ヒトラーは、ウィーンには1913年春まで。
その後ミュンヘンへ。


1913年にミュンヘンに最初に来た時のヒトラーの住所
(ある説ではSchleissheimerstr.31とされるが、その番地は現在は公園になっていた・・・写真は次の説の34あたり)

 
(同じ通りの34とする説 Cf. Muenchen. The Hitler Pages





1914年夏の第一次大戦勃発…ヒトラーはミュンヘンで志願兵に。

(上の場所は、英雄廟・テアティーナ教会・オデオンプラッツ・・・・1923年11月にミュンヘン一揆を引き起こし他ところ、逮捕されたところ)

オデオンプラッツ(英雄廟前)で、宣戦布告の声明を聞くヒトラー(有名な写真)・・・・「志願」

(ただし、最近の本格的研究者Gerd Krumeichによれば、「嘘の写真」(でっち上げ写真,偽造写真)とされる。ドイツ博物館ベルリンの展示案内でも、この写真は「偽造の可能性あり」と。後に、大統領選挙などに出馬した際、ヒトラーは「兵役忌避者しゃないか」との反対派・批判派の厳しい声があり、それに対する反論の視覚的素材として、大々的にナチ党写真雑誌などにけいさいされたもの、と。)
    
戦場で何度も負傷。「英雄的行為」で、鉄十字章。
西部戦線で毒ガスを浴びて「失明の危機」にも。

戦後、復員。
軍から諜報員として右翼政党(ドイツ人労働者党)に送り込まれた。
それをいわば乗っ取る形で、党首になり、ナチ党に。
その段階での住所

第二の住所Tiersch15






初期ナチ党の集会などが開かれたトーアブロイ(イザールトーアそば)




ナチ党党首となっての私邸のあったアパート



ナチ党躍進後のヒトラー私邸(1929-1945)…現在は警察の建物に。






       
Polizeiの標識




ヒトラーの愛人エヴァ・ブラウン(1945年4月30日の自殺の直前、29日に結婚…ヒトラー遺言、参照)の住んでいた家
(上のPrinzregentenstr.から近い・・・現在の通りの名前はDelbstr.)