更新日:03/08/08
以下の国際学術セミナー報告(第4章)を含む日本滞在中の学術講演記録が、1冊の本にまとめられ、出版された(カバー写真)。すでに全国紙に書評も出ている。
ロベール・フランク著廣田功訳『欧州統合史のダイナミズム』日本経済評論社、2003年7月15日刊
第1章 二〇世紀におけるヨーロッパ・アイデンティティーの形成
p.18‐19「ヨーロッパ意識」の形成・・・
「1920年代に、戦争の再来に対する不安ないしヴェルダン・シンドロームとともにすべてが始まる。1916年のこのむごたらしい戦闘の記憶は、平和主義、初期のヨーロッパ意識、最初のヨーロッパ運動の発展とヨーロッパ連合構想をめぐる議論の土壌、1929〜三〇年のぶり案・プランを生み出した。次いで、第二次世界大戦によって、意識化の第二段階が開かれる。フランス人の場合、「1940年シンドローム」(ドイツに対する敗戦の衝撃的記憶)によって、あるいはヨーロッパ人一般の場合、戦後の植民地放棄によって確認された「衰退の強迫観念」から、多くのヨーロッパ諸国が、年表は不揃いに入りくんでいるが、統一の必要性を確信していった。
その場合、ヨーロッパの外側の二超大国が支配する新しい国際システムの中で最低限の影響力を保持することが目標であった。ソヴィエトの脅威(あるいはプラハ事件のシンドローム)は、共産主義超大国に対する地域の安全保障を確保するために、大陸の西側に同盟の要求を制限することによって、この必要性の感情を強めた。ナチズムとの戦い、次いで冷戦下ではソ連との戦いとともに、ヨーロッパ意識は、それが自由な「民主主義」を統一の基礎および条件として主張するにつれて変化していった。この主張は、フランスの同盟国である東欧の小国のような権威主義的体制を含んだ政治的ヨーロッパに甘んじていた両大戦間期よりも明白となった。要するに、ヨーロッパ意識は、本質的に敵(ヒトラー、スターリン)や災禍(戦争、衰退、野蛮)に対抗して作り上げられ、変化していくのである。」
p.21-22「二〇世紀のシンドロームと挫折の産物としてのヨーロッパ意識・・・の歴史は、われわれに目的論的な見方に対する警戒を教えている。先に見たように、同一性とアイデンティティーとの間に自動的な移行が存在しないのと同様に、アイデンティティーとい指揮の間に直線的関係や漸次的推移は存在しない。
一九世紀末と二〇世紀初頭には、古くからあるヨーロッパ・アイデンティティーは本質的に文化的であり、基本的に政治的であったナショナル・アイデンティティーとなんら対立するものではなかった。それはナショナル・アイデンティティーの劇化した形態であるナショナリズムとも、さらにはヨーロッパの分裂とも対立しなかったのである。
ヨーロッパ文化への帰属感は、大きな優越感を生み出し、それは植民地を巡る政治的対立の背後で、植民地住民を「文明化する」ためのヨーロッパの連帯を作り出していた。この点から見れば、ヨーロッパの文化的アイデンティティーはヨーロッパの政治的分裂に満足していたと言える。1918年以来、二〇世紀のさまざまな破局的な出来事につれて、ヨーロッパ衰退の意識がヨーロッパ・アイデンティティーを徐々に根本的に変え、ヨーロッパを特徴づけていた優越感を弱めるに至る。ヨーロッパ人がもはや世界を政治的に支配しなくなり、彼らが自分と世界と同一視しなくなって以来、彼らは統一する必要性を確信する。さらに、道徳的に見て、二〇世紀の大きな悲劇は、彼らもまた「野蛮」でありうることを理解させた。第1次大戦の殺戮ののち、ポール・ヴァレリーは次のように書いた。「別の文明であるわれわれは、今自分たちが致命的であることを知っている」。ヴェルダンからアウシュヴィッツへ、アウシュヴィッツからグラーグへと、野蛮の再来に対する苦悶は、このアイデンティティーの変化を促し、ついには民主主義的価値の周りに連合する意思を生み出すに至った。・・・長い時間の連続性は、二〇世紀のさまざまな断絶ほどには統一を促進しなかった.シャルルマーニュ、カント、ユゴーはヒトラーとスター林ほど重要ではなかった。」
