新自由主義とはなにか? その批判的検討

更新:2004/12/03

 

新自由主義の代表的論客の所説の検討

1.    ハイエクFriedrich August von Hayek(1899-1992)

2.    レプケ

3.    エアハルト

 

 

C.ワトリン(ケルン大学経済政策研究所教授)のウィーン大学ハイエク財団教授就任講義(2003年1月22)によれば、ハイエクは、「自由な人間の社会Gesellschaft freier Menschenの哲学的、政治的、経済的、および法的な基礎を彼の学問的仕事の対象とし、また彼の公的働きかけの対象とした[1]」という。二〇年代のウィーンで学生生活を送り、私講師となり、アメリカでの留学生活のあと、官庁でのサン・ジェルマン条約の検討、新設の景気研究所で10年勤めたあと、三〇年代はじめからロンドン・スクール・オブ・エコノミクス・アンド・ポリティカルサイエンスの経済学教授を務めた。五〇年にシカゴ大学に移った。フライブルクや名誉教授としてはザルツブルクでも教えた。いわゆる西側諸国では多くの大学に客員教授として招聘され、高く評価された。これに対して、東側世界では、誤ったイデオロギーの代表者、その社会主義の不倶戴天の敵とみなされた[2]

 

 しかし、西側社会でも、あらゆる人々によって賞賛され受け入れられたのではない。戦後「福祉国家」に対する批判者として、「福祉国家」批判の潮流から評価された。

ハイエク文選の編集者は、1999年、「いまなおドイツ語圏に存在している福祉国家思考の『文化的ヘゲモニー』を押し戻す」武器として、そのような意味での「自由の友を助ける」ことを目指している[3]

 

 ハイエクは長い生涯をつうじて、ある特定の利益集団や政党に奉仕するという危険を犯さなかった。イギリスのウィンストン・チャーチル、のちのマーガレット・サッチャー、そしてアメリカ合衆国のロナルド・レーガンはハイエクの理論を習い、ハイエクを武器にした。しかし、それは必ずしもハイエクが同意したものではなかった。ハイエクの公的活動は啓蒙にあり、政治活動にはなかった。彼は学者にとどまった。それは彼の信念に基づくものだったが、専門家や同時代人からは激しく攻撃され、嘲笑されることもあった[4]

 

 彼の著作は、理論的心理学から、経済理論、特に貨幣通貨理論、経済計算論争、ケインズとの論争、そして社会・法哲学にまで及んだ。

 

ワトリンは、自由な人間の社会の秩序に関する問題を上記就任講義で取り上げている。

ハイエクは第2次世界大戦中、イギリスで執筆した『隷属への道』で、自由な社会の問題を検討。

直面していた問題は、イギリス、しかしまたその他の西側諸国の戦後社会の秩序原理をどうするか。

自由な思考のルネサンス、自由な秩序政策の問題。

ハイエクと違って、多くのインテリは、様様の種類の計画の実験Planungsexperimenteに熱狂。

 

 



[1] Christian Watrin, “Friedrich A. von Hayeks Theorie der Freiheit“, S.1, http://www.hayek.de/docs/2003/Theorie_der_Freiheit.pdf, Cf.ハイエク協会ホームページhttp://www.hayek.de/

[2] Watrin(2003), S.1.

[3] Gerd Habermann(Hrsg.), Philosophie der Freiheit. Ein Friedrich-August-von-Hayek-Brevier, Otto Verlag Thun, 1999(3. Auflage 2001), S.8.

[4] Watrin(2003), S.1f.