シオニズム、シオニストの思想と運動、シオニスト国家イスラエル
イスラエルには、同じユダヤ人といっても、
多様で対立的な諸潮流・多様な系譜のユダヤ人がいる。
また、同じシオニストが、歴史的経験・闘いの中で、思想内容を変容させていった場合もある。
「社会主義」理念・階級的見地から、民族主義的観念・思想体系・運動の指導者に変化していった場合もある。
「階級から民族へ」
ベングリオンの場合、1905〜1929年と、1920年代から1930年代の間の変化
「1930年代前半、ベングリオンは対アラブ交渉を担当していた党の同僚モシェ―・シェルトク1894-1965とともに、
パレスチナでユダヤ人が多数派となりユダヤ人国家が樹立された後に「アラブ連邦」に加盟するという案を提示しつつ、
パレスチナ内外のアラブ人指導者との交渉を精力的に行った。しかしベングリオンとハーッジ・アミーン・フサイニ―の
直接対話スラ実現しないまま、シオニストとパレスチナ・アラブ人の交渉はやがて断絶する。
パレスチナを自分たちのものであるとする双方の相容れぬ主張が最大の原因であるが、
シオニストによる対英交渉の優先やパレスチナ外のアラブ人との交渉、
更には交渉の傍らで常習化していたシオニストによるパレスチナ・アラブ人の買収が
相互の不信感や軽蔑の念を増大させた事も、
この「不毛の外交」の重要な背景であった。」(森まり子、同上、142)
イスラエルを統合する主義、すなわち、
シオニズムにも、右から左まで、多様な傾向の個人・潮流、その変遷。
その出自(世界の、とくにヨーロッパのどこの国地域からの出身か)により、多様なユダヤ人。
ユダヤ人が多様な政治的文化的諸潮流から成る総合的呼称・概念であり、
イスラエルの国家を支配している潮流がどのようなものであるか、つぶさに検討する必要がある。
シオニズム・シオニストが支配する国家であるにしても、そのシオニズムの内容・主張の力点を検討する必要がある。
したがって、
イスラエルとユダヤとは、区別・相互比較を各種レベルで行う必要がある。
早尾貴紀『ユダヤとイスラエルのあいだ――民族/国民のアポリア』青土社、2008年3月刊
ここで紹介されているように、ハンナ・アーレントやマルチン・ブーバー(1918、1920、1920-09、1921)ような「二民族共存」の国づくりという発想も、あった。
しかし、長い間の住民・パレスチナ人・パレスチナアラブ人と新たにやってきたシオニストとは、土地をめぐって、相容れない利害対立があった。
シオニストが戦後混乱期にパレスチナ人を追放するという力の解決となった。
・・・追放されるパレスチナ人にとってはナクバ(大災厄)・・・イスラエル建国の暴力・民族浄化。
ロシアからイスラエルにやってきたロシア・ユダヤ人シオニストについては、
Cf. 鶴見太郎『ロシア・シオニズムの想像力――ユダヤ人・帝国・パレスチナ』東京大学出版会、2012.
同 『イスラエルの起源――ロシア・ユダヤ人が作った国』講談社選書メチエ、2020.
2023年10月から2024年現在のイスラエル国家の軍事的ガザ攻撃に的を絞った場合、
すなわち、ガザへのジェノサイドという現実に的を絞った場合、2024年7月11日の報告では、
ナチス・ドイツの占領下におけるワルシャワ・ゲットー蜂起とそれへの徹底的殲滅作戦を比定しないわけにはいかない。
徹底的殲滅作戦を実行したシュトロープ(すなわちナチス親衛隊将軍で死刑執行人)の獄中での「告解」は、
同じ獄中で聞き取ったモチャルスキの天才性もあって、殲滅作戦の前景化に関する素晴らしい一次史料である。
カジミェシュ・モチャルスキ『死刑執行人との対話』恒文社、1983。