経済史講義メモ

No.3 File: kogikeizaishi424

最終更新日:2008420()

 

全体史・総体史(宇宙の空間と時間、正確には時空の融合総体)の中での人類史・社会史経済史の位置付け―その2

 

 

 

‐以下が広い意味での人類経済史に係わる部分‐

 

猿から人間(人類)の分化・・・猿→類人猿→猿人→ヒトの系統図のなかで、

猿から人間(人類)の分化は、490万年位前(遺伝子研究の成果)とか。

化石人類の研究・・・新しい発見化石では猿との分岐点は600万年−700万年前との説も(・・・最新新聞ニュース切り抜き 紹介)

その他、人骨発達史・直立二足歩行の発達研究、分子生物学や遺伝子研究の今日的水準。

 

    アウストラロピテクス(猿人)

 

最近の啓蒙的な本から、化石人類学の最先端を紹介すると、

化石人類・・・形質や時代から、ほぼ古い順に、猿人、原人、旧人、新人の4種類に区分される。

現代人はどの時点で、どの化石人類から枝分かれしたのか、明らかにされていない。ゴリラやチンパンジーなどの類人猿と現代人の区別ははっきりしているが、類人猿と猿人など初期の人類との区別は難しい

猿人は、類人猿に比べてと頭蓋の容積が大きい。人類の基本条件である直立二足歩行をし、石器を使っていた証拠もある。類人猿と人類の間をつなぐ生物は、ミッシング・リング(失われた輪)として、長年、発掘が熱望されていた。近年、多くの成果があり、徐々にそれが明らかになってきた。その条件を満たす最も古い人類はルーシーと名づけられたアファール猿人(アウストラロピテクス・アファレンシス)で、320万年前にエチオピアに居住していたと考えられている。・・・・アウストラロピテクス・ラミダスは、1992年に同じエチオピアで発見された440万年前の化石である。人類らしい特徴を持っているが、直立二足歩行をしていたかどうかは不明である。

原人・・・(略)、旧人の代表はネアンデルタール人である。アフリカ、アジア、ヨーロッパで、更新世後半(約20万年−数万年前)の地層から発見されている。頭蓋は大きく、現代人とあまり変わらない。死者を埋葬する習慣をもち、旧石器時代の分化の一部であるムスティ分化を生み出した。ネアンデルタール人は23万年前に出現したと考えられているが、新人の出現と同時に消滅した。

現代人は、ホモ・サピエンスに属する。約5万年前の更新世末期に出現したクロマニヨン人もこれに属する。クロマニヨン人の骨格は現代人と変わらない。クロマニヨン人と現代人をあわせて新人という。

化石人類のDNAを調べることによって、人類の進化のようすを調べる研究が、近年急速に進んでいる。ミトコンドリアは細胞内にある小さな微細構造であるが、これは母から子に伝えられる。つまり、母子でミトコンドリアのDNAは一致する。そのため、ミトコンドリアのDNAから母親の母親をたどることができる。その結果、10万−20万年前のアフリカの女性にたどり着く。現代人はこの女性からはじまったことになる。彼女は、“ミトコンドリア・イブ”と名づけられた。

このミトコンドリアDNAの分析によって、ネアンデルタール人はイブとはまったく関係のない系統の人類であることがわかった。ネアンデルタール人が現代人とどんな関係にあるかは、長い間問題にされてきたが、遠い親戚であっても直接の祖先とは考えられないことがわかった。[1]」       

 

ミトコンドリア・イブ”。

その『イヴの7人の娘たち』(オクスフォード大学人類遺伝学教授ブライアン・サイクスの著書[2]

 「わたしはどこから来たのだろう。あなたはそんな疑問を,何度自分に問いかけたことがあるだろうか。両親のことは知っているかもしれないし,祖父母のこともわかっているかもしれない。しかしほとんどの人の場合,それ以上さかのぼると,その痕跡は霧のなかヘ消えてしまう。けれども誰でも,からだのあらゆる細胞のなかに、祖先から受け継いだメッセージを運んでいる。それはDNA、つまり世代から世代へと受け継がれる遺伝物質のなかにある。DNAには、個人としての歴史だけではなく、人類の歴史すべてが書き込まれている遺伝学テクノロジーの進歩のおかげで、いまその歴史が明かされようとしている。[3]

 

 

10万年ほど前に、現代人類の祖先はアフリカを後にして、地球上の旅に出る。

旅だった人びとが「ヨーロッパ人」と「アジア人」にわかれるのは、5―6万年前

「ともにアフリカを出発し、西に進路を取る「ヨーロッパ人」と東の「アジア人」が別れたのは、遺伝学の分析によると、今から5万年前から6万年前頃のことである。アフリカを旅立つとき、「ヨーロッパ人」も「アジア人」ものちのアメリカ先住民も皆、黒人であった。それぞれが、「偶然」選択した旅、何かの縁で定着した地域の環境によって肌の色は変わっていった。陽光の弱いヨーロッパ大陸の民は、しだいに紫外線を遮断する皮膚のメラニン色素が抜けて白くなり、「アジア人」たちも地域によって多少異なるが、大まかにいって黒人と白人の中間的な色合いの人間になったのである。[4]

 

 

 サイクスによれば、アルプス山脈で「アイスマンの発見」(1991919日)→炭素14年代測定法により、5000年前の男性と判明→DNA分析→現代ヨーロッパ人のDNAと一致→アイルランドのマリー・モーズレーという女性のDNAと一致!!

 マリーとアイスマンは遠い親戚。

 「マリーとアイスマンの例のようにDNAが何千年にも及ぶ何百世代のあいだ無傷で受け継がれていくのならば、過去の出来事を解明するうえで、今日生きている個々の人間は、発掘される土器のかけらや青銅の短剣と同じくらい頼りになる証人になるはずだと信じて疑わなかった。・・・研究の幅を広げて、現代人全体を対象とする。・・・現代ヨーロッパ人をはじめとする世界各国の人びとから集めたDNAについて、できる限りのことを見つけるための研究に取りかかった。[5]

 

サイクス、10年間の研究→その結果、6億5千万人にのぼる現代ヨーロッパ人の直接的な母系祖先は、7と判明。

 

研究の糸:現代から、農耕のはじまりへと、さらには祖先がネアンデルタール人とともに狩をしていた時代まで旅する・・・遺伝子の継承・連鎖

   ・・「驚いたことに、誰もがそうした歴史を遺伝子のなかに秘めている。はるか昔の祖先から、実質的にはなんら変わることなくわれわれへと受け継がれてきたDNAパターンのなかに書きこまれているのだ。祖先たちは、もはや抽象的な存在ではなく、現代とはまるで違う世界を生き抜き、子どもたちを育てた、生身の人間となった。その時代、われわれの遺伝子もそこにあった。途方もないほど長い歳月を経て、陸と海を越え、山と森を越えて、われわれへと受け継がれてきたのだ。この世でいちばんの強者も弱者も、大金持ちも貧乏人も、われわれ人間の細胞はすべて、そうした驚異的な旅を乗り越えてきたもの−つまり遺伝子を運んでいるのである。これは大いに誇りに思うべきことだ。[6]

 

   ・・「この研究をはじめるまでのわたしは、祖先のことを考えたことがあるにしても,彼らはどこか漠然とした,まとまりのない死者の集まりであり、自分と、あるいは現代社会ととくに確固たるつながりがあるとは思っていなかった。そして,当然のことながら、現実的な関連性があるなどとは思ってもいなかった。『クロマニヨン人』が遥か昔に登場したという記述を読むのはおもしろかったが、わたし個人には関係のないことだった。ところが,遺伝学を通じて、わたしの祖先の一人が実際その時代そこにいて,歴史の一部だったことがわかると、それはもうたんに面白いという域を越えて、圧倒された思いがした。

DNAは、そのつながりを解明するメッセンジャーであり、文字どおり祖先のからだを通じて,世代から世代へと受け継がれてきた。どのメッセージも,われわれの時空を越えた旅へといざなってくれる。[7]

 

 

 

 

いやそれ以上だろう。そのような遺伝子をふくむ細胞を自分の体の中に60兆個も持つ現代人類は、宇宙史・銀河史・地球史の成果、たんなる成果ではなく精華というべきなのだ。一人一人の人間の中に、宇宙史・銀河史・地球史が生きた形で詰まっているのだ。人類はその科学の力ですばらしい真実を毎日のように発見し、確認しているといわなければならない。

眼前のことのみにとらわれて、そのような現代人類のすばらしさに気づかないもの、さまざまの条件で気づけないものは、悲しいではないか!!

