拙著『ホロコーストの力学−独ソ戦・世界大戦・総力戦の弁証法−』(〈株〉青木書店、2003年8月24日刊)
これに、学生諸君はどのような感想を寄せてくれるか?
更新:04/01/04
研究者仲間[1]からの反応は、学生諸君や一般市民の読者とは関心の向けどころが違うだろうが[2]、学生諸君(そして一般市民の方々)の参考のために、以下にいくつか紹介しておこう。
---------その前に若干、一般社会と出版社からの反応を------
*みずしらずの人(一般市民・いや分野は違うが研究者かもしれない)からの反応が「愛読者カード」のはがきで送られてきた(書店からファクスで送ってもらった)ので、それを冒頭に掲げておこう。見ず知らずの人だけに、著者としては感動が大きい。
●M・K氏(大阪市・公務員・1944年生まれ)「ホロコーストに関し多くの書物を買い求めてきましたが、同書を読み、詳細な内容に驚き、資料の新しいことに感心しました。著者永岑氏に対し感謝し、研究者として[3]敬意を表します。」
●O・T氏(富山県・団体職員・1956年生まれ)「独ソ戦については、WWU、欧州戦線のなかでも特に興味があり、戦記、収容所関係を問わず資料を集めているので、この本は参考になった。 希望・企画の要望:WWUで活躍したドイツ、ソビエト軍人の回想録の出版、復刊等」
*出版社からの情報(9月5日)では、池袋のジュンク堂で、「配本した10冊ほどがすでに完売」とのこと、この厳しい経済事情の元で、専門書として文献・史料注だけで七〇ページ[4]ほどもある本を、よく買ってくださると、うれしい。その期待にこたえるものであることを願う。
*9月10日の出版社からの知らせでは、「*新宿紀伊国屋からも追加注文がきたそうです。なかなか出足好調。」とのこと、大変うれしい。
*9月16日・・・「追加注文・・・FAX・・・現在25冊あがってきている・・・専門書としては立派な数、と営業・・・」
―以下、研究上の先輩・同輩・後輩の人々からの反応---------
---8・27---
1.A・E氏「それにしてもすごいエネルギーです。・・・。」
2.Y・T氏「序とあとがきの部分しか読んでおりませんが、大変な労作・・・・。・・・市立大学が大変な時期にこれだけの大書を発表され・・・大変に励まされした。」
3.Y・H氏「市大問題でお忙しいさなかに、このような、きちっと資料に基づく研究成果を次から次と出されていることに・・・・・・・アメリカの・・・人が組織している「消費と工業化」というパネルで報告をしてきました。「消費」というのはヨーロッパ経済史ではすでにかなりの議論があるようですね。・・・ながみねさんのように大著3冊というのは到達不能ですが、この議論を少し膨らまして、何とか2冊目にしたいと願っています。」
4.M・K氏「いつもながら、先生の真摯な問題意識[5]・・・・」
5.K・S氏「YCUを巡る環境が悪化している中で、続々と研究成果を出版されているご努力・・・・。」
6.K・M氏「先生のエネルギーは真似できません。私など、夏休みに書こうと思っていた論文1本でさえ手つかずのままです。」
----8・28---
7.A・A氏「ナチスのホロコーストを特殊の道や思想[6]によってではなく、ある合理的選択[7]として捉えることは、ナチズムをアメリカニズム[8]のような今日の問題へと拡げていく可能性を示唆しているようであります。さらに勉強させていただきたく思っております。」
8.Y・M氏「二年に一度は本を出す[9]先生の生産力の高さ・・・」
9.N・K氏「「アウシュヴィッツ否定」論批判の本格的な実証をされたご研究の成果・・・」
10. F・T氏「質、量ともに分厚いお仕事に、・・・・。」
11. I・F氏「先生のご著書を拝見するたびごとに、研究者として未熟[10]な自分を自覚しております。」
----8・29------
12. N・T氏「本書は,永岑先生のホロコーストに関する長年にわたるご研究の成果をまとめられたものであり,永岑先生の歴史科学に対する熱き思いを感じます。・・・・」
13. B・H氏「一見、よく構成された著作と思われますが、表題の「・・・の弁証法」が実際の記述でどう生かされているか[11]、楽しみです。」
14. S・S氏「マルコポーロの記事(に)・・・憤慨し、・・(その)感情を学問にまで高めるということをやってのけるというのは、そう誰にでもできることではありません。この大学騒動の中で、あるいは中でこそかもしれませんが、揺るぐことなく、研究を続けられ、ふたたび大著をものにされたこと・・・・」
15. M・N氏「・・・私は相変わらず、こまごました問題[12]に振り回されています。間もなく紀要の締め切り期日が来ます。筆がなかなか進まないので、頭が痛いです。」
16. K・T氏「ユダヤ人虐殺問題について、長年のご研究を基礎に、これほどまでに綿密に研究された本は、寡聞にして知りません。よくこれほどまで息長く、研究にご精進・・・おそらく今後末長く、学界の共有財産として高い評価を受けることと思います。・・・私の方、相変わらずです。毎日コツコツ研究をつづけております[13]。 いつの間にか馬齢を重ねている間に私も高齢者の仲間入りさせていただき、決して無理が利かなくなりました。残された人生を出きるだけ、美しく、生きてゆこう[14]と考えております。」
-----8・30/31-----
17. I・K氏「・・・ドイツで色々お聞きした論点が1冊の本に結実している様子が目次を拝見しただけでも理解でき・・・」、「都立大学も、人文社会科学系を一学部に再編しようという動きが出ているらしく、人事の完全凍結[15]も含め、恐ろしい現状のようです。研究以外にもお忙しいことが多いと存じますが、どうぞ御自愛下さい。」
18. A・Y氏「「精力的な御仕事ぶり・・・・。ホロコースト否定論などがなぜ横行するのか、腹立たしい限りです。これに対抗するもっとも有効な手段は実証であろうと思います。永岑さんのお仕事はまさに正道を行くもの・・・」
19. I・S氏「・・・膨大なご精力を傾けられた本書が立派な書籍として刊行されたことに心よりお喜び申し上げます。当方、この夏は、・・・介護、・・・岳父の・・・急逝・・・これら私事のためにできなかった公務の集中傾注などもあり、研究上は空白の夏となりました。・・・なんとか仕事がまともにできるようになる日が来るのをなお、待っているというのが実態です。」
------9・1------
20. I・T氏はがき「力作『ホロコーストの力学』・・・・横浜市大をめぐる大変な状況[16]のなかで、このようなお仕事をされたことに対し,心から敬意を表します。この夏は,高校世界史教科書の仕事で完全に振り回されました。・・・」
21. K・K氏手紙「大著,力作、なによりも無味乾燥な瑣末実証主義の論文の氾濫のなか、魂のこもった御高著・・・・ホロコーストの決定的要因を食糧危機、労働力不足などナチスドイツの内的要因に一義的に解消するのでなく、むしろ,総力戦における彼我における力関係,戦況の変化,勝つか負けるかの彼我の戦闘の推移こそ決定的要因[17]とされる点に同意を禁じえません。緻密な実証的な叙述にもとづく高度の学術書であるとともに、有事立法などキナ臭さの増すこの頃、「アウシュヴィッツの嘘」に真っ向から立ち向かわれた現代的意義は大きいと思いました。ドイツでは現在でもなお加害者意識は相当強いと思いますが、拉致問題を見ていても,一方的に被害者意識に立ち,一方的に北朝鮮を非難するのを見ている時、戦中における日本の加害者の立場が完全に抹消され,日本はつねに正しかったかの印象を強化する戦争への危険を痛感するこのごろです。・・・」
----9・2-----
22.
