20045月後半の日誌

 

 

2004531日 都立大学の動きの最新情報は、わが大学で進行中のことを考える上で、重要である。以下にコピーしておこう。本学の場合、大学院の部局化などは論外で(総合理学研究かは「大学院部局化」のような方向性に向けて歩みだしていたはずだが)、「縮小」の方向で、進んでいるようである。はっきりしているのは「縮小」だけで、どこにこれまでの蓄積を発展させる方向性が打ち出されているのか、不明である。それに対して都立大学においては、大学院部局化などのはっきりした構想を「就任承諾」の判断材料として行政当局が明確に示すように、都立大学教員430名余の人々は要求している。都立大学と本学とはさまざまの意味で行政主導・大学自治無視の点で多くの共通項をもちながら、他方では、何重かの意味で(総長・学長の姿勢・スタンスの決定的違いは周知のことだが、今回の大学院部局化などをめぐる教員集団の要求と言った点でも)、本学との大きな違いを感じざるを得ない。近代経済学グループ「"12 Angry Men"」の人々の筋の通った態度は、430名の人々との行動様式は違うとしても、都知事・都行政当局・大学管理本部の根本的問題を鮮明にするものであり、感銘深い。今回はじめて知ったが、首都大学東京は「学則」等も作成しているようである。その内容が、これまでの大学の発展の歴史(大学院部局化にまで進んできた歴史)を踏まえるものか、単なる教養学部化、ないしは専門学校化(文学・語学など大幅削減のようなので)してしまうものであるのか、それこそが問題となろう。

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意見広告の会" <qahoujin@magellan.c.u-tokyo.ac.jp>
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Sent: Monday, May 31, 2004 2:09 AM
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「意見広告の会」ニュース156

 
「意見広告の会」ニュース156
*ニュースの配布申し込み、投稿は、
 qahoujin@magellan.c.u-tokyo.ac.jp まで、お願い致します。
 
** 目次 **
 
1 記事予告 都立新大学構想の評価と経済学者たちの選択 『世界』7月号
 
2 緊急4大学教員集会への参加の呼びかけ
 
3 首大名称の決まり方 「都立大の危機 やさしいFAQ」より


 
1 記事予告 都立新大学構想の評価と経済学者たちの選択
 
   浅野皙、神林龍、戸田裕之、村上直樹、脇田成
 
  http://malloc.ddo.jp/tblog/index.cgi?page=12AngryMen より
 
 『世界』7月号 (200468日発売)掲載予定

 
予告編
 I.
はじめに
 2004
2月、「首都大学東京」の設置申請を控えた東京都大学管理本部は、新大学
の具体像を明らかにできぬまま 現都立4大学全教員に対して新大学への就任意思表明
(
意思確認書」の提出) を求めた。我々都立大学近代経済学グループは、設立予定の
新大学が、これまで通り大学の研究機関としての機能を重視して行くのかどうかまった
く不明であるとして、確認書の提出を保留した。これに対して管理本部は、4月上旬、
学部の経済学コースを削除し、大学院からも経済学グループを排除した案を策定し、同
月下旬、文部科学省への新大学設置認可申請を行った。
 
本稿では、近代経済学者の立場から東京都による大学「改革」の根本的な問題点を
分析し、我々のこれまでの行動の理由および確認書非提出を貫くという選択に至った経
緯を明らかにしたい。
> (
つづく)
 II.
意思確認書提出保留の根拠
  II-1. 内容面での非合理性
   II-2. 手続き面での非正統性
 III.
経済学グループに関わる20041月以降の経緯
 IV.
結語
 "12 Angry Men"
はこの論文のコード・ネームです。:-) 
 
あ、"12 Angry Men"というのは映画の題名です。念のため。

2 4大学全教員の皆様
 
                            
 
就任承諾書(助手に対しては「意思確認書」)の提出の前提となる諸条件の明確
な説明と協議体制の実現を求める」 緊急4大学教員集会への参加を呼びかけます。

 
 新大学の設置に向けて「就任承諾書」(助手に対しては「意志確認書」)の提出
が求められる状況の中、多くの重要な問題が未解決、未解明のまま残されています。将
来にわたって悔いのない大学改革を実現するために、全教員の叡智を結集し、協力して
この局面を切り開きましょう。

 日時:6月4日(金曜日)午後6時〜8時 
 
   東京都立大学 教養部教室棟110番教室

 
主催:4大学教員声明呼びかけ人会
 
賛同:開かれた大学改革を求める会、文系助手会有志、理学研究科助手会有志、工
学研究科助手会有志
 
2004年5月28日

 
4大学呼びかけ人会 連絡担当 川合康、小柴共一、山田雅弘、渡辺恒雄
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(以下が呼びかけ文です)

 
 昨年8月1日以降、東京都が都立4大学と全く協議に応じないまま、新大学の設
計を強権的に進めてきたことに対して、4大学教員声明呼びかけ人会は、本年1月21
日に都立4大学の教員432名の賛同署名に基づき声明「都立新大学設立のための開か
れた協議体制の速やかな確立を求める」を公表し、大学管理本部が現大学と正常な協議
体制を構築するよう強く要望した。
 
 これに対して、それ以降も、新大学の学部長予定者を突然に公表したり、少数意
見であった「都市教養学部」の学部名称を最終決定したり、「現大学との対話、協議に
基づく妥協はありえない」(3月日、西澤潤一学長予定者・大学管理本部長文書)と大
学との協議を拒否するなど、大学管理本部は上意下達の手法を改めていない。
 
 しかし、3月に入って、都立大総長をはじめ多くの方々の努力により、正常な協
議体制に向けて「重要な前進があった(日総長メモ)」との判断から、理学研究科、人
文学部の教員も含めて意思確認書を多くの教員が提出した。
 この時点で、教員側の評価は必ずしも一致したものではなく、意思確認書を提出
しない教員もいたし、意思確認書を提出した教員の多くが、決して白紙委任としてこの
書類を捉えていたものではないことは、各教授会での議論や付帯条件を見れば明らかで
ある。

 その後、4月には経済グループが正常な協議体制などを求めて「意思確認書」を
提出しなかったことに対して新大学に「経済学コース」を設置しないことを決めたり、
3月9日の文書の撤回はあり得ない事を明言したり、さらに、大学院の定数配置を曖昧
にするなど、事態は一方で深刻化してきている。4月13日に4大学教員声明呼びかけ人
会が、大学管理本部に対して再度「開かれた協議体制」を求める声明を発表したのも、
まさにこのような状況を憂慮したからであった。

 こうした中、4月28日、大学管理本部は文部科学省に対して新大学「首都大学
東京」の設置認可申請を行った。5月20日には、西澤潤一教学準備会議座長名で「就任
承諾書等の提出について」という文書を首都大学東京各学部長・研究科長予定者に送
り、各教員に対して7月初旬に文科省に提出する「就任承諾書」を、6月17日までに提
出するよう求めている。
 
 また、同日経営準備室から提示のあった、助手定数(案)と再配置(案)では、
助手の意思の如何にかかわらず、再配置を強行する可能性を示した。同時に、この中で
助手に対して「意思確認書」の提出を求められている。
 また、5月26日に提出された「首都大学東京学則(素案)」および「首都大学
東京大学院学則(案)」において、数年前に都立大では大学院部局化を果たし研究総合
大学を目指して進んでいるにもかかわらず、教員が学部所属として扱われていること
も、重大な内容を含んでいると考えざるを得ない。

 
このような状況にあって、私たちは少なくとも次の4項目について、大至急大学管
理本部、教学準備会議、経営準備室が、誠意ある明確な説明を全学の教員に対して行う
ことを強く要望する。
 
(1)助手定数の決め方、根拠、および、再配置の進め方。
 
(2)2006年度に予定している新大学の大学院基本構想(部局化、基本理念、
基本骨格等)。
 
(3)新大学における教員の勤務・労働条件と身分保障の問題。
 
(4)今後の正常な協議体制。

 これらの問題について、現大学の執行部等としかるべき話し合いの場を早急に設
定し、その内容を文書等で現大学の全教員に就任承諾書(助手に対しては「意思確認
書」)の提出締切以前に示すことを強く求める。これらの点が明らかにされない限り、私
たちは研究者・教育者として今後の人生を左右する「就任承諾書」(「意思確認書」)
を提出すべきかどうか、判断する材料をもたないからである。
 
 特に、助手の再配置などについては、当人にとっては教育・研究環境の激変を招
く深刻な問題であり、助手の本人の意思を無視した再配置は決して許されるものではな
い。
 
また、新大学の大学院構想については、博士課程まで有する研究者養成機能をもつ
大学院となるのかどうか、これまでのように人文科学から理学・工学まで幅広い専攻を
もつ大学院として設計されるのかどうか、教員の所属を大学院とする大学院部局化が行
われるのかどうか、などの点は、私たちが新大学で教育・研究を続けていくことを判断
するための大きな基準となる問題である
 任期制・年俸制などの勤務労働条件と身分保障についても、大学の教育・研究の
実情を無視した不合理な任期制・年俸制が一方的に示されているのみで、公平性や透明
性を確保する方法・仕組については全く説明がなされていない。現在、大学管理本部が
提示している勤務労働条件と身分保障の在り方は、新大学で真剣に教育・研究に取り組
もうとしている教員にとっては、大きな不安と不信を抱かせる内容であり、「就任承諾
書」(「意思確認書」)の提出を困難にさせるものといえる。
 
 大学管理本部は、優秀な教員を確保するために任期制・年俸制を導入すると説明
しているが、それがいかに研究者の世界で誤った発想であるかは、教員の大量転出や最
近行われた新大学の公募人事で応募者が1桁という低調さを見れば明白である。これま
での都立の大学の公募人事ではありえないような状況を、大学管理本部がわざわざ創り
出しているのであり、長期にわたって築いてきた都立の大学の名誉を傷つけているので
ある。大学管理本部は、すでに現実化しているこのような弊害を真摯に受け止め、より
大学の教育・研究に相応しい勤務労働条件と身分保障を早急に大学側と協議し、改善案
を提示するべきである。

 このように「就任承諾書」(「意思確認書」)の提出が具体的な日程に上ってき
た現段階においても、なお多くの重大な問題が不明確な状態である。私たちは、4大学
に勤務し、教育と研究に携わり、現在と未来の学生・院生と大学の将来に責任を持つ大
学教員として、多くの教員が大学の将来に責任を持つ立場から本集会に参加し、率直に
意見を述べあい、多くの教員の智恵と協力で、この局面を切り開くことを希望する。


 
3 首大名称の決まり方 「都立大の危機 やさしいFAQ」より
 
  2004528日の文教委員会:都立の新大学名称公募(全体数4047件)の中で一
番多かった 「東京都立大学」は,実に2604件だったことが判明。ということは,公募
数の64%が,「東京都立大学」。ちなみに, 「首都大学」はたった31件で全体の0.8
だった。なぜ「首都大学東京」になったか? 公募に含まれていなかった名前を石原都
知事が勝手に決めたんです。

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2004528日 政府の総合科学技術会議のあり方(委員の人選あり方=人事)に関して、ノーベル賞科学者小柴昌俊教授が国会で答弁したようである。まさに、大学評価学会設立総会における益川俊英教授(学会代表に就任)の話と通じるものである。小柴教授の示唆するところは、自然科学の分野で世界的業績をもたず世界的に評価されていない人々によると思われる総合科学技術会議の実利的「技術志向」である。小柴教授による短期的「利益直結型」への批判は、基礎的科学研究の最先端を担っている(担おうとして日夜、研究教育に没頭している)多くの大学人の気持ちを表すものであろう。

