EU東方拡大について(20051201S.R.No.2)
◆はじめに
EUはこれまで4度の拡大を経験してきた。1973年の第一次拡大ではイギリス・デンマーク・アイルランドが加盟した。1980年代には南に向かって2度の拡大が行われ、1981年にギリシャ、1986年にはスペイン・ポルトガルが加盟した。1995年には中立国のオーストリア・フィンランド・スウェーデンが加盟し15ヵ国の体制に移行した。そして2004年5月1日、中東欧の8カ国(ハンガリー・ポーランド・チェコ・スロバキア・スロベニア・エストニア・ラトビア・リトアニア)と地中海の2国(キプロス・マルタ)が新たに加盟し、EU構成国は25ヵ国となった。
EU構成国全体の人口は、約7500万人増加し約4億5000万人になった。人口と面積はそれぞれおよそ20%増加しているが、GDPは2004年の拡大によってわずか約5%しか増加していない。しかも新加盟国の大半は長い間社会主義体制をとっていたので経済発展に遅れ、旧加盟国(15ヵ国)と比較すれば農業のウエイトが高い。このような視点にたつと、EUの東方拡大によってもたらされるEU自体の経済的利益はあまり期待できないのではないか、と思えてくる。一般的にも今回の加盟でEUは「お荷物」を抱えることになったと考えられているが、果たしてこれは本当だろうか。
◆東方拡大への流れ
第5次拡大の最大の特徴は、初めて拡大が欧州の東側に及んだことである。これにより冷戦以降分断されていた欧州は東西統一を実現するに至った。これまでのEU統合は冷戦の枠内の西の世界に限定されたものだったが、第5次拡大(東方への拡大)については、大半が冷戦終結まで社会(共産)主義体制をとっていた10カ国もの多数国が加盟したという点で様々な課題を内包している。中・東欧諸国の加盟が実現するまでの一連の流れをみてみると、EU側がいかに慎重な姿勢で受け入れ準備を整えていたのかがわかる。そしてEU加盟のために中東欧諸国がクリアしなければならない多くの条件があったことにも注目されよう。
世界経済のグローバル化の激流のもと、1989年に東欧の自由化革命がおこなわれた。ソ連型社会主義を否定し、市場経済化に着手したポーランドとハンガリーを支援するために同年7月のパリ・アルシェ先進国首脳会議において「PHARE計画」の実施が合意された。ここから中東欧の改革に対するEU(当時EC)の援助が始まり、それは後にチェコ、スロバキア、アルバニア、バルト三国、マケドニアなど他の中東欧諸国にまで拡大された。1990年には欧州復興開発銀行(EBRD)が設立され、中・東欧に資金援助がおこなわれた。
さらに中・東欧諸国が政治、経済改革で手一杯の中で、支援計画は政治面を含めた包括的な範囲にわたった。それがEUによる連合協定の一つである欧州協定で、1991〜1996年までにハンガリー・ポーランド・チェコ・スロバキア・ブルガリア・ルーマニア・スロベ二ア、さらにバルト三国のエストニア・ラトビア・リトアニアとの間に結ばれた。この協定の目的は1)自由貿易地域の形成(工業製品に対する関税撤廃)、2)定期的な二国間対話を通じた政治対話、3)経済協力、4)財政協力、5)文化協力、6)法律の整備である。欧州協定を通じてEUは中東欧諸国に加盟を漸進的に可能にする門戸を開放していったのである。しかしこの協定において、EUは加盟自体についての明確な外交的言質の表明はしてなかった。
中東欧の欧州回帰熱はさらに高まり、1993年のコペンハーゲン首脳会議ではEUによって加盟前進に向けた画期的な明示がなされた。EU加盟に必要な政治的、経済的基準が設定されたのである。このコペンハーゲン基準の内容については1)民主主義、法の支配、基本的人権、少数民族の尊重と保護を保障する安定した制度をとること2)機能する市場経済、EU域内の競争圧力、市場の力に対処できること3)政治、経済、通貨同盟の目的を支持し、EU加盟国としての義務を果たす能力があること。法の支配については、加盟するためには必要な行政上の体制を整える必要があり、EU加盟国が積み重ねてきた法体系の総体であるアキ・コミュノテールと呼ばれるものを受け入れなくてはならない。そのために欧州委員会は加盟申請国に対して31の分野にわたって審査・検討を行った。この31の分野には人・物・資本・サービスの自由移動、経済通貨同盟、電気通信と情報技術、環境、司法、内務分野の協力、共通外交、安全保障政策、税制などが含まれている。
