次の著作の構想: アウシュヴィッツの歴史的文脈
      探求・叙述過程で、発見した事実・確認した事実、それによる従来の研究に対する疑問・批判など。

    例えば、石田氏の叙述について:

    疑問点① 細かな――しかし重要な――点を一つ上げれば、アウシュヴィッツ・ビルケナウの4つの
    クレマトリウム(ガス室を備えた火葬場)は、何年何月から「稼働」したのか?

     ――――――    
    石田著334ページでは、二棟の農家改造ガス室が稼働し始めたのが、1942年2月。
       「半年後にはガス室と焼却炉を一体化したクレマトリウム(「死の工場」)が稼働し始めた」と。??
     ――――――


     文脈からすれば、ビルケナウのクレマトリウムだが、
     ビルケナウの3っつのコンクリート製クレマトリウム(ガス室併設)は、1942年8月ではない。
     1942年夏は、まさに建設が始まったばかり。

    私が、今回、最新史料集全16巻の最後の第16巻を調べた限りでは
    (拙稿「第三帝国の全面的敗退過程とアウシュヴィッツ 1942-1945」の目次参照されたい)、
        
    「4 . 1942夏:コンクリート製巨大クレマトリウムの建設開始」であって、
   
        1942年8月に、ビルケナウにおける稼働など考えられもしない

      完成には、1年かかっている。
      稼働は、1943年3月以降。

      「6 .巨大クレマトリウム運転開始 1943- 3
     ((拙稿「第三帝国の全面的敗退過程とアウシュヴィッツ 1942-1945」の目次参照)
      


    疑問点②、上よりもっと大きな問題:

     「戦争に敗れても、『ユダヤ人種との戦争』に勝てば、ドイツは、そしてヨーロッパは発展できる
      ヒトラーはそう信じた。」・・・?? 

     このような石田説は、ヒトラーのどのような言説を証拠としているのか?
     証拠文書は?
     何年何月の言説か?

      「戦争に敗れる」ことが確実になってくる時期の言説?、

     すくなくとも、1945年2-4月、ヒトラーの遺言やその他の証拠資料からは、そんなことを立証できない。



   わたしがヒトラーの遺言から示したことは、

     ベルリンの地下壕に追い込まれ、絶望的状態において、なお、
     「中欧のユダヤ人を絶滅したことを、ドイツ民族に感謝される」と強弁したことだけである。 

     この文脈では、「感謝される」にあたってヨーロッパは問題とならず、ドイツ民族だけである。


     テキスト(『アウシュヴィッツへの道』p.16-17、参照。