2004年8月後半の日誌
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2004年8月31日(2) 国立大学法人化に伴う教授会・評議会の権限剥奪(大学の自治の破壊への道)と関連して、理事会メンバーのあり方をめぐる論点が、「意見広告の会」で出されている。以下にコピーしておこう。
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2−1 国公立大学通信 2003年4月23日(水)に掲載された意見 [5]と[6]
*なつかしの4/23号は、以下でご覧下さい。
http://ac-net.org/kd/03/423.html
--[kd 03-04-23 目次] -------------------------------------------------
[1] 国立大学全体投票実施期間の延期4/28−5/7
[2] 「法人法案」事務局から賛同者へのメッセージ
2003.4.22
[3] 4.23 国立大学法人法案阻止・教育基本法改悪阻止 交流・討論の集い
[4] 田中弘允(前鹿児島大学長)「知の拠点を失い分権化とも矛盾」
[5] 高島悟史(東京大学)「幹部職員は、全て大学の職員から登用すべきです」
[6] お便り紹介:渡辺治(東工大)#(文科省間との人事交流禁止条項の提案)
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高島悟史「幹部職員は、全て大学の職員から登用すべきです」
http://www.ne.jp/asahi/tousyoku/hp/web030422kanbusyokuin.htm
「現在、国立大学法人化議論の中で、文部科学大臣の任命権の下に国立大学間等
を異動している事務職員について、引き続き現行の運用を続ける方向が検討され
ています。特に文部科学省は、自らのポストと昇格スピード維持のため、この制
度の存続を強く求めているようです。
しかしながら、現在のように、事務局や病院・図書館事務部の部課長のほとん
ど全てが本省や他大学の出身者で占められ、大学プロパーの幹部が(部局の事務
長・課長等を除いて)ほとんどいない[1]ということは異常な組織形態と言わざるを
得ません。このことが学内の職員[2]の士気が上がらない最大の原因とも言えるので
はないでしょうか。
そもそも大学の中で幹部を養成し、配置していくことは自律的な大学を作る上
で最も重要なことであり、そこで働く職員にとってのインセンティブともなるで
しょう。また、これは、本来法人化にかかわらず、大学として実現すべき課題で
はないでしょうか。
現在、文部科学大臣の任命権の下に国立大学間等を異動している幹部職員の登
用方法には、次のようなものがあります。
(1) 文部科学省転任試験制度によって本省に転任した後、31才程度で係長、3
8才程度で大学等の課長(7級)として全国異動となり、41〜42才で8級に
昇格することとなるが、この制度の問題点は、一度文科省に転任さえすれば最低
大学等の課長にはなれるが、逆にどんなに優秀な大学等の職員であっても、転任
試験を受けられなかった者や年齢が過ぎた者は大学等で低い待遇に甘んじなけれ
ばならないという点である。
(2) 係長歴5年以上で年齢が50才以下の者が課長登用面接制度により、当初は
主に高専の課長として転出し、その後は大学等の課長として全国異動となるので
あるが、7・8級に昇格するのが本省出身者よりもかなり遅いという問題や、子
どもの受験期等に単身赴任せざるを得ないといった問題がある。
今後は、上記制度を廃止し、課長職以上の者についてもその大学の中から登用
することを基本とすべきであり、仮に本省や他大学からの人材が必要と判断した
場合においても、その数はごく少数とすべきでしょう。
そして、これをすすめるうえでの過渡的措置として、現時点で上記の方法によ
り登用されている者についての処遇を個別に検討することは当然であり、そのた
めの方策として、現在大学に勤務しているT種職員(「キャリア」)をすべて本
省に復帰させるとともに、それ以外の幹部職員については、本人の意向も考慮の
うえ出身大学等への異動を行います。また、現在の幹部職員の勧奨による退職も
大幅にすすめ、代わりに学内からの登用を図ることも必要でしょう。
なお、上記の「転任試験制度」と全国異動によって、本省経験者の昇格スピー
ドは他省庁に比しても格段に良い状況となっています。今後は文部科学省本省の
特権的とも思われる昇格スピードも改めてもらう必要があります。
現段階では国立大学法人法案でも国大協の法人化特別委員会でも、この問題に
は一切触れていません。この問題を避けて通るのならば、いずれ法人の理事会は
文部科学省からの天下り人事で占められるとともに、大学の幹部職員も引き続き
本省から送り込まれた人たちで独占されることになりかねないのではないでしょ
うか。」
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[6] お便り紹介:渡辺治(東工大)#(文科省間との人事交流禁止条項の提案)
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「国公立大学通信の運営,ありがとうございます.法人化自体に対して全面的に
反対という立場ではありませんが,問題点などの整理のため,ときどき,記事を
勉強させて頂いております.
現在の皆様の運動に対して,かねてより気になる点があり,投稿いたします.こ
のネットワークでは,法人化法案断固反対という立場で,法案廃案をめざしてい
らっしゃるのだと思いますが,本当にそれ一点張りの運動でよいのでしょうか?
法案が通ってしまう場合を想定して,その場合でも,最悪の状況を避けるような
対策・対案を提案しなければならないのではないでしょうか?
具体的に申し上げるならば,現在,行われている文部科学省との人事交流を禁止
する事項を,法案に付加する,あるいは国会での議論で出す,などのことが重要
だと考えます.たとえば,文部科学省で係長以上の方は,退職後,5年間は,独
立法人◯×大学に勤めることはできない,といった考え方です.
文部科学省が各独立法人◯×大学の運営計画を審査する立場であるのであれば,
人事交流などにおいて圧力が加わるのは自然の成行きです.そのような圧力の中
で,本当に大学の独自性が出せるのかは,はなはだ疑問です.この人事交流禁止
条項のようなものは,見た目には地味かもしれませんが,かなり本質的なものに
なるのではないでしょうか?
もちろん,文科省間との人事交流禁止には,大きな負の側面もあります.大学の
運営の力となる人々,特に,幹部候補の人材確保が難しくなるからです.この点,
大学は文科省を頼って来ました.それを自前で養成しなければならなくなるから
です.そのため,しばらくの間は,多くの大学で非常に苦労するでしょう.大学
の事務能力も大幅に低下するでしょう.ただ,それを乗り越えて,人材を育成す
る力を付けなければ,文科省の支配を愁いても,ただの愚痴になるだけのような
気がします.
これはあくまで文科省間との人事交流の話です.大学間の交流は,むしろ,積極
的にやる必要があると思います.ただ,その場合も,その交流の輪は,あくまで
文科省と独立でなければならないと思います.
以上のようなことは議論されているのでしょうか?」
2−2 意見
拙著「こんな法律はいらない」東洋経済新報社、2000年191頁
このように、警告しておいたのですが、みんなわが大学は大丈夫などといっていた。
しかし、見識のない学長ばかりで。
(3) 独立大学法人への文部官僚の天下りを禁止せよ
今、国立大学は独立行政法人化の旋風にさらされている。政府は行政改革とやらで
独立行政法人通則法を作った。大学については、学問の自由、学長選出の自主性を尊
重する例外を認める特例法を作るというだけで、文部省は国立大学の同意を求めてい
る。自民党政務調査会も、国立大学法人という名称でこれを推進する提言をまとめた
(二〇〇〇年五月)。いわば一種の特殊法人化しようとするものである。
私の意見では、こんなことをしても、ダメな大学をそのまま残す以上、行革にはな
らない。本当なら、大学清算事業団を作っても、ダメな大学をお取り潰しするくらい
の勇気が必要だ。しかし、ここでは、国立大学を独立行政法人化するとき、絶対に困
ることをひとつだけ主張したい。
大学は、中期目標を設定して、中期計画を文部大臣に承認してもらわなければなら
ない。大学は独立だなどといわれても、実は、客観的合理的な評価基準はできず、中
期目標の設定、中期計画の承認、予算の分取りで、文部省に頭を下げどおしで、ゼロ
割自治である。三割自治を嘆く地方公共団体が羨ましい。
しかも、独立行政法人化で、これまでよりも評価というしくみが加わるだけ、文部
省の裁量が広くなるのではないか。学長は学内で選出されるが、副学長は経営感覚に
優れた人材を外部から求めるとかで、実は文部省の方針を探り、文部省に取り入るた
めに、文部省の役人が天下る可能性が高い。文部省の官僚は、簡単には教授になれな
いから、これまでは副学長にはなれず、事務局長にまでしか天下りできなかったが、
これからは、教授でなくても、経営感覚あふれると称して、そんな感覚があるはずも
ない文部省の役人が、文部省との顔つなぎだけで副学長になれるのではないか。
元々、天下り規制は、前記のように営利企業に対するものだけを対象としているの
で、現行法のままでは、建設省、大蔵省などの職員が道路公団に天下りするのと同じ
ことが文部省と大学の間でも許されるのである。
これは大変な利権だ。国立大学は全国に九九もあるから、当該大学に入学できな
かったクラスの文部省職員が副学長になれるだろう。大蔵省や自治省も顔負けの利権
官庁になる。
そこで、国立大学を独立行政法人化するさいの最小限の条件として、大学は営利企
業ではないが、ここでいう営利企業に準じて、天下り禁止の対象に入れるべきであ
る。さらに、元文部省職員なら、離職前一定期間高等教育局以外に勤務していても、
あるいは、離職後一定期間はどこかの公益法人などで休憩(雨宿り)していても、大
学へ天下りできないと決めるべきである。
せめてこのような特例がないと、国立大学の独立法人化の旗を振る文部省は、天下
り先ほしさだとかえって勘ぐられて損ではないか。
追伸
天下りの定義では、上記のものは形式的なもの、組織の力で、組織外に、実力以上のポ
ストを確保することを天下りと定義すべきです
阿部泰隆
http://www2.kobe-u.ac.jp/~yasutaka/
2−3 意見
理事会が旧評議会に相当するとすれば,学長や評議会の決定を執行する職務にあった人
,つまり事務局長が,横滑り的に理事になるということは,旧システムでは評議会の正
式メンバーになる,ということに相当するのではないでしょうか.つまり,意思決定機
関と,その下でそれを実行する職務というものを,混同したもののように思われます.