「役人が推薦する基準」は、役人の思考枠組み・思想水準を物語る。職務上の上下関係の明確な役人にとっては、管理職・「上位のもの」が「偉い」のである。役人にとっては、小柴さんが厳しく批判するように(小柴さんだからこそ言えた、他の人は通俗的人間関係の悪化・報復・不利益などを恐れで沈黙を守るか、適当にお茶を濁すだろう)、厳しい科学研究の世界的水準(自然科学とちがって文科系では50年、100年を見通したこの「世界的水準なるもの」の判定はなかなか一筋縄ではいかないだろうが)であるかどうかなどは問題ではない、上位のものこそ偉い、ということになる。以下に、コピーしておこう。

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  新首都圏ネットワーク

 


<小柴昌俊さん>総合科技会議の人選に注文 衆院文科委で


毎日新聞ニュース速報

 「長のつく職にあったからといって、科学をちゃんと判断できる保証はない」
 ――。

 ノーベル賞学者の小柴昌俊・東大名誉教授が26日、衆院文部科学委員会で総
 合科学技術会議の人選に注文をつけた。小柴さんは昨年、自らが推すニュート
 リノ実験施設計画を同会議が「C(要見直し)」と評価したことに異議を唱え
 た経験がある。

 小柴さんは同日、加藤紘一議員(自民)の質問に参考人として出席。加藤議員
 が「政治家に代わって科学技術の価値を判断する責任は、総合科学技術会議の
 常勤議員にある」と指摘したのを受けて持論を述べた。

 同会議が承認した科学技術基本計画の重点4分野について「技術直結して利
 益を生みそうな科学ばかり。50年、100年先の価値を追求する基礎科学は
 誰が評価するのか」と指摘。さらに「国際的に評価され、日本一信頼できる人
 が常勤議員であってほしいが、役人が推薦する基準は結局、学長などの経歴だ」
 と苦言を呈した。

 同会議は小泉純一郎首相が議長を務める「科学技術政策の司令塔」。現在の常
 勤議員4人中2人が大学の元学長だ。

【元村有希子】

 

 

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2004527(2) 今日は、国際総合科学部で1年生前期に、文科系理科系を混合した共通教養ゼミ(文系・理系の教員各一人に新入生30人、二コマ連続)のあり方・持ち方に関して勉強会が提起され、参加した。40人近くは参加したかと思われる。共通テキスト指定型、各自が自分の好きなテーマを設定して調べて報告する自主的テーマ設定型など、すでに多様な試みを国際文化学部や商学部の教員各人がやっていることがわかった。学生各人が自主的に考えをまとめ、文章化し、みんなの前で報告し、ディスカッションする、教員は各学生のテーマ選択や報告のしかた、準備の仕方などで助言する、というのがだいたい共通の基本的なやり方のようであった。理科系からも、積み上げ方式の学問体系のあり方、テーマ設定型でのゼミの持ち方(たとえば「生命倫理」をめぐる諸問題)などが、紹介された。

まとまりやすい数人ずつのグループに分けて、それぞれにテーマを決めさせ、報告をまとめさせる、というやり方も一つの有力な方法として紹介された。

商学部からは、参加ゼミ生の優れたレポートが紹介され、同じ学生の優れた報告が他の参加者に与える刺激的効果の重要性が指摘された。その点については、参加学生の独自の自主的テーマ設定を教員がサポートするゼミの進め方をとるほかの何人かの教員からも、「最初何回かの学生のレポートの質が大切だ、それが他のヒトへの教育効果になる」と指摘された。

当初、4時半から1時間程度の予定だったが、6時過ぎまで勉強会が続いた。議論の内容のエッセンスはいずれ、国際教養学部共通教養の教員貼り付け担当の教員がまとめて全教員に公開されることになるようである。来週63日午前9時半頃から第二回目勉強会が設定されるだろう。共通教養を担当することになる人も、当面はそうでない人も、こうした共通教養のあり方に関しては情報を共有しておくことが有意義だろうと感じられた。

本日の勉強会への呼びかけは、担当委員のE-mailリストなどによるもので、全学的ではなかったようであるが、教養ゼミに来年度から参加する教員も、再来年度以降にかかわる教員も、卒論ゼミ必修システムが新学部の目玉の一つであることからも、ある程度の共通認識(多様な経験の交流)があることは大切だろうと感じた。

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2004527(1) 私立学校法一部改正の法律成立時における付帯決議・参議院での議論は、私立をめぐる議論だが大学の、公立大学の意義とは何かを考える一つの素材となる。Academia-network letter No.117http://letter.ac-net.org/04/05/27-117.phpで情報を得た。427日の参議院文京委員会議事録も重要。

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AcNet Letter 117 【1】━━━━━━━━ 2004.05.27 ━━━━━━
 
私立学校法の一部を改正する法律成立時の附帯決議
   参議院文教科学委員会 2004年4月27日
http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kaigirok/daily/select0106/159/15904270061014a.html
http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_dispdoc.cgi?SESSION=25138&SAVED_RID=1&PAGE=0&POS=0&TOTAL=0&SRV_ID=8&DOC_ID=11614&DPAGE=1&DTOTAL=88&DPOS=1&SORT_DIR=1&SORT_TYPE=0&MODE=1&DMY=25189
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#(学校法人制度を国立大学法人制度に近づける法改正だが4月28日
の参議院本会議では全会一致で可決。)
 
政府及び関係者は、私立学校の自主性及び公共性にかんがみ、次の
事項について特段の配慮をすべきである。
 
一、学校法人の管理運営制度の改善に当たっては、学校法人の自主
的・自律的な取組が一層求められることにかんがみ、学校法人関係
者に対し、本法の趣旨・制度の内容等について十分周知し、その理
解と自主的な努力を促していくとともに、改善の状況についての検
証を行うこと。
 
二、我が国の学校教育において、私学が大きな割合を占め建学の精
神に基づく特色ある教育活動を通して重要な役割を果たしているこ
とにかんがみ、私学振興策の促進に努めるとともに、私学助成の在
り方については、私学の自主・自律性の確保、学費負担の軽減、適
正な管理運営等の観点から不断の検討・見直しに努めること。
 
三、理事長及び理事の権限の明確化に当たっては、教学面における
自律性の確保を図るよう配慮するなど、評議員会、教授会等との信
頼関係の確立に努めること。
 
四、監事による監査の実効性を高めるため、適切な監事の選任、常
勤監事の導入等監査体制の充実に努めるとともに、監事の意識や資
質の向上等のための施策の充実にも配慮すること。
 
五、学校法人に求められる高い公共性にかんがみ、財務書類、事業
報告書等については、外部からも分かりやすい内容となるよう留意
すること。
  また、設置する学校の種類や規模等、学校法人の多様な実態を踏
まえ、各学校法人が自主的な判断により、より分かりやすい公開内
容や方法を工夫し、積極的な財務情報の公開に努めること。
 
六、私立学校審議会の委員の選任に当たっては、当該都道府県の教
育全般にわたる充実と発展を図ることができるよう配慮すること。
 
七、今回の法改正と外部評価制度とがあいまって、私学の公共性が
より担保されることとなるため、大学等については、公平・適切な
認証評価が行われるよう努めるとともに、初等中等教育については、
自己点検・評価結果の公表を更に進めること。
 
 右決議する。

 

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2004年5月25日(3) いったい今の日本はどうなっているのだろうか。違憲性の疑いのある有事法制が、ほとんど審議らしい審議もされずに与党と民主党の合意の上に衆議院を通過したという。日本弁護士会の反対声明(「全国国公私立大学の事件情報」から)を読んで、暗澹たる気持ちになる。「知る権利」と密接不可分な言論・思想の自由(大学における自由な研究教育)が破壊される危険を大学人は見過ごしていいのか。国会は機能しているのか?メディアは機能しているのか?・・と。

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日弁連、有事法制関連7法案・3条約承認案件の採択に対する会長声明

「有事法制関連7法案・3条約承認案件の採択に対する会長声明」(2004-05-21)日弁連HPより

 2004年5月20日、衆議院本会議において、与党と民主党の修正合意を踏まえて、有事法制関連7法案・3条約承認案件が一部修正の上可決された。
 
 当連合会は、これまで政府の提出した「国民保護法案」及び「米軍支援・自衛隊活動に関する法案・条約承認案件」(4法案・1条約承認案件)について、憲法に抵触する危険性があることを理由として、抜本的見直しがなされない限り、審議期間の限られた今国会において拙速に審議・採決することに強く反対してきた。
 
 「国民保護法案」は、その立法事実や国民保護措置の実効性に疑問があるのみならず、知る権利をはじめとする基本的人権を侵害し、地方自治制度を含む我が国の民主的な統治構造を平時から大きく変容させる危険性がある。これに加え、衆議院武力攻撃事態等対処特別委員会における採決直前に、与党と民主党の修正合意に基づき、「国民保護法案」の中に「武力攻撃事態法」の「改正」条項が新設され、「武力攻撃事態法」等有事法制3法案の審議過程でも全く議論されることのなかった「緊急対処事態」を「武力攻撃事態法」に追加する重大な修正が加えられた。これは、「武力攻撃事態法」の基本的性格を変更する重大な修正である。
 
 また、「米軍支援・自衛隊活動に関する法案・条約承認案件」も、憲法が禁止する集団的自衛権の行使や、交戦権の行使を可能とする措置を内容とし、市民の生活や権利に対する幅広い制約を及ぼす危険性を有する。そして、何より、法案は全体として曖昧な要件の下で行政権に強大な権限を付与する構造となっており、「有事事態における法による行政・自衛隊の民主的コントロール」を保障する内容にはなっていない。
 
 これらの法案・条約承認案件の法文は膨大で、かつ、国の統治制度、市民の基本的人権に重大な影響を与える内容を有するにもかかわらず、衆議院においては、内容面・時間面ともに極めて限られた審議がなされたにすぎない。このことは、国・社会の根幹に関わる問題は徹底した国民的議論を尽くすという国民主権・民主主義の精神に著しく反するものである。
 
 当連合会は、「国民保護法案」及び「米軍支援・自衛隊活動に関する法案・条約承認案件」について、今後の参議院において慎重かつ徹底的な審議を行い、その問題点を明らかにした上で、改めて広く国民的議論を尽くすことを強く求めるものである。

平成16(2004)年5月21日

日本弁護士連合会
会長  梶谷 剛

 

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2004年5月25日(2)都立大学の都立大の危機 --- やさしいFAQ」2004年5月25日第1版によれば、「2004年5月20日,首都大学東京各学部長・研究科長宛に「就任承諾書等の提出について」 という西澤潤一教学準備会議座長からの文書が配布される。教員の氏名等を記載した書類(様式第3号)は,6月4日中間まとめ,6月17日最終まとめ。ついに来ます。就任承諾書の提出期限は6月17日(木)。」とある。新しい大学に「就任すること」には同意しえても、就業条件(期間の定めのないこれまでの就業条件の重大な変更に関わるもの、特に問題の任期制等の条件)、その前提としての就業規則(その中での雇用期間等の条件)が決まっていない段階(少なくとも労使の団体交渉で決まったものはないはず)での限定的な意味合いでの「就任」承諾でしかありえないだろう。国立大学法人において、このような問題が生じなかったのは、基本的な条件の変更がないことが前提だろう。すなわち、期限の定めのないこれまでの雇用条件が維持される移行型だからこそ、国立大学法人化はスムースに行われたのであろう。その点は、明確にしておく必要があろう。教員組合などは任期制に反対(基本的就業条件の変更に反体)しているのであり、そうである以上、今後、労使対等の団体交渉で決める就業規則等の結果を踏まえて、最終的な就任条件が確定されるのであり、6月現在は就任の「条件」は未定、というの現実だろう。行政当局がどのようにやりたいかという意志は明らかではあっても、それは労使交渉の一方側の主張・スタンスでしかあり得ない。常識的に考えて、法治国家の労働法制のもとでは、労使交渉の一方の主張が無前提に承認される、法的に妥当性を持つことはあり得ないであろう。創でなければ日本の労使関係は無法状態となろう。日本の労使関係が労働法制の保護下にある以上、それが当然のことではなかろうか。首都大学東京の各学部長、都立大学の教職員組合、総長以下の現代額の責任者がどのような態度(声明・見解)を取るのか、注視したい。

