2,004119日 講義メモ(1116日追加)

T.ミュンヘン出張の話(調査結果に関して、ミュンヘン史跡などくわしくは次回以降)

 

U.ミニテスト(1026日)の結果

1.ナチスの正式名称(政党名)は何か?・・・私が講義で詳しく説明したろころだが、意外にも誤りが驚くほど多かった。

正解(講義で説明した訳)は、「国民社会主義ドイツ労働者党」(NSDAP

    National Sozialistische Deutsche Arbeiter Partei

 

注記:@Nationalを国家と訳す辞書や教科書はまだ多い。

 しかし、ドイツ語も英語も、国家に対応する概念と言葉として、Staatstateがある。

 国家社会主義Staatssozilalismusは、ビスマルク体制において、国家が社会保険を制定し、社会保障を行う場合に使われる[1]

 ヒトラーの『わが闘争』を読めば分かるが、ヒトラーはビスマルクに対して、あるいは国家社会主義に対して批判的。

 ヒトラーにおいては、国家は民族に奉仕する道具、との位置づけ・・・ドイツ国家はドイツ民族のために。

 ドイツ民族をドイツ国家に統合する思想。そのドイツ民族の共同体を繁栄させる(ドイツ人の民族共同体Volksgemeinschaftという社会を第一に考える=その意味での社会主義)、という思想・・・そのためには、周辺諸国、とりわけ東方諸民族を支配下においても当然と言う発想(帝国主義の発想)。  

 A日本のドイツ史研究家でも、「民族社会主義ドイツ労働者党」とNationalに民族という訳を当てる人もいる。 

2.ヒトラー・ナチスの基本的考え方は? 

これは簡潔に「敗北の克服」と「東方大帝国の建設」という基本的な目標をきちんと書いていた人が、期待していた以上に多かった。

 

3.出欠の念のための確認・・・これは、45の解答と連動するので、その点がどうなっているかを見た。

 

4.拙著「統合の前提―世界大戦・総力戦と地域的水平的統合の社会史的必然性―」[2]に関する質問・・・解答時間が少なかったためか、あまり多くのことがかかれてはいなかったが、それなりに重要と思われるところをまとめた解答が結構あった。 中には明らかに読んでいないで書いていると思われるものも若干だがあった。

 

5.拙稿に対する疑問や理解できなかったこと・・・ここには多くの意義ある質問・疑問があった。

(1)      なぜユダヤ民族をここまで憎むのか? なぜ「吸血鬼」と見るのか、なぜユダヤ人以外ではだめなのか、ユダヤ人以外の人種をもってきてもナチスの勢力拡大は達成できたのではないか、など。

この疑問が一番多かった。この疑問は、ナチスを考えていく重要な出発点になると考えられる。

 反ユダヤ主義の歴史は?・・・前回(ポーランドの反ユダヤ主義)、前々回の説明と配布資料、参照。 

 

 反ユダヤ主義が激しくなるのはどのような状況においてか?

 

 戦争とはなぜ起きるのか?

 敗戦とはどうして引き起こされるのか?

 ロシアの10月革命(「平和とパン」を求める)やドイツの11月革命(「平和とパン」を求める)はなぜ起きたのか?

 世界経済恐慌、大量失業はどうして起きるのか?

 こうした問題に合理的な説明を見出せない場合、ヨーロッパでは、反ユダヤ主義が扇動され、激しくなる。

 

(2)      「当時の人々の根元的なユダヤ人への嫌悪みたいなものを実感としてよくわからない」・・・そのこと(その意味合い)を理解するために、ユダヤ人嫌悪、ユダヤ人憎悪が激しくなり、またユダヤ人に対する単なる追放ではなく、ユダヤ人の絶滅へといたる経過を簡潔に説明し、講義ではかなり詳しく説明したはず。

