大学改革日誌 2003101日―1015

 

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20031015日(2) 市会における大学側答弁の新聞報道(本日誌1013日参照)に関連して、教員組合が学長に質問書を提出した。「担当コマ数をふやす」という発言はいかなる意味であるか、きちんとした検討が必要である。この問題は、教員負担のあり方に関わると同時に、教員の研究教育に割くべき時間の配分の問題でもあって、職務内容・職務遂行のあり方などきちんとした検討を教授会や教員組合などと詰めていくべき問題である。「増やす」ということだけをいうのでは、単純すぎて話しにならない。教員の評価においては研究と教育が総合的に問題となる。その全体的時間配分との関連を問題にしなければならない。教員数をふやすことが可能なのかどうか。昨年と今年、そして来年度も、定年退官教員補充の凍結の結果として、むしろカリキュラムは悪化せざるを得ない状態にある。各種委員負担なども重くなっている。さらに2重,3重に、残っている教員の負担を重くしようということか?[1]

 

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学長への質問書

 

横浜市立大学学長

小川恵一殿

                                               横浜市立大学教員組合

 

 日頃、本学の教育研究環境の向上のためにご努力頂いておりますことを感謝いたします。ところで、1012日の読売新聞によりますと、「改革に取り組む横浜市立大学は11日までに、講義の選択幅を広げるため、大学全体の授業数を増やす方針を明らかにした」と報道されています。つきましては、横浜市立大学の最高責任者である小川恵一学長に、質問を致します。

 

質問 教員が受け持つ授業数を増やすという方針は、いつ、どこで、誰によって決定されたのか?

 

以上、1017日までに文書でご回答頂きたい。

                                                           20031015

 

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20031015日 矢吹先生御編集の『カメリア通信』第4号を頂戴した。下記にコピーしておきたい。山形大学職員組合の決議は,公立大学に吹き寄せた嵐の問題、今回の市大の問題,とりわけ都立大学の問題を国立大学の将来にも重大な影響を及ぼすものと捉えている。そのとおりであろう。戦後日本が築き上げた民主主義の力量が全国的にとわれる問題となっている。教育基本法改正問題,憲法改正問題等とも連動するものとして、しっかり考えを鍛えていく必要があろう。市大大学人が、憲法、教育基本法、学校教育法などの基本諸法規にもとづいて問題を解決し,改革していくことは,全国的歴史的意義のあることである。

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横浜市立大学の未来を考える

『カメリア通信』第4

  20031014(不定期刊メールマガジン)

Camellia News No. 4, by the Committee for Concerned YCU Scholars

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行政による公立大学の一方的「改革」に反対する

山形大学職員組合特別決議2003.10.11

山形大学職員組合は、本日開催された2003年度定期大会に於いて次の特別決議を全会一致で採決致しましたので、ご紹介いたします。20031011

            山形大学職員組合書記長 品川敦紀

特 別 決 議 

行政による公立大学の一方的「改革」に反対する

国立大学の法人化や地方独立行政法人法の成立を機に、東京都、横浜市は、当該大学教職員の意向を無視した形で、東京都立大学、横浜市立大学の廃止も含めた「改革」を強権的に行おうとしている。こうした行政による一方的「改革」は、憲法に保障された学問の自由と大学の自治を真っ向から否定する行為であり、われわれ山形大学職員組合は、強く反対するものである。東京都と横浜市当局に再考を求めたい。

特に、東京都の場合、現在の都立大学そのものを廃校した上での、教職員の選別採用による新大学の発足をもくろんでいると伝えられている。これは、まさしく多くの混乱を招いた国鉄の民営化と同様の手法であり、大学に働く教職員の雇用と権利を乱暴に踏みにじる行為である。

こうした行政による乱暴な一方的「改革」を許すならば、これを悪しき前例として国立大学法人の解体、民営化と教職員の選別採用といった事態を招き、戦後大学人が育ててきた大学の自治、学問の自由が全面的に否定されかねない。

したがって、この動きは、国立大学もふくめた日本の大学全体にかけられた攻撃として看過できないものである。強い反対の意思を表明するものである。

以上 決議する。

2003年10月11日

山形大学職員組合2003年度定期大会

 

 

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  市当局よる職場・職員の意見表明への封殺に抗議する声明

 10月9日横浜市長は「衛生局港湾病院の経営形態にかかる記者会見及び声明文の配布に関する処分」を行ったことを発表し、翌10日新聞報道がされました。

 これらの処分は、8月15日に港湾病院院長以下の病院幹部が、自治労横浜病院支部港湾病院分会との「共同記者会見」を計画、出席は「職務命令」により見送ったものの、「院長名文書」を「院長は撤回しなかった」ことを理由としています。

 私たち自治労横浜は、一方の当事者である自治労横浜病院支部港湾病院分会の仲間を含め、横浜市に働き、日々市民のために奮闘している多くの市職員を代表し、これらの処分が極めて不当なものであることに抗議します。

 市当局は、「特定の職員団体と共同で記者会見」の計画を処分対象にしています。現実の港湾病院の労使関係は、自治労横浜病院支部港湾病院分会が組合員対象者の過半数はもとより圧倒的な職員を組織しており、病院当局とその責任者である院長とは日常的な労使関係が存在しています。横浜市役所にあっても事業所ごとの労使関係は、労働関係諸法律を見るまでも無く成立しており、共同での意見発表は何ら責められるものではないはずです。職場の存続という重要課題ついて、職場・職員の意見を全く聞く姿勢の無い市当局・衛生局こそ、その責任放棄を正すことが求められるものです。

 さらに、当日の状況は多くの記者の皆さんを前にした、「職務命令」なる言論の封殺です。当局は「当該文書を撤回しない院長」と言いますが、そもそも「院長名の文書」とは、前日の医局会議(医師による病院内部組織)で集約された、港湾病院の医師スタッフの声であり、一個人の見解ではありません。そして、これらを支持することを明らかにした自治労横浜病院支部港湾病院分会を加えれば、港湾病院に働くほとんどの職員が、「港湾病院を公設公営」で引き続き経営することを望んでおり、そのための一層の努力を誓い合い、力をあわせての病院運営を望む当然の意思統一です。そして、共同会見への流れこそ、これら当該職場の声が、この間全く封殺されて来たことの証左とも言えます。

 今、横浜市では、港湾病院問題のみならず、学校給食の民間委託、市立保育園の民間委譲、福祉施設の廃止・民設民営化などで、職員や関係者、市民の意見を全く無視し、民営化政策を一方的に進めようとしています。そして、職場・職員の「声」「意見」に対しては、管理者に都合のよい「内部告発」を奨励しながら、「懲戒処分の標準例」を突然・一方的に発表し、しかも、本来制度の両輪である異議申し立てや救済については付記せず、「言うことを聞かないなら処分」と言わんばかりの人事政策を進めています。

 こうした中での今回の処分は、組合員に対するものではないとは言え、二重にも三重にも不当なものと考え、こうした横浜市当局の姿勢に強く抗議します。

 私たちは、市当局が使用者としてのあたりまえの労使協議を放棄し、一方的・強権的労務政策をとるのであれば、徹底してたたかうことを明らかにし声明とします。

2003年10月14日

自治労横浜市従業員労働組合

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編集発行人: 矢吹晋(商学部)      連絡先: yabuki@ca2.so-net.ne.jp

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20031013日 市議会において本学教員のコマ数・出講日数が問題となったようである。(教員組合情報では,読売新聞でも報道されている。)

 

神奈川新聞の記事「横浜市大教員の受け持ち授業」によれば

 

 横浜市立大学は十日、「専任教員の受け持ち授業数」についての調査結果(商・国際文化・理学部が対象)を市会決算特別委員会で明らかにした。一週間あたりの教員の受け持ち授業日数は「二日間」が42%とトップで、担当授業コマ数(一コマ九十分)の教員間格差も分かったという。
 市会側からは「一週間の平日は五日あるのだから、もう少し授業を通しての学生とのコミュニケーションを大切にしてはどうか」など見直しを求める指摘があった。自民党の鈴木太郎氏(戸塚区)の質問に高井禄郎事務局長らが答弁した。
 市大事務局の説明によると、教授など専任教員は商学部四十八人、国際文化学部四十九人、理学部八十人。一週間あたりの受け持ち授業日数は【1】二日41・91%【2】三日40・44%【3】四日15・44%【4】一日1・47%【5】五日0・74%−の順となっている。
 授業の週あたりの受け持ちコマ数は商学部で平均四・一、国際文化四・三、理学部五・二。このほか大学院教育を文系では一、理系では二程度を担当しているという[2]。多い教員で九、少ない教員で二と開きがある[3]
 ばらつきの理由について高井事務局長は「商学部では『専任講師のコマ数は二とする』ことを慣行としているなど、受け持ちコマのあり方を各学部が独自に決めてきた。つまり全学的な調整が行われてこなかった」などと説明[4]。各学部長は「これまで大学で慣習として行ってきたことが一般社会に通用しなくなってきていることを認識した」(商学部)などと見直しを進めていく姿勢を示した。

 