 

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2004525日(1) 昨日の韓国大法院判決(再任拒否処分取り消し・高裁差し戻し判決)に関する阿部泰隆教授解説でも繰り返し言及された京都大学井上教授再任拒否問題に関連し、京都大学の職員組合が見解を発表した。重要なものであり、以下にコピーすると同時に、リンクを張っておこう。京都大学職員組合声明

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京都大学職員組合

 

 京大再生研再任拒否問題に関する声明

 

   

一律的な任期制導入は大学を破壊する
  
−再生医科学研究所井上教授の再任拒否問題が語るもの−

2004年5月6日
京都大学職員組合 教員部会

 国立大学が法人化へ移行するなか、いま、「大学改革」のかけ声のもとで任期制導入の圧力がさまざまな形で強まっています。先日も大阪大学工学研究科において新規採用の助教授・講師・助手について5年任期の任期制(再任1回のみ)の導入が決定されたといいます。任期制導入問題は教員の身分にストレートに関わる問題であり、京大職員組合としても従来より重大な関心をもってきました。
 京都大学の任期制問題を考えるうえで避けて通れないのが、再生医科学研究所の井上教授の再任拒否問題です。この事件は、教員任期法施行直後の19985月に5年任期の教授ポストに採用された井上教授の再任について、20029月に外部評価委員会が再任を是としたにもかかわらず、同年12月、同研究所の教官協議会がこれを否決したことに端を発する事件です。井上氏は処分を不服としてその取消の裁判をおこしていましたが、去る331日、その判決が京都地裁でありました。判決は、「同意に基づく任期満了で、処分にはあたらない」として井上氏側の訴えを棄却するものでした。しかし、私たちはこの件についての再生研当局の責任はきわめて大きいと考えており、今回の判決は大変遺憾だといわざるをえません。
 まず第一に指摘すべきは、再生研の任期制導入が、制度が不備なままでのきわめて拙速な導入であったことです。当該の教授ポストが任期つきであると決められたのは20044月と井上教授の採用直前であったといいますし(もちろん内定はその前)、なによりその時点で再任ルールは全く不明のままでした。再任審査の内規ができたのは4年後の2002718日のことですし、さらに再任不可の場合の不服申立て制度は最後まで設けられていません。これでは再生研当局側が、教員の被雇用者としての権限に関する認識をもともと欠いていたと言わざるをえません。これはある意味では任期制云々以前の問題です。
 第二に指摘しておきたいのは、再生研当局の説明責任が果たされていないことです。問題の核心は、外部評価委員の再任可の結論にもかかわらず、なぜ教官協議会で再任が否決されたのかにありますが、この点についての納得のいく説明はいまもってありません。実は今回の判決においてすら、裁判長自らが、原告への任期制の説明が不十分であり、再任の否決についても「極めて異例ともいえる経緯。恣意的に行われたのであれば、学問の自由や大学の自由の趣旨を学内の協議員会自らが没却させる行為になりかねない」とのべているほどです(41日付毎日新聞)。これは、任期制が、社会的に説明できないような動機にもとづく教員解雇の装置として事実上機能してしまう危険性があることを、はからずも語っているといえます。
 第三に、今回の判決が、経過の異常性を認めつつも訴えを棄却したのは、争点となった同意書の有効性の問題を別とすれば、ひとえに任期付きポストについては任期満了時の再任の法的保障は一切ない、と判断したからです。これでは、たとえいかに十分な研究成果を挙げていても、何の理由も明確にされないまま再任が拒否されることが法的にはありうることになってしまいます。仮にこれを前提して一律的な任期制が導入されれば、すべての教員は自らの将来に対する強い不安を抱えながら研究をすすめざるをえなくなります。長時間を要する基礎研究はもとより、教員が大学の基幹的担い手として、長期的な視野に立ちつつ教育や研究の社会的責務を果たすことも難しくなります。そして現実に生じるのは、任期付きポストが劣悪なポストとみなされて京都大学から多くの有能な教員が流出し、もって創造的な教育と研究が死滅することではないでしょうか
 任期制導入は、教員の流動化による研究活性化をお題目にしていますが、今回の事件が示したことは、任期制が、教員身分の不安定化をもたらすだけでなく、大学の自由と自治、そして研究と教育そのものに対して破壊的に作用する危険性をもっているということです。今回の事件は決して特殊事例ではありません。任期制のもとでは再任をめぐる深刻なトラブルが頻発する可能性はかなり高いのではないでしょうか。私たちはこうした観点から、任期制導入はプロジェクト型に限定されるべきであり、一律的な任期制導入には断固反対との立場をとってきました。今回の判決については尾池総長自身が、「人材の使い捨てはよくない」「これが判例となるのはよくない」という、被告側の機関の長としては異例ともいえる見解を表明しています(42日付京都新聞)。京都大学では部局自治の考えから、任期制の導入の是非については各部局が判断することとなっていますが、各部局にあっては、この事件の教訓をまずは深く自覚していただき、一律的な任期制導入を将来の選択肢から抹消していただくことをここに強く求めたいと思います。

 

 


 

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2004524日(2) 任期制教員の再任拒否事件に関する韓国大法院の新しい判決について、「国立大学独立行政法人化の諸問題」(523日)に記事「再任拒否の処分性を認めた韓国大法院の判決が載っていた。日本を代表する行政法専門家・阿部泰隆・神戸大学大学院法学研究科教授の解説である。任期法が再任拒否を正当化する法律であったとしても、そこには大学教員の特殊性(学問の研究教育に関わる独自の保護の必要性)を考慮していることがわかる。韓国大法院はきちんと憲法規定にまで遡って、違憲性を明確にし、「再任拒否処分取消」、「差し戻し」を決定している。合理的であり、説得的である。「任期制」導入を考える場合、どのようなことを考慮しなければならないか、を示している。逃げ出す気持ちだけを潜在化させたり、いたずらな不安感を喚起したり、恣意性の介入の余地などを残すようなことでは、大学は法人化によって「改革」されるのではなく、たとえ形は外面的には残っても、実質的には大学としては(学問の自由と大学の自治が尊重された本来的な大学としては)死滅させられることになろう。その危険が本学の独立行政法人としての「定款」には明確にあり、現在進行中の各種制度改革検討において、どのように具体化されるか(大学の自治を圧殺する方向でに具体化されるか、これまでの大学の自治を尊重する、あるいは守り発展させる方向で具体化されるのか)、注視しなければならない。一般教員の審議参加、発言権を排除した制度設計であるだけに、深刻な問題が出てくるのではないかと、危惧される。ともあれ、韓国大法院の筋の通った憲法の精神に則った民主的判決を紹介するため、リンクを張り、以下にもコピーしておこう。

 

----------再任拒否の処分性を認めた韓国大法院の判決-----------------

再任拒否の処分性を認めた韓国大法院の判決

韓国大法院2004年4月22日宣告トウ7735「教員再任用拒否処分取消」について、神戸大学大学院法学研究科の阿部泰隆教授が解説。京大井上教授再任拒否事件にも言及。

韓国大法院2004年4月22日宣告トウ7735 教員再任用拒否処分取消

主文:原審判決を破棄し、事件をソウル高等裁判所に差し戻す

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理由:「旧教育公務員法(1999・1・29の法律5717号で改正される前のもの)第11条第3項、旧公務員任用令(2001年12月31日の大統領令第17470で改正される前のもの)第5条の2第2項が国・公立大学に勤務する助教授は4年以内の任期を定めて任用することを規定することによって原則的に定年が保障される教授等の場合と差をおいているのは、任期が満了したとき教員としての資質と能力を再度検証して任用することができるようにすることによって定年制の弊害を補完しようとするところにその趣旨があるため、任期を定めて任用された助教授はその任期の満了で大学教員としての身分関係が終了するというべきである。

しかし、大学の自律性及び教員地位法定主義に関する憲法規定とその精神に照らし学問研究の主体である大学教員の身分は、任期制で任用された教員の場合も、一定の範囲内で保障される必要があり、たとえ関係法令に任用期間が満了した教員に対する再任用の義務や手続き及び要件等に関して何ら規定をおいていなかったといえども、1981年以来、教育部長官は、任期制で任用された教員の再任用審査方法、研究実績の範囲と認定基準、審査委員選定能力等を詳細に規定した人事管理指針を各大学に示達することにより再任用審査に基準を設けており、これに従って任用期間が満了した教員らは人事管理指針と各大学の規程による審査基準によって再任用されてきており、その他任期制で任用された教員の再任用に関する実態及び社会的認識等、記録に示された種々な事情を総合すれば、任期制で任用され、任期が満了した国・公立大学の助教授は教員としての資質と能力に関して、合理的な基準による公正な審査を受けその基準に適合すれば特別の事情がないかぎり再任用されるとの期待を持って再任用いかんについて合理的な基準による公正な審査を要求すべき法規上又は条理上の申請権をもつものとすべきであり、任命権者が任期が満了した助教授に対して再任用を拒否する趣旨で行った任期満了の通知は上記のような大学教員の法律関係に影響を与えるものであり行政訴訟の対象となる処分に該当するというべきである。大法院判決が、任期制にもかかわらず、再任拒否を処分と認めた理由は、大学の自律性、教員地位法定主義に関する憲法規定等に照らし、学問研究の主体である大学教員の身分は、任期制で任用された教員といえども、一定の範囲内で保障される必要があるという点にあり、学問の自由を害しないことは明らかとする京都地裁判決との違いに愕然とする。

また、この判決は、再任用の義務や手続及び要件に何ら規定がなくても、教育部長官は人事管理指針を示していること、これまでの再任用に関する実態などを理由に、再任用について、「合理的な基準による公正な審査を受けその基準に適合すれば特別の事情がないかぎり再任用されるとの期待を持って再任用いかんについて合理的な基準による公正な審査を要求すべき法規上又は条理上の申請権をもつものとすべきであり、」「任期満了の通知は・・・処分に該当する」という。これは、法規がなくても、条理上の申請権があるとか、合理的な基準による公正な審査を要求するということで、まさに私見とも一致する。

京都地裁は、再任審査基準が内部基準であり、職務上の基準にすぎないとするが、これはおそらくは、憲法は眼中になく、実定法の条文だけ見るいわゆる制定法準拠主義の発想であり、法治国家の考え方を逆用して、法律が不備な場合には一切救済しないという放置国家に陥っているものである。しかし、法律が不備な場合には、憲法に遡って考えるのが法律解釈学の常道である。そうすると、法律が不備なら、その法律が憲法に適合するように解釈するとか、憲法に適合するようにしないと違憲との解釈(韓国の憲法不合致判決)を行い、行政訴訟の対象となるように、「処分性」を認めるべきことになる。韓国の判例はこのような常識的な法解釈手法をとっているのである。京都地裁の判決は、法解釈の基本を知らないものである。

 

二  再任基準と救済などを求めた韓国憲法裁判所の違憲判決

旧私立学校法第53条の2第3項、違憲訴願(2003年2月27日、2000憲パ26全員裁判部)

[決定要旨]

