教員組合ニュース 2003年1月
7日発行
〒236-0027 横浜市金沢区瀬戸22-2 横浜市立大学教員組合 編集・発行
TEL045-787-2320 kumiai@yokohama-cu.ac.jp
目次
1.
機構改革に関する経過 (1)
2.
教員組合声明(11月19日) (1)
3.
第3回あり方懇傍聴記 (3)
4.
第3回あり方懇資料 (7)
5.
投稿:「学問の自由と大学の自治の敵,橋爪大三郎座長の危険性」 (9)
6. 第4回あり方懇傍聴記 (11)
7.
組合の今後の予定(17)
8.
学長会見での質問予定項目 (17)
9.
全大協時報目次紹介 (18)
10. 組合学習会のお知らせ (18)
1◇機構改革に関する経過
10月16日評議会における事態についての教員組合としての「遺憾表明および質問書」は前号の組合ニュース(2002年10月30日発行)に掲載したところですが,その後,次のような経過がありました。
10月30日 臨時評議会が開かれ,「学長声明」による決着が図られました。
11月12日 教員組合としては緊急集会を開き,この問題を討議しました。19名が参加,出席できない組合員からも多数の意見が寄せられました。
11月19日 この緊急集会での議論と,その後の意見交換に基づき,「教員組合声明」を発表し,学長および事務局長へも正式に提出しました。(以下に掲載)
なお,この間,11月7日に総合理学研究科で評議会の事態への「遺憾」を表明する「見解」が出されています。
12月16日 事務室の改修工事が始まりました。
これについては,教員組合に対しても,図面を示す「事前説明」が11月29日になされましたが,改修後の具体的プランなどは未定とするものでした。
2◇教員組合声明(11月19日)
わたくしたち教員組合は、11月12日に緊急集会を開いて、去る10月30日の臨時評議会において「学長声明」という形で「機構改革問題」の決着が図られようとしたことについて、意見交換および協議をしました。これにもとづいて教員組合は、以下のようにわたしたちの意思を表明し、学長及び事務局長に適切な措置を採られることを要求します。
1 事実経過について
去る10月1日に臨時評議会が開かれ総務課から「機構改革」案が提案されました。その後、各教授会でこれについて議論されましたが、多くの危惧が出されました。商学部では教授会見解も出されました。こうしたことを踏まえてわたしたち教員組合も10月10日に緊急集会を開いて評議会での慎重審議を要望しました。しかし、10月16日の定例評議会で、この問題が議論されようとした時に、事務局の途中退席という異常事態が起こりました。事務局退席後に各部局の報告がおこなわれましたが、事務局不在のため危惧される問題について事務局側との質疑応答はできませんでした。その後、10月30日、臨時評議会が開かれ、学長はここで、「学長声明」によって「機構改革」を進めると発表しました。この評議会には事務局側も出席していましたが、「学長声明」に先立って前回の評議会で各部局から出された危惧について事務局との質疑応答をしたわけでもなく、学長が一方的に「機構改革」の実施を宣言するというものでした。
2 「学長声明」について
評議会での慎重審議を切に要望してきた組合としては、結局、「機構改革」について教員側と事務局側で十分な質疑応答もなされないまま、「学長声明」という形で決着がつけられようとしたことをたいへん遺憾に考えます。それは議論を尽くして決するという民主主義のルールを放棄するものであり、今後の意志決定の方法においても危機感を覚えます。
「学長声明」はあくまでも学長の所信表明であり、去る評議会では「学長声明」について議決がなされたわけではなく、総務課提案の「機構改革」案が評議会で承認されたと理解することはできません。
わたしたち教員組合は「機構改革」そのものに反対しているのではありません。今回提案された「機構改革」案が実施された場合、予想されるさまざまな諸問題や混乱を危惧しているのです。教授会で出された具体的諸問題については10月30日の臨時評議会で学長が添付資料2で示しています。また教員組合も10月10日の組合集会で出された疑問や懸念について10月30日発行の組合ニュースで示しました。このように教員側から出された諸問題について事務局側からなんら説明がなされないままに、「機構改革」を進めていくことは拙速と言わざるを得ません。
それ故、わたしたちは、すでに出された諸問題について事務局側がどのように対応し、措置されるのか、改めて評議会で質疑応答と十分な審議がなされるよう要求します。
3 総務部長・事務局長の責任について
「学長声明」では評議会における事務局の途中退席という異常事態の事実について言及していますが、その責任を明確にしていません。異常事態の直接的責任は、議事途中で一方的に退席し、しかも職権を利用して部下の事務職員までも退席させた総務部長にあることは明らかです。それ故、わたしたちはこの事態を引き起こした総務部長と彼を監督すべき地位にある事務局長がその責任を明確にすることを求めます。
異常事態を引き起こした総務部長は、職務上の責任が問われるべきです。彼の責任はそれにとどまりません。本来、一丸となって大学改革に協力すべき教職員の間の信頼関係を大きく損ねてしまったことの責任もきわめて大きいものです。
わたしたち教員組合は、すでに事務局長宛にこの事態について10月24日に「遺憾表明と質問」書を提出しました。しかし、いまだなんの回答もありません。わたしたちは事務局長に対して先に組合が提出した「質問」に誠意ある回答をされることを再度要求します。
2002年11月19日
横浜市立大学教員組合
3◇第3回「市大あり方懇」傍聴記
−池田理事・橋爪座長の議事引回しを許さず、民主的・公正な運営と討論を求める−
平 智之(商学部)
はじめに
さる11月25日(月)の午後2時から5時まで、東京・日比谷公園に隣接する市政会館において、第3回の「市立大学の今後のあり方懇談会」(以下、「あり方懇」と称す)が開催された。これに先立つ10月24日開催の第2回懇談会は、市大側の意見を徴するということで八景キャンパスで開催されたが、その際の運営方法と公式の議事録に関して、傍聴した教員側から少なからず疑問も表明された。
かかる事情で、第3回「あり方懇」は平日に東京で開催されることもあって、教員組合から単なる傍聴者ではなく、文字通りオブザーバー的な「監視役」の派遣が求められ、私がその役を買って出たわけである。