もちろん個人の資質によっての職務替えはありうることですが,そのためにはそれなり
の評価と資格認定(qualification)
が必要でしょう.そのようなことが短期間に行わ
れたとも思えません.つまりこれだけの大量の就任は「横滑り」と見るのが妥当と思わ
れます.
佐賀大学・教員
2−4 意見
「意見広告の会」事務局御中
私は東北大学職員組合の前執行委員です。現在は退任して一組合員です。
ニュース185を拝見いたしました。東北大学については、すでに国立大学時代
に前事務局長が副総長に任命されるという人事が行われ、彼がそのまま法人化
とともに理事になりました。よって、貴会の分類で間違いありません。
2点ほどコメントがあります。まず1点目は、「このことは、私たち「意見広告の会
」の中ではもちろん、法人化問題に熱心だった組合の機関紙、また国会でもほと
んど問題視されていなかった事態であるように思われます」という事実認識です。
これは言い過ぎと思います。全大教関東・甲信越地区協議会の第5回集中学
習検討会(2003年11月8-9日)では、深谷信夫氏の講義でこの問題がとりあげ
られています。私は深谷氏の見解を自分でも検討し、論文「国立大学法人の管
理運営制度と教員の地位」『全大教時報』第27巻第6号、2004年2月、でとりあげ
ました。
2点目は、前事務局長の理事就任と官僚の天下りを同一視することは適切で
ないということです。その事務局長が理事の職務を遂行する能力を持つ限りに
おいては問題ないと思います。彼らの身分は国家公務員とは切れていますから、
文科省から出向してくる職員と同じような意味で人事交流の対象になっている
と断定することはできません。もちろん、理事退任後に再び文科省が採用する
ような動きが出たら、実質人事交流だと批判すべきですが、絶対そうなるという
根拠はないと思います。
拙論より該当部分を引用します。
「 従来の国立大学の制度では、副学長をおくとしても教授でなければならなかっ
た(国立学校設置法施行規則第2条第2項)。そして従来の教授会・評議会自
治の発想からすれば、この法的制約が外れても、また役員は教員を兼ねること
ができないとしても、やはり主として教員から登用すべきということになる。しかし、
研究・教育と経営の分離を正面から受け止めるならば、役員会はいまや教員の
代表ではなく、法人の経営者である。人事・労務担当理事は人事・労務に精通
し、これを大学経営の立場から合理的に遂行できる者が就任すべきであり、それ
が教員でなければならない理由はないことになる。外部から適切な専門家を招
聘するか、それができないのであれば、学内の幹部事務職員を人事・労務担当
理事とすることも十分に考えられる。学内の事務職員から選任することは、実際
にその適性がある人物である限りにおいて、いわゆる「天下り」とは異なるとみな
すべきである。教員の側は、教員から理事を登用することに固執するのではなく、
人事・労務の専門家たる理事に経営責任を負わせ、自らは労働組合を通してこ
の理事と交渉すればよいのである。」
「従来の国立大学においては、幹部職員を副学長にするには、研究業績がなく
とも職員を教員に配置転換するしかなく、そうした選考自体が研究・教育の自主
性を脅かす逸脱行為であった。しかし、国立大学法人制度の下では、幹部職員
を理事にすることは理に適ったひとつの方法となるのである。職員が役員になるこ
との意味は、両制度でまったく違ってくることに注意が必要である。」
なお、法人化前の東北大学で前事務局長が副総長に任命されたとき、私は
まだ不勉強で、ことの重大性に気がつきませんでした。拙論の上記部分は、
この反省も踏まえて書いたつもりです。
拙論の全文は以下にあります。論文リストの上から2番目の「全文」をクリック
すればダウンロードできます。
http://www.econ.tohoku.ac.jp/~kawabata/ronbun.htm
もちろん、法人化後も理事は教員から選ぶべきだという意見もありうると思います。
また、前事務局長でも外部の人物でもよいから、選出方法を構成員の意見を
反映したものにせよという意見もあり得ると思います。
川端 望
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2004年8月31日(1) 「新しい教科書を作る会」の教科書が新設の都立中高一貫校で採択され、内外に波紋が広がっている。これに関する次の情報をコピーしておこう。
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Academia e-Network Letter No 169
(2004.08.31 Tue)
http://letter.ac-net.org/04/08/31-169.php
━┫AcNet Letter 169 目次┣━━━━━━━━━ 2004.08.31 ━━━━
【1】家永氏の教科書で日本史を勉強した宇多田ヒカル氏の所感
国立大学独立行政法人化問題週報
No 101(2002.12.31)
2002/12/06 Hikki's WEB SITE:家永三郎氏への弔辞(2002.12.2)
http://ac-net.org/wr/wr-101.html#[101-edu-5]
【2】三酔人教科書検定問答ー弁護士・執筆者・編集者の会話ー
1994.6.19 弁護士 藤田 康幸氏
http://www.yfujita.jp/ts/sansui.html
━ AcNet Letter 169 【1】━━━━━━━━━━ 2004.08.31 ━━━━━━
家永氏の教科書で日本史を勉強した宇多田ヒカル氏の感想
2002/12/06 Hikki's WEB SITE:家永三郎氏への弔辞(2002.12.2)
http://ac-net.org/wr/wr-101.html#[101-edu-5]
http://www.toshiba-emi.co.jp/hikki/from_hikki/bn2002_j.htm
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#(編註:東京都教育委員会は、都立最初の中高一貫校の6年生で扶
桑社の歴史教科書を使うことを決めた。教科書を詳しく比較したわ
けではないが、正しさだけでなく読みものとしての「面白さ」にお
いても対抗できる教科書がこれから必要となるのではないかと感じ
ているが、実はそういう教科書はすでにあるのだが検定で不可とさ
れているだけのようである。
宇多田ヒカル氏は、家永三郎氏が2002年に逝去された直後に弔辞を
インターネットで表明したが、その中で、高校で家永氏の「新日本
史」を勉強し深く動かされたと書いている。東芝が「引用禁止」と
しているページからであるが(引用は禁止できることなのであろう
か)、若い世代の見識の高さと感性の鋭さを示すものとして、敢え
て引用したい。
こういう「面白い」教科書が、いわば子供向けには歴史的真実を書
きすぎているとして検定で不可とされる一方、読みものとしては
「面白い」が歴史的真実の観点から重大な瑕疵がいくつもあること
が多数の歴史学者から指摘されている教科書が検定で可とされてい
ることになる。教科書を選定した方々が、読みものとして面白いか
どうか、ということで判断したとすれば、見識の有無はこの際問わ
ないことにしたとしても、フェアーでないと言うべきであろう。
Hikki's Web Site > Message from Hikki 2002.12.2 より
http://www.toshiba-emi.co.jp/hikki/from_hikki/bn2002_j.htm
「前回の書き込みの12時間前くらいに、、、
12月2日(月)07時11分
「教科書裁判」に半生を捧げた家永三郎さんがお亡
くなりになりました。
私もさっきニュースで見たばっかり。
中学時代に「日本語」のクラスで勉強した国語の教
科書以外に文部省検定の教科書を使ったことの無い
私には、あまり接点なさそうな話なんだけど、、、
実は高校で彼の「新日本史」を勉強してたんだ!