 しかし、教員が担当コマ(固定的な講義時間・演習指導時間:研究教育時間の固定的部分)を2日間にまとめるのは、かなり多くの大学で見られることであり、市大に特別のことではない。

また、各学部には固定的な会議日(各種会議のためにあけておくべき曜日)があり、商学部では木曜日がそれで、第一週が教授会、第二週が学科会、第三週以降は各種全学委員会などがある。つまり、ほとんどの教員は、少なくとも週3日は何らかのかたちで大学に来ているといってよい。

したがって、通常の場合、週5日の内、残りの2日間に関しては,各研究者教員の研究のあり方、研究条件などに応じて、時間的空間的に選択性のある自由な研究が慣行として認められ,確立してきた。大学教員の研究の独特のあり方を前提として,長年にわたって慣習法として確立してきたことである。自然科学系などで,固定時間を3日や4日にしている人がいてもそれはその研究の特性と合致しているならば何ら不自由ではなく,研究の仕方に即した選択であろう。こうした研究の時間・空間の自由と選択制こそ,大学・学問の自由と創造的研究に不可欠のものであり、大学の生存の普遍的存在条件であり、生命である

 

 一コマ(九〇分)の講義のためにその倍の準備が必要だというのが通常の基準である。学部4.5コマと大学院1―2コマ、合計で5.5コマから6.5コマをこなすと、5.5コマ×1.5時間×216.5時間から6.5コマ×1.5×219.5時間の準備が必要になる。学生院生との講義・演習時間(固定的な時間)が、5.5コマ×1.5時間=8.25時間から、6.5コマ×1.5時間=9.75時間である。

 二つをたすと、5.5コマ担当の場合、固定時間8.25時間+準備時間16.5時間=24.75時間となる。6.5コマの場合、固定時間9.75準備時間19.5時間=29.25時間となる[5]

 

 このほかに、教授会、各種委員会がある。

教授会は、学部と大学院を合わせて、定例だけですくなくとも5時間は必要となっている。

 各種委員会は、すくなくとも各人一人が毎月一回以上の会議がある。学部・大学院の入試や教務担当になった場合は、繁忙期(4月や123月)は、気が遠くなるほどの拘束時間となる。春休みはほとんど研究はできなくなるのが最近の実情である。

 

また、教員は各種入試の出題・採点などもしなければならない。高校生や市民の大学への希望が多様化するなかで、また大学も多様な個性を集めようとするために、9月以降は何らかの入試(学部か大学院か)が毎月のようにある。

 

そのほかに、@研究論文(さらに啓蒙的な論文や書評執筆なども入ってくる)・著書(専門書・啓蒙書,人によっては翻訳書)の執筆A学会(理事会、事務局や編集委員会,研究委員会,その他各種仕事がある)など研究者としての学界活動のために割くべき時間が必要となる。学界での仕事(理事会や学術雑誌編集委員会、研究会は、土曜日や日曜日であり,しかるべき研究者はいくつかの学界で活動している。土・日、および平日や土日の夜間も、研究のために結構仕事をしている。各大学・各教員のプロフィールを見てみるといい。

社会的アカウンタビリティが求められるこの大学教員研究固有の部分に、一体どれだけの時間を振り向けることができるというのか? 時間的余裕どころか、しかるべき人々は、普通の人間的生活を犠牲にしているのではないか? だからこそ,最近は研究休暇(サバティカル)が多くの大学で導入され[6]、研究だけに没頭出きる期間を提供するようになってきているのではないか? 

実態に即してみれば、本学の教員は、少なくとも私の知るかぎりでは、相当に多忙な毎日を送っている。ありうべき特殊例外的な個別事例を一般化して,大学教員を誹謗中傷することは容認されるべきではない。批判は、具体的事実に即し、諸個人に即して、検証が必要である。

 

現在のように、業績の明確な提示が求められ、社会的アカウンタビリティが求められる時代にあって、大学教員が人間らしい勤労・研究時間(週40時間)でこなせることは、手一杯になっているといっても過言ではない。

 

しかも、本学では(市当局の方針? 「あり方懇」の方針? 市長・大学改革推進本部の方針?)、今回の「改革」で、教員削減を図ろうとしている。

教員が人間である限り、また通常の人間的生活を送る限り、週40時間以上は無理だとすれば、教員数を減らし、事務負担だけを多くすれば(この間,各種教務入試関係で教員負担が確実に増え,事務職員削減の圧迫は教員にしわ寄せされている)、必然的に教育か研究の時間を削らざるを得ない。

 

はたして、市会ではこのような大学の実態をきちんと説明したのであろうか?

事務局責任者が「教員に事務職員削減の負担を押し付けています」とは決していわないであろう以上,教員側責任者(学長・学部長など)がきちんと説明しなければならないが、そうなっているか?

 

今回の「改革」の深刻な問題性は、プロジェクトR(幹事会)すら、このような現場研究者の生の実態をきちんと把握していないのではないかと思われることである。一方では、教員サイドがきちんと「天下り事務局幹部」に研究者教員の実態を説明しなければならないのだが、他方では、事務局幹部が「天下り」(落下傘)だけあって、研究教員の実態に疎いのか、アタマが関内にだけ向いている(アタマにあるのは憲法や教育基本法ではなく条例だけ、とか、あるいは「わが亡き後に洪水は来れ」と、各学部事務室統合に見られるように人員削減のような目に見える数値だけを誇示したいとか)ためか、かならずしも大学の実態・研究教育の必要性をきちんとつかんだ上で「改革」案を練っていないのではないかと考えられる。

 

「落下傘」でやってきた事務局幹部(大学の研究教育の素人=公立大学の事務局責任者の大学内における勤務年数が平均2―3年でしかないことは統計が証明している、私立大学はもとより国立大学に比しても極端に少ない年数である)に対して、いちいちすべてを説明しなければならないとしたら(任期制導入問題で露呈したように、大学関係の諸法令もきちんとマスターしていないとすれば,今後,独立行政法人化を巡っても問題になってくるであろうが、学校教育法や大学設置基準などの関係諸法令に関しても同様である)、それだけで教員は消耗してしまう

予算関係で関内とパイプを持っていることを武器にされたら、どうしたらいいのか?

独立行政法人化で理事長が学長の上に座ったら、はたしてどうなることか?

ともあれ、私の推測があたっているかいないか、事務局責任者の市会答弁が一体どのような内容であったのか、いずれきちんと検証してみる必要がある。

 

それにしても、「これまで大学で慣習として行ってきたことが一般社会に通用しなくなってきていることを認識した」(商学部)などというのは、一体いかなる意味か? 各学部長は、きちんと説明したのか? 大学の実態をきちんと社会に伝え説明するのは大学人(教職員)の責任である。

どこに余分な自由時間、社会が認めることができないような時間があるのか?[7] 

 

 

 

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20031012日 教員組合から評議会に宛てた任期制に関する要望書をここに掲載しておこう。現行法上の大学の最高意思決定機関が、この問題でもきちんとした態度を表明しておくことは大切だろう。

 

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2003109日(4) 下記の情報は私には新しく、ここにコピーしておこう。天木氏はレバノン特命全権大使であったが、イラク攻撃反対を本省に何度も伝え、小泉首相アメリカ支持発言を批判して、やめさせられたそうである。本省の命令に抗してユダヤ人にビザを発給したかつての杉浦千畝のようなものか?

 

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━ AcNet Letter 55-1━━━━━━━━━━ 2003.10.08 ━━━━━━

天木直人氏「レバノンよりーそして戦争が始まった」2003.3.23
  
財団法人中東調査会サイトより
   http://www.meij.or.jp/countries/lebanon/amaki92.htm
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2003320日は忘れられない日となろう。中東外交
    
史上においてもそして私の34年余の外交官人生において
    
も。

    
 米国のイラク攻撃が始まって2日目のバグダード大攻
    
撃は余りにも衝撃的であった。「衝撃と恐怖」作戦であ
    
ると言う。その爆撃音と破壊力を見せつけて心理的に戦
    
力を萎えさせる作戦だと言う。これほど人間性を否定し
    
た行為があろうか。そしてまもなくバグダード攻略の名
    
の下に想像もつかない惨事が繰り広げられようとしてい
    
る。

    
 テレビ画面を通じて飛び込んでくる破壊的行為に目を
    
背けることなく直視し続けながら私は戦争とは外交の対
    
極にあるコンセプトであると今更ながら思い知った。何
    
があってもこのような事態を避ける、それが外交なのだ。

    
 私が中東の小国レバノンに赴任して2年間レバノン人
    
は驚くほど親日的であった。勤勉、礼儀深さ、伝統を重
    
んじる日本、広島の被爆体験から平和の尊さを最も知っ
    
ている日本、その日本こそアラブの心をよく理解してく
    
れるに違いない、中東紛争に手を染めていない日本こそ
    
中東和平にイニシアチブを取ってもらいたい。私はこの
    
ようなレバノン人の好意に支えられて日本大使の職務を
    
これまで勤めることが出来たのである。

    
 ところが今回の米国の対イラク戦争の決定に対しこれ
    
を支持すると小泉首相の言葉が当地で繰り返し報道され
    
るや政府の要人と民間人とを問わず逢う人と全てが「日
    
本の態度には驚き、失望した。日本こそは米国と違って
    
アラブの気持ちがわかる友人であると信じていたのに。
    
何かの間違いではないか。日本がそんな態度をとるはず
    
が無いと信じたい」と私に語るのである。見知らぬレバ
    
ノン人から抗議の電話がかかってきた。こんなことは過
    
2年間一度足りとも無かった。

    
 それでもレバノン人は私に親切である。怒った顔で抗
    
議するのではなく如何にも寂しい表情で残念だ、残念だ
    
と言うのである。私の心は引き裂かれる痛みと悲しみを
    
感じる。

    
 ミサイルによって崩壊された瓦礫の破片を積み上げる
    
ように私はレバノンにおいてもう一度始めから中東外交
    
の破片の一つ一つを積み上げていきたい、その思いでレ
    
バノン便りを書き続けて行こうと思う。」

 

