ヒトラーの人種主義的反ユダヤ主義

  
・・・ユダヤ人は、宗教(共同体)ではなく、民族であり、人種である、と。
         民族であり、人種であるユダヤ人を徹底的に攻撃する言説。

    ・・・『わが闘争』で典型的に多数の言説で確認できるのは、主観的断定・断言・信念の羅列。
       (全くの事実無根ではなく、一定の諸事実を基礎に)
      自分の言説についての客観的実証的証明は存在せず、彼の信奉者の共感・賛同を得るだけ。

       しかし、彼の民族主義的世界観・ナチズムが信奉者の数を増やし、大衆をとらえ、
       さらにその政治運動・政党が1933年1月以降国家権力を掌握し強化していくと、巨大な力となる。



   ヒトラー『わが闘争』1939年版ドイツ語、引用は、角川文庫版、1973より)
      序言
      ・・・ナチスの「運動の信奉者」に、「教説を規則的、統一的に代弁するため、
        その原則的なもの」を「永久に書きとどめる」と。



   第1巻―民族主義的世界観、(ドイツ語オリジナルではAbrechung決算、決着)

    第11章 民族と人種(Volk und Rasse)   
以下は、この章からより抜粋

     (Cf.この章に関する最近の学術的研究(『わが闘争』批判的新版の編集に関わったテッペル論文


  412 文化の創造者としてのアーリア人種

  413 われわれが今日、人類文化について、つまり芸術、科学および技術の成果について目の前に見出すものは、ほとんど、もっぱらアーリア人種の創造的所産である。  

  414 日本文化・・・それはヨーロッパやアメリカの、したがってアーリア民族の強力な科学・技術的労作なのである。

  415 個々の民族を検討するならば、存在するのはほとんど例外6,418,264なしに、本来の文化創造的民族ではなく、ほとんどつねに文化支持的な民族ばかりである
      アーリア人種は…異民族を征服し、…人種的に劣った人間を多量に補助手段として自由に利用することに恵まれつつ、彼らのうちに眠っていた精神的、想像的な能力を発展させる。

  423 共同体への奉仕
      個人的な労働を傾注し、また必要ならば、他のために自分の生命をも犠牲にしようとするこの意志は、アーリア人種ではもっとも強力に養われている。
      アーリア人種は精神的特性そのものが最大であるのなく、あらゆる能力を共同体に喜んで奉仕させようとする程度が最大なのである。

  424 全体社会に対する犠牲能力
      義務の遂行――つまり自己自身を満足させるのでなく公衆に奉仕する好意――、そのような行為が出てくるところの根本的な志操を、われわれは――エゴイズムや私利と区別して――理想主義と名づける。われわれはその言葉によって、ただ個人が全体社会に対する、彼の同胞に対する犠牲能力を理解する・・・理想主義のみが「人間」という概念を創造した・・・アーリア人種       はこの内面的な志操によってこの世界における彼らの地位をえたのであり、世界に人間が存在しているのもその志操のおかげである。

  427 アーリア人種とユダヤ人

     アーリア人種に、最も激しい対照的な立場をとっているのはユダヤ人である。世界のどの民族でも、いわゆる選ばれた民族より以上に自己保存衝動の強く発達しているものはない。
      ユダヤ人の知性は自分が進化した結果ではなく、他者をお手本の実物教育の結果である。
  428 かれらの知性はあらゆる時代を通じて、かれらの周囲にある文化圏によって発達した。・・・文化民族に対するもっとも本質的な前提、つまり理想主義的志操はまったく欠けている

  429 ユダヤ的エゴイズムの結果
      かれらの犠牲心は外見上だけのものである。・・・きわめてはなはだしいエゴイズムの本性・・・相互に血みどろの闘争をするネズミの群れが表れてくる。
  430  ユダヤ人を導くものは、個人のあからさまなエゴイズム以外のなにものでもないのだ。

     ユダヤ人の見せかけの文化
     ユダヤ民族は、あらゆる外見上での知性的特性をもっているにもかかわらず、なお真の文化、とくに自身の文化を持っていない。

  431 あらゆる芸術の中でも女王の位を占める二分野である建築と音楽は、ユダヤ人全体になんの独創も負うことはできない…この芸術の分野でかれらによって行われたことは、改良を企ててかえって改悪したことか、あるいは精神的ぬすみとりである。

  432 ユダヤ人はどのような文化形成力ももっていない。というのは、それがなければ人類の真により高い発展が不可能であるような理想主義がかれらには存在していないし、また存在したことがなかったからである。