以下、その概要をあくまで私の文責で「傍聴記」として公表するが、これは客観的な記録ではもとよりなく、副題にもあるように批判的な記事であることをあらかじめお断りしておく。ただし、私は、3時間にわたる議事内容を収めた録音テープを採録しており、同時にコンピュータを持参してA4判6ページに及ぶ詳細な議事メモを作成した。これらに基づき、発言内容の信憑性には絶対の自信があるので、それを疑う向き、あるいは詳細を知りたい方には、後者のメモを喜んで提供したい。その場合は、私のメール・アドレス(tairatom@yokohama-cu.ac.jp)宛てに請求されたい。
ちなみに、12月3日付で、市大ホームページには事務局により今回の「公式議事録」が掲載された。これに関しては多岐にわたる発言内容自体には疑問は少ないが、多分に恣意的な取捨選択がなされたような印象を受けるので、本「傍聴記」と併せて、組合員諸氏にはご参照いただきたい。
1 大学事務局による「議事運営」と「議題提供」の問題性
当日は、3回目にして全7委員が初めて勢揃いした懇談会となったが、私が会場に入ったときにまず驚いたのは、高井禄郎事務局長、池田輝政理事(総務部長)、佐野修一総務課企画担当課長が、委員と同じ円卓を同列で囲んで席を占めたことである。そもそも、今般の「あり方懇」のために制定された「設置要綱」によれば、これは「市長の附属機関」であり、市長招集の初回以外は座長に選出された橋爪大三郎氏(東京工業大学教授)が招集する独立的な懇談会であり、市大事務局はその「庶務」を処理するのみであるはずである。したがって、事務局は全員がいわゆる「陪席」をするのが常識であり、局長はじめ上記3職員が委員と同列に座すること自体が、私にはきわめて疑問に感じられた。そればかりか、議事運営に即しても、とりわけ池田理事は完全に委員と同列の資格で報告や発言を繰り返していたが、これが「設置要綱」に完全に違反する彼特有の「越権行為」そのものであることは、おもむろに記すとおりである。
ともあれ、会議の冒頭は、佐野課長より、前回に委員から要求された客観的なデータ中心の資料の説明が15分ほどあった。これに対して、各委員より比較的単純な質問がなされ、特に教員の発明や特許の、現在と将来の取扱いに議論が集中したが、本筋の議論からはやや外れるので、ここでは割愛することにしたい。
続いて、池田理事が「横浜市立大学の存在意義の検討」というレジュメ(『教員組合ニュース』には添付)に基づいて、小一時間のレクチャーを行なった。これは、前述の市大事務局のオーバー・プレゼンスを議事内容からも象徴する、「越権行為」そのものの独断的、一方的な委員に対する報告であった。その特徴は、この間の非常勤講師・研究費・出張旅費などの予算面の制度改悪や介入、および小川恵一学長を使嗾して自らも手続きを妨害している定年退職教員の後任人事の「凍結」などの、一連の彼主導の所業から容易に推測可能で、さらに将来構想委員会で自ら開陳したと伝えられる「構想」を体系化したものであった。百歩譲って、池田理事が事務局として本懇談会で報告できるのは、同委員会などの大学正式機関でオーソライズされた到達点を「代弁」することにとどまるはずである。
ところが、彼は以下のような自己の「構想」をいかにも横浜市大の総意であるかのごとく委員に対して語ったのである。その論旨はきわめて「単純明快」である。すなわち、横浜市はこれ以上の市大への財政負担に耐えられないので、各学部を縮小して重点化、選別化し、「地域貢献」と「実学化」の両目標に集中的に再編するとともに、教育公務員特例法の「廃止」を望みつつ「骨抜き」化を図り、教授会から教員の人事権とその他の決定事項の権限を奪って教員の身分には任期制と契約制を導入し、研究費も外部調達を求めつつ重点的、競争的に配分して、それで研究に支障が出ても基本的には上記目標に即した教育だけを市大はやってくれればよい、と明言するものであった。そして、国立と私立の一流大学と競争することはとうてい無理だから、横浜市には「ナンバー・ワン」の大学など要らないので「オンリー・ワン」の大学になってくれさえすればそれで結構、というものだった(池田理事自身がこの言葉は誰かの引用だと断っていたが、私の知る限り「液晶」で世界をリードする某電機メーカーの現社長のモットーの借用であろうか?)。
続いて彼は、各部局の具体的な将来構想に言及した。すなわち、商学部は「経営学部」に衣替えし、横浜市の「ベンチャー企業立市」に貢献する実学教育に専念する、国際文化学部は国際的な教養教育のほかに市民のNPO活動を担う人材を養成する、理学部は政策的科学の分野に重点化し工学分野の新設により市内工業界と連携する、医学部は講座制を改革させ、医師の養成と再教育(リカレント)の機関に徹し研究は副次的にして、病院は医学部から分離する、そのほか、大学院は選別化する、研究所も学部再編に合わせる、などが滔々と語られた。
私には「荒唐無稽」としか思えないこの「構想」を聞いて初めて、私はさる10月16日の評議会で池田理事が「将来構想委員会は無為な答申を繰り返すばかりで実効性がない」という趣旨の「捨てゼリフ」を吐いて部下を引き連れて退席したと伝えられる、例の事件に込められた彼の「真意」に得心が行った。つまり、かかるプランこそを池田理事としては答申してほしかったのであり、彼は「あり方懇」の場で自己の「私案」を披瀝する絶好の機会を得たのである。
2 橋爪座長の「反動性」と他の委員の「良識性」
以上のような「池田構想」に対する、委員諸氏の反応は果たして好意的なものであっただろうか?私の結論を先取りすれば、それに迎合し推進する発言と議事運営を行なった橋爪座長一人がむしろ浮き上がり、他の6委員は全体的には独自の見識と立場から、批判的な発言の方が多かったと思う。以下、各委員の発言に即して、その反応をまとめておこう。
まず、最も積極的で歯切れのいい発言で議論をリードしていたのは、森谷伊三男委員(公認会計士)であった。彼は前回は、職業柄、大学にも私企業的な効率性が要求されるという自説を強調していたと聞いていたが、今回もそれは随所に言及しつつも、横浜市に貢献するためだけの大学に市大を位置づけるなら国際的な人材が輩出できなくなるので、市民の財政負担の問題との兼合いで困惑している、とかなり自説を修正したように思われた。その後の発言でも、千葉県が設置した上総アカデミア・パークの例を挙げ、そこでDNA研究所が開設されているが、それは県当局が世界のためにやると県議会でも提案し可決されたものだとして、横浜市民に貢献するだけが市大の意義ではない、と「池田構想」に批判的な注目すべき意見を述べた。これに対して、池田理事は、全国から学生が集まる「情報発信基地」の役割だけに、横浜市が市大に百数十億円の財政支出をするのはいかがなものかと、対照的な反論を試みていた。
この点に関しては、今回初めて出席して議論に参加した塩谷安男委員(弁護士)は、洗足学園大学の副学長を務めたと自己紹介し、私学経営者の経験に基づくプラグマティックな経営合理性から「池田構想」に疑問を投げかけ、大学は「お客」の学生が全国から来なければ経営は成り立たないのだから、そのコストや努力を惜しんで、メニューを豊富にしなければ「お客」はみんな逃げてしまう、と分かりやすい例え話で警鐘を鳴らしていた。