 

2003109日(3) 今日は学科会の後、商学部で先日改組案において純粋に実学的経済学経営学の部分(まさにプラクティカルが文字通り、普通の意味であてはまるであろう部分、いくつかのコース案が設定されているが)とは少し距離のある歴史・社会・語学関係15の所属がどのようになるか、「学府―院」構想が不明確なことと関連して問題になった。いわば、商学部のなかのリベラルアーツ・教養に関連の深い研究領域・専門領域の教員たちの配属の問題である。

 

通常なら、これまでこの歴史・社会・語学のグループは商学部内の第3学科(たとえば大学院構想においては「グローバル地域」コースなどを構想していた人々による学科)を構想してきたメンバーであり、少なくともひとまとめにして他の構想の一番適切なコースと合体する(ないしは、話し合いでうまくまとまらなければ、単独独立のコースとする。第3学科として構想していた以上、それにふさわしい陣容であると思われるので。いずれにしろ関係教員が一堂に集まって適切なコース名やカリキュラムなどに関して議論する必要があろう)、というのが当面の適切なやり方だろう。定員としては、15名のスタッフということだから、経済学科定員175名の半分、すくなくとも80名は当然か。

 

研究院構想からすれば、研究院の組織に教員が全体として統合され、そこから学府へ、すなわち国際教養学府や総合経営学府、あるいは理工学府の教養科目や専門科目をたんとうすることになるはずで、どのコース、どの学府に固定的に所属する、という固定化を避ける、というのが本来の趣旨である。したがって、上記の関係者が必ずしもまとまる必要はなく、国際文化学部で構想されている再編プラン=3コース+1コースのいずれか適切なコースの分属するという可能性ももちろんある。

ただ、どうも、コースの設定などにおいては、定員削減との絡みで、しかるべきコースに張りつくこと、そのコースの確保が最優先になっているようであり、それぞれのコースの設定方法などに関する研究院としての、あるいは学部横断的な検討は、これまでのところ進んではいない。

 

定員削減を市が財政事情で求めるなら(また将来的には発展的なコースなどを創設する場合にも)、それはそれで研究院として考えるべきだろう。そうした全体的な立場に立ちうる制度として研究院が構想されたはずだが、現実には、それが機能していないようである。それをこそ、機能させるべきではないか。

したがって、ここでも、プロジェクトR(幹事会)は、秘密主義を貫き通しているため、せっかくの研究院構想を活かすような働きかけは見られず、その意味でプランを推進する人々のなかで精神構造の「再生」を実現していないようである。

というか情報が非公式にしか漏れてこないので一体何をどこまで詰めているのかがわからない。

 

それにしても、噂として20%とか25%の教員削減が必要だというのは本当か? 

教員数の削減はカリキュラム内容に関わり、学生や院生に対する教育・研究指導の質量に関係する。一体、プロジェクトR(幹事会)はなにを考えているのか? いまだに教養教育や大学院教育の体系性をきちんと考えていないのではないか、と考えられる。議論を積み重ねる手順に重大な問題があるように思われる。

これではたして大胆な改革、市民や社会が納得する説明を行えるような発展的建設的改革となるのか?

 

大学院に関していえば、プラクティカルなMBAMPA(総合経営学府の大学院修士課程)とそれ以外の文科系の大学院(人文社会科学研究科)という構成は、昨日の議論では確認事項ということであった。だとすれば、その人文社会科学研究科修士課程(博士前期課程)の上にどのような博士課程(博士後期課程)を置くか、これが問題となる。

 

学部(学府)のコースの編成と大学院の編成とは別に考える必要があろう。

 

大学院では、すでにたたき台として書いたことだが、たとえば歴史学は、国際文化の今谷教授(日本中世・近世史)、上杉教授(アメリカ現代史)、金子教授(日本現代経済史、アジア経済史)、古川助教授(日本史、戦時史・文化史)、山根助教授(19世紀ドイツ史)、商学部には千賀教授(経済思想史)、松井教授(フランス社会経済史・都市史)、只腰教授(イギリス思想史・社会思想史)、平教授(戦中戦後日本経済史・金融史)、本宮教授(日本近現代外交史・通商交渉史、地域史)、影山教授(比較社会体制論)、それに私(ドイツ経済史、両大戦ヨーロッパ経済史、欧州統合史、ホロコースト研究)といった歴史関係のスタッフがいるので、結集すればひとつのまとまりをなしており、そうとうな厚味を形成しているといえるのではないか、と思われる。教育やジェンダーの歴史ということになれば、歴史社会学関係のスタッフもいる。教育制度史ということなら高橋寛人助教授もいる。経営学・経営教育において活発な著作活動・学会活動を続けておられる齊藤毅憲教授は経営史学会でも活躍されており、歴史分野のスタッフでもあり、なにかとご協力はいただけるだろう。ただ、経営学関係の中心的スタッフとしてのお仕事で手一杯であろう。ともあれ、歴史学関係は博士後期課程を維持するにたる陣容をもっているといえるのではないか。各分野ごとにこのような調査とそれにもとづく合理的な博士課程設定(基準と陣容)が検討されなければならないだろう[8]

 

今回の学部統合で唯一のメリットである文科系スタッフの協力関係の構築によるメニューの充実、大学院の充実をこそ、実現すべきであろう。研究院という構想は、まさにそれを可能にするはずのものであろう。

 

 

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2003109日(2) 矢吹先生御編集の『カメリア通信』第3号を頂戴した。10月3日学生説明会に関する部分を以下にコピーし、記録に留めておこう。

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横浜市立大学の未来を考える

『カメリア通信』第3

  2003109(不定期刊メールマガジン)

Camellia News No. 3, by the Committee for Concerned YCU Scholars

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103日に行われた、学生説明会についての学生による報告

10月3日金曜日、シーガルホールにて、小川学長が「横浜市立大学 大学改革について」と題して45分程度説明を行いました。まず「大学改革の背景」と題して、社会構造の変化や国立大学法人法、地方独立行政法人法の解説がなされました。次に「市立大学の取組み」として市大当局の大学改革への取組みを、将来構想委員会中間報告書(「中間報告といってもほとんど最終報告」であると学長は発言)と大学改革戦略会議の二つにわけて説明、また横浜市当局の「今後のあり方についての答申」と、その後設立された横浜市立大学改革推進本部を説明、これを受けて5月に「市立大学改革推進・プラン策定委員会」通称プロジェクトRを設置し、8月に「市立大学の改革案の大枠の整理について」、10月1日に「市立大学の大枠整理(追加)」をまとめたことを述べました。

そして改革案の大枠について、@地域貢献と産学連携A6年サイクルの中期目標と中期計画の策定B自立した大学運営のための経営改善Cそのための学長と理事長の役割分担Dリベラルアーツ教育を実施し教育に重点をおくE生命科学系研究を特化するとのおおまかに6点を挙げました。さらに(変更する可能性もあるとしながら)改革のキーワードを「プラクティカルなリベラルアーツカレッジ」であると紹介、リベラルアーツとは従来の一般教養ではなく専門能力を担うために必要なものだと説明していました。改革を具体化した案として1学部3学府構想を紹介。@医学部はそのまま残した上でA「国際総合科学部」を開きその中に総合経営学府、理工学府、国際教養学府を新設、B理工学府の博士課程で生命科学分野について医学部博士課程との連携をすることなどを解説しました。

その後質疑応答に入りました。主な内容は以下の通りです。@国際教養学府(現国際文化学部)の博士課程は廃止するのか。A改革計画策定のシステムが不透明だB学生側に対する説明が今までなかったのはおかしいCプロジェクトRに学生の代表を入れるべきだD現在のような貧弱な図書館でリベラルアーツ構想が実現できるのかE学生の意見を反映する意思が大学側に感じられないF今日の説明会では不充分なので再度学生に対する説明会を開くべきだG大変な計画だろうが頑張ってほしい。これらに対する学長の説明は曖昧な回答が多かったのが印象的でした(例えば@の質問に対し「正式な決定ではなくあくまでも案である」など)。また、説明中にはほとんど触れていなかったのに質疑応答では大学財政や「限りあるお金の中で」といった説明で、大学改革の必要性について金銭面からかなり言及が増えたのが対照的でした。また「学生からの新鮮な意見を知りたいので是非メールで知らせて欲しい」と強調していました。予定時刻より30分過ぎた8時ごろ柴田副学長が閉会を宣言、説明会は終了しました。

◆公開質問状への質問を募集しています

10月3日に行なわれた大学改革の学生説明会で、小川学長は「学生の意見はもっと聴きたいし、大いに取り入れたい」とおっしゃってくださいました。ただ、学生一人一人の意見や疑問を伝える方法は、今のところ大学のホームページへのEメールしかありません。それでは返事の有無、意見の反映のされ方がはっきりしません。そこで、学生の疑問や意見をまとめて、公開質問状という形で、改革推進・プラン策定委員会に提出したいと考えています。皆さんの疑問や意見をEメールで以下のアドレスまでお寄せください。もしくは、10月21日に、がけっぷち主催で行う説明会(表面参照)で直接お渡し下さい。委員会側から返答を頂いた際には、お知らせのプリントを作成しまして、配布・公表をします。(質問例:学費は上がるのか? 文系の博士課程はなくなるのか?)

