『アウシュヴィッツへの道』の合評会
提起された問題点・批判点とそれに対するさしあたりの回答
[質問と疑問 1] 絶滅政策への転換点についての1941年7月説(栗原説) vs. 1941年12月 説(永岑):
二つの時点の区別にどれほどの意味があるか?
何に関心を持つか、何を解くべき問題ととらえるか、
無限の問題、多様な関係者・・・「ナチス収容所元速記者(女性97歳)に有罪判決」新聞記事2022-12-21朝日・夕刊
栗原優氏の拙著『ドイツ第三帝国のソ連占領政策と民衆 1941-1942』(同文館、1994)への書評がひとつの重要な出発点。
1.拙著へのいろいろの疑問点が評されているが、はっきりと、7月説の立場から、「研究史を無視している」と批判された点。
発端は、「世界的に論争になっている問題点なので、これを解明しよう、12月説の立場から」
・・・わたしにとっては、ドイツ現代史からの批判に対する実証的反批判という点で、極めて重大な意味。
・・・ 世界的論争との関連では、意図説・プログラム説 VS 機能説・累積的累進的過激化説
その対抗関係の中で、わたしの立場は、意図と機能のダイナックな絡み合いで見る見地
(一言で、弁証法的対立闘争のダイナミックな諸関係の見地)。
二つの時期の決定的違い:
・41年7月…バルバロッサ作戦の貫徹=対ソ攻撃電撃的勝利の予感・幻想が、まだ大きかった時期
・41年12月・・・対ソ戦が「冬の危機」なかで泥沼化し、その苦境の中で、真珠湾攻撃を受けた対米宣戦布告、文字通りグローバルな世界大戦に突入。
わずか数か月の違いとは言え、戦況・戦局・占領地全体の治安等の悪化という決定的違い、これを見るか、見ないのか。
・意図説・プロフラム説の主要な論拠・・・1939年1月30日国会演説
ドイツ語原文Pdf
意図派・・・ヒトラーの言説の文脈を無視したい解釈
1939年1月30日のヒトラー・・・・オーストリア併合続いてズデーテン併合に成功し、歴史上まれにみる大ドイツ帝国を建設したという成功勝利の意識・・・世界戦争が今度起きたら、第一次大戦のようなことにはならないぞ、すなわち、「地球のボルシェヴィキ化」などさせないぞ、むしろ、逆に、「ヨーロッパのユダヤ人種の絶滅だ」と。
今度世界戦争になったら、ナチズムが勝利し、ボリシェヴィキ勢力を殲滅する、という文脈の中で、「ヨーロッパのユダヤ人種の絶滅」を掲げている。
実際に進んだ歴史過程は、対ソ戦で電撃戦に失敗し、撃退され、敗北へと向かう。
「ユダヤ人種の絶滅」政策が実際には、ナチス・ドイツ敗北の中で起きたこと。
「意図」や「プログラム」とは全く相反する現象・事態としての「ヨーロッパ・ユダヤ人種の絶滅」なのである。
意図やプログラムの結果ではなく、ソ連を電撃的に苛烈に制圧し支配する(バルバロッサ作戦)という意図やプログラムの失敗・挫折の結果として、追い込まれた結果としての、ユダヤ人大量殺戮。
わたしの論文・本に一貫して流れているもの・・・闘いの弁証法・戦争の弁証法。
最初の単著『ドイツ第三帝国のソ連占領政策と民衆 1941-1942』
第二の単著『独ソ戦とホロコースト』
第三の単著『ホロコーストの力学――独ソ戦・世界大戦・総力戦の弁証法』
第四の単著『アウシュヴィッツへの道――ホロコーストはなぜ、いつから、どこで、どのように』・・・合評会対象
この本で紹介した全16巻の最新史料集は、欧米の研究蓄積を踏まえ、体系的史料により、
「12月説」、「累進的過激化」を立証しているとみる見地。
対象が世界戦争である以上、弁証法的関係は、方法的には、世界的規模での関係。
ただし、実証的に迫れるのは極めて限定的。
わたしの現在の到達点と課題・・・『アウシュヴィッツの歴史的文脈』をまとめようとする見地(Pdf)。
この見地での論文:
①「第三帝国の全面的敗退過程とアウシュヴィッツ 1942‐1945」『横浜市立大学論叢』社会科学系列、73‐1。Pdf.