 

 1983年、アメリカ人科学者キャリー・マリスが、DNA増幅方法の大発明・・・「遺伝学研究の大革命」・・・1993年ノーベル化学賞・・・「いまやごく小さな繊維からでも、無数のDNAを手に入れられるようになった。毛が一本、あるいは細胞がほんの一つでもあれば、DNAを好きなだけつくりだすことができる。[8]」・・・・ポリメラーゼ連鎖反応方(PCR[9]

 

 

それでは、日本人はどこから来たか? 

最新の研究結果は?[10]

 縄文人のDNA[11]分析(人類の進化や系統を分析するために使われるのは、母系で伝わるミトコンドリアDNA)

 国立遺伝学研究所が保管しているデータ500万件(20016月現在)との比較、

 

 縄文人骨のDNA分析の専門家・佐賀医科大学・篠田謙一助教授が、

DNAバンクに登録している縄文人29体のうち、1体の縄文人は韓国人と一致した。また、別の一体は台湾に住む中国人と、そしてタイ人[12]との一致も一体あった。遠い昔アジアの西や南から人びとがやってきたことをうかがわせてくれる結果である。

そして驚いたことに、縄文人29体中、実に17体がシベリア平原に暮らすブリャート人と一致したのである。[13]

  

縄文人は、一つの大きな流れとして北東アジアから当時陸続きだったサハリン・北海道を経由し、移動して日本に入ってきた。

 

 「人類の長い歴史のなかでようやくシベリアに橋頭堡が築かれたのは、マリタ遺跡に住居が営まれた23000年年前のことだった。[14]

 

貴重な獲物であるマンモスが棲息した唯一の場所が、氷河期のシベリアからヨーロッパにかけてであった。

動物王国としてのシベリア

氷河期の最寒冷期である2万年ほど前、シベリアの棲息条件悪化で、マンモスなどの大型哺乳動物の南下。

それとともに、それをおって、日本人の祖先が南下した。

 「雌のマンモス1頭から得られる肉の量は18トン、1頭をしとめれば、一〇人の集団がゆうに半年間くいつなくことができた」と[15]

 

道具としての細石刃の生産、マンモスの牙製のやり先

細石刃は軽い持ち運びぶ便利なすぐれた狩猟道具・・シベリアから日本列島のあいだに点在する遺跡から見つかっている[16]

 

 

縄文人のもう一つの大きな流入経路・・・3万年前頃から、対馬海峡を、簡単ないかだや丸木舟で渡ってやってくる。3万年前から2万年頃にかけて、「遺跡数激増」[17]。朝鮮半島系、そして南方系

 

 

15000年―1万年・・・環境の大異変と乱獲により大型動物が姿を消し、小型獣ばかりになる。

細石刃は姿を消していき、代わって登場するのが石のやじり()・・・大きさわずか12センチほどのやじりを→の先端に取り付け、森の中のすばしこい小動物をとらえて、飢えをしのぐ。さらに、サバイバルツールとしての土器の発明=12000年頃から・・・火の使用・・食料としてのどんぐり土器の登場とともに縄文時代が幕をあける[18]

 

「日本列島がサバイバルツールの土器によって、安定した森の暮らしを手に入れ始めていた1万年前頃、アフリカ発北回廊経由で、それぞれに地域に定着し始めていたわれわれの「親戚たち」は、祖先たちが味わった大型動物絶滅の危機を同様に体験し、そこからの脱却を模索していた。シベリア平原にとどまった民は動物を飼い馴らす「放牧」という知恵を身につけ、極東に住みついたオホーツク沿岸の人びとはトドやセイウチなどの手つかずだった海獣狩猟に乗り出した。また、大河アムール流域の一派は魚をとる漁労を発明し、ずっと南に下がった中国南部の人びとは植物を栽培する農耕にとりくみはじめた。中国長江流域では1万年前頃の栽培イネの痕跡が見つかっている。およそ一万年前を境に、人類は住みついた土地の環境によって、それぞれの生業を獲得していくのである。[19]

 

稲の栽培・稲作文明の起源の研究については、

 佐藤洋一郎『DNA考古学』東洋書店、1999

  同 『DNAが語る稲作文明−起源と展開−』NHKブックス7731996(第4刷、2002年)

  同 『DNA考古学のすすめ』丸善ライブラリー3552002年。

 

 

日本人の起源の問題と征服王朝の問題・・・有名な江上波夫説・・・「東北アジア系の騎馬民族が、まず南部朝鮮を支配し、やがてそれが弁韓(任那)を基地とし、北九州に侵入し、さらには畿内に進出して、大和朝廷を樹立し、日本における最初の統一国家を実現した。[20]

 

「記紀に見られる天孫降臨神話を何らかの史実の反映とみ、縄文文化の担い手である先住民に対し、朝鮮半島から渡ってきた新しい人びとによって日本の国家が形成されたという考え方は、大正デモクラシー期以降、鳥居龍蔵や西村真次をはじめ多くの研究者や知識人の間に広く見られた考え方である。それを具体的に論じたのが喜田貞吉の「日鮮両民族同源論」(『民族と歴史』611921)であり、さらに山路愛山や佐野学は天皇制国家がツングース系の民族による征服国家であることを明確に論じている。江上説の系譜は、、こうした戦前から広く知識人の間で存在した「天孫族渡来説」とも言うべき、天皇家を中心とする支配者集団を大陸ないし朝鮮半島からの渡来者集団とする考え方に求めるべきであろう。・・・こうした天孫族渡来説自体は、まぎれもなく記紀の記載をそのまま史実と観ることを強制した皇国史観に対するひとつのアンチテーゼとしての意味をももつものであった。[21]

 

 最近(2002)の天皇発言(百済王室と日本の皇室の婚姻関係、桓武天皇の生母の韓半島出自、続日本記に依拠)でも、朝鮮半島の王族と日本皇室の結びつきははっきりと示されてきている。

 日本の古墳が研究者の自由な科学的検討に供せられれば、一段と歴史の真相がはっきりしてくるであろう。

 日本の歴史研究、考古学研究は、そのもっとも肝心の史料発掘において、重大な制限、秘密のもとにある。

 

人間の労働の生産力が拡大するにあたっては、動物の家畜化は大きな意味を持つ。

その点で、日本においては、『魏志倭人伝』(『三国史』魏書東夷伝の倭人の条の俗称)に書いてある「牛馬なし」は正しい、と。

・・・江上説(騎馬民族による征服王朝説を唱える江上氏とこれに批判的な佐原氏の「激論」で、二人が一致した事実認識[22]。少なくとも日本列島には、家畜化された牛馬は昔からはいなかった。

馬は5世紀、牛は6世紀にいることは確実。

中国の魏の時代から5世紀―6世紀の間に、日本に連れてこられた。

 

 

 

 

人類史[23]・・・自然(地球)と人間

      猿から人間への成長転化の長いプロセス

      そのプロセスにおける労働の決定的役割

 

人間・人類・社会発達の時期区分[24]労働手段による段階・時期区分

   旧石器→新石器→青銅器→鉄器(ハルシュタット文明-世界遺産ハルシュタット

   労働手段の発達段階に対応する人体の発達脳の発達(脳の重量の発達)=知力の発達

   それぞれの段階における文化的発展、宗教の発生(自然宗教から世界宗教まで)、そして諸科学(自然科学・文化科学・社会科学)の発展

   宗教的迷妄をうちやぶる人間・人類の知力の科学的発展が人類史においてますます決定的重要性を帯びる(近代科学発展途上のガリレオの例の教訓)

   ただし、宇宙と自然の無限の秘密の前に、人間・人類の諸科学は無限の課題を前途に抱えている。

   さまざまの文化水準で宗教と科学が渾然一体となっている。

(Cf. ニュートン物理学体系・永遠循環的力学体系とニュートンの神学的世界観「最初の一突き」?・・・宇宙の歴史・ダイナミズムを解明する端緒としてのカント)