. 教育は個人の潜在的な能力を開発せしめることによって個人が各生活領域において個性を伸張できるようにし、国民に民主市民の資質を育ませることによって民主主義が円滑に機能するための政治文化の基盤を造成するだけでなく、学問研究等の伝授の場となることによってわが憲法が指向している文化国家を実現するための基本的手段となっている。教育・・・のような重要な機能に照らし、わが憲法第31条は学校教育および生涯教育を含めた教育制度とその運営、教育財政および教員の地位に関する基本的事項を法律で定める(第6項)ことにしている。したがって、立法者が法律で定めるべき教員の地位の基本的事項には教員の身分が不当に剥奪されないようにすべき最少限の保護義務に関する事項が含まれるのである。

. (1)この事件法律条項は、任用期間が満了する教員を特別な欠陥がない限り再任用すべきか否かおよび再任用対象から排除する基準や要件およびその事由の事前通知手続に関して何ら指針を設けていないだけでなく、不当な再任用拒否の救済についての手続に関しても何ら規定を設けていない。それ故この事件法律事項は、停年までの身分保障による大学教員の無事安逸を打破研究の雰囲気を高揚するとともに大学教育の質も向上させるという期間任用制本来の立法目的から外れ、私学財団に批判的な教員を排除すること、その他任免権者個人の主観的目的のため悪用される危険性がかなり存在する。第1に、再任用いかんに関する決定は人事に関する重要事項であるため教員人事委員会の審議を受けるべきであるが、その審議を経ない場合や形式的な手続だけを経る場合が多く、はなはだしくは教育人事委員会においては再任用同意があったにもかかわらず特別な理由もなしに最終任免権者によって再任用が拒否されもした。第2に、この事件法律事項が再任用の拒否事由および救済手続について何ら言及していないため、私立大学の定款が教員の研究業績、教授能力のような比較的客観的な基準を再任用拒否として定めず恣意的に介入できる漠然とした基準によって再任用を拒否する場合には被害教員を実質的に救済できる対策がない。第3に、絶対的で統制されない自由裁量は濫用を呼び寄せるということは人類歴史の経験であるという点でみるとき、恣意的な再任用拒否から大学教員を保護することができるように救済手段を備えることは、国家の最小限の保護義務に該当する。すなわち、任免権者が大学教員をなぜ再任用しようとしないのかという理由を明らかにし、その理由について当該教員が解明すべき機会を与えることは適正手続の最小限の要請である。第4に、再任用審査の過程における任免権者による恣意的な評価を排除するため客観的な基準で定められた再任用拒否事由と、再任用から除外されることになった教員に自己の立場を陳述し評価結果に異議を提出できる機会を与えることは、任免権者にとって過度な負担にはならず、ひいては再任用が拒否される場合にこの違法いかんを争うことできる救済手段を設けることは、大学教員に対する期間任用制を通じて追求しようとする立法目的を達成するにあたっても何ら障害にならないというべきである。

(2) 以上見たように、客観的な基準で定められた再任用拒否事由と再任用から除外された教員が自己の立場を陳述できる機会、そして再任用拒否を事前に通知する規定等がなく、ひいては再任用が拒否された場合、事後にそれに対して争うことができる制度的装置を全然設けていないこの事件法律条項は、・・・大学教員の身分の不当な剥奪に対する最小限の保護要請に照らしてみるとき、憲法第31条第6項において定められている教員地位法定主義に違反する。

(3)この事件法律条項の違憲性は上に見たように、期間任用制それ自体にあるのではなく再任用拒否事由およびその事前救済手続、そして不当な再任用拒否に対して争うことができる事後の救済手続に関して何ら規定をしないことによって再任用を拒否された教員が救済を受けることができる途を完全に遮断したところにある。ところが、この事件法律条項に対して単純違憲と宣言する結果をもたらすために、単純違憲決定に代り違憲不合致決定をするのである。立法者はできる限り早早期に、この事件法律条項所定の期間任用制により任用されてその任用期間が満了した大学教員が再任用を拒否された場合に事前手続およびそれに対して争うことができる救済手続規定を設けこの事件法律条項の違憲的状態を除去すべきである

 

違憲判決後の再任ルールの設定

韓国憲法裁判所が指摘した問題は、審査基準、事前手続、行政救済の必要である。そこで、大統領令が改正され、昨年学則が改正された。これは大要次のようである。

教育公務員法第11条の2は、契約制任用を大統領令で定めることができると定めた(1999年1月29日、本条新設)。これを受けて、教育公務員任用令(大統領令第4303号)第5条の2[大学教員の契約制任用等]第1項は、副教授以下の任期制を定めた(この細目は第5章注(13)参照)。任期は、専任講師2年、助教授4年副教授6年(中には定年まで身分保障のある副教授もいる)、教授(任期なし)の範囲内で契約で決める。

ここでは、給与、勤務条件、業績および成果、再契約条件および手続、その他大学の長が必要と認める事項を定めることとなっている。そして、大学の長は大学人事委員会の審議を経て第1項の規定による契約条件に関する細部的な基準を定める(2001年12月31日、本条改正)となった。これは私立学校でもほぼ同様である。

再任審査は、任命権者(大学の総長、学長)が教育人事委員会の審議を経て行う(1999年8月31日、本項新設)。この人事委員会はソウル大学の学則によれば、3人(なお、新規採用では5人)の審査委員を選出する。

ここで、早大法学部助手李斗領氏が朴正勲副教授から入手して翻訳したソウル大学と法学部の規定によれば、再任審査における評価の基準は、研究実績、教育実績、奉仕実績(学内、学外)、教育関係法令遵守及び教授の品位として、それぞれ一定の割合が定められている。それは学部毎に定めるが、ソウル大学法学部の場合には、それぞれ40%、40%、10%、10%である。このほかに、受賞等を特別考慮事項として5点を加算することがある。研究実績については、助教授(任用期間4年)に必要な論文数は2点であり、副教授の再任(任用期間6年)の際には3点を満たさなければならない。論文には、秀(5)、優(4)、美(3)、良(2)、可(1)の評点がつけられ、教育実績は、修士・博士の輩出実績(修士1人13点、博士1人15点等)と学生からの講義評価により数字で示される。人格セクハラなど重大なものを意味し、阿部はというと、大丈夫と一笑に付された。このように機械的に計算し、70%以上を満たせば、各学部人事委員会から学長に再任の推薦がなされる。

これはそれなりに客観的な判定が行われるしくみである。こうして初めて合憲であろう。無記名投票で、新規採用と同じような審査が行なわれた京大再生研とは大違いである。

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Posted by tjst ,523 |URL:http://www.ac-net.org/dgh/blog/archives/000600.html | 任期制の諸問題 | Comments (0) | TrackBack (0)

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2004524日(1) 教員組合週報(524日号)を頂戴した。任期制導入の前提として独立行政法人の場合、就業規則に明確にどのポストがどのような意味での任期制であるのか(再任可否の条件・再任審査条件などの整備も必要だろう)、その任期制ポストの依拠法はなになのかなど、明確な条件提示(労使交渉で)が法律上必要であることなど、いろいろと細かい重要問題があるが、ともあれ基本的で重要なポイントが週報にはまとめられている。独立行政法人は、労使対等の雇用関係として法律にのっとりすべての権利義務関係を規制していくべきであり、そのしっかりした準備が必要である。法人サイドと教員組合(瀬戸キャンパスの教員の圧倒的多数を結集する教員組合=過半数代表の権利と責任を有する組織)のルールに基づく交渉を求めたい。法律関係に関しては、深谷教授の講演内容(レジュメ)が教員組合HPに掲載された。当日学習会に参加しなかった教員の人々も、一度は目を通しておかれることが、「現代の奴隷」となってしまわないためには必要だろう。

 

 

 

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2004520日(5)新学部・国際総合科学部の国際教養学府、および大学院に所属する予定の「教員集会」があった。初めて「公式」に(といってもさしあたり「教員集会」という性格とでもいうものだが)新しい学府の構造(共通教養と専門教養のそれぞれの担当・張りつけ)が明らかとなった。商学部から誰が新設・新編成の国際教養学府において主たる担当科目をもつことになるのかも、はっきりした。配布された科目と担当表でもすでにいくつかの変更があり、今後も部分的にはそうした修正があるようだが、文部科学省申請(届出)に於いて、基本はこれでいくということになるだろう。(ただし、大学院はどうなることか、まだほとんど議論されていないようである。)

 

私の場合でいえば、共通教養の「世界史の方法」、国際教養コースの「ナショナリズム論T」、世界史、世界史演習(1.2.3.4)、大学院では博士前期課程で、ヨーロッパ社会論(特講、演習1,2)、博士後期課程でヨーロッパ社会論(攻究、研究演習1,2)といった諸科目の担当配置表となっていた。全体のシステム(国際総合科学部のなかでの国際教養)と私の研究教育の実績との関係では、このようになるのであろう、というのは理解できる。市当局主導(「決定権」を行政組織である大学外部の「大学改革推進本部」が掌握)のカリキュラム編成でそれに参加した(せざるをえなかった)人々の労苦は、本日の集会でも繰り返し述べられた。そうであろう。教員サイドからのいくつかの提案も「行政当局」側の判断で握りつぶされ、変更を迫られたようであり、そのことはさまざまの人が述べるところだった。

決定権を大学外部(行政当局=大学改革推進本部)が握る以上、全体的力関係(権限関係)で教員サイドの構想がすんなり通らないのも必然ということだろう。そこでの軋轢と妥協は余儀ないこととなる。その制限のかぎりで、主体的に参加できなかった現在の改革プロセスのなかでのカリキュラム体系表で、私に割り当てられた担当科目は、これまでの研究・教育の蓄積とそれなりに重なり合うものであり、その意味で、そのかぎりで自分なりにやっていけるであろうし、やっていってみようという気持ちになるものである、ということである。

私のこれまでの研究教育実績からしても、また少なくとも今年度入学の学部学生に旧カリキュラムを保障するとされる5年間(都立大学などと比べても短すぎると思われるが)を考えてみても、旧カリキュラムで担当する学部の経済史、西洋経済史、ドイツ経済史を教えること、新しい国際総合科学部の上記担当科目(年次配当でいつから重なり合うかまだはっきりしないが)との読み替えの必要性からも、例えば「世界史」といっても経済史・経営史・社会史に重点をおいた世界史の講義・演習になるであろう。シラバスにそのようなことがわかるように示すことが必要になろう。

 

一番問題の多そうなのは、共通教養の教養ゼミAであり、文科系・理科系の二人の教員が共同で国際総合科学部(商・国際文化・理学部の3学部の後継学部)・医学部(旧医学部・看護短大)の混成のそれぞれ三〇人のクラスを教えるというものである。また、27クラス×2名=54名の教員が、毎年新入生(前期)に開講するのは大変なことだ。これは全国的にも全く初めての試みだろう。うまく行くと凄いということになるのだろうが[1]、計画されているとおりだとすれば二コマ続けて(つまりを3時間)組むようであり、運営は大変だろう。

三〇人というクラスではたしてゼミとなりうるかどうか。現場の教員(学生の事情をいちばん良く知っている教員)の意見が反映されることのない[2]、大学外部の行政的な改革推進本部のやることが、いったいどのような結果をもたらすのか。開講すれば、すぐにもその具体的な問題点が明らかとなってこよう。結局は、一人の教員で15人程度のクラスということにならざるをえないのではなかろうか。

 

今回はじめて、国際教養学府の文科系の教員が一堂に会して議論をした(かなりたくさんの重要な問題が指摘された)わけだが、理科系の教員は議論に参加していない。共通教養をみのりあるものとしていくためにも、また全学部的な共通認識を深めるためにも、国際総合科学部に統合される全教員が一同に会する教授会(教員集会)を何回か開催し、カリキュラム編成に関する情報と意見の交換を行うことが必要となろう[3]。行政当局から押しつけられた意識(現状では、外部の、行政当局の「大学改革推進本部」なるものが決定権を持ち、大学教員の「協力者」の参加でカリキュラム編成を行っているのであり、大学側の全教員の主体性・主体的決定権は剥奪されているから、「押しつけ」という側面が必然的であるが)の教養ゼミでは、期待ほどの効果はあがらないだろう。「押しつけられた」という意識(「押しつけ」という実態)の強いところ(人々)では、重荷にしかならないだろう。そこからポジティヴな効果があまり期待できないのは明らかだろう。