質問・意見はこちらまでgake_ptit@yahoo.co.jp  募集の締め切り:10月21日火曜日

改革推進・プランの策定委員会の大学改革案は、横浜市立大学のホームページでみることができます。

以下がURLです。 http://www.yokohama-cu.ac.jp/daigakukaikaku/daigaku/daigaku_kaikaku/dk00.html

10月21日(火曜日)学生から学生への 大学改革についての説明会

   10月21日に、シーガル1階にて、大学改革について説明会を行います。主催はがけっぷちと、その他の有志の学生です。議論した内容を、上記の公開質問状へ反映させる予定です。説明会の対象は、横浜市立大学の学生ですが、教員や市民、プロジェクトRの方、どなたでも参加可能です。詳細は下のビラを参照して下さい。

 

 

 

 

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2003109日 任期制に関する商学部教授会見解が、全国的に「大学の自治」がいかなるものであるべきかを示す重要な文書であると評価されている。以下に引用する通りである。後世から見ると、21世紀初頭の都立大学問題と市大問題は、戦前の瀧川事件のような意味合いを持つものとなるかもしれない。都立大学総長の抗議声明に対しては、早速、「石原知事が反論」との新聞ニュースであった(アサヒコムでは、http://www.asahi.com/edu/nyushi/TKY200310080297.html)。「理事長を任命し、新しい学長を据える」と、行政機関の長にしかすぎない都知事の権限で憲法が保障する「学問の自由」とその制度的保障である「大学の自治」などどうにでもなるといわんばかりであり、大学人の意志、学長選挙規定などは眼中にないかの発言をしている[9]。教育基本法や学校教育法など法治国家として当然の法律体系をここまで無視するような発言が都知事にはゆるされるのだろうか? まさに、「学問の自由」、「研究教育の自由」の制度的保障としての「大学の自治」を根底から覆すかのような発言となっている。

 

 

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Academia e-Network Letter No 5 (2003.10.08 Wed)
         http://letter.ac-net.org/03/10/08-5.php

━┫AcNet Letter 5
目次┣━━━━━━━━━ 2003.10.8 ━━━━

1】横浜市立大学商学部教授会意見全文
http://eba-www.yokohama-cu.ac.jp/~kogiseminagamine/20031002NinkiseiKyojukaiIken.htm


内容紹介

 
0-1  行政からの、紛れもない「不当な介入」に直面
    
している都立大学【2】と横浜市立大学【1】における
    
大学社会の毅然とした動きは、大学の自治」が日本
    
で初めて全学的規模で機能した歴史的事件のように感
    
じます。これは「大学の自治」の機能を社会が広く理
    
解するきっかけとなる可能性があるように思います。

    
また、都立大学と横浜市立大学が直面している問題の
    
今後の成りゆきは、日本の大学全体の行く末を左右す
    
る重要性を持っています。というのは、個々の大学の
    
自治の剥奪の問題ではなく「大学界の自治」の剥奪問
    
題とも言えるからです。

 

 

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2003108日(2) 教員組合から、三つの文書をいただいた。任期制に関する商学部教授会見解はすでにこのHPでもい紹介したところである。あとの二つ、すなわち学生説明会(103日)における配布資料、および国際文化学部の「大枠(追加)」に関する見解は、はじめて文書形式でみたものである。

 

前者の学生説明会配布資料は、プロジェクトR幹事会の公式説明資料であり、何ら新しいものは含んでいない。学生に突然、公式的な3学部の廃止、1学部への統合と3学府の設定を説明したものにすぎない。これで、120人ほど参加したといわれる学生が納得したのかどうか。高校生などこれからの受験生は、こうした案が魅力的でなければ他の大学を受験していくだけであり、本学の「改革」が魅力的で説得力あるものでなければ、本学の水準がいろいろな意味で低下するだけのことである。心からの自発的建設心を引き起こさないような「改革」でその場を過ごして何ら打撃を被らないのは23年で立ち去っていく「天下り事務局幹部」だけであろう。めんどうな三つの学部などというものより、効率的な1学部がいい、学問体系のちがいなど無視してしまえばいい、学府が学部の名称を変えただけのものでるか学科の名称をかえたものであるか、それもどちらでもいい、と。(さしあたりは4年間の任期しか与えられていない市長とその任期限定の市長によって限定的な課題でスタッフに選ばれた人々も、行動と政策が短期的であってはならず、長期的責任という点でよほど慎重な態度が望まれるのであるが、さてどうか?)。大学と大学の教職員学生・卒業生はこれによって大きな影響を受けることになろう。

 

8年前に分離独立させた二つの学部を75年の伝統を持つ商学部と一体にする、というのがはたして尊敬されるやりかたか?三つの学部に加えて、三つの学部のスタッフを総合した研究院を創設することによって学部の壁を低くし、新しい学部(たとえば国際教養学部)を新設する、というほうが発展的ではないか? 「学部」をつぶすというのは、古い「学部」にこだわり、古い枠組みにとらわれているからではないか? 研究院(教員組織)学府(学部教育と大学院研究指導の場)を分離し、学部の壁を低くした従来の三つの学部(それが新しく総合経営学部、理工学部など内容とともに学部名も発展的に改めるのはいいことだろう、国際文化はそのままでいいのではないか?)と新しく創出する国際教養学部(全学の教養科目をになうと同時に卒業生も一定数送り出す学部として、哲学・史学・日本語外国語など語学・社会学・体育学などの結集体・統合体としての新学部、もちろん全学の教養科目は全学の専門学部の教員も一定割合で担うことになるシステム構成)という4学部体制のほうが良くはないか? 三つの学部から4つの学部を作り出す方がいいのではないか? それは細分化ではなく、研究院を合理的に組織さえすれば出きることではないか? 

 

これまでさまざまの角度から今回のようなプロジェクトR(幹事会)案の3学部廃止という路線は決して受験生の質を引き上げるものではないと繰り返し強調してきたが、聞く耳を持たず、事務室統合にあわせて学部統合をアタマから決めている昨年来の路線を引き継ぐ事務当局責任者とそれを援護・促進する市当局(市長?大学改革推進本部?市義会?)があるとすれば、なにをかいわんやである。都立大ほど外部からの独裁性がはっきり見えないようにしているだけである。

 

国際文化学部の今回の「大枠(追加)」に関する教授会見解も、「学府―院」構想には賛成しつつ、3学部の廃止=一学部への統合に、商学部教授会とおなじように明確に反対している(商学部は「大枠」の段階でそれを明確にした)。そうした反対決議を無視したプロジェクトR(幹事会)案であることだけは、歴史的証拠として、明確にのこることになる。プロジェクトR(幹事会)案を策定した人々、そのあり方を規定した人々の責任が未来永劫に残ることだけははっきりしている。

 

内部の議論の歴史を踏まえた「学府―院」構想には明確な反対は出ていないと思われ、むしろ各方面からあたらしい構想として賛同の声が強いと思われるが、その肝心の構想をおしすすめるという部分は、今までのところなにも見えてこない。プロジェクトR大学院に関する構想も明確にしておらず、そのような段階で一学部統合だけは押しつけるという事務局主導の攻勢的やり方を取りつづけている。大学院を構想の中に位置付けるとき、はじめて、全体の整合性(不整合性)が見えてくるはずである。

 

多くの支持を得ている独自の「学府‐院」構想をこそ、練り上げ発展させるべきであろう。

 

七〇歳のソクラテスを告発した検察側のひとびとは、誰一人として思想と名前を残していないが[10]、その検察官の法廷弁論が裁判官、法廷に臨席するアテナイ市民[11]の決定を方向付け、ソクラテスの弁明は法廷では無力だった。ソクラテスは死刑判決を受け、毒杯を仰いだ。しかし、歴史の法廷は、プラトンを筆頭にものを考える優れた若者を育てたソクラテスに賞賛の声を上げつづけている。

歴史から教訓を学び取るか、歴史を嘲笑するか?