また、教育学者の立場から冷静な意見を述べていたのが、田中義郎委員(玉川大学教授)で、大学人としての良識が感じられた。特に、池田理事が、横浜市の教員養成や現職教員のリカレント教育を市大では今後実施すべきだと言及したことに対し、現在の教員養成事情や教育学部の統合政策の現実から遊離した意見だと専門的に説明しつつ批判していた。また、市大の横浜市への間接的な貢献、すなわち良い研究と良い学生を輩出することにも留意すべきで、その存在意義を財政上の効率だけに求めることには疑問を呈していた。
この横浜市財政の視点から批判的な発言をしたのは、有馬真喜子委員(財団法人・横浜女性協会顧問)であった。すなわち、市の外郭団体の同協会の立場から、市当局による補助金削減や「本一冊さえ」の監査ぶりに、われわれ市大教員と同様に不満を表明しつつ、「こんな過激な構想が実現可能なのか?」とはっきり疑問を口にしていた。また、女性ニュース・キャスターの草分けとしての国際的かつ先見的な見識に基づき、特色ある大学づくりのためのいろいろなアイディアや内外大学の事例を積極的に提示していた点で、私はかなりの説得性と共感を覚えた。
他の委員では、余り明確な意見は述べなかったが、川渕孝一委員(東京医科歯科大学教授)は、専門の医学部・病院の経営問題および理科系全般の発明・特許や産学協同に集中的な関心と問題提起を行なっていた。また、古沢由紀子委員(読売新聞記者)は、特派員時代にアメリカの教育制度に関心を抱いたらしく、市大の「コミュニティ・カレッジ」化に賛意を示したが、市大の目標重点化の意味で同様意見を述べた森谷委員の前述の立場から見ても、横浜市や市民にのみ貢献するという矮小的な意味ではないように感じた。さらに、古沢委員も、横浜国大などの教育学部の統合問題とのからみで、田中委員と同じく市大での教員養成には批判的であった。これに関連して、医学部を中心にした横浜国大との統合の話題も若干出たことを付言しておこう。
これらの各委員の発言に対して、池田理事はこの間、教員側から批判されているように大学行政の「シロウト」なので、しきりに謙遜というより自信のなさを「言い訳」していたことが印象に残った。それ以上に問題だったのは、池田理事が突っ込まれると答えられないのを察して、もっぱら話を引き取っていたのは橋爪座長だったことである。その発言は座長としての司会や運営というよりも、きわめて反動的な内容を含み、「よそ様の大学」のことに同じ教育公務員としての配慮や「仁義」のかけらもなく、あたかも「在野の評論家」のごとく、言いたい放題のことを発言していたのが最大の特徴であった。
すなわち、横浜市大は医学部以外は地域にも市民納税者に何も貢献していないと断言し、医学部だって神奈川県内では競争がない弊害がある、市民に税金をこれ以上市大に注ぎ込まず、その「存在意義」を納得してもらうためには、筆記試験を全廃して推薦やAO入試だけで市民の子弟を重点的に入学させる、教授会の人事権などの権限を「新機関」に集中する、など全国的に先駆けた「ユニークな大学」にする必要があると強調していた。この点で、橋爪座長は本務校の東京工業大学大学院に「価値システム専攻」(VALDES)という新学科を創設して悦に入っているらしいが、これが他大学の教員から「理工系大学にはこんな『文科系くずれ』は存在意義がない」と公式の場で発言されたら、どんな感情を抱き反応をされるのだろうか?「文部科学教官」としての自己の公的立場をわきまえ、上記の非常識きわまる発言に猛省を促したい。
最後に、橋爪氏の座長としての今回の議論の「まとめ」は、こういう「改革」を行なって横浜市の「オンリー・ワン」の大学になれば、財政負担を市民は納得するだろうということだったが、経済学者の私から見ても、こんな露骨な経済効率至上主義の主張をする経済学者は、その代表格だった例の竹中平蔵大臣だってもはや口に出せず、さすがに現在の日本ではその例を見ないのである。教育も福祉もその他のセーフティ・ネットも要らない「弱肉強食の市場メカニズム」しか、それを批判すべき社会学者の念頭にないというのは大変に奇妙なことに思えたのが、私の率直な感想であった。
おわりに
今回は議論が白熱し、市大ホームページに掲載された「公式議事録」の傾向と同じく、私の「傍聴記」もかなりの長文となってしまった。それで、最後に簡単に私見をまとめれば、この「あり方懇」で池田理事や橋爪座長の「理念」にかなった「全国的に最もユニークな大学改革像」が打ち出されたとしても、そのままの形での実現はまず不可能である。というのは、橋爪座長も言及した、一足先に昨秋に東京都教育庁の役人主導で、都立4大学の頭越しにその統合構想と並んで公表された「公立大学法人」構想は、私の長年の経験からの予想通り、文部科学省によって事実上却下され、国立大学の法人化に準じた法律と手続きに則って、「新都立大学」も法人化される方向が今年前半には確定したのである。実際、公立大学協会は、昨年11月に公立大学の法人化のための法律の整備を決議しており、今後は国立大学の状況に準拠した当該法律が制定されることは確実である。
この点で、池田理事や橋爪座長が希望する教育公務員特例法の取扱いや教授会の人事権等の権限、および教員の身分問題などは、横浜市当局がこの懇談会を利用して勝手に独自で決められる問題ではもとよりありえない。近い将来に制定される、法的枠組みの中で全国一律に適用される事項であることはいうまでもない。しかし、個別大学で決定できる事項も少なくないので、これらはすでに示唆したように市大内部の将来構想委員会や各教授会および評議会の議を経て、民主的かつ自主的に決定されるべきものである。この際、もちろん「あり方懇」の議論や答申も参考にされるべきだが、少なくとも橋爪座長以外の6人の委員諸氏の発言は私が傍聴した限り、傾聴に値する建設的で見識ある意見が多々あったと思う。ぜひとも、そのような方向で答申も出されるよう、教員組合として今後とも運動を強化することを提言して、筆を擱きたい。
4◇第3回あり方懇資料
第3回あり方懇での配付資料の一部を以下に資料として掲載します。
5◇投稿:ご寄稿をいただいた佐藤先生は組合員ではありませんが,組合での議論の素材を提供するものとして掲載します。
<横浜市立大学教員組合ニュース 寄稿記事> 平成14年12月11日
学問の自由と大学の自治の敵,橋爪大三郎「あり方懇」座長の危険性
総合理学研究科 佐藤真彦
先頃,「横浜市立大学の今後のあり方を考える懇談会」(以下,「あり方懇」)の座長である橋爪大三郎東京工業大学教授の“危険性”を広く知らせるための記事を,教員組合ニュースに寄稿するようにとの話があった.
