更新:20050622
トレヴァー=ローパー『ヒトラー最後の日』(邦訳は、第4版を、橋本福夫訳で、筑摩書房、1975年)
H.R.Trevor-Roper, The Last Days of
Hitler, 1947, the Macmillan Press Ltd.
最近のヨアヒム・フェストの本『没落Der Untergang』(これを底本にした映画「ヒトラー最後の12日間」)は、トレヴァー=ローパーの歴史研究に重要部分で依拠。「ほとんど新しいところはない」との評も出るくらい。
第三版序文(1956年)、より
ヒトラーの死に関する諸説・風聞
デーニッツ提督の「公式」声明とその問題性
不確実な根拠に基づく情報の無価値さ
風説を流す人の利害・問題意識
作り話と架空話への愛好
正面から検証すべきは、デーニッツ声明
ソ連、ジューコフ元帥の発表
1945年4月22日までヒトラーのもとに留まっていたのはだれだれか?
4月22日以降、総統防空壕に留まっていたのはだれだれか?
1945年11月1日の報告書提出
キードキュメント:45年5月1日ゲッベルスの電報(デーニッツ提督宛に、ヒトラーの死と政治的遺言によりデーニッツの大統領任命を伝える)
証言の検証の方法: いくつもの独立の証言を照らし合わせる。
その中から、「本質的な一致点」を明らかにする。
実例: ヒトラーとエヴァ・ブラウンの死体の「自然発火」現象とその真実
ローレンツなる人物: 就職用の詭弁→不採用
しかし実は、本物の重要人物
ヒトラーの遺書と結婚証明書という重要ドキュメントの運び屋
ユンゲ婦人(『私はヒトラーの秘書だった』草思社、2004年)・・・ヒトラーの遺書を4月28日から29日にかけての夜、タイプした秘書(トレヴァー=ローパー、p181,182 )。
その他のヒトラーの死の目撃者
ボルマン:死亡(1970年代に確認。死体発見、DNA鑑定など)
クレープス将軍
ロシア(ソ連)の報道の検証
45年6月初期には、ロシア(ソ連)は、ヒトラーの死を確認。
ベルリン、総統官邸を占領したソ連軍は事実検証の素材をたくさんもっていた。
45年6月9日、ジューコフ将軍が、ヒトラーとエヴァ・ブラウンの公式発表。
冷戦期におけるロシア(ソ連)の態度
スターリン、ソ連指導部の深い疑心暗鬼。
ジューコフ元帥は態度変更(その後ジューコフは左遷)
1945年当時のスターリン崇拝の状況
最終的には、ロシア(ソ連)側も、実質的にはトレヴァー=ローパー説を採用。
ヒトラーの運転手ケンプカの証言とその問題点
直接の目撃者リンゲ
自殺の手段・・・ピストル、しかし毒薬も。
「ありのままの歴史を読めば、誰だってヒトラー崇拝におびき寄せられるはずはない」
第五章 包囲下の防空壕(4月25日-28日)
25日・・・ロシア(ソ連軍)によるベルリン包囲の鉄環の完成・・・完全包囲下
いまや、脱出は空路による危険な方法のみ可能。