 

いずれにしろ、国際総合科学部としての全学部的な情報公開と意見交換が必要だ。そうした趣旨の発言を呼びかけ人を代表して国際文化学部長が話し、また何人かの教員からもそうした希望や意見が出されていた。現在の状況(国際総合科学部の体制がはっきりしない段階)では、まさにそれが必要だし、当然のことだろう。

 

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2004520日(4) 国立大学法人のなかには、新しい大学の魅力を全学的に作りだしていこうという創造的な動きもあるようだ。大学の自治、自律的発展はまさにそうした学生・院生との対話と協力によって進むのが本筋であろう。行政当局による大学人(教職員と学生・院生)排除の大学運営(上意下達、外部の意思の下達)は何ら生き生きとした自発的な魅力ある大学を作り出さないだろう。「外からの声」「上からの声」を聞く耳だけの発達した人、ものを考えない人間、目の前の現実の社会(学生・院生・社会人の提起する問題)を直視しない人間を作り出すだけだろうから。

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  新首都圏ネットワーク

 

共同通信配信記事 2004519日付
学生交え「全学会議」
愛教大が独自の取り組み

 大学運営に学生の意見を反映させようと、愛知教育大(愛知県刈谷市)は1
9日、教職員と学生を交えた「全学会議」を開いた。
 独立行政法人化により大学間の競争が激しくなる中、魅力ある大学をつくる
ための独自の取り組みで、全国的にも珍しいという。
 愛教大は4月に大学の憲章を制定、運営に学生の参加を保障することを盛り
込んだ。
 この日の会議では田原賢一学長が法人化への対応などについて報告。学生代
表で教育学部4年の佐治嘉隆さん(25)が、法人化後の収支見通しや授業料
への影響を質問する予定。

 

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2004520日(3)大学評価問題は、ますます重大な課題となりつつある。関連する記事を「全国国公私立大学の事件情報」より得たので、以下にもコピーしておこう。

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20040520

「大学改革は最悪のスタートに−急務はピアレビューを可能にする研究者の守備範囲拡大−」

大学評価学会(暫定的HP最新ニュース5/20)でリンク紹介

 新聞記者・団藤保晴氏の了承の上,上記の表題記事をリンク・掲載します(団藤保晴の記者コラム 「インターネットで読み解く!」サイトに掲載されている)。 団藤氏の記事は,英国の電子ジャーナル electronic journal of contemporary japanese studies" A Worst Possible Beginning to University Reform" として掲載されました。この英訳のために作成されたコラム「大学改革は最悪のスタートに」は,今年4月からの国立大学法人化を踏まえ,政府の大学改革の在り方について,特に大学評価方法の側面からの鋭い批判と問題提起を行っています。そのなかで先に結成された「大学評価学会」についても触れられています。必読の記事であると考えます。

団藤保晴氏「大学改革は最悪のスタートに」(2004513日)

 

 

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2004520日(2) 大学改革が、大学構成員の自主的自律的意思と結びつかないかぎり、「大学の自治」はありえないだろう。今回の「改革」が大学自治を発展させるものか、大学自治を圧殺するものか、これが問われる。その意味で、都立大学の学生・院生・助手の各組織が、首都大学の学部長に指名された人々に公開質問状を出したこと、その質問項目は意味のあることであり、すべて重要な論点である。質問に各学部長予定者がどのように答えるか、学部長予定者の見識が問われることになろう。以下にコピーしておきたい。

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質問状


2004
518

 

開かれた大学改革を求める会,東京都立大学学生自治会執行委員会,
東京都立大学人文科学研究科院生会,東京都立大学文系助手会有志から,
「首都大学東京学部長予定者」へ

 

 

「首都大学東京都市教養学部」学部長予定者
前田雅英 殿
「首都大学東京都市環境学部」学部長予定者
井上晴夫 殿
「首都大学東京システムデザイン学部」学部長予定者
石島辰太郎 殿
「首都大学東京健康福祉学部」学部長予定者
繁田雅弘 殿

200381日の「都立の新しい大学の構想について」の発表及びそれ以降東京都大学管理本部が「新大学設立」に向けて進めてきた手続きはあまりに非民主主義的である、とこれまで私たちは批判してきました。都立大学の公式機関も、2003107日付総長声明「新大学設立準備体制の速やかな再構築を求める」、あるいは、20043 9日付評議会見解で同様の趣旨の批判を行なっています。

このような状況下、49日付山口一久大学管理本部長名義文書「各大学教職員の皆様へ」には「首都大学東京」における当該学部の学部長予定者として貴殿の名が挙げられています。この件についても不明な点が多いため、学部長に「指名」された方々に以下11項目の質問をお送りいたしますのでお答えをいただけるようお願い申し上げます。ご回答は文書によって525日までに同封の封筒にて、郵便あるいは学内便にて東京都立大学人文学部西川直子宛にご送付いただくか、下記「開かれた大学改革を求める会」電子メールアドレスまでお送りください。

なおこの質問状及びご回答は公開することをあらかじめお断わりしておきます。またお答えによっては、新たな質問をさせていただく場合もある点をご承知おきください。

開かれた大学改革を求める会
東京都立大学学生自治会執行委員会
東京都立大学人文科学研究科院生会
東京都立大学文系助手会有志

* 「開かれた大学改革を求める会」は東京都立大学の教員・学生よりなる団体です。代表は目下西川直子人文学部教授が務めます。

電子メールアドレス: hirakaretadaigakukaikaku@yahoo.co.jp


【学部長の選出について】
質問第1[選出の経緯]

貴殿が「首都大学東京」における当該学部長に選出された経緯は、これまでのところ都民にも新大学を構成する中心となるべき現都立4大学教職員にもいっさい知らされておりません。いかなる経緯で貴殿が学部長予定者となったかについてご説明ください。

質問第2[「学部長予定者」としての姿勢]

東京都立大学ではこれまで、学部長、研究科長の選出は、教授会メンバー、助手、職員という構成員の投票によって為されてきました。さらに人文学部長については、学生の総意を諮る規定もあります。

 私たちは「開かれた大学改革を求める」立場から、新大学の学部長予定者についても、構成員の意思を反映する人選がなされるべきだと考えておりますが、貴殿はなぜ管理本部の「指名」を受け入れられたのか、そのお考えをお示しください。

 また今後貴殿が、「首都大学東京」構成員による従来のような投票によって、信任を取りつける用意があるか否か、お答えください。拒否される場合、その根拠もご提示ください。

質問第3[今後新大学における学部長・学長・理事長選出法への考え]

 東京都立大学では学部長、研究科長とともに、総長の選出も構成員の投票によって為されてきました。また総長候補予定者については学生の投票によって非適任と見なされた者を除斥する内規もあります。

 2005年度に「首都大学東京」が発足したと仮定して、以後当大学における、学長、理事長、そして各学部長の選出をいかなる手続きでなすべきであるか、お考えをお示しください。

【大学管理本部の踏む手続きについて】

質問第4[これまでのやり方についての評価]

新大学設立に向けてこれまでの大学管理本部が行なってきた手続きに対する貴殿の評価をお示しください。

質問第5[今後いかに進めてゆくべきか]

 大学管理本部が都立4大学の教員たちと正常な協議体制を築くよう私たちはこれまで求めてきましたが、39日付の文書でも顕著なように西澤学長予定者、山口管理本部長らはそれを頑なに拒否しています。

 今後、新大学発足に到るまで、大学管理本部は都立4大学の教員とどのような協議の態勢で臨むことが望ましいとお考えでしょうか。

【現行大学における研究・教育の保障について】

質問第6[現状をどう捉えるか]

 新大学が発足する以前に、大学管理本部は2004年度の予算配分を新大学の方針に則って行なおうとしており、その結果各研究室では継続購入図書打ち切り等を余儀なくされています。また教育・研究環境のあまりにもの悪化に直面して転出する教員が続いています。かくのごとき事態を学生たちの多くは、すでに現在時点で入学時の教育保障が踏みにじられていると捉えています。

 この現状をどのようにお考えであるかの認識をお示しください。

質問第7[来年度以降の現行大学における教育保障]

 新大学発足以降、2010年度までは旧新両大学が併存しますが、旧大学に在籍する学生にとっての教育・研究環境が悪化することが危惧されています。大学管理本部が具体的にどのように教育保障を実現するのか照会してもこれまでのところまともな答えを得ることはできていません。

 ハード面(教室・研究室・図書利用等)、ソフト面(教育・研究の指導態勢)の両面で、もし学生が入学時に保障されていた条件が侵害されるとするなら、その責任はどこにあるとお考えでしょうか。また、これに対するどのような補償策が講じられるべきとお考えでしょうか。さらに、現行大学に在籍する学生たちからの意見を聞くべき機関を設置する必要性を認められるでしょうか。

【「首都大学東京」案への評価】

質問第8[現行大学の評価]
都立4大学廃止、新大学発足を都庁が謳うにあたって、これまでの大学においてどのような点に問題があり、またどのような点をより発展させるべきか、というごく初歩的な議論すらなされていませんでした。

 貴殿の現行大学に対する評価をお示しください。とりわけ、都立大学の利点と見なされていた「少人数教育」についてのお考えをお聞かせください。また「都市教養学部」学部長予定者は、新大学では廃絶される人文学部文学科5専攻、理学研究科身体運動科学専攻、新大学発足時の計画に組み入れられていない経済学部経済政策専攻などがこれまで大学で果たしてきた役割をどう評価されるのか、是非ともお示しください。

質問第9[新大学案の評価]

 大学管理本部が発表している「首都大学東京」案をどのように評価されるのでしょうか。とりわけ、「都市教養学部」の理念及び内容、いまだその内実のはっきりしない「オープンユニヴァーシティ」及び「基礎教育センター」という組織について、さらに新大学の新機軸として喧伝されている「単位バンク制」についてのお考えをお示しください。また今後大学院重点化・部局化をなすべきかどうかについてのお考えもお示しください。

質問第10[助手の位置づけ]

 これまで都立大学で教育・研究両面にわたって重要な役割を果たしてきた助手については、配置案が示されていないどころか、その存否すら不確かな状態です。新大学における現在の助手あるいはそれに準ずる職の必要性についてのお考えをお聞かせください。

質問第11[法人化にあたっての人事給与制度案への評価]

 現在新大学設立本部経営準備室が提示している、独立法人化に伴う任期制・年俸制の導入などを含む人事給与制度の変更案への評価をお示しください。



都立大の危機 --- やさしいFAQへ戻る

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2004520日(1) 本学名誉教授・伊豆利彦教授より「日々通信」最新号(519日)をいただいた。「大東亜」戦争とイラク戦争の共通項のご指摘など共鳴するところが多い。戦争開始の大義と実際との違い、これはまさにもっとも決定的な点であろう。そして、大学改革において、独立行政法人化し、大学の独立・自律・自治の度合いを高めると宣伝されたことが、はたしてどこまで実現できるのか、各大学の自律度・自立度は高まったのか、自立・自律の担い手(大学人、研究候いくの担い手としての大学教員)の権利と義務はどうなったのか、掲げられた大義と現実との相互関係は、まさにいま本学を含む全国の国立大学や公立大学でもんだいとなることである。

 

