U 近代国家と主権国家体制の成立
近代国家の誕生
航路開拓、植民地征服・・・強力な軍事力・・・国家権力
その国家権力のもとで、重商主義政策
・・・しばしば戦争
・・・強力な国家体制を構築
それ以前、中世なかばの12〜13世紀のヨーロッパ諸国・・・封建制
国家の中心に位置する君主権・・・封建制の諸関係の頂点に位置するだけで官僚機構と常備軍を欠き、財政的うらづけもないなど、きわめて弱体
14〜15世紀の中世末期からしだいに各国の君主権が中央集権化・・・近世に入った16世紀以降、特に前進。
17世紀・・・ヨーロッパの多数の国が長期にわたってあい争った三十年戦争など
軍隊・・・中央から地方へと広がる官僚機構・・・徴税・・・君主の宮廷の出費、とりわけコストのかかる常備軍の維持と戦争のための出費をまかなうよう
地方領主らの権力は大幅に自立性を奪われ、国家の中央権力が全領土における支配権を独占するに至った
ヨーロッパ大陸で発達した絶対王政と、イギリスの議会王政を対比しながら見てみよう。
〔地図3〕
絶対王政と議会王政
典型的な絶対王政・・・国王ルイ14世(在位1643〜1715年)の統治下におけるフランス
戦費調達…徴税権・・・中央集権化
これに対して領主層と民衆はしばしば抵抗
三十年戦争が終結した1648年に起きた「フロンドの乱」
王権はこの反乱を鎮圧
フランスの東隣のドイツ・・・神聖ローマ帝国が三十年戦争によって無力な存在となり、そのもとにあった多数のに分かれていた諸領域―「領邦」と呼ばれる―が近代国家へと成長
2強国、プロイセンとオーストリア・・・フランスと似た絶対王政
ロシア・・・農民を奴隷に近い状態に置く農奴制と、農奴を支配する貴族に立脚する皇帝専制政治、確立
された。
イギリス・・・議会王政
イギリスでも17世紀に危機・・・フランスと同様に海外進出と戦争に莫大な費用
三十年戦争のころ、ここでも王権は領主・都市を代表する議会と対立し、議会側の反抗
議会が勝利し、王政廃止(ピューリタン革命)。
その後、王政が復興・・・王権が再び絶対王政化をはかると議会が王を追放し、議会の権利を認める別の王を迎えた(名誉革命)。
王に権力が残るものの、議会の決定が尊重される議会制が確立
主権国家体制
主権を持つ諸国家が、相互に主権を承認しながら同盟し、戦争をし、また講和をするといった国際関係のルールが成立
近代のはじまり・グローバル化のはじまり
オスマン帝国、ペルシア、中国、日本などアジアの大部分は、貿易によってヨーロッパと結びついたものの、その覇権のもとに組み込まれていたわけではない。むしろ、アジアにおいては長いあいだヨーロッパは、現地で成立していた貿易網の一角に食い込んで補完的な役割を果たしていたにすぎないし、アジア諸国の多くは富裕な強国として繁栄を続けていた。
しかしやがて次の段階にはこれらの地域も、世界システムにいやおうなく組み込まれていくことになる。そのような意味で16〜18世紀を近代のはじまりと位置づけることができるし、グローバル化の第1段階とすることもできよう。