2014年8月25日―9月6日 科研費出張(ミュンヘンのドイツ博物館の文書館およびノルトハウゼンのミッテルバウ・ドラ歴史記念館)



ドイツ博物館の文書館では、ドイツ航空機産業の一つ、ハインケル社のドキュメントを調査。重点は、ヴェルサイユ体制下の秘密再軍備とハインケル社の関係の探究。
ただし、ユンカースやメッサーシュミットとの比較も念頭に、特徴がどこにあったかを浮き彫りにすることに力点を置く。

成果の一部は、拙稿「ヴェルサイユ体制下ドイツ航空機産業と秘密再軍備 (2)」『横浜市立大学論叢』第66巻 人文科学系列 第1号に掲載予定(投稿済み)。



 
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今回の調査旅行で、はじめてミッテルバウ・ドラの強制収容所の歴史記念博物館、その強制収容所の遺跡、その囚人を使ったロケット製造地下工場遺跡(そのごく一部―といってもかなりの長距離―が見学可能・・・歴史博物館の館員の案内あり)を見学した。

記念館入場料も史跡・地下工場も、見学無料。

ロケットを1943年夏から45年の敗戦までに6000基製造したというだけあって、巨大な地下工場であることを実感した。
1943年夏以降のドイツ敗退過程における巨大なロケット生産工場には、労働力が不足し、強制収容所の囚人を苛酷な条件下で活用せざるを得なかった。
そのことも見学を通じて、非常に鮮明に理解できた。

空襲を避けるための地下工場であり、立地は中部ドイツのハルツ山の中(そのコーンシュタインという山の中)。

大きな都市からは離れており、ミュンヘンから6時間ほどもかかった。鉄道切符にあるように、ミュンヘンからカッセル、そこから東へローカル線で。

また、ノルトハウゼンからも強制収容所史跡・博物館最寄駅のクリムデローデまで、狭軌鉄道(ノルトハウゼンからヴェルニゲローデないしブロッケン山への鉄道)ないし特別のバスで行くしかなく、本数が少なく極めてアクセス条件は悪い。

クリムデローデ駅から徒歩で10分ほどで史跡入口、そこからさらに記念館まで15分ほど。

(余談になるが、クリムデローデ駅から史跡までの道筋は、ゲーテがブロッケン山に上るために通った道、ということで、その銘文石碑が路肩にあり、ゲーテ通りGoetheStrasseと命名されていた)

     (記念館Gedenkstaetteの公式HP)

     地下工場史跡のYou-Tubeによる紹介(このビデオの場合、男性案内人、私の場合は女性の案内人だった)
     (長大な地下トンネルの工場規模は、ビデオの初めの方で、模型で示されている)

     グーグルマップによるミッテルバウ−ドラのドイツにおける地理的位置の確認

初日は、夕方着いたので、歴史博物館を見るだけで終わった。
二日目、強制収容所跡や地下工場を見学した。
二日間に分けてみるだけの価値はあった。

帰路、ドイツ鉄道の遅刻(45分)のため、ミュンヘンのホテルに帰り着くのが22時過ぎだった。



     記念館ないし歴史博物館の展示史料を収めた冊子

           




1943年とは、ナチス・ドイツにとって、どういう年か?

1942年夏から1943年1月末までのスターリングラード攻防戦で敗北した後、クルスクの史上最大といわれる戦車戦にも、敗北した状況。
連合国のドイツに対する攻撃が日増しに強まる状況。

同盟国イタリアに対する連合国の攻撃で、イタリアが降伏する状況。


ドイツのロケット開発の拠点は、バルト海沿岸のペーネミュンデにあったが、そこも1943年8月中旬、イギリス空軍の空襲で破壊されてしまった。

そこで、地下工場建設へ。そして、V2(報復兵器を意味するVergeltungswaffeのV)ロケット製造へ。

ヒト・モノ・カネが窮迫する中で、苛酷な掘削作業を囚人に行わせて、山中にトンネルを掘って(すでに燃料保存用の地下壕―トンネルがあったところを拡張)、ロケット生産。





1943年1月末―2月初め…スターリングラード敗北(赤軍兵士の勝利の旗)



ユダヤ人財産の没収とドイツ支配下ヨーロッパ全域からの労働力調達


ソ連における強制労働と総力戦決起のベルリン・スポーツ宮殿


ペーネミュンデでのロケット発射実験―その失敗の写真


ロケット製造責任者のドルンベルガーなどとフォン・ブラウン


軍需大臣シュペーアとヒトラーの兵器実験視察(1943年6月15日)


地下工場への入り口



作業する囚人と組み立てたロケット (生産ラインの囚人は、それなりの専門的技術を持った囚人で、「優遇」された地位)


作業する囚人とDora−Mittelbau-Mittelwerkの意味内容



地下工場の立地・・・ノルトハウゼン−ドラの立地ー中部ドイツの山の中(ハルツ山中ー南ハルツ)