配布の参考資料

書評原稿

書評:独立専門家委員会「スイス=第二次大戦」第一部原編、黒澤隆文編訳 川崎亜紀子・尾崎麻弥子・穐山洋子 訳著『中立国スイスとナチズム―第二次大戦と歴史認識―』 

 

 1980年代、ソ連・東欧をついには瓦解させることになるペレストロイカ、グラスノスチ、すなわち自由化と民主化のベクトル群が世界を驚嘆させたが、まさに同時並行的に西側においても冷戦体制の中で封じ込められ、隠ぺいされていた問題群が多かれ少なかれセンセーショナルに暴かれ、俎上に載せられたた。第二次大戦中の不法行為の責任問題、それに関連する賠償問題が次々と発生した。アメリカ政府は日系アメリカ人強制収容で不法行為を認め、賠償金を支払った。オーストラリアの先住民・アボリジニは白人に賠償責任の履行を要求、ナミビアのヘレロの子孫は、20世紀初頭のドイツ植民地で多数のヘレロが殺害されたことに対し、ドイツに多額の支払いを求めた。「従軍慰安婦」だった韓国の女性たちは人間としての尊厳の回復を求め、日本政府に賠償を要求した。こうした世界的うねりのなかで、90年代半ば、戦時中・戦争終結直後からくすぶっていたスイスの第二次大戦中の行動と戦後処理が問題となった。

スイスに対して向けられた問題群と非難はつぎのようなものであった。@所有者消息不明資産の問題。スイスは虐殺されたユダヤ人の財産によって富を築いた。元の所有者のユダヤ人の子孫に返還すべき口座をいまだに持っている。A難民政策の厳しさ。もっと大量の難民を受け入れることができたはずだ。そうすれば大勢のユダヤ人が国境で入国拒否され絶滅収容所に送られることはなかった。Bナチスの略奪品の買い取り。スイス国立銀行は略奪品だと知りつつドイツから金を買った。スイス連邦はナチスが略奪した財産の取引を阻止するために何ら有効な対応策を講じなかった。Cナチスへの経済協力、それによる戦争の長期化。金の購入、寛大な借款供与、軍需物資の供給により、ドイツに協力し戦争の長期化を招き、同時に大量虐殺の長期化をも招いた、と。

問題の発端となった所有者消息不明資産の問題は、歴史科学的研究とは別に、ある意味で政治的に解決された。スイス銀行家協会はアメリカの元FRB議長ポール・ボルカーを委員長とする「独立賢人委員会」を設け、膨大な費用をかけ、諸銀行においてナチ時代に由来するすべての所有者消息不明資産を捜索した。そしてスイスの大銀行は19988月、アメリカの原告と和解し、125000万ドルを支払うことにした。この額によって、今後も独立賢人委員会が発見するであろう所有者消息不明資産の総額が弁済されたものとみなされた。そこにはまた将来におけるスイス連邦およびスイス国立銀行に対する訴訟すべても含まれた。

しかし、なぜ前述のようなスイス非難が戦後ずっとくすぶり続け、未解決だったのか。そもそもこのよう問題群はなぜ、どのような国際的国内的状況で発生したのか。この問題を抜本的に解明するために、連邦議会は199612月、独立専門家委員会の設置を議決した。連邦議会は問題を前向きにとらえ、委員会に本格的な歴史的解明の課題を与えた。歴史研究では前代未聞ともいうべき強大な調査権と巨額の研究調査資金を与えた。強制的な閲覧権は、銀行業、保険業、製造業など民間企業の文書の調査を可能にした。銀行の守秘義務や、文書の利用に関連するその他の法規も、委員会とその参加者の活動を妨げないとされた。連邦内閣は、バルトシェフスキ(ポーランド人、アウシュヴィッツ囚人経験、ワルシャワ蜂起参加、ルブリン大学現代史教授、ミュンヘン大学他で政治学教授、20006月ポーランド外務大臣)、フリードランダー(プラハ・ユダヤ人家庭の出、カリフォルニア州立大学教授、テルアヴィヴ大学教授を歴任)といった外国の研究者を含む歴史と法律の専門家9名を任命した。予算は2200万フランで、最も集中的に作業がなされた2年間には40名を超える研究者がスイス内外の文書館で史料収集にあたったという。その研究成果の最終的なエッセンスがここに訳出されたわけである。

本書は二部構成であり、第一部「ナチズム・第二次大戦とスイス」が、独立専門家委員会「スイス=第二次大戦」の最終報告書(2002年)の翻訳である。委員会はそれに先立って問題別に詳細な調査結果を全25巻(総計約11000頁)にまとめた。それぞれの巻の結論を一冊に取りとめたのが、この最終報告書(本書で486頁のボリューム)である。これを黒澤・川崎・尾崎の3名が分担して翻訳し、全体の点検・統一・訳注などの最終責任を黒澤が負っている。構成は、前書き、1.委員会設立の経緯と課題、2.国際情勢とスイス、3.難民と難民政策、4.国際経済関係と資産取引、5.法とその運用、6.戦後における財産問題、7.結論:研究成果と未解明問題、となっている。

