史的に見て進行していることは、その背後にある経済的政治的発展の必然性を反映しているものといえよう。

[17] 大塚久雄『共同体の基礎理論』の第三章の「古典古代的形態」の部分などをあわせて参照。