I・S氏「永岑さんの「ホロコースト三部作」の第三冊目・・・このお忙しい中の作品、驚嘆するばかりです。私の方は、・・・(他人担当部分)のチェックもおわり、ようやく7月半ば締切(!)の別原稿にとりかかれる・・・・「ホロコースト史・・・」の講義・・・で、大いに活用させて頂きます。」
---―-9・3-----
23. M・Y氏「論争のなかで形成された「主張の書」と推察・・・10日ほど、ポーランドの大地を1日1万数千歩、計10万歩ほど歩いてきました。・・・」
24. T・S氏はがき「・・・「アウシュヴィッツ否定論」に対する永岑さんの精力的で緻密な御研究がこのように立派な著作として結実したことに敬意を表したく存じます。私の方は・・・・・長の仕事に追われ、少し体調をくずしましたが、夏休みでようやく一段落したところです。・・・」
-------9・4--------
25.
H・K氏「きちんと読ませていただいてから、と思っていたのですが、このままでは、いつになるかわからないので、・・・メールをお出しする次第です。・・・第1章と第2章は、読ませていただきました。実は、1941年8月前半説と12月説、どうもよくわかっていなかったことが、わかりました[18]。これまで栗原先生のご本や、永岑さんのご本を読んでいるその時には、「なるほど、なるほど」と思いながら読んでいるのですよ。でも、すぐ忘れてしまうのですよね[19]。それと、栗原先生と永岑さんの主張は、絶滅政策への転換がいつかという問題は別にして、戦争、とくに独ソ戦の展開の中にホロコーストを位置づけなければならない[20]、とされている点で、それほど変わらない[21]のではないか、と思っていました。第2章で書いていらっしゃるように、栗原先生が「独ソ戦と世界大戦の状況と場を真正面においてはいない」ということは、たしかですが・・・
ブラウニング批判の、とくに「現場の意味」という論点は感心しました。社会史をやっている者として、永岑さんのおっしゃる「現場の意味」というのはもっと考える必要があるな、と刺激を受けました。一部を読んだだけで、まとまりのない感想、ごめんなさい。」
26.
K・R氏「・・・『マルコポーロ』事件は、日本にとって歴史認識に関する議論の重要性を問う大きな契機の一つとなった事件だったと思います[22]。同様に、従軍慰安婦はいたかいなかったか、という形で、この問題は議論されましたが、それは、フェミニズムの内部にあらたな亀裂を走らせるものにもなりました。哲学者や社会学者たちがおこなった議論が錯綜する中で、やはり、資料を使って実証し歴史的事実を明らかにしていくことの重要性を痛感するようになりました。・・・ご著書は、まさにこの点に貢献するもの・・・」
27. U・S氏「頑張っておられる姿、神々しくさえ(まじめな表現であることを信じてください。)思われます。私もしっかりせねばと気を引き締めております。」
28.
K・J氏「・・・このような、大学が多難な時期にもきちんとお仕事をされておいでになることに・・・・」
-----9・5------
29. K・K氏「・・・そういえば『マルコポーロ』事件があったな、と思うくらいの自身の中の風化に一撃を与えられた思いです。時代と対峙しながらの歴史研究の必要性を教えていただいたことにお礼を・・・・」
30. N・B氏「・・・・『ホロコーストの力学ー独ソ戦・世界大戦・総力戦の弁証法ー』・・・気迫こもった序・・・をよみ、また、あとがきを読んで、こうした分野に精力を注がれている心情を理解することが出来ました。専門外の当方としても今までの御高著よりは読みやすそうに思え、近々本論を読み、勉強させていただく所存です。・・・」
------9/8------
31. S・K氏「大変ご無沙汰しておりますが、お元気でお過ごしのことを存じ上げます。・・・いつもながら、永岑さんの真摯な姿勢と分析の緻密さには、感服させられます。 私のほう、毎日毎日、次から次へと湧き上がってくる校務に負われ、まったく自由な時間を取れない状態にありますが、ともかく元気でやっております。かつて、永岑さん、廣田さん、森さんたちとご一緒させていただいた合宿での光景を大変懐かしく想起させられました。」
32. M・M氏「…次々と力作を発表される学兄のご研究に深く敬意を表する次第です。暑さがすぎたら小生もリストの晩年5年半の思索と行動をたどる仕事を細々とですが続けていきたいと考えています。・・・「中央公園」へはよく散歩に行きます・・・・」
------9・9------
33. K・T氏「・・・十年弱の期間に,社会的要請にも応える形で,かつ歴史学的純度の高い研究成果をまとめられた御力量・御労苦に,心から敬服の念を覚えます。中心的主題が社会の広範な層の歴史認識に重要な意味を持つことを考えますと,単行本として入手しやすい形態で,かつ4300円という比較的入手しやすい価格で御労作をまとめられたことの,社会的な意義は大変大きいと思います。 御承知のとおり,スイスでも,第二次世界大戦中のユダヤ人政策が90年代に批判の対象となって,国を揺るがす大問題になりました。・・・スイスの戦後処理問題に関する報告書をまとめたチューリヒ大学のTanner教授・・・戦間期・戦時期の経済問題を研究・・・」
34. K・N氏「大著を次々と出版されるエネルギーに圧倒されます。ぜひ見習いたいものと考えています。今回のご高著は、重要なテーマについての貴重な貢献であると拝察しています。・・・」
----9・11----------
35. T・T氏「・・・3冊目のご単著に、私は汗顔の至り・・・・私も単著取りまとめの意欲を取り戻しつつあります。」
36. U・M氏「・・・非常に刺激的な内容と存じ、・・・・・・合宿におきましては、ご研究に関しますお話がうかがえるものと、大変たのしみにしております。」
----9・12-------
37. F・T氏「・・・ヒトラーの『絶滅命令』を巡る争点を歴史家として以下に科学的に論証するかという根本問題を正面から取り組まれており、大著『独ソ戦とホロコースト』を完成されたばかりなのに、学兄のエネルギーの旺盛さには頭が下がります。・・・ドイツ・リベラリストしてのナチス論・・・・イギリス・ネオリベラリストや社会主義とは違う論調の意味合いはどこにあるか・・・・、・・・・思想史として、また戦時体制から戦後体制への移行の問題としてさまざまな論点が錯綜していてそれらのもつれを解きほぐすのはなかなかやっかい・・・・」
-----9・18------