---「日々通信」抜粋------ 

「民主主義の理想」「イラク人民の解放」のために、どれほどのイラク人民が殺されなければならないか。「イラク復興」「人道支援」の美名のもとに、どれほどの犠牲をイラク人民と諸国人民は払わなければならないか。

  いまの戦争を見ていると、かつて日本の戦った戦争が新しい意味をもってよみがえってくる。あの戦争も「美しい言葉」「美しい理想」で飾りたてられた戦争だった。

  私はいま、<大東亜戦争>の宣戦の詔勅を思い出さずにはいられない。分かりにくい言葉の羅列だが、わかりやすいところだけを抜き出して見る。

「東亜ノ安定ヲ確保シ以テ世界ノ平和ニ寄与スルハ」歴代天皇の定めた遠い昔からの政策で、自分もそれを守ってきた。

「列国トノ交誼ヲ篤クシ万邦共栄ノ楽ヲ偕(トモ)ニスル」のは「帝国カ常ニ国交ノ要義卜為ス所」である。

「今ヤ不幸ニシテ米英両国卜釁端ヲ開クニ至ル洵ニ已ムヲ得サルモノアリ豈朕カ志ナラムヤ」(釁端はキンタン、戦端の意味だろう)

「中華民国政府曩(サキ)ニ帝国ノ真意ヲ解セス濫ニ事ヲ構ヘテ東亜ノ平和ヲ撹乱シ遂ニ帝国ヲシテ干戈ヲ執ルニ至ラシメ茲ニ四年有余ヲ経タリ」

「米英両国ハ残存政権ヲ支援シテ東亜ノ禍乱ヲ助長シ平和ノ美名ニ匿レテ東洋制覇ノ非望ヲ逞ウセムトス」

「朕ハ政府ヲシテ事態ヲ平和ノ裡ニ回復セシメムトシ隠忍久シキニ弥(ワタ)リタルモ彼ハ毫モ交譲ノ精神ナク徒ニ時局ノ解決ヲ遷延セシメテ此ノ間却ツテ益々経済上軍事上ノ脅威ヲ増大シ以テ我ヲ屈従セシメムトス」

「斯ノ如クニシテ推移セムカハ悉ク水泡ニ帰シ帝国ノ存立亦正ニ危殆二瀕セリ」

「事既ニ此ニ至ル帝国ハ今ヤ自存自衛ノ為蹶然起ツテ一切ノ障礙ヲ破砕スルノ外ナキナリ」

「速ニ禍根ヲ芟除シテ東亜永遠ノ平和ヲ確立シ以テ帝国ノ光栄ヲ保全セムコトヲ期ス」

 結局、日本は長い間「隠忍」してきたが、彼は「交譲ノ精神」なく、「経済上軍事上の脅威」を増大して、我を屈伏させようとしてきた。これでは我が国の「東亜安定ニ関スル帝国積年ノ努力」はことごとく水泡に帰し、「帝国ノ存立」が危うくなった。こうなった以上やむを得ず、「自存自衛ノ為」に決然とたたかい、「東亜永遠ノ平和」を確立して、「帝国ノ光栄」を保全しようとするのである。

  この詔勅を読むと、いまの戦争で、米英その他日本をもふくむ国々の政府首脳がしきりに用いる美しい言葉のオンパレードと多くの点で共通していることに気づく。

  そして、いまイラクで起こっていることは、日本が戦争でやった犯罪行為よりはるかにひどいのではないかと思われる。

 日本の捕虜虐待は戦争犯罪としてきびしく追求された。BC級戦犯として処刑されたものも多く、中には無実の罪で処罰された場合もあるようだ。

 そうだとすれば、米英軍の残虐行為は戦争犯罪としてきびしく処断されなければならないと思うが、多分それは軍の内部でごまかされ、適当に処理されることになるのだろう。いましきりに軍の首脳が下部の残虐行為を違法として糾弾し、その解明を進めているように見え、やはり、米英は昔の日本とはちがうと感心してみたりもするが、実は、こうすることで、責任が上部にまでおよぶのを防ごうとしているに過ぎないのではないだろうか。

 この戦争をはじめたブッシュ大統領やブレア首相らは国際刑事裁判所で裁かれるべきだと思うが、アメリカはブッシュ大統領になって、これへの参加を取りやめた。自国の軍人が戦争犯罪に問われる可能性を顧慮したためだという。アメリカは国際法規を蹂躙する覚悟を当時からはっきり示していたのである。それは、国際連合を無視したイラク攻撃となり、今日にいたっている。

 いまはもう日本政府とその筋のものは国連中心主義ということをほとんど言わなくなったが、当時は口を開けば国連中心ということを言っていたのだから、もちろん、国際刑事裁判所に参加していると思っていたが、実は、署名も批准もしていないと知って驚いた。

 かつて、日本やドイツが国際連盟を脱退して侵略戦争に突入していったことをまざまざと思い出す。これまでは日本とドイツの犯罪性だけが強調されたが、いまの事態を見れば、日本やドイツだけが糾弾されるべきではなかったという思いが強まってくる。もちろん、それは糾弾されなければならない。しかし、それはいまのアメリカを糾弾し、世界の侵略戦争、帝国主義戦争を糾弾することとむすびつけて糾弾される必要がある。

世界史はより広く大きな展望に立って考察しなおされなければならない。

  アメリカの横暴にしても、それはこれまでの侵略的な帝国主義国の常套手段だったのだろう。そして、もっとも邪悪な、悪魔的行動をするときに人々は神に祈り、自国を美しい言葉で飾ったのだ。

  いま、アメリカが繰り広げて見せるどこまでも自己中心的な暴虐はかつては当たり前のことだった。しかし、戦争犯罪として非難することが出来るようになったところに、現在の歴史の段階がある。

  それを可能にしたのは二度の大戦がもたらした戦争の災禍だった。戦争の質が変わってきたこと、犠牲があまりに大きく、しかもその犠牲者の大多数が非戦闘員であったこと、そうした経験が「戦争犯罪」という言葉を生み、日本とドイツの戦争犯罪が国際法廷で裁かれた。

  しかし、それは戦勝国による敗戦国に対する裁判だという狭隘さをまぬがれなかった。世界の帝国主義戦争、侵略戦争に対する批判を含まなかったからだ。日本とドイツだけが裁かれるべきではなかった。世界史そのものが考察され、批判され、裁かれなければならなかった。

  国連は美しい理念をかかげられたが、結局は勝者である米英仏ソ中による世界支配の機関となり、やがて、冷戦時代を迎えて、機能を失った。そして、冷戦後は唯一の超大国アメリカの横暴が目立ち、ついに今日の事態に立ち至った。

  日本の憲法は、この敗戦直後の、平和主義が世界に充満し、国連の精神が光り輝いた束の間の時期に成立した。それは、必ずしも日本人が望んで作った自主的憲法ではなかったろう。しかし、それは平和を求める国際的な精神の所産で、国連の理想を体現するものだった。

 いま読んでも憲法の文章は翻訳的で日本人の心にぴたりと来るものではない。それは、日本人の現実に根ざした日本人の言葉で書かれたものではなくて、啄木の言葉で言えば、「揮発性の言葉」でつづられた「美しい理想」の作文だった。

 しかし、その背後には、二度の大戦の悲惨な経験があり、その「美しい理想」はこの現実から出発して、新しい未来をつくろうという理想主義的な精神をあらわしていたのだった。

 言葉としての憲法は、たしかに日本人自身がつくったものではなく、当時の日本人がどれほどの熱い心でこれを読んだか疑問である。すくなくとも私自身は、それが発布された当時は、多分ほとんど 読まなかったのではないかと思う。

 当時の日本人には、憲法より食糧という時代だった。しかし、言葉としての憲法には無関心でも、その内容は、当時の国民が心から歓迎したのだったと思う。憲法は言葉としてではなく、現実の生活の問題として、国民の内部にじわじわと浸透して行ったと思う。

 第一に平和である。いろいろあったが、日本国民は戦争の終結を歓迎したのであった。降伏ということには、大きな不安があり、屈辱的なことではあったが、日本国民は、ひとりひとりが、それぞれに、さまざまな葛藤を経ながら受け入れていったと思う。

 もちろん、アメリカ軍に対しては容易になじむことができなかった。我が物顔に日本の国土を歩きまわる彼らに対しては、反感をいだかずにはいられなかった。その思いはいまも残っている。

私たちは加害者であり、被害者だった。侵略国民として他国を侵略し、非戦闘員を殺戮し、支配し、強い抵抗運動、ゲリラ闘争に苦しめられもしたが、今度は、大量殺戮の無差別爆撃の被害者になり、難民として国の中をあちこちと彷徨する経験もした。そして戦後は米軍に占領され、被占領国民として、みじめで屈辱的な経験もした。

 そしていま、アメリカが他国に侵寇し、抵抗運動に苦しみ、その泥沼で進退窮まっている様子を遠くから見ていると、さまざまな経験が、まざまざとよみがえり、日本の歴史が新しい意味を持ってふりかえられる。
 侵略者アメリカの問題も、被侵略者、被占領者の問題も、過去の経験と結びつけて、我がことのように、実感をもって、具体的に想像することができる。いまを生きることで、私の生きた4分の3世紀の経験が新しい命をもってよみがえるのを覚える。この経験を総括して、新しい未来を開く思想の構築にどれほどか役立ちたい。

 

イラク戦争反対の歴史家の声明に関して、アメリカの歴史家たちからの呼び掛けがあった。

声明内容に賛同した。以下にもコピーしておこう。

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Dear HAW supporter,

We are sending you this email because you signed the founding statement of Historians Against War drafted on January 3, 2003, at the 117th Annual Meeting of the American Historical Association in Chicago.  On September 21, 2003, HAW drafted a new statement on the U.S. occupation of Iraq

 

The statement is:

As historians, teachers, and scholars, we oppose the expansion of United States empire and the doctrine of pre-emptive war that have led to the occupation of Iraq. We deplore the secrecy, deception, and distortion of history involved in the administration's conduct of a war that violates international law, intensifies attacks on civil liberties, and reaches toward domination of the Middle East and its resources. Believing that both the Iraqi people and the American people have the right to determine their own political and economic futures (with appropriate outside assistance), we call for the restoration of cherished freedoms in the United States and for an end to the U.S. occupation of Iraq.

