親衛隊・警察の特別出動部隊(アインザッツグルッペ)の
「抵抗鎮圧」・治安平定・ユダヤ人殺戮の急拡大
・ ソ連侵攻当初の占領政策の基本指針
(占領地域住民の統合の必要性と経済的利用=搾取の必要性・・・矛盾する必要性のせめぎあい)
・・・・・電撃戦の頓挫と占領政策基本指針の挫折
・ヒムラー親衛隊ライヒ(全国・帝国・最高)指導者・ドイツ警察長官に治安秩序樹立の任務
・アインザッツグルッペ(治安警察・保安部の特別出動部隊A,B,C,Dの4隊:「世界観の軍隊」)
・ ハイドリヒの命令、1941年6月29日
・1941年6月から1942年7月までの出動命令(各種)
および秘密報告書「事件通報ソ連」・
・ 「活動・情勢報告書
ソ連現地からの事件通報を、2−3週間から一か月、総括した報告書
第1号 1941年7月31日 攻撃開始から10日間の総括
第2号1941年 7月29日から8月14日までの活動情勢報告
第3号、
第4号、
第5号、
第6号、
第7号、
第8号、
パルチザンの猛威・・・ユダヤ人のパルチザン支援・・・・厳しい措置
第9号、
第10号、
第11号
・ソ連地域においてドイツ占領下に、戦時の最初の半年間に50万人余の殺戮
(Cf. Aの総括報告1942年1月31日・付録地図・・・アインザッツグルッペAだけで半年間に22万人ほど)