38. Y・T氏「・・8月末から学内行政が本格稼動となり、また自分の時間が取れなくなっています。・・・これまで拝読した限りでも、永岑さんのいつもながらの情熱が十分伝わってきます。絶滅命令と日本の参戦との関わりはたしかこれまでお聞きしていなかったことで[23]いくつもの動きが絡み合う複雑な世界史の場で、否応なく運命が決められていくわれわれ自身のことを思いました。もっともこの頃は、学生にナチスのことを話ても反応が鈍くなってくるのを年毎に顕著に感じます。・・・・・」
39. K・M氏「・・まるで宝探しのような現在の研究のホロコースト決定の時点探しの風潮に、私は疑問を感じています[24]。しかし、現在の研究動向にしたがって、研究を進める以上、これはある程度やむをえないことかもしれません。問題はそのようにして得られた結論にどのような歴史的意義を付与するか、かもしれません。・・・・12月説のようですが、それにしてはこれを根拠付けるのに、あまりにも証拠不足であり、かなり手軽に流してかかれたという感[25]があります。・・・12月説だというならば、・・・12月12日演説についてはほとんど触れておられないのか、理解に苦しむところです[26]。むしろ、日本の参戦による世界大戦の完成という時点の大きさに対する感動が先に立った結論という感が否めません[27]。しかし、これは歴史研究としてはいわば逆立ちの議論であり、実証研究の自己否定に通じるものでしょう[28]。
もちろん、そうはいっても、本書が貴重な新事実を提供しており、その点、非常に興味あるものになっていることは否定できません。たとえば、1941年9〜10月のウッチの状況とこれを巡るユーベルヘーアとヒムラーのやり取りなど本当に面白い。こういう資料を見ていると、この時点ではまだ絶滅命令が出ていないのじゃないかと思わせるものを持っています。・・・・
・ ・・アイヒマンが1942年1月31日に過去3ヶ月半のユダヤ人の東方への移送を回顧して、これらが「ユダヤ人問題の最終解決の開始を意味している」と述べている・・・これはまさに、10月16日から開始された移送が『最終解決の開始』であったこと、そして、この移送命令はヒムラーから9月18日に出されているのですから、すでにそれ以前に最終的解決の開始が決定されていたことをしめすものではないでしょうか[29]。・・・・」
40. O・M氏「…最近のご研究の成果をこのようにまとめられましたこと、関心あるものには誠にありがたく・・・・」
41. O・K氏「・・・勉強不足のため、小生には、『意図主義者』がどうしてだめなのか[30]、よくわかりません。ナチズムの、たんなる極右を越えている部分は、ヒトラーの個性によるところ、大だと思うからです[31]。この点、わかりやすく展開していただけると(いずれ)、幸甚です。」
42. T・S氏「・・・全編をとても面白く拝読いたしました。まず、単著の第三弾がこうも早く出されるとは、それだけですばらしいですね。そして、前回の御著作がやや読みにくいところがあったのに対し、今回は実によく整理されていて、読みやすく、胸のすく思いがしました。日米開戦、世界大戦化に突き動かされて[32]、41年12月のHitlerの『最終解決』指令説は十分説得力があります。むろん綿密な論証があるからですが。
また、栗原氏が食糧問題を強調されている点にやや批判的な方もいらっしゃる[33]らしいですが、第1次大戦期を研究対象としてきた・・・納得のいくものです。永岑様はこの点(食糧問題)を肯定しつつ[34]、ソ連側の抵抗の強さ、特にパルチザンの圧力というもう一つのベクトルをしっかり組み込むことにより[35]、状況を立体的に捉えておられ、とても良いと思いました。第一作の『・・・ソ連占領政策と民衆』の成果がここに結実されていて。
ひとつ質問があります(「門外漢」のゆえの)。ナチス体制のカオス性とか、ヒトラーを「弱い独裁者」とよく言われますが、これは内政ないし行政機構についてであって、戦争の指揮体系についてはあまり云われないでしょうか?[36] つまり、ホロコーストについても広大な占領地の現場が、『窮余の一策』的に勝手、勝手にやり[37]、ヒトラーはそれをやらせておいて、最後に肯定的「言質」を与えるというような状況[38]、結局は酷い「濁流」と化した大河が一定の方向にしか流れなかったような。今回の御著では問題ないし目的をかっきり設定された分、はみ出した部分を省略されたのかもしれませんが。最も、ウッチ・ゲットーの件が詳細に述べられていて、よく判りました。また、ハンガリーのホルティの件はとても興味深いです。・・・・」
----9・19------
43. N・M氏「・・・横浜市大の危機の中、市の側の方針に対する反対運動・・・・仄聞していただけに、貴君のエネルギーには脱帽のほかありません。かえって発奮したのかな。それにしても。
このテーマ、小生も関心を持ち続けていますが、研究動向や史料についての新たな情報は追いかねていますので、多多、ご教示を得ました。「論敵」栗原君の仕事を無視はしていない点、公平だと思いました。・・・・あえて注文をつければ、やはり文献目録と索引がほしかった(今日の出版事情では理解はできますが)。第1章の註6には、1998年のHistorikertagの記録そのものを挙げておかれないと。終章、Irving vs Lipstadt については、“Court Decision. April II, 2000”があります。前にも申したかと思いますが、Lodzはウーチの方がよいでしょう。WehlerがトルコのEU加盟に反対の論稿を発表し、ごうごうたる反論を受けたことご存知ですか。昨年のDie Zeit・・・」
----9・23-----
44. K・K氏「・…実証性の高さと明確な研究目的が理解でき・・・・すでに『マルコポーロ』事件は過去の出来事になってしまいましたが、この国の言論界はこの事件を真剣に受け止めぬままやり過ごし、再び非科学的な歴史評価が出てくる土壌を温存・・・・本書の価値はホロコーストをめぐる論争に限定されるものではなく、広く現代史(とくに世界戦争)の諸問題をこれまでの論争を踏まえつつ膨大な史料に基づいて多様な側面から考察されている点も小生には勉強になりました。
本書で紹介され利用されている史料の量と内容的興味深さということですが、ベルギーではここまで史料が整理され利用されていないようです。これは、戦後のドイツが大戦やホロコーストの反省をきちんと行おうとしていることからくるのかもしれません。本書からは、ドイツ史の専門家以外でも現代に関心のある研究者は多くのことが学べると存じます。」
-----9.24--------