こうした中で中東欧諸国はハンガリーが1994年にEU加盟申請をしたのを最初に、1996年にかけてポーランド、ルーマニア、スロバキア、ラトビア、エストニア、リトアニア、ブルガリア、チェコ、スロベニアの計10ヵ国が次々と加盟申請をおこなった。他にもトルコが1987年、キプロス、マルタが1990年に加盟申請をしている。
EUは加盟申請に直面して96年3月からEUの拡大を念頭においたマーストリヒト条約を見直す政府間協議(IGC)を開始し、97年7月にはアムステルダム条約の合意をうけてEUの拡大に備えてEU政策を包括的に見直す報告書「アジェンダ2000」を発表した。この報告書は1)持続可能な成長と雇用の創出を実現し市民生活水準の改善を図るためEU政策を強化・改革すること2)拡大にむけた交渉を進めるため、加盟申請諸国の準備を支援すること3)拡大に備えた財政政策を図り、EUの予算規模を加盟各国の名目の国内総生産GDPの合計額の1.27%を上限とした規模に抑えながら拡大資金の捻出を図ること としている。
新規加盟国の中で加盟の条件となるコペンハーゲン基準をすべて満たした国はないが、ハンガリー、ポーランド、チェコ、スロベニア、エストニア、キプロスは今後の努力次第で中期的に条件を満たす可能性があると判断され、98年春から正式に加盟交渉が始められた。ブルガリア、ルーマニア、スロバキア、ラトビア、リトアニアの5カ国についてはEU制度との一体化の遅れ、民主主義の達成が不十分などの理由で少し遅れて2000年から加盟交渉が始められた。そして2002年12月のコペンハーゲンの首脳会議で10カ国の加盟が正式に承認されたのである。
◆東方拡大への期待(貿易、投資への影響)
東欧側はEU諸国との経済協力によって貿易や投資の増大、さらに経済援助を見込み、これによる中東欧諸国の経済発展と自分達の生活水準の向上を期待している。
中東欧は既に、体制転換のなかで事実上EUの域内市場となっている。上述したように、欧州協定において関税・非関税障壁が廃止され工業製品の「自由貿易圏」の確立が目指されていたので、EUとの貿易は加盟前から急速に拡大していた。対外貿易のうち対EU貿易は90年代初頭の30%前後から2000年初めには輸入50〜60%、輸出60〜70%前後に上昇している。この変化は、中東欧の貿易構造が根本的に再編され、旧ソ連依存の構造からの脱却が実現されたことを意味する。対EU貿易の拡大は社会主義体制のもとで遅れた生産構造を調整することができた。現地の供給は輸入消費財の競争に適応することを余儀なくされ、また輸入中間財は加工品輸出業者に品質の向上をもたらし、競争力の改善に寄与した。ところで、中東欧からみれば対EU貿易の割合は急増したが、EUからみれば全貿易に占める東欧のシェアはわずか10%に満たない。
中・東欧諸国にとってEUの存在が経済面で非常に重要であることは分かるが、それでは、旧加盟国側(西欧15ヵ国)は中東欧の加盟について何を期待しているのだろうか。一言で言えば、経済のグローバル化の下に世界規模で展開される競争に対応するための有利な条件を獲得することである。当然、中東欧の市場経済への移行と経済的繁栄の確保を支援することを通じて東の安定を実現しようという政治的動機も存在しているのだが、今回は経済的動機に着目する。
まず、中東欧の加盟によって将来的にEUはアメリカ合衆国に匹敵する経済大国になるという。全体でみれば中東欧諸国の経済発展水準は低い。しかしそれは将来の潜在的な経済成長の可能性が高いことを物語っている。東欧の加盟は低成長に悩む成熟したEU経済に新たな成長の可能性を提供する。つまりEUの経済的地位を高め、世界の経済的力関係に重要な影響を及ぼす可能性を提供するのである。