 

       飯田真・中井久夫著『天才の精神病理―科学的創造の秘密―』岩波現代文庫、学術57、2001年7月刊によれば、

        「ニュートンの世界を構成する重要な部分として見逃すことのできないものに、錬金術に関する研究、宗教的な研究がある。彼は錬金術神学について百万語以上に上る膨大な著作を残している[25]。これらの著作は彼の名声を損なうものとして意図的に隠されて発表されず、一部は散逸し、現在に至るまで十分な考証がなされていない。この文書を散逸から救った経済学者ケインズによると、それは、(1)三位一体の否定、すなわちキリストの神性を否定するアリウス派の立場の擁護、(2)宇宙の神秘的真理を聖書の中に探ろうとする試み、(3)錬金術―変成、化金石、不老不死の霊薬に関するものであり、それらは量において物理学や数学の研究を圧倒しており、ニュートンは最初の近代科学者というよりも、最後の魔術師というべきであると述べている。[26]

 

       余談になるが、ニュートンのケンブリッジ大学ルーカス講座教授としての講義は、「難解で退屈だった[27]」とか。代数と算術の講義は、「退屈だ」と不評で、「しばしば一人の出席者もいなかった。彼は空席ばかりの教室で講義を行った。これはいかにも分裂病質者らしい融通のなさである」と[28]

 

しかし、死後公刊された初期講義の記録によれば、若いときの講義では、きっぱりとした表現、率直な明言の目立つ若若しいもので、光学講義では「アリストテレスに始まる諸権威を次々に攻撃している[29]」気負った姿も浮かんでくるという。

 

 

人間社会の発達・進化の諸段階 (諸社会形態の生成・発展・没落、多かれ少なかれ継起的発展)

   労働手段、生産手段の発達、生産力の発達に対応する社会の形態(人間相互の関係)[30]・・・Cf.大塚久雄テキストp.ff

 

社会史Gesellschaftsgeschichte[31]

     原始共産制社会

     貢納制社会(アジア的生産様式)

     古代奴隷制的生産様式

     封建制的生産様式

     近代資本主義

      ・道具から機械の発明・・・前提としての固有のマニュファクチャー期の200年間。

      ・機械制大工業の発達・・・18世紀後半−70年代以降から現在まで約二百数十年間・・・飛躍的な生産力の発達

        そこでは、労働対象に直接働きかけるのは機械体系となる。

人間はますますその機械体系を操作統御する位置へ、肉体労働から知的労働へ[32]、科学的知的労働の支配へ、そこでの分業と協業。

高度科学技術体系としての生産システムが支配する現代では、労働が「肉体労働」と同義であるかぎりでは、それはしだいに周辺的末端的例外的なものとなり、影が薄くなっている。

そこから人類史、人間発達の基本にあること、あったことが忘却のかなたに。

生産における科学技術の決定的重要性、知的労働=頭脳労働=精神的労働の現代生活における決定的重要性と

その裏面としての精神的過労・精神的負担・精神的ストレス

 

    日々グローバル化する現代市場経済世界

 

これらの全体を貫く分業と協業の決定的役割。

分業はしだいに巨大なテンポでもって拡大深化を遂げつつ、ますます地球全体に拡大し、地球を全体として結びつける。

   それがまた労働・人間能力・科学技術の飛躍的発展をもたらす。

   現代社会は、ますます世界の科学技術の恩恵を受け、また恩恵を与える相互関係

   諸社会は、みずから科学技術を発展させ、自ら世界に向けて貢献し、また、世界の科学技術の達成を吸収する必要がある。

   現代における科学技術の継承・発展においては、大学が決定的に重要である。大学の使命[33]。世界の人びとがそれを認識していることは、大学進学率の上昇で示されている。大学の発展のために社会はさまざまの貢献をしなければならない。大学は社会と世界の負託に答えなければならない。相互協調・分業関係。

   科学の貴重さを逆の面から照射するのが、ゲーテのファウストの一節である。

   メフィストフェレスはいう。

「知と学と。人間のこの

 最高のたまものを軽蔑するがいい―

そうすりゃ悪魔に身を引き渡したわけさ。

破滅はまちがいなしさ[34]

 

ヘーゲルは言う。「敬虔が正しい種類のものである限り、・・・真理と諸法則にたいする崇敬をともなってくる」と[35]

そして、「あの浅薄さというやつがいい気になってくりひろげる能弁の方式に表明される、やましい心の特殊な形式・・・がひたいにつけている独特のしるしといえば、法則にたいする憎しみである。・・・法則というものこそは、自分のがわに好みをのこしておくあの感情、正しいものを主観的な確信にありとするあのやましい心が、自分にもっとも敵対的であると当然見なすところのものである。このやましい心には、義務と法則としての正しいものの形式は、死んだ冷たい文字であり、一つの枷であると感じられる。なにしろこのやましい心は法則のうちに自分自身を認識しないし、したがって法則のなかでは自由でない。なぜなら、法則はことがらの理性であって、理性は感情に、それが自分一個の特殊性にぬくもるのを許さないからである。[36]

 

大学の使命=科学の使命=理性の使命=真理と諸法則に対する崇敬・・・大学人に対する試練!!

 

   21世紀の現在、人類の生産諸力・大量消費が地球環境の維持能力を超えるところまで来ている。地球環境問題

   その歴史的必然性と克服の必然性、人類の科学的な世界認識・法則認識。

 

 

二一世紀初頭の今日のグローバル化した生産諸力・交通諸関係・・・全地球が日々一体化している。

地球全体に張り巡らされた情報の網の目,それを可能にするハードの通信施設

      情報を交換する世界中の人々の相互関係の緊密化,・・・代表的なものとしてインターネット。

それらを可能にする生産技術、科学技術、文化の発達

 

現代世界は、多様な生産システムを世界各地に残しながらも全体として高度資本主義(経営者資本主義[37]・法人資本主義[38])の社会

   諸地域諸国家における公的諸機関による資本主義メカニズムの調整・社会的公共的・地球的見地からの補正。

   世界的にも高度資本主義システムの調整・統御・公共的補正がさまざまの世界機関・国際機構によって試みられている。

   ただし、調整と制御は諸国家・諸民族の利害対立のなかで巨大な諸困難に直面。

   世界機関・国際機構(世界銀行、WTOIMFなど)が「その本来の業務との関係で政策的に偏った指向をもつ規定要因となっている[39]」という重大問題がある。 

            環境問題、世界不況問題、その他。

 

 世界を変えることは世界の人びとに任せなければならないとすれば、日本については少なくとも日本人が中心的役割を演じなければならない。

この現在の日本の問題に関して、都留重人氏は「発想の転換」が必要だという。

1.   戦前軍国主義との断絶(天皇の戦争責任の承認)

2.   日米安保を見なおしての自立、

3.   成長神話の見なおし、

を柱とする都留氏の考えは傾聴に値する[40]

それは、自民党ご意見番と称される後藤田正晴氏の発想とも重なる。

すなわち、「2010年の日本の針路は」との質問に、「平和と自立と共生だ。自立とは米国からの自立で、軍事同盟の時代ではなくなるから日米安保条約を見直し、友好平和条約に切りかえるべきだ。国際的にも国内的にも強者の理論が強くなる傾向にあるが、これ以上、格差を広げる論理には反対だ。国内は平準化して安定しており、国際的にも遅れた国に手を伸ばして共に生きる国でありたい」と[41]

 

 

 

巨大で困難な諸課題にたいしても、人類史が到達した知的科学的合理的方法で立ち向かう必要がある。

ノーベル経済学賞のアマルティア・センが18世紀の啓蒙運動を高く再評価していうように、「社会問題に関して理性がもっとフルに活用される」必要がある。「これは、2世紀前、ヨーロッパで起こった啓蒙運動がいくたの知的戦いを交わすにあたって採用したスローガン」であった。