②「第三帝国敗退最終局面とハンガリー・ユダヤ人の悲劇――1944‐1945大量殺戮の歴史的文脈」『横浜市立大学論叢』社会科学系列、73‐2・3合併号。PdfPdf
③投稿中:「独ソ戦・世界大戦とドイツ・西欧ユダヤ人の東方追放――「ユダヤ人問題最終解決」累進的急進化の力学――」『横浜市立大学論叢』人文科学系列、74‐1(高橋寛人教授退職記念号)投稿(2022年8月31日)
Cf.その見地での最近の書評
①『週刊読書人』書評・・・板橋拓也『分断の克服 1989-1990――統一をめぐる西ドイツ外交の挑戦』
②『社会経済史』書評・・・中野智世・木畑和子・梅原秀元・紀愛子『「価値を否定された人々」―ナチス・ドイツの強制断種と「安楽死」―』
③『週刊読書人』掲載書評:菅野賢治『「命のヴィザ」言説の虚構――リトアニアのユダヤ難民に何があったのか?』共和国。
④『週刊読書人』書評(7月19日号掲載)-:ニコラス・チェア/ドミニク・ウィリアムズ『アウシュヴィッツの巻物―証言資料―』
(二階宗人訳、みすず書房、2019年5月10日刊)
⑤『週刊読書人』―書評:「映画『夜と霧』とホロコースト」(スキャンファイル)
なお、ヒトラー・ナチス体制・人種民族帝国主義の確立から戦争への過程で、反ユダヤ主義がドイツの中小企業の競争相手排除など実利的なものと結びついていたことは、職業官吏からのユダヤ人排除が非ユダヤ系ドイツ人に有利に働いたことなども含め、多層的多元的にみていく必要があることは言うまでもない。
最近のこの関連の仕事・・・山本達夫氏、山口博教氏等の研究html
2.独ソ戦から、世界大戦への推移・歴史的展開は、必然か、それとも偶然性の要素が?
ホロコーストをヒトラーの「絶滅命令」なるもの(意図・計画)で説明できるか?
そもそも、その独ソ戦から世界大戦への展開を規定した諸要因は何か?
ホロコーストを規定する要因にはどのようなものがあり、どのような要因が重要であるのか?
第一次世界大戦は、周知のように、開戦当時、長期・総力戦になるとは「だれも予想していなかった」(石井規衛『文明としてのソ連――初期現代の終焉――』(山川出版社、1995、22)。
ヒトラー・ナチスのポーランド侵略に始まる第二次世界大戦が、どのようにはじまり終わるのか、予想していた者はいたか?
ヒトラーの『わが闘争』以来一貫した「ロシアとその周辺」を支配する東方大帝国建設の戦略を誰が現実的なものとみていたか、またその戦争の進展をだれが、予測し得たか?
ヒトラーが電撃的にソ連を征服するというバルバロッサ作戦を命じたとき、だれが、その非現実性と敗北とを予測し得たか?
