昔から、風評、風説は社会につきもの。

 

たとえば、

 ヒトラーの生死をめぐるさまざまの「主張」、「風説」

 

古くは、

キリスト、仏陀(釈迦)が人間かどうか、生死の年月をめぐる諸説など。

 古い時代の著名人物だけではない。
 最近ではビン・ラディンの生死も、本当のところは分からない。
 
ビン・ラディンが生きていると都合のいい人々は誰か?
  ビン・ラディンが死んでいると都合のいい人々は誰か?
 イラクの大量破壊兵器がまったく存在しなかったことからも分かるように、ビン・ラディンに関しても、どこまでが本当か、検証する必要がある。


 ヒトラーに関してもまた、戦後、かなり長い間、さまざまの生存説が出た。

 

 当時、イギリス軍の情報将校だったトレヴァー=ローパー(後の著名な歴史家)は、その検証作業で一躍有名になった。その成果が、名著『ヒトラー最後の日』(邦訳は、橋本福夫訳で、筑摩書房、1975年)である。
 その第三版序文に論争史がおもしろく書かれている。

 今では周知のことになっている諸々の歴史事実が、戦争終結直後にはまったく知られていない事実だったこともわかる。たとえば、ヒトラーの愛人エバ・ブラウンのこと、自殺直前の結婚など。
 

 

 最近(20056月)、日本におけるドイツ年のひとつの企画として「ドイツ映画祭」が開催されたが、611日に上映された『ヒトラー 最後の12日間』Der Untergang)は、トレヴァー=ローパーの研究を踏まえたヨアヒム・フェスト(フランフルト一般新聞FAZ発行人を長く務め,何冊もの第三帝国・ヒトラー関係の本を書いた著名人)の本をひとつの柱に、最後までヒトラーの秘書をしていたトラウドゥル・ユンゲの回想録(『最後の瞬間まで:ヒトラーの秘書、人生を語る』)をもうひとつのも主要素材にして、ヒトラーの自殺への道・自殺と死体焼却の様子、そしてその後の様子(秘書などの脱出)を描いたものである。その意味で、ヒトラーの最後に関する戦後60年の論争史にひとつの決着をつける意味合いもあろう。