センによれば、「ヨーロッパ啓蒙運動の知的伝統を引っ張った指導者たちは、ルネサンス(典型的なヨーロッパ的現象、それも主にイタリア的な現象)を継承していただけでなく、中国の科学技術やインドとアラビアの数学のほか、世界中に源を発する知的伝統を吸収していたのです。ヨーロッパの啓蒙運動では、狭い『ヨーロッパ的な見方』の支持者としてではなく、人類の知を代表した主張がなされたのです[42]」。 

 

「啓蒙」は、一般的、普遍的な意味である。

センによれば、「ゴータマ仏陀の『仏陀』は、『啓蒙された者』すなわち『悟った者』という意であり、信者のあいだでもこの属性が卓越の証として尊重されていた・・・」と。ゴータマ仏陀は、因習に盲目的に従うのではなく何事においても理性を重視せよという教えを・・・2500年前に力強く推し進めた」と[43]。センのこの指摘に私は驚嘆している。仏陀は一種の、あるいは異種の、あるいは普通の意味とは一味違う精神的革新家、革命家だったのだ。

 

人類は、はたしてその困難な課題を克服することができるか? ここでもアマルティア・センを引用しておこう。

 「自分たちが欲しいと思うものと、最終的に手に入るかもしれないものとは関係しています。アリストテレスは、神でさえ過去を変えることはできないという、悲劇詩人アガトンの言には同意しましたが、未来は自分たちで作り出すものだと考えていました。この意味では、予測は、私たちがこうあって欲しいと主張するものと、そして最終的には戦い取ろうとするものと、密接に関係せずにいられません。」 そのためには、「民主主義のさらなる拡大と強化」が必要だ、と[44]

民主主義の拡大と深化」は手段であると同時に目的でもある。

 

 

 

また、「問題の発見は解決の発見でもある」と言う洞察がある。適切な問題発見、問題限定は、適切な解決を可能にする。

 

現代人の課題・現代人の努力の必要性、

たとえば、われわれ歴史研究者は過去の悲劇から学んだことをもとにして、

   テロと言う暴力的手段による政治意思の表現に反対し、これに対する報復戦争という国際法上違法なやり方に反対する(声明の公表と言うかたちで研究者・大学人としての社会的責務を果たそうとする)。「自衛権発動」にも限度がある。いろいろな国際法学者が指摘しているように、200110月当時、アメリカのアフガニスタン攻撃は「正当な自衛権の発動」を越えているのではないかと思われた。もし仮に、そのような正当性なき戦争に日本が荷担していいのか、十分に考えなければならない。

   法、ここでは国際法は、諸国民と世界が自らの努力によって作り出していくべきものであり、傍観していて宝物が転がり込んでくるわけでない。

   その点を原理的に熟慮するためには、今一度、法の創出に関して、イェーリングの『権利のための闘争(Kampf ums Recht[45](村上淳一訳、岩波文庫)を紐解く必要があろう。

イェーリングはいう。「文書史料の出現以来の歴史が法の生成に付いて教えてくれること・・・それによれば、法の出生は、人間の出生と同様に、通常はげしい陣痛を伴うものであった」と[46]

「これはいったい、嘆かわしいことであろうか? 諸国民が何の苦労もなしに法を手に入れたわけではなく、法を求めて苦心し、争い、戦い、血を流さなければならなかったからこそ、それぞれの国民とその法との間に、生命の危険を伴う出産によって母とこの間に生ずるのと同様の固い絆がうまれるのではないか? 何の苦労もなしに手に入った法などというものは、こうのとりが持ってきた赤ん坊のようなものだ。こうのとりが持ってきたものは、いつ狐や鷲が取っていってしまうか知れない。それに対して、赤子を生んだ母親はこれを奪いとることを許さない。同様に、血を流すほどの苦労によって法と制度を勝ち取らねばならなかった国民は、これを奪うことを許さないのである。

こういってもよいであろう。ある国民がみずからの法に注ぎ、みずからの法を貫くための支えとする愛情の力は、その法を得るために費やされた努力と労苦の大きさに比例する、と。国民とその法とのもっとも固い絆をつくりだすのは、単なる慣習ではなくて払った犠牲である。・・・法が生まれ出るために必要とする闘争は、生まれた法に与えられた呪いではなく、祝福である。[47]

 

ヘーゲルも「自然の法則」と社会がつくりだす「法」との違いを『法の哲学』の序文で指摘している。

自然の法則がどういうものであるかを知るためには、われわれは自然を知らなくてはならない。なぜなら、自然の諸法則は正しいのであって、ただわれわれのそれについてのもろもろの表象があやまっていることがありうるだけだからである。これらの法則の尺度はわれわれの外にあるのであって、われわれの認識の働きはそれらの法則になにものをもつけ加えず、それらの法則を促進しもしない。ただ、それらの法則にかんするわれわれの認識がひろがりうるだけである。 

 法の認識も一面ではそのとおりであるが、他面ではそうでない。われわれはもろもろの法律をもまた、それらが文句なしに現にあるがままに知るのであって、市民も多かれ少なかれそういうふうに法律をうけとっており、実証的法学者もこれに劣らず、与えられたもののところにとどまっている。

 他方、自然の認識と違っている点は、法のおきてのばあいは考察の精神が起こることであって、もろもろの法律の違いということがもうそれらの法律は絶対的ではないということに注意させる。Gesetz)のおきてはさだめおかれたもの人間に由来するものである。内なる声必然的にこれと衝突しかねないか、それともこれにくみしうるかである。人間は現に存在するもののところにとどまらないで、なにが正しいかの尺度をおのれのうちに持っていると主張する。人間は外的な権威の必然性と力に服していることがありうるが、けっして自然の必然性に服するのと同じようにではない。なぜなら、いつでも彼の内なるものが、ものごとはいかにあるべきかを彼に言うからである。人間は、妥当するものの真もしくは非真なることの確証をおのれ自身のうちに見いだすのである。[48]

 

 

   また起きてしまったテロ、一般に悲劇的事件を考えるとき、その再発をどのように防ぐかを射程に置かなければならない。それは、テロがいかなる原因で発生したかを深く洞察することである。著名な経済学者・都留重人氏は、最近の著書『21世紀 日本への期待―危機的状況からの脱却を―』(岩波書店、200111月刊)において、貴重な洞察を数多く記しているが、彼の思考は世界の著名な学者や識者の意見を参照し、熟慮検討することによって深められている

   同書155ページでは、ニューヨーク州立大学のウォーラーステイン名誉教授の発言を引用している。すなわち、「米国金融街がテロの対象となったのは、グローバル化した先進国の市場経済や多国籍企業などが、途上国から搾取したと富の象徴と見られているからだ。途上国の一部には独裁や貧富の格差拡大で不満が高まり、米国に対する反感が高まっている」と。

   都留氏は同書、156でつぎのようにいう。 多国籍企業のための「権利の章典[49]とさえ呼ばれたMAI(多国間投資協定)OECDによって提案されたこと、そしてこのMAIの成立が怪しくなったというので、アメリカが単独で立案し結局成立させた「アフリカの成長と機会のための法」などかつての帝国主義的植民地化の内容をもったものでした[50]。この法律は、サハラ以南アフリカの諸国に「市場立国の経済」の確立を要求するかたちをとっていて、たとえばそこで求められている民営化は、鉱山、森林、油田、港湾設備まで含んでいて、これらはアメリカの多国籍企業により「言わば焼け残り品の特売価格で買い占められる可能性が強い」といわれていますし、また、米ア間の無関税自由通商の条項を米政府が誇らしげに喧伝する一方で、アフリカの諸国がその対米輸出品として一番高い期待を持ちうる繊維製品の場合、関税免除の条件として、原料の布地や縫い糸は米国製のものであることを求められているのであって、『ウォール・ストリート・ジャーナル』でさえが、この条件を「政治的に鼓吹された毒入り丸薬にほかならぬと」とかいて批判したほどです。・・・

 アメリカを中心とする「先進国が一方的に進めつつあるグローバル化の中で途上国側に被抑圧の意識が続き、原理主義や過激な反米主義が巣くいやすいのだということについての認識が、広く共有されること」(同書、157ページ)を都留氏は求めている。

 

   問題はわれわれ一人一人に投げかけられている。

 

 

