初掲載2024-05-22 随時適宜更新
民族主義理念
・・・・国民社会主義ドイツ労働者党の政策Die Politik der NSDAP・・・ヒトラー『第二の書』(角川文庫版、第五章)
Nationalsozialisitische Deutsche Arbeiterpartei
ヒトラー『第二の書』(角川文庫版、第五章)より抜粋
・・・・「わが民族の生存のために領土獲得政策Raumpolitik(生存圏拡張Erweiterung des Lebensraumes))」
87
「私はドイツ国民主義者である。Ich bin deutscer Nationalist.
すなわち私はわが民族性Volkstumを信奉するものである。
私が考えること、行動することはすべて、この民族性に所属する。
Mein gesamtes Denken und Handeln gehört ihm.
私は社会主義者である。私には階級も身分も関係ない。
Ich bin Sozialist. Ich sehe von mir keine Klasse und keine Stand,
私の目に入るのは、血で結ばれ、言語を同じくし、同じ普遍的運命の手にゆだねられている
人間たちがつくるあの共同体の姿なのだ。
sondern jene Gemeinschaft von Menschen, die blutsmäßig verbunden, durch eine Sprache geeint,
einem allgemeinen gleichen Schicksal unterworfen sind.
私はこの民族を愛し、その時々の多数派を憎んでいる。
Ich liebe das Volk und hasse nur seine jeweiigen Majoritäten.
今日私が率いている国民社会主義運動 nationalsozialitsische Bewegungは、わが民族の内外における解放を目的においている。」
88は
「この運動はドイツ民族の生存権のために戦う運動であるから、ドイツ民族の日々のパンを求めて闘争しているのである。
この運動はドイツ民族の生存権Lebensrechtを擁護する運動であるから、生存に必要な領土für den notwendigen Raumを求めて闘争している。
外交政策面
「今までの市民的政党bürgerliche Parteienと一線を画しているのである。
国民的national市民的bürgerliche社会の外交政策は、実際のところ、国境回復政策Grenzpolitikでしかなかったのであるが、
これに対し、国民社会主義運動の外交政策は常に領土獲得政策Raumpolitik(生存圏政策)となっているのである。」
ヒトラー『第二の書』(角川文庫版、第六章 ドイツ統一と領土不足問題)より抜粋
ドイツ語版タイトル・・・Von der Reichseinigung zur Raumpolitik ドイツ統一から生存圏Raum政策へ
91
「生存不可能な大地の上に住んでいる民族は原則的に言って、少なくとも健全な営みをしている限り、
その大地、すなわち生存圏を拡張しようと常に努力するものである。
Völker auf unmöglicher Bodenfläche werden grundsätylich, zumindest solange
sie gesund geführt sind,
stets das Bestreben haben, ihren Boden, mithin Lebensraum, zu erweitern.
94 ポーランドを併合するのではなく、
「民族国家der völkische Staatは・・・自らのドイツ民族の血を再三再四弱めさせることがないようにするためにも、
この人種的異分子を囲い込むか(閉じ込めるabkapseln)、こういう異分子をそもそも手っとり早く追放してしまって、
それで空いた土地を自民族同胞に振り替えてやらねばならないか、決断を下さなければならなかった・・・」
98-99
ドイツ帝国創立への64年デンマーク戦争(プロイセン、オーストリアの勝利)、66年普墺戦争、70年から71年普仏戦争の
「赫赫たる勝利を得たこの三つの戦争――中でも三番目に起こった戦争ではドイツの政治、ドイツの用兵――さらに
