タイの歴史―王朝の盛衰・領土の拡大と縮小―

古い時代から現代までの通史として
唯一の参考文献











  現在の国境・領土は、歴史の有為転変の産物

 その歴史は、東南アジアだけではなく、中国の歴史、インドの歴史、インドネシアの歴史、日本の歴史、そして、世界の歴史と関連。





1257〜1350 スコータイ朝
13世紀にメナム川流域に建設されたタイ族の王朝

 


1350〜1767年アユタヤ(アユッタヤー)王朝




  15世紀から17世紀「交易の時代」









ラーマ一世 1735〜1809年

 アユタヤ朝の末期、戦功により、チャクリの称号を授けられた(チャクリ朝、とも)。

 自ら王位につき、ラーマ一世と称し、首都をバンコクに移す(このため、バンコク朝とも称される)。










イギリスの進出―タイとイギリスとの関係


イギリス、ペナン島を良港として確保を狙う。
その島の領主、クダー領主に租借を求める。


タイとビルマの勢力に圧迫を受けていたクダー領主・・・
迷っているうちに、イギリスが占領。
そこで、租借を認める。






モンクット王(1804〜68年




イギリスとの修好条約

イギリスに続き、他の諸国とも、同様の条約を締結

不平等条約




タイの領土喪失




西(イギリス)と東(フランス)から、領土を削減されて、
細長い領土に縮小してしまったタイ





チュラロンコーン王(1853〜1910)
     タイの近代化を推進




近代化のための「御雇外国人」
 1906年の時点で、イギリス人126人、
            ドイツ人36人、
            北欧諸国・・・39人、
            そして、日本人9人





ワチラーウット王(1881〜1925、在位1910〜25年)




第一次大戦では、協商国(イギリス、フランス側で参戦)




鉄道網の建設







人民党による立憲革命



人民党の主要メンバー・・・立憲革命の立役者たち





第二次世界大戦・・日本側について、
 「失地」回復