45. F・K氏「…ついこの間、御大著を出版され、その重要な実証研究[39]の迫力のある内容に圧倒される思いをしたばかりなのに、敬服いたすしだいです。しかも最近は大学問題もあって、とても大変ではないかと推察申しあげていましたが、精力的なご活躍に感嘆するばかりです。もっとも永岑君の場合、長期間の研鑽があってのこととは存じますが。・・・・」
---9.29-------------
46. K・K氏「…緊張感を持って読まさせていただきました。一連の系統的なお仕事のなかで、本書は総論的かつ論争的な性格を強く持っていると思いますが、『過去の克服、過去の反省は一次史料との格闘という歴史科学的営為を通じて、確固としたものに仕上げる必要があろう』(p.229)という立場から、壁土に致死量の毒ガスが含まれていたかと言った細かな実証の信憑性を巡る論争などにも目を配られている姿勢は、とても真似することができないものと感銘いたします。戦局の推移に対する為政者の戦略の取り方と行政的効率の配慮などによって、無抵抗な人々の生命がこれだけの規模で失われていったという、平静な心理では到底受け入れられない事実を、一つ一つの事象の実証を通じて、自然な=理解可能な推移として理解されるように解明し記述するというお仕事は、緊張を要する仕事であることがよくわかります。日本経済史の若い人たちの仕事は市場機構のパフォーマンスを謳歌するものが多くなっており、それに対して私などは強い違和感を感じているのですが、客観的な分析そのものによってはその違和感の根拠を過不足なく批判することができず、視点が違っているだけのように思われてしまい、いつも力不足を感じています。本書のように、論争がきれいに決まり、しかもそれが大きな社会的役割を果たしているといった仕事を私もしなければと、強く思っているところです。・・・・・・・・」
----9・30---------
47. I・R氏「…「気の遠くなるような研究蓄積と史料」の分野において、大変充実したお仕事を次々と発表され集中力の高さに感嘆しております。1941年9月から12月の細かな事実を扱われながら、全体の流れをわかりやすくおさえおられ、大変勉強になりました。ヒトラーの「政策転換」についてのIan Kershawの見解はどのように評価されますでしょうか。あるいは「問題外」として無視されたのかとも思いますが、スターリンがヴォルガ河の約60万のドイツ系ソヴィエト市民を強制移住させたことに対するreactionとしてとらえられており、興味深く思いました[40]。I. Kershaw, Hitler,. 1936-1945: Nemesis, New York 2000, pp. 477 f、p.961の註88以下、門外漢には正確な判断はできませんが、それなりの根拠があるように思われました。ただ、これはKershawがヒトラーのユダヤ人概念とボリシェヴィキに対する観念について示した評価に関わる問題もあるように思います.大学の方も大変な時期、ますますご自愛のほど、またますますの健筆をお祈りいたします。」
48. B・K氏「…それにしてもすごい馬力ですね。情熱も凄い。研究状況については、なるほどこういうものか、と感心するしかありませんが、このテーマは人間性の洞察を必要とし、洞察力を高めるもので、その意味で今の学生に教えたいと思います。・・・」.
------10・4--------
49. K・K氏 「ホロコーストの意味・・・・徹底した実証によって裏付けようとされた傑作であると・・・・。大学のゼミでも、なぜかヒトラーに興味を持つ学生が多いのですが、その動機は様々です。動機は多様ですが、その知識はかなり偏っている場合が多く、そのような学生には、迷わず永岑さんの御著書を薦めることにしています。なぜ、このように生産力が高いのでしょうか? 本当にうらやましく思います。・・・」
-----10・14-------
50. T・E氏「…精力的にご研究なされ、つぎからつぎへとカタチになさる意志に私も鼓舞されています。私は永岑説に賛成です。権力,社会構造(対内外の)を総体的に把握せずして,歴史は語れないと思います。なかなか、力およばずというところですが、私は。 近いうちに・・・・が届くと思いますが・・・・」
----10・15------
51. W・H氏「・・・きわめて実証的な大作を『定期的』に上梓なさる生産性には感服するばかりです。・・・私はこのところ、現状分析にかまけて,歴史的視線の俯角[41]が大きくなりすぎました。もっと視線を上げて遠望視力をとりもどさなければと、御著の頁を繰りながら痛感いたしました。・・・」
----11・3-----
52. O・K氏「・・・いつもながら、豊富な第1次史料を駆使された緻密な分析に感じ入りました。たくさんの先行業績を丹念に検討して、十分に史料批判した1次史料をもちいて批判を加え、ご自分の説を提示される手法に感服いたします。個々の収容所の建設時期や目的など正確に叙述されており、初めて知ることがたくさんありました。ホロコーストが、戦争の世界戦争化と占領地での抵抗の激化などの、戦争の現場における緊迫した展開のな化から過激化していった結果だということがリアルに伝わってきます。四一年末から42年はじめにかけてが決定的時点だったこと、ヴァンゼー家意義の意義などしっかり学びました。また、私はゴールドハーゲン論争にはまったく興味がなかったのですが、ご本を拝読してゴールドハーゲンの短絡的な粗雑な議論がよくわかり、彼が批判者を告訴までしていたことをはじめて知り興味深かったです。こういう風だからこそ、永岑さんが情熱を注いでやっていらっしゃるような、日付をもゆるがせに氏な緻密な実証的な研究こそが必要なのだと思います。
私も、97年から…約束していた仕事をようやく終えたところです。・・・・・」
----11・10-------
53. Y・O氏「ホロコーストに関する最新の議論とそれへのご批判を早速興味深く拝読、勉強させていただきました。反ユダヤ主義をたんなる世界観とするのではなく、帝国主義―総力線の展開のなかで捉えようとする視点は、今日のアメリカの帝国主義的な侵略、容赦ない殺戮を考える上でも大変参考になります。・・・・・・」
----11・17-------
54. Y・H氏「…前著と同じくわが国のドイツ現代史研究が世界に誇ることのできる業績として屹立していると思います。近頃はなかなか読みごたえのある本に出会えませんが、本書を読めば読むほど面白く、ついにノートを取りながら読んでしまいました。
