学長 小川先生
商学部長 川内先生
標題の件で、研究室HPに意見を公開しました。
学長、商学部長としてのすみやかな公開の態度表明を期待します。
商学部教授
永岑三千輝
2003年2月11日
---研究室HP公開の意見表明----
2003年2月7日 部外秘資料=戦略会議議事録の公開について:
総合理学研究科・佐藤真彦先生の勇気ある資料公開に対し、削除させようとするな
ど、言論弾圧・抑圧が行われた(総合理学研究科・佐藤真彦教授の公開意見・経過報
告:矢吹先生からの情報、矢吹先生HP)。
この問題が、まさに大学内部における言論の自由、社会における公的な問題に関する
言論の自由など、憲法的問題になってきたことだけは確かである(以上、9時20分)。
検討すべきは、まずはつぎのような事実確認・諸論点であろう 。
@ 資料(議事録)は本当に「部外秘」に値するものか?
A その判断はだれがしたのか?
B その判断に追随したのはだれか?
C その判断に疑問をいだき、批判したものはいないのか?
D 当該資料を「部外秘」とした責任者はだれか?
E その根拠・論拠はなにか?
F 秘密とすべき箇所はどこか?
G 「秘密」とすべきだと判断した根拠、その論拠とされたことは、はたして大学の「戦
略」を考えるという公的な問題、大学の生命、大学の将来という根本的な公的問題に
照らし合わせて、妥当か?
H 情報公開における道義性とはなにか? もしも、当然にも(公的利益=公共の利益
=大学の利益=大学の生命の利益と論理を判断規準とすれば、当然にも)公開すべき
内容の議事録を非公開(秘密)にしたとすれば、それ自体が道義的に問題となる。総合
理学研究科の検討で、佐藤教授の行動を「道義的に問題だ」とする意見が出たようだが
(佐藤真彦教授公開情報参照)、その道義性の問題は、じつは、内容に即して判定され
なければならない。 その場合には、かえって、「部外秘」としたこと自体が、大学人
としてあるまじきことになり、その道義性が問題となる。他人を非難する論拠・もの
さしは、必然的に、その非難者自身の頭上にも落ちてくる。「道義」の規準を持ち出し
たものは、今後の調査過程で、その妥当性が問われることになる。
I 企業(私的利益を追求する民間企業)における内部告発の法的保障さえ制度化され
ようという民主主義の現在の到達点からして、大学、しかも公立大学において、秘密
とすべきでないものを秘密として隠蔽・封鎖することは許されるか? 秘密とはなに
か、これが決定的に問題となる。
J 企業の論理(私的利益追求)からすれば、企業内部秘密の告発は「道義的」に(社員
・社内倫理により?)罪とされ、告発者自身が不利益処分される。しかし、秘密隠蔽
が公的・公共的・社会的には、幾多の悲劇・多大の被害を生んだ。企業内部の利益
(私的利益、近視眼的・短期的・表面的利益)からする秘密(その護持・隠蔽)は、社会
の利益と論理、公共の利益、市民の生命や利益の論理に反する場合がある。企業内の
普通の社員、地方自治体・国家の公務員などは、一人一人としては弱い立場にある。
その人が重大な秘密(だが公開することが社会と公共の利益となる秘密)を知った場
合、どうするか? どうすべきか? 弱い立場の告発者(しかし社会と市民の公共的
利益を守る勇気ある人・責任感のある人)を守らなければ、企業秘密が蔓延し、市民
や社会の生命と利益が失われる。それが、内部告発保護の法律制定の背景であり、論
理である。その公共の論理は、地方公共団体でも国家でも同じであろう。むしろ、公
的団体であればあるほど、その点には厳しい態度が求められるであろう。
K 今回の議事録「部外秘資料」公開問題で、事務局責任者は、「地方公務員の守秘義
務」を持ち出したようだ(上記、佐藤真彦教授公開情報参照)。事務局(責任者)がこ
れを持ち出す事例は結構ある 。まさに、これが今回の場合あてはまるのかどうか。
それこそ重大問題となろう。このような脅迫や不正確な守秘義務理解に屈していいか
どうか、それが問題だ。だれがそんな発言をしたのか? その人物には説明責任があ
る。このことを明確に指摘しておきたい。いずれ調査委員会でその点が明確にされる
べきである。
L 大学の部局長で構成する「戦略会議」の議事録は、どのような意味で秘密なのか?
