経済史A講義メモ
帝国主義の時代
No.20 File kogikeizaishi0121
最終更新日:2002年3月27日(水)
19世紀 ヨーロッパ大陸における産業革命の時代と市民革命の時代
先進国イギリスとの対立・競争と大陸諸国の産業革命
内発的諸条件の未成熟、不充分さとそのための諸政策・諸機関
1.EEC、EC、EUの先行的事例としての「ドイツ関税同盟」(Deutscher Zollverein)
2.銀行の役割
3.株式会社形態(銀行と産業)
4.鉄道建設の主導的役割
5.国家の役割・・・ナショナリズムと国民国家
古典派・自由主義のA.スミスの経済学に対する
F.リストの『経済学の国民的体系』(http://opac.yokohama-cu.ac.jp/cgi-bin/opac/cal950.type?data=364095_1_1)
19世紀後半から70年代・・・近代的工業国家・機械制大工業のヨーロッパ的確立
世界の市場・原料基盤、資本輸出先、植民地を目指すイギリス,フランス,ドイツなどの争覇戦
19世紀末-20世紀初頭、帝国主義の時代
ホブスン『帝国主義』岩波文庫http://opac.yokohama-cu.ac.jp/cgi-bin/opac/cal950.type?data=363914_1_1
ヒルファディング『金融資本論』岩波文庫、http://opac.yokohama-cu.ac.jp/cgi-bin/opac/cal950.type?data=363913_1_1
http://opac.yokohama-cu.ac.jp/cgi-bin/opac/cal950.type?data=363913_1_5
レーニン『資本主義の最高の段階としての帝国主義』、http://opac.yokohama-cu.ac.jp/cgi-bin/opac/cal950.type?data=363910_1_8
幸徳秋水『帝国主義』岩波文庫、http://opac.yokohama-cu.ac.jp/cgi-bin/opac/cal950.type?data=363910_1_2
石橋湛山の「小日本主義」・・・『石橋湛山評論集』http://opac.yokohama-cu.ac.jp/cgi-bin/opac/cal950.type?data=363911_1_3
http://opac.yokohama-cu.ac.jp/cgi-bin/opac/cal950.type?data=363912_1_1
ナシナリズム、民族主義、排外主義、帝国主義、これに対する、自由主義、社会主義のさまざまな潮流,
土地所有者、資本家と労働者の対立、
支配民族と被支配民族の対立・・・小さな民族のナショナリズムと大民族のナショナリズム
それらすべての諸潮流の複雑多岐にわたるぶつかり合い
ヒトラーの幼少年期・・・19世紀末―20世紀の世界の潮流の影響
小学校時代からのドイツ民族主義、大ドイツ主義
隠れたベストセラー・ヒトラーの『わが闘争』角川書店、そのはじめの部分
・・・参照:拙稿「第三帝国の国家と経済―ヒトラーの思想構造にそくして―[1]」
チャーチルの大英帝国・・・『第2次世界大戦』(ノーベル文学賞)
帝国主義戦争、世界覇権を巡る列強の闘い→第1次世界大戦
その帰結としてヴェルサイユ体制と国際連盟・・・戦勝諸国の支配体制としての性格−,
ソ連の誕生=社会主義国家(戦時統制国家)・・・その問題性・・・「社会主義」の前提としての経済的人間的諸条件の未成熟[2]
世界大恐慌・・・その帰結,脱出策
大英帝国・ブロック経済、アメリカ・ニューディール、ドイツ・ナチズム、フランス・人民戦線
ケインズ経済学と社会主義的計画経済(ソ連型),ナチス計画経済
国家の経済操作、経済介入・・・干渉国家
第2次世界大戦と戦時経済
総力戦
敗退国ドイツの政策としてのホロコースト[3]
「国防軍の犯罪.絶滅戦争1941−1944の諸次元(Verbrechen der Wehrmacht. Dimensionen des Vernichtungskrieges) 」展
(ベルリン,2001年11月28日―2002年1月13日)訪問したのは1月6日(日曜日)
[1] 遠藤輝明編『国家と経済』東京大学出版会,1982年、pp.385−437。なお、私の研究室ホームページで,関連文献を参照すること。
[2] 19世紀の中頃の革命、フランスの2月革命でも、同じような問題があった。
「二月事件が目指したものは、もともと選挙改革であった。これによって、有産階級自身のなかの政治的特権者の範囲が広げられ、金融貴族の独占的支配が覆されるはずだった。ところが実際に衝突が始まり、民衆がバリケードのうえにのぼり、民衛軍が消極的な態度を取り、軍隊は本気の抵抗を行わず、王政が逃げさると、共和国は自明のことに思われた。どの党派も、共和国を自分流の意味にとった。
武器を手にしてこれを勝ち取ったプロレタリアートは、それに自分のスタンプをおし、社会共和国であると宣言した。こうして現代の革命の一般的な内容が暗示されたが、その内容は、目前の材料と大衆の現在の教養水準とでもって現在の情勢下ですぐさま実行できるどんなこととも、きわめて奇妙に矛盾していた。
他方、二月革命にともに参加したそのほかのすべての分子の要求は、それぞれ政府内で最大の分け前を受け取ったというかたちで認められていた。だから、文句は天がけるごとくで、実際はよたよたとおぼつかなく、革新の努力はいよいよ熱烈で旧慣の支配はいよいよ磐石のごとく、全社会のうわべはますます調和的に見えて、社会の諸勢力の疎隔はますます深刻に、というように、この時期ほど相矛盾したものがごっちゃに入り混じったときを、我々は知らない。」マルクス『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』岩波文庫、1964、26ページ。
「相矛盾したものがごっちゃに入り混じった」現実は、20世紀前半の歴史現象であり、巨大な悲劇の原因でもある。民族主義が社会主義を名乗り、社会主義が民族主義と同じになり、国民主義が専制主義のベールとなり、独裁が民主主義の名前を僭称する、など。
それは、ヒトラーの党、ナチ(Nazi)党の正式名称が、「国民社会主義ドイツ労働者党(Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei)」であることに最も象徴的に表明されているといえよう。同様のことは社会主義を名乗った戦時専制主義・戦時統制主義のスターリン体制、スターリン主義についてもいえるであろう。その他、看板と実態との乖離・矛盾の類似現象はたくさんある。