第二部「スイスの近現代史と歴史認識」は、第一部をスイス史の中に位置付けて理解できるようにするための独自論文5本で構成されている。それらは黒澤が編者となってまとめたものであり、次のような内容である。1.多国籍企業・小国経済にとってのナチズムと第二次大戦(黒澤)、2.スイス・フランス国境地域と第二大戦(尾崎)、3.スイスのユダヤ人解放をめぐって―アルザスユダヤ人との関係を中心に―(川崎)、4.スイスの外国人政策―19世紀末から「外国人の滞在と定住に関する連邦法(1931年)」成立まで(穐山)、5.スイスの「過去の克服」と独立専門家委員会(穐山)。それぞれに力作であり、各論文の相互連関性によって、「中立国」スイスをめぐる一筋縄ではいかない複雑な諸関係が明らかにされ、わが国のこれまでのスイス認識の一面性を根本的に改めさせるものとなっている。この部分だけの独立の著書としても価値があろう。

しかし、なんといっても第一部が圧巻であり、みごとな本格的実証研究となっている。その内容は、「ナチズム・第二次大戦とスイス」というタイトルから期待されるよりはるかに広く深い射程をもち、スイス問題を突破口として、それと密接に結びつくヨーロッパ史・世界史との関連を明らかにし、われわれの世界現代史理解を大きく前進させる高い水準のものとなっている。第一次大戦とその帰結、ヴェルサイユ体制とその問題性、そして連合国と枢軸国が世界戦争で死闘を尽くす全体状況、ドイツの軍事的優勢から敗退への変化、連合国の勝利、冷戦体制といった世界的力関係の変化が、そのときどきのスイスの国家と社会・経済の行動を、そしてまた世界各国のスイスに対する態度を規定したことが理解できる。

提起された問題群は膨大な史料に基づき、事実連関に即して冷徹に解明されている。その成果を簡単に要約することは、具体的な連関を抽象的に抜き出すことになり不適切であろう。しかしその危険を念頭に置きつつ、評者の観点から経済的関係に関する結論的部分の若干だけを紹介しよう。

最終報告書によれば、1930年代当時スイスの最大の貿易・投資相手国となっていたドイツの景気が再軍備により力強く回復し始めると、ドイツ市場が魅力的となった。ナチス・ドイツの地位が強まるとスイス経済界はドイツの状況への順応と強め、経済界の圧倒的多数の者がこれに屈した。その結果、銀行・保険会社はナチスの迫害を受けた顧客の利害を無視するに至り、ユダヤ系社員を解雇し、スイスの新聞社に対して、ドイツの取引相手や政治組織についての批判的な記事を書かないように圧力をかけた。そして、戦争の間も、スイスの銀行はドイツの経済界に資金供給をつづけた、と。

スイスは国土防衛のため193992日に総動員令を発した。総司令官ギザンは、フランス軍の司令部とひそかに軍事援助協定を結んだ。405月初旬、スイス軍は最大限の出動準備態勢にあった。ドイツのフランス攻撃がスイス経由で行われることが危惧された。戦後明らかになったように実際に、406月から44年まで、スイスを攻撃するドイツの様々な計画があった。ドイツがフランスを占領し、イタリアもこれに加わって枢軸がヨーロッパを支配している権力状況で、態度が変化した。スイスは一方では政治的軍事的独立を守る姿勢を保ちつつも、他方で経済的にはドイツと通商協定を締結し、数回にわたり延長した。ドイツは石炭、鉄、石油その他の原料を供給し、スイスはドイツの軍需産業用の製品及び農産物、電力を供給した。1909年のゴットハルト条約に従って、枢軸国ドイツとイタリア間のアルプス鉄道の連絡を保障した。周囲を枢軸国に包囲されたスイスは、連合国および中立国に対しても戦時中を通じて貿易関係を維持したが、総体としてみるとドイツによって支配された経済圏に統合される度合いが強かった。

だが、実はスイス経済とドイツ経済の関係はナチス政権以前から密接だった。とくに1920年代と30年代初頭、ドイツによる隠密裏の軍需開発をスイス企業は支援し、スイス当局はそれを黙認していた。この関連からすれば、スイスはヒトラー・ナチス政権が短期間のうちに戦争遂行可能な水準に達するのを助けたのである。20年代初期から、ヴェルサイユ講和条約の結果、高度に発達したドイツの軍事技術はスイスに移され、そこでさらに発展を遂げていた。これが32/34年以降ドイツに持ち帰られた。スイス政府は、輸出能力のあるドイツの武器製造企業がスイスへ移転することを、軍事政策上・外交上の理由で歓迎した。スイス政府は1918年以来、戦勝国の論理の行き過ぎに反対しており、勢力均衡の必要性を主張していた。ドイツを対等のメンバーとして国際連盟に加盟すべきであり、内外のボルシェヴィキ勢力による挑戦に対して、十分な軍備をもつべきであると考えていたのである。最終報告書を読んで驚くのは、こうしたある意味で確信犯的な中立違反のいくつもの事例である。その事実関連が隠されることなく明らかされていることに感銘を受ける。

スイスが中立を守ったという抽象的一面的な歴史イメージは今回の最終報告書が究明した事実群により修正され、表面的で感情的な弁護論の余地は残されていない。逆にまた表面的で感情的なスイス非難も歴史科学の方法によってリアルかつ説得的に批判されているといえよう。その意味で本書は、歴史を問い直し見つめなおす課題について歴史研究がなすべき貢献の在り方、歴史研究の方法やあり方をも模範的に示すものとなっている。翻訳の労を多としたい。

評者:永岑三千輝(横浜市立大学名誉教授)

京都大学学術出版会、201011月、XII7199000円(本体);450円。


 [MN1]『世界の教科書シリーズ27 スイスの歴史 スイス高校現代史教科書<中立国とナチズム>』明石書店、2010年、p.68 「前史としての1980年代」より