幸い最近はヒムラーの業務予定表など、関連する史料が簡単に読めるようになった[42]ので、それらとつきあわせて読んでいくと、どんどん面白くなって、興味がつきることがありません。久しぶりに充実した読書を楽しむことができました。
素人しては、永岑さんが文書館で見つけ出してきて、丁寧に紹介され・分析されているところがなによりも参考になりました。ヴェンツキ報告をはじめとして大きな貢献だと思います。もちろん再ぶの実証だけでなく、本書の最大の特徴は画期にこだわり、一つの見解をおだしになった点にあることは、まちがいないと思います。10月25日と12月の世界戦争化というポイントに注目することで、実にたくさんのことが見えてきたと実感しました。ただ、画期の後の時期については、例えばロンゲリヒの説などについての、永岑さんのぐたい的な批判がもう少し聞けたら[43]、ずいぶん面白いだろうなと欲張ったことも思いました。
・ ・・・
・ 『ホロコースト大事典』・・・永岑さんをはじめ、井上さん、木畑さん、芝さんという最強のメンバーが翻訳に参加されたことで、これからはこの大事典がナチズム関係の組織や役職、地名や人名、事項の定訳としての役割[44]を担っていくことになると思います。学界だけでなく、広くわが国の読者層に裨益するところ大であると確信しております。・・・・・
・ この事典の年表を見ていきますと、あらためてユダヤ人殺害のすさまじさと一貫性[45]のようなものが印象づけられます。しかし、そうした印象にたいして、実証的に一つ一つ分かれ道や選択肢を検討し、復元していく作業の意義というものもまた、年表を見ていると強くなります。
・ 校務が忙しくなるばかりですが、是非、また読書の楽しみを与えてくれるような御論考を上梓されますよう、せつに願っております。・・・・
---------12・7------
55. M・M氏「・・・定年退職を来年3月に控えてなにかとせわしなく、・・・・2週間にわたって英語の連続講義「文明と時間」を担当するなどのことがあり、心ならずもはなはだご無沙汰する結果となってしまいました。ご労作は最近,最新の海外での研究史の動向を丹念にフォローした上で独自のご見解を提示されたもので、その御努力・御精進には感嘆あるのみです。20年前のクレーの研究に依拠しているO氏の新著への批判的言及にも、そのことはよくうかがわれます。ゴールドハーゲン問題につきましても、新知見を提供して下さっていることはありがたいことであります。アーヴィングのその後の動きと敗北につきましても教えられ,興味深く思いました。・・・・・・・まことに五〇代後半というのは,優れた研究者が質量ともに驚くべきお仕事を達成なさる時期であることを改めて感じさせられた次第です。私はこれまで四〇年ほどの間、若い諸君を相手に大声を張り上げて講義を続けてまいりましたが,それがあと4ヶ月ほどですべて終わりになることは,さびしいかぎりであります。せめて研究と読書だけは続けてゆきたいものと願っております。ささやかなものでも成果が生まれましたら、またおりに触れてお目にかけさせていただきたいと存じます。・・・・・・」
---------12・15-----------
56. O・A氏「・・・この本を読んだことで、タイトル通りまさに「ホロコーストを推進させた力学」の正体を知ることができました。ナチスの強力な自民族至上主義的な発想だけではホロコーストの原因は語れず、むしろホロコーストの実際の担い手だったドイツ指導者たちを取り囲む大きな状況の変化、すなわち独ソ戦での電撃戦失敗、独ソ戦の長期化・泥沼化、さらに12月の世界大戦化こそがユダヤ人政策を左右したということを、具体的な当局間のやり取りなどをみることで、より深く理解できたと思います。特に印象に残った記述は、ウッチ・ゲットーでの受け入れ実行・受け入れ拒否のせめぎあいの部分です。読んでいてるだけで、その状況が想像できました。又この本・・・を通して、様々な意思のぶつかりあいはどんな事件の背景にもあり、さらに私達の生活にもあるということも考えさせられました。ホロコーストという歴史上の惨事は決して過去の特殊な事件ではなく、きっともっと人間の深層にある根本的な問題を提起しているのでしょう。物事は「力学」によって動かされているという見方を今の自分の行動にもあてはめて考え・・・・・・自分発見の・・・」素材にも。
-----2004・01・04--------
57. S・T氏「・・・先生のこれまでの著書を読んで感じたことは物語的な悪役のイメージしかなかったナチスからの脱却です。豊富な一次資料を基にした詳細な状況分析によって、政府としてナチスがどのような状態の下でユダヤ人を虐殺していったかということが明確に理解できるようになったということです。世の中、特に今日は様々な情報が散乱していて人々はその中から自身に必要のある一部の情報を取り出して利用しています。しかし、その一部の情報のみの使用というのははっきりいって個人の見解に大きく左右されてしまうのではないでしょうか(今日のネオナチの隆盛は特に)。そのためこうした人類史に多大なる影響を及ぼす問題というのは特に一次資料を有効に使った様々な角度からの研究が必要になってくると思います。ひいてはそれが二次資料となり後世の人間の参考になっていくんだと思います。これからも先生の研究方法や論拠は上記のような歪曲しようとするやからに対してや後の人々に過去に何があったのかということを正確に残すためにもますます必要になっていくと思います。」
[1] 研究者とは、つねづね意見や論文・著書など交換し、学界で議論しあっている。
すでにどこかにも書いたが、個々に紹介する研究者からの反応・感想には、「仲間ぼめ」の要素があることはもちろん理解している。
しかし、歴史・経済史・経済学・ドイツ史・ヨーロッパ史・日本史と言ったさまざまの分野の研究者から,どのような角度でどのように評価されているかのいったんを,生の声で紹介している面もある。専門研究者だからこそ評価(批判)できる論点がいくつも出ていると思う。きっと参考になるだろう。
公刊著書の場合は、研究者の知人・友人・先輩・後輩など「仲間」Kollegeの反応・評価・批判だけではなく、むしろ、みずしらずの一般読者(市民)や学生・院生諸君などの反応・評価・批判が気になる。
一般市民や学生・院生の評価は、市場性(販売部数)においてある程度検証されることも厳しい(うれしい)現実である。
ただ,一般読者が感想を寄せてくれるのはきわめてわずかである。
[2] どうも本の内容に入る前に、あるいはそれをさておいて、私の「エネルギー」ないしその発現としての「労」、「努力」、「大」に注意が集中している感じ。
なんといっても、本のタイトルが「力学」だから!?