橋爪氏や「あり方懇」の危険な雰囲気は,倉持和雄委員長や平 智之先生のご報告,永岑三千輝先生のホームページ(http://eba-www.yokohama-cu.ac.jp/~kogiseminagamine/),矢吹 晋先生のホームページ(http://www2.big.or.jp/~yabuki/ ),あるいは,「あり方懇」議事概要(http://www.yokohama-cu.ac.jp/arikata/arikata_top.html
)などから,教員のあいだには,すでに十分に広まっているものと思われる.したがって,もはや,橋爪氏の危険性を知らせても余り意味がなく,現時点ではむしろ,橋爪氏が「あり方懇」の座長としてまったくふさわしくないことを“証明(論証)する”ことで,「あり方懇」の正当性に疑義を呈した方がよいのではないかと思う.
以下に,いくつかの“証拠”を挙げるが,最も説得力のあるものは,つい先日(12月9日)公表されたばかりの平先生による「第3回あり方懇傍聴記」(永岑先生,矢吹先生のホームページ参照)である.官僚主導の「あり方懇」の実態とその欺瞞性・似非民主性を徹底的かつ赤裸々に暴露した,まさに,渾身のレポートである.
まず,議論の大前提として,学問の自由と大学の自治は,思想・表現の自由に直結する民主主義の基本理念であって,これを破壊に導くような制度改悪を絶対に許してはならないという大前提がある.もし,民主主義を放棄するつもりがないのなら,この大前提にたって,その上で,長年にわたる問題点(講座制に代表される“封建的な身分制度”や人事の“閉鎖性”など)を洗い出し,時代の変化(“冷戦の終結”,“グローバリゼーション”,“長引く不況”,“大学の大衆化”など)に,大学人自らが対応していくのが筋ではないのか.
現在,大学に改革を求める圧力として,“大学に三つの悪弊:強すぎる教授会・研究偏重主義・悪平等”,“教授会自治をかくれみのに現状に安住”,“終身雇用の弊害”,“競争原理を取り入れて民営化”,“護送船団方式のぬるま湯から浮世の冷たい風へ”・・・などがある.
これらの圧力の多くは,自民党文教族議員・行革推進派議員・文部官僚・御用学者などからのもので,(1)学問の自由と大学の自治という民主主義の理念の問題とその理念を制度として実現させる方法の問題を混同して,制度改革に際して誤って(または,意図的に),理念まで破壊しようとするもの,および/または,(2)教育・研究の国家統制を謀る非民主勢力のねらいを反映して,(また,行政改革・構造改革の潮流に便乗して,)意図的に,理念を破壊しようとするものであって,大前提となる学問の自由と大学の自治の理念を尊重しようとするものは皆無である.すなわち,これらはいずれも,意図的に(または,結果的に),民主主義そのものを破壊しようとするものであり,傍観・放置してはならないたぐいのものである.
去る12月1日に亡くなられた家永三郎氏は,学問の自由と大学の自治を維持・発展させるための条件(➀憲法23条と教育公務員特例法の改悪阻止,➁国家権力による大学自治の侵害にたいする警戒・監視,➂教授会を中心とする民主的な大学運営と学内権限の集中化の阻止,➃政府によるリモート-コントロールを防ぐための大学財政の独立など)を,40年前にすでに,箇条書きにして提言している(家永三郎集第10巻,「学問の自由・大学自治論」,岩波書店,1998年,p.378-382).
現在進行中の国公立大学法人化などの潮流は,家永氏が提言した学問自由・大学自治の条件を真っ向から否定・廃止・消滅させようとするものである点で,きわめて悪質である.この悪質性・危険性をよく認識し,いま一度原点に立ち戻って議論することにより,抗しがたい現在の潮流を,なんとしてもくい止めるのがわれわれ大学人の責務ではないのか.
いまさら,なにを悠長なことをと言われそうだが,わが横浜市大の現状のように,これらの点についてまったく議論がないままに,状況を無批判に受け入れ,それに合わせようとする“卑屈な”姿勢の方こそ,とても正常とは思えぬ“思考停止状態”・“脳死状態”ではないのか.大学人として,批判と懐疑の精神,すなわち,合理的な科学的精神が問われていると思う.
橋爪氏は,その教科書(「橋爪大三郎の社会学講義2」,夏目書房,1997年)の中で,学問の自由と大学の自治を破壊する多くの粗暴な発言をくり返している.
たとえば,「教授会の自治とは,何だろうか.そのポイントは,人事権にある.誰を教授,助教授にするかは,教授会の権限だ・・・.そしていったん教授・助教授のポストにつけば,よほどのことがない限り(つまり,研究者として無能だったり,教育者として不適格だったりしたぐらいでは),その椅子を追われない.・・・こんな具合で,大学教授にはまったく競争原理が働かない.その結果,日本の大学は,目をおおうばかりの惨状を呈することになる.」(p.88)
「どうして,これほど,大学教授の身分が手厚く保護されるのだろう?「学問の自由」のためだともいう.・・・しかし,学問の自由は,研究も教育もしないで教授の地位にあぐらをかき,むだ飯を喰い,後進の道をふさぎ,学生に迷惑をかける自由ではない.・・・教授会の自治は,学問の自由を実現するための,必要条件でも十分条件でもない.」(p.88)
だいたい,「目をおおうばかりの惨状」だの,「研究も教育もしないで教授の地位にあぐらをかき,云々・・・」などの発言は,実際の調査に基づいたものとは到底思えない.同様の思い込みによる“無責任”発言(田中康夫長野県知事の政策と知事選に関する朝日新聞掲載の寄稿文)が,前信州大学教授の長 尚氏のホームページ(http://www.avis.ne.jp/~cho/naci.html)の公開質問状「橋爪大三郎先生にお尋ねします」で,「・・・もはや選挙違反の疑いが濃厚な,犯罪的煽りと言わなければなりません.」と手厳しく糾弾されている.なお,橋爪氏は長氏の公開質問状をまったく無視したらしい.
