テーマ設定のもう一つの契機

 最新出版の下記研究書・・・栗原優『ヒトラーと第二次世界大戦』ミネルヴァ書房、2023年。

 これとの対峙(どこが同じでどこが違うか、私のオリジナリティは?)
  結論を先取りして一言すれば、私の主張は、栗原氏の欧米の研究史の再検討を踏まえて、確認され、証明された、といえよう。
  (こまかなところで、認識の違いがあるが、大きな筋道において)


   第三帝国研究の泰斗・栗原氏の長年の研究の総括であり、実に面白く、是非一読を薦めたい進めたい。
   ヒトラー、ナチス、第三帝国に対する認識が豊かに、深く、また広い視野に立体的に位置付けて、
   理解することに資する大作・・・今後長く読み継がれる基本図書となるであろう。

 
 それでは、
  
ホロコ―ストをめぐる世界的論争(ヒトラーのユダヤ人絶滅命令の時期、その諸根拠をめぐる論争)について、
   栗原氏の最新の考えはどうか?
   栗原氏あとがき(2022年8月、86歳)によれば、「私の一生を記念するような本」。
   すなわち、総決算ともいえる歴史理解、ホロコ―スト理解・実証、ヒトラーとナチス体制理解の実証は、どうか?


  
私の最初の単著『ドイツ第三帝国のソ連占領政策と民衆 1941-1942』同文舘、1994
 これに対する栗原氏の書評(歴史学研究)・・・
   永岑はヒトラーの大々的ユダヤ人殺戮・絶滅命令は「1941年12月説」のようだが、それは研究史を無視している、と。
   栗原氏は、1941年7月末−8月説。


 
 しかし、今回の記念碑的大作では?
  
ヨーロッパ・ユダヤ人の大々的絶滅命令は、1941年12月、との説。その非常に豊かな実証。
  
すなわち、1941年7月末ー8月説を二段階説(第一段階1941年7月末・8月はじめ、第二段階1941年12月)に修正。

  
7月末−8月前半に大々的絶滅命令があったという説は、修正。同年12月説に修正されたことを確認。

  
彼の本から該当箇所を抜粋: 1941年7月末・8月はじめは、ソ連ユダヤ人絶滅命令。
                      1941年12月は、ヨーロッパ・ユダヤ人絶滅命令、と。


 
栗原氏が1941年7月末・8月初め説の根拠としたのは、
   
第一に、1941年7月31日のゲーリング令

   
これは、ヨーロッパ・ユダヤ人の「最終解決」に関する中央諸官庁の調整会議の準備を命じたもので、
   「最終解決」そのもの、あるいは絶滅命令、ではない。


   第二に、ソ連へのドイツ軍進撃の後方において、
   
 1941年8月前半から始まった老人・婦女子を含めた無差別殺戮(射殺)

   
第三に、戦後アイヒマン裁判におけるアイヒマン証言。

  
これらの論拠について史料文献を調べてまとめたのが、上掲二つの拙著
  すなわち、『独ソ戦とホロコースト』2001年、『ホロコ―ストの力学――独ソ戦・世界大戦・総力戦の弁証法』2003年。

  
栗原説が依拠しているアイヒマン証言が1941年7月説・8月説の根拠とはならないことを実証。

 
結論的に言って、
   
栗原氏の旧説、すなわち、1941年7月31日ゲーリング令、および1941年8月のユダヤ人無差別殺戮を、
  ヒトラーの大々的なユダヤ人絶滅命令(その結果)とする理解は、最新の総括的著書において、否定されている。
  すなわち、独ソ戦とホロコースト、の論理・力学と それとは次元のことなる世界大戦とホロコーストという二段階にわけた
  展開になっている。
  
  

 
私が栗原説(1996年の書評当時・それを基にした論争当時の旧説)と格闘し、史料探索・吟味のなかで発見したことは、
 独ソ戦の固有の論理・力学と世界大戦の固有の論理・力学とが違うということであり、
 独ソ戦と文字通りの世界大戦との根本的違いを見極めるべきだ、ということである。
      (ホロコ―ストの論理と力学におけるこの私の理解は、栗原最新書で、いろんなく確認された。)


 
そのことを端的に方法的に明示したのが、第三の拙著のタイトルである。
 すなわち、 『ホロコ―ストの力学――独ソ戦
世界大戦総力戦の弁証法』。


繰り返しになるが、
 あらためて私自身の仕事を振り返ってみると、

  私が栗原氏の批判を受けて行ってきた一連の仕事は、
   
1941年12月説(永岑)と8月説(栗原説)の根拠を実証的に洗い直すことが、ひとつの重要ポイント。 

   第二の拙著『独ソ戦とホロコースト』日本経済評論社、2001年の史料的根拠
    ・・・コブレンツのドイツ連邦文書館
親衛隊・警察史料を発掘、
       特に、独ソ戦下の
親衛隊・警察の活動報告書を調査、

       独ソ戦、ドイツのソ連占領地域の治安状態・抵抗状態・親衛隊警察部隊による
       鎮圧行動とユダヤ人殺戮の関係を検証。 

   第三の拙著『ホロコ―ストの力学――独ソ戦・世界大戦・総力戦の弁証法』青木書店、2003年
    ・・・戦後60年代初頭のアイヒマン裁判の史料(アイヒマンの証言の検証)を検討し、
      ヒトラー絶滅命令の諸研究の比較検討。
       ・・・
1941年12月説を検証。 


そして、最近の拙著『アウシュヴィッツへの道――
         ホロコ―ストはなぜ、いつから、どこで、どのように』春風社、2022年3月で

   
最新の全16巻史料集により、ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅命令・絶滅政策への大転換の時期として、
   
1941年12月を確認。