 

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2003108日 都立大学を巡る情勢もただならないようである。今朝の新聞には「都立大学総長、抗議声明を発表」との記事が出ていた(アサヒ・コムにも記事がでている。そのリンクhttp://www.asahi.com/national/update/1008/008.html。研究室にきてみると国公私立大学通信(現在はアカデミア・E・ネットワーク)http://letter.ac-net.org/03/10/07-4.htmlがとどいていた。そこでは、その総長声明の全文を読むことができる。ここにコピーし紹介しておこう。

 

現代の巨大な機構となった大学の研究教育システムは、その大学を構成する教職員、学生、院生などの自発的建設的な自由な議論を踏まえずしては、決して発展させることはできないことを、明確に主張している。同感である。

 

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━ AcNet Letter 41━━━━━━━━━━ 2003.10.07 ━━━━━━

都立大学総長声明「新大学設立準備体制の速やかな再構築を求める」

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声明

  
 新大学設立準備体制の速やかな再構築を求める

                     2003年10月7日
 
                     東京都立大学総長 茂木俊彦


 私は、東京都大学管理本部長に対し、新大学の設立準備の進め方をめぐって、
現都立大学を代表し、かつその全構成員に責任を負う立場から、これまで2回
にわたって意見を表明してきた(9月22日および29日)。

 それらは、去る8月1日、大学管理本部が唐突にもそれまでの設立準備体制
を廃止し、新しい準備体制に入ったと宣言したこと、またすでにまとめられて
いた「大学改革大綱」とその具体化の努力の成果を破棄し、現大学には何の相
談もなしに「新しい大学の構想」なるものを一方的に公にしたうえで、今後は
トップダウンでその具体化をはかるとしたこと、そしてそれを実際に強行して
いることに対応したものであった。

 しかるに、その後の推移を見るに、大学管理本部はこうした検討・準備体制
を改めることなく事を進めていると判断せざるを得ない。これはきわめて遺憾
である。

 私を含む都立大学の構成員は、大学改革の全国的な動きの中で、改革を自ら
の課題として真摯に受け止め、これまで相当の精力を注いできたし、今後もそ
れを継続させる意志がある。

 新大学を清新の気風あふれるものとし、学生や都民、時代と社会の要請に応
える素晴らしい大学として発足させたいという赤心の願いを込めて、ここに改
めて総長としての見解を表明することとする。




 いま設立の準備過程にある新大学は、現存する都立の3大学1短大の教員組
織、施設・設備を資源として設立されるものであり、全く新しく大学を設置す
るのではない。これは、大学設置手続きという面からみれば、現大学から新大
学への移行であるに他ならない。「既存大学廃止・新大学設置」という言い方
が許容されるとしても、それは既存大学の有形無形の資源が実質的に新大学に
継承されるという条件が満たされる場合であり、これを移行というのである。

 しかも、ここでいう教員組織は、単に抽象化された員数の集合にすぎないの
ではない。それは、憲法・教育基本法をはじめとする関係法規に従い、学生な
いし都民に対して直接に責任を負って大学教育サービスを提供することを責務
とする主体の集団であり、また長年にわたって研究を推進し、今後それをさら
に発展させようとする主体の集団である。それゆえ既存大学からの移行、新大
学設置を実りあるものにするには、教員がその基本構想の策定から詳細設計に
いたるまで、その知識と経験を生かし、自らの責任を自覚しつつ、自由に意見
を述べる機会が保障されなければならない

 ところが東京都大学管理本部は、都が本年8月1日に公表した「新しい大学
の構想」にあらかじめ「積極的に賛同する」という条件を設定し、これを認め
なければ設立準備過程に加えないという方針を、いまだに維持している。これ
は設置手続き上、また市民常識的にも、正当なものだとは到底言えない。

 私は、言うまでもなく新大学の設立に反対なのではない。重要なことは、大
学およびその構成員と都・管理本部の間で自由闊達に議論が行われ、合意形成
へのていねいな努力が重ねられることであると考える。そうしてこそ豊かな英
知を結集することが可能となり、学生・都民さらに広くは時代と社会の要請に
応えうる新大学ができるのだと思う。総長としての私は、このような認識は本
学の部局長をはじめ、すべての教員・職員にいたるまで基本的に共有されてい
るものと確信している。

 また、このような合意形成過程が推進されていくならば、本学で学んでいる
学生、院生の間にすでに生じている不安・動揺を除去し、安心して学べる環境
を作り出し、本学を志望する受験生によい影響を与えることもできるであろう。
新大学を東京都が設置するに値する優れた大学とするために、大学管理本部
が上記のような準備体制を刷新し、大学との開かれた協議を行う新たな体制を
急ぎ設定し直すことが、喫緊の課題となっている。私は、大学管理本部がかか
る課題に誠実に対応し、可及的速やかに設立準備の推進体制を再構築すること
を強く求めたい。

 大学管理本部は最近、「新しい大学の基本構想を実現していくための教員配
置案」を示し、教員1人ひとりに、・この配置案、・それを前提にした新大学
に関する今後の詳細設計への参加、・詳細設計の内容を口外しないことの3点
に同意する旨を記した書類(同意書)に署名して提出することを求めてきた。
大学教員の中には、この構想に基本的に賛同する者、一部賛成・一部反対の者、
さらに全体として反対の者もいて不思議ではない。問題は、いかなる立場の者
も自由に意見を述べ、それを戦わせ、そのことを通じて大学づくりに参加でき
るかどうかにある。9月29日付で管理本部長宛に提出した総長意見ですでに
指摘したことであるが、このようなことを無視し、あらかじめ新しい構想に包
括的に賛成することを条件として、詳細設計への参加を求めるのは、大学管理
本部の言うトップダウン方式に含まれる問題点の象徴的な一例である。管理本
部は早急に「同意書」提出要求の白紙撤回をすべきである。

 ここに重ねて強調しておきたい。われわれはよい大学をつくるための努力を
いささかも惜しまない。特に、現都立大学を代表しかつ全構成員に責任を負う
立場にある者として、私は、都立大学のすべての教職員の一致した協力を得つ
つ、かつその先頭に立って、都立の新大学をすべての都民及び設置者の負託に
応え、活力と魅力にあふれる充実した教育・研究・社会貢献の場とするための
あらゆる提案を真摯に吟味し、その実現のために最大限の努力をする所存であ
。この立場からここではあえて3点についてのみ言及しておくこととしたい。
 
 第1は、独立大学院を含む大学院問題である。新大学の大学院は、学部と同
時発足させることが重要であり、大学院の構成等についても学部と同時に検討
を進めるべきであると主張してきた。それは前者を考えずして後者を適切に構
想することは難しいという認識に立ってのことであった。それは同時に現大学
の院生、来年度入学の院生の身分と学習権の保障のための方策を明確化する上
でも有効である。大学院としてどのような研究科を設置すべきかについて、わ
れわれは、すでに提示しているものも含んで、新たな提案を行う用意がある。

 第2は、基礎教育、教養教育の充実の問題であり、それに向けても積極的提
案が可能であることを明言しておきたい。とくに語学教育および情報教育、基
礎ゼミ、課題プログラムなどに関して、われわれには何回もの審議を経て検討
を深めてきた実績がある。これらを生かし、さらにインテンシブに吟味すれば、
短期間しか与えられなくても、ゼロから出発するよりもはるかに豊かな内容を
提示できるという確信がある。念のために付言しておけば、これらの問題の正
しい解決は、専門教育、さらに前項に述べた大学院における教育のあり方の検
討にもプラスの効果を与えることは明らかである。

 第3は、教員免許や資格取得の問題である。都立大では現在多くの教科の教
員免許状を取得できるだけのカリキュラム編成と教員配置を行っている。しか
るに、現段階で管理本部が提示しているコースの設置案と教員定数配置では、
文科省による教職課程の認定も難しい状況が生まれ、少なくともいくつかの教
科の免許状の取得が困難な大学となる危険性がある。また工学系においては主
要な大学が採用しつつある技術者資格(JABEE)に必要な科目編成が困難
になることが予想される。これらの問題が学生や受験生、ひいては新大学の将
来に与える影響がきわめて大きいことは、大学を知る者の常識である。

 最後に、新大学における人事の問題について一、二の言及をしておきたい。
これまで教育研究に重要な役割をはたしてきた助手の問題について突っ込んだ
検討が行われていないのは遺憾である。加えて教員の任期制・年俸制の導入に
関する問題についても指摘しておきたい。管理本部はこれについて積極的であ
ることが伺えるが、仮に新大学ではすべての教員について任期制・年俸制を適
用する方向をとろうとするのであれば、これを看過することは難しい。任期制・
年俸制の問題は、軽々に結論を出す性質の事柄ではない。国際・国内動向に目
を向け、また合法性の検討[12]を行い、現大学で仕事をしている教員の意見を聞く
等々のことをせずに、安易に結論を得るようなことは断じて避けるべきである。
東京都立大学も加盟する公立大学協会は設置団体と国に向けて「公立大学法
人化に関する公立大学協会見解」(平成15年10月2日付)を提示したが、
そこでは「法人化に際しては、大学の教育研究の特性に配慮すること」「法人
化は大学と十分に協議し、双方の協働作業として進めていくこと」等が強調さ
れている。私は、これらについて賛意を表しつつ、今後の準備作業がよい形で
進むことを切に願うものである。
                                以上