ジャーナリストでアムステルダム大学教授のカレル・ヴァン・ウォルフレン氏は,その著書「人間を幸福にしない日本というシステム」(鈴木主税訳,新潮OH!文庫,2000年,p.304)の中で,日本の審議会は国民を裏切る似非民主的な制度であるとして厳しく非難している.心ある横浜市大のある教員も,怒りをこめて,つぎのように断定している.「審議会を隠れ蓑にして役人が,役人の意見を世論をもって装うことは,日本官僚の常套手段です.今回の場合は,その典型的なかたちと思われます.私は「あり方懇」の設置自体に疑問をもっており,このような見識のさだかでない委員たちによって大学の運命が翻弄されるのは,とうてい容認できないという考え方です.」
まったくその通りの正しいご指摘で,橋爪氏のようなタイプの人間は,官僚が気に入るように答申をだす審議会委員や懇談会委員には打ってつけの人物と思われる.
実際,平先生による「第3回あり方懇傍聴記」には,高圧的・独断的態度で悪評の高い官僚(池田輝政総務部長)に「迎合し推進する発言と議事運営を行った橋爪座長一人」が,他の「良識」的な委員から「浮き上」っており,また,『「きわめて反動的な内容」の「同じ教育公務員としての配慮や“仁義”のかけらもなく,・・・言いたい放題の“非常識きわまる”発言をしていたのが最大の特徴であった.」・・・「教育も福祉もその他のセーフティ・ネットも要らない“弱肉強食の市場メカニズム”しか,それを批判すべき社会学者の念頭にないというのは大変に奇妙なことに思えたのが,私の率直な感想であった.」』とある.
「あり方懇」の議事概要から窺える横浜市立大学像,あるいは,公立大学法人像第三次試案(2002-5-15発表)には,家永氏が40年前に提言した大学の自治を保障するための条件の痕跡もないばかりか,まさに,大学の自治を完膚なきまでに破壊しつくす悪質な意図が明瞭に示されている.
したがって,橋爪氏(および「あり方懇」を主導している横浜市大事務局)は,まさに,“学問の自由と大学の自治(および民主主義)の敵(破壊者)”であると断じざるをえない.
にもかかわらず,横浜市大の管理者的教員の多くが,大学にとって最も重要なものは何かを考えるのをやめて,橋爪氏の威圧的な発言や事務官僚の脅しに屈している(ようにみえる)のを見るにつけ,また,一般の教員の多くもそれに影響されて,“しかたがないと”,すっかり諦めている(ようにみえる)のを見るにつけ,ウォルフレン氏のつぎの言葉はわれわれに勇気と力を与えてくれると思う.
「日本の上層部の人びとが簡単に脅しに屈するため,多くの外国人のあいだで日本人はみな臆病者だと思われている.・・・口で言うほど容易なことではない(が,)脅しにたいする簡単な対処法ならある.生命の危険がないかぎり,無視するのだ.脅しは,それに敏感に反応する人だけに効く.最善の対処法は戦うことだ.最終的には,真の市民となるためには勇気が必要なのである.(下線は佐藤による;同上書,p.345,346)
橋爪大三郎氏および横浜市大事務局の圧力に抗して,また,独立行政法人化・民営化の潮流に飲み込まれることなく,家永三郎氏が身をもって示したように,また,ウォルフレン氏の言うように,“荒野に呼ばわる少数者の声”を上げる“勇気”が,われわれ教員のひとりひとりに求められていると思う.
6◇「第4回あり方懇」傍聴記――メモと感想
和仁道郎(国際文化学部)
「市立大学の今後のあり方懇談会」の第4回会議が,12月17日,ランドマークタワーの一室で開かれました。公式の「議事概要」については市大ホームページに掲載されるはずですので,ここでは個人として傍聴した感想を交えて,議論の模様をまとめてみました。初めての傍聴で,前回までの議論の全体像や各委員の立場のバックグランドについて必ずしも十分把握していないこともあり,私の解した大まかな趣旨を個人的印象によってまとめたため,発言の一言一句を正確に記録したものでないことはお断りしておきます。
1.議論はまず,事務局から提出された資料1「大学ランキング」(朝日新聞社による2003年版からの抜粋)に基づいて,市大の現状の評価をめぐって行なわれた。ここでは,研究成果に関するランキング(ネイチャー誌や電子ジャーナルへの掲載・引用論文数など)では,「ベースになる教員数のサイズが違う」(橋爪座長),「学部構成からして特許件数は出にくい(工学系や歯学系が多い)」(田中委員)など,単純比較の限界は指摘しつつも,「COEプログラムなど具体的に成果になっていない,残念」(森谷委員),「“タンパク質”でもセンター・オブ・エクセレンシーに落ち,何がこの大学の売りなのか?」(川渕委員),「ここが強いという競争可能な領域を(資料として)拾ってほしい」(田中委員)など,研究面で積極的に評価できる材料が見あたらないというトーンでの発言が相継いだ。他方,ベネッセ・駿台の偏差値データなどでは,「予想外に上位大学と遜色がない。横浜という立地・イメージなどで可能性があり,研究より教育に重点を置いた地域密着型で行くのが良いのではないか」(古沢委員),「引用論文数では駄目だが,入試では健闘している。研究費をつぎ込んでいくよりも,国際化・国際交流とその受け皿としてリベラル・アーツの教育に力を入れていくということが方向性ではないか」(塩谷委員)などの発言があった。橋爪座長も,「教育で行くのか,研究で行くのか,両方できればハッピーかもしれないが,資源は限られている。教育は相対的に強く,学部教育の改革や海外に目を向けるなど横浜ならではの魅力を引き出すことが考えられる。研究は勝負が難しく,大学側に何が売りにできるか証拠も出してもらいたいが,研究(特に理工系)にはおカネがかかり,仮に能力があっても諦めなければならないかもしれない」と,教育を積極的に,研究はネガティブに評価するというまとめをした。
【感想】ここでの印象としては,「教育か,研究か」という二者択一の問題の建て方には,やはり大きな疑問を抱いた。各委員の指摘にもあったように,研究水準の現状を評価するには,出されたデータは余りにも部分的・限定的で,特に分野による大きな違いを考えるべきだろう。また,優秀な学生が魅力を感じて集まるには,その大学全体の,あるいは個々の教員の「研究」があるからこそ,という面をどう考えるのか,問題は大きいように思う。
2. ここから,横浜市が大学をもつ意義を考える際,まず,どのような教育・研究を目指すのかという理念について議論しようということになり,「プラクティカルなリベラル・アーツ教育」というアイディアを軸に,議論が交わさた。以下,発言をやや羅列的に記す。