唯一日本語で授業がすすめられる「日本語」のクラ
スは文学が中心だというのに、先生が高校最後の本
として家永三郎さんの「新日本史」を選んだのです!
イワクつきの事件にもモレナク触れたその本が、文
部省検定をパスできなくて裁判にまで発展してたっ
て聞いて興味は湧いたし、それまでの日本史や日本
社会のクラスは結局全部英語だったから、日本史を
日本語で勉強できるのも嬉しかった。
でもね、私は一番、文面にあらわれる筆者のキャラ
クターがありがたかったなあ!
口癖が「〜は特筆に値する」だったりさ!
そういう色があるってことは教科書としては良くな
いのかもしれないけど、、、でも私は!人間っぽい
あったかさを感じたよ、こう、「子供に教えたいん
だ!」っていう情熱をね。
唯一好きじゃない科目が「歴史」という私も、勉強
しやすかったよ。
同じ過ちや戦争を繰り返して欲しくないから、って
いう彼の願いは、どこまで届いてるんだろう。家永
さんが亡くなっても、これからどんどん大事になっ
ていくテーマだべ!!!あの時読めてよかったと思
う!「新日本史」もずいぶん修正して出版したみた
いだけど、まあ学校で配られなくてもさ、読みたい
人が読めれば、いいんじゃないかな!どんな規制を
受けても、こうやって、この本の話は彼のメッセー
ジとともに広がっていくんだもんね。」
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数学教育の意義について語るMessage もある。中高生に数学を勉強
したいとこれほど思わせるメッセージはないのではないだろうか。
2003年10月30日(木)09時50分 「☆レコーディング順調っす☆」
http://www.toshiba-emi.co.jp/hikki/from_hikki/bn2003_j.htm
イラク戦争開戦の日のメッセージも印象的である。
2003年3月20日(木)15時13分「ついに始まりました。」
http://www.toshiba-emi.co.jp/hikki/from_hikki/bn2003_j.htm
━ AcNet Letter 169 【2】━━━━━━ 2004.08.31 ━━━━━━
三酔人教科書検定問答ー弁護士・執筆者・編集者の会話ー
1994.6.19 弁護士 藤田 康幸氏
http://www.yfujita.jp/ts/sansui.html
< 教科書検定 http://www.yfujita.jp/ts
< プライム・ロー(Prime Law)サイト http://www.yfujita.jp
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#(教科書検定制度における、執筆者と出版社がおかれている状況が
わかりやすく解説されている。「弁護士」のいくつかの発言が意
表を突く:
「一般の人は、裁判を起こすのを難しく考えすぎなんだよ。一般の
民事裁判の場合なら、勝訴する可能性がどの程度あるか、目的を
達成する手段として適切かどうかなどを慎重に考えないといけな
い面があるけれど、教科書検定訴訟は基本的に「権利のための闘
争」なんだから、要は、権利のために闘うかどうかだよ。」
「執筆者」の「裁判を起こすと、裁判のために相当時間をとられる
だろう。」に対し:
「家永訴訟のことを考えて言っているんだろうが、家永訴訟は大弁
護団で裁判をやってきたので、会議も多いし長いが、もっと小回
りのきく形で裁判活動をできると思うよ。家永さんみたいな負担
はかからないと思うよ。」
「家永さんや高嶋さんだけが闘っているから、余計に大変なんだ。
家永さんは一番バッターだったから、先覚者としての大変さがあっ
たと思うけれど、これから闘う人はもっと楽だと思うよ。」
「原告側に負担がないとは言わないけど、対応する文部省や法務省
だって負担が増えるんだよ。文部省や法務省だって、こんなに訴
訟が起こされるのではかなわん、もっと検定を緩やかににた方が
いいという判断をすることだってありうるよ。家永訴訟が係属し
ていること自体が、文部省が好き勝手な検定をする抑制要因になっ
てきたと思うが、もっと抑制要因が働くことが考えられるよ。」
対話の最後より(執:教科書の執筆者、弁:弁護士):
執:弁護士が執筆者の代理人になってどれだけの意味があるかな?
弁:あくまでも検定は法律に基づいて行われなければいけないの
だから、法律的に通りやすい議論をするという面で意味がある
し、もし訴訟になった場合に、争いやすい検定経過になること
が考えられる。それと、さっき言ったように、下手な判断はで
きないという牽制効果が期待できるだろう。
執:全国各地で教科書検定訴訟が係属し、しかも検定の現場では、
弁護士からの書面がいつも出されるという状況を作るべきだとい
うことか?
弁:そうなんだよ。そういう状況を作らないといけないんじゃな
いか?
執:現状からすると、夢のようだな。)
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編集発行人連絡先: admin@letter.ac-net.org
趣旨:http://ac-net.org/letter/
ログ:http://ac-net.org/letter/log.php
#( )内は編集人コメント、「・・・・・」は編集時省略部分
登録:http://letter.ac-net.org/s.php
転送歓迎(転送時に:http://ac-net.org/letter 併記希望)
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2004年8月30日 「全国国公私立大学の事件情報」によれば、鹿児島国際大学解雇事件ではまた、学園側敗訴の裁判所判決が出たようである。それにしても、幾度もの裁判所の決定にもかかわらず、賃金不払い・兵糧攻めを行う学園側の態度は、恐るべきものではある。以下にコピーしておこう。
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8月27日、鹿児島地裁(平田豊裁判官)は、賃金仮払いを求める仮処分再申立裁判(2003年10月15日提訴)において,原告三教授の訴えをほぼ認める決定を下しました。
この裁判は,先の「地位保全等仮処分決定」(2002年9月30日)における1年間の賃金仮払いの期限が2003年9月で切れたことに伴い,三教授側が再度,賃金仮払いを求めていた裁判です。今回,鹿児島地裁の決定は,主文で「2004年6月から8月までの3ヶ月間の賃金仮払い」と「2004年9月から第1審確定までの賃金仮払い」を命じました。なお,三教授の申立内容は「2003年10月から本案確定までの仮払い」でした。
三教授は,昨年10月以降現在まで約10ヶ月間,無給状態が続いていました。地裁決定は過去8ヶ月分の仮払いを認めませんでしたが,ひとまず,無給状態から脱することができました。
また,判決文では,「懲戒解雇の有効性について」,「懲戒解雇事由に該当すると認めるに足りる疎明資料はない」とはねつけ,また「予備的解雇の有効性について」(すなわち2002年11月の仮処分決定後インターネット等で自らの主張をした等を事由とする追加的「普通解雇について」)も「疎明資料はない」として,いずれも解雇の有効性を否定しています。したがって,解雇の有効性に関わり三教授側の主張を認める同様の地裁決定は,今回で3回目となりました。
なお,鹿国大事件に関わる裁判はいくつもありましたので,簡単な年表だけ掲載しておきます。
(1)地位保全等仮処分申立裁判(2002年4月提訴、同年9月末に三教授側全面勝訴)
(2)解雇無効・地位確認等請求裁判(本訴)(2002年11月提訴、口頭弁論進行中,現在10回目が終了。)
(3)上記仮処分決定に対する学園側の異議申立裁判(2002年12月提訴、2004年3月末に三教授側全面勝訴)
(4)南日本新聞社と八尾教授に対する学園側の名誉毀損損害賠償訴訟(2003年4月提訴、2004年1月に学園側全面敗訴、判決確定)
(5)2003年10月以降の賃金仮払い継続を求める仮処分再申立裁判(2003年10月提訴、2004年8月27日、仮払いを認める判決)
(6)上記異議申立を却下した地裁決定に対する学園側の保全抗告裁判(2004年4月提訴、その審尋は7月12日に電話会議の形で行われ、審尋が終了した)
本訴裁判の方は,現在口頭弁論の10回目が終了し,9月13日に第11回目が予定されています。いずれも原告側の証人尋問です。
今回の判決文の全文は下記のホームページのURLに掲載いたしております。
■「賃金仮払い仮処分命令(2004年8月27日)」全文
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2004年8月27日(2) 「国立大学法人化」を阻止しようとしたネットワークが解散にあたって総括文書を公開した。「全国国公私立大学の事件情報」から、管理人の「ひとつの感想」とともに、そのリンクをコピーしておこう。
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■国立大学独法化阻止全国ネットワーク
●独法化阻止全国ネットワーク解散に際しての覚え書き(2004年8月25日)
以下は、独法化阻止全国ネットワークがその歴史的役割が終わり,解散するに際して書かれた運動の総括ともいうべき「覚え書き」である。これを読んで,独法化阻止の運動に全く関わりを持たなかった私大の一人として,無知であったがゆえに初めて知った事実と同時にいくつか感想をもった。