「ユダヤ人憎悪」、その激化を見るには、政治危機(ナショナリズムの激化)や、戦争の長期化・総力戦化・敗退を見なければならない。

窮地に追い込まれていく第三帝国とその政治や軍・経済の指導層の態度、国民の態度。

 

(3)      「地図かあれば、分かりやすい文章になる」・・・ヨーロッパ地図を手許に置きながら読んで欲しい。

 

(4)      「国民的で民族的な考えのもと、これだけ勢いがあるように見えたヒトラーがなぜ、急激な景気回復が一方でもたらしていた原料・食糧付則や為替不足のことに気が回らなかったのか」・・・「急激な景気回復」は、軍需主導による。軍需主導を続けるかぎり、外貨を稼ぐことはできない。対外的に輸出できる民需製品の生産であれば外貨を稼げるが、ドイツの軍事的強国化を最優先にする以上、外貨取得のための輸出産業を刺激することにはならない。

 

むしろ逆に、国内で生産できる原料などは国内で生産すると言う方向になる。

    自給自足(アウタルキー)政策が、ナチス第三帝国の基本的発想になる。どのような領土で自給自足を計るか? 東方大帝国と言う広域経済圏で。それを可能とするのは? 軍事的支配。 その軍事的支配のための軍備増強。こうした悪循環の構造。

    イギリスは大英帝国の強大・広大な経済圏を支配。

    フランスもアフリカやインドシナ半島に植民地領有。

    日本も台湾、朝鮮を植民地として支配。

    イタリアは地中海支配、エチオピア侵略。

   つまり、世界が武力・経済力を持って自分の勢力圏を維持し、拡大しようとする世界的潮流。

 

(5)      「カントの定言的命法が分からない」・・・分からない言葉は、できるだけ辞書を引いて見ることが必要。たとえば、最も代表的規範的な国語辞書『広辞苑』(岩波書店)によれば、

 

ていげんてき‐めいほう【定言的命法】

(kategorischer Imperativドイツ) カントの唱えた道徳的命法。すなわち意志を無条件的に規定する道徳法則。「幸福を目的とするならば手段としてこの行為をせよ」と命ずる仮言的命法と異なり、行為そのものを価値ある目的として絶対的・無条件的に命令すること。「汝の意志の格率が常に同時に普遍的立法として妥当するように行為せよ」が有名な型式。例えば「汝殺すなかれ」。断言的命法。無上命法。[株式会社岩波書店 広辞苑第五版] 

 

(6)      「なぜヒトラー批判派の人は、暗殺とかを実行に移せなかったのか?」・・何回か、暗殺計画あり。すべて失敗

   一番有名な本格的大々的なヒトラー暗殺・クーデター計画は、「944729日事件」・・・将軍・高級将校・保守は政治家・労働組合関係者など多数が参加。

 

(7)      「ユダヤ人が「大食漢」であると言う点を詳しく知りたい」「ユダヤ人が伝染病の元凶」とされる点は?・・・その言葉が発せられ状況は何か、を考える必要がある。

1941年―1942年のドイツ占領下のポーランドはどのような状況に追い込まれていたか?

総力戦化・長期戦かは何を占領下のポーランドにもたらしたか? 

 

(8)      「ヒトラーの人種主義的民族主義の論理は、民族自決で正当化できるかぎりの狭い民族主義の枠に留まるものではなかった」という文章のなかで、「民族自決で正当化できるかぎりの狭い民族主義」が本当に狭いものなのか」、「民族主義的膨張とはどういうことか」

 ヒトラーが民族自決の論理で正当化したのは、オーストリア併合、ズデーテン併合などドイツ人、ドイツ系マイノリティが多数を占める地域について、自分たちの国家所属を自由に決めてもいいではないか、ということ。

 ヒトラー・ヒムラー・ナチ党の民族主義は、ここに留まらない。ポーランド地域でドイツ系とポーランド系が長年混住している地域も(ポーランド系住民の民族自決を否定して)、「民族の耕地整理」をして、ポーランド人を排除して、ドイツ領土にするという発想。