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2003107日 102日の教授会の議論を総括し、学部長・評議員等関係者が纏め上げた教授会意見が川内学部長から送られてきた。記念すべき立派な筋道の通った法的文章であると感激している。改革問題で繁忙ただならない時期にこうした文章をまとめられた学部長・評議員各位、そして関係した法律関係の同僚の労に感謝の意と敬意を表明しておきたい。

 

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    大学改革案における教員任期制の導入に関する商学部教授会意見

 

                                                                 2003102

                                                                   商学部教授会

 

 プロジェクトR委員会は、926日に提出した『大学改革案の大枠整理(追加)について』と題する文書において、全教員を対象とする任期制の導入を提案しているが、任期制を導入することのメリットおよびデメリットに関する議論はともかくとして、そもそも教員全員について任期制を導入することは、現行法上ほとんど不可能であり、大学改革案においてかかる提案を行うことは、現行法における公立大学教員の任用に関する規制に抵触すると考えられる。その理由は、次の通りである。

 

1.現行法上、大学(学校教育法第1条に規定する大学をいう)の教員(大学の教授、助教授、講師および助手をいう)について任期制を導入することに関して法的規制を設けているのは、「大学の教員等の任期に関する法律」(以下、大学教員任期法と称する)である。この大学教員任期法は、平成9年に制定されたもので、その趣旨は、大学において多様な知識または経験を有する教員相互の学問的交流が不断に行われる状況を創出することが大学における教育研究の活性化にとって重要であることから、任期を定めることができる場合その他教員の任期について必要な事項を定めることにより、大学への多様な人材の受入れを図り、もって大学における教育研究の進展に寄与することにある、とされている(同法1条)。このような立法趣旨に鑑みれば、同法は、大学の教員について任期を定めない任用を行っている現行制度を前提としたうえで、以下に述べるような個別具体的な場合(大学教員任期法第411号〜3号)に限り、例外的に任期を定めた任用を行うことができることを明らかにしたものである2003516日衆議院における政府答弁)。

 

 2.大学教員任期法第3条によれば、公立の大学の学長は、教育公務員特例法第24項に規定する評議会の議に基づき、当該大学の教員(常時勤務の者に限る)について、次に述べる第4条の規定による任期を定めた任用を行う必要があると認めるときは、教員の任期に関する規則を定めなければならない。すなわち、任期制を導入しようとする場合には、まず、評議会の議に基づいて任期に関する規則を定めることが必要となるわけである。

そして、このような教員の任期に関する規則が定められた場合でも、任命権者が、教育公務員特例法第10条の規定に基づきその教員を任用するときは、次の3つの事由のいずれかに該当しない限り、任期を定めることができないのである。これは、すなわち、@先端的、学際的または総合的な教育研究であることその他の当該教育研究組織で行われる教育研究の分野または方法の特性にかんがみ、多様な人材の確保が特に求められる教育研究組織の職に就けるとき、A助手の職で自ら研究目標を定めて研究を行うことをその職務の主たる内容とするものに就けるとき、B大学が定め又は参画する特定の計画に基づき期間を定めて教育研究を行う職に就けるとき、である(大学教員任期法第41項)。また、任命権者は、このうちのいずれかの事由に該当するとして、任期を定めて教員を任用する場合には、当該任用される者の同意を得なければならない、とされている(同法42項)

 以上の各規定から明らかなように、任命権者が公立の大学の教員について任期を定めるためには、前述のように評議会の議に基づき任期に関する規則を定めなければならないほか、さらに前記@〜Bの事由のいずれかに該当することおよび任用される者の個別的同意が必要であり、いずれの要件を欠いても、公立の大学の教員について任期を定めることができないことになっている。そして、前記@〜Bの各事由の内容の解釈からも明らかなように、大学の教員全員について任期を導入することは、ほとんど不可能であり、教員全員について任期を定めた任用を行うことは、任期を定めない任用を原則としつつ、例外的に任期を定めた任用を許容するという大学教員任期法における公立大学教員の任用に関する規制に反する。

 

3.大学の教員全員が前記@〜Bの事由のいずれかに該当し、かつ任期を定めることについて全員の同意が得られた場合には、大学全体について任期制を導入することは、理論的にはあり得る。しかし、現在ある学部または研究組織の全ての職を、例えば@の事由に該当するとして、教員全員について任期制を導入するとすれば、それは、@の事由の拡大解釈であり、このような拡大解釈は、「多様な人材の確保が特に求められる」という法文の趣旨に反するのみならず、任期を定めない任用を原則としつつ、例外的に任期を定めた任用を許容するという大学教員任期法の立法趣旨にも反することになる。また、@の事由の拡大解釈は、任期制の導入によって教員の身分保障の精神が損なわれることがないよう充分配慮するとする衆参両院の付帯決議にも違反する。

 

 4.来年度以降、公立大学法人(地方独立行政法人法(平成15年法律第118号)第681項に規定する公立大学法人をいう)は、その設置する大学の教員についても、労働契約において任期を定めることができることになるが、その場合も、当該大学に係る教員の任期に関する規則を定める必要があるほか(大学教員任期法第52項)、前記第41項所定の@〜Bの各事由のいずれかに該当することが必要とされている(大学教員任期法第51項)。また、前述したのと同様の理由から、公立大学法人の設置する大学の教員の全員について任期を定めることは、ほとんど不可能であると解される。

 

 以上のように、プロジェクトR委員会が提案した横浜市立大学の全教員を対象とする任期制の導入は、現行法の解釈論としては認められないものである。もちろん、大学教員任期法第4条所定の3つの事由のいずれかに該当するときは、任期を定めることが可能であるが、これはいうまでもなく、当該3つの事由のいずれかに該当する教員について任期を定めることができるに過ぎず、プロジェクトR委員会の提案した教員全員を対象とする任期制の導入ではない。プロジェクトR委員会の提案は、公立の大学または公立大学法人の設置する大学の教員について任期を定めない任用を原則としつつ、例外的な場合にのみ任期を定めた任用を許容するという現行法上の規制に反するものと考えられる。よって、商学部教授会は、プロジェクトR委員会に対し、教員の任期制の導入に関して、関係する各法令をよく調査したうえで、慎重に検討するよう要望する。

 

 

 

 

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2003106日(4) 教員組合が問題にしている教員の入校・下校時間の事務局庶務係による秘密調査教員の在室状況を調査)と関係するのか、今日、ボックスには学長名の教員に対する「服務規律の徹底について(通知)」なる文書が配布されていた。教員と一般職員との勤務形態のちがいなどをいっさい明確にしないままの一般規定を教員に対して配布することは、一般職員の「服務規律」の周知徹底と言うことはあるとしても、一般職員の「服務規律」を教員に一律に適用しようと意図するものであるならば、それは重大な問題である。教授会と教員組合は研究に従事する教員の独自の立場から、この「服務規律」配布の意味合いなどについても、教員の研究教育のあり方、時間配分のあり方などを拘束する可能性があるので、警戒し、十分注意する必要があるように思われる。この間の苦い経験を忘れてはならない。

 

研究時間・研究空間の自由なあり方(各個人の自主的自律的活用)なくしては、学問の自由・研究活動の自由・精神的自由は大幅に脅威に曝される[13]

研究教育活動と画一的一律的事務的勤務形態は対応しないことがきわめて多い。矛盾すらする。画一的一律的に拘束されていないことが研究者にとって決定的に重要である。

自由な研究活動における本質的に重要なこと(研究の時間と場所の自由なあり方)は.研究者が主張し説明しなければ、一般には理解されない(あるいは看過され無視される)のである。したがって、学長が一般的な職員の服務規定をまったく注釈もつけずに「教員各位」に配布するなどと言うのは、私には理解できない。研究活動における自由、慣習的に確立している不文律は、学長にとってはどうでもいいものか、と驚く。アカデミック・フリーダムが実に矮小にしか捉えられていないのではないか、と思われる[14]

 

 

--------教員組合執行部からの組合員へのアピール----------------- 

横浜市立大学教員組合執行委員長から全組合員へのアピール

組合員の皆様

 

9月29,30日に事務局職員が守衛室で教員の在室状況を調査するという事態が発生しました。教員組合は、9月30日夜、臨時執行委員会を開催し、対応について協議しました。翌10月1日、浮田書記長と小城原執行委員補佐が人事係に出向き、小泉人事係長に事実関係の確認をし、この行為が法に触れる可能性がある旨を指摘し抗議しました。今回の事態については、市労連、全大教、顧問弁護士など関係各方面と協議中ですが、現在申し入れをしています学長会見で取り上げることにしています。

 

9月26日に提出された「プラン策定委員会」の幹事会案では、現職の全教員に対して任期制を導入するという方針が明記されています。これが導入されますと、教員の身分が有期雇用になるわけで、これは身分の重大な不利益変更です。組合としては絶対に見過ごすことができません。これに反対する緊急の声明を発表しました。ワードで添付します。

 

