20150726-0807ドイツ博物館アルヒーフ(ミュンヘン)、ユンカース博物館(デッサウ)、ドルニエ博物館(フリードリッヒスハーフェン)の調査
科研費基盤(A)「軍縮・軍備管理の破綻の総合的歴史研究」(研究代表・横井勝彦明治大学教授)の分担研究、および、
私立大学戦略的研究基盤形成支援事業(大型研究)「明治大学国際武器移転史研究所」―研究代表:明治大学・横井勝彦教授―における共同研究の一環として
問題意識:
両大戦間期において、ヴェルサイユ条約体制による軍縮・軍備管理を打破したのがナチス・ドイツであった。
ヒトラー・ナチス政権が政権獲得後ただちに空軍建設を開始。秘密再軍備を大々的に行った。
それが可能だった諸要因にはどのようなものがあるか?
第一次大戦で勃興・急成長を遂げたドイツ航空機産業のヴェルサイユ体制下での行動は?
ワイマール期・ヴェルサイユ体制下の秘密再軍備の程度は?
その程度は、ナチス政権の大々的空軍建設を説明することが出来るか?
第一次大戦後の軍縮気運のなかで、禁止ないし制限されていた空軍建設のための努力など、それを覆す諸要因は、どのようなものがあったか?
民間機輸出の役割は?
ヴェルサイユ条約制限下の生産拠点の一部移転の意義は?
第一次大戦における新たな兵器としての航空機が、軍縮解体に果たす役割はどのようなものか?
第一次大戦後の状況が示す武器移転概念の深化ないし新たな展開の可能性は?
飛行機の用途としての軍需・民需の相互転換可能性・・・当時の発達状況との関係
民間飛行機が軍用飛行機へ転用・・・用途・機能の転回、
軍用飛行機が民間航空機に転用・・・用途・機能の転回
武器移転の経路の多様性・・・民需品としての輸出、しかし、輸入国では武器に転換・・・用途・機能の転回。
その移転の性格・方向性を左右し決するのは何か?
社会経済史学会パネル報告(20150530)の課題意識・報告内容の発展・実証的精密化・対象企業の拡大、
陸軍兵器局に関する拙稿、ハインケル社に関する拙稿、ユンカース社に関する拙稿を踏まえて、ドルニエ社を今回追加。
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7月26日12:30 羽田発、ミュンヘン空港着、Hotel Europäischer Hof
7月27日〜30日 ドイツ博物館アルヒーフ(文書館)・・・ドイツ航空宇宙産業関係ドキュメント、企業文書:Firmenarchiv(FA) Junkersなどを調査。
7月31日〜8月2日 デッサウのユンカース博物館の実態調査。ユンカースとバウハウスの協力・共鳴関係から、バウハウス博物館にも調査の足を延ばす。Hotel
Radisson Blue. Fürst Leopold Hotel.
さらに、ミュンヘンへの帰路、ライプツィヒで、第二次大戦後の東ドイツの歴史に関する回顧展-豊富なドキュメント・映像の展示―を見学。
8月3日 ドイツ博物館アルヒーフで仕事継続
8月4日 ボーデン湖畔、フリードリッヒスハーフェンにあるドルニエ博物館の調査。
8月5日〜6日13時 ドイツ博物館アルヒーフでの史料調査継続。
8月6日 午後、ミュンヘン空港、帰国の途へ。
8月7日 午後15:50羽田着
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ドルニエ社を中心に、ヴェルサイユ体制下での飛行機産業の発達をフォロー。
ドルニエ社のドキュメントは、ハインケルやユンカースに比べて多くははなかった。
しかし想定外の成果として、ドルニエ社がユンカースとの競争企業として成長を遂げたことから、むしろ、追い上げられるユンカースの企業文書の中にドルニエに関する言及・ドルニエとの争い(特許紛争・訴訟など)に関する文書等が多く含まれており、ヴェルサイユ体制下ドイツ飛行機産業発展の実態を解明するうえでは、貴重な史料調査ができた。
史料調査を踏まえたドルニエ関連論文は、近いうちに横浜市大論叢に投稿を予定(2015年10月9日投稿)。
1.ドイツ博物館とそのアルヒーフ(図書館内3階フロア)
ドイツ博物館外観
ドイツ博物館 本館 展示館
ドイツ博物館の図書館・・・この最上階にアルヒーフ・フロアがある。
DMA閲覧室の位置・・木陰になっているが。
図書館の玄関ホール
ミュンヘン・フラウエンキルヘの鐘の時計装置(1842年製)が飾られている
図書館玄関ホール 壁にグーテンベルク半身像