  433 ユダヤ人は寄生虫

      ユダヤ人は、…つねに他民族の体内に住む寄生虫に過ぎない。しかもかれらがしばしば今まで住んでいた生活圏を放棄してきたことは、かれらの意図によるものではなく、追い出されてあ結果であり、かれらは、時々悪用した母体民族によって追い出しを受けた。だがかれらの自己繁殖は、すべての寄生虫に典型的な現象であり、かれらはつねに自己の人種のために新しい母体を探している。

  434 かれらは典型的な寄生虫であり続ける。つまり、悪性なバチルスと同じように、好ましい母体が引き寄せられさえすればますます広がってゆく寄生動物なのである。そしてかれらの生存の影響もまた寄生動物のそれと似ている。かれらが現われるところでは、遅かれ早かれ母体民族は死滅するのだ。 


  435 ユダヤ人の「宗教共同体」
     他民族の内部でのかれらの生活は、かれらが問題にするのは一つの民族ではなく、特殊なものであるとしても一つの「宗教共同体」であるというような意見を、一般に呼び起こすことが成功する場合のみ、継続が保証される。 
     しかし、これは第一の大きなうそである。かれらは、民族の寄生虫として自分の生存をつづけてゆくためには、自分の固有の存在様式を放棄しなければならない。
  詐欺。母体民族の大部分がついには、ユダヤ人は特殊な信仰箇条をもってはいても、実際上はフランス人あるいはイギリス人、ドイツ人またはイタリア人であると真面目に信じてしまうほどまでに(詐欺が)成功する。

  436 ユダヤ人は、つねに一定の人種的特性をそなえた民族だったのであり、けっして宗教だったのではない。ただかれらの生活生活の必要が、自民族に属するものに向けられている不愉快な中尉を紛わせうる手段を、すでに早くからユダヤ人に求めさせていたんもだ。だが、宗教共同体という他から借りた概念を滑り込ませるより以外に。より目的にかなうと同時により無害であるような、どんな手段が存在しただろうか?というのはこの場合でも、すべては借りものであり、より適切にいうならば盗んだものである。――元来自己の存在様式からして、理想主義をどのような形式にしろもたず、したがってまた。彼岸に対する信仰にも完全に無縁であるという点だけで、ユダヤ人は宗教制度など所持できない

  437 ユダヤ教の教義

     ユダヤ教の教義は、第一は、ユダヤ人の血の純粋さを保存するための、またユダヤ人相互の交際およびそれ以上に他の人々、つまり非ユダヤ人との交際までも規制するための命令である。…かれらの生活はただこの世のものであるに過ぎず、かれらの精神は真のキリスト教とは内面的にまったく無関係であり、その本質は二千年以前に新しい教義の偉大な創始者、つまりキリストにさえもそのように考えられた。もちろんキリストは、自分の見解をユダヤ民族に少しも隠さなかったし、このすべての人類の敵を追い払うためには(キリストは)鞭すらも握った。ところが、そのためにキリストは当然十字架につけられた・・・・これに反して、わが国の今日のキリスト教政党は、選挙にはユダヤ人の投票をねだり、後には無神論的ユダヤ政党と政治的不正取引を協定しようと努めるまでに品位を落としている。それも自分の民族の利益に反してのことなのである。

 ユダヤ主義とは人種ではなく宗教のことであるという、この最初の、また最大のうその上に、避けることのできぬ帰結として、ますます続きのうそが重ねられていく




  454 ユダヤ人は…人類搾取の資本主義的方法をとことんまで組織化、・・・うその名人



  
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以上のような人種主義t系反ユダヤ主義の言説を見ても、直ちに、ユダヤ人、ユダヤ民族の殺害、ないし絶滅を主張しているわけではない。
反ユダヤ主義とユダヤ人殺戮との間には、沢山の媒介項(たくさんの諸要因)がある。 

ヒトラーのユダヤ人殺戮を考える場合に、これらの媒介項、諸要因を明らかにしていく必要がある。

どの様な媒介項、どのような要因があるのか?


『わが闘争』の第二巻、ナチズム運動、それが敵だとみなしたものは何か、どの様な国家政策を打ち立てようとしているか、
 政権の座に就き、国家政策としてその実現を目指していく過程(対抗する諸政治勢力との戦い・権力確立・膨張・戦争)、その挫折の過程、これが問題となる。


 ナチズムの思想・運動・体制と対決したものは何か?
 
 ナチズムの思想・運動・体制の根底的誤りを多大の犠牲を払いつつ打破し、崩壊させたものは、いかなる諸思想・いかなる諸運動、いかなる諸体制か?