有馬委員「学生はどういう勉強ができるか,だけでなく,将来の就職やどういう資格を取れるかに関心がある。どういう学生を送り出すかが大事で,市の大学だからといって必ずしも市内に就職するという必要はないが,一部でも市に貢献できることが必要で,カリキュラムに公共政策があっても良いのではないか」
橋爪座長「リベラル・アーツ教育として,戦後教養部が置かれたが,解体したのは残念。ロースクールやメディカルスクールといった専門教育に対して,かつての旧制高校のようなリベラルアーツ教育が求められるようになっている。横浜のロケーションやイメージをプラスに活かし,就職や院進学を保証するカリキュラムが必要だろう。4年制大学という昭和30年代の発想は時代遅れになっている。」
森谷委員「社会が求めているのは,高い教養や人格の陶冶という人材より,専門技術を身につけてきた人材ではないか?」
橋爪座長「リベラルアーツという場合,プラクティカルに何ができるかというものだ。たとえば,外国語(英語)の能力や,市・市内企業と連携したインターンシップなどで,世界を見据えて幅広い教育が必要だ。」
川渕委員「医科歯科大は最後の教養部をもっているが,2年間にやる気をなくしてしまうというのではいけない。論理的思考を身につける,Problem-based-learningといったものが重要だ。医学部では他大学出身者との他流試合が重要だが,市大の現状はどうか?」
古沢委員「リベラルアーツ・カレッジという場合,アメリカでは院進学が前提になっているが,日本の現状ではそういう形にならないのではないか? 他でも衣替えして似たようなものがたくさん出てくると特色にならなくなるのではないか。“教養”に人気がなくて解体してきた経過がある。英語教育やきちんとした出口管理など,特色を出していかないと難しいのではないか」
塩谷委員「プラクティカルなのが重要で,座学ではつまらない。一般から専門へというとき,例えば法律学の一般レベルでも,実務家をつれてくることで面白くプラクティカルに学ぶことは多くある。専門知識だけでは駄目なので,実学を中心において幅広く学ぶことが必要だ。社会経験のある学生の参加(リカレント)でも,内容が通り一遍でないものへと変わる。その際,交通の便の良さなども必要条件になる。」
有馬委員「リベラルアーツ学部は私たちのところ[津田塾大学?]では学芸学部と訳しているが,先生養成というイメージではなくて,アメリカ流実学で,英語は使えるというのも常識。文部省は,社会人のための教育では駄目という立場だったが,最近は道が開けてきた。完結型のリベラルアーツが日本には存在している」
橋爪座長「失敗したリベラル・アーツ教育では駄目だということだ」
ここで若干,大学院の必要性についても議論が及んだ。
有馬委員「伸ばす分野については大学院を置くことが考えられる。市大では,公共政策の分野が良いのではないか」
橋爪委員「院までとなると大変。1.5流や二流になってしまうのでは魅力がないので,ここで勉強すると東大などに進学できるというので魅力にすれば良い」
池田理事「修士課程ならばリカレントもできるし,専門家養成ができる。それくらいは対応できる。院がなくなると教員のインセンティブが失せるのではないかということもあり,修士は残す方が手広くできる。それ以上なら他へという構想もとれるのではないか。」
橋爪座長「研究者養成の大学院が多すぎるのが実状だ。一部の研究大学院となる大学以外は,博士課程は作らなくて良い,というのが直感だ。研究大学院と違うものならば可能性はある」
田中委員「リベラルアーツ教育という場合,外枠とカリキュラムとの両面が考えられる。縦割りではなく,教員の所属と学生の所属は違うというのが考えられるのではないか。リベラルアーツ教育では3000人が限度で,欧米で良質なのは1000〜2000人規模だが,それにはそれなりの理由がある。」
橋爪座長「九大の21世紀プログラムは,専門はなしで研究科を横断的に授業をとっていけるようなものになっているので,資料を集めて欲しい。ハーヴァードでもアーツ・アンド・サイエンス学部はカリキュラムが全体で組まれていて取りたいものが取れる。ミックスしようと思えばできるような運用が必要だ。」
橋爪座長「市大はただでさえ教員数が多いので,集約・効率が必要になる。」
【感想】市大の教育がどのような人材を送り出して行くべきかというイメージとしては,概ね現実性のある建設的な意見が多く出されていたと感じる。リベラルアーツとは,実学と言っても幅広い学問体系そのものによって支えられるものであろうから,そのためのシステムとして,どのような教育組織・教育カリキュラムを構想して行くべきなのか,われわれ大学人自身の側でいろいろと考えていかなければならない課題であろう。
3.さてここで,池田理事から,あり方懇としての中心論点に議論を引き戻す形で,「市が大学を持つ意味をはっきりさせる必要がある。まず,大学ありきでその中身を考えるのか,それとも市長の言うように市が大学をもつ意味を考えるのか。地域貢献は,他大学並みに貢献すればよいのか,市から財源を得る以上,市や企業に貢献していく必要があるのか」,つまり「市が大学をもつことでどういう“見返り”があるのか,そこを検討していただきたい」という発言があり,以下,この点をめぐって議論が行なわれた。
橋爪座長「市大は大きな負債があり,年々赤字を出している。そのことさえなければこれと言って特に問題のない大学だ。市が経常的にお金を出していくスポンサーとなるのは,有形,無形の(たとえばプライドといったものも含めて)何らかの見返りが期待できるからだ。
森谷委員「市長の諮問には,何かきっかけ(問題)があったはずだ。それは市の財政が大変だから見直してくれ,ということだろう。学校関係だけで1100億円の債務,経常費120億円もかかるというのは,(北里,慈恵など借金は100億円以下で)他大学と比較しても異常事態だ。この地域に14も大学があり,学校の存在意義はぼやけている。医学部は地域と密着しているがそれ以外は意義がわからない。住民は納得しているのか,と言えば,住民はこの金額自体を知らないと思う。情報公開が不十分だ」
田中委員「横浜にある大学を5つ挙げろと言われても市大は入らないのではないか」
森谷委員「商学部は名門で,自分が勉強してきたときにも憧れのあるところだった。しかし,今良い教育をするにはお金がかかる。1つか2つの学部を残してその他は絞るべきではないか」
有馬委員「“見返り”というのは具体的にはっきりしていないといけないのか? プライドというのでも良いのか?」