一つの感想だけ。それは,自戒の念を込めつつも,あらためてこの独法化問題にあたって,同じ高等教育を担っているはずの私学関係者は何を考えて,何をやったのだろうかという問いである。私には全国レベルの取り組みの詳しいことはわからない。しかし,少なくとも私の周りでは何ら真面目に議論されることも,何かを提起されたこともなかった。いわば運動としては無風状態に等しかった。独法化阻止全国ネットが結成されたのは2001年5月と書かれている。当時,教職員組合(単組)で書記長をやっていた。しかし,独法化問題に関わって日本の私大組合運動がどのように関わるべきかの基本方針もなければ,問題提起もなかった。上部団体から組合決議を要請されたこともないし,署名用紙が回ってきた記憶さえない。だから,私は署名もしていない。これは今考えると極めて異常な事態であった。独法化が私学に多大な影響を与えるだろうことは確実であったにもかかわらず,事実はそうであった。したがって,一般の教職員・組合員にあってはこの独法化問題は国立大学の問題であっていわば対岸の火事のような受け止め方が支配的ではなかったか。この点,われわれの周りだけが例外であったとは考えられない。
その理由の一端がこの「覚え書き」で初めてわかった(ような気がした)。すなわち,組合運動の「不機能」である(全大教の「不機能」という事実は今回初めて知った)。
今日の状況下にあって,一般に既存の労働組合は,ある部分,しかも決定的なところで大きな限界に直面していると思われる。それを一言でいうのは困難であるが,古典的な言い方をすれば,企業別組合の限界ということになるかもしれない。これまで国立大学の教職員組合はこの点無自覚でいられたと考えるが,大学間競争が強制され,しかもそれが交付金の違いを通じて個別大学教職員の身分保障、待遇・労働条件の違いとして現れてきた場合,たちまちのうちに企業別組合の限界は露呈する。組合は個別大学間の生き残りをかけた競争に確実に巻き込まれるのである。私学では既にその限界が現れている(かつて産官学連携を拒絶していた某大学でさえ今や労使協調で大学間競争の先陣を切っているように)。
したがって,今やその限界を超える取り組みが必要となる。国公私立大教職組の産別への模索(の議論)が俎上にのぼりつつあることもその一つの現れである。また当該「全国ネット」のような既存の組合組織とは異なるネットワーク型の運動もますます重要な役割を担ってくるに違いない。その意味で,独法化阻止ネット運動の教訓は間違いなく今後に生かされるに違いない。(ホームページ管理人)
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2004年8月27日(1) 「意見広告の会」ニュース188には、国立大学法人役員報酬の情報のほか、特に大学評価にかかわる委員会「第1期 国立大学法人評価委員会」 審議の記録が掲載されている。そのニュース・ファイルにリンクを張っておこう。
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2004年8月26日(4) イラクで起きていると思われる事態を象徴するのが、沖縄の米軍ヘリ墜落とその後の住民無視、大学自治無視、日本の主権無視の米軍・ブッシュ政権のやり方である[3]。地位協定の屈辱的意味、ということかもしれない。沖縄大学人の共同声明への動きに関する記事をコピーしておきたい。
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新首都圏ネットワーク |
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2004年8月26日(3) 総合理学研究科・佐藤真彦教授HP学問の自由と大学の自治の危機問題で、面白い記事を知った。リンクをはっておこう。『石原都政を動かすマッチョ』 靖国、天皇、国歌の本気度04-8-25
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2004年8月26日(2) 久しぶりに教員組合ウィークリーをいただいた。いよいよ夏休み明けに向けての活動が本格化するということであろうか。以下にコピーしておきたい。独立行政法人への移行に伴い、法が規定するように、現在の教員は、教員としての身分が継承されるということが文書で確認されたそうである。いろいろの疑心暗鬼が広がっていた問題なので、この最低条件の確認は、それが文字通りなら、改革をすすめていく基本的前提として、教員の安心材料とはなるであろう。ただ、よく読むと、本当にそうなのか、明確になっているか、という点では、疑念を持つ。
「大学事務当局」の覚書はどこまで新公立大学法人の文書として効力があるのか?新法人の理事長などがきちんと文書で確認すべきではないか?移行期特有の(と一応、「善意」では、いうべきなのだろうが)、不確実性がまだまだ見られるが、一応、「大学事務局」が新法人最高経営責任者の意を受けて、示したものと解釈しておこう。
しかし、特に注意すべきこととして、「教員」であることと、その具体的条件とはどうなるのかという面とは別ではないか、ということである。今問題になっているのは、任期制問題であり、それがどのような形で、どのような制度設計で、どのような人々に提案されるのか、そして行われるかということである[4]。「大学事務局」の覚書は、そうした根本的な決定的に重要な問題にはまったく触れていない。ただ「一般職員(教員)」として、教員としての身分を継承するというにとどまっている[5]。
いや、それも確実ではない。よく読むと、表題は、「一般職員(教員)」といい表現だが、本文では、「職員」とだけなっている。慎重に教員という言葉を避けているとも取れる。すなわち、「職員」としては継承するが、「教員」としては継承しないという可能を残している、とも受け取れる。そうでなければ、なぜこのような使い分けをするのか?なぜ明確に「職員(教員)」という表現で一貫しないのか?
そもそも、「大学事務局」はいかなる権限があって、教員組合に対してこのような文書を出せるのだろうか? われわれ教員は「大学事務局」によって雇用されているのか? 現状では、「横浜市」(その行政当局の長としての市長)が雇用主体ではないのか?今後いろいろと問題が起きてくるのではなかろうか?杞憂であれば幸いである。
すくなくとも、人間をもの扱いにして、「一般職員(教員)の取り扱い」という表現は、教員を侮辱するものではないかと思われるが、教員組合はその点にはなにも触れていない。私の考えすぎか?「教員身分について」というのならわかるが、そうした表現ではないのある。「教員は商品だ」といった元事務局責任者がいたが、その発想は、今回の事務局文書にもにじみでているのではないか。そうした露骨な言葉を使わないだけではないか?
教員組合が下記文書で指摘しているように、大学案内のパンフレットで教員身分の具体的な内容に関することがあたかも既定事実であるかのように、書かれていることからも、多くの人が抱いていた危惧はぬぐえない。
教員組合の解釈では、「身分がそのまま承継される」というが、事務局文書は明文的にそれを保障しているか?
その場合の、「そのまま」の具体的内容が、実際には問題になるのではなかろうか? いやそもそも、文書の本文は「職員」としての移行・継承しかいっていないのではないだろうか?
どのような身分の教員なのか、はオープンにしているというのではなかろうか? 簡単な文章も、よく読むと実に曖昧である。教員組合の慎重な検討と折衝をお願いしたい。
制度改革は、合理的で大学内外に説得的でなければならない。センセーショナルなだけで「学問の自由」「大学の自治」の根本的観点から問題性の多い制度では、結局、混乱要因を持ち込み、紛争の種をまき、いらざる紛糾だけを長引かせることになろう。それは決して生き生きとした建設的な空気を作るものではなかろう。
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横浜市立大学教員組合週報/組合ウィークリー(2004.8.23)
もくじ
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■大学事務当局からの覚書
■大学・新学部紹介パンフレットの問題性
■高校教員向け説明会
■声明発表(8月5日)
■日本科学者会議声明
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■大学事務当局からの覚書
7月21日付けで、事務局より当組合に対して、地方独立法人への移行にともない、教
員の身分が承継される旨の覚書が手交されました。これは、地方独立行政法人法の定め
を確認するだけで、新しい動きではありません。事務当局側も、来年4月に再雇用な
どは行われず、身分がそのまま承継されるということを認識しているということを確認
しておきましょう。
(以下、全文)
平成16年7月21日
「横浜市立大学の法人化にあたっての本市一般職員(教員)の取扱について」
横浜市立大学は平成17年4月に地方独立行政法人(公立大学法人横浜市立大学)に移
行する予定となっています。
これに伴い、現在市立大学に在職する本市一般職職員(教員)について、次のとおり
とします。
(1)内容
法人化後、職員が引き続き法人で勤務する場合には、地方独立行政法人法の定めると
ころにより、法人の職員となるものとします。
(2)実施時期
平成17年4月1日
■大学・新学部紹介パンフレットの問題性−全員任期制・年俸制ってもう決まってる
の?!
