ナショナリズム論20100714配布資料
前回の安宅さんの「中間報告」に対し、多くのポジティヴな感想。
T君・・・「非常に興味深かった。パレスチナ問題、何となくでしか把握していなかった分、非常にためになった。自分もテーマに設定しようと思った・・・」
Aさん・・・「問題の一つ一つに対して説明が丁寧で、テンポよく、自分でも整理しながら聞くことができた」
Tさん・Kさんなどかなりの数・・・「わかりやすかった」「大変複雑で難しい問題だと思いますが、とても簡潔で分かりやすくまとまっていました」
N君A・・・「つい最近、イスラエルに対しトルコが国交断絶を通告する瀬戸際となり・・・・」、「タイムリーなもの」。
Aさん・・・「卒論に向けてアフリカの民族紛争に関連したネイション・ビルディングなどについて調べているので、関連性があってとても勉強になった」。
Nさん・・・「公務員試験の真っ最中なのですが、そこでも、イスラエル、パレスチナ問題は時事問題で取り上げられており、非常に社会的にも、試験問題としても注目されている・・・」
Yさん・・・「パレスチナ問題についてよく知らなかったのですが、イギリスの三枚舌って、なんて卑怯なんだと思いました」
・・・コメント:国際紛争が戦争に向かう時、とりわけ世界戦争の渦中にあって泥沼化の中で死闘が続けられている時、双方に「卑怯」な行いも多発。毒ガス戦が始まったのは、第一次大戦。
A君・・・「宗教の問題が大きいと思っていましたが、歴史的経緯の中で様々な要因があることが知れてよかった・・・」
講義に関する疑問
・「トランスナショナルとは?」
コメント:国境横断的、国境をまたぐような国境の壁・垣根の低さ・・・最先端の状況は、EU。
27カ国・・・「国」・「国家」・・・しかし、ひと、もの、かねの移動はきわめて自由。通貨も多くの国で同じ。
20世紀半ばまでの国家主権の構成要素のかなりの部分が、EU・その諸機関にゆだねられている状態。
世界の諸個人がインターネットで直接世界の国々の人・HPなどと結びつく。そこに国境などの障壁は存在しない。こうしたトランスナショナルの状況が、ますます急速に進展している。
・「今回の講義を聞いて、“ナショナリズムはどのような時に高揚するのだろうか”という疑問を抱いた」
コメント:「どのような時に」、「どのような問題で」高揚するのか、「どのように」過激化するのか、これこそナショナリズム論を中心課題ですね。その具体的あり方を、講義では、ヒトラーとナチスの台頭、戦争政策、独ソ戦や総力戦の敗退過程などに即してみて行くべきことを解説したつもりです。日々、パレスチナ問題、クルド問題、イラクの問題などで、現在でもナショナリズムの「高揚」、「過激化」の事件が起きています。じっくり考えてほしい、調べてほしい問題です。
・「どうしてユダヤ人はひどい目にあったのに、同じことをパレスチナ人にしてしまうのでしょうか?」
コメント:パレスチナで、イスラエルという国家を第二次大戦後につくったのは、「ユダヤ人」の中の特定の人々、すなわち、「シオンの地にユダヤ人の国家をつくらなければならない」というシオニズムの人々です。世界のユダヤ人の中には、すでに講義で何回も触れたことですが、シオニズムに批判的なユダヤ人がたくさんいます。シオニズムの人々は、無住の地に新しく国家をつくったのではありません。シオニストは、パレスチナの地に、すなわち、アラブ人が多くいた地域に(もちろんユダヤ人もいましたが)、ヒトラー政権下のドイツから、あるいはヒトラーが支配したヨーロッパの国々から、1933年以降、第二次大戦中に、そして第二次大戦の終了後に、移住した(入植した)人々です。そして、「ユダヤ人国家」を作り出した人々です。シオニズムは、まさに、ユダヤ人のナショナリズムのある特定の現れです。自分たちが新しく「ユダヤ人国家」をつくるために、領土を獲得しなければならない、その領土を武力をもって護ろうとする人々です。
ヨーロッパの反ユダヤ主義が、19世紀末に、ユダヤ人の中に「ユダヤ人国家」「ユダヤ人の民族国家」を建設しようというナショナリズムを生み出し、それが第一次大戦と第二次大戦の中で強化され、第二次大戦後に実現されたものです。ヒトラー・ナチスの排外的抑圧的ナショナリズムと共通する要素を、シオニズムの歴史とその国家建設の歴史が持っていたということではないでしょうか。
ビデオ教材(デンマーク公共放送製作)に関して:
Nさん・・・「アンネ・フランクの日記のことは、あまり知らなかったが、本物かどうかの論争が行われていることには、とても驚いた。国際的な歴史研究所の機関が、詳しく調査し、本物であるという報告書をまとめたにもかかわらず、それを読んだか読んでいないかは分からないが、多分読んでいないような人たちが、『あれはくだらん』などと結論付けていたことにも驚いた。彼らは、虐殺の事実を否定しようとしている。そうなることはないと信じてはいるが、ことが風化してはいけない、またさせてはいけないと思った。歴史が苦手なので、単に、「勉強」としてユダヤ人迫害を考えていたが、風化させないためにも、もっと歴史を知らなければならないと思った。また、それは日本のナガサキ、ヒロシマの原爆についても同様だと思った。」
Fさん・・・「アンネの日記で論争があったとは知りませんでした。ビデオのネオナチの主張が聞けず残念です。」
コメント:ネオナチの人々が、アンネの日記を「贋作だ」とから、「くだらん」などと言っていたことは既にみた部分でもありましたね。他の人の感想文にも、ネオナチの人々がどのような主張の仕方をするかに「恐ろしさ」を感じるというものがありました。なお、ビデオの続きに関する要望などもありましたので、他の問題に関するネオナチの主張をもっと確かめたい、という意味なのかもしれません。7月14日の講義の最初に、少しの時間、続きをお見せしようかと思います。
Tさん・・・「映像の中にあった本棚の隠しとびらや階段は本物のアンネが住んでいた建物ですか」
・・・コメント:はい。そうです。私も、1975-77年のドイツ留学中(ボーフム大学・ルール地方の大学)、行きました。ボーフムから自動車で2時間半くらい(アウトバーン)のところにアムステルダムがあり、何度か行きましたが、この「アンネの家」で、隠し扉や屋根裏部屋を見ました。世界中で日記が翻訳されており、その展示が印象的でした。みなさんも、是非、一度、行ってみてください。
Nさん・・・「ネオナチのビデオですが、これはドイツに限ったことではないものです。日本でも、歴史修正主義者は、『つくる会』などに見られます。個人的には賛同できるものではありませんが、歴史的事実というものは、実に不確かなものであると思います」・・
コメント:歴史は風化する。ドイツの人々、世界の人々、日本の人々は、ホロコースト、ユダヤ人虐殺の「歴史的事実」を、どの程度、知っているか? 第二次大戦が「大昔」にあったことのように人々の記憶から消え失せる時、(そもそも第二次世界大戦を経験した人がほぼいなくなってくる状況では)、過去の「歴史的事実」を「知る」ためには、学習しなければならない。加害の事実も被害の事実も。たんなる受験勉強の個々ばらばらの事実の「記憶」では、まったく不確か。
「歴史的事実」、歴史の真実を探求してきた歴史研究とその成果(論文・著書など)を研究する必要がある。学生の人も、さまざまの研究書・研究者の歴史探究から学ぶことが必要では?そして、自分なりのしっかりした歴史認識を豊かにしていく必要があるのでは?期末レポートなども、その一つの積み重ね。
Cf.現在校正中の拙稿「ハイゼンベルク・ハルナックハウス演説の歴史的意味」の「はじめに」)を参照してください。
ホロコースト否定論・アウシュヴィッツ否定論の日本の大手出版社雑誌への登場
・・・『マルコ・ポーロ』事件。それに対する歴史科学からの対応。
(「アウシュヴィッツにガス室はなかった」という記事を掲載した編集長は、最近では、従軍慰安婦否定論で論陣を張っているようである。
Yさん・・・「ドイツのコンクリートブロックは、とても画期的だと思います。『何だろう』という疑問から、ちゃんと知らなければならない、という考えに結び付くと思います。そういうものが沖縄にあるのだろうか。沖縄での集団自殺も、アンネの日記のように、『なかった』ものとされてしまうのだろうか。・・・」
Y君・・・「映像を見て、とても驚くと同時に、行き過ぎたナショナリズムは人々をこんな風にさせてしまうのか、と恐怖を覚えた。過去のまちがいは素直に認めて、新しい関係を作り上げるという単純なことが、戦争を経験した当事国にとってとても難しいことであるが、大事なことなんだと痛感した。」
Tさん・・・「ドイツ人がユダヤ人大量虐殺は無かったと主張していることに驚きました」
コメント:ビデオの中で何度も登場した作家アーヴィングは、イギリス人である。彼は、ドキュメンタリー風の歴史小説をたくさん書いている。日本語でも『ヒトラーの戦争』という本が翻訳されている。彼は、ネオナチ集会に出席し、アウシュヴィッツ否定の演説などを行った廉で、逮捕されてもいる。アメリカには、人種差別主義、黒人や有色人種を差別・軽蔑する白人主義の潮流がひとつの強い流れとしてある。