歴史の教養の意義

「啓蒙と批判」を重視する歴史社会科学の指導者ユルゲン・コッカのいうように、「歴史学における認識と実践との関係は、学問の諸原理に反するものであってはならず、それらを充足しうる形をとらねばならない。」そして、「自由民主主義の社会秩序において、あるいはそれを貫徹し、十全なものとし、かつ維持していくうえで、歴史の教養がかけがえのない重要な使命を果た[51]」すことができるためには、歴史学、歴史研究、歴史を学ぶことにおいて、多くのことがなされなければならない。

ともに勉強していこうではないか。歴史的教養の獲得には不断の努力が必要であり、今後の指針を得るためには、歴史からつねに学ぶ姿勢がたいせつだからである。

 

「戦前なぜ(日本が)戦争を起こしたのか、それは国際社会から孤立したからだ、」・・・これは誰の歴史認識か? 200110-12月段階でなお人気絶頂の小泉首相のものである。 アメリカに追随し、これまでの憲法解釈に違反するかたちで自衛隊を派遣することを決断したうえでの、その決断の正当化のための単純な歴史解釈である。

都留重人氏は上掲の著書でつぎのように言う。「私は、この記事を読んで、何よりも驚いたのは、小泉首相が、前世紀に日本が起こした戦争の原因は、日本が国際社会から孤立したことにあると断定されていることである。小泉氏の歴史認識はこの程度だったから、かつての靖国参拝問題も起こったのだし、したがって政治の混迷を招いたのであった・・・」と[52]

 

 

 

 -----------補足:「労働の役割」に関する参考文献-----------     

(最も近いものとしてのチンパンジー)から人間へ、そして人類の歴史的発達の諸段階・・・決定的な点=労働の役割

   F. エンゲルス「猿が人間化するにあたっての労働の役割」エンゲルス著『自然の弁証法』田辺訳、岩波文庫、1956.7-1957.10(20012月復刊)、ほかに国民文庫版もある。この本の新メガ(MEGA[53])版最新の訳としては、実に詳細な注がつけられた秋間実・渋谷一夫訳(新日本出版社、1999年)がある。

 

その一節からの引用:

古典派経済学者など経済学者の見方・・・「労働はあらゆる富の源泉である」。

マルクスやエンゲルスの立場・・・・だが、労働の大前提は地球であり、自然である。自然が労働に材料を提供し、労働がこれを富に変える[54]

 

労働の役割はそれだけか?

・・・エンゲルスの古典派経済学に対する批判的発展的考察:彼は人類史を研究して(19世紀の科学革命の一つ進化論、そのダーウィンの研究などを踏まえて)、労働の意義に関して、つぎのようにいう。

 

「労働はなお限りなくそれ(=富の源泉)以上のものである。労働は人間生活全体第一の基本条件であり、しかもある意味では、労働が人間そのものをも創造したのだ」と。

 

類人猿・ヒトニザル・・・人間への分岐点の端緒

・・・群れをなして樹上生活・・・手と足に別の仕事、手と足の使い分け(分業) → 直立歩行・・・猿から人間への移行にとっての決定的な一歩。ホモ・エレクトゥス[55]。 

(にあっては、自然の歩行は半直立の姿勢4足全部でする歩行から二足だけの歩行まで、歩行のあらゆる推移の段階がいまなお観察されている。しかし、それらのどれ一つを取ってみても、にあっては二足歩行が応急策以上にでているものはない。

 

 詳しくは、この論文(短いものなので読了は簡単)を参照してください。

 

 

歴史学諸分野と経済史の関係

 

政治史(伝統的歴史学の主流・・・大国間の軍事外交関係の歴史や国家とその政策の歴史)

 

社会史・・・伝統的社会史と1960年代以降の社会史

 伝統的社会史・・・政治史(伝統的歴史学の主流)に対する部分学科としての社会史、および経済史

 ビーレフェルト学派(コッカ、ヴェーラーなど)の「歴史(的)社会科学」と社会史・・・「反体制派の学問」・・・「ドイツでこのような社会史に賛同した者は、特にカール・マルクス[56]やマックス・ヴェーバーに理論的支えを見いだし、「歴史(的)社会科学」という綱領を宣言した。まもなくビーレフェルト大学がそのような活動の中心になった。[57]

 

 



[1] 家正則・木村龍治・杉村新・三輪主彦著『地球と宇宙の小事典』岩波ジュニア新書34820005月刊、55-56ページ。

[2] ブライアン・サイクス著大野晶子訳『イヴの七人の娘たち』ソニーマガジンズ,200111月刊。この本は、DNAを追跡して人類史を再現するものであり、その試行錯誤と、「偶然と個人的人間関係と経済的必要性・・・」などの諸要因による「連続する小さな飛躍」(同書、39ページ)で行われた発見物語であり、科学探究の面白さを堪能させてくれる。ぜひ一読されたい。手軽には、サイクスの本の宣伝ページであるつぎを参照せよ。

本: http://www.sonymagazines.jp/mmt/200111080700.html 

母系図: http://www.sonymagazines.jp/mmt/200111080750 

[3] サイクス、2ページ。

[4] NHKスペシャル「日本人」プロジェクト編『日本人はるかな旅』(1巻、マンモスハンター、シベリアからの旅立ち―)NHK出版、2001年、33ページ。

[5] サイクス、2829ページ。

[6] サイクス、31ページ。

[7] サイクス、340ページ。

[8] サイクス、34ページ。

[9] 「2本の細長いたんぱく質がらせん状態に絡み合ったDNAの鎖は、セ氏94度で解ける性質があり、そこに「魔法の酵素」を加えるとDNAは自己増殖をはじめ、10万倍以上に膨れ上がるという。PCR法はこれまでDNAの量が微小で分析不能だった試料の解析におおきな道を開いた。遺跡から出土した化石人骨もそうである。太古の骨の中に眠るわずかなDNA情報が増幅技術によって読み取られ、「原日本人」の実像がよりいっそう鮮明になり始めている。」NHKスペシャル「日本人」プロジェクト編『日本人はるかな旅』(1巻、マンモスハンター、シベリアからの旅立ち―)NHK出版、2001年、40ページ。

[10] 最新の啓蒙書として、うえにも引用した「日本人」プロジェクト編『日本人はるかな旅』全5巻、NHK出版、2001年が面白い。

 「現代日本人の遺伝学的ルーツは,12000年前に日本にわたってきたとされる縄文人になるのか、それとももっと最近の、過去2500年ほどのあいだに韓国から移動してきた弥生人にあるのか」というのが日本の先史の中で,もっとも大きな疑問の一つ(サイクス)

サイクスは、「日本でわずかに行われている研究」を紹介。

それによると「本土に住む現代日本人のミトコンドリアDNAタイプが,アイヌや琉球人より現代韓国人のタイプと共通していることがわかっている」としている。

「しかし、同時に,アイヌと琉球人のミトコンドリアDNAタイプにはあまり共通点がないという結果も出ている。・・・アイヌと琉球人にはそれぞれ過去12000年のあいだに蓄積された独特の突然変異が見られた。つまり,これは両者とも縄文人の末裔でありながら、当時からほとんど接触がなかったということを意味する」と。

「現代日本人の大半のミトコンドリアDNA配列が現代韓国人と共通していることから、彼らの母系祖先は弥生人以降の移民にたどることができる。他にも縄文人に母系祖先をたどることのできる日本人、そしてアイヌ人や琉球人との母系のつながりが強い人たちもたくさんいる。遺伝学的にはアジア本土からやってきた弥生人の影響が非常に大きかったことに疑いの余地はないし、その影響力はヨーロッパにおける近東の農民を遥かに越えている。・・・現代日本人の中には縄文人と弥生人が混在している。・・・」と。サイクス,前掲書、334ページ。

 

[11] 「ヒトの身体は60兆個あまりの細胞で構成されている。その細胞11個に核がある。核の中に、両親から由来する染色体がある。さらにその染色体の中にDNAがある。さらに、DNAにはATGCの塩基の配列が30億個も連なる。これが遺伝情報をつかさどる。DNAは染色体のほかに、もうひとつ、細胞の中でエネルギーを作り出す役割を担っているミトコンドリアという器官にも存在する。人類の進化や系統を分析するのに使われるのは、ミトコンドリアDNAである。」『日本人はるかな旅』NHK出版、2001年、第1巻、41ページ。サイクス前掲書によれば、Y染色体も遺伝系列を検証することができると。