次に中東欧諸国は投資先として非常に魅力的である。EUとの距離の近さが最大の要因であるが、この地域は潜在的な発展を秘めた一大経済圏で体制移行への意欲が強い上、よく訓練され、また比較的低い労働コストで雇用可能な熟練した技能労働者が存在している。中東欧諸国も特に技術・貿易・経営のノウハウに関して直接投資が果たす役割を認識しているので、積極的に外国からの投資を受け入れる政策を進めてきた。EUからの直接投資を契機に企業活動を効率的に再編し、競争力を強化することができる(生産性上昇につながる)と見込んでいるのである。欧州協定が結ばれてからは中東欧諸国に向けたEU企業からの直接投資が活発におこなわれている。
◆東方拡大への懸念(雇用への影響)
第5次拡大は、単純に言えば豊かな先進国(旧加盟諸国;西欧)と遅れた貧しい国(新加盟国;中東欧)との統合なので、当然いろいろな問題が発生しうる。よく指摘されているのが雇用への影響である。旧加盟国側については工場の移転にともなう産業空洞化と東からの労働移動にともなう失業増加が考えられる。非熟練労働者や近隣非加盟国からの不法移民の流入に対する不安を意識して、旧加盟国は加盟後も移動に対する制限措置をとり、最長2014年まで新加盟国の住民の移動を制限することが可能となった。この制限措置が解除されたとき、どの程度の移動が生じるかは不明とされている。しかし80年代に実施された南への拡大は、大きな労働移動を生み出さなかった。さらにEUでは1993年から単一市場が発足し、域内の労働力の自由な移動が認められてきたが実際の15ヵ国域内の労働力移動は予想より少なかったという報告もある。
東方拡大についても、多くの調査は大規模な移動の可能性を否定している。もっともドイツとオーストリアの場合、EU平均を大きく上回る流入が予想され、とくに国境地帯では移動が社会的ダンピングや緊張を生み出す恐れは否定できない。両国の平均所得はEU平均を約15%上回るが、国境の反対側の平均所得は両国の半分以下だからである。また両国に限らず一部の熟練労働者の場合、移動が増加し労働市場が影響を被るかもしれない。
しかし賃金・所得の格差だけが移動を決定するわけではないという。例えば現地の雇用の可能性は、移動に大きく影響する。地理的な距離、言語、文化、移住の伝統、受け入れのネットワークの有無なども影響を与える。これらの諸要因を考慮すれば、大規模移動の可能性は低いといわれている。
新規加盟国側についても産業のリストラの継続にともなう雇用情勢の悪化が心配されている。市場経済で失業は当たり前のことだが、社会主義体制(計画経済)に組み込まれていた頃の中東欧諸国において、失業はないに等しかった。先進諸国でも完全雇用は「福祉国家の夢」であったが、社会主義では先進国の夢が当たり前の事実となっていたという。他方でそれは同時に、社会主義では「皆働いているが、生産性は低く、従って賃金も安い」という現実とも結びついていた。資本主義では、生産性の低い企業は淘汰され、そこで働いている人はリストラの憂き目にあうメカニズムが作用している。市場経済への移行の時点でも、老朽化した非効率な生産設備を大量に抱えていた。社会主義から資本主義への体制転換後の中東欧では、国民経済の急速な産業構造の変化、あるいは個々の産業部門内での破壊的生産後退などによって、それまでの多くの労働者が失業した。この状況は、加盟までに相当改善されたとはいえ、リストラは加盟後も継続されねばならない。加盟は、EUの自由競争的市場経済を受け入れることを意味する。つまり、これからは現地企業も拡大EUで展開される激しい競争に参加することになる。
EUからの直接投資は生産性の向上を助けたが、良い影響を与えるわけではない。一方では、外国企業との協力関係の中で、資金・技術・人的資源・経営のノウハウなどを獲得し、業績が好転する現地企業が現れる。しかし他方では、協力関係の枠外に置かれた企業は、効率性の高い外国企業との競争によって危機的状況に陥る恐れがある。このような現地企業の「二重構造」化の危険をはらんだリストラの継続は失業の増加をもたらす。中長期的にみれば、西への労働移動の増加と経済成長にともなって失業への圧力は緩和されると考えられている。1990年代前半の中東欧は体制転換の影響で急激な雇用減少に悩んだ。90年代後半の成長とともに雇用情勢はいくぶん改善されたが、なお転換開始直前の水準まで回復していない。2002年の失業率は平均15%に達し、EU平均の8%を大きく上回る。この状況に「統合のショック」が影響したとき、短期的には雇用減少と失業増加の恐れは否定しえない。