どうして秘密にしなければならないのか?どこを秘密にしなければならないのか?
合理的な説明が必要である 。 「部外秘」とした事に関するアカウンタビリティが求
められている。その議事録は、教授会議事録とどのように違うのか?教授会議事録は
すでに公開原則が確立している。教授会議事録公開に関しては、迅速に処理できるよ
うに、教授会議事録公開システムも構築されている。公開原則を無視していい理由は
なにか?
M われわれの場合で言えば、情報公開対象は、戦略会議議事録である。科学技術の
自由で豊かな発展、大学の生命・大学の発展に関わる問題、大学の自治や学問・思想
・言論の自由という憲法的規準からすれば、戦略会議 の議事録をとうてい「部外秘」
として隠しておくことは許されないと佐藤真彦教授は判断されたのであろう。その個
人的判断に基づく勇気ある 情報公開が、佐藤真彦教授の研究室HPにおける議事録公
開である。その民主主義的行動を押さえ込もうとしたこと自体、現在の社会の到達点
から言っても、相当に問題となろう。したがって、総合理学研究科長の「削除」要求
や、「監督不行き届き」発言(上記の佐藤真彦教授公開情報)は、大学自治破壊、学問
・思想・言論の自由の抑圧活動として、逆に、今後、学内外で重大な社会問題となろ
う。
N 言論抑圧こそは、大学の自治の根本精神、科学技術の自由な発展の制度的法的保
障という人類史的・世界的・憲法的な意味で、批判されるべきではないか?
O 言論に対しては、キチンと理路整然と言論による批判で応える(学長声明、戦略会
議責任者声明、その他の形式で)のが、言論の自由の本質的構成要件である。人目に
触れないように削除するように求めたとすれば、「言論弾圧」といわれてもしかたが
ないのではないか? その事実(削除要求=言論抑圧の事実)自体を消し去ることはで
きない。学長設置の委員会は、日本と世界が注目する重大な原理的問題を検討するこ
とになる。堂々たる調査検討、その検討過程と検討結果の全面的な公表を期待し、要
求する。
P HPにおける意見公開について
・・・佐藤真彦教授の研究室HP掲載が、大学情報シ
ステムの「公共財」という一般的な性質から問題とする意見があるようだ。この発想自
体、公共の意味をまったく考えない、軽薄な意見だ。大学を構成する「財」には考えが
及ぶが、大学を構成する主体・個人の公的責任・公共的責任をしっかり考えたことの
ない人の発言だ。
Q 情報公開は、あくまでも佐藤真彦教授の個人研究室HPで行われているにすぎな
い。大学の公式HPではない。その点をはっきりつかんでおかなければならない。佐藤
真彦教授個人の大学問題に関する責任ある(こそこそ隠れて陰で発言しているもので
はない)見解表明、資料=情報公開の態度を人目に触れさせたくない理由はなにか?
大学問題(将来構想)には、多様な(時に対立的な)見解がある。それらの構想につ
いて、公然と議論を戦わせてこそ、本当の(民主的な)大学改革ができるのではない
か? 橋爪座長の発言が新聞を通じて報道されているのに、なにも大学として反論し
ないことこそ問題ではないか?戦略会議で議論するさまざまの人の意識内容・意識水
準がわかる資料を隠すことこそ、問題ではないか。外部からの、そして内部における
無理解・暴言に対し、拱手傍観していて、大学を守り発展させることができるのか?