[12] 「退陣」と誤ってワープロ転換していたが、学籍番号001050清田雅子さんが、ミスを発見してくれ、「タイ人」に訂正。もう1箇所も訂正。

[13] 『日本人はるかな旅』NHK出版、2001年、第1巻、42ページ。

[14] 同、61ページ。

[15] 同、63ページ。

[16] 同、6768ページ、8587ページ。

[17] 同、90ページ。

[18] 同、9596ページ。

[19] 同、98ページ。同書の尾本恵市「ルーツ探しの未来」が研究史の現状を総括しているが、それによれば、学問的には未解決の問題がかなりたくさんあるようである。埴原説、尾本説など。

尾本説によれば、「約3万年前から北東アジアの後期旧石器時代人が日本列島に子やってきた。かれらは、現在の東南アジアの集団とはおそらく別のルーツを持つ系統である。彼らのなかから約13000年前以降に縄文人が生まれ、その系統は現在のアイヌの人びとに受け継がれている。本土の日本人は、弥生時代以降に大陸から渡来した集団が在来系集団と混血した結果形成された」と。同書、116ページ。

 また、「遺伝子の研究によって、縄文人と弥生人の差異が明らかになり、以前考えられたことがあるように縄文人がそのまま弥生人になったと見方は否定できる。しかし、渡来系弥生人の正体については、まだ完全に解明されていない。中国東北部から朝鮮半島を経て北九州に渡来した集団があったことは確からしいが、これ以外の渡来人系弥生人はいなかったのであろうか」と。研究の現段階の未解明の点を指摘している。同、118119ページ。

[20] 江上波夫『騎馬民族国家―日本古代史へのアプローチ―』中公新書、1967年初版、1997年改版5版、p.144-145

記紀の神話・伝承に残された征服物語・・・征服民族、すなわち、「天神なる外来民族が、日本列島に原住した国神―多分倭人―を、出雲と筑紫において、まず征服ないし懐柔して、これを支配したことを示唆している。」(同、163ページ)

応神天皇によって征服王朝が創始された最初の時期においては、河内・南攝津を地盤とした天皇氏、大伴・物部量子などの軍事的勢力と、大和を地盤とした土着の葛城・和に・平群・巨勢などの既存の政治勢力との並存関係があり、その両者の連合・合作が漸次実現して、いわゆる大和朝廷なる天神系・国神系豪族の連合政権が樹立された」と(同、251ページ)

 縄文人の住んだ日本列島に弥生人=渡来人が多数押し寄せてきたという最近の遺伝子研究の成果を利用した日本古代史像と結びつくものであろう。弥生時代以降の日本民族の多系統性。

 江上説に対する最近の批判的研究として、佐原真『騎馬民族は来なかった』NHKブックス658

[21] 白石太一郎『古墳の語る古代史』岩波現代文庫、2000年、160ページ。

[22] [激論]江上波夫vs佐原真『騎馬民族は来た!?来ない?!』小学館ライブラリー、1996年、

[23] 「フーリエは歴史観のうちに人類の没落を取りいれた」エンゲルス、前掲書、同ページ。現代宇宙科学は、人類の土台ある地球、銀河、宇宙の生成・発展・没落を射程においている。

[24] 「フーリエの、社会の歴史に関する見解は構想雄大といっていい。彼は今日までの社会の全過程を、未開野蛮家父長制文明の四つの発展段階に分ける。」同上、同ページ。

[25] ニュートンは、科学と数学において、先輩から受け継いだもののほかに、「当時の時代精神からさらに2つの贈り物、すなわち神学への熱情と、錬金術への押えがたい渇望とをうけついだ。今日でこそまじめな努力に値しないと考えられているこれらのものに、その比類ない知力をささげたことに対して、彼を非難するのは、自分みずからを非難するようなものである。なぜならば、ニュートンの時代には、錬金術が化学そのものであったし、そのなかに大切なものは―それから出てきたもの、すなわち近代化学を除いては―何も潜んでいないなどということは、まだわからなかったからである。そして、生まれながらの科学者であったニュートンは、錬金術者の真偽を、実験によって試そうとしたのだった。」まあ、「ニュートンの時代には、神学はまだ諸科学の女王であり、ときとしてその騒々しい臣下を真鍮の杖と鋳鉄の頭とで支配していた」と(E.T.ベル『数学をつくった人びと』東京図書、1999年、87ページ)。

[26] 飯田真・中井久夫著『天才の精神病理―科学的創造の秘密―』岩波現代文庫、学術57、2001年、10ページ。

[27] 同上、25ページ。

[28] 同上、31ページ。

[29] 同上、25ページ。

[30] それぞれの段階と地域の歴史に対応した人類文化の多様性Cf.江渕一公著『文化人類学−伝統と現代−』放送大学教材37102000年。

[31] 社会史Gesellschaftsgeschichte)の諸時代は抽象的な厳密な境界線によっては区分されないということは、地球史Erdgeschichte)の諸時代の場合とおなじこと」である。マルクス『資本論』第1巻第13章、大月書店、1968年、486ページ。

[32] 人間の肉体的精神的活性化のためのスポーツの意義・重要性は、知的労働が支配的になるにつれて大きくなる。

[33] オルテガ・イ・ガセット『大学の使命』玉川大学出版会、1996年。

 

市立大学は、たんに市民のせまい利害のためにあるのではない。狭い市民の利害関心に迎合することが「地域貢献」だとする軽薄な風潮がある。それは、大学の使命を深く考えない発想である。市民は、その生存、その文化、その科学技術を世界の文化、世界の学問研究、世界の工業から得ている。自らの負担で大学を維持し、発展させ、世界に貢献しなければならない。優れた学問的功績を上げる大学こそは、真の地域貢献につながる。近視眼的利己的な関心からはそのもっとも大切なことがが理解されない。嘆かわしいことである。

 

世界的な港湾都市を名乗るなら、それにふさわしい高くて広い、そして深い見識が必要である。公立大学の独立行政法人化問題は、まさにそのような大学の使命、大学の理念を実現していく根本目標から、その目標達成に必要なこととして、それを可能にする制度改革として、検討されなければならない。軽薄な「経費削減」の発想でそれが行われるなら、大学の崩壊であろう。

 

300万横浜市民の今日の繁栄、豊かさは、何によるのか。横浜市の営業の圧倒的多くは市立大学以外の大学の出身者が支えている。横浜市民が、市立大学を支えることをつうじて、他の諸都市、日本のほかの地域、世界のほかの諸地域に何ほどか科学的学問的な業績を提供することは名誉あることであろう。大学の研究と、大学で教育された学生とが日本と世界でしかるべき科学的文化的貢献をすることは、市民自らが意識すると意識しないとに関わらず得ている恩恵のお返しでしかないだろう。優れた研究と優れた学生の輩出で貢献度が高ければ、それはそれだけ横浜市民の名誉となることだろう。

 

優れた研究のために、優れた学生を輩出するために、市民は大学に対して温かくかつ厳しい目を向ける必要があろう。しかし、大学の発展は、矮小な利害関心や杓子定規な形式主義・官僚主義で、大学人を萎縮させ,研究の自由闊達さを奪うることでは得られないであろうことも、的確に認識する必要があろう。「厳しさ」が頭の固い形式主義者、了見の狭い人間によって適用されると学問の自由は発展は阻害されるであろう。そこでは「厳しさ」は反対物に転化している。学問や科学の自由で自主的な発展を支え促進する意味でこそ、その実質においてこそ、厳しさが求められる。

 

[34] ゲーテ『ファウスト』第一部、「書斎の場」、『法の哲学 T』中公クラシックス、17ページより引用。

[35] ヘーゲル『法の哲学 T』中公クラシックス、1718ページ

[36] 同、1819ページ。

[37] アルフレッド・D・チャンドラーJr.著『経営者の時代−アメリカ産業における近代企業の成立−』上・下、東洋経済新報社、1979年、同『スケール・アンド・スコープ』有斐閣、1993年。

