ミュンヘンの過去と現在
  2004年10月31日-11月7日 ミュンヘン現代史研究所調査


ナチ党本部

ミュンヘン会談

       

ミュンヘン会談(1938年8月)
 現在、ミュンヘン音楽大学校舎[1]
 廊下天井に卍の模様がいまでも)



ミュンヘン音楽大学の通りを隔てた隣の広場にあるのがカールスプラッツ、
その広場の
ギリシャ風建築、博物館、プロピレーエン


 

白バラ抵抗運動

     

ミュンヘン大学法学部・その前の反ナチ「白バラ」抵抗運動
    フーバー教授記念広場

       

ミュンヘン大学本部・その前の反ナチ「白バラ」抵抗運動ショル兄妹記念広場

 

     

大学近く(シュヴァービング)のショル兄妹が住んでいたあたり



(その通りにあるユーゲントシュティルの建物

 

ショル兄妹等「白バラ」抵抗運動責任者に死刑判決を下した裁判所
(ミュンヘン中央駅からカールストーア・シュタクスに向かうところにある)




カールストーア(カウフィンガー通りからマリーエンプラッツへ向かうときの門)

裁判所の通り反対側斜め方向
・旧市街の入口=カールストーア(カール門)




      「ブリエンナー通り」
      
       ナチ党本部建物のナチ犠牲者記念広場

     

     ナチ暴力支配の犠牲者にささげる

   Den Opfern der nationalsozialitischen Gewaltherrschaft)

    






19世紀の戦争-ナポレオン戦争



        

オベリスク(ナポレオン戦争の戦勝記念)
カールスプラッツ・ミュンヘン会談会議場を経てオベリスクへ
(ブレンナー通り、ナチ党本部すぐそば)。





凱旋門(ナポレオン戦争・戦勝記念)

写真凱旋門後方・行き止まりにオデオンプラッツと英雄廟
(ヒトラーが
1923年に一揆を起こして挫折した場所):

     




人間とは?
 


第三帝国史跡とは関係ないが、新しいものとして、
凱旋門手前(シュヴァービング地区)にある巨大な人間像
・二足歩行

 

 



Hotel
 

 ミュンヘン現代史研究所(Leonrodstr.46b)のときの定宿は、

通り向かい側、歩いてすぐのホテル:Mercure Königin Elisabeth

Address :
Leonrodstraße 79
80636 München
GERMANY

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1985年3月から1986年3月まで在外研究員としてミュンヘン大学に留学していた時の住まい(その2,004年11月現在)




  (ニュンフェンブルク城の幼稚園)


 (幼稚園の遊び場)





   (ニュンフェンブルク正門付近から市内中心部方向)


    (マリア・ヴァルト小学校)








  ニュンフェンブルク城(内側から)


 ニュンフェンブルク城内遊歩道







  水抜きした堀、冬には水を張り、城の前のあたりで
 アイススケート場ができる。






[1] かつてミュンヘンに住んでいたとき(19853月―863月の1年間)、ミュンヘン音楽コンクール・ピアノ部門の予選会場であった音楽大学のこの建物に何回か音楽を聴きに行った(その音楽コンクール・ピアノ部門の最終予選会場は市内中心部、王宮庭園ホーフガルテンの前にある王宮レジデンツのヘルクレスザールであった)

そのときは音楽コンクールの建物がかつてのミュンヘン会談の会場だったとは気づかなかった。ナチ時代の建物で、玄関天井に卍のタイルがはめ込まれているのは当時も気づいたが。