池田理事「横浜市ローカルの問題も,世界の大都市の問題として学問に高めていきながら,学問の成果を還元していく,グローバル・スタンダードに合うようにする方策を提起していく,といったことだろう。今でも大学が情報発信をしていけば,“これだけのことをしている”ということはいくらでも言えるが,さらに地域にとって“何をやってくれるのか”という点を議論して欲しい」
橋爪座長「一般の大学より改革の敷居(必要水準)は高いということだろう。市がカネを出さなくても採算が取れるならば良いが,現状では一人一万円出している計算になる。3人家族なら3万円ということになると,これはかなりの金額で,単なる“プライド”くらいではとても納得できないだろう。見返りの点では説得力が足りない」
川渕委員「(民営化の選択肢もあり得るがそれよりは)経営のことをきちんと考える非公務員型の独立行政法人にして,中期目標を6年契約という形にして明確化していくのが良い」
橋爪座長「市の負担の最小化なら,民営化か売却が一番良い。仮にそうでないとしても,数値目標を立てて,達成できなければ廃校・売却するということにしないと,ずるずる行ってしまうことになる。」
有馬委員「私立大学はそれぞれ採算をとっている。市大の場合,何が違うのか?」
池田理事「私大の運営費は70%が学費,それ以外は寄付。市大は学費収入は二十数億しかなく,2割。今の大学のフレームで採算をとるには,私大より高い学費になってしまう」
田中委員「同じ条件で競争できるのでなければ,教育内容が良いからではなくて,学費が安いという理由で学生を集めていることになってしまう。研究費を今までは,外部に働きかけて集めるのではなく,市役所に働きかけてとってくることになっていたのだろう。はたして競争力がどうだったのか」
森谷委員「かつては貧しくても大学に行ける,という存在理由がはっきりしていた。現在は教育の成果に何かはっきりした見返りがあるというのは極めて難しい。“その地域だけに貢献をと考えればレベルが下がってしまう”(“大学は日本・全世界を考えるもの”というアンケートの答もあった)という面は確かにある,とすれば,“見返り”というのは無理になる」
高井局長「少子化の中で私大は血を流して生き残りをしている。そういう中で市が大学を持っていなければいけないのか。今は横浜,東京に選択肢が沢山ある。この中で120億円出すのは妥当なのか,市民の理解が得られるのか? そこを議論して欲しい」
橋爪座長「財政だけなら市が直接大学を持つのは効率が悪い。この財政があれば,20軒に1軒60万円という奨学金を出せる計算になる。その方が効率は良い」
池田理事「かつての戦後の時期,意義があったことは否定できないが,新たなわかりやすい意義付けはあるのか。これからは地域と結びついた研究として研究の中身そのものに地域貢献があると言わなければ説得力がない。そういうものは,金融論・中小企業論など,ないわけではない。国際文化では,まちづくり研究コースとして,NGO,NPOの核をつくる演習中心の授業という構想が検討されており,市民の力を発揮する教育・研究であることは確かだろう。しかし,それが存在意義になるのかどうか。」
森谷委員「財政だけから議論できないのはわかっているが,しかし,極端に問題だ」
池田理事「負債の大半が病院による。これは大学が作ったというより,市長が作ったという面もある」
橋爪座長「病院の借金の巻き添えで本体までなくすというのでは,たしかに不合理だ。切り離した場合,本体の経営がどうなのか,をはっきりさせた方が,市民の納得を得やすい。学費を上げても学生の集まる魅力のある大学ならば成り立つ。この点は,われわれが議論するべきなのか,大学側が考えるのか。」
池田理事「商学部では若干値上げすれば採算が取れる,国際文化学部では値上げしても追いつかない,という状況。ただ単純に民間と比較して競争できるというだけなら,市が大学をもつ意義にはならない」
塩谷委員「見返りというのが難しいのは,文化の持つ本質的問題だ。たとえば音楽ホールができたとして,それにどんな意味があると言えるのか,ということになる。経費を減らすという議論しか出てこないが,一番見返りを言いやすい医学部が,一番カネを食うということにもなっている。とすれば,情報発信しかない。たとえば,社会問題に答えられる,専門のFM局を作って番組を流しても良い。」
橋爪座長「アメリカにはラジオ局を持っている大学が多くある。インターネットならば,すぐにできるはずだ。地域への見返りはいろいろ考えられる。サンドイッチ・プログラムというように,たとえば4年間のうち中の2年を外国へ留学する制度をつくり,交換に外国の留学生を受け入れ,市民がボランティアや補助を受けてホームステイを提供する,ということなら,大学があって初めてできる国際交流になる。それなら市民が年三千円くらい出しても良いかな,となるかもしれない。あるいは,エクステンションスクールを市民のニーズに合わせて夕方6〜9時くらいで大々的に行ない,市民にはバウチャーを出すということで目に見えるサービスの還元をする。それなら,さらに二千円くらいの負担をしてもいいか,となるかもしれない。こういうことを他に先駆けて横浜から始める,ということで,プライドにもつながる可能性がある。」
有馬委員「社会には大学で最先端のところを勉強したいという欲求があり,環境ホルモンやエイズなど,新しいところの話を聞けるとなると人が集まる。その場合は,スピードも大事だ。これは企業誘致のメリットにもなり,シンクタンク機能にもなる。」
森谷委員「“駅伝大学”のようにテレビに出て優勝するというだけで地域の満足をもたらすケースもある。本当に教育そのものだけで,というのは百年かかる難しいことだ。」
【感想】この辺りの論議は,財政問題を抱える中で市が大学をもつ意義はあるのか? という本質論にかかわって,その答をあり方懇として出して欲しい,という事務局側と,それは市民がどれだけ大学の意義を認めるかにかかっているという委員との間で,やや堂々巡り的な面が含まれていたようにも思う。しかし,大学を改革して存続するとこういうメリットが考えられるという建設的方向に,一応,議論は向けられたように感じた。「地域貢献」というのも,単に横浜の研究をするというより,国際交流や情報発信という幅広い文脈で捉えるなど,参考になる議論が多かった。しかし,その前提としては,効率的経営が必要だということも繰り返し強調されており,厳しい注文がつけられているとも言える。
4. その議論の連続で最後の方では,いくつか機構や人事権にかかわる点が提起されていた。