[38] 楠井敏朗『法人資本主義の成立−20世紀アメリカ資本主義分析序論−』日本経済評論社、1994年。

[39]都留重人『21世紀 日本への期待―危機的現状からの脱却を―』岩波書店、2001年、9192ページ。

[40] 同、第2章。

[41] 同、25ページ。

[42] アマルティア・セン、S.グリフィスス編渡辺政隆・松下展子訳『世界の知性が語る21世紀』岩波書店、2000年、239240ページ。

[43] 同、240241ページ。

[44] 同、238ページ。

[45] 翻訳書タイトルは、ドイツ語のタイトルKampf ums Recht Rechtを「権利」と訳している訳だが、もちろん、レヒト(Recht)は、「法」、「正義」などの訳が適切な場合もあり、事実本文の中では、「権利=法(レヒト)(p.9)と訳している箇所も多い。

 

翻訳書のタイトルとしては、「法のための闘争」としたほうが普遍的内容を示すには適しているのではないかと思われる部分が非常に多い。それは本文冒頭の翻訳を見てもあきらかではないかと思われる。すなわち、「権利=法(レヒト)の目標は平和であり、そのための手段は闘争である」というのである。2つの訳語にわざわざルビを振った意味は熟慮に値する。

 

「法」についても、自然と社会と人間の総体的な諸現象のなかに適切に位置付けたのが天才ヘーゲルである。最近、ヘーゲルのベルリン大学における「法学」最終講義が翻訳された。『法の哲学 T』藤野渉・赤沢正敏訳、中央公論新社・中公クラシックスW12200111月。

この翻訳の冒頭に、同じ『法哲学講義』の翻訳を20004月に作品社から出している長谷川宏の解説「社会正義の哲学」が掲載されている。ヘーゲルの思想体系・哲学体系における法哲学の位置を知るには便利なものである。それを紹介しておこう。

 

「ヘーゲルの全哲学体系は大きく三つにわかれる。第一部が論理の学で、そこでは、世界がどのようにして成り立つのか、その基本的な骨組みが示される」と。自然と社会と人間とに貫徹する論理としての弁証法が体系的に総括されている。

 

「第二部が自然の学で、無機的自然から有機的自然に至る全自然過程が叙述される。」ヘーゲルの時代までの自然諸科学の到達点のヘーゲルなりの体系的総括ということである。

 

「最後の第三部が精神の学で、そこでは、自然を土台としつつ、それを超えた人間世界の全体が、叙述の対象となる。この第三部が、一、主観的精神、二、客観的精神、三、絶対的精神の三つにわかれ、法の哲学は、「二、客観的精神」の全域を占める。法の哲学とは精神の客観的なあり方を明らかにする学問なのだ」と(長谷川「社会正義の哲学」、前掲書、23ページ)。社会諸科学がヘーゲル体系では「精神の学」に入れられているわけである。このヘーゲル体系全体の中の諸学問の位置関係は、ヘーゲル自身の著作『哲学的諸学問のエンチクロペディー』が明らかにしている。ヘーゲルはフランス革命の精神としての「百科全書」(エンチクロペディー、エンサイクロペディア)を自分の学問体系の基礎において、彼なりに発展させたということがいえよう。彼は「ヘルダーリンと共にフランス革命に共感した」(中公クラシックス表紙解説)のだ。

 

ヘーゲルの学問全体系を貫く基本的発想は、「理性的なものは現実的なものであり、現実的なものは理性的である」(前掲『法の哲学T』序文、24ページ)ということである。ヘーゲルによれば、「とらわれない意識はいずれも、哲学と同様に、この確信に立っている」という。さて、諸君はヘーゲルの言う「とらわれない意識」の持ち主であるか? そして、この確信を持っているか?

 

ともあれ、ヘーゲルの根本把握には内容的には現状の根本的変革、革命性の見地が一つの重要な契機として含まれている。ヘーゲルは、「実証的な諸学の分科のものや、同様になお宗教的な教化ものや、他の定かではない文献の」なかに見られる傾向、すなわち「理性が、またしても理性が、無限に繰り返して理性が告発され、非難され、弾劾されている」ことを批判し、真理を理性的に把握すること=概念的に把握することを根本的に重要なこととして主張している。ヘーゲルによれば、真理は理性的であり概念的なものであり、その内容にしたがって理性的概念的に把握しなければならない。

 

現実総体の歴史性・発展性・革命性をさらに徹底して抉り出し、ヘーゲルを批判的に継承発展させたのがマルクスやエンゲルスである。たとえば、マルクスの最初期の仕事「ヘーゲル法哲学批判序説」など。マルクスやエンゲルスを何も読まないで、彼らに対して頑固な偏見をもつのは、彼らが鍛え上げた歴史の真実を見る貴重な道具・武器を見捨てていることになろう。過去の偉大な学者研究者の多くは、時流を超越し時代を先取りした高い見地にあるために、低く狭い視野しか持てない人びとや社会の偏見によって差別され、迫害を受けてきた。

[46] イェーリング『権利のための闘争』岩波文庫、41ページ。

[47] 同、4142ページ。

[48] ヘーゲル『法の哲学 T』中公クラシックス、20011112ページ。

 

[49] 「先進国に本拠地を持つ一握りの多国籍企業が、国境を越えての事業活動を現地においてなんらの拘束や規制を受けることなく、利潤の最大化を計って自由に遂行できるようにする」権利を打ち立てるということ。世界各地の人間の生活は、その多国籍企業の自由と権利のために、従属させられることになる。多国籍企業が、「事実上。国民国家それ自体の法的地位に等しい法的地位を現地関係国において見とめられる」というもの。同、94-95ページ。

[50] この点については、同、92-101ページにより詳しい説明がある。

 

[51] ユルゲン・コッカ著仲内英三・土井美穂訳『社会史とは何か‐その方法と軌跡』日本経済評論社、2000年、緒言、34ページ。

 

[52] 都留、前掲、158159ページ。小泉首相に代表される靖国公式参拝積極論者の主張には、歴史的検証を経、国際的基準となっている第二次世界大戦、一五年戦争の性格の理解が、主観的心情・主観的確信のレヴェルで曖昧にされているという問題がある。

 歴史的事実に対する主観的評価、主観的感情に基づく解釈は、ヘーゲルの言う「浅薄さ」の結果以外の何物でもない。「浅薄さというやつは、倫理的なものにかんして、総じて権利と義務にかんしては、この圏で浅薄なものをなしている諸原則、われわれがプラトンの著作からあれほど決定的に知り合いになるソフィストたちの諸原理に、おのずから導いていく。」と。では、浅薄さ、あるいはその帰結としてのソフィストたちの諸原理とは何か。

 

 「それらの原理とは、正がなんであるかは主観的なもろもろの目的と意見、主観的な感情と自分一個の特殊な確信にもとづくとする原理である。そしてその結果は内的な倫理と誠実な良心の破壊、私的な人どうしのあいだの愛と正の破壊ともなり、公的な秩序と国法の破壊ともなるような原理である」と。ヘーゲル『法の哲学T』中公クラシックス、2021ページ。

われわれ日本人が、いや世界の人々が世界史の到達点として踏まえるべきは、戦争当時の主観的確信、主観的心情を対象化し、冷徹に分析解明し、歴史と世界の人びとの検証に照らすということである。それは必然的に、第二次世界大戦の侵略戦争としての性格の確認であり、その帰結は、侵略戦争の否定であり、侵略戦争肯定の諸議論を否定することであろう。それこそが、二つの世界大戦を経験した人類の到達点であり、世界的な意味で樹立された現段階の「公的な秩序」の原理であり、現在の世界的な意味での「法」であろう。

 

[53] Karl Marx Friedrich Engels Gesamtausgabeの略語。

 

[54] マルクスは、「ゴータ綱領批判」でも、冒頭に指摘している(以下、全集一九巻、一五ページ以下参照)。ゴータ綱領は、古典派経済学の理論を無批判的に受け入れたラサール派とその影響を受けているからだった。

 

ゴータ綱領冒頭「労働はすべての富とすべての文化の源泉である」

 

マルクスの批判・・・「労働はすべての富の源泉ではない。自然もまた労働と同じ程度に、使用価値の源泉である。(そして、物的富は、たしかにそういう使用価値から成り立っているのだ!)そして、労働そのものも一つの自然力すなわち人間労働力の発現にすぎない。前記の文句はあらゆる初等教科書のなかにあるが、それは、労働がそれに必要な対象と手段とをもっておこなわれる、と仮定するかぎり正しい。・・・人間があらゆる労働手段と労働対象との第1の源泉たる自然に対して、はじめから所有者として対し、この自然を人間の所有物として取り扱うかぎりでのみ人間の労働は、使用価値の源泉となり、したがってまた富の源泉となる。

 Die Arbeit ist die Quelle alles Reichtums und aller Kultur.