Historians Against the War
haw@historiansagainstwar.org

 

 

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2004519日(2) 本学でも、特にこの2年間くらいの間の改革問題でつねづね感じてきた現象だが、中間管理職が大学の自律や自治の観点・スタンスを失い単なる行政職員(上意下達=トップダウンの歯車の一つ)になってしまう現象は、国立大学法人化50日ほどの国立大学でもすでに顕著な現象となっているようである。ボトムアップ精神が摩滅し欠如してしまう深刻度最大級の危険ウィルスの蔓延である。大学教員の「ボトム」における個々の研究者(学生院生とともに研究・教育に邁進し、研究と教育をになう教員・大学人)の姿勢がますます重要になってくる。広島大学の佐藤清隆教授の意見を以下にコピーしておこう。一言しておけば、最先端の学問研究の内在的要請、世界的な科学文化の競争的発達の現実こそは、ボトムアップを欠如したトップダウン(官僚主義的統制主義的トップダウン)の非生産性・不毛性・危険性・生存欠如をあきからにするもの(ソ連型に象徴される中央統制的官僚的非民主主義的システムの一つの帰結としてのチェルノブイリ原発事故など)となろう。したがって世界的な学問文化の研究教育の最新・最先端からの内在的要求こそは、精神的に堕落したトップダウンを克服していくことを必然化する最大要因であろう。とりわけ研究教育の現場に立ち、競争の最前線に立つ「ボトムにおける大学人」の自由で批判的な建設的精神こそが、学問・科学文化の研究教育を前進させる前提だろう[4]。学問文化の研究教育の世界的競争は、悪しきトップダウンの跋扈を許さないであろう[5]。一方的なトップダウン体制に陥った個々の大学・学部は、従順な機械のような人間類型を多く作り出し、自由・自主の自律的で強靭な研究教育体質を構築できず、したがって清新な研究教育成果を上げることができず、結局は、社会から見放されるであろう。

 

AcNet Letter 112 1】━━━━━━━━━━ 2004.05.19 ━━

  
投稿:佐藤清隆氏(広島大学)より

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国立大学の法人化後に起きた顕著なことの一つは、教員が役員会に
直属するなんらかの中間管理職についたとたんに、あたかも自らが
管理者であるかのごとくに、トップダウン的な意識が芽生えて、も
しその役職についていなければ批判しているに違いない非民主主義
的な管理運営などにたいする批判精神が、蒸発しつつあることです。
トップダウンを旨とする法人役員会の管理意識の擦り込み現象が、
一瞬の間に起きました。もちろんこの現象は、全ての中間管理職に
当てはまることではありません。しかし、その方向に進む動きはあっ
ても、その逆は見当たりません。

一部の当事者は、「他人には分からない心の葛藤や煩悶があるのだ」
とおっしゃるでしょう。しかしいずれの地位にあろうとも、管理者
たる者は、その外的な行為が現実を動かし結果責任を負うのであっ
て、内的な葛藤は醜い自己弁護でしかありません。人間にとっての
最高の美徳は、上からの評価にあるのではなく、自己の信念を貫い
たのかどうか、勇気をもってその信念を外的行動として示せたのか
どうかであることを、今こそ自覚していただきたい。大学で教える
ことは、知識に加えてそのような美徳なのではないでしょうか。
らが試練に立たされてそれを実践できないでおいて、何を学生に伝
授せよと言えるのでしょうか?

上記の擦り込み現象は、「客観的存在が意識を規定する」という、
まことに単純で滑稽な事例[6]ですが、それが大学という現場で起きつ
つあることの影響は甚大と思われます。教職員組合などからの根底
的な問いかけや批判がなければ、やがて国立大学法人は全体主義国
家と等価になります。

批判精神のメルトダウン。たった50日で発生し伝播しつつあるこの
精神的ウイルスが、新たな感染を広げれば広げるほどに、まずは批
判精神が希薄化し、そのうち批判精神を恐れ、やがて、批判精神そ
のものを押さえつける人々が管理する大学が、未来永劫、日本の高
等教育を担う主流となるでしょう。

これほどおぞましいことはなく、その結果は、日本のあらゆる階層
の人々に災いとなって降りかかるでしょう。

広島大学 佐藤清隆

──────────────────────────────
#(国立大学法人法案可決直前の2003/7/3に佐藤氏が参議院文教科
学委員に送付した書簡:
http://ac-net.org/kd/03/707.html#[5]
http://ac-net.org/dgh/03/703-sato.php
 ]

 

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2004519日(1) 昨日の夕方5時半(わたしは講義を終えての参加で45分過ぎに参加したのだが)から8時過ぎまで、任期制・年俸制の法律問題に関する教員組合主催の学習会があった。講師は、利根川・荒川・多摩川・鶴見川「4つの河川を越えて」遠路はるばるやってきてくださった茨城大学の深谷信夫教授だった。声量豊かなお話は明晰であり、各種講演・論文などのレジュメをとりまとめた学習会資料に見られる法律論はかっちりとしたものだった。任期制問題で阿部泰隆教授の論文・著書等を読むとき、日本を代表する行政法学者の頭のよさを感じたが、今回も労働法問題の最先端をいく深谷教授の自信(「この問題を日本で考えているのは数名だけです」という発言と説得力ある法律論の組みたて)と頭脳のクリアさを感じることができた。主催者の教員組合委員長が30名余の参加者で実りゆたかな学習会に終わったと総括していたが、そのとおりだと思った。多くの反対を押し切って「大学像」などに押しこまれた任期制・年俸制などが、きちんとした法律論(法律諸関係の精密な検討)にもとづかないものであることがはっきりした。ただ、そのことを法律論でもきちんと繰り返し主張し、内外に情報公開して、教員組合の公正妥当な主張を知らしめておくことが必要だろう。深谷教授によれば、東京都の場合、石原都政(行政当局)の政治力をもってトップダウンで押し捲っており、法律論の基本的なところが詰められていないということである。都立大学教職員組合も、深谷教授と一度じっくり話し合う必要があるのではないか。教員組合が過半数代表として就業規則制定などにおいてきちんと筋道の通った法律論[7]を展開することが大切なようだ。国公立各大学の就業規則の中でもっとも合理的な大学らしい規則を作り上げることの重要性・必要性が深谷教授の話から明らかとなった。労働法専門家の深谷教授が関係した茨城大学の就業規則は、その内容が優れている点から、多くの国立大学法人の就業規則に採用され活用されているという。大学の固有性に適合的な、考え抜かれた最も優れたものが合理的であり、それが広く採用されるというのはすばらしいことだ。繰り返し悶着を起こすような就業規則ははじめから作らないことが、労使双方、経営サイドにとっても教員サイドにとっても、生産的発展的な仕事に専念するために、また社会の要請に応え大学間競争で一丸となって立ち向かうために、肝要だ。定款を見てもわかるが、経営サイドがどのていど大学というものを理解しているかは予断を許さない。教員組合執行部の奮闘に期待したい。

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2004518日(4)資料整理がいきとどいているというか、資料探索の熱意が驚くべきものというか、総合理学研究科・佐藤真彦教授HPには、アンケートのあり方、その利用のあり方に関するこの1年間ほどの文書が整理されて掲示されている。横浜市大、大学改革市民アンケート情報開示請求顛末記(補遺)04-5-18 一連の文書のなかには自分が書いた日誌などで忘れていたものもあり、あらためてこの間の改革の進み方を振りかえるきっかけとなった。無視された問題点とはいえ、改革という点ではきちんと見据える論点を多く含む文書群であり、今後に活かすべきものだろう。

 

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2004518日(2)国立大学における「ある学部」の任期制導入に関して、情報が寄せられた。その学部は組合組織率10%というところらしい。幸いというか意識が高いというか、本学の3学部(瀬戸キャンパス・国際総合科学部)では、管理職を除けば95%くらいの組織率か。いやほぼ100%か。教員組合のこ の結束が任期制労使交渉においてもきわめて重要となろう。そのことを把握する為にも、以下に組織率の低いある大学のある学部の事情に関して、コピーしておこう。

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AcNet Letter 111 1】━━━━━━━━━━ 2004.05.18 ━━

投稿:「ある大学のある学部では、国立大学時代に任期付
     
ポストに同意していた95%の教員のうち20%が法人化時
     に同意を撤回し41日付で任期のつかない辞令を受けた。」

関連記事:2004.3.25
  [AcNet Letter 81]
任期制についての新たな契約
  http://letter.ac-net.org/04/03/25-81.php
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ある西日本の国立大学の教職員組合では、41日の法人化を前にし
労使協議における合意事項として、任期制に関する以下の合意を
得ました。

1.
プロジェクト型の場合を除き、現在任期制が適用されている教員
41日に同意書を提出しない場合は、期間の定めのない教員とし
て雇用される。なお、任期制に同意しない教員に、不利益を及ぼし
てはならない。

 その後の事態で注目すべきこととして、全教員に対する任期制を
提案し、当初は95 %の教員が同意書を書いて任期制を実施してい
ある学部では、その呼びかけに応じて41日に新たな同意書を書
いた人が(当局は言を左右にして実数を言いませんが、噂では)75
%程度に減じました

 それに先立ち、教職員組合の運動に動揺した学部当局が、同意書
を書くように説明会を3月下旬に開き、100名程度の教員が集まりま
した。しかし、その説明会は当局の思惑に反して、当局に対する糾
弾会となりました。その学部の組合員は10%を切っており教員の
組織率はもっと低いのです。説明会の始まる前に、少ない数の女性
組合員がいくつか質問しようと震える心で決意していたら、彼女ら
が質問する前に、組合員以外の教員が任期制の本質的欠陥をついた
質問を鋭く浴びせ掛け、その組合員が感動することもありました。
なお、これは京大再生医科学研究所の再任拒否事件の判決前のこと
です。

 同意書を書かなかった人には、41日付で任期のつかない辞令が
出ました。その運動の成果としてご報告します。

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2004518日(1) 「全国国公私立大学の事件情報」から、深く考え直さなければならない新聞投稿記事を以下にコピーしておこう。本学の大学改革問題で、「大学の自治」「学問の自由」、それを象徴的に示す本学の学則の第一条などを繰り返し噛み締めなおしつつ、問題を考えてきたつもりだが、そしてそれに多大の時間をつぎ込み、疲労困憊したこの2年ほどだったが(決して傍観者でなかったが、したがって傍観者としての批判だけは受けないで済むと思うが)、すべてはむなしく押しきられるという状況にあるが、なぜ押しきられたのか、今一度、多くの傍観者的大学人の、そして市民、国民の大学「改革」問題への無関心の意味合いについて再考することが必要と感じる。

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思想の現場から 国立大学の法人化―教員自ら招いた「危機」

山形新聞夕刊(5/17

 去る四月一日、全国の国立大学は一斉に法人化された。正式には「国立大学法人」化なのだが、それを定めた「国立大学法人法」は、その根幹部分において独立行政法人通則法の規定を準用しているから、要するに独立行政法人化されたと言って間違いない。
 「独立」というその呼称に冠された言葉とは裏腹に、国立大学は今もその主務官庁である文部科学省に事実上「従属」してしまっている。その問題点は既に多くの識者が指摘しているので、ここではあえてそこには触れない。ただ私は、国立大学の独立行政法人化への動きが本格化して以来、一方では新聞の意見広告に名前を連ねるなどして自らの反対の主張を公にしつつ、他方ではそれへの具体的な対応策の立案に力を注いでこざるを得なかっただけに、今更ながら慨嘆を禁じ得ない。そんな法人化を許してしまったことに関しては、国立大学、とりわけその教育・研究の担い手である教員たちの側にも責任があるからだ。
 そもそも国立大学は、数多くの組織上の問題を抱えながら、その改革への主体的な努力をずっと怠ってきた。ほとんどの国立大学の「教官」(国立大学教員は「官」吏だったのだ)の視野には、国民の利益などが入る余地はほとんどなく、反対にせよ賛成にせよ、常に文部省(文部科学省)の意向にどう対応するかが、彼らの大学運営上の関心事だったからだ。そして法人化が迫ってきてからでさえ、大多数の国立大学の教員たちは、多少の戸惑いを見せながらも、その事態の推移を座して眺めてきたと言ってよい。
 もちろん、この間の社会情勢から考えて、国立大学の教員がこぞってその独立行政法人化に異を唱えたとしても、それを食い止めることはできなかっただろう。だが、それは彼らが傍観者であり続けたことを正当化するものでは決してない。国立大学の直面する未曽有の危機に立ち向かおうとする意欲が、その教員において特に希薄であったことは、わが国の高等教育機関とそれを支えるべき知識人層の脆弱(ぜいじゃく)さを如実に物語るものだ。
 法人化後のこの期に及んでも国立大学の教員層の反応には鈍いものがあり、私は正直あきれ果てている。その教育公務員としての特権的な身分保証はもはや失われ、国立大学法人と教員との関係は、法律的には労働三法に規定される使用者と労働者のそれでしかない。だがそんな当たり前のことも、多くの国立大学の教員は認識していないようなのである。実際、法人化後の国立大学職員の給与明細には「労働保険」(失業保険)という項目が付け加わり、その分だけ手取りの額が減っているが、そこに気がついていない教員すらいる。それだけなら浮世離れした学者の愛嬌(あいきょう)と見過ごすこともできよう。しかし、大学施設の安全管理などについてもその程度の認識というのでは、これはもう笑い事では済まされない。
 「行政の不瑕疵(ふかし)性」という前時代的な観念の名残か、国立大学では、その施設の安全管理に関して、以前は人事院規則にさえ従っていれば良かったが、法人化後は労働安全衛生法から消防法、果てはビル管理法に至るまでのさまざまな法令を順守しなければならなくなった。そしてそうした法令に違反すれば、末端の責任者ですら、最悪の場合刑事罰が科せられることになる。また国家損害賠償法の適用対象外となったことから、国立大学法人の民法上の不法行為責任(損害賠償責任)も、そのすべてを法人自身が負わねばならなくなった。このとてつもない状況変化に対する危機感が、国立大学の教員の発言や態度に今も全く感じられないのだ。まるで国立大学には治外法権でも認められているかのようである。
 こんな状況だから、一般市民が「国立大学のセンセイ方とはいい気なものだ」という感想を持ったとしても、私にはそれを誤解や無理解として批判することなど到底できない。国立大学の法人化に反対する主張に大学の外から呼応する市民の声が小さかったのは、結局はこのためなのだ。今からでも遅くはない。国立大学の教員はこの自ら招いてしまった危機を大学改革の好機ととらえ、国民のための大学へとその組織を変革する努力を始めるべきである。それ以外に真の国立大学再生の道はあり得ない。
(山形大工学部助教授・足立和成)