●事態は急を告げています。教員組合は、10月3日、緊急の学長会見を申し入れました。ワードで添付します。

 

10月2日、どなたかが藤山のメールボックスに、「都立の新しい大学の名称を募集します」という記事にマーカーで印をした「広報 東京都 平成15年 10月1日」を入れて下さりましたので、pdfで添付します。石原知事の乱暴きわまりないやり方がよく現れています。都立の情勢に関しては教員組合のHPでリンクしてありますので見て下さい。

どなたがこの東京都の広報紙を寄せられたのか分かりませんが、組合員のどなたかと思います。感謝致します。組合員のこうしたご協力に執行委員は大変に励まされております。

 

 

 

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2003106日(3) 教員組合は、任期制の法律の趣旨に従い全員一律の導入に反対の意思を明確に表明した。こうした教員組合の明確な反対決議は、大学改革の制度設計においてきわめて重要な意味を持つ。

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現職全教員に任期制を導入することに反対する声明

 

2003年10月3日

横浜市立大学教員組合

 

 

「プラン策定委員会」幹事会が9月26日に提出した「大学改革の大枠整理(追加)について」においては、「原則として全教員を対象とする」任期制の導入を提案している。

教員組合は公立大学行政法人には反対の立場であるが、よしんば法人化を仮定したとしても、地方独立行政法人法においては従来の教員身分は法人に承継されることになっている。したがって、移行に当たっては基本的な労働条件の不利益変更は許されない。然るに、全教員に対する任期制の導入は、有期雇用への雇用形態の変更であり、労働条件の重大な不利益変更となる。

横浜市立大学教員組合は、任期制の安易な導入には反対である。「大学の教員等の任期に関する法律」(以下、「任期法」)は、「任期を定めることができる場合」を限定しているのであり、この法律によって任期制を無限定的に導入できるわけではない。「1 先端的、学際的又は総合的研究であることその他の当該教育研究組織で行われる教育研究の分野又は方法の特性にかんがみ、多様な人材の確保が特に求められる教育研究組織の職に就けるとき。2 助手の職で自ら研究目標を定めて研究を行うことを職務の主たる内容とするものに就けるとき。3 大学が定め又は参画する特定の計画に基づき期間を定めて教育研究を行う職に就けるとき」に限定される。現行「任期法」は限定的任期制であり、これを現職の全教員にまで拡大して無限定的任期制を採用することはこの法に違反することになる。事実、全国の大学において全学部の全教員に対して任期制を導入している大学は皆無である。                     

さらに、この法律には、「任期制の導入によって、学問の自由及び大学の自治の尊重を担保している教員の身分保障の精神が損なわれることがないよう充分配慮する」との附帯決議が付されており、その運用にあたって「身分保障」に関しての極めて厳しい条件が課されている。

教員組合は、現職全教員への任期制の導入は、教員身分に関する重大な不利益変更であり、これを断じて認めることはできない。事態の展開如何では、我々は、法的な対抗措置を講じることをも辞さない。

 

 

 

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2003106日(2) 「国立大学独立行政法人化の諸問題」2003103日号に、「全員任期制」に反対の商学部の議論の経過を紹介した私の日誌が掲載された。それとの関連で、国会の議論も参考資料として、紹介されている。大学の自治の尊重を名目に、しかるべき法律的な手続きを踏まえれば「全員任期制もありうるのだ」(そうした手続きを踏まえた上での結果としての「全員任期制」は法律違反ではないのだ)というのが文部科学省の立場のようである。任期制の立法趣旨に合致しているかどうか、まさにこれが任期制の一つ一つの職に関して問題となる。したがって、一つ一つのポストについてきちんとした検討をすることが前提であり、大学の理念や研究教育目標などとのかみあわせ、そして教員一人一人の納得と同意、というのが前提である。すでに職を得ている教員に対して一律に、無前提に任期制を導入するというプロジェクトR(幹事会)の案は、実にいいかげんな議論であることだけははっきりしているといえよう。これも重要なので、該当部分をすべてコピーしておこう。

 

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国立大学独立行政法人化の諸問題



[1] 本日誌読者から、つぎのような共感メール(憂慮・危惧の表明)をいただいた。

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先生の「大学改革日誌」を拝読いたしました。

教員の授業コマ数増加に関する問題、大変憂慮すべきことです。

以前私が勤務・・・で、同じことがありました。

そこでは、コマ数増加は、非常勤講師削減と専任教員後任不補充

によるカリキュラムの不備を補完する形で行われました。

理事会側は、志願者減少に対応した人件費削減をその理由とし、

・・・・。

しかし、これによって授業内容の多様性が失われました。

そのことも一つの原因となって、当・・・の評判は失墜し、

急速な志願者減少に見まわれました。

本学でも同様の事態になるのではないかと思います。

 

 本当に教育を充実させるためならば、私はコマ数増加を厭いません。

実際、赴任以来・・・・、私の持ちコマは1.5増えています。

それは、ひとつひとつの授業の目的を明確にするために、

自主的に行ったものです。・・・・

他の教員で同じ態度をとっている者も少なくありません。

その一方では、授業の質を保つために、コマ数を増やさないということもまた、

誠実な大学教員の態度です。

しかし、コマ数の少ない教員が教育に不熱心な教員であるという

判断がなされるならば、自主的なコマ数増加も慎重にならざるを得ません

 

 教員が教育者・研究者としての倫理観のみを拠り所として自由に教育に

当たれる環境が、失われつつあることに、強い憤りを感じます。

  

[2] 負担コマ数の数字だけを前面に押し出すのは問題である。

 こうした数値では、商学部はあたかも国際文化学部や理学部に比べて負担が少なそうに見える。

 だが、商学部の学生は、全学の半数以上である。つまり、教員一人あたりが担当している学生数では一番多いのである。これをカウントにいれ、一つ一つのコマにおける負担の度合いを考えれば、商学部教員の負担が軽るそうに見える数値だけを前面に出すことがいかにミスリーディングであるか、わかるであろう。

 事務局長がどのような答弁をしたのであろうか?

 天下りの責任者として(その場だけをやり過ごす態度で)、大学の実態・実情など無視して、説明したのだろうか?

 その場しのぎの答弁だけをしては、大学の研究教育が成り立っていかないのである。

 

[3] 学部長や入試担当評議員など激職として承認されている教員管理職に関しては、負担が軽減されている。商学部は,職務上のコマ数削減者が、学部長、副学長(商学部教授)、入試担当評議員の3名はいる。そうした軽減措置のある教員もいっしょくたにして,統計を出したのか?

 統計数値の検証が必要である。

 

[4] あたかも商学部の講師の負担が軽いといわんばかりである。それに乗っかって,ここぞとばかりに商学部バッシングを行う人もいる。全学的に調整を進める必要があるにしても、このいい方は問題ではないか? 

こうしたやり方は、人文社会科学の教員と自然科学の教員とがひとつの学部になると成り立たなくなる発想であろう。

人文社会科学の学問の固有性・研究教育のあり方の独自性を踏まえつつ、講義・演習(学部・大学院)負担の共通の基準を作成する必要があろう。それと自然科学系とはちがうであろうし、また医学部などははじめから特別扱いとなっている。

 

従来の基準でいけば、考慮すべきは学生数問題があろう。

商学部には教員一人あたり学生数の多さにもかかわらず、助手一人いないといったこともカウントにいれなければならない。商学部定員三五〇名で教員50名、これに対し理学部定員120名で教員(助手まで含めて)80名である。 

 理学部や医学部などは、こうした学生定員の少なさ、教員一人あたり学生数の少なさとも関係して、学部教育や大学教育が各教員の専門研究とが密接に結びつき、コマ数の多さはかならずしも教員の研究上の負担とは重ならない。

もっと研究教育の実態に即したコマ数評価がなされるべきであろう。

そのさいには、市大の内部の文科系と自然科学系のちがいだけではなく、他の公立大学や国立大学の標準・平均負担などが参照されなければならないだろう。

ちなみにいえば、以前お世話になった私立大学では、4コマがノルマであった。それ以上は、オーバータイム(超過負担)手当てが1コマあたり7千円出ていた(現在のノルマ・コマ数,1コマあたり手当ての額は知らない)。個人間の負担の格差はオーバータイム手当てである程度調整されていた。非常勤講師を雇うより、3分の1ないし4分の1ですむわけだから,私学経営にとっては専任教員のある限度内でのオーバータイム手当て支給は合理的選択だといえよう。

 

[5] 現代日本の大学社会は、私立大学に依存するところが大きく、その私立大学は人件費を抑えるために講義における非常勤講師依存率が高いことは周知の事実である。その一端を国公立の教員が担うことは、社会的要請でもある。国公立といえども、在外研究や緊急の職務上の要請などで非常勤講師に依存せざるを得ない以上、研究者共同体の相互援助の必要があることは理解されるであろう。そうした社会的要請としての非常勤講師の負担もある。一般市民や学生諸君は知らないだろうが、この非常勤講師というのはまさに薄給そのもので、手弁当でやっている、という性格のものである。常勤の職場が無く,非常勤のみで生活している人はいかに悲惨なことか。

かなりたくさんの大学で1コマとか2コマの非常勤講師をやったことがあるが、その平均給与は、一コマあたり一ヶ月で25000円から30000円である(大学や年齢などにより若干の違いがあるが)。年間で、30万円から36万円というところである。1コマが九〇分(1.5時間)で、年間出講回数が30回ほど(年度末試験とその採点時間などを含めて)である。非常勤講師組合や私立大学の統計を見れば、もっと正確な数値が判明するであろう。大学生や大学院生のアルバイトと比べても、拘束時間と拘束内容を考えると、驚くほど安いのではないか?