ドイツの英雄的精神が形を伴った奇跡となって現れた・・・」
99
「帝国の成立は、いちばんの危機、すなわちわれわれドイツ民族の最も偉大なる軍事政策的行為は、
その中の土地で自給できるような国境をドイツ民族にもたらすことはできなかったのである。・・・」
ヒトラー『第二の書』(角川文庫版、第七章 ビスマルクの外交目標とビスマルク後の外交政策)より抜粋
103 ビスマルク賞賛
「プロイセン・ホーエンツォレルン家主導による新たなドイツ帝国を形成し、
外部に対してこの新たなる帝国の安全を最大限まで確保し、この帝国内の管理をプロイセンを模範として組織することにあった。
この目標に向かってビスマルクはあらゆる可能性を利用した。外交術が成功を導く限りでは、それを最大限に駆使した。
より大きな力のみが決定をもたらし得るときには、剣にものをいわせた。彼は政治の巨匠であった。」
106
ビスマルクの後継者の無能さを批判。
ヒトラー『第二の書』(角川文庫版、第十二章 民族価値と政治目標
ヒトラーの一貫したイギリス評価・・・ドイツとの敵対関係の否定
・・・世界政治上、イギリスと提携しようとする志向
256
「イギリスがその大いなる世界政治上の目標に忠実であろうとするならば、
イギリスのヨーロッパにおける潜在的敵対国はフランスとロシアである。
将来を見越して他の世界をも視野に入れるならば、あおれはアメリカ合衆国である。
それに対して、イギリスが永続的にドイツと対立する根拠は存在しない。・・・
ドイツがイギリスの海上利益と貿易利益には対立せず、大陸的な目標に全力投入するような
原則的な政策新方針にいたるのであれば、イギリスの敵意は、敵意のための敵意でしかなくなり、消滅する。
なぜなら、イギリスがヨーロッパでの均衡に関心を持っているのは、その均衡がイギリスにとって脅威となる
世界貿易国や海軍力の成長を防いでくれるかぎりにおいてである。」
257
「1914年当時の国境と所有領土の再獲得を目標に掲げ、それに従ってわれわれの世界貿易植民地政策と
海軍大国政策に行き着くのであれば、われわれに対するイギリスの敵意は将来においても、もちろん確実に存在し続ける。
そうなれば、ドイツは経済的にはドーズ案の負担で窒息し、政治的にはロカルノ条約で零落し、人種的には弱体化し、
最終的にはその生存をヨーロッパでの第二のオランダ、第二のスイスとして終える。
われわれの市民的・国民的そして愛国的床屋政談家たちはすぐにでもそれを達成できる。」
258
「もちろん、ドイツに対するイギリスの態度には他の重要な要因も明らかになっている。
すなわちイギリスで決定的な影響力を有している世界ユダヤ人である。
イギリス人自身はいずれはドイツに対する戦争真理を克服できる。これは確実である。
しかし、世界ユダヤ人は古くからの敵意を捨てようとはしないし、ヨーロッパ全体が不安定で混乱しているうちに
ボルシェヴィズムの破壊傾向に息を吹き込もうとして、ヨーロッパに満足をもたらそうとはしない。これも確実である。
この恐るべき力を計算に入れずに世界政治については語れない。それゆえに私は本書でも、
なおこの問題について特に論ずるつもりである。」
⇒第17章
ヒトラー『第二の書』(角川文庫版、第十三章 ドイツとイタリアの利害の共通性
(ヒトラーは地中海、北アフリカをめぐっては、イタリアとイギリスの間に利害対立があることを無視している)
259ー60
「ドイツの統一にはまずフランスとオーストリアが現実の敵として立ちはだかったように、
イタリアの統一運動もlこの両国に多く悩まされた。とりわけ、ハープスブルク国家はイタリアの内部分裂の
持続に生存利益を持たざるを得なかったし、また有してもいた。
大オーストリア・ハンガリーは国家としては直接海へ至る地点を必要としていた。
唯一それと想定される地域の都市部はイタリア人の町であった。
イタリア国民国家が成立すれば、この地域を手放さなければならなくなる事態を恐れて、
オーストリアは統一イタリア国家の成立に否定的たらざるを得なかった。
当時のイタリア民族の最も思い切った政治目標自体は、イタリア国民統一のみにあった。
これが外交目標を縛らざるを得なかった。
それゆえに、イタリア統一が次第に形を整えつつある頃、イタリアの天才的大政治家カヴールは、
この特殊目標に役立つ可能性をすべて利用し尽くした。イタリア統一の可能性は、