[3] (ホロコーストに関して多くの本を読まれているということ、「研究者」として、ということからみると、もしかしたら、私が存じ上げないだけで、ご本人も研究者なのかもしれない。)
[4] 「アウシュヴィッツの嘘」の議論や歴史の風化に抗する書物であるだけに、議論の根拠としている史料や文献をきちんと提示し、誰からでも批判や検証が可能であることをオープンに示しておかなければならない。
たんなる啓蒙書、たんなる欧米の議論の紹介本とは違わざるをえない。
[5] 緻密な実証を行う研究者M・K氏は、拙著の実証や方法に関しては注意深く言及を避けておられる。歴史研究者のなかに多く見られる一つの誠実なタイプであり、「歴史の神は細部に宿る」ことを深く感じておられるのであろう。
ある特定個人の「問題意識」もまた、歴史の細部である。と同時に、それがどのていど普遍性を持った(多くの人が共有する)問題意識であるかは、著書に対する反応などで検証されることになろう。
[6] ドイツは特殊だ、ドイツは他の国と違う、などと「特別視」「特殊視」してしまい、ドイツの特殊性とナチズムとを結び付けてしまえば、他の国ではナチズムの危険はないことになる。ナチズムが地球のほかの地域・他の民族にも見られる民族主義・人種主義の世界観であり、19世紀末から20世紀前半の帝国主義の論理で貫かれていることがみえなくなる。
ドイツのナチズムに含まれた世界各国(わが日本・帝国主義日本はまさにその一つ)に見られる普遍的な問題性を見落とす思考枠組み・・・・拙著に、こうした議論を批判する意味があることを的確に見抜き指摘してくれている。
[7] 誤解を与えないように一言すれば、「ある合理的選択」とはもちろん、第三帝国・ドイツ民族至上主義の原理・土台(ヒトラーの『わが闘争』等の思想構造)の上での「ある合理的選択」という限定的なものであり、人間的・人類的・世界的には非合理である。ナチズム独特の「合理性」は、第1次世界大戦とその帰結としてベルサイユ体制において生み落とされ、ワイマール民主主義の政治闘争のなかで鍛えられ、世界経済恐慌の跳躍台を利用して権力を掌握したものである。
そうした人種主義的民族主義的な「合理性」は、人類が、世界大戦・総力戦の幾多の犠牲をはらって打破していったのである。人類的合理性の地球を樹立するために、また完全なものにするために、戦っているのが、地球人=宇宙人である人類だ。
「地球政府」、「地球議会」、「地球法」、「地球憲法」など、人類が打ちたてるべき方向性はだんだんに見えてきているのではないか? 第二次世界大戦後にアインシュタインなどが提唱した「世界政府」の方向は、ますます多くの人に訴えかけているのではないか?
国際連合など国際機関はそうした21世紀の平和的発展をになう萌芽的諸機関として、その方向性に向けて飛躍的に理性的に強化されなければならないだろう。
地球的公共の経営・管理・意思形成が、現代的課題となっている。
本学大学院の修士課程に、MPAコースが新しく創設されるのも、そうした時代的背景をもっているといえよう。本学MPAで鍛えた人々が、国際諸機関の経営・管理・意思形成において活躍する日がくることを期待したい。
[8] 開明的で進歩的アメリカニズムもあり、ナチズムなど二〇世紀帝国主義・覇権主義・暴力主義・テロリズムの潮流との関連では、現在のブッシュ政権の国連・国際法無視の姿勢、「ブッシュイズム」(ネオコンの主義主張と政策)というべきかもしれない。
[9] 結果的にそうなったが、実際の2冊の本(2001年と今回の2003年)の前提となる諸論文は93年からの10年間のものであり、たまたま、まとめる段階が2001年と2003年になったというところ。
現在問題となっている国立大学法人法や公立大学法で、5―6年の中期目標などで縛られると、このようなことはできないかもわからない。
1994年に出した1冊の場合も、直接仕事に取りかかり、準備論文を季報等に発表したのは1989年以降である。やはり5年かかっている。
しかし、それ以前は、論文(共著論文や季報論文、学術雑誌論文)は書いていても、単著を出していなかった。最初に単著を出すには、私の場合は、友人先輩などのいろいろの刺激に加えて、一種の跳躍台が必要だった。その契機となったのが拙著(1994,
2001にも今回の本2003にも)で触れたが、日ソ歴史学シンポジウムでの報告とその直後のソ連崩壊だった。あの巨大な世界史的事件がなければ、単著にまとめるほどまとまったかたちで論文を書き続けられなかったと感じている。
それに引き換え、本学の若い人で早くからすでに何冊も書いている人を見ると、驚嘆する。
[10] でもこの若い研究者は、すでに欧文の1冊の研究書(学位論文)を公刊している。むしろ、私にとってはそのことに驚嘆している。
私の場合、彼とおなじ頃は、まだ単著がなく、ある種の暗中模索がつづいていたと記憶する。
[11] 学生諸君にも確認してほしい点である。「弁証法」とはなんぞや。何を表わしたいのか、なぜこんな言葉を使ったのか?
[12] 拙著『ホロコーストの力学』で検討した問題、たとえばアイヒマンのいくつもの証言の異同の検討などは、ある意味では「こまごました問題」である。ただそれは、別の角度からすれば、ヒトラーの絶滅命令、あるいはライヒ(帝国)保安本部の絶滅政策への移行という大きな問題を確定するための作業である。
[13] ご本人は単著だけで6冊ほどは書かれている。あと3冊単著を書くとなると、これはしんどい。
[14] 「美しい」ということの意味合いにもよるが、このような境地になれるのはいつか? 眼前のたくさんの問題をみるにつけ、なかなかこのような力を抜いた生き方になれない。やはり「高齢者」の域に達する必要があるようだ。
[15] 定年退職者、他大学への割愛者など、教員が減るのは着実に進んでいるわけで、それだけ、現在の学生・院生のための教育や研究指導が手薄になる、ということを意味する。
こんな事態が長く続くと、その大学は質が落ちることは確実。
[16] 以上のように見てくると、大学研究者の間では全国的に市大の状況が注目を浴びていることは確実のようだ。
[17] より厳密にいえば、世界戦争への突入(ヒトラーの対米宣戦布告)が、ナポレオンの世界史的敗北を予感させる第三帝国の「冬の危機」と重なったこと、報復の熱情、「目には目を、歯に歯を」、戦争の責任、ドイツ人の生命の被害をユダヤ人の生命で持って償わせる、との見地が、「決定的要因」であり、「根本的決定」を規定する。
日独伊の対米宣戦布告を踏まえた42年1月1日の連合国結成は、世界的対抗軸を明確にさせた。
移送政策(=絶滅政策)の中央諸官庁での確認(その後の大々的遂行)は、ハイドリヒのヴァンゼー会議召集状(1月8日)に見られるように、もはや猶予できないものだった。
[18] 細部をつつきまわしているだけのように、多くの人には見えるだろう。また、大局としてユダヤ人が迫害の対象となり、抹殺されたという事実を把握している段階では、それでいいだろう。
問題は、しかし、ユダヤ人迫害がどのような諸要因の集合から絶滅政策に展開していくのかという問題を深く、正確に考えていくいい検討材料がヒトラー「絶滅命令」なるものの存在の有無、その発動時期、ということである。
これを丹念に追求していくことで、ホロコースト展開の論理が確認できる。それが非常に重要だ、というのが私のスタンスである。7月末・8月前半説と12月説の間には、戦局・世界状勢の決定的転換があった、というのが私の見地である。それが移送政策の戦時下での強行(=内実は絶滅収容所への移送、すなわち絶滅政策)を規定する。