 さらに、何十年かかけて長期戦略で、ポーランドも全体をドイツ化する、という発想。「東方全体計画」 

 

(9)      「なぜいろんな民族がいる中で、ユダヤ人だけを最下層の民族と位置づけたのか。その明確な根拠とは何か?」

「イデオロギーの世界」と「事実や科学の世界」の違い。

ユダヤ人を世界諸民族の中で最下層に位置づけるのが、ヒトラー・ヒムラーの世界観であり、イデオロギーである。

 したがって、事実の上で、また科学的に言って、「明確な根拠」は、存在しない。諸悪の根源をその時々にユダヤ人のせいにする反ユダヤ主義が、キリスト教世界では2000年にわたって繰り返しキリスト教会で解かれてきた。

 配布済みの講義資料でも説明したところである。

 

(10)  「ミュンヘンに行って,ヒトラーが演説した酒場に行ったことがある・・・酒を交えて話すことは、とても効果的であったように思えた。」・・・現在もホーフブロイハウスHofbräuhausやビュルガーブロイケラーBürgerbräukellerなどは、大音響の音楽が人々を驚かせる。

     しかし、こうした酒場が、政治宣伝・政治集会の場となることは、かならずしも何時ものことではない。第一次世界大戦後の革命状況とそれに対する反革命状況、そして大衆民主主義が戦後混乱期に直面する中で、勢力拡大・支持者拡大を巡って激しく対立し、敵対した状況。

     世界戦争、その敗戦の苦境、危機的状況!

 

(11)  「ヒトラーが第二次世界大戦のはじめに組んだソ連のスターリンと裏切って独ソ戦に踏み切った理由は? フランスに勝利し、イギリスに勝てそうだった状況で独ソ戦に至ったのはなぜか? アメリカが出てくることは計算していなかったのか?」

          なぜ、ヒトラーはスターリンと握手したのか?・・・2正面作戦に陥らないで短期電撃的にポーランドを支配下に置くため。その条件が達成されドイツとソ連でポーランドの第4時分割を行った結果は、独ソの国境が直接接することになった。民族主義の膨張の論理とは相容れないソ連の国境・権力拡大。

          「イギリスに勝てそうな状況」だったか?・・・むしろ、その見込みがないことが直ちに分かったのが、1940年夏。ドーバー海峡の制海権、制空権の問題。

          人を騙すものは、自分も騙されるという不断の恐怖・・・イギリスとソ連の連携の可能性。2正面作戦に引きずり込まれる可能性。

ソ連・ボルシェヴィズムに対する根本的不信。(多用された言葉、政治宣伝の文句・・・ユダヤ的ボルシェヴィズム)

第一次大戦ではロシア奥深く占領し、ブレストリトフスク講和で広大な地域をドイツ支配下に置いた経験。

 

(12)  「ヒトラーとフセインの共通点・相違点は何か」・・・これはみんなで考えてください。民族主義、戦争(イラン・イラク戦争、イラクのクウェート侵攻から湾岸戦争)、民族マイノリティの抑圧(クルド人など少数民族)、一党政治、大衆統合

 参考までにいえば、今度のドイツ出張で、ドイツの有力女性政治家が、「ブッシュはヒトラーと同じだ」と発言したことが問題になっていた。

 また、ドイツでは、これまた有力女性国会議員(だったと記憶する)が、「イスラエルがやっていることは第三帝国がやったことと同じだ」という発言も、大きな波紋を引き起こした。

 

(13)  ヒトラーの反ユダヤ主義は、なぜ古くからのユダヤ人像を「20世紀の民族主義・人種主義の枠組みでととらえなおした」といえるのか?