 

   Die Arbeit ist nicht die Quelle alles Reichtums. Die Natur ist ebensosehr die Quelle der Gebrauchswerte (und aus solchen besteht doch wohl der sachliche Reichtum!) als die Arbeit, die selbst nur die Äußerung einer Naturkraft ist, der menschlichen Arbeitskraft. Jene Phrase findet sich in allen Kinderfibeln und ist insofern richtig, als unterstellt wird, daß die Arbeit mit den dazugehöigen Gegenstäden und Mitteln vorgeht.

 

Nur soweit der Mensch sich von vornherein als Eigentüer zur Natur, der ersten Quelle aller Arbeitsmittel und -gegenstände, verhält, sie als ihm gehöig behandelt, wird seine Arbeit Quelle von Gebrauchswerten, also auch von Reichtum.

 

21世紀世界の現実の社会はどうか?

 高度に資本主義が発達した現代社会を見ればわかるように、働く人々の圧倒的多数は、労働力(肉体労働であれ精神労働であれ、仕事をする能力)は持っているが、労働手段(機械や設備)も労働対象(原料、素材、またその前提としての生産や商業の土地など)も所有していない。

労働手段や労働対象を所有しているのは、現代の場合、圧倒的に法人企業であり、法人資本である。一般に資本主義社会は、労働手段と労働対象は資本が所有する。

労働能力を持った人間は、労働能力だけを所有しているにすぎない。

 自分の労働能力を生かすためには、資本(企業)のもとで働くしかない。そこから、種々の隷属的状態・精神的隷属が生じる。

 

 

「ブルジョアが、労働には超自然的な創造力が備わっているかのようなつくりごとを言うのは、はなはだもっともである。なぜなら、あらゆる社会状態と文化状態のもとで、自分の労働力以外になんの財産も持たない人間が、対象的労働条件の所有者となっている他の人々の奴隷とならなければならないのは、まさに労働が自然によって制約されている結果だからである。彼は、この他の人々の許可があるときだけはたらくことができ、したがって、彼らの許可があるときにだけ生存することができるのである。

Die Büger haben sehr gute Gründe, der Arbeit übernatürliche Schöpfungskraft anzudichten; denn grade aus der Naturbedingtheit der Arbeit folgt, daß der Mensch, der kein andres Eigentum besitzt als seine Arbeitskraft, in allen Gesellschafts- und Kulturzuständen der Sklave der andern Menschen sein muß, die sich zu Eigentümern der gegenständlichen Arbeitsbedingungen gemacht haben. Er kann nur mit ihrer Erlaubnis arbeiten, also nur mit ihrer Erlaubnis leben.

[Marx: Kritik des Gothaer Programms, S. 7 ff. Digitale Bibliothek Band 11: Marx/Engels, S. 13168 (vgl. MEW Bd. 19, S. 15 ff.)]

 

 「対象的労働条件の所有者となっている他の人々」とは、現代の高度に資本主義が発達した社会では、圧倒的に法的人格を持った企業=法人(企業)=法人資本である。

 法人企業=法人資本が雇用条件を提供し、雇用が可能な限りで人々を就業させる。生産手段を持たない働く人々は、資本の運動法則に従属している。労働力しか持たない人々は、多かれ少なかれ、好況期には就業できるが、相対的に過剰生産に陥り不況になると、仕事場から追い出され、失業する。失業の危険性はつねに潜在的にすべての人に存在する。隷属への一つの契機。

賃金労働者は、ある時間を無報酬で資本家のために(従ってまた剰余価値にたかる資本家の伴食者たちのために)働くかぎりで、自分の生活のために働く事すなわち射切る事を許されるのだということ、全資本主義的生産制度の中心問題は、労働日の延長または労働力の生産性の発展、その緊張度の強化などによって、この無償労働を増大させることにあるということ(同上、256ページ)は、法則性として貫徹している。資本の論理をどのていど労働と人間の論理が抑制できるかが、社会発展の水準を示す。

Seit Lassalles Tode hat sich die wissenschaftliche Einsicht in unsrer Partei Bahn gebrochen, daß der Arbeitslohn nicht das ist, was er zu sein scheint, nälich der Wert respektive Preis der Arbeit, sondern nur eine maskierte Form für den Wert resp. Preis der Arbeitskraft. 賃金は、外見上そう見えるような労働の価値または価格ではなく、労働力の価値または価格の仮装された形態にすぎないという科学的洞察

Damit war die ganze bisherige bürgerliche Auffassung des Arbeitslohns sowie die ganze bisher gegen selbe gerichtete Kritik ein für allemal über den Haufen geworfen und klargestellt, daß der Lohnarbeiter nur die Erlaubnis hat, für sein eignes Leben zu arbeiten, d.h. zu leben, soweit er gewisse Zeit umsonst für den Kapitalisten (daher auch für dessen Mitzehrer am Mehrwert) arbeitet; daß das ganze kapitalistische Produktionssystem sich darum dreht, diese Gratisarbeit zu verlängern durch Ausdehnung des Arbeitstags oder durch Entwicklung der Produktivität, größere Spannung der Arbeitskraft etc.;

 [Marx: Kritik des Gothaer Programms, S. 27 ff. Digitale Bibliothek Band 11: Marx/Engels, S. 13188 (vgl. MEW Bd. 19, S. 25 ff.)]

 

 社会的セーフティネットで保護されてはいるというものの、激烈な市場競争=必然的なな周期的過剰生産=失業の危険性・多かれ少なかれ周期的な大量失業=資本の運動法則に従属している現実は、厳然として存在している。

 

 

[55] 岩波書店の『世界歴史年表』によれば、直立原人については、前200万年説‐50万年ないし70万年説が併記されている。研究の今後の発展が決着をつけるであろう。

 

[56] 「二つの偉大な発見、すなわち唯物史観と、剰余価値による資本主義的生産の秘密の暴露とは、マルクスのおかげでわれわれに与えられたものである。」エンゲルス「空想より科学への社会主義の発展」『全集』19巻、206ページ。

唯物史観(die materialistische Anschauung der Geschichte) とは

この史観は、つぎの命題から出発する。すなわち、「生産が、そして生産についではその生産物の交換が、あらゆる社会制度の基礎であり、歴史上に現れるどの社会においても、生産物の分配は、それとともにまた諸階級または諸身分経の社会の区分は、なにを、どのようにして生産するか、そして生産されたものをどのようにして交換するかによってきまるという命題である。

この見地からすれば、あらゆる社会的変化と政治的変革との究極の原因は、人間の頭の中に、永遠の真理や正義についての人間の洞察がますます深まっていくということに、求めるべきではなく、生産および交換の様式の変化に求めなければならない。それはその時代の哲学にではなく、経済に求められなければならない。

現存の社会諸制度は非理性的で不正であり、道理が非理となり、善行がわざわいとなったという洞察(ゲーテの悲劇『ファウスト』第1部「書斎の場」のメフィストフェレスのせりふから)が目覚めてくるのは、生産方法と交換形態とのうちにいつのまにか変化が起こって、以前の経済的諸条件に合わせてつくられた社会制度がもはやこの変化に適合しなくなった、ということの一つの徴候にすぎない。このことは、同時に、あばきだされた弊害を取り除くための手段も、やはり変化した生産関係そのもののうちに―多かれ少なかれ発展したかたちで―かならず存在している、ということを意味する。これらの手段は、決して頭のなかから考え出すべきものではなくて、眼前にある生産の物質的諸事実のうちに発見しなければならないのである。」同、206-207ページ。

[57] ユルゲン・コッカ著仲内英三・土井美穂訳『社会史とは何か‐その方法と軌跡』日本経済評論社、2000年、iii.