abstract, universal
ideologies like communism and fascism. Because these ideologies’ claim to be in possession of the ultimate
truth is bound to be false, they can be imposed on society only
through repression and compulsion.
「コミュニズムやファシズムのような抽象的普遍的イデオロギー」と、ジョージ・ソロスはいう。
彼がいっているコミュニズムとは、スターリン体制化のソ連の主義主張と国家・政治の体制であろうし、彼がいっているファシズムは、ヒトラー・ナチスドイツ、ムッソリーニ・イタリアファシズム、そして天皇制絶対主義の日本の体制であろう。
これらが、究極の真理を自称・僭称し、現実に、抑圧と強制の社会体制を構築したことは、まちがいない。
しかし、たとえばナチズムの主張は、「普遍的イデオロギー」と特徴付けることができるか?
人種闘争、人種間の支配従属関係を永遠の歴史法則と見るような歴史観は、「普遍的イデオロギー」といえるか?
人種の生存闘争において自民族(自分の属する人種)の優越と支配の正当化を主張するイデオロギーは、「普遍的イデオロギー」といえるか?
ナチズムは、「普遍的イデオロギー」ではなく、特殊的であり、特定の民族・特定の人種にだけ優越や支配を認めるイデオロギーだったからこそ、支配・抑圧と戦争への道だったのだ。特定の人種・民族の主義主張を「普遍的」と僭称し、「究極の真理」と主張し、自国民と周辺諸民族、世界に押し付けようとしたから、原理的にも現実的にも敗北したのだ。
スターリン体制のような生産手段の国有化を基軸にすえた国家統制体制・一党独裁体制とそのもとでの官僚主義統制経済・計画経済のシステムが、「普遍的イデオロギー」といえるか?
それらの主義は、きわめて特殊であり、世界史上、例外的であり、非人類的非普遍的であった、というのが実態だろう。
これに対して、ソロスも、universalという概念を使用している。つぎのように。
The other source is universal,
leading to an open society guided by universal human
rights that protects and promotes the freedom of
the individual.
Universalなものがあるということをソロスも承認している訳だ。
とすれば、問題は、何がuniversalかということだ。
ソロスは、「個人の自由」、「もろもろの人権」を、universalとしている。
世界全体、人類全体に普遍的にuniversal適用されるべきものとしての「個人の自由」と「人権」。
これらこそが、「オープンな社会」、「開かれた社会」を導く(へ導く)原理として、普遍的universalたるべきものとされている。
しかし、世界全体が見渡せるようになったのは、しかも、ごく普通の人びとにも科学技術の発達を通して、したがって新聞・テレビ・インターネットなどを通してであり、人類の世界史的発達・発展の結果である。
人類史をつらぬく、理性の発達、感性の発達、それらの豊富化・多様化、この大局の現実的土台の上に、universal概念が把握されなければならないだろう。