きわめて賢明に選択した同盟政策に基づいている。
まずは、統一の主要敵対者オーストリア・ハンガリーの停滞を引き起こし、
最終的には北イタリア地域からこの勢力を一掃する。これが常にイタリアの目標であった。
それによって暫定的イタリア統一の契約の締結後も、オーストリア帝国内に80万人のイタリア人が住んでいた。
イタリア国籍者を広く包括するという国民的目標は、当然ながら、当面は留保せざるを得なかった。
はじめて伊仏間の雲行きが怪しくなってきたからである。
イタリアは、とりわけ内部安定の時間を稼ぐために、三国同盟締結に同意した。
世界大戦はとうとうイタリアを、すでに述べた理由から、協商の陣営に接近させた。
イタリア統一はそれによって強力に前進した。
261
「しかし、イタリア国家にとって最大の成果は、憎きハープスブルク帝国の排除である。
その代わりに、南スラヴ国家(セルビア王国、クロアチア、スロヴェニア)ができる・・・
もちろん、一般的な国民的視点から言えば、これもイタリアにとって大きな危険ではないわけで場ない。
イタリア民族は、ドイツ民族同様、あまりにも狭隘な、かつ部分的にはやせた土地に住んでいる。
人口が多く、すでに何十年間に、いや、何百年にもわたって人間を輸出せざるを得なかった。
(訳注:19世紀末にイタリアからアメリカ合衆国、アルゼンチン、ブラジルに大量の移住が行われた。
1876-1914年に合衆国に87万人、アルゼンチンに37万人、ブラジルに25万人、中南米に9万人、
総計で158万人が移住している。)
262・・・イタリア、ムッソリーニ政権の膨張政策、「大規模な領土政策に向か和ざるを得ない」の見地。
「イタリア拡張の地域は、自然条件から地中海沿岸各地となるし、またそうであった。今日のイタリアが
今までの国民的な統一政策に別れを告げ、帝国主義的政策に向けば向くほど、古きローマの道を進むだろう。
それは力のうぬぼれからではなく、内的な深い必然性があってのことである。
(訳注:ムッソリーニの強国政策、国家主義的拡張政策・・・1923年にはギリシャと、24年にはセルビア王国などと、
南ティロールのイタリア化ではオーストリアやドイツと、北アフリカ植民地に関してはフランスと、外交問題。)
263
「今やオーストリア・ハンガリー帝国は解体された。しかしドイツは以前にもまして、
イタリアの発展に心を痛める理由はない。
というのは、イタリアの発展は必然的にいずれはフランスに負担をもたらすに違いないからだ。
なぜなら、現在のイタリアがその最高の民族的課題に思い至れば至るほど、それに従って、
ローマを思わせる領土政策に移行すればするほど、地中海における厳しい競争相手、
すなわちフランスと対立せざるを得ないからである。
265 イタリアとドイツの利害の共通性を指摘したのはビスマルク、と。
「ビスマルクは一再ならずドイツとイタリアとの完全な類似性を断言している。
将来のイタリアはその発展を地中海周辺に求めるに違いないと示唆しているのは、彼である。
さらに、フランスはイタリアの生存形式を妨害しようと考えるが、
ドイツはドイツの視点からそれを歓迎するに違いないと強調して、イタリアの利益とドイツの利益の
調和を確言するのも彼である。
267 「十一月の犯罪に責任を持つ輩が政権をになう・・・」。
・・・「擁護されているのはドイツ国民の利益ではない。国民に酷い仕打ちを加えている政党の利益である。」
267-268
「ドイツの名誉のための自由戦争には、必然的に今までのドイツの名誉を汚してきた連中を没落させ、
殲滅せざるを得ない諸勢力が動員される・・・全般的な国家再高揚をもたらさない自由闘争は存在しない。
それまでの名誉が剥奪されていた責任を不問に付したままで、
国民の良心および名誉が高揚されるとは考えられない。」
268
「他の運動は、われわれがいずれは権力を握るつもりで、それを前提としてすでに現在
その権力に必要な教育に手を付けるという揺るがぬ意志を持っていることを真面目に理解できない・・・・」
269
「1920年以降、私は粘り強く、かつあらゆる手段を講じて、国民社会主義運動をドイツとイタリアとイギリス間
での同盟締結という思想に馴致させようと努めてきた。それは極めて困難であった。特に戦後数年間は、
「イギリスへの神罰」論がわが民族から外交分野での明確で冷静なしこを奪い、遮断していたので、
特に困難であった。・・・・
