西洋経済史レポート(N.M.第2回)
フランス暴動にみる移民問題について
章立て
はじめに
1.
フランス社会のマイノリティとは
2.
フランス暴動問題にみる移民の立場
3.
差別のケース
4.
おわりに
はじめに
2005年10月27日(木)、フランスのパリ郊外でアラブ系青年2人が、警察に追われ変電所に逃げ込み、感電死した事件を発端に、移民系の若者が、暴動を起こした。パリ郊外や、他の都市の、移民など低所得者たちのスラム街(HRM)周辺を中心に、車・商店・警察・消防・学校など公共施設以外も標的となる無差別放火・投石などを行い、死者まで出す大惨事につながった。これは、フランスにおける失業問題と移民問題という深い病根があり、所得格差や差別的待遇を受けてきたマイノリティたちの不満の爆発であるということができる。非常事態宣言の発令および夜間外出禁止令などによって徐々に鎮静化の様相をみせているが、11月15日現在も、まだくすぶり続けている。この問題はフランスだけでなく、ベルギー・ドイツなど近隣諸国にまで波及しており、EUが抱える諸問題を改めて露呈したと考えられる。
では、なぜ、このような問題が浮上したのか。また、当事者である移民たちの置かれている状況とはどのようなものなのか。背景から今後の展望について考察していく。
1.フランス社会のマイノリティとは
現在、数多くの外国人が、フランス国内に居住し、生活を営んでいる。1999年の国立経済統計研究所の調査では、移民は全人口の7.4%に達する。移民と外国人は、厳密には異なり、「移民」は、外国に生まれフランスに渡った人々(4,310,000人)で、この中にはフランス国籍をとった者(1,560,000人)を含む。「外国人」は、フランス国籍を持たない人々(3,260,000人)とフランスで生まれた外国籍者(510,000人)を含む。全体で、482万人のとなる。この内訳を考えてみよう。アジア系。これは中国や、旧フランス植民地であったベトナム、直轄地であったインドのポンディシェリなどからやってきた人々である。ベトナムに関しては、ベトナム戦争後の政治難民が多い。さらに他のアフリカの国々からやってきたブラックアフリカ系、EU統合の後流入してきた東欧系なども存在する。そして移民の中でも、もっとも多いのが、アラブ系である。このほとんどが、旧フランス植民地であるマグレブ3国(アルジェリア・モロッコ・チュニジア)などからやってきた人々で、フランス国内の外国人の大半を占めている。この国々からは、第一次世界大戦前後から移民が始まり、第二次世界大戦後の労働力不足を充足させることに貢献した。高度経済成長中は安価な労働力として、オイルショックによってフランス経済が停滞するまで、政府の政策として移民が奨励されてきた。そして移民政策が停止されてからも、工場労働者や単純労働の担い手として積極的に雇用されている。
このように、移民はフランス自身に、望まれてやってきたということを、この問題に取り組む際に認識していなければならない。
2. フランス暴動問題にみる移民の立場
フランスは、国際的にも人権を重んじる国家であるといわれている。実際、ロシア革命やベトナム戦争、スペイン内戦のときなどは、莫大な数の政治難民を受け入れてきた。
しかし、移民たちの視点から考えてみよう。移民たちは、その理念とは大きくかけ離れた、「人種差別」による過酷な状況におかれている。特にフランス国内で外国人の多数派を占めるマグレブ三国からの移民は、多くがイスラム教徒である。彼らはさらに見た目からも黒人・アラブ系であり、文化面でもフランス人とは大きく異なるため、区別しやすい。彼らはオイルショック後の経済停滞の中で、その矛先としてルペンら最右翼の政治家たちの格好の標的となり、迫害を受けてきた。彼らは、フランスの経済停滞と治安悪化の原因は移民にあると主張し、その排除こそがフランスの発展のために不可欠であると説いている。一般にも、移民がフランス人の職を奪い、治安を悪化させているというイメージが強いといわれている。そしてその根底には、かつてフランスに支配されていた人々という、歴史的な蔑視が存在する。
3.差別のケース
差別のケースとして具体的に、就職差別と住宅差別が深刻である。