 ▽あだち・かずなり氏は1959年東京生まれ。東京工業大大学院総合理工学研究科博士課程修了。専門は超音波工学、特に強力超音波の発生とその応用。著書に「超音波エレクトロニクス振動論―基礎と応用」(共著)「文化財探査の手法とその実際」(編著)

Posted by 管理者 : 掲載日時 20040518 01:50 | コメント (0) | トラックバック (0)
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2004517日(3 教員組合週報最新号517日号)を頂戴した。ここにもリンクをはって紹介しておこう。「現代の奴隷」とならないために、民主主義社会・日本が制定している国法、法律(今回の場合直接関係するものとしては独立行政法人法、大学の教員に関する任期制法、労働基準法だが)の基礎知識は、われわれにとっては必要不可欠である。たとえば、わたしは以前私立大学に勤めていたが、持ち駒数(基本給相当分)は4コマであった。慶応大学もノルマは4コマだと聞いている。それ以上の講義負担に関しては、当然にも、オーバータイム手当が出ていた。こうした基本給部分の内容確定なども労使対等の交渉の事項である。細かなことは現時点でできなければ、この何年かの平均的勤務条件で継続するということを当面確認するしかないであろう。

すでに(1)で紹介した首都大学のあり方に関する都立4大学の教職員組合の要求も、その法律的根拠を示して、移行型独立行政法人としての主張を展開している。明日は教員組合主催の労働法学者(茨城大学教授・深谷信夫氏)講演会・学習会がある。これも是非とも聞きたい。

 

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2004517日(2) 市当局・大学当局が行ったアンケートに関する情報開示の問題で、どのような操作があったか(学生諸君の意見を黒塗りにしているという問題、アンケート結果の一部だけの公開など)、に関する新しい情報が寄せられた。『カメリア通信』第二〇号である。リンクを張っておこう。「つまみ食い」されているところは、さすがにおいしいところのようで、私などにも共感できるところが多い。たとえば、「大学院教育の充実」、「社会人教育の充実(学位取得を含む)」といったところなどは、もちろんわたしの年来の主張と市民の意見が一致しているところとして、勇気付けられる。したがって、何が黒塗りにして隠されたのか、これが問題となろう。黒塗りにして隠したからといって、学生諸君や大学院生の意見が雨散霧消しまうわけではない。黒塗りにして隠したけれども、その内容はきちんと直視して大学改革に生かすべきことはあるだろう。一楽教授の情報公開請求とその結果もまたそのような今後の改革の方向性を練り上げていくうえでも重要なものであろう。現時点での情報公開の請求の意味は、そのような今後の課題との関連においてであろう。

 

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2004517日(1) 首都大学設置にむけての都行政当局の強権的な態度に関連して、教職員組合は、身分・労働条件に関する要求を提出したようである。きわめて重要なものであり、以下にコピーしておこう。

 

----------都立の大学の法人化に伴う教職員の身分・労働条件に関する要求------------- 



                      2004.5.7
東京都大学管理本部長  
  山口 一久 殿

              東京都立大学・短期大学教職員組合
               中央執行委員長 山下 正廣

  都立の大学の法人化に伴う教職員の身分・労働条件に関する要求(第1次)

 都立の大学で働く者の代表として、労使対等の協議によって身分・労働条件を決定
するため、今後の団体交渉の出発点として、組合は下記の項目を要求します。

       記

[全般的事項]
1.2005(平成17)年度からの法人は、当局自身が都議会で言明しているとおり
地方独立行政法人法第59条2項による移行型一般地方独立行政法人である。したが
って、現行都立の教員の身分はそのまま継承され、現在の賃金、労働条件は等は変更さ
れるべきではない。当局は法人発足にあたって現行の身分・労働条件の継続を確約する
こと。

2.任期制・年俸制の一律導入等の一方的な押し付けを行わないこと。

3.当局が提案している「旧制度」と称する人事・給与制度は不利益変更にあたるので
撤回し、少なくとも現在都立の4大学に勤務する教員に対しては、原則的に定年までの
雇用を保障し、かつ適正な評価に基づく昇任および昇給を保障する制度とすること。

4.新法人の就業規則等に定められることになる賃金、勤務、労働条件に関わる諸規則
は、原案を組合側に提示し、かつ誠意をもって交渉し、合意されない事項は継続的に協
議、交渉することを確約すること。

[「就任承諾書」、「意思確認書」に関する事項]
5.本年7月までに文部科学省大学設置審議会に提出する教員の「就任承諾書」は、
確な身分・労働条件の提示を前提とすることが当然である。当局は「就任承諾書」の提
出を各教員に求める前に、第1項から第3項を文書で明示すること。

6.もし「就任承諾書」の提出期限までに上記第5項がなされないときは、「就任承諾
書」の提出は身分・労働条件へ同意を意味しないこと、および、「就任承諾書」提出後
であっても、各教員が新大学への就任を撤回する権利をもつことを確認すること。

7. 助手についても「意思確認書」の提出を求めるのであれば、第1項から第3項を
事前に文書で明示すること。もし提出期限までにそれがなされないときは、「意思確認
書」の提出は身分・労働条件への同意を意味しないこと、および、「意思確認書」提出
後であっても、各助手が新大学への就任を撤回する権利をもつことを確認すること。ま
た、本人の専門と異なる分野への配置再配置は行わないことを確約すること。

[職員の派遣等ら関する事項]
8.職員については、「派遣法」に基づく派遣という形態を取るのであれば、派遣職員
の身分・労働条件などについての、十分な説明会を開催すること。

9.職員については、本人の意に反して公務員身分を失うことのないようにすること。

[交渉記録作成に関する事項]
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.団体交渉終了後は、速やかに正式な交渉記録の作成を行うことを確約すること。

 



[1] ただし、うまくいったかどうかの判定は実は十数年かけなければわからない・・・「大学評価学会」における益川代表の講演、参照。

だが、そのころには、いや壱〇寸念しなくても数年で、制度は変えられであろう。この間の文理学部の改組から今回の再統合までの期間などを考えると、そのような予想も、論外だとはいえないだろう。

[2] この点では、「トッフル500点」という数値目標を掲げた「国際総合科学部」の数値目標が、はたして妥当か、特に英語教員を中心に現場教員から深刻な疑義が文書で学長や行政当局の組織にたいして出されている。現在の力関係(改革の進め方、すなわち、評議会・教授会の審議権の否定が「新大学設立」という名目で押しとおされている現状)では行政当局が掲げた目標を譲らないようだが、今後の展開を注視しなければならない。

 

[3] 本来、新しい学部の学部長が決まっており、その召集の元に、教授会が開かれ、各種委員が決められるなどするのが筋であろう。これも、いくつか意見として表明されていたことであり、至極当然のことである。行政主導ということは、行政当局が必要と認識したことだけを行政組織が意のままになるかぎりで(行政組織の必要に応じて)、行うということであり、度のような会議を開いたのか開かなかったのか、そのすべての責任は、決定権を持つという行政当局(大学改革推進本部)がとるということになろう。大学側に主体的にどのようなことの検討が必要か問題を投げかけることはなく、評議会・教授会を無視する体制が継続中だからである。評議会では最近はまったく審議事項はなく、行政当局(大学改革本部)の報告事項のみという。外部の「お上」が検討し決めたことを「報告するだけ」、「大学はそれに従え」というのが、「報告事項」の客観的法的意味合いである。

 

[4] 大学人の「能力構築競争」において、世界最先端を行く日本独自の生産システム、「能力構築競争」から学ぶ必要があろう。トヨタシステム、トヨタ生産方式、ジャストインタイム、TQC、そうした「改善」システム、創発的プロセスと改善・進化の統合については、藤本隆宏の研究が最先端を行く。彼によれば、「製品=情報+媒体」であり、社会の顧客の発するニーズを吸収する柔軟性・開放性が必要である。藤本によれば、

 

企業の「もの造りの組織能力」とは、結局のところ、顧客を引きつけ満足させる製品設計情報を、いかに上手に創造し、それをいかに上手に素材に転写するかに関する、その企業固有の能力のことである。(『能力構築競争』p.33

 

世界最先端を行く企業の製品開発・生産プロセスは、決して一方的なトップダウンではない。従業員全体の下からのやる気・情報収集の柔軟な有機的循環構造!

「もの造り組織能力」、多様な人間と情報の統合・調整・創造・指揮のダイナミックな動態的有機的な連関。

 

 大学教育の場にも十分適用可能な見方だろう。

 

[5] Cf.亀岡秋男・古川公成編『イノベーション経営』放送大学教育振興会、2001

 「イノベーションの展開を支える科学技術は、創造的で挑戦的な人物によって進歩してきた」(p.16)

それでは、「創造的で挑戦的な人物」=起業家(アントレプレナー)・企業家(イントラプラナー)はどのようにして、どのような条件の元に生み出されてきたのか?

そのような人間類型の基礎・背景にある社会とは? 教育のシステムとは?

霍見(つるみ)芳弘・・・「日本人の自由で独創的な思考と行動を促すには、日本人の精神的解放が欠かせない。・・・自由な思考と行動を支えるのは『独立自尊』の精神で、個々人の多様な個性を尊び、他人に迷惑をかけないで共生の社会連帯を育てる」(同上、p.230) ことが必要。

 

[6] 「中間管理職」という客観的存在の一側面にすぎないものが、全精神を支配する。「中間管理職」機能が、大学教員としての重要な精神活動を摩滅させ、飲みこむ。大学教員、研究教育の担い手(したがって自由で批判的な精神が不可欠であり、それを脅かす制度改廃には毅然と対処する姿勢を態度で示すべき人格)としての客観的存在の側面がむしまばれてしまう、ということだろう。

 

[7] 一般法(労働法・労働基準法)と特別法(大学教員限定の任期法・その立法の趣旨、諸条項の対象限定性・特別性・例外性)の関係、過半数代表との対等交渉による就業規則の制定(良好な労使関係・生き生きとした合理的な公正妥当な労使関係の成立の前提)、労使団体交渉など対等の交渉等を規程する労働法など、一連の関連法規をきちんと詰めておく必要がある。その主要なものを深谷教授は労働法専門家だけあって明晰に整理していた。ただし、素人が一度で理解出きるとは限らない。素人が生半可に議論すると混乱に陥るだけという感じがある。