川渕委員「どういう内容でいくか,その内容はファカルティで考えればよいが,評議会・教授会の体制は責任が不明確だ。公立としてはいち早く非公務員型の独法化をするのが良い。そうすればその中で内容を考え,その内容での契約を履行すれば良いが,そうでなければ給与が下がるといったことなども考えるべきだ」「一大学一法人ではなく,病院・研究所など分離して法人化すべきだ」
有馬委員「経営を考えるとき,職員の経費はどこに入っているのか」
池田理事「病院を除き,一款の学部・研究所の運営費に入っている」
川渕委員「病院は,地方公営企業法でもなくて,特別会計になっている。ここを触れないのが問題だ」「なるべく公務員を作らない方が良い。企画機能は必要だが。」
池田理事「公務員だからさわれないという時代ではなくなっている」「公務員だから駄目というわけではない。公務員が企画機能をやっているから駄目だ。」
橋爪座長「市大など公立大学も国立より1年遅れで独立行政法人に転換しようということか? 非公務員型など決まっているのか?」
池田理事「設置者,公大協と総務省が交渉している」
橋爪座長「良い教育の要件として大事なのは人事だ。自主性を重んじるということではお手盛り人事になる。多くの大学がこれで失敗しているので,人事を市がきちんと管理することを是非やっていただきたい。会津大学では,教員の半数が外国人で,研究の方は良くないが,教育効果は上がっていると評価されている。横浜でも,少なくとも会津並みのことはできるはずだ」
川渕委員「任期制が当たり前だと思うが,とっていないのか」
池田理事「医学部には任期制がある」
橋爪座長「研究型では,ポスドク,助教授まで任期制という制度が考えられる。教育型なので一概には言えないが,是非そうした制度を取り入れて,時間が経てば良い人材が残っているようにすべきだ。日本の給与水準は国際的に見ても高く,良い人材を集められる。」
【感想】非公務員型の独法化,人事権をめぐる教授会自治の剥奪,任期制の導入,というわれわれ教員の身分にとっては重大な論点が,提起されているが,メリット,デメリットの慎重な検討というよりは,取るべき方向性は既に定まっているという議論のように感じられた。あらゆる制度にはその長所・短所があるであろうから,「改革」の趨勢に単なる既得権の擁護で抵抗しようというつもりはないが,「大学」という制度や「学問の自由」というこれまでの理念の根幹にかかわる部分だけに,より慎重な検討を望みたいところである。
5. 議事は今後の日程(次回第5回:1月16日,第6回:2月13日,第7回:2月27日)を確認して終わった。2月末に5枚〜10枚程度の答申を出すということのようである。
【全体としての感想】外部の見識ある委員が集って市大のあり方について貴重な意見・注文を出してもらうということで,教育や地域貢献のあり方など建設的に受け止められる部分も多いと感じたが,システム改革として出てくる方向性が,研究機能の放棄や大学自治の否定ということだとすると,個人的にはにわかに賛同できない部分が多い。教育・研究の積み重ねとして築いてきた市大の伝統的資産というものがあるとすれば,その教員サイド(さらには学生サイド)からの説明をもっと聞いて欲しいという気もしたが,これは既に前の会合で終わっているということであろうか。事務局が,大学側の実状を説明する役割を担っているが,設置者(市長)サイドを代表する面が強いようでもあった。地方自治体が大学をもつ意味とは? グローバル化と分権化の時代(?)の中でどう考えるか,私自身も大いに考えさせられたところではある。
7◇組合の今後の予定
教員組合では,今後以下のようなスケジュールを予定しています。
1/9(木) 総会のお知らせ配布、委任状交付
1/10(金) 会計監査(昼休み)
1/23(木) 執行委員会(17:15〜)
1/27(月) 代議員会(17:30〜 生協VIPルームにて)
1/30(木) 組合学習会;講師 及川茂氏(日教組UPIセンター長)
2/3(月) 総会(17:30〜 生協VIPルームにて)
2/4(火) 選挙公示
2/20(木) 開票(昼休み)
執行委員会・引継ぎ(16:00〜)
懇親会(18:00〜)
8◇学長会見質問予定項目
定例学長会見では,以下の質問要望書の項目での質問を予定しています。なお,日程は市会との関係等で調整中となっています。
以下の点について、なお一層のご努力をお願い致したく、質問・要望書を提出致します。
なお、以下に挙げた項目の中には、これまでの話し合いの場で既に確認されたものも含まれていますが、これにつきましては、引き続きご努力をお願いする事にし、今回は、特に☆印を付した点についてお尋ね致します。
1.本学のビジョンについて
☆ (1)「あり方懇」との関連について
☆ (2)「将来構想委員会」「大学改革戦略会議」のビジョンについて
☆ (3)「横浜市中期政策プラン」との関連について
☆ (4) 総務課提案の「機構改革案」について
2.研究・教育環境の改善
☆(1)非常勤講師謝金支給方法の変更と削減問題
☆(2)「人事凍結」について
☆(3)商学部入試過誤問題について
☆(4)アカデミックハラスメント委員会設置の要望
3.労働条件の改善
(1)生涯学習学内謝金の見直し(削減)について
(2)出張・研修中の大学院手当ての未払いについて
(3)入試実施体制の全学的視点からの整備
(4)出勤簿問題について
☆(5)出張職免問題について
4.看護短大の教育・研究体制の整備
☆(1)退職者の補充
☆(2)助手の人員確保
☆(3)福浦キャンパスのカウンセラー導入
5.医学部教員の任期制導入について
6.医学部K助手問題について
7.その他
☆(1)評議会の事務局途中退席問題
☆(2)設置者権限
9◇全大教時報目次紹介
2002年12月号
国立大学法人制度下における財務会計問題 佐藤 誠二 (静岡大学)
坂根 利幸 (全大教委嘱公認会計士)
高等専門学校の現状と将来
井田 晋 (全大教中央執行副委員長・高専協議会議長、小山高専)
現在の大学保育所の役割と課題
三宅 則義 (全大教中央執行副委員長)
「大学・高等教育研究会」ニュース No14
10◇組合学習会のお知らせ
教員組合では,日教組UPIから及川氏を招いての学習会を予定しています。なお,執行委員会では,現在,日教組UPIへの加盟の可能性を検討事項としています。
日時:1月30日(木)18時−20時
題目:「大学改革と教員の身分――公立大学の法人化と組合の対応――」
講師:及川茂氏(日教組UPIセンター長)
場所:文科系研究棟5F 小会議室