ニュルンベルク

I

 

プロローグ

ニュルンベルク Nürnberg ドイツ中南部、バイエルン州の商工業都市。ペグニッツ川の両岸に発達した町で、ドイツの東西南北をむすぶ鉄道交通の要衝にあり、またマインドナウ運河によってドナウ川、マイン川とも通じている。中世以来、玩具製造などの手工業の町として知られ、現在、自動車、金属、電子機器、事務機器、精密機器などのほか、レープクーヘンなどの食品工業がおこなわれる。工業、住宅地域の拡大にともない、北のフェルト、エルランゲンを吸収した経済圏を形成している。人口は488200(1998年推計)

神聖ローマ帝国の帝国都市として発達したこの町には、歴史的建造物が多くのこり、また名所旧跡も多い。おもなものに、ペグニッツ川北岸の旧市街にあるゼバルドゥス教会(13世紀)、南岸の新市街の中心に位置するローレンツ教会(1415世紀)、市街地をとりかこむ城壁(主として15世紀)と市門、第2次世界大戦後に再建された城(1116世紀)などがある。画家デューラーの住居跡のデューラー記念館、ドイツの文化史をテーマにしたゲルマン博物館、玩具博物館、交通博物館も多くの観光客をあつめる。

II

 

歴史

この町がはじめて歴史に登場したのは、ハインリヒ3世が宮廷を開いた1050年のこと。1219年に特許状をえて帝国都市となり、1356年には神聖ローマ帝国の事実上の首都になった。その後、木製用具をはじめとする手工業で知られるようになり、通商路の交差する点に位置することとあいまって、1516世紀には商業と文化の中心地に発展した。

この時代に活躍した芸術家として、彫刻家のシュトース、ブロンズの鋳造師フィッシャー家の一族、画家で木版画も制作したウォルゲムート、そしてその弟子デューラーがあげられる。彼は15世紀末にイタリア・ルネサンスに接してニュルンベルクに工房を開いたドイツ最大の画家である。この時期にはザックスなどのマイスタージンガーも活躍した。また天文学者レギオモンタヌスが、1492年に新大陸への航海でコロンブスが利用した天体暦を作成している

1806年に、この地はバイエルンの支配下におかれた。35年にはフュルトとの間にドイツで最初の鉄道がしかれた。193338年の毎年、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)の党大会が開催された。35年の党大会では、ドイツにすむユダヤ人から市民権を剥奪(はくだつ)するニュルンベルク法が発表された。 ナチズム

ニュルンベルクは軍需産業の中心地だったため、第2次世界大戦中、連合国軍の爆撃によって大きな被害をうけた。戦後の194546年には、ドイツ戦犯をさばく国際軍事裁判がおこなわれた( 戦争犯罪)。戦後、ニュルンベルクは旧市街地をふくめて、完全なかたちで再建された。

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