     2000年の長きにわたって存在してきたのは、宗教的反ユダヤ主義→19世紀の同化主義、キリスト教徒への改宗。

     →民族主義・人種主義の反ユダヤ主義は、ユダヤ人問題を血統の問題と考える。改宗と言った精神的宗教的な同化はありえない、との見地。→追放が基本となる。

 

(14)  「常識的に考えて理解できないようなナチスの政策を国民が支持したというのはなぜなのか?ヒトラーの演説のうまさとは?」・・・ヒトラーの『わが闘争』を読んでみてください。民族主義・人種主義が一貫していて、「単純で明解」。第一次世界大戦の敗北やヴェルサイユ体制,世界経済恐慌で苦しむ人々に光明となると思われる効果。

 

(15)  「ヒトラーが軍事力によって経済を支配できると確固たる自信を持っていたのはなぜか?{第一次大戦のこと以外にも理由があったのではないか}・・・世界の帝国主義列強の現実は何であったか?

      イギリスは、19世紀半ばに「世界の工場」としての地位を築き、7つの海、世界を支配する大帝国ではなかったか? ヒトラーは、大英帝国の世界支配を見ながら大きくなった。また、フランスはアフリカやアジアに広大な植民地を持ってはいなかったか?

      19世にまで鎖国で眠っていた日本は、19世紀末から日清・日露と戦争を続け、領土・植民地を拡大していなかったか?

      つまり、19世紀末―20世紀の世界で非常に力を持っていたことは何か? これをじっくり考えて見るべきだ、と繰り返し強調してきた。 

 

(16)  「ファル・ゲルプ」、「ファル・ヴァイス」とは?・・・暗号名だから、それ自体を見ても何も分からない。ゲルプ=黄色、ヴァイス=白色だが、実際にその作戦が発動されて見て、ポーランド攻撃作戦だったのだ、西部攻撃命令だったのだ、といったことが分かる。ちなみに、「ファル・バルバロッサ」とは、対ソ攻撃命令の暗号名。

 

(17)  「日本の軍国化も必然だったのか?」・・・これは、日本史関係の講義や書物で検討して欲しい。すでに、これまで私も講義や今回の説明で、かなりの要因は説明していると考える。

 

(18)  「ヒトラーがドイツ系住民の民族自決という原則を踏み越えてチェコスロヴァキアの解体などを行ったとき、ヒトラー支持はゆるがなかったのか?」・・・「揺るぎ始め」のきっかけとはなったであろう。しかし、ドイツは、ダンツィヒ問題、ポーランド内部のドイツ系住民地域など、ひとつが解決すれば次にまたドイツ系住民の処遇が問題となる地域を抱えていた。ヒトラー・ナチの民族主義熱狂が優勢を占めた。

 

          ヨーロッパを中心に世界では、反イラク戦争・アメリカ単得主義批判などブッシュ政権批判の声が高まっていると考えられるが、なぜ、ブッシュは選挙で勝ったか? これは、今度の選挙がオープンに行われているために、統計ではしらべようと思えばいくらでもくわしく調べられる。

          第三帝国は、自由なオープンな選挙制度を解体したので、「どれほどの人々がナチズムに賛同したのか」を確定するのは、難しい。

 

(19)  「なぜ第一大戦は強制された戦争なのか」・・・・「強制された戦争」という見方は、ヒトラー側のもの。ドイツは悪くなく、英米がわるい、という立場の表明。逆に、英米は、ドイツ軍国主義が戦争を引き起こした、戦争責任はドイツにあり、として、ヴェルサイユ体制ではドイツに莫大な賠償金を課した。ヒトラー・ナチだけではなく、多くのドイツ国民が、ドイツの単独責任の主張に反対した。

 

(20)  「なぜヒトラーを強く批判し続けることができなかったのか?」・・・いろいろの角度から、かなり詳しく説明したはず。今後も述べていく。

 

 