p.24「ヨーロッパの建設は、ナショナル・アイデンティティーを変化させ、それと他の集団的アイデンティティーとの関係を変え、地域・国民・ヨーロッパという三層からなる二重ないし三重のアイデンティティーの進展を保障した。」
p.24「ナショナルな感情がヨーロッパ感情よりはるかに活発であるとしても、ヨーロッパ・アイデンティティの不在を結論するべきではない。感情とアイデンティティーを混同してはならない。ヨーロッパ感情が弱いから、ヨーロッパ・アイデンティティーが存在しないのではない。いずれにしろ、ヨーロッパの人々は皆、さまざまな理由とさまざまな意味で、自分をヨーロッパ人と感じている。第1に強力で古くからある文化的ヨーロッパは、今やエリートに限定されていない(これは教育[NM1]や大衆的ツーリズムのおかげである)。さらにまだ断片的ではあるが、政治的アイデンティティが存在し、これは単一通貨ユーロ[NM2]によって今後発展する可能性がある。同様に、感情と意識を混同してはならない。ヨーロッパ意識が存在しないのは、大衆がヨーロッパしそうになかなか熱狂できないからではない。ヨーロッパ意識は「弱いコンセンサス」として存在する。これはP・ルヌーヴァンの表現を使えばやはり「深層の力」、すなわち政治的な決定に影響を及ぼす社会的な力である。控えめではあるが社会的に深く根を張り、広く浸透した一つの力が、範囲が限られた派手な情熱よりも影響力を持つことはありうる。」
p.25「歴史教育が同一性認識と意識化の過程で一つの役割を果たす・・・・歴史教育は一九世紀の諸国民の建設において活発な役割を演じた。…国民意識や国民感情を社会的に根づかせるために・・・歴史教育を道具に使った・・・」
p.25‐6現代の「ヨーロッパ史の教育は、特に諸国民の歴史を無視してはならない。科学的にも、学校教育の面からも、さらに市民生活から見ても、諸国民の歴史は必要である。各々のヨーロッパ人に他のヨーロッパ諸国民の歴史を教えることが重要である。ヨーロッパの「親密化」のプロセス、すなわち一つの「ヨーロッパの家族」の建設を目指して国境を超えてヨーロッパを獲得するプロセスを促進するためには、ヨーロッパ諸国民は互いに知り合い、彼らの文化、彼らの過去をもっとよく知ることが必要である。すでにヨーロッパの建設に伴い、ナショナル・アイデンティティーは変化した。フランス人は2000年に、一九五〇年(それ以前の時代についてはさておき)と同じようなフランス人であるのではない。このことはドイツ人、イタリア人、イギリス人等々にも妥当する。たとえヨーロッパ・アイデンティティーが「複数」であることを理解するためにすぎないとしても、さまざまなナショナル・アイデンティティーの文化的、政治的、社会的変化の歴史を学ぶことは決定的に重要である。」
第2章
フランスとヨーロッパ建設―連続と変化―
第3章
フランス経済近代化とヨーロッパ統合(1945〜2002)
第4章
仏独和解とヨーロッパ建設
第5章
ヨーロッパ建設における英仏独トリアーデ
結論
カントとその「ヨーロッパ高級平和構想」(1795年)の伝統・・・・・カントによれば、「共和主義的」(今日なら「民主主義的」と言えよう)体制だけが、その主権の一部を委譲し、戦争の回避を機能とする権力機関を受け入れることが出来る。このアプローチは、「法による平和」を追求した一九世紀末の法律家の潮流、さらには1919年の国際連盟の創設者たち、戦争を「法の逸脱」に置いた1928年のブリアン=ケロッグ協定の作成者たちに着想を与えた。
マキャベリ、あるいはホッブスの伝統・・・・ヨーロッパ建設は、国民的利害が、当事者のそれぞれに対して、この方向に進むことを勧めないかぎり不可能である。
