1938年12月 核分裂の発見
2009年3月撮影の核分裂発見記念版
(場所:ベルリン自由大学・研究所の建物群…西ベルリン…科研調査報告HP)
上の大きな銅板に、オットー・ハーンとシュトラスマンの核分裂発見が銘文で顕彰されている。
下にある四角い銅板には、リーゼ・マイトナーが「1913年から1938年までこの研究所で仕事をし」、
「核分裂の共同発見者(MITENTDECKERN DER
ATOMSPALTUNG)」と明記されている。
オットー・ハーンにノーベル化学賞(1944年のものが1945年に)が与えられた当時から、リーゼ・マイトナーも共同受賞すべきだとする議論があったようであり、マイトナーもその意味で
不当さを感じていたようである。下記の銘板が掲げられたのが、いつのことなのか、
どのような経緯があったのか、興味がわく。
(1932年にマイトナーの助手となったデルブリュックの顕彰が1969年の彼の
ノーベル生理学・医学賞受賞を契機としたものとすれば、この銘板の掲示は
マイトナーにとっては、ハーンにくらべ、かなり遅れたということになる。)
実際に、核分裂が発見されたのは、マイトナーが去った(去らざるを得なくなった)後、1938年12月であり、
彼女がオランダ経由でスウェーデン(ストックホルム)に落ち着いた後のことであった。
科学的な分裂物質の発見がハーンとシュトラスマンによるとしても、
その実験結果の物理学的意味付けに関しては、
ハーンがマイトナーに意見を求めて、彼女からの解釈が届いて明確になったものである。
ただ、マイトナーは亡命の身であり、ハーンとシュトラスマンの連名での核分裂発見の学術雑誌論文に
彼女の名前を載せることはできなかった。
しかし、いずれにせよ、ハーンとマイトナーの長年にわたる共同研究の積み重ねが、
1938年末に、核分裂発見(核分裂の人工的創出・核エネルギーの人工的解放)という
結果をもたらしたということは確実である。
ナチ支配の時代、その直後の時代でなければ、マイトナーも十分に共同受賞者となりえたことは想定される。
(R.L..サイム著鈴木淑美訳『リーゼ・マイトナー-嵐の時代を生き抜いた女性科学者-』シュプリンガー・フェアラーク東京、2004年)
なお、現在では、マイトナーの核分裂の共同発見の功績は、元素名として顕彰されている。(ノーベル賞の受賞より高い評価、ともいえる)
109番元素=マイトネリウムMeitnerium・・・「109番元素のマイトネリウムの名は、ウィーン生まれの女性物理学者リーゼ・マイトナーに捧げられてた。ハーンとともに放射能や中性子核分裂に関する研究を続け、ウランやトリウムの中性子による核分裂反応を理論物理学的に解析することに成功した。マイトネリウムは、ドイツのダルムシュタットの重イオン研究所で、209Bi に 58Feiイオンを衝突させてつくられた。化学的性質はまだ研究されていないが、イリジウムに似ていると考えられている。」(桜井弘『元素111の新知識』講談社、2000年、424ページ)
アメリカに亡命した物理学者たちは、ハーン、ハイゼンベルクなどドイツの科学者の核開発における科学的な自主的努力・実際的開発の力量をある意味では見誤ってはいなかったといえる。マンハッタン計画の科学技術的中心オッペンハイマーもドイツで学んだ。彼ら物理学者・科学者といった研究者以外の諸軍拡要因がナチス・ドイツにあれば、「脅威」は現実的だった、あるいは現実に転化したということになる。
アメリカに亡命した科学者たちの危惧は、単なる妄想ではなかった。彼らがワイマール期までのドイツ科学・ドイツ工業力などに関して知っている事実、認識に基づくものであった。
(カイ・バード/マーティン・シャーウィン著河邊俊彦訳『オッペン・ハイマー(上、下)』PHP、2007年)
だがまさに、それ以外の軍拡を実現する重要な諸要因・諸条件は、ナチス・ドイツにおいて、どうだったか?
そして、それらは、ヨーロッパ・ユダヤ人を排気ガス(CO)・害虫駆除剤の毒ガス(青酸ガス・製品名ツィクロンB)で殺害するナチス・ドイツの総体的権力状況とどのように関連していたか?
アメリカは大統領の特別承認のもと、極秘で(同盟国等外国への武器移転の精神とは全く逆に、副大統領トルーマンにすら秘密にして)、危機意識を持って莫大な人的物的資源を、最終的には25億ドル・12万人・ノーベル賞・ノーベル賞級の多くの学者などを投入して開発に邁進した。
しかし、原爆完成の見込みが立ったころには、ナチス・ドイツの崩壊は目の前だった(だが、それまでにナチス崩壊に貢献したのは、どこの国だったのか?)。
アメリカの原爆投下先は日本に変更された。原爆実験に成功したのは、それでもドイツ無条件降伏の2か月ほど後、7月16日にやっとであった。
ナチス・ドイツには何が欠けていたのか?
その間、ナチス・ドイツでは何がどこまで行われ、何が行われなかったのか、その諸条件は?
ドイツに原爆開発を進めさせなかった諸条件・ベクトル群は何か?・・・軍拡、原爆開発における独ソ戦・世界大戦・総力戦の総体的弁証法。
翻って、今日の世界に求められている軍縮、核廃絶の総体的弁証法は何か?(問題意識・課題意識)
その場合、核爆弾体系を維持する費用群の総体をそれぞれの国民所得のなかでどのように負担できるか、新たな地球環境維持=人類生存のための巨額の費用=負担との競合関係などが、問題となるであろう。
そこではまた、人類生存、地球の持続可能性の危機・脅威の真実度、危機・脅威の科学的認識度、その社会的世界的認知度などが、総合的に関係してくるであろう。真実が人々をとらえない限り、現実社会を動かすことにならない。
冷戦解体後20年、なぜ、冷戦期の核爆弾体系を維持し続けるのか?
どこにこの地球規模での膨大な核爆弾体系を保持すべき脅威があるのか?
むしろ、地球環境汚染、世界的な格差の拡大と中東などの地域紛争の泥沼化・テロの危険といったことに対処するには、莫大な人的物的資源が必要であり、可能な諸資源をそちらに振り向けるべきではないか? などなど。
オバマ大統領の登場、その核廃絶演説(プラハ)、その後の行動は、全世界の力を合わせて、支援し、前進させるべきものであろう。