---------------以下は、1116日に追加配布--------------------------------


(21)  「ユダヤ人・ユダヤ民族が反抗、不穏、火事、食糧不足、伝染病などの罪を着せられたと書かれていたが、具体的に、またくわしい考え方の過程を説明して欲しい。ヒトラーだけでなく、側近の官僚たちの動きなども説明して欲しい」・・・・・・できれば、拙著『ホロコーストの力学―独ソ戦・世界大戦・総力戦の弁証法―』(青木書店、2003年)、および『独ソ戦とホロコースト』(日本経済評論社、2001)、さらには『ドイツ第三帝国のソ連占領政策と民衆 19411942(同文舘、1994年を読んで欲しい。   とはいえ少し具体的に、ここでも説明。

 

 

192528年当時『わが闘争』Hitler, Mein Kampfのなかで・・・若干の抜粋。

 

@邦訳、下、432433・・・「ハイエナが腐肉から少しも離れることがないと同じように、マルクス主義者は祖国を売る仕事を見限ることはない。・・・」

第一次世界大戦が長期化し総力戦化して反戦の機運が盛り上がった責任、総力戦化でたくさんの戦死者が出た責任をユダヤ人、ユダヤ的マルクス主義に還元するところ・・・「大戦の経過につれて、ドイツ労働者とドイツ兵士が再びマルクス主義の指導者の手中に逆戻りして行ったが、それにちょうど比例して祖国は彼らを失っていったのである。戦争開始時に、そして戦争中も、あらゆる階層から出て、あらゆる職業を持ったわが最良のドイツ労働者数十万が戦場でこうむらなければならなかったように、これら1200015000かのヘブライ人の民族破壊者連中を一度毒ガスの中に放り込んでやったとしたら、前線での数百万の犠牲がむなしいものにはならなかったに違いない。それどころか、これら12000のやくざ連中が適当な時期に始末されていたとしたら、おそらく百万の立派な、将来にとって貴重なドイツ人の生命が救われたかもしれないのだ。・・・」

 

 A『わが闘争』邦訳、下、348・・・「ユダヤ人金融資本家は、・・・ドイツ経済の徹底的破壊を望んだだけではなく、完全な政治上の奴隷化も望んでいる。わがドイツ経済の国際化、つまりドイツの労働力をユダヤ人の世界金融資本の所有物に引き渡してしまうことは、政治的にボルシェヴィズム化した国家ではじめて徹底的に実現されるのである。・・・国際敵ユダヤ人金融資本のマルクス主義的闘争グループが、ドイツの国家主義的国家のバックボーンを徹底的に打ち砕こうとする・・・」

 

 B『わが闘争』邦訳、下、348・・・「ユダヤ人の反独的世界扇動 したがって、ユダヤ人は今日ドイツの徹底的破壊を狙う大扇動者である。われわれがこの世界でドイツに対して書かれた攻撃を読む場合には、その製造業者はつねにユダヤ人である。・・・」

 

 C『わが闘争』邦訳、下、372372・・・日本もユダヤ人の犠牲?!・・・「ドイツの絶滅はイギリスの利益ではなく、第一にユダヤ人の利益であったが、まったくこれと同じように、今日においては日本を絶滅することもまたイギリスの国家的利益であるよりも、むしろユダヤ人の期待された世界帝国の指導者達の広大な願望に奉仕するものである。イギリスがこの世界での自国の地位を維持するために骨折っている時、ユダヤ人は世界征服のための攻撃を組織している。

   ユダヤ人は今日のヨーロッパ諸国を、いわゆる西欧民主主義という間接的手段であれ、ロシアのボルシェヴィズムによる直接的な支配の形態であれ、とにかく、すでに自分の手の中で意志の自由を失っている道具とみなしている。・・・」

 

以下の説明は次回(1130)に。

 

