「新しい理論をつくるのは、古い納屋を取りこわして、その跡に摩天楼を建てるというのとは違います。それよりもむしろ、山に登ってゆくと、だんだんに新しい広々とした展望が開けて来て、最初の出発点からはまるで思いもよらなかった周囲のたくさんの眺めを見つけ出すというのと、よく似ています。それでもしかし出発点は依然として存在し、かつそれを見ることができるに違いないので、ただ私たちが冒険的な路をたどっていろいろな障害物を踏み越えてきたことによって、この出発点はやがてだんだん小さく見え、私たちを広い眺めの些細な部分をなすのに過ぎなくなるのです。」アインシュタイン・インフェルト『物理学はいかにつくられたか』上、岩波新書、R14、2007年、第89刷(1939年、第一刷)、175−176ページ。
理論は、自然や社会・人間・文化などに関する事実に関する知識・理解を体系化したものでしょう。
そうした、理論もまた、今まで知られていなかった新しい事実・新しい実験などにより、修正を迫られ、発展していきます。
自然科学の発達史、社会科学の発達史、人文科学の発達史にも、そのような時代・地域による理論体系とそれを超えていかざるを得ない新しい時代・新しい地域的広がりによって、検討しなおされ、打ち立てられていきます。
ゼミの一人一人のみなさんにとっても、最初にあるテーマについて探求しようとしたときの知識・理解力とその後の探求によって増えた知識・広がった視野・深まった理解力によって、最初の知識・認識力の狭さ・低さを克服していくことができれば(捨てるのではなく、その限界や狭さを見据えることができれば)、山を一段登ったと同じような高み(そこからの視野の広がり)をえられるでしょう。
これは、しかし、小さいときからの知識・理解力の発達史と類似の発達史であり、自らの経験に照らしてたくさんの事例を思い出すことができるものでしょう。
ゼミの論文・卒業論文もこうした全体の流れのひとつの段階ですね。学期ごとに、テーマを再確認し、一歩ずつ、探求を広め深めていき、自分なりに大学生活の総括として、卒論まとめておく、ということですね。
各段階の自分の問題関心(何をどのようなところに関心を持って調べたか)をきちんとファイルとして残しておくことは、自分の知的探求の歴史(登ってきた道筋)を確認する上で、大切であると思います。