1936年夏(8月1日−16日):ベルリン・オリンピック

経済のどん底は、1932年夏。
 ヒトラーが政権をとった33年1月は、すでに景気上昇局面。
  その景気上昇を主導するのが、再軍備・軍需経済化・・・重化学工業に巨大な政府・国家需要

 1936年頃までに完全雇用状態
 32年中ごろには、600万人もいた失業者が、わずか数年でいなくなり、
 さらに軍需関連工業などでの熟練労働力不足


 ベルリン・オリンピックの当時は、その意味で、絶好調の景気の状態
(背後にある国家財政の危機、軍需経済の危機などは表面には見えてこない状態
・・・・この危機に対応するものとしてヒトラーは8月にベルヒテスガーデンの山荘で「四カ年計画」秘密覚え書きを執筆・・・4年以内に戦争準備を完了せよ、と)。




 1936年当時のドイツ人民衆(批判勢力が非合法化され、強制収容所に閉じ込められている条件下で)の意識・・・・圧倒的ヒトラー支持。

 ベルリン・オリンピックの映画を撮ったことで有名なレニ・リーフェンシュタールの言葉

ヒトラーに、「あの当時は、ほとんどのドイツ人が魅かれていたわ・・・。当時のニュース映画を見ればわかります。ドイツ人の99パーセントがヒトラーの虜になっていたんだから・・・・・彼はとても人を魅きつける力をもっていました。・・・彼はドイツを愛し、ドイツをひとつにまとめようとしただけなのです」と。


しかしもちろん、レニ・リーフェンシュタールは、ヒトラーの本質(ヒトラーの思想構造・政策体系の本質)を見抜いていなかった。
上記の彼女の言葉からは、戦後になってすら、ヒトラーの本質が分かっていないことが判明する。ヒトラーはまさに、ドイツをひとつにまとめ、周辺諸国(東方地域)を占領支配して、強大な世界強国を建設すること(世界支配に向かって打って出ること)を一貫した目標として堅持していたのだから。