 D『わが闘争』邦訳、下、374・・・「ユダヤ人は自分達の至福千年王国の中に,日本のような国家主義国家が残っているのをはばかり、それゆえ自分自身の独裁が始められる前にきっちり日本が絶滅されるよう願っているのである。したがってかれらは、以前にドイツに対してやったように、今日日本に対して諸民族を扇動しており、それゆえ、遺義理その政治がなおも日本との同盟を頼りにしようと試みているのに、イギリスのユダヤ人新聞はすでにこの同盟国に対する戦争を要求し、民主主義の宣伝と『日本の軍国主義と天皇制打倒!』の時の声の下に、絶滅戦を準備すると言うことも起こりうるのである。・・・」

 

1939130のヒトラー国会演説

「私は今日再び預言者になろう。ヨーロッパ内外の国際金融ユダヤ人が、諸国民をもう一度世界戦争に引きずり込むことに成功したら、その結果は、地球のボルシェヴィキ化、したがって同時にユダヤ民族の勝利ではなくて、ヨーロッパのユダヤ人種の絶滅であろう」と[i]。そのロジックはどうなっているか。

 

 (解説)まず第一に、「ヨーロッパ内外の国際金融ユダヤ人」が世界戦争に諸国民を引きずりこむのだという断定がある。第二に、「もう一度引きずり込むことに成功したら」という表現で意味しているのは、第一次世界大戦を引き起こしたのはユダヤ人だったという断定がある。第三に、第一次世界大戦の結果、ロシアにおいてボルシェヴィキ革命がおき、ロシアの「ボルシェヴィキ化」が行われたのだが、それがロシアにおける「ユダヤ人の勝利」だと言う断定がある[ii]。第四に、戦争によってボルシェヴィキ革命が他の地域でも起き、地球が広くボルシェヴィキ化されるとすればそれは「ユダヤ民族の勝利」だという断定がある。つまり、世界戦争の勃発の原因も世界戦争の結果として起きる可能性のあるボルシェヴィキ革命も、その主犯はユダヤ民族であり、「ユダヤ民族の勝利」であると解釈される。しかし、最後に、今度世界戦争が起きれば、そのようなユダヤ人種は絶滅されることになろう、と。ヒトラーがユダヤ人絶滅を予言するスタンスは、世界戦争とボルシェヴィキ革命の主犯を探す見地においてである。世界戦争になったとき、ボルシェヴィキ革命が迫ったとき、ユダヤ人絶滅が問題となる。

194112月16日総督フランク(ポーランド支配者)の総督府閣議における「ユダヤ人の取り扱い」に関する発言記録・・・総督府の食糧事情の決定的悪化を背景に、「ユダヤ人はわれわれにとっても異常に害の大きい大食漢(フレッサー)だ。総督府には推定250万人もいる」といった[3]。「姻戚関係にあるものを合わせると、350万人に上る」と。

フランクは「ユダヤ人の取り扱い」に関する発言記録[iii]の冒頭、「ユダヤ人にはいずれにしろ決着をつけてしまわなければならない」とした。そして、39130日のヒトラーの国会演説の一節を引き合いに出した。ヒトラーは、「ユダヤ民族が世界戦争を起こすことにふたたび成功したら、血の犠牲は戦争に駆りたてられた諸民族にもたらされるだけではなく、むしろヨーロッパのユダヤ人が自分たちの最後を見出すことになろう」と語ったとした[iv]

フランクは、「350万人ものユダヤ人をわれわれは射殺することはできない」とし、また「毒ガスで殺すこともできない」とした。「なんらかのやり方で絶滅という成果を挙げるような処置をとることができるだろう」と建設中・進行中のプロジェクトに期待を表明した。それは「帝国(ライヒ)と相談することになっている大規模な措置と関連」するものだった。

   

194211ヒトラーの新年の挨拶(国民向け)・・・・ヒトラー第三帝国が文字通りの世界戦争に突入するのは、194112月の対米宣戦布告とこれに呼応する421月の連合国宣言によってである。