第二次世界大戦の帰結――われわれが知るところのもの――は、諸勢力・諸国の闘いの結果でしかない。結果だけを見ると、その背後にあった多様で敵対的な諸要因が、見失われてしまう。
ソ連:
ボルシェヴィズムの支配するソ連への侵攻。
ボルシェヴィズム体制打倒。
ユダヤ・ボルシェヴィズムの打倒・ユダヤ・ボルシェヴィズムの殲滅。
ポーランド:
強固で鮮烈なナショナリズムの支配体制としてのポーランドでは、そのポーランド・ナショナリズムの担い手(ポーランド社会のエリート・軍人等)の殲滅
「カチンの森」(ソ連スターリン体制によるポーランド人エリート将校など捕虜2万人の射殺)
・・・・スターリン体制のソ連ナショナリズム・ポーランドナショナリズムとその担い手の抹殺。
独ソ戦⇒世界大戦という世界史的展開こそが、ヨーロッパ・ユダヤ人に対する絶滅政策を規定する決定的要因、という見方。
関連する疑問点・コメントについて:
「移送困難→殺戮という事態の展開・論理は「1941.12」の 前と後とで変わらない」との把握に関するわたしのコメント。
・回答…単に「前と後」の問題ではない。
・移送・移住(政策)が問題になるのは、ソ連以外のヨーロッパ・ユダヤ人。
・ソ連ユダヤ人は、占領地=急速に広がく軍隊の後方地域・・・迅速・冷酷な治安平定との関連で、アインザッツグルッペによる殺戮のl対象。
・ソ連以外のドイツとドイツ支配下ヨーロッパ(オーストリア⇒ズデーテン地方⇒保護領のチェコ⇒ポーランドからの併合地および総督府)のユダヤ人に対しては、ナチ政権誕生から、ナチ権力・領土の膨張とともに、迫害・追い出し政策から移送・移住政策へ。
その移送政策は、独ソ戦開始前(1941年3月)に、いったん中止。
・・・・当初方針:独ソ戦中のドイツおよびヨーロッパからのユダヤ人移送・・・中止。
・1941年7月31日のゲーリング令(ハイドリヒ作成)は、壮大な移送計画を中央集権的に遂行することを計画し、その「準備を命じる」。
・ヒトラーは、8月初旬、これを拒否。戦時中、ヨーロッパ・ユダヤ人移送中止方針を堅持。
(ヒトラーは8月中にソ連を征服するという短期電撃的勝利を「確信」)
・しかし、8月から9月にかけての電撃戦挫折明確化、ドイツ国防軍の最精鋭の戦死、ドイツ、占領下ヨーロッパからの「ユダヤ追放」要求、さらに、ソ連支配下・ソ連領内ドイツ人のシベリア島への追放のニュース、
・9月中旬までに、ドイツと支配下ヨーロッパのユダヤ人の「臨時的政策」、「戦時中移送政策」への転換。「来春春までの臨時措置」として。・・・・「臨時」の含意は、それまでにソ連制圧に成功する、戦勝、との見通し。来春までにソ連制圧に成功すれば、本格的な移送・移住政策の実行。
ナチス・ドイツがソ連を電撃戦で征服するという計画が、挫折した、という厳しい現実。
これは、決して、ホロコーストを見るうえで、軽視できない要因。
[質問と疑問 2]
ホロコーストは “einzigartig”?
• ドイツでは他のジェノサイドとの同列視はタブー
⇔「ホロコースト――ジェノサイドの一形態――」(献本
添え書き)
他のジェノサイドとの相違:殺戮の規模、殺戮方法の異常
さ?
―ナチスの人種主義がホロコーストにまで至った理由を、本
書は「戦争→ユダヤ人移送困難→殺戮」という連鎖のプロセ
スとして説明:なぜその「連鎖」をとどめることができな
かったのかの説明、ナチス/ドイツに内在する要因の説明が欠
如?→ナチス=「民族帝国主義」では不十分?