「現実主義派」・・・戦争回避の唯一の仕方は、「力の均衡」を追求することであり、これが国家あるいは国民的利害の間の妥協をもっとも上手に管理する術である。
歴史家アラン・ミルワードの主張・・・ヨーロッパ建設のこのような「国民的戦略」が国民国家の力を救う最良の手段であった・・・
「制度主義者」と「機能主義者」・・・前者は世界システムのとくに重要かつ必要な根拠として、国際機関やネットワークを重視する。後者は、限定された領域における機能的な制度の設立を起点として、共有すべき新たな機能と利害を創出していく統合のプロセスのなかで徐々に国家を統一する可能性を信じる。さらに機能の拡大につれて、統合の追加的必要が出現し、「スピルオーバー」(波及効果)あるいは誘導効果によって、統合された権力機関は、国家に対して権限を拡大していく。ジャン・モネの方法は、機能主義の説にかなり近く、新機能主義者自身が共同市場とEEC(ヨーロッパ経済共同体)の創設を導いたECSC(ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体)の成功から着想を得た。・・・
p.151「ヨーロッパが国民的利害に対立して形成されなかったこと、フランスが第二次大戦の状況に起因する弱体化の後に国際的な影響力を再建するためにヨーロッパ政策を利用したことは確かである。またヨーロッパ建設の過程を含めて、英仏独の関係において、「ヨーロッパの均衡」の問題がどれほど重要であったか(本書第5章)・・・
p.152「ヨーロッパは、世論に対抗しても、また世論なしでも建設されない。哲学者ハーバーマスとともに「理想主義的」アプローチの再生が見られ、それはほとんどカント的な仕方で民主主義の問題に立ち戻る。
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2002年度ロベール・フランク教授(パリ大学)
「仏独和解とヨーロッパ統合」
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2002年度:横浜市立大学国際学術セミナー(パリ大学・フランク教授)
日 時 2002年4月25日(木) 4:00 - 7:10
テーマ 欧州統合と仏独和解の社会史
概 要(進め方など) ヨーロッパの主要歴史家を結集した「ヨーロッパ共同体歴史家会議」の中心として活躍中のフランク教授に、上記テーマで報告していただきます。東京大学大学院経済学研究科の廣田功教授(東大へのフランク教授招聘事業の全体的責任者)と小島健立正大学助教授に通訳やコメントをお願いします。
フランク教授は、2000年10月開催の「よこはま21世紀フォーラム」で歴史セッションの報告者の一人としてご報告いただいた研究者で、フランスとヨーロッパ連合を代表する現代史・ヨーロッパ統合史研究の第一人者です。
独仏は、20世紀前半までの「不倶戴天の敵」、それが戦後は欧州統合の主要推進者。
そこから、何を学ぶべきか?
会 場 商文棟2階 セミナー室 C
対 象 学部学生、大学院生、研究者
【講師について】
氏 名 ロベール・フランク FRANK, Robert, Alain
所属機関 パリ第1大学(パンテオン‐ソルボンヌ)
現 職 国際関係史講座教授、 パリ第1大学付属ピエール・ルヌーヴァン
国際関係史研究所(Institut Pierre Renouvin:Institut d’Histoire
des Relations Internationales)所長, 国際関係史学会事務局長(2001年秋オスロ
大会で選出)
専門分野 フランス現代史、ヨーロッパ統合史
市大へのアクセス:http://www.yokohama-cu.ac.jp/annai/guide/access/index.html