イタリアに対する態度に関しても、この若い運動の状況は計り知れず困難であった。とくに天才政治家
ベニト・ムッソリーニ指導のもとにイタリア民族の前代未聞の再編成が始まり、・・・・
291
「国民社会主義運動は、ドイツ民族をして自分の生存形成のために血を惜しむことのないように教育しなければならない。」
294
「私は、ドイツ民族にや役に立たず、わが民族の流した血の犠牲をすでに不埒にも自分の利益のために売り渡す連中の
ためにだけ役立っている戦争には、絶対に反対する。
私は確信している。いずれはこの私に、必要となればドイツ民族の血の投入にも責任を取る決断が求められるだろう。
296 南ティロールでのドイツ文化守護者たち、批判。
「劇場を売春宿の水準に、人種恥辱の見本市におとしめている。
映画館を、慎みと良俗をあざける場とし、われわれの民族生活の全要因を破壊し、
キュービズムとダダイズムでわれわれの造形芸術が愚劣になっていくのを黙認し、
彼ら自身がその卑劣な欺瞞と誤謬の生産者を保護し、ドイツ文学をガラクタと泥土にまみれさせ、
わが民族の全精神生活を国際的ユダヤ人に引き渡している。
310 ファシズムへの共感、称賛
「ファシズムがイタリア民族に新たな価値を与えた。・・・
ドイツにとってイタリアとの友情は犠牲を払っても保持する価値がある。
イタリアにとってもドイツとの友好は同じくらい価値がある。・・・」
ヒトラー『第二の書』(角川文庫版、第十四章 南ティロール問題の本質、ドイツ外交の醜態
ヒトラー『第二の書』(角川文庫版、第十五章 イタリアとの同盟
322-323
「ドイツがその外交政策の最高目標をわが民族の独立と自由の保持に見て、
日々の生活を送る諸前提をこの民族に確保しようとする限り、
その外交思想はわが民族の領土不足に規定されるであろう。
そうである限り、われわれはわれわれの進路に障害物として立ちはだかる可能性のない国と
敵対する内的、外的理由を持たない。
イタリアが真なる国民国家としてその現実的生存利益に奉仕しようとする限り、
同じようにイタリアも領土不足のゆえに政治の思想と行動を自国の領土拡大に求めざるを得ない。
イタリア民族がより国家的で、より誇らしく、より独立的であろうと望むなら、
その発展によってドイツと対立する可能性はますます少なくなるであろう。」
323
「国家を意識しているドイツと同じく誇り高いイタリアとは利益共同体に立脚した誠実で相互的な友好関係を築いて、
世界大戦が残した傷口を修復できる。」
ヒトラー『第二の書』(角川文庫版、第十六章 民族の健康な血と肉
325
「ドイツの外交上の可能性を詳細に検討してみると、ヨーロッパで将来にわたって可能な
価値の高い同盟関係を結べる国は事実上二か国しかない。イタリアとイギリスである。
・・・
貪欲に止めどなくヨーロッパでの主導権を求めるフランスへの反感は両国に共通している。
イタリアとしてはそれによってヨーロッパでの生死にかかわる利益が損なわれるからである。
イギリスとしては、ヨーロッパでフランスが力をもてば、今日ではもはやそれ自体で完全とは言えない
イギリス人の海上支配と世界支配に新たなる脅威が加わるからである。
327
「わが民族が東部へのこの大いなる領土政策目標を採用するならば、ドイツの外交政策の明確さのみならず、
その安定性が直ちに得られる。・・・・」
「陸軍と艦隊をロマンティックな要請にではなく、実践的要求に従って整備し、組織する・・・
自明ではあるが、ドイツが再び卓越した強力な陸軍を形成することがわれわれの主要課題となるだろう。
なぜなら、われわれの将来は海上にではなく、ヨーロッパ大陸にあるからである。
この原則の重要性が完全に認識され、その認識に従ってわが民族の領土不足が東部において大規模に
解消されるときになって初めて、ドイツ経済は、われわれの頭上に幾千もの危機を呼び込んでいる
世界不安要素ではなくなる。
この認識は少なくとも、われわれの国内問題解決にとりわけ有効である。自分の後継者を工場労働者として
大都市に送り出す必要がなく、自由な農民としてその土地に定着させることのできる民族であれば、
ドイツ産業に国内需要地を確保できる。
この国内販売地域があれば、ドイツ産業はいわゆる日当たりのいい場所を求めて他の世界で繰り広げられている
掴み合いや闘いから次第に手を引き、其れから解放されるであろう。