単純化して対比すれば、
8月―12月までは・・・独ソ戦・短期電撃戦勝利の論理
12月以降は世界戦争と長期総力戦の論理・敗退の論理
栗原氏は、独ソ戦下のユダヤ人虐殺と総督府・西ヨーロッパユダヤ人の虐殺を段階的論理的に区別しないで、ヒトラーの大々的「絶滅命令」で一括する。その見地から、『歴史学研究』に掲載した拙著『ドイツ第三帝国のソ連占領政策と民衆 1941-1942』(同文舘、1994)への書評において、私の立場を批判された。この栗原氏の批判を受けてたったのが本書だ、という経緯もある。したがって、私の立場と栗原氏の立場のちがいを確認するためには、『歴史学研究』の栗原書評を点検していただきたい。
独ソ戦下のユダヤ人大量虐殺と世界大戦下のユダヤ人虐殺は、もちろん共通項としての人種主義民族主義の反ユダヤ主義が根底にある。
だが、おなじ反ユダヤ主義が、たんなる政治宣伝、たんなる差別や迫害の段階から大量抹殺に移っていくのはどのような諸要因が加わってくるからか、その大量抹殺がソ連現地での大量射殺からポーランドの絶滅収容所における毒ガスでの抹殺に展開していくのはなぜか、その諸要因の違いこそはホロコースト展開の論理を形成する。
[19] 私も、自分が力を入れて検証している部分以外では、細かなことはすぐ忘れてしまう。
私と栗原さんの論争を通じて、多くの人がホロコーストの背後にある独ソ戦・世界戦争の論理や総力戦の悲惨の連鎖を認識してくださることになれば、社会的意味はあるのだろう。
私の本から把握してほしい基本的な点は、「ホロコーストの力学」という戦時政治力学の結果としてホロコーストを見る点、そして、その戦争とは第1次世界大戦の経験を踏まえた上での戦争であったという点、短期電撃戦が挫折し、むしろ敗北の予感すらするなかで世界戦争に突入していったことと総力戦の現場の論理の展開をみるべきだ、というところにある。
そうした基本的主張とスタンスを副タイトル、すなわち「独ソ戦・世界大戦・総力戦の弁証法」にこめた。主題と副題にこめた私の主張・歴史理解の基本骨格こそ、学生・院生諸君、そして一般市民に理解してほしいところある。
[20] 私の読み方が甘いのか、栗原さんからはこのような論理は見えてこなかった。独ソ戦現場の無差別大量虐殺をヒトラーの「絶滅命令」に還元しているのが、その証拠だと考える。
[21] 私の利用したライヒ保安本部の秘密報告類(「事件通報・ソ連」、「国家警察重要事件通報」、ヒムラー個人参謀部文書その他)を栗原氏は使っていない。
民衆の動向、国民統合、地域民衆の統合などに関する視点が決定的に違うと思われる。総力戦とはまさに民衆の根底的な力をどのように発揮させるか、民衆がどのように力を発揮するかに関わっている。
[23] 拙著(1994)で触れていたことですし、拙著(2001)でも触れました。
[24] 拙著に対する誤解がある。
まさにこの「疑問」点こそは、私が一貫して感じていることであり、拙著『ドイツ第三帝国のソ連政策と民衆 1941-1942』同文舘、1994年で、その編別構成と論理展開で前面に押し出そうとしたことだった。
すなわち、ドイツ第三帝国の戦争政策、占領政策の展開のなかにホロコーストを位置付けるべきであり、大きな戦局転換の意味、冬の危機の意味、総力戦化の意味を第1次世界大戦の帰結と結びつけ、ヴェルサイユ体制のあり方と関連させて、ホロコーストという部分現象を理解すべきだというのが、基本メッセージだった。
今回の拙著が「力学」「弁証法」を前面に掲げたのは、まさにヒトラー「絶滅命令」の日付の確認のためではなく、絶滅政策への転換の論理を解きほぐすためにであった。私とって重要なのは、力学と論理である。その大きな枠組みにヒトラーの発言やその発言・演説の「日付」を位置付ける。
[25] かなり厳しい評価ですね。学生諸君に読んでもらって、納得出きるかどうか、検証してほしいです。
[26] 12月説を補強する史実をもっともっときちんと整理する必要はあろう。
[27] 拙著(1994)でニュルンベルク裁判史料など基本史料を読んでいるうちに形成されたもので、はじめに12月説があったのではない。今回の拙著の立場は、1994年の拙著(それに至る私の研究蓄積)の結果である。たとえば、つぎの史料を詳しく紹介したことも前提となっている。Ergebnisse der Vierjahresplan-Arbeit. Ein Kurzbericht nach dem Stand vom Frühjahr 1942,
bearbeitet von der Dienststelle des Beauftragten für den
Vierjahresplan,in : BA R26-I. この四ヵ年計画中間総括書の詳細は、拙稿「電撃戦から総力戦への転換期における四ヵ年計画」(1)(2)『経済学季報(立正大学)』第38巻第2号、1988年10月・第3号、1988年12月。
[28] 要求水準が極めて高いというところですが、私の実証ではまだまだ足りない、という率直な御指摘として、今後の実証への励ましと受け取っておきましょう。
[29] 誤解・誤読である。せっかくのウッチ・ゲットー問題の資料発掘の意義が理解されていない。
拙著をきちんと読んでもらうしかない。
一言すれば、
9月18日からヒトラーの希望にしたがい、戦時下ではあるが、一時回避的・臨時的に移送政策を開始しようとしたこと、だが、その実際の執行過程で、現実の困難と現地の抵抗にあったこと、この一時回避策の挫折過程・そこで提起された諸問題こそ、ガス室へのみちを一歩前進させたこと、こうしたことを私は述べている。
後の時点から見れば、すなわち42年1月31日時点から回顧してみれば、戦時下移送政策の強行という点で連続性があることはいうまでもない。だが、あくまでも10月16日時点では、一時回避的なものとして、42年春にはさらに東方に送ることを考えた(絶滅ではなくまさに移住・移送しようとした)ものであった。そのための、この戦局の転換(移送政策を実行出きるようなドイツにとっての有利な戦局転換)が、実現できなかったこと、むしろ、10月下旬にはモスクワ攻撃の失敗が歴然となったこと、さらなる東方移送の可能性が消滅したこと、これが絶滅政策への大々的転換を規定したものであること、こうした事実と論理の展開が、理解されていない。
[30] 私を機能主義者と見ておられるようである。でも、それなら私はほんのタイトルに「弁証法」という言葉をえらばなかっただろう。
諸個人・諸主体・諸勢力の意図と機能の具体的で立体的な相互連関とその展開をあきらかにしたいと、「序―問題の限定―」で述べ、その努力を本論で行ったつもりなのだが、理解してもらえないようである。理解してもらえない人がいることを確認して、今後の実証研究を進めていく糧としたい。
[31] 拙著に対する誤解がある。
私は、単純な「機能主義」にたっているわけではない。また単純に「意図主義者がだめ」といっているわけでもない。現実は、意図と機能のダイナミックな関係であり、意図と機能の相互連関、戦時下の対立的敵対的な状況と場でのそれらの「力学」と「弁証法」をこそ丹念にフォローすべきだという見地である。
ヒトラーの人格と思想構造が重要なファクターであることを否定したことはない。
ヒトラーの個性が大でありえたのはなぜか?