7月に、来年度以降の大学を紹介するパンフレット『横浜市立大学 平成17年度大学
案
内』、および新しい国際総合科学部を紹介するリーフレットが発行されました。そこ
には、組合として見過ごしにできない問題ある記述があります。
大学紹介パンフレットでは、「横浜市立大学の大学改革内容」としていくつかの点が
挙げてあるなかで、「教員の公募制、任期制、年俸制などを導入し、教育・研究の活
性化を図ります」と述べ(8ページ)、その次のページでは「横浜市立大学の新たな
大学
像について」と題して、大学の方針を図示するなかで、「任期制/原則として全教員
を
対象に任期を定めて任用」、「年俸制/活動実績が給与処遇などに反映され、インセ
ン
ティヴを高める給与制度」が掲げてあります。また、新学部リーフレットにも同様の
記述がありあます。
このような書き方は、どう見ても、「全員任期制」「年俸制」の導入が既成事実であ
るかのように読者に受け取られるようにしていると言わざるをえません。
たしかに、昨年策定された「横浜市立大学の新たな大学像について」にはそのような
方針が掲げられていますが、問題のパンフレットでは、その引用であるなどとは断っ
ておらず、学外の読者は当然、任期制などの導入がすでに決まったものと受け取って
しまうでしょう。
当組合がくりかえし指摘しているように、このような重要な労働条件の変更は、当組
合との交渉を経ずしては導入されえないのであり、すでに決定済みであるかのように
紹介することは許されることではありません。
今後、対外的な文書その他において、このような著しく不適切な表現が取られないよ
う、当局に強く求めます。
■高校教員向け説明会−「倫理観」「世間の常識」とは?
8月3日、高校教員、進路指導担当者のための大学概要説明会が、赤レンガ倉庫でおこ
なわれました。中田市長、宝田良一理事長予定者、松浦敬紀新最高経営責任者(8月2
日
付け就任、副理事長予定者)のあいさつ、および本学教員による今後のカリキュラ
ム、
入試制度についての説明がなされました。
なかでも注目されるのは、松浦新最高経営責任者の改革方針についての説明でした。
松浦氏は、教育については、教養教育、就職指導の重視とともに、「倫理観」を重視
すると述べ、教員については、現在の大学では、教員が学会出席を理由に頻繁に休講
するなど、「世間の常識」が通用しておらない面があり、今後「世間の常識」が通用
する大学にすべきだとしました。
「倫理観」や「世間の常識」がいかなる内容のものかまだ詳しく述べられたわけでは
ありませんが、もし仮に何か特定の「倫理観」や「世間の常識」を無前提に正しいも
のとして、大学に注入するということであれば、大学にふさわしい教育論ではないで
しょう。
各人が自由に自主的に倫理観を構築する場、世間であれ大学自体のものであれ「常
識」
をいったん疑ったうえで、あるべき規範を主体的に確立することが、リベラル・アー
ツの重要な意義であるはずであり、大学もまた、そのような自由と自主性を保障する
場でなければなりません。
また、今まで学内ではまったく議論されていない教育論が、あたかも大学の公式の方
針であるかのように、対外的に述べられたことも問題です。
最高経営責任者の改革方針・大学運営方針は、今後、じゅうぶん注意していく必要が
あります。
■声明発表(8月5日)
8月5日、執行委員長名において、新たな人事制度の構想の具体的な問題点を指摘し、
当局に組合との誠実な交渉を求める声明「教育・研究評価プロジェクト(中間案)に
た
いする見解」を発表しました。私たちの雇用条件を守るためにも重要な論点が挙げて
ありますので、よくお読みください。ただし、問題の人事制度構想の問題点は、これ
に尽きるものではありません。
■日本科学者会議声明
7月27日、日本科学者会議は、声明「公立大学のあり方を問う」を発表しました。憲
法
と教育基本法に保障された、学問の自由・大学の自主性の原則を脅かす、この間の横
浜市などの大学「改革」のありかたを批判しています。
◎編集後記 新CEOの発言「現在の大学では、教員が学会出席を理由に頻繁に休講す
る」
は、市大のことを言っているのでしょうか。でなければ誤解を与えるし、であれば何
を根拠に言っているのでしょう。
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横浜市立大学教員組合
〒236-0027 横浜市金沢区瀬戸22番2号
Tel 045-787-2320 Fax 045-787-2320
mail to : kumiai@yokohama-cu.ac.jp
教員組合ホームページ
http://homepage3.nifty.com/ycukumiai/index.htm
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2004年8月26日(1) 「全国国公私立大学の事件情報」によれば、北九州市立大学や長崎公立大学も独立行政法人化と「全教員対象の任期制」を検討委員会が打ち出したようである。下記の「長崎県公立大学法人」の場合、「<基準>勤務実績が著しく不良である場合、又は教員としての適格性を著しく欠く場合を除き再任する。」とし、具体的には別途構築する教員評価制度の評価結果を用いて判断する。※教員評価結果の反映については、平成20年度の評価結果から反映させる。」とあり、また、任期制移行に同意しない教員にたいする差別措置として、任期制に移行した教員にのみサバティカル制度を適用する、退職時に差別する、としている。任期制は、それが任期法にもとづく場合、京都大学井上教授事件にもみられるように、「再任拒否」は、法的処置としては直ちに効力を発し、井上教授はポストを失い、科研費研究を放棄させられたのである。貴重な研究者人生において、「任期制に同意の署名をしたのではないか」と再任拒否がまかりとおり、その不当性を訴えるためには裁判まで起こさなければならない、というのでは、暗澹たる気持ちにならざるを得ない。
こうした京都大学井上教授事件のような問題を踏まえて、再任の可否の基準として「勤務実績が著しく不良である場合、又は教員としての適格性を著しく欠く場合」という限定を付している。その判定のためには、「別途構築する教員評価制度の評価結果を用いて判断する」という。
「著しく不良」という言葉を聴いて、それに反対する人がいるだろうか?
しかし、これまでも繰り返し強調してきたが、「著しく不良」という判断基準・ものさしは何なのか?
「教員評価制度」という場合、だれが評価するのか?
