ホロコーストの力学
 

−独ソ戦・世界大戦・総力戦の弁証法−  ([1])(注[2]

青木書店20038月刊

 

 永岑(ながみね) 三千輝(みちてる)

 章[3] 

はじめに

1.ヒトラー「絶滅命令」に関する最新の論点 

2.食糧難は歴史総体にどのように位置づけるべきか 

3.ソ連ユダヤ人とポーランド・西欧ユダヤ人の絶滅政策への移行は同時か 

4.パルチザン問題は戦局全体にどう位置づけるべきか  

5.本書の基本的見地 

おわりに−根本史料群と論争を通じて確実な歴史把握を− 

 

第1章 ヒトラーの「絶滅命令」とホロコースト−研究史概観−

はじめに

1.418月前半説とその問題点 

2.419月下旬説から411212日説まで 

3.戦時政治力学とユダヤ人抹殺の拡大−地域研究の進展と問題点− 

むすび 

 

第2章 独ソ戦の展開・世界大戦化とホロコースト

−「東方への移送」政策から世界大戦化による絶滅収容所への「移送」へ−   

はじめに 

1.方法の検討と課題の設定 

2.「早まった勝利の熱狂」下の戦後移送計画 

3.「冬の危機」・対米宣戦布告とドイツ・ポーランド・西欧ユダヤ人の絶滅収容所への移送 

むすび

 

3章 「絶滅命令」に関する史料批判と史料発掘の意義

はじめに 

1.ヘース証言の意義と問題性 

2.アイヒマン証言の信憑性の検証 

3.ヒトラーのヨーロッパ・ユダヤ人「絶滅命令」−「411212日」説− 

4.ソ連におけるアインザッツグルッペの活動と41年8月以降のユダヤ人抹殺拡大 

おわりに 

 

4章 一時回避的移送政策とウッチ・ゲットー問題 

      −移送政策再開から絶滅政策への転換期としての4110− 

はじめに 

1.ユダヤ人の東方移送−「フューラーの希望」と部分疎開作戦− 

2.ウッチ・ゲットーの実態−1941年9月ヴェンツキ報告の段階− 

3.ヒムラー、ハイドリヒの強行突破策とヒトラーの承認 

すび 

 

第5章 部分疎開政策とガス自動車「安楽死」作戦 

はじめに 

1.ソ連占領地ユダヤ人殺戮の無差別化と「安楽死」技術転用の検討開始 

               −1941年8月中旬−

2.「特殊自動車(ゾンダーヴァーゲン)」開発とソ連占領地への投入

               −配備開始1941年11月末−

3.西ヨーロッパ各地の不穏状態とユダヤ人東方移送への圧力群

4.ヒムラー・ハイドリヒによるライヒ・ユダヤ人のウッチ移送強行

        −自動車排気ガスによる「安楽死」抹殺へ−

おわりに−総督府問題とラインハルト作戦の展開−

 


6 総力戦の圧力群と総督府におけるホロコースト

はじめに 

1.総督府におけるユダヤ人排出圧力とプレ・ラインハルト作戦 

2.大々的な東方移送強行政策の決定とヴァンゼー会議    

3.ラインハルト作戦加速化の圧力群 

おわりに 

 

7 ヴァンゼー会議からラインハルト作戦終了まで

はじめに

1.会議の重要な確認事項と論点−難問としての混血児問題

2.敗退の断末魔とハンガリー・ユダヤ人の運命−ポスト・ラインハルト作戦−

おわりに

 

終 章 −アウシュヴィッツ否定論の潮流とその批判−

はじめに

1.証言の信憑性問題におけるダブル・スタンダード

2.政治宣伝の武器としての「アウシュヴィッツの嘘」と歴史科学

3.否定論の似非科学的手法

おわりに

 

あとがき

 



[1] ()青木書店2003824日刊(22日発売予定)

 本書は、『戦争責任研究』、『現代史研究』、『土地制度史学』(現在は、誌名変更により『歴史と経済』)、『ドイツ研究』、『経済学季報(立正大学)』、『横浜市立大学論叢』、『横浜市立大学紀要』等に発表の論文を史料・文献調査を踏まえて大幅に書きなおし、書下ろしの第7章を加えたものである。

 これら本書の基礎とした既発表(19958月以降)の個々の論文については、研究業績リストを参照されたい。

 

[2] 研究者仲間からの反応(「仲間褒め」の要素があることを自覚しつつも、拙著のある種の特徴が共通項として浮かび上がってくるであろうから)を、リンクで紹介しておこう。

 

[3] 20028月夏休みに書き上げた準備段階の序章は、本書全体の長さなどを考え圧縮して、「序‐問題の限定‐」とした。

 これにともない20028月にミュンヘン現代史研究所とコブレンツの連邦文書館で書き上げた長文の序章原稿は、矢吹晋先生退官記念号の『横浜市立大学論叢』社会科学系列(下の写真参照)に「ホロコーストの論理と力学−総力戦敗退過程の弁証法−」と題して、投稿した。

これは予定(3)より少し遅れたが、20045月には刊行された。