それでは、4211日付けで発表された全国民への新年の挨拶(原稿完成はその前日)はどうか。それはこうである。

「チャーチルとローズベルトの同盟者としてのユダヤ・ボルシェヴィズムがもしも勝利した場合、ドイツ全体、さらに全ヨーロッパを襲う恐るべき不幸については想像もできない」、「チャーチルとローズベルトはスターリンにヨーロッパを引き渡してしまったのだ!だが今、私はより高い公正さを信じて語ろう。彼らがヨーロッパ諸国民を引き渡そうとしているボルシェヴィズムの怪獣は、いつの日か彼らとその国民そのものを破壊するであろう。しかし、ユダヤ人がヨーロッパ諸国民を根絶することにはならず、むしろ、ユダヤ人が自分の陰謀の犠牲となろう[v]」と。

 

1942120ヴァンゼー会議における総督府次官ビューラーの発言・・・

ヴァンゼー会議に派遣されたビューラーは総督府閣議の主要メンバーであり、したがってもちろん、上記の411216日の会議に参加し、フランクの発言を耳にしている。その閣議の経過、議論の組み立て方を踏まえて、ヴァンゼー会議で発言した。すなわち、会議の最後に発言して、ビューラーは、「問題解決を総督府から始めていただければ幸いである」と。対象となる総督府のユダヤ人は約250万人だが、その多数は労働不能である、と[vi]。つまり抹殺対象であると。次官クラスでも250万の人間の抹殺を平気で要請している。

 

1942130のベルリン・スポーツ宮殿でのヒトラー演説・・・・「この戦争の終わり方は、ユダヤ人が想像しているようには、すなわちヨーロッパ・アーリア諸民族が根絶されることにはならず、むしろこの戦争の結果はユダヤ民族の絶滅となろう」と、「ユダヤ民族の絶滅」を明言するにいたっている[vii]

  

 

 

(22)   「ヒトラーの『秘密覚書』の中で、「4ヵ年」という言葉が出てくるが、なぜ「4ヵ年」だったのか?」・・・ソ連・ボルシェヴィキ・スターリン体制は5カ年計画で「社会主義建設」を進めていた。多年度計画は、戦争経済、統制経済、当時の社会主義では非常に流行し、その成功が多くの人に信じられていいた。その利用。しかも1年少ない、というところにナチスの優秀さを示す意図。

 

(23)   ヒトラーは、「対米宣戦布告のとき、この戦争はドイツだけのためではなく、全大陸のためとしているが、これは民族主義に反する物ではないのか?」・・・ドイツ民族を頂点にして、それ以外のヨーロッパ諸国を自分の下に置く・従属させると言う構想。世界戦争では、できるだけ多くの国や民族を味方につける必要がある。そのためにあたかもヨーロッパ大陸をボルシェヴィズムから守る、ドイツは他の諸民族のために戦っていると言う大義を掲げる。

イギリス(帝国主義)がイギリス人の民族的利益のためにインドその他の世界植民地を支配し、フランス(帝国主義)がインドシナ、アルジェリアなど世界各地の植民地を支配し、日本(帝国主義)が「大東亜共栄圏」を掲げながら、その実自己の民族的利益のために、台湾・朝鮮半島・中国東北部などを支配しているように。

 

(24)   「ヒトラーはヨーロッパをどんどん制圧して行ったが、最終的には全世界を支配するつもりだったのだろうか。」・・・ヒトラーの論理を展開すれば、そうなるだろうが、そんなところまではさすがのヒトラーの言わない。現実政治として彼が可能と考えたところが、政治目標として掲げられる。さしあたりは東方大帝国。

 

(25)   「なぜ日本やイタリアはヒトラーと手を組んだのか?」・・・ヒトラー・ドイツは英米と利害対立。日本やイタリアも結局は英米と利害対立。

 

(26)  「スターリンとヒトラーは本当に仲がよかったのか?」・・・当面の目的のために手を組んだだけ。本質的には不倶戴天の敵。

 