R 佐藤真彦教授の意見が、いまのところ、大学の「公式」見解でないことは事実か
もしれない。しかしそのことは、個人研究室HPと大学公式ページとの違いから明確で
はないか? だれも、佐藤真彦教授の見解を、現在の大学の公式見解だとは思わない
であろう 。佐藤教授は、総合理学研究科長や学長・部局長会議の態度自身を問題と
し、経過報告を公開されているのである。
S 私もそうであるが、佐藤教授は、自分の意見を自分の意見として自分の責任で研
究室のHPで公開しているだけであろう。この意見表明の方法は決して他人に自分の意
見を押しつけるものではない。自分の意見を明確にし、他人からの批判を可能にして
いるのである。教授会や各種委員会などの場で自分個人の意見表明に長時間をとるこ
とは、場合によっては許されない。それに比べて、HPにおける明確な意見の表明は、
人に迷惑をかけない方法、じつに物静かなやり方ではなかろうか。読むに値しないな
らば読まなくていい。HPにおける情報公開・意見表明というやり方こそは、こそこそ
と隠れて「寝業師」的に動き回ることに比べて、正々堂々たる態度、民主主義的な態度
だといえないか。佐藤教授の意見が間違っていると思う人は、陰に(これはすでにお
こなわれているであろう)陽に批判すればいいのである。むしろ、問題があると考え
るなら、公然と批判することが大学人としての義務でさえある。
21 大学問題(大学改革、そのあり方、どう進めるべきか、未決定の諸問題、これから
構想し作り上げていくべきプランの諸問題)という公的公共的なテーマに関する議論
だからこそ、それぞれの大学人が自分の研究室のHPを立ち上げ、責任を持って自分の
意見を公開すればいいのである。その諸氏百家の議論の百家争鳴・百花繚乱の中で、
真に有力な意見が生き残り、影響力を持つように育てていけばいいのである。それこ
そ大学らしい民主主義的理性的やり方ではないか?
22 そのような現代的意見公開、公論の場としては、HPはすばらしいものだと考え
る。公式見解もどんどん大学HPで公開すべきである。毅然とした意見を関係各部局責
任者が即座にだせないこと、公式見解をただちに出せないこと、これこそ大問題だ。
23 大学というところは、公式(学長、評議会、各部局長、教授会、事務局責任者それ
ぞれ)の見解と各教授の個人的見解が違っていれば、むしろ、それが明確にわかるよ
うにする言論の自由こそが大切である。大学(いや民主主義社会においてはどこで
も)は、いろいろな意見のなかから大学(社会)を構成する各人が自分の頭で公正、正
義、真実や真理を考え、意見を述べ、発見していく、創造していくことが、むしろ貴
重なのではないか? その模範となるべき機関・組織こそが理性の府たる大学であ
り、真理探究につとめる大学の使命(学則第1条)ではないか。
24 またそのような使命をになった大学という最も自由で創造的な場での活発でオー
プンな議論を、可能な限り最大限、関心ある市民に公開し、市民がフォローして、市
民としての認識を豊かにし鍛えていくことが大学の役割ではないか? 市民社会の言
論の自由を豊かに発展させることは大学の使命ではないか? まさにその試みが、各
研究室での各個人の責任でのHP作成ではないか? 今だ、HPを通じる意見表明が少な
いことこそ問題ではないか?
25 民主主義精神の深化・発展、各人の自立的精神、各人の個性・自立性・自律性と
公的・公共的意思の形成のあり方において、いちばん大切なのは各人(学長として、
各部局長として、評議員として、教授として、そして事務局責任者として)の責任あ
る公的な意見表明ではないか?
26 私は以上で展開したように、戦略会議という公的組織の、大学の将来を左右する
改革問題の議論の内容は完全にオープンにすべきだという立場である。佐藤教授が勇
気を持って公開に踏み切られた現在の資料(議事録)でも、公的な地位にある発言責任
者の個人名が隠されている という意味で、不充分な情報公開だと考える。助教授ク
ラスの弱い立場の人々の発言は別としても、教授以上の人々、および事務局責任者の
発言は個人名とともに完全に公開すべきだと考える。
27かくして、今回の問題は、まさに大学における民主主義と言論の自由、大学の自治の
成熟度が試される問題であろう。これに対する社会の関心度は、また市民と社会の民
主主義の成熟度と関係するだろう。
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永岑三千輝
横浜市立大学大学院経済学研究科・商学部
236−0027 横浜市金沢区瀬戸22−2
Tel.045-787-2125、 Fax.045-787-2096
E-Mail:nagamine@yokohama-cu.ac.jp
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