20021218日 昨日のあり方懇談会に将来構想委員会の構想案がそのまま提出されたようで、その内容に対する重大な疑念の意見が寄せられた。「教員の正式な組織である「将来構想委員会」が、参加のメンバーの意見も問わず、自らの人事権、自治権を制限する構想をだすなど、全く他には見られないonly one universityになってしまいました」と。

その問題もあろう。将来構想委員を出しているのは各学部・研究書なのだから、どのような委員を送り出すべきか、われわれに主体的責任が問われてもいる。

しかし、「あり方懇談会」に大学側を代表して資料を提出した責任者は誰か?学長と事務局責任者であろう。とすれば、最終的には学長責任(その事務的補佐役としての事務局責任者)ということになろう。いまや問題の解決には、この間の諸問題の総括的責任を問うべく、学長不信任、リコール運動しかないということか?

ある有力者の意見では、しっかりした裏づけのない総務部長の言動に振り回されすぎではないかと。あまりにも振り回されて、大学人として現行法体系の中でゆるされないところにまで踏み込んだ構想などを出し、自分の首を絞めているのではないか、と。全国的に嘲笑の的になるような大学(大学ではないような大学)に、大学の内部から突き進んでいるのではないか、とも。専門学校ならいくらでもあり、その職業訓練の専門性に徹して自己主張し、社会的評価を獲得している。その努力を必死になってやっている。

中途半端な、大学でなくなった大学など誰も魅力を感じない。

結果責任は重い。

この間の無法状態に関する異議申し立ての声は、教員組合ほか、このページで紹介しているいくつもの事例があるが、公式の立場を代表するはずの評議会や学長が現状のままでは、どうしようもない。とすれば、まずは、全学的に評議員を大学の尊厳を守り、毅然と主張する人々にいれかえる必要があるということだろうか。事務局責任者の指揮による評議会総退場などということを許さない人々が評議員会で多数を占めるようにならなければならないということか。一人や二人、あるいは特定学部だけではなく、全学的に評議会の一新がいまもとめられているということか。ことの成否は、全学の人々が現在の大学の危機をどの程度認識しているかにかかっているということだろう。現在のような形の大学改革でいいと思っている教授会メンバーが多ければ、事務局責任者に押し捲られても無言で従うかのような(外から見ているとそのように感じられる)現在の評議会の体制はなんら変化ないであろう。

評議員選挙は近い。大学教員の現状認識・危機認識が次の評議員選挙で試されるということだろう。研究科長選挙や学部長選挙があるところも、明確な意思表明の一つのチャンスだろう。下から、自分の力でできるところから、当面なしうるところから、変えていくしかないだろう。

 

     この関連で、HP別の箇所で引用していることだが、今一度、法の創出(現在の場合は、破壊されつつある法の擁護と大学らしい法秩序の回復・創出)に関して、イェーリングの『権利のための闘争(Kampf ums Recht(村上淳一訳、岩波文庫)を省みておきたい。

イェーリングはいう。「文書史料の出現以来の歴史が法の生成に付いて教えてくれること・・・それによれば、法の出生は、人間の出生と同様に、通常はげしい陣痛を伴うものであった」と。

「これはいったい、嘆かわしいことであろうか? 諸国民が何の苦労もなしに法を手に入れたわけではなく、法を求めて苦心し、争い、戦い、血を流さなければならなかったからこそ、それぞれの国民とその法との間に、生命の危険を伴う出産によって母とこの間に生ずるのと同様の固い絆がうまれるのではないか? 何の苦労もなしに手に入った法などというものは、こうのとりが持ってきた赤ん坊のようなものだ。こうのとりが持ってきたものは、いつ狐や鷲が取っていってしまうか知れない。それに対して、赤子を生んだ母親はこれを奪いとることを許さない。同様に、血を流すほどの苦労によって法と制度を勝ち取らねばならなかった国民は、これを奪うことを許さないのである。

こういってもよいであろう。ある国民がみずからの法に注ぎ、みずからの法を貫くための支えとする愛情の力は、その法を得るために費やされた努力と労苦の大きさに比例する、と。国民とその法とのもっとも固い絆をつくりだすのは、単なる慣習ではなくて払った犠牲である。・・・法が生まれ出るために必要とする闘争は、生まれた法に与えられた呪いではなく、祝福である。」

現在の大学の危機状態を考えるとき、一考に値しないであろうか。

  

          現在開かれている市会において、大学授業料値上げも議題となっており、その質問の一つに「研究生の研究料が高すぎるという声が教授会等で上がっているのではないか」との言うのがあったそうである。これに対し事務局責任者が「そのような声はない」と答えたという。いずれ正式に議事録が公開されれば正確な質問内容と答弁が判明する。しかし,研究料が高すぎるという意見は、研究生に関する重大問題が発生するごとに(少なくとも私が着任してこの6年間に2回はあった)指摘され、教授会のなかで繰り返し意見として出されていた。研究料が医学部の研究生に合わせて設定されているため、文科系の研究生などには不当に高いものになっている、と。普通の授業料と同じように文科系も理科系・医学系も研究料が大学授業料に近い額で同じに設定されているということが、費用とサービスとの関係で研究生に不満を抱かせ、爆発させる一つの重要な要因となったことは、ある研究生による各方面への投書事件、教授会議事録公開問題などの重大事件が示すとおりである。事務局責任者がそれを忘れているとすれば、大変な職務怠慢だろう。答弁において、きちんと調査もせずに、「そのような声はない」といったとすれば、虚偽の答弁・職務怠慢・隠ぺい工作などとして責任問題となろう。今後の展開では、市会議事録確認が必要となろう。いずれにしろ、今回の授業料値上げ問題では、教授会からの意見のくみ上げは一切行われていないという根本問題があることも、もう一度明確に指摘しておこう。