テキスト:第2章 近代世界システムの形成と近代国家の出現



地域的貿易圏から世界的貿易圏へ

8つの経済圏(近代的世界システム以前の経済圏)



T 近代世界システムの形成

大航海時代

 15世紀末から16世紀にかけて、地理上の「発見」。
  →グローバルな(地球規模の)直接の結びつき

〔地図1〕

 大規模な航海と征服活動

 強力な国家の形成、
 科学技術の向上、
 商業の発展

 第一
 スペイン、ポルトガル両国・・・イベリア半島におけるイスラム勢力を駆逐
再征服(レコンキスタ)」・・・中央集権的な、軍事的にも強力な国家を創設。

 第二
 
14
世紀から16世紀・・・イタリア起点、ルネサンス・・・自然科学の発展や技術の向上

  地球球体説・・・・地理上の「発見」
  科学知識を普及させる印刷技術、
  航海に必要な羅針盤等の技術、
  征服活動に必要な火器

 第三
  商業利潤の獲得への欲望・・・原産地とのあいだに直接の貿易ルートを築くことで巨利を狙う。
  国家と結びついた商業・征服活動。

  金製品などの宝物を奪い、過酷な強制労働を課す。
  新しい疫病によって先住民の人口は著しく減少し、地域によっては絶滅(マクニール)。

 先住民を使役して南アメリカで鉱山開発・・・金銀の生産拡大・・・巨大な利潤

近代世界システムの出現

 ヨーロッパと南北アメリカ大陸を覆う単一の経済圏
 ・・・この経済圏において
17世紀までに、「近代世界システム」経済体制、構築。

単一の世界市場
 各地域は世界市場むけに販売する商品の生産
 各地域のあいだの分業
 地域間の経済的不平等


 ヨーロッパ諸国・・・経済圏の中心、工業発達・・・17世紀・・・オランダ、イギリス、フランス。

周縁・・・西ヨーロッパ諸国へ工業原料食糧嗜好品などを供給


 中心による周縁の搾取
 中心における冨の集積

 不平等な国際分業

 典型的なもの・・・大西洋上で発展した「三角貿易」。

三角貿易

 〔地図2:18世紀なかばの大西洋と三角貿易


 ヨーロッパの港町―例えばイギリスのリヴァプール―から、下級の綿布などの安価な繊維製品や銃器を載せた船が出港

 船は西アフリカの海岸に到着し、積荷と交換に奴隷商人などから奴隷とされた現地住民を買い集め、船に乗せる。

 この「積荷」をカリブ海の島々に運び、生き残った者(きわめて過酷な処遇のために途中の航海中に亡くなる奴隷も多かった。)を売りさばく。

 カリブ海のジャマイカ島(イギリス領)やサン・ドマング島(フランス領)では、ヨーロッパ人が経営する砂糖キビのプランテーション(商品作物を栽培する大規模な農園)がある。

 黒人奴隷・・・砂糖生産・・・奴隷を売って空になった船に載せてヨーロッパの港

 奴隷供給地、アフリカ大陸・・・推計、1200万〜2000万人の奴隷

U 近代国家と主権国家体制の成立

近代国家の誕生

 航路開拓、植民地征服・・・強力な軍事力・・・国家権力
 その国家権力のもとで、重商主義政策
 ・・・しばしば戦争
 ・・・強力な国家体制を構築


 それ以前、中世なかばの1213世紀のヨーロッパ諸国・・・封建制

 国家の中心に位置する君主権・・・封建制の諸関係の頂点に位置するだけで官僚機構と常備軍を欠き、財政的うらづけもないなど、きわめて弱体
  
 1415世紀の中世末期からしだいに各国の君主権が中央集権化・・・近世に入った16世紀以降、特に前進。

 17世紀・・・ヨーロッパの多数の国が長期にわたってあい争った三十年戦争など


 軍隊・・・中央から地方へと広がる官僚機構・・・徴税・・・君主の宮廷の出費、とりわけコストのかかる常備軍の維持と戦争のための出費をまかなうよう

地方領主らの権力は大幅に自立性を奪われ、国家の中央権力が全領土における支配権を独占するに至った

ヨーロッパ大陸で発達した絶対王政と、イギリスの議会王政を対比しながら見てみよう。

〔地図3〕










絶対王政と議会王政

 典型的な絶対王政・・・国王ルイ14世(在位16431715年)の統治下におけるフランス
  戦費調達…徴税権・・・中央集権化

  これに対して領主層と民衆はしばしば抵抗
   三十年戦争が終結した
1648年に起きた「フロンドの乱」

   王権はこの反乱を鎮圧

 フランスの東隣のドイツ・・・神聖ローマ帝国が三十年戦争によって無力な存在となり、そのもとにあった多数のに分かれていた諸領域―「領邦」と呼ばれる―が近代国家へと成長

  2強国、プロイセンとオーストリア・・・フランスと似た絶対王政

 ロシア・・・農民を奴隷に近い状態に置く農奴制と、農奴を支配する貴族に立脚する皇帝専制政治、確立

された。

 イギリス・・・議会王政

  イギリスでも17世紀に危機・・・フランスと同様に海外進出と戦争に莫大な費用

  三十年戦争のころ、ここでも王権は領主・都市を代表する議会と対立し、議会側の反抗

  議会が勝利し、王政廃止(ピューリタン革命)。

 その後、王政が復興・・・王権が再び絶対王政化をはかると議会が王を追放し、議会の権利を認める別の王を迎えた(名誉革命)。

 
王に権力が残るものの、議会の決定が尊重される議会制が確立


主権国家体制

 主権を持つ諸国家が、相互に主権を承認しながら同盟し、戦争をし、また講和をするといった国際関係のルールが成立


近代のはじまり・グローバル化のはじまり

 オスマン帝国、ペルシア、中国、日本などアジアの大部分は、貿易によってヨーロッパと結びついたものの、その覇権のもとに組み込まれていたわけではない。むしろ、アジアにおいては長いあいだヨーロッパは、現地で成立していた貿易網の一角に食い込んで補完的な役割を果たしていたにすぎないし、アジア諸国の多くは富裕な強国として繁栄を続けていた。

 しかしやがて次の段階にはこれらの地域も、世界システムにいやおうなく組み込まれていくことになる。そのような意味で
1618世紀を近代のはじまりと位置づけることができるし、グローバル化の第1段階とすることもできよう。

コラム 奴隷制と植民地主義の反省