ポルトガルに対するオランダ・イギリス

(サイード『オリエンタリズム』92ページ)



江戸初期
1630年代


 1637年秋から38年春にかけて島原の乱が起こると、幕府はキリスト教に対する警戒を強め、外国人の取り締まりを一層厳しくした。


 ポルトガル人に対しては、キリスト教との関係が深いとして、

 36年にすでに、ポルトガル人とその混血児をマカオに追放する措置をとっていたが、

 39年には、さらに、ポルトガル船(ガレウタ)渡航禁止令を出して、ポルトガル人の来航を完全に禁止した。


幕府にこれらを含む一連の鎖国政策をとらせた背景には、遅れて日本にやってきた新教国のオランダ、イギリスが、旧教国のポルトガル、スペインを日本市場から締め出すために、後者の布教活動を中傷する情報を幕府の耳にいれるということがあった。