現在本学では、教授会・評議会といった大学教員の自主的自治的な組織が無権利化している。教員の新任人事においても、われわれ一般教員は何が行われたのかまったくわからなくなっている。うわさが漏れてくるくらいである。これは異常ではないか?新しい学部(国際総合科学部)の人事なら、普通ならば、その国際総合科学部教授会(予定)がしかるべきこれまでのルールを踏まえながら、教員選考規程などをきちんと確認して手続を進める。そうした制度設計がなく、行政当局の選考した委員会で秘密裏にすべてが行われるとすれば、これはいったいどうなるのであろうか。
問題は、「学問の自由」や「大学の自治」の基本的条件と制度を欠如したままでは、何もならないということである。いくら「教員評価制度」をもっともらしく構築しても、だれが委員を選ぶのか、だれがどのように評価する権限を持っているのかによって、「学問の自由」が著しく制約を受ける(いや破壊される)と言うことである。
何時も、よくわかる事例としてソクラテスの事例を出すが、ソクラテスは真実は何かと問いかけ議論するなかで、世の支配的な見方や多数派の観念の欺瞞性をあばき、今風に言えば扇動財とでもいうべきもので告発された。彼は、アテネ市民を前にした法廷で、告発理由は迫力があるが、「すべて真実ではない」と市民裁判官に訴えた。だが、彼は死刑に処せられた。ソクラテスの言動は、「著しく不良」と判断されたどころが、「死刑に値する」と評価されたわけである。恐るべきは多数派であり、世の支配的風潮なのである。「もっともらしさ」の背後に秘められた「学問の自由」、「大学の自治」の破壊効果なのである。
死刑に処されたソクラテスは、現代のEUの大学教育プロジェクトの中では、エラスムス計画などとならんで、彼の名前が冠となるほど高く評価されているのである。EUの偉人として、人類の偉人として高く評価されているのである。
このEUと人類の数千年間の歴史を見て、そこから引き出すべき教訓は何なのか? 「死刑に値する不埒な言動や思想」が、歴史の検証からすれば、逆だったのである。ガリレオの場合もしかりである。この知的思想的巨人の背後には、無数の同じような人々(非科学的な諸理由で迫害された人々)がいるということであろう。「著しく不良」という言葉は「もっともらしく」、じつに簡単だが、問題はその具体例に則しての判定(手続き・制度・主体)なのである。それが学問・科学の論理にふさわしいかどうか、ということなのである。公明性、公平性、科学的検証可能性といった諸条件である。
「大学の自治」、「学問の自由」の憲法的保障は、日本の戦前の苦い経験とこうした世界的経験とが活かされたものと思われる。そうした憲法的諸側面が、いたるところで無視され抑圧される、ということではないか? 文科系の私は、理科系の専門的な仕事の優劣は理解できない。逆も同じだろう。ところが、その教員評価において、いやその制度の設計そのものにおいて、専門研究者からなる教授会や評議会、その横の連帯としての各種専門学界(その評価としてのピアレヴュー、学界・学会誌・学界活動などにおける専門的評価)が無視されるとすれば、いったいどうなるのであろうか?
行政当局がピックアップ(基準は?)した教員によって委員会なるものが設置され、密かに判定が行われるとしたら、いったいどうなるのか?
行政当局が意のままに操れる大学になってしまうのではないか?それが今回の独立行政法人化で一挙に進展するのではないか?独立行政法人というが、公立大学としての独立性は? 法人の理事長、さらには副理事長までも市当局が任命すると言うことになれば、大学を支配するのはだれの、どのような論理なのか?
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長崎県における公立大学法人の中期目標(素案)のポイント
(中略)
V 教育及び研究並びに組織及び運営の状況に係る情報の提供に関する目標
・教育研究の活性化と教員の資質向上の観点に立った教員評価の実施、運用体制の整備及び全般的な評価結果の公表。
※教員評価については、平成17年4月から実施。
評価結果の反映は、段階的に行う。
@平成17年度の評価結果から教育研究費の配分に反映
A平成20年度の評価結果から教育研究費の配分に加え、給与、昇任、再任の可否に反映。
(平成17年度〜平成19年度に制度の検証)
別添2
長崎県における公立大学法人の教員の任期制について
項目・制度(案)
@導入の目的 多様な知識又は経験を有する教員相互の学問交流が行われる状況を創出し、多様な人材の受け入れを図ることによって教育研究の活性化を促す。
A導入の時期 平成17年4月1日
B対象となる教員 全教員[適用者]・平成17年4月1日以降の新規採用教員・承継教員で任期制への移行に同意する教員
C対象となる教育研究組織 大学に置くすべての教育研究組織(全学部、全学科、全附置機関)
D対象となる職位 すべての職位(教授、助教授、講師及び助手)
E任期
5年※ただし、特段の事情がある場合を除き、現行制度における定年年齢(教授、助教授及び講師については65歳、助手については60歳)を超えて任期を定めることはできない。
F再任の可否・再任回数
・教授再任可(回数制限なし)
・助教授・講師・助手再任可(1回まで)→同一職位に最大10年間
G任期途中の昇任 任期途中の昇任も可能※任期途中で昇任した場合、昇任前の職位としての残任期間にかかわらず、昇任後の職位としての任期が新たに始まるものとする。
H再任の可否の判断
<時期>任期最終年度の4〜5月頃までに判断
<基準>勤務実績が著しく不良である場合、又は教員としての適格性を著しく欠く場合を除き再任する。」とし、具体的には別途構築する教員評価制度の評価結果を用いて判断する。※教員評価結果の反映については、平成20年度の評価結果から反映させる。
I再任評価結果に対する異議申立
異議申立の制度を構築
J給与 当面、現行制度による。
Kその他
・任期制適用者には、教育・研究休暇(休職)制度を導入する。
・任期満了による退職の場合、任期制適用者は退職手当受給率において優遇となる。
Posted by 管理者 : 掲載日時 2004年08月26日 02:16
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URL : http://university.main.jp/blog/archives/001704.html
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2004年8月23日(2) 「全国国公私立大学の事件情報」によれば、任期制問題で、日本経済新聞特集記事に掲載された慶応大学の藤原教授の意見は、公平だと思われる。大学だけに任期制を押し付けようとする官庁・財界などの傲慢な、自分たちの立場だけは確保した上での一方的な、大学(その研究教育体制や人事制度のあり方など)を無視したやり方にたいする痛烈な批判となっている。そのかぎりで、賛成である。しかし、「全大学一斉に」というのは逆の暴論である。それは、日本の大学における研究教育体制を破壊する物となろう。以下にコピーにして置こう。
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2007年ショック走る、投稿から−学生集めに偏向、学長選考法に課題(大学激動)
日本経済新聞(8/20)
任期制は一斉に 制度設計がおかしい
三日から連載した「大学激動 第一部『2007年ショック』走る」に、読者から様々な意見や感想が寄せられた。
◇
三年後に迫った志願者全員入学時代を前に、入試の変質を紹介した「学生争奪戦」の回には、金城学院大の竹内通夫教授(65)が「大学は学生集めに関心が偏りすぎ、どんな教育をして学生を社会に送り出すのか教育目的がはっきりしない」との意見を寄せた。
「学生に電話のかけ方やあいさつの仕方を教えるのが大学の使命だろうか」と首をかしげ、「大学とは何かを考え直さないと、世界をリードすることはおろか、相当の後れをとる」と訴えた。
規制緩和、競争原理の導入という流れに疑問を投げ掛けるのは龍谷大職員の久志敦男さん(37)。「大学・学部の新設を容認し、競争によるレベルアップを図っているように見えるが、現実は赤字の専門職大学院が乱立するなど財務基盤の弱い大学の倒産を加速させている」と批判。「ずさんな経営の大学はともかく、小規模ながら地方で頑張る大学までつぶれかねない」と主張する。
◇
「揺れる国立大学長選」の回は学長公募制を採用した鹿屋体育大を取り上げたが、学外からこの学長選に立候補し、学内投票で現職学長に敗れた宮崎県日南市の元会社社長、倉本毅さん(62)本人が投稿してきた。
倉本さんは開かれた国立大に向けた鹿屋体育大の公募制導入は「大いに評価できる」としながらも、公開討論会などで具体策を訴える機会がなかったことには課題が残ると指摘。「初めてのことゆえある程度の不備は仕方ないが、(今後は)社会常識に従った公平な選考方法により、意欲的な学長が選任されることを切望する」と訴えた。
◇
「『全入』の重圧、変革迫る」と「改革迫られる公立大」の回で取り上げた教授らへの任期制導入。慶応大の藤原淳一郎教授(60)は「先端的な分野は任期制で人を入れ替え、活性化を図るのに適している」と評価する一方、注文もつける。
まず「官庁や企業がすべて任期制ならともかく、労働市場が流動化していない現状で、大学だけに任期制を強要するのは均衡を失する」と指摘。当面は「全大学がいっせいに任期制に踏み切り大学間で人材流動性を高めるとともに、採用や任期更新の基準を明確化して手続きを公平にすることが必要」と訴える。