まず第一に、就職差別については、ドイツにおけるトルコ人と同様、給与が低く、単調で、将来性の薄い仕事や、危険な仕事があてがわれる。これは、経験や技能があっても同様であり、白人の未経験者のほうが、より優遇されているというケースすらある。職を求めて白人系の名前で企業に電話すると、「翌日来てください」と言われるが、アラブ系の名前では「まだわからないので2週間後にまた電話してください」といわれるという例もある。移民の失業率は、フランス全体の失業率よりはるかに高い。また、不法就労のケースも多いことから、雇用主から不当な取り扱いを受けても、抗うことも許されず、弱い立場にある人々も多い。
次に住宅差別である。移民の人々が、部屋を借りるために大家に電話し、実際に現地で物件を見るという段階になって「もう決まってしまった」などといわれるケースがあるという。移民・外国人というだけで、大家は入れることを嫌がるのである。この結果、家賃が安く、低所得者が集まりやすい集合住宅に住むことになり、移民のスラム街ができる。
また、フランス社会からの移民に対する差別・迫害によって、より移民たちは同じ移民同士の絆を強くしていく。
さらにフランスにやってきた移民の中でも、1世と2世3世では、その意識も異なる現状を言及する必要があるであろう。読売新聞の11月15日朝刊に、2世の移民の人々の言葉として、フランスは「異国だ」というメッセージが載っている。1世の人々は、自分たちが生まれ育った国よりも、フランスのほうが、よりよい生活ができると考え、自己の判断でわたってきたため、現在おかれている、差別などの待遇にも比較的耐えられているといえる。だが、フランスで生まれ育った2世、3世は、外見はアラブ系、または黒人であるが、母国を知らず、フランス語しか話せない、親の母国にもアイデンティティをもてない「フランス人」である。よって、外見や名前ゆえに差別され、満足に職にもつけず、貧しい生活を送るしかない現在のフランス社会に対して、大きな失望感と、強い不満を抱いている。今回の暴動は、若者が起こしたとよく報道されているが、移民の2世、3世を含む、フランス社会から疎外されている人々が、深く関係していると考えられる。この問題が、フランス全土の都市部の移民街の、若者たちに共通するものであったことから、このような広範囲での暴動につながっている。
4.おわりに
11月17日現在では、暴動自体は、収束に向かいつつあるといわれているが、日々車を焼かれる事件は後を絶たない。移民はフランスの経済に貢献してきたし、これからも貢献していくことは明白なはずなのに、国内の問題は移民の責任にされ続けている。実際に、ルノーなどの大企業の工場では、移民がいなければ機能しない。このような移民の行っている3Kの仕事は、フランス人はとてもやりたがらないのにもかかわらず、これを、極右政党が「移民は仕事を奪う」という論拠にするのは、少々苦しいのではないだろうか。さらに、移民による治安の悪化は、フランス人自身の差別が生み出しているという面も、当事者たちは理解すべきであろう。職をもち、経済的に豊かになれば、誰も犯罪になど手を染めはしないからだ。この暴動が収まったあと、フランス政府は人種主義という、人類の負の面と戦わなくてはならない。単に外国人を排除すれば経済が活性化し治安が回復するという論拠は不確実であるためである。そして、今後フランス政府が、自ら標榜する「寛容」の精神によって移民に生きる道を提供したならば、同じ問題を抱えるEU諸国の将来にわたっての規範となるのではないだろうか。
以 上
参考文献
ウィキペディアHP「2005年パリ郊外暴動事件」
URL<http://ja.wikipedia.org/wiki/2005>
『パリの移民・外国人 欧州統合時代の共生社会』本間 圭一著 高文研 2001年
『外国人労働者のフランス―排除と参加―』林 信弘監訳
フランソワーズ・ギャスパール クロード・セルヴァン=シュレーベル著 法律文化社 1989年
『現代フランス 移民からみた世界』石井伸一 訳 明石書店 1997年
アリック・G・ハーグリーヴス著
『パリ、共生の街 外国人労働者と人権』江口 幹著 径書房 1990年
読売新聞11月15日朝刊
徳島新聞11月11日社説