回答: ジェノサイドの一形態。
ただし、独ソ戦から世界大戦という人類史上の最大・極端極まる総力戦の過程で起きたこと。
人類史上、空前絶後、という唯一性。空前絶後の独ソ戦・世界戦争・総力戦。
しかも、それを遂行するヒトラー・ナチスの思想・運動・体制を貫くものは、総力戦の死闘を経て、「敗北」した苦い経験・・・その「敗北の克服」こそが、全体を規定し、全体の中核において貫徹していること。そして、それは極めて単純にして明確な目標=親衛隊・ナチ党幹部を文句なく引き付ける目標。
Cf. ヒトラーの思想構造(ナチ運動を率いた思想構造)・・・・それを一言でいえば、「民族帝国主義」、と規定できる。わたしの「民族帝国主義」の概念は、1982年の論文で示した。
ヒトラーの思想がどのような構造なのか、これを見ないと理解したことにはならない、というスタンス。
ヒトラー・ナチズムの思想・政策・理念等々に関する膨大な詳細緻密な研究の蓄積。
しかし、それら諸要因は、平板に、並列的にあるのではなく、核心的なものと付随的なものがある。
核心的部分を表現するには、上記の意味での「民族帝国主義」というしかない。
反ユダヤ主義をヒトラー・ナチスの核心的思想というのは、誤り。
他方で、ヒトラーの戦争を「絶滅戦争」と規定するのも、誤り。(「ヒトラー悪し」というドイツと欧米の自己弁護的議論への反論・対抗)
征服戦争が、ソ連と英米その他反ファシズム諸勢力・ナチズム支配下の諸民族の対抗的ナショナリズム・闘いの反撃で、挫折する過程が、「絶滅戦争」と形容される事態を引き起こした。
すなわち、反ナチズムの諸勢力の闘いこそが、征服政策の挫折から全面的敗北までを規定し、敗退過程で追い詰められたヒトラー・ナチスの党・軍・親衛隊警察機構が、ヨーロッパ・ユダヤ人絶滅政策への累積的過激化を規定する。
Cf. ソ連民衆のナチス・ドイツ国防軍に対する闘い(犠牲者2000万とも)、とりわけ女性兵士、女性狙撃手の活躍(その記憶の再現)を描いて、ノーベル賞のスヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチ『戦争は女の顔をしていない』、それを土台にした逢坂冬馬『同志少女よ 敵を撃て』。
[質問と疑問 3]
ファシズムと「民族帝国主義」
民族帝国主義=ドイツ民族によるヨーロッパ支配、広大な生
存圏の構築を追求するイデオロギー。他民族支配を正当化す
る人種理論(275)
⇔山口定:「生存圏」理論は、それを「アーリア人種の優
越」や「ローマ帝国の再建」や「八紘一宇」「皇道宣布」に
よってさらに根拠づけるところだけがファシスト特有の論理
であって、それを除けば、当時の後発帝国主義諸国のナショ
ナリストや保守派一般、さらには民衆レベルの素朴なナショ
ナリズムの核心的主張であったといえる(『ファシズム』: 279)
⇒「民族帝国主義」では「後発帝国主義諸国」のナショナリ
ズム一般と区別できない?
山口によるファシズムの概念規定:後発帝国主義国における
権威主義的反動と擬似革命との同盟を基本特質とする思想・
運動・体制。その上でナチスの特質=強烈な人種主義(『ファシズ
ム』7, 25, 40 f.)
• 「擬似革命」・「権威主義的反動」概念→社会主義革命、
後発帝国主義国における資本主義の危機、民主主義の未成
熟など、世界史の時代状況、各国の政治・経済・社会状況
に関わる問題が考察に加わる
永岑:ナチ幹部の「思想の核心と政治・戦争の場と状況の変
遷こそが、ユダヤ人迫害から大量殺戮への道を規定」(17 f.)
⇔ナチスの人種主義がホロコーストにまで至った(途中で引
き返せなかった)経緯の解明には、上のような諸要因、とく
に「各国の政治・経済・社会状況に関わる問題」をあわせ考
察することが必要?
「ファシズム」という概念を、私は基本的に使用しない。
ヒトラー・ナチス・ナチズムの思想・運動・体制と規定。
ヨーロッパ・ファシズム・・・実に多様な存在形態。
ファシズム概念の不明確さ、あいまいさ。
わたしが実証的に検討しているのは、ヒトラー・ナチズムの思想・運動・体制のみ。
イタリア。・ファシズムの、その他のヨーロッパ・ファシズムの諸形態も、二次文献で、表面的に理解しているだけ。
わたしの「民族帝国主義概念」=ヒトラーの思想構造
ヒトラーの思想構造を立体的に理解しようというスタンス。
これをやってみると、一般的な後発資本主義・後発帝国主義の諸特徴とは違うことが見えていると思われる。
もちろん、英仏の帝国主義とも違う。復讐・報復・捲土重来の帝国主義・東方大帝国建設の思想・運動・体制。