◇
「法科大学院の現実」の回は、焦る学生、対応に戸惑う大学、活況な司法試験予備校を取り上げ、学生や入学希望者から多くの反響があった。
会社を辞めて私大の法科大学院に通う男性(32)は「全国の法科大学院の定員が計六千人、新司法試験の合格者が千数百人とすると、毎年四千人以上の不合格者が堆積(たいせき)する計算。制度設計がおかしいとしか言いようがない」と怒りをあらわにする。
三年通うと生活費込みで一千万円前後必要で、周りにローンで通う学生も多いという。「低レベルな教育サービスしか提供できない法科大学院は、学生が集まらないどころか訴えられるのではないか」と警告している。
[元になった過去ニュースの記事]
■「第1部2007年ショック走る(1)「全入」の重圧、変革迫る(大学激動)」
■「第1部2007年ショック走る(3)揺れる国立大学長選(大学激動)」
Posted by 管理者 : 掲載日時 2004年08月23日 00:31
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2004年8月23日(1) 都立大学総長が「定款(案)」に対する意見を具体的に述べていることを知った(東京都立大学総長意見 2004.7.26)。公立大学協会の定款モデル案や地方独立行政法人法の諸条項をきちんと踏まえた意見書であり、本学のように学長等が一切明確な意見を提示しなかったことと比べると、大きな違いがあるように思われる。本学の場合、明確な批判を公開したのは、本学教員組合である(藤山嘉夫(教員組合副執行委員長):定款(案)と定款(案)に関する組合の見解04-2-13)。本学名誉教授などを中心とする神奈川県下の「横浜市大を考える大学人の会」も適切な定款案の問題点指摘を行っている(「大学人の会」の市大「定款」(案)批判)。
ところが、本学の場合、定款案作成は市当局の事項だとして、十分な時間を書けた学内討議・意見集約はないままで、また学長からの明確な意見表明もないままで(つまり行政当局と学長の意見が一致したものと受け取られるなかで)、定款が市議会を通った。当面、それを変更することは不可能であろう。だが、法人の定款と大学の大学らしい運営や民主的運営とは直結しているわけではない。運用における創意工夫も一定の予知はあろう。
学則や今後の法人人事のあり方、学長等の決め方など、審議すべき問題は多い。教授会・評議会を排除して、これら重要事項がただ一部行政当局の意のままに定められるならば、本学の大学としての独立性や自立性は、ますます消滅してしまうことになろう。
その意味で、都立大学の総長が指摘する諸問題は、普遍的な問題であり、本学の諸規則等を制定する参考にすべきものだろう。他方、学長の人事権など権限を巡り札幌市立大学では、学長予定者が辞退したようだ(辞退した川崎氏の声など)。大学の人事・予算の決め方・あり方の問題の重要性を示す。全員任期制などに、辞退した学長はどのような見地を取っていたのであろう。「全国公私立大学の事件情報」の新聞記事紹介によれば、辞退した学長予定者は、高専教員にたいして厳しい態度だったようで、全員任期制で大幅首切りを考えていたのかもしれない。
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━ AcNet Letter 164 【3】━━━━━━━━━━ 2004.08.22 ━━━━━━
東京都立大学総長意見 2004.7.26
公立大学法人首都大学東京定款(たたき台)について
http://www.bcomp.metro-u.ac.jp/〜jok/soucho-teikan.html
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都立大では、以下に述べるものとは別に、いくつかの意見が提出
されている。それらも貴重かつ重要な指摘を行っている。あわせ
て参照されたい。
1 目的規定(1条)は、首都大学東京の教育研究の特色部分に
のみ焦点をあてたものとなっている。首都大学東京の設置目的全
体及び他の4大学を 設置・運営する目的を表現するべきである。
また、この目的規定は「大都市」にのみ視野を限定して記述され
ているが、大学としての普遍的責務・課題をも意識したものにす
べきである。たとえ ば公立大学協会の定款モデルにおける目的規
定では「我が国の高等教育及び学術研究の水準と均衡ある発展を
図ること」という文言が入っている。
2 公立大学法人は、大学を設置運営するのであるからその特性
に鑑みて、その趣旨を確認する運営の基本原則を定款において定
めることが望ましい と考える。たとえば公立大学協会の定款モデ
ルでは、「運営の原則」として、次のような規定を設けている。
「1項 この法人は、その業務の公共性に かんがみ、適正かつ効
率的にその業務を運営するとともに、その組織及び運営の状況を
住民に明らかにするよう努めなければならない。 2項 公立大
学法人のすべての業務は、大学における教育研究の特性に常に配
慮して行われなければならない。」
3 理事長と学長の分離型を採用する場合、学長が副理事長とな
ることによって経営と教学のバランスをとるとするのが地方独立
行政法人法の趣旨で あると考えられるので、学長である副理事長
の他にさらに副理事長をおくことは妥当ではない。公立大学協会
のモデル定款の7条の解説も十分に参照の こと。
4 国立大学法人法では、独立行政法人通則法とは異なり、大学
の特性に応じて、経営と教学のそれぞれの部門のメンバーを糾合
した役員会を組織し 、大学運営の最高意思決定機関として合議機
関を置いている。このような国立大学法人の組織と同様な組織を
本法人においても定めることが必要である と考える。
5 理事長、副理事長、理事の任命に関する規定(10条、12
条1項)は、法定事項であって定款で定めるまでもないことであ
るが、あえてこれを 定めるのであれば、地方独立行政法人法14
条1項にある要件も定めるべきであろう。同様のことは、11条
の学長の定めにもいえることで、11条3 項の学長の選考にあたっ
ては、法71条6項にある要件「人格が高潔で、学識が優れ、か
つ、大学における教育研究活動を適切かつ効果的に運営するこ と
ができる能力を有する者」を定めておくべきである。
6 学長となる副理事長の任期の定め(13条2項)について。
地方独立行政法人法74条2項によれば、設置後最初の学長の任
期は、定款で定めな ければならないことになっている。附則の6
に一応定められてはいるが、本体に規定する考えはないか。なお
附則の6に「14条2項ただし書」とある が、「13条2項ただ
し書」の誤りであろう。また再任の可能性について、たとえば1
回に限り再任可などと規定しておくべきではないか。
学長の選考は法の定めにより「学長選考会議」で行うのであるが、
選考に当たっては学内構成員の意見を適正に反映すべきである。
このことについて は公立大学協会定款モデル第11条の7及びそ
こに付された注記を参照のこと(「学内意見聴取手続き等」)。
7 経営審議会と教育研究審議会の審議事項(18条と22条)
の定めのそれぞれ最後にある「その他法人の経営に関し、理事長
が重要と認める事項 」と「その他教育研究に関し、学長が重要と
認める事項」は、国立大学法人法20条4項と21条3項にならっ
て、それぞれ単に「その他法人の経営に 関する重要事項」及び
「その他教育研究に関する重要事項」とすべきである。理事長及
び学長の恣意的な審議事項の操作の余地を認めるべきではない。
8 教育研究審議会の構成員に関する規定(19条2項)では、
「・・・及び法人の規程で定める組織の長」とある。これが何を
意味するのかわから ない。地方独立行政法人法77条4項におい
て「学長、学部長その他の者により構成するものとする」とある。
学部長または研究科長を明記するべきで あると考えるがどうか。
9 教育研究審議会の審議事項に関する22条3号に「教員の採
用、選考等に関する事項」とあり、経営審議会の審議事項に関す
る18条4号には「 人事に係る計画に関する事項」とある。以前
の首都大学学則案(7月2日に文科省に提出した追加書類の1つ
である「学則」は未だ見る機会がない)で は、教育研究審議会の
審議事項には「教員の採用及び選考等に関する方針に係る事項」
とあったので定款と学則案の間に矛盾があると思われる。
またこれまで「人事委員会」「教員選考委員会」「小委員会」が
置かれ、教員人事にタッチしてきたが、これらの組織は法人のも
とではどのように位 置づけられるのか、不明である。
10 審議事項に学則の制定又は改廃に関する事項が規定されて
いないのはなぜか。公立大学協会の定款モデル第20条第3項を
参照のこと。そこに は「学則(法人の経営に関する部分を除く。)
その他の教育研究に係る重要な規則の制定又は改廃に関する事項」
とある。
11 附則の4にある旧大学の学長の任命方法は疑問である。新
大学である学長の任命は、学内の選考の余地がないのでやむをえ
ないとしても、旧大 学では学内選考ができるのであるから、現行
学則にのっとり選考を行うべきである。国立大学法人法附則2条
を参照のこと。(2004年8月19日修正:「学術研究の水準と均衡あ
る図る」→「学術研究の水準 と均衡ある発展を図る」)
