ガス殺の最初の対象・・・・障害者にたいして「安楽死」抹殺。


1939年9月1日付のヒトラー自筆署名(サインしたのは39年10月時点)の命令書(権限付与)・・・・ボウラーとブラント博士が、不治の病について病状が重い場合、一定の医者たちにGnadentodの措置を許可する権限を与える。


ヒトラー個人用箋に自筆署名した「安楽死」作戦許可状

ヒトラー署名の安楽死作戦権限付与状は、法務大臣ギュルトナーの手許に一通のみ。ギュルトナー手書きの落手(40年8月27日)記録。

他は、戦争末期に廃棄された。


--------出所--------------
フリードレンダー著『ナチス・ジェノサイドへの道・・・安楽死から最終解決へ』ドイツ語訳(Berlin 1995)の表紙

original....The Origins of Nazi Genocide. From Euthanasia to the Final Solution, Chapel Hill /London 1995



ヒトラーの署名

ー一定の医者にボウラーとブラント博士が、「不治の病」の人に対する「安楽死」の措置を許可-




上と同じ文書、ヒトラー署名


目次
1.出発点
・・・・19世末から0世紀初頭の社会ダーウィニズム
・・・・「人間の不平等Ungleichheit der Menschen」のイデオロギー


2.障害者の排除
  1933年7月14日 不妊化法Sterilisationsgesetz・・・障害者に対して。



1934年の病気別不妊化手術・・・多い順に、
1.生まれつきの精神薄弱児、
2.精神分裂病、
3.重度の癲癇、
4.循環性躁うつ病、
5.重度のアルコール中毒、
6.重度の難聴、
7.重度の盲目、
8.重度の奇形、
9.重度の舞踏病


総統官房の組織
 官房長ボウラー・・・・第二局長ブラック

S.86-87


3.障害児の殺害

犯罪技術研究所(KTI)指揮命令系統・・・
  ヒムラー→ハイドリヒ→ネーベ→ヘース→ヴィドマン




4.成人障害者の殺害

T4作戦
・・・組織



T4作戦・カムフラージュ組織



5.殺害拠点
   ・・・「安楽死」作戦の各地のガス室

障害児に対し薬物を与えて殺害・・・成人障害者:数が多くなるので別の方法を模索

薬物注射も検討・・・時間がかかりすぎ

一酸化炭素中毒を想起、自殺者もいたし、抜本的に研究済み

ヒトラーとブラントの会談・・・「もっとも人間的な方法は?」・・・ブラントは、ガス殺を推奨。


刑事犯罪技術研究所(KTI)の研究


ブランデンブルク市の古い監獄で。
ガス室・・のぞき窓・・・最初の実験1939年12月ないし1940年1月

8人の男子・・・ガスは隣室から。
衣服を脱いだ男絶ちは何の疑念も抱いていないよう・・・

このあと、
6つのガス殺拠点


6つのガス殺施設とは?
グラーフェネック(ヴュルテンベルク)(A)
ブランデンブルク(B)
ハルトハイム(リンツ)(C)
ゾンネンシュタイン(ザクセン)(D)
ベルンブルク・アン・デア・ザーレ(ザクセン)(Be)
ハダマール(ヘッセン)



最初のガス室・・・ブランデンブルク
ガス室は、シャワー室に装う






6.殺害の中断
7.殺害計画の拡大
8.殺害計画の継続
9.障害者の犠牲者
10.マネージャーと監督者
11.医者とその他の殺人者たち
12.ジプシーの排除
13.障害のユダヤ人の殺害

14.最終解決
    独ソ開戦以降