彼はどのような時代的大衆的希望を総括していたのか?
彼は、どのような大衆と結びついていたのか?
彼はどのような大衆を熱狂させたのか。そして、彼自身、自己陶酔に陥ったのか。
どのようなヒトラーの「理論」が大衆をつかみ、物質的力となったのか。この解明が重要だという見地である。指導者ヒトラーが指導者(フューラー)たりえたのはなぜか。その解明の重要性を見失ってはいないつもりである。
歴史における個人の役割の意義を大切に考える。だが、その場合に、ヒトラーがどのような思想構造であり、どのような人々の意思・意図を総括していたか、その構造分析が必要だというのは、1982年の仕事以来、強調してきたところだった。拙稿「第三帝国の国家と経済―ヒトラーの思想構造に即して―」遠藤輝明編『国家と経済』東京大学出版会、1982年を参照されたい。
[32] それだけではなく、私が強調した点は、ドイツが「冬の危機」に陥ったこと、起死回生の政策を打ち出さざるをえなかったこと、「地球のボルシェヴィキ化」=ユダヤ人の勝利の予感すらあるなかでの報復の論理と熱情があったこと、こうした諸要因の重要性を指摘した。
[33] 私の以前の季報論文に関しても、ある方からそのような批判的コメントをいただいたことがある。
[34] ライヒ保安本部第三局・内国情報部の秘密情勢報告「民情報告(Meldungen aus dem Reich)」は、まさに民衆の意識(民衆統合の状態)に関して、食糧や配給問題が大きなウエイトを持っていることを明らかにしており、その点は、拙著(1994)で明らかにしたところである。私の場合、第1次世界大戦を研究していないが、戦時下の食糧問題に関して、私の意識にひとつの大きな示唆を与えたのは、リヒャルト・ゾルゲの回想録であった。11月革命の重要な原因に「平和とパン」があったこと、これこそ、ヒトラーやヒムラーが熟知していたことであった。だからこそ、「パン」の確保は第三帝国が腐心したところだった。裏返しとしてのユダヤ人へのひどさ。
[35] 私の場合、ドイツのユダヤ人を国内においておけない状況(空襲などの状況、民衆の不安、非統合状況)、オーストリア(ウィーン)、フランスのパリ、バルカンなどの状況も、ライヒ保安本部の政策方向に重大な影響を与えたと見ている。だが、なによりも、対ソ戦が決定的要因であったとみるのは、その通りである。
[36] 管見のかぎりでは、「あまり云われない」ように思われる。
[37] 対ソ攻撃準備過程で戦時裁判権やコミッサール命令などヒトラーが命じたことを考えると、ソ連現地で治安警察部隊が過酷に行動するのはヒトラーの戦争指導の一部だったと考えられる。それは、軍の第1次大戦での経験などが反映していると考えられる。
[38] ソ連現地で、「射殺や移住」を必要に応じてやっていい、ということはすでに41年7月16日の会議でヒトラーが明言していた。
[39] 友人の実証研究の姿勢から、多くを学んでいる。私の研究の実証性は、友人の実証への態度が反映している。友人達の率直で暖かい指摘はかけがえのないものである。
[40] ヴォルガドイツ人強制移住の情報が、ユダヤ人の戦時下の移住開始のひとつの促進要員になったことは十分考えられる。ただ、ライヒのユダヤ人など本国のユダヤ人やフランスなどのユダヤ人を一時的回避政策として(42年春までの臨時措置として)移住させる必要は、西部占領地の治安状態・政治状況と関連しており、そこからのプッシュ要因(排除要因)が、9月中旬の「フューラーの希望」を規定したということは、史料が示すとおりである。
[41] 俯角:伏角・・・#観測者が下方の物体を見下ろす場合、視線方向が観測者を通る水平面となす角。俯角ふかく。#仰角ぎようかく。#地球上任意の点に置いた磁針の方向が水平面となす角。傾角。[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]
[42] ヒムラー業務日誌(予定表)の詳細な検討は、ゲルラッハをはじめとする若手が集団で行い、すでに史料書・研究書として公刊されており、ドイツ史(現代史)研究者は、この大部の史料・研究書を読む事が可能である。私の場合も、いくつかの重要な論争点を検証するにあたっては参照(注記)したが、全体に渡る検証をおこなっているわけではない。わたしにとってもそうであるが、学界にとっての今後の課題でもあろう。
[43] これをきちんとやるためには、またかなり時間をかけて実証的な検証作業を行わなければならない。わたしの前に横たわっている課題の一つであることはまちがいない。
[44] 拙著『ホロコーストの力学』はこれまでの私の研究の総括という面もあり、翻訳用語に関しては、『ホロコースト大事典』(柏書房、2003年)、その翻訳の前提となったヒルバーグの『ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅』(柏書房、1997年)とは違った訳を使っている。
たとえば、アインザッツグルッペをわたしは特別出動部隊と訳しているが、ホロコースト大事典では行動部隊となっている。邦訳する場合の難しさが、つねについてまわる。アインザッツグルッペ(複数形でアインザッツグルッペン)は、頻出するので、カタカナ表記を付して混乱の内容に配慮はしている。
[45] 結果としてのユダヤ人殺戮の一貫性が、実は、その背後において、ヒトラーの民族主義の一貫性、ヒトラーのドイツ民族帝国主義の世界観の一貫性・体系性、その民族帝国主義の一構成要素しての反ユダヤ主義の一貫性にもとづいていることは、1982年の拙稿「第三帝国の国家と経済‐ヒトラーの思想構造に即して‐」遠藤輝明編『国家と経済』(東京大学出版会)以来、繰り返し、強調してきたところである。
思想、世界観の大局的一貫性とそれが現実の政治力学・戦時政治力学、独ソ戦から世界戦争への展開と総力戦化のなかでユダヤ人絶滅政策に帰結していくプロセスの解明こそが、論争点であり、多くの研究者の間で議論のあるところである。