玄関ホールから2階への階段
2.ユンカース博物館
デッサウの地図・・・ユンカース博物館とバウハウス
マイスターの家々(Meisterhäuser)・・・グロピウスなどバウハウスの代表者たちの自宅建物
ユンカース博物館 敷地入口
技術博物館・フーゴー・ユンカース
ユンカース工場建物を利用した博物館
屋外展示…各種飛行機
構内すぐに展示されている飛行機―東ドイツ時代のもの
東ドイツ時代の遺物としての各種飛行機の屋外展示
こうしたことは、ペーネミュンデ調査の時にも、旧ソ連の潜水艦が係留され海事博物館として利用されていることと共通する。
博物館内入場
入場券
Junkers 52・・・この旅客機の機種が、ナチス政権誕生直後の大々的
秘密再軍備(ミルヒ計画)では、爆撃機に転用された。
1934-35秘密再軍備における機種・機数
Junkers 52
Junkers 52 機内空間
Junkers 52 機内空間 操縦室
Junkers 52 機内空間・・・10座席
エンジンは、BMW・・・・・BMWのクローバが見える
BMWエンジン
Junkers F 13
F13の解説
ユンカース・エンジン Type 15
1926年頃のユンカース工場群―デッサウー
1943年当時ユンカース工場の建物群
ユンカース社年表
1918年の戦争終結、その後の政治的激変、そしてヴェルサイユ条約によって、ユンカース教授はもっぱら、運輸飛行機(旅客機・貨物等輸送機)=民間機に方向転換した。
・・・・・生産転回・市場転回・軍用機から民間機への転回、民間交通発達の道具に。
彼は、飛行機が取り結ぶ平和的な諸国民結合の諸効果を期待した。
1919年 F13 ・・・・乗組員2名、乗客4名。
ユンカースF13は、世界的に最初の全金属製旅客機である。F13は、すべての運輸飛行機の「始祖」(Urmutter)tとみなされている、と。
ユンカース52/3m ・・・3エンジンユンカース52型
1932年3月7日 初飛行・・・旅客機・・・乗組員3名、乗客15-17名。
後、軍事目的のため、民間航空から「疎外」
全部で5000機が生産された。
戦後のユンカース・・・ソ連支配下の東ドイツ・・・ソ連飛行機建設への技術移転
フーゴー・ユンカース・・・先進的研究・開発・・・多数の特許をその時々の発明で取得
ユンカース教授の取得特許一覧・・多岐にわたる。
上掲の表によれば、フーゴー・ユンカースとその所有企業との特許総数380
そのうち、デッサウ時代ののフーゴー・ユンカース 227
アーヘン時代のフーゴー・ユンカース 93
すなわち、特許のほとんどがユンカース個人の特許。
後に、ナチス政権誕生後、これらの特許をすべて国家に譲渡することを強制され、
ユンカース自身はデッサウを追放される(ミュンヘンへ移住)。
日本で取得したユンカースの特許も。
フーゴー・ユンカースと
ルネッサンス時代に由来する市民ユンカース家紋章
バウハウス
グロピウス大通りとバウハウス通りの交差点にて
右手、バウハウス博物館入口
バウハウス博物館入口
伝統的な赤い屋根のドイツ建築
それと対比したバウハウスのモダンな建築様式。
対比は鮮明。
Meisterhäuser
グロピウスの家
デッサウで二泊した駅から徒歩5分ほどのバウハウス様式のモダンなホテル:Radisson Blue, Fürst Leopold Hotel
ホテル5階から旧市街=市中心部=伝統的建物群を見る↑
3.デッサウ→ライプツィヒ→ミュンヘンへ
ライプツィヒで、戦後東ドイツ史の回顧展を見学―ゲーテのファウストに登場するアウアーバッハ・ケラーそば―
戦後東ドイツ史展:分断と統一、独裁と抵抗
英語版
回顧展会場で入手したパンフレットー「われわれが人民だ!}・・平和的デモ=平和革命のスローガン!!
人民の名をかたる政府に対し、「われわれこそ人民そのものだ、われわれの意思・希望を尊重せよ!!」、すなわち、自由と民主主義だ、と。
4、ドルニエ博物館
(ボーデン湖畔フリードリッヒスハーフェン、飛行場に隣接)
入場券
Marine 海軍飛行機の展示
博物館隣接のフリードリッヒスハーフェン空港
博物館の展示物総覧
Do Xが、1931年デモンストレーション飛行で、ニューヨークに到着した写真
この写真が世界中に配信され、センセーションを呼び起こしたと。
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関連HP:過去の科研費等による出張記録