20041019日講義メモ 

経済()と政治()の関連・・・20世紀前半は、どのような時代と考えればいいのか?

  基本的に重要な事実・・・第一次世界大戦を引き起こした諸要因が未解決のまま残った時代。

  高度な資本主義の発達・高度な工業生産力の発達、資源・原料・商品市場・資本市場をめぐる競争・争奪。

そのさい、経済外的諸要因が重要な役割。

世界において列強が植民地と勢力圏を分割し、その再分配をめぐって争うが帝国主義・植民地主義の時代

そして、世界経済恐慌・大量失業が発生するような資本主義の深刻な問題の露呈の時期。

 

しかし、単純に過去のことといえるか? ドイツ(東部ドイツ地域)における極右勢力の躍進は?

  極右勢力の主張する排外主義・民族主義(ナショナリズム)は、本当の意味で救いとなるのか? 建設的な解決策とは?

 

ヨーロッパが二つの世界大戦からまなんだこと、また現在も全体として追及していることは、偏狭なナショナリズムの克服、近隣諸国との対立や憎悪をあおるナショナリズム(排外的ナショナリズム)を克服し、建設的で平和的なナショナリズムを打ちたて強化すること。建設的平和的なナショナリズムは、リージョナリズムを求める。ヨーロッパという広い地域での経済的安定を樹立しようという発想・・・EU統合史

 

参考文献・資料:拙稿EU「統合の前提−世界大戦・総力戦と水平的地域的統合の社会史的必然性―」永岑・廣田編『ヨーロッパ統合の社会史―背景・論理・展望―』日本経済評論社、2,004年、第2章。

 

 

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極右勢力と民衆

ナチズムと民衆‐この古くて新しい問題をどう考えるか‐

『歴史地理教育』誌インタヴュー:予定設問に対する準備メモを下敷きに。

(インタヴュー掲載記事は、【特集・ナチスの時代】『歴史地理教育No.65120033月・・・ナチス政権誕生70周年を機に)  

 

1.              ナチズムとは? ヒトラー・ナチ党の考え方とは?

2.              ナチズムへの「民衆の熱狂的な支持」をどう取り扱うか?

3.               「なぜナチズムが起こったか」

4.              「なぜそうした事態になっていったのか?」

世界の支配的潮流・・・少数列強の帝国主義・植民地主義

戦勝国側・・・イギリス帝国主義、フランス帝国主義、日本帝国主義、アメリカ帝国主義、ベルギー植民地主義、オランダ植民地主義など。

敗戦国・・・・第一次世界大戦後ワイマール体制・ヴェルサイユ体制下のドイツ帝国主義、

ファシズムとイタリア帝国主義、

  ボルシェビキ革命による戦線離脱・ブレストリトフスク講和・干渉戦争・戦時共産主義・ネップ→スターリン体制下の戦時経済統制経済体制

 

 世界的な多面的重層的な民主主義の未成熟。

 

5.              ナチス台頭に対して、「民主主義や批判派はなぜ支持されなかったのか」

正確には「なぜ、ドイツ国民は民主主義体制を維持できなかったのか」

 

U.ホロコーストに関するより細かな設問

設問1.ユダヤ人は「なぜ憎まれたのか」→「なぜ殺されたのか」(という疑問)

   ホロコーストを進めた人はどんなドイツ人か?

(1)反ユダヤ主義の歴史

(2)帝国主義の論理と抑圧・差別の論理・

(3)差別・抑圧・憎悪の高進の結果としての迫害→殺害

 

設問2 いつ頃、どういう状況下で、迫害から絶滅政策へ

(1)市民としての差別の段階

(2)追放政策=海外移住などドイツ以外への追放・移住政策

(3)開戦と種々の移送計画 

(4)移送計画の延期・戦後移送の計画・・・19413

(5)一時的回避策としての部分的疎開=移送政策・・・19419月中旬以降

(6)ガス自動車開発とその利用

(7)基本的政策転換(移送強行=絶滅政策へ)・・・真珠湾攻撃に伴うドイツの対米宣戦布告、世界戦争へ。

決定的転換の画期・・194112月中旬から1942年正月(連合国結成、無条件降伏まで結束して戦い抜く宣言)

   (8)ヴァンゼー会議・・・42120

   (9)423月から42年末までに約200万人のポーランド・ユダヤ人を抹殺[1]

 

設問3 ユダヤ人の労働投入と絶滅との関係は? 労働力政策と絶滅政策の相互関係

生存条件がポーランドやソ連のユダヤ人よりも良好だったライヒのユダヤ人でも、「異常な高齢化と生命の弱さLebensschwäche」のため、「異常な死亡超過」(誕生マイナス死亡)だった。総督府のユダヤ人ではっきりわかるように、ドイツ占領下の2年間の劣悪な生活条件でほとんどのものが労働不能と見なされるようになっていた。

 

戦争の長期化・総力戦の重圧は、まずはマイノリティ、占領下の住民(そのなかでのマイノリティ)へ。



[1] ドイツ占領下ポーランドの置かれた政治・経済的重圧。そこでのマイノリティとしてのユダヤ人迫害の道筋においては、ポーランド内部における反ユダヤ主義も一つの推進ベクトルとなる。

 東京外国語大学海外事情研究所・研究報告116<資料集>『論争・ポーランド現代史の中の反ユダヤ主義』小原雅俊・松家仁、共編訳、19973月、同133<続・資料集>『論争・ポーランド現代史の中の反ユダヤ主義』小原雅俊・松家仁、共編訳、19983月。