◆感想
東方拡大がEU経済にもたらす影響、地域間格差の広がり、「収斂」のゆくえ、EUの経済的地位の向上如何さらにこれ以上の拡大の是非、など検討するべき問題が多くあったが、その問題の多さ故、さらに今回は時間やページの都合も考え調査対象を[貿易・投資・雇用]に限定してしまったので、これだけでは充分な分析ができず失敗に終わった。いまさらだが1章の加盟への過程の説明が冗長だった。
東欧諸国の加盟は、EUに現在進行で対処しなければならない多くの課題を突きつけた。東欧を迎えてEUは新たな段階に入った。まだ25ヵ国体制になって間もないが、2007年にはブルガリアとルーマニアも加わり27ヵ国体制になる予定だ。さらに、だいぶ先延ばしにされそうだがトルコの加盟問題も控えている。経済だけでなく民族問題が深刻になってくるだろう(最近ではフランスで移民暴動がおこった。大規模だったので日本のメディアでも報道されたが、フランス政府だけでなくEUの抱える闇が全世界に露呈されたに等しい)。
東欧諸国民の欧州への回帰志向が強かった理由のなかには、経済援助を受けて生活レベルを上昇させたいといったものだけでなく、「西欧との文化的価値の一体性」もあげられている。つまり第二次世界大戦後、鉄のカーテンによって分断された東西ヨーロッパを、歴史的に培われたキリスト教文明を根源とするヨーロッパ共通の文化を通じて一体化し、(ナショナル・アイデンティティーをも越える)ヨーロッパ共通のアイデンティティーを取り戻したいとの願いがあったという。冷戦後の世界においては文化的アイデンティティーが重要な意味をもつとの指摘も存在している。2004年に実施された第5次拡大はそれ以前の拡大と同じように、キリスト教文明つまり古代ギリシャ・ローマ文明の流れをくむ統合だったのだ。
しかし今後、トルコのEU加盟が実現すれば、EUは本格的にイスラム圏へ拡大することになる。トルコの1人当たりの国内総生産はEUの現加盟国の平均の1/3以下とされ、経済格差が問題になっている。貧弱な経済力と対照的に、トルコの人口は7千万人を超えていて、これは英・仏をしのぐ規模である。経済格差の不安もあるが、それに加えてイスラム圏への拡大は宗教観や歴史観の大きな格差をどのように消化していくかといった新たな課題をうみだす。この点が今までのEU拡大とは違うところであり、解決の難しい問題であろう。欧州の拡大がさらに続くことで、ヨーロッパ共通のアイデンティティーというものが失われる可能性もある。EU圏に距離を近くするロシアとの関係も気になる。
ところで現在、EU拡大にともなう財政負担の増加がEU予算審議の展開に悪い影響を与えているという。財政については今回のレポートで触れなかった所であるが、11/28日付けの日経新聞に以下の内容の記事が掲載されていた。主に「EUの中期予算の審議において分担金をめぐる英仏の対立が再び表面化した」事を伝えているものだが、これによるとEU拡大による財政負担がその原因の1つとなっているようだ。
「EU急拡大で主要国の財政負担が増えているうえ、EU内の求心力も低下し、調整機能が働かなくなっている構造を浮き彫りにしている」「対立の背景には、昨年のEU急拡大に伴う財政負担増がある。新たに経済力の弱い中・東欧など十ヵ国が加盟したため、交通インフラ整備の補助金を中心に、支出額は約千五百億ユーロ増える見込み。その分が旧加盟十五カ国の分担金の増額となる」
中期予算の協議が決裂すれば来年の予算執行に影響を及ぼす可能性もでてくるので、現在のEUが直面している事の重大さがわかる。拡大のやり方次第でEUの運命が変わってくるわけだが、この状況を見ると、EUのこれ以上の拡大(具体的にトルコをはじめとしたイスラム圏への拡大)は難しいのではないだろうか。
参考文献
『国際関係の中の拡大EU』森井裕一編.信山社発行.2005
『EUとドイツ語圏諸国』木村直司編.南窓社発行.1999
『現代欧州統合論』石井伸一著.白桃書房発行.2005
『ロシア・東欧経済論』大津定美、吉井昌彦編.ミネルヴァ書房.2004
『日本経済新聞』2005/11/28