 一般職員などとちがって、週末や夜間などにおける超過勤務手当てのない大学教員給与体系では、こうした学外での収入が一種の超過勤務手当といったものに見合うようなものになっているということはいえるであろう。

 こうした超過勤務時間が、本来の教員の大学での勤務時間・勤務内容・職務内容脅かしてはならず、その意味で、外部で行う非常勤講師のコマ数・時間数があまりに多いのは問題であり(特に学内で特別の負担軽減措置のある職務などにおいてはそうであろう)、他方、今後ますます多くならざるを得ないであろう現代的要請としての「社会貢献」・「地域貢献」など大学外での活動時間のおおさその謝礼との関係は、リーゾナブルな範囲に抑えるべきであり、きちんとした合理的基準を作っていく必要はあろう。

 

[6] 本学ではまだそうしたサバティカル制度はないが、私がかつてお世話になった立正大学は20年ほど前にサバティカル制度を導入した。

 

[7] 実態を知らない不当な、賎民的なやっかみ気分で物事が判断されてはならず、きちんとした事実関係と正当な論理で、大学教員の勤務形態・勤務時間などが議論されなければならないだろう。

 

[8] 以上のことは、日誌のほかの記事と同じく、私個人が思いついたことを書いたままで、それぞれに方と話し合ったわけではなく、研究の実績やお仕事を存じ上げている限りでひとつのありうる構想として提示したまでで、もっと適切な形での編成はありうる。

 他方、博士課程堅持などということは大変なことだから無理をしないほうがいい、無理をすれば負担だけ増えると助言してくれる人もいる。それも事実の一面だろう。

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1024日、ある人からこの箇所に抗議のメールがあった。経済学研究科,経営学研究科など文科系の博士課程の廃止に反対の意見で,「契約違反だ」というもっともな主張である。「事実の一面」とは、学部の教養教育だけを不当に重視し、現在のような文科系博士課程の廃止を前提とする空気のなかでは、一部の教員だけに負担がかかってくることは必然という意味である。すでに学部事務室廃止と人員削減などのため、従来は事務職がやっていた大学院の事務も相当に教員が負担するようになっている。

 

   --------抗議文-------

 「経済学博士」ではなくて、「学術博士」というのも入学時の契約に反すると思います。経済学研究科歴史系経済学専攻で入っているのですから。
 そんな博士号は無意味です。
 加えて、HPで博士課程の継続に対して、「無理しなくても良いよ」等と先生に言っているのはだれなのでしょうか。それが「一理ある」と先生が認めることもおかしいと思います。
 少数者が帰属する制度から潰して、「鬱憤晴らし」をしようというのは、市大病院で起きた患者の殺害と同じ手口ではないでしょうか。改革と言いながら、何も変わっていません。
 @廃止ならば、今いる院生に対して、「学費全額返還」と「移籍先の他大学院の確保」
 A大学院を残すならば、「経済学博士号」を出せること。
 このぐらいが当然だと思います。

 教授会などに参加でき、先生方に直訴する機会があればと思います。

 

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 しかし、ひとたび創設した博士課程を、長期不況とはいえ一時的な事態に振りまわされて、廃止してしまうのは、大学の長期的発展という見地からいかがなものか。大学の発展の歴史を踏まえて、高齢化社会、高度知識人社会において需要が高まるであろう博士課程は、文科系においても堅持するのが、大学のためではないか。それだけの犠牲は負担する必要が大学にはあるのではなかろうか? 目先の安易さだけを追求してはいけないのではないか?

 

 

 

[9] 都の外形標準課税が日本の法体系において違法なものとして、都が敗訴したのではないか?

 都の強引なやり方は、憲法的にに見て、またその憲法にのっとっている教育基本法、学校教育法、独立行政法人法、その一部としての公立大学法人法に関して違法なものだということになるのではないか。

 事態の推移によっては、行政訴訟が提起されることになるのかもしれない。

 行政が現行法律体系を無視して何でもできるという社会は、一体なになのか?

 一大憲法擁護訴訟が、かつての家永裁判のように提起されるべきであるのかもしれない。 

[10] レクラム文庫版のPlaton, Apologie des Sokrates, Philipp Reclam jun. GmbH & Co., Stuttgart 1986のあとがきNachwort(S.99)によれば、告発者のな化でもっとも著名な人物は、アニュトスAnytosで、「名声ある、裕福な人物」だった。西暦紀元前403397年に軍指揮官(Heeresmeister)といった重要な役職にあったし、紀元前381年にはアルコンという市政の要職にあったという。名目上の告発代表者Hauptanklägerは、メレトスであった。

 

[11] レクラム版ソクラテスの弁明のあとがきNachwortによれば、6000人のアテネ市民から選ばれた501人の陪審員(陪審裁判官)が、ソクラテスの裁判に陪席したという。Platon, Apologie des Sokrates, Philipp Reclam jun. GmbH & Co., Stuttgart 1986S.99.

 

[12] これこそ、わが商学部教授会、その議論を踏まえて専門家集団が取りまとめた教授会意見2003102日付)である。

 

[13] 教育(学部と大学院)、大学院生に対する研究指導などは、時間が固定され決められているので、その点に自由はないのは当然である(時間割作成過程に於いて教員の一定の自由度があることは事実であるが)。あくまでも、教育・研究指導の固定的時間として設定された以外の勤務時間の自由な時間的空間的配置(空間的とは、自宅であろうが研究室であろうが、フィールドワークのように大学外の適当なところであろうが自由であるということであり、時間的にも夜間であろうが週末であろうが、全体の勤務時間週40時間をどのように配分しようが自由ということである。自由な研究時間の成果をしかるべき形で教育や研究成果として出していればいいということである)のことである。学問の自由のもっとも具体的な表現の場がまさにこの研究時間(研修時間)の自由・自由裁量にある。この根本を忘れたら、自由は本質的な部分で侵害される。のびのびとした創造的な研究活動とその成果は期待できない。

 

[14] あるいは、現在のような大学改革の大変なときに疲労困憊している学長に対して、学長名で出す文書を整理したり、起案したり、まとめたりするべき人々の精神構造の問題であるかもしれない。教員の研究(研究従事の勤務形態・勤務時間・勤務場所などの自由)に関する配慮、教員の職務と活動の独自性に関する配慮がみられない文章からすれば、事務関係者の誰かが起案したものだろう。もちろん、最終責任は学長自身にある。

 

[15] この任期法条文を見てもわかるように、助手(法律の趣旨説明をみなければならないが、若手でまだ実力が確定できない、長期任用にはむかないと想定される研究者といったところか)、従来の枠組みを何らかの意味で(先端的、あるいは学際的、あるいは総合的に)越える教育研究を行うもの、という限定であり、むしろ普通よりは社会的学会的に優れた人材を登用し優遇するためのものであると考えられる。プロジェクトRが全員に対して導入しようと打ち上げた「任期制」(事務局責任者の発想、昨年の「辣腕」事務局責任者の発言録に典型的に示されるもの)は、その意味からも、任期法の意味での「任期制」ではない。法律に規定されない、法律上許されない制度の導入ということになろう。

 

[16] 昨日の段階では、5条の文言を「労働協約」としていた。

あるひとから、「先生のホームページを拝見させていただきました。昨日の任期制の議論がわかりやすく紹介されており、・・・・・ただ、一点、緑の太字で「労働協約」となっているところ、「労働契約」の誤りだと思います。御修正・・・」をとの指摘があり、法律条文にしたがって訂正した。

 

[17] 激動の時代の合従連衡は、古い時代からの現象であり、20世紀外交史は、その豊富な事例を提供する。例えば、目下目を通しているアラン・ブロック『ヒトラーとスターリン』全3巻、草思社、2003年の「第 3章 無効にされた1918年」

 

[18] 上・外部(市当局、横浜市など)からの圧力と内部の自己保存圧力とのはざまで、「弱い部分」へしわ寄せがくることになり、その「弱い部部」をどこにするか、あるいはどこの部分に「詰め腹を切らせるか」、というった圧力群がぶつかり合っているようである。社会と大学内部の圧力を発展的な方向で、大学院の充実(大学院社会人など)の方向に発展させるならばいいのだが、学問外的な「数の力」が作用しはじめると、大学は急速に悪化していくであろう。

 このような圧力群のぶつかり合いのなかでは、脱出可能な人(より良い環境・条件を求めて発展的に)は脱出を試みる、いや必死になって外に(上に)出ていこうとする。それは、残るものの圧力をも減らすことになるので、通常の場合と違って、残るものからうらやましく思われることなく、喜ばれる。