キンダートランスポート


ベルリン中心部のフリードリヒ駅(南側)の歴史記念の銅像群(これは2009年3月の出張時に見ており、写真も写していた)。

この銅像の設置は2008年。すなわち、1938年11月のユダヤ人迫害「水晶の夜」70周年を記念してであった(解説版による)。

   

この銅像群にも、新しい解説がこの夏に掲示された(右手、ドイツ鉄道のSバーンのフリードリヒ駅の窓に)。
私がこの写真を写したのは2009年8月31日。


        


    

(しかもその説明版設置は、ちょうど私が滞在中だったようで、この写真を写す二日前。その記念行事に参列した成城大学の木畑和子教授からご教示いただいた。木畑教授は我が国における唯一のキンダー・トランスポート”の専門研究者
                    




  西へ、救済され、希望を持って進むユダヤ人の子供。明るい表情。


下記、3枚の写真は、フリードリヒ駅にガラス窓に印字された記念の文章・説明
上記銅像の横の壁面(ガラス窓の部分)に。

 西に向かう子供たち            東に向かう子供たち

キンダー・トランスポート(イギリスなどで、西側へ、ユダヤ人の子供救出作戦により助かった子供1万人余)
その子供たちにとっては、親・兄弟と離れる悲しさはあっても、命の助かる輸送、であった。

1938年末、最初の救出列車が、フリードリヒ駅から出発した。

         「生命への列車」、「命への列車」

                       ↓
 
    ロンドンに到着したかわいい子供たち(だけ)の写真が印象的。
  しかし、
    説明によれば、その子供たちは、「自分たちだけが助かった」と、
  成長してずっと重荷と感じてきたという。
それに反して、そのような助けの手が届かなかった圧倒的多数のユダヤ人の子供にとっては、東への、「絶滅収容所への」輸送。

                「死への列車」

      収容所の飢餓状況で痩せ細った子供たちの写真。


  Ueberlebende Kinder des Holocaust
                 Cildren who survived the Holocaust
     「収容所で生き残ったやせ細った子供たち(1945)」
東へ向かううなだれ打ちひしがれたユダヤ人の子供たち。
その旅行かばんの中には、片足がない小さな壊れた人形ひとつだけ。

                                     
             





Evian Die Konferenz von E., als Reaktion auf die rigorose Vertreibung der Juden aus Österreich von US-Präsidenten Franklin D. Roosevelt initiiert, fand im Juli 1938 mit Delegierten aus 32 Ländern statt. Das Ziel, durch internationale Zusammenarbeit eine geordnete Auswanderung der dt. und österr. Juden zu ermöglichen und die Aufnahmebereitschaft der teilnehmenden Länder zu erhöhen, wurde nicht erreicht.
[Teil II: Lexikon: Evian. Enzyklopädie des Nationalsozialismus, S. 1323 (vgl. EdNS, S. 451) (c) Verlag Klett-Cotta]