(27)  「なぜドイツが強大になるまで近隣諸国やアメリカはほっといたのか?」・・・・ヒトラーの最初の要求は、ヴェルサイユ体制の不当な部分への攻撃。ヴェルサイユ体制が勝者の帝国主義列強による敗者への押し付けと言う側面を持つ以上、ヒトラー・ドイツの反ヴェルサイユの主張に正当な部分があった。そこが民衆をひきつけた。しかし、そこに落とし穴があった。ヒトラー・ナチスの政治目標・政治理念の枠組みもまた、ドイツ民族至上主義、人種主義、帝国主義の論理だったから。



[1] マイクロソフト百科事典から

「今日の社会保障制度の体系のうち、公的扶助とくらべても圧倒的に重要な柱となっている社会保険制度は、1880年代のドイツで第1歩をふみだした(図「おもな国の各種社会保険の成立年」参照)

イギリスにおくれて産業革命を経験した後発資本主義国ドイツでは、先発資本主義国へのキャッチアップという国是(こくぜ)のもと、長時間・低賃金労働が支配的であった。労働者の生活水準は極度に低くおさえられ、労働災害がふえた結果、ドイツでは、労働者の生活改善をもとめる労働運動が高まった。

社会主義化へむかう労働運動をおそれた「鉄血宰相」ビスマルクは、1878年に社会主義鎮圧法を制定して、労働運動を禁止した。しかしその一方で、83年から89年にかけて、労働者のかねてからの要求であった生活保障を、医療保険(1883)業務災害保険(1884)年金保険(1889)3つの保険制度の実現でこたえた。ビスマルクの硬軟両様をつかいわけた労働政策を、「アメとムチ」の政策という。

ビスマルクの社会保険は、失業を事故とみなして救済する失業保険を欠いていた。社会保険のうち、医療保険、年金保険とならぶ失業保険を、世界ではじめて実現したのは、1911年にイギリスで制定された国民保険法である。これには、医療保険と失業保険がふくまれていた。Microsoft(R) Encarta(R) Reference Library 2003. (C) 1993-2002 Microsoft Corporation. All rights reserved.

[2] 永岑・廣田編著『ヨーロッパ統合の社会史―背景・論理・展望―』日本経済評論社、2,004年、第2章。

[3] Tagebuch Franks, 2233-PS, in: Internationaler Militärgerichtshof(以下、IMG), Der Prozeß gegen die Hauptkriegsverbrecher, Bd. 3, Nürnberg 1947, S. 634.



[i] Max Domarus, Hitler: Reden und Proklamationen 1932-1945, Leonberg 1973(1988), S.1058.

[ii] 例えば『スターリンの背後のユダヤ人』というタイトルで、副題が「ソ連の官庁文書を基にしたソ連におけるユダヤ人支配の証明」という本は、典型的な反ユダヤ主義の大衆啓蒙版であろう。Dr. Rudolf Kommoss, Juden hinter Stalin. Die jüdische Vormachtstellung in der Sowjetunion auf Grund amtlicher Sowjetquellen dargestellt, 3. und 4. neubearbeitete Auflage, Nibelungen-Verlag, Berlin-Leipzig 1942^.

[iii] この会議には総督フランクのほか、次官ビューラー、ルブリン地区の知事ツェルナー、高級親衛隊・警察指導者グロボチュニクなどが参加していた。Das Diensttagebuch des deutschen Generalgouverneurs in Polen 1939-1945, hrsg. v. Werner Präg/Wolfgang Jacobmeiyer, Stuttgart 1975, S.451.

[iv] Das Diensttagebuch, S.457.

[v] Domarus, S.1821.

[vi] Besprechungsprotokoll, S.14f, in: Mark Roseman, Die Wannsee-Konferenz. Wie die NS-Bürokratie den Holocaust organisierte, München/Berlin 2002, S.184f.

[vii] Domarus, S.1829.