ホロコーストを否定する人々のなかには、イランの大統領などもいる。その主義主張には、反イスラエル・イスラエルを支援するアメリカに対する激しい批判意識がある。「イスラエルの言うことは信用できない」、「ユダヤ人が言っていることは嘘だ」、「イスラエルが建国の正当化の理由としているホロコーストは嘘だ」など。
I君・・・ベルリン中心部のコンクリート群の歴史記念とも関連して、「サッカー関連の話なのだが、ドイツ代表の顔ぶれをみると非常に面白い。ドイツ代表は、トルコ、ガーナ系の移民出身の選手が増えてきた。なかでもポーランド系移民の中心的な選手は、ドイツの国を代表することにどう感じているのか。ドイツ対ポーランドの試合が過去にあったが、ゴールを決めたポーランド系移民のドイツ代表選手は喜びを表現せずに複雑な面持ちをしていた。
アウシュヴィッツを訪れる外国人で一番多いのがドイツ人だという。私もドイツを訪れたことがあるが、ベルリンの街にはあちこちに戦後のモニュメントや遺品を見ることができた。WWIIから現在までを見ると、ドイツ人たちはどの世代にも罪の意識を持ちながら生活していることがうかがえた。私はそれに感心した。日本はどうだろうか。歴史の真偽を今さら問おうとしている(教科書問題など)。日本人がドイツにもっと訪れる機会が増えれば、考え方も変わるだろうか。
コメント:サッカーに関して・・・「国別対抗」という現在の在り方、ナショナリズムの感情が公然と噴き出す「国別対抗」が、実際には、その「国」の意味を相対化するような移民系の人々も加わったチーム編成ということで、排外的で抑圧的な危険な方向への過激化を抑止するようになってきているのではないか。それは、まさに、「トランスナショナル化」現象の一部ではないか?
歴史への向きあい方に関して・・・私の講義でも、日本の明治維新以来の急速な軍国主義化・帝国主義化・植民地主義化に関して、ほんの少し触れるだけで(日本における自由主義・反帝国主義・反植民地主義の代表的人々に関しては、石橋湛山の例や特別講義の朝河貫一の例、幸徳秋水の例などに言及したが)、ドイツのことを中心に話してきた。
日本における教育(特に歴史教育)が不十分であること、日本の「過去の罪」をしっかり直視する点において弱いことを、どうすれば克服できるのか。われわれ一人一人に問いかけられている。
侵略や植民地支配の歴史を見ようとしないこと、そこに、日本人のなかのナショナリズムの問題性がある。
ドイツとの違いは、なぜ発生したのだろうか? これも重大問題。熟慮検討すべき問題。
ドイツは、第二次大戦後、ベルリンの壁の崩壊まで、ソ連に東半分を占領されていた状態であり、
西側地域にも、西ベルリンの米英仏参加国の軍隊がいたことなど、連合国の合同での監視、というシステムが機能していたのではないか?
それに対して、日本は?
アメリカ合衆国の単独占領、アメリカ合衆国への「従属」といった大きな枠組みの中にあって、「従属」の側面は意識にのぼらず、アメリカとともに対ソ連・対中国といった冷戦体制のなかで、「居心地の良い状態に置かれてきたのではないか?
日本は、あまり過去のことを直接追及される機会がなかったからではないか?
すなわち、日本の占領や植民地支配によって苦しめられた国々(中国や韓国)が、日本の戦後占領の担い手ではなかったという現実が大きく作用してはいないか?
もしも、歴史の事情が別のもので、中国や朝鮮の軍隊がアメリカ合衆国軍隊と連合国として共同して、日本を占領していたらどうだったか?
ドイツの保守・右翼の人は、すくなくとも、ドイツに比べれば、どれほど日本が恵まれていたか、ということを強調している。(前回の講義資料の最後の部分に、掲示しておいたドイツ右翼の発想を参照されたい。)
「あなた方は何を失ったというのです。千島列島ぐらいでしょう。それもほとんど人も住んでいなかった。・・・ドイツがどれほど広大な領土を失ったか。・・・歴史に正義などないが、戦後の日本の運命は大変得をしてきたのは事実だ。追放問題を日本に伝えるのなら、日本がいかに運が良かったかをも人々に伝えていただきたいものですね!”」
平野洋『ドイツ右翼の系譜−21世紀、新たな民族主義の足音−』現代書館、2009年7月刊。
しかし、他方で、ジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』で描かれているように、日本国民の多くは、敗戦から多くを学び、日本国憲法の第9条を大切にすることによって、平和愛好国家・経済成長国家の路線を推進してきたことも事実であり、その平和愛好路線の堅持の側面は、戦争に対する反省、軍事力による帝国主義・植民地主義への深い反省をあらわしていたのではないか?