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2004年8月20日(2) 首大・非就任者の会HPを訪問して、大学院生の厳しい文書に接した。襟を正し、背筋を伸ばさざるを得ない文書である。以下にコピーして、自らの反省の材料としたい。
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大学教員の職責に対する論考
都立大院生
私は東京都立大学大学院に学籍をおく者として、教員諸氏を批判する資格がある。そして、教員諸氏は、当然学生からの批判を受ける立場にある。こうした前提から、以下に、都立大の教員諸氏にその職責を問う。
大学は教育研究機関としての専門性ゆえに行政の管理に馴染まず、また公権力が学問に対して選別介入してはならないことは言うまでもない。したがって、大学は「自分のことは自分で決める」しかなく、また、そうでなければならない。すなわち「大学の自治」である。大学教員は、研究者であると同時に教員である「教員研究者」であって、「大学の自治」の当然の帰結として、大学の意思決定に参加し、学内行政に携わることになる。大学は「トップダウン」ではなく、むしろ「ボトムアップ」な組織である。
東京都の蛮行に端を発する都立大問題は、「学問の自由」および「大学の自治」そのものをめぐる問題となるはずであった。しかし次第に、教員の待遇や雇用、研究費の配分など各論的問題へと矮小化されていった。なぜか。その理由は、大学側が権力から守るべき価値をあまりに軽く考えていたからである。
自ら権力に取り込まれていこうとする者は論外だが、現在の都立大の教員には「面従腹背」とする者が多いであろう。都の強引なやり方は気に入らないが、生活がかかっているので首を切られたら困る。つまり、本心では従わないが真っ向から楯突くような真似はしない。新大学にとりあえず就任するが、機会があれば他大学への転出をねらっている。言ってみれば「面従腹背」とは、自身の将来について慎重な選択をした反面、都立の大学の将来について非常に無責任な態度を取ったと言えるだろう。
生活がかかっている、とおっしゃるだろうか。よろしい、そうした声には次のように答えよう。あなたが今のポストを得るとき蹴落とした人たちは、現在どうやって生活しているのだろうかと。そもそも学問に生きることを選択した時点で、学問にくたばることは織り込み済みではなかったか。趣味の延長で学問を職業にしてもらっては困る。学生も学問に人生をかけているのである。
学問において「名を捨てて実を取る」ということがあり得るのか。研究者は、研究に従事すること以外には自らの存在理由を見いだせない。そして、その研究には、自らの名において責任を負う。すなわち「名は体を表す」のである。他方、教育において、服従した面(おもて)で学生と向き合う大学教員は、ペテン師に等しい。そうした大学教員によって、学生は真の学問に接することを妨げられるのであり、したがって学生に対して教育どころか害悪をもたらすことになる。
教員研究者である大学教員の「面従」は、学問の純粋性を傷つけ、学生を欺き、すなわち「学問の自由」と「教育者としての責任」を放棄する。「腹背」は、表に出ないのだから個人的問題に過ぎない。しかし研究は、研究者の出世の手段であってはならず、ただ「真理の探究」を目的としなければならない。研究と教育を職業にする以上は、自らを研究と教育の守護者と任ずることになる。
私が研究者としていかに非力であるかは百も承知である。しかし学生も「真理の探究」のプロセスに参加している以上は、「学問の自由」を享受する。私たちに希望をもたらすのか、それとも失望させるのかを選ぶがいい。あなた方の一挙一動は、あなた方が思う以上に、注目されているのである。
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2004年8月20日(1) 都立大学関係の下記のニュースは、関係大学の現場の教職員の自発的な力を結集しない限り、今後とも露呈するであろう問題を象徴している。トップダウンが、下からの民主的合意形成と着実な手続きを踏まえないときの問題性である。入試関係など大学が正常な時期でも、なにかしら見落としなどのミスが発生するものであるが、神経を集中できないような混乱期・激動期には、その危険性は大きくなる。すでに、荻野教授はそのあたりのことに警告を発しているのはわれわれの知るところである。
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◎ 2004年8月2?日: あまりに不備の多い「首大」の大学案内は,配布中止か?(噂) 未決定事項が決定事項として扱われたり,矛盾した説明があったり,単純ミスが多数あったりしたという話。(まあ,未定のことばかりなのに,大学案内を作ること自体が無謀なのです!)
◎ 2004年8月26日(木),27日(金)11時〜16時:都立大の南大沢キャンパスで 「首都大学東京」の大学説明会 (オープンキャンパスと呼ぶと嘘になるから?)が開かれる予定。
◎ 2004年8月18日:大学管理本部の中の「首大暫定ページ」に 平成17年度入学者選抜要項項(pdf)が発表される。(以前あった入試要項の未定の部分を埋めたものか?)
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2004年8月19日(2) 「全国国公私立大学の事件情報」によれば、次のような意見が公開された。大学自治の担い手としての教授会・評議会等を無視して、「設置者権限」の名のもとに、実際には「設置者=地方公共団体」の一部(すなわち、地方公共団体=市民共同体の意思の単なる執行機関)でしかない行政当局がすべてを取り仕切るやり方が進んでいる。
現行学則でも、たとえば重要な審議事項として明示的に列挙されている「予算見積もりに関すること」は、一度も評議会で審議されなかった。そのような評議会無視(大学自治の破壊)の体制を、今回の公立大学法人化(「定款」)を通じて正当化し、さらに推し進めようとしているのである。今回の改革は、本学の場合でいえば学部改組であり、本学学則において評議会がその審議をすることになっている。さらに直鉄的には、現行学則で入学した学生・院生に対する公約(カリキュラム体系、それを保障する教授陣、その他)は、少なくとも現行学則上、教授会・評議会の審議事項であるが、それも今後どうなるのか明確ではない。
今回の事態において、大学教員が「改革」にかかわる場合でも、設置者サイド(しかし、その行政当局−されど単なる行政当局)がピックアップし選別して、そのメガネにかなった人々が「協力」するという形になっている。行政当局が選別した人間を評議会といった大学の最高意思決定機関で承認しオーソライズするといった手続きは踏まれていない。大学人の自主性・自立性・自律性は、風前の灯となっている。
科学の論理(真理探究の論理)は、個々の研究者の自主性・自立性・自律性を基盤にしなければならず、研究・教育という大学の根本使命の達成にかかわるすべてのことに大学人が最終的に責任を持つようにしなければならない。すくなくとも国立大学法人の場合は、学長が経営のトップ(理事長)を兼ねることによって、学問の論理、研究教育の論理が頂点に立つことが明確となっている。そのことの象徴的実質的意味は、大学における研究教育を代表するもの(最終的に責任をとるもの)が何であるかを明確にしており、きわめて重大である。
主体性を奪われ、経営に従属し、「現代の奴隷化」した大学人から科学の創造的発展は期待できない。この根本のところが、問い直されている。
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東京・横浜で突出する「設置者権限」論−公立大学『改革』と自治体の役割
細井克彦
国立大学法人化、学校法人・理事会機能の強化というかたちを取って、競争社会に向けて「設置者権限」の確立が図られているが、その行く末を暗示するような事態がいくつかの公立大学「改革」において生じている。
現在の公立大学「改革」は、全国的な「改革」動向にあって、自治体の財政難が強調されるなかで、大学の再編統合と独立行政法人化を軸に進められている。前者は複数の大学を持つ自治体、例えば、宮城県、東京都、山梨県、京都府、大阪府、兵庫県、広島県、長崎県などで進められている。後者は国立大学法人とは異なる形態を取ろうとしている。その特徴は、地方独立行政法人法の特例として「公立大学法人」を自治体と大学の判断で選択できる制度となっており、学長と理事長の分離も可能、中期目標・中期計画に対する設置者と議会の関与、大学専用の評価機関を持たない、教員の非公務員化など、国立大学法人制度よりもあいまいな点が多く、地方自治体の独自性と「設置者権限」を重視するかたちになっている。そこに、東京都四大学、横浜市立大学などに見るように、公立大学「改革」の難しさと危うさがある。
二〇〇三年八月一日以降の東京都四大学をめぐる事態に対する都の大学管理本部の主張は、「『大学の統合』や『新大学への移行』ではなく、『四大学の廃止と新大学の設置』を行う」「四大学の廃止と新大学の設置は、『設置者権限』であり、これから設置者の責任の下で新大学の設計を行っていく」というものである。
大学との協議ご破算にして
それまで曲がりなりにも大学と協議遷しながら都立の大学の「改革」構想を作ってきたが、これをご破算にして、一方的に「新大学」構想なるものを大学側に押しつけ、「旧大学とは協議をしない」とし、「首都大学東京」の教育課程編成等を大手受験塾に委託したり、「意思確認書」や「就任承諾書」の提出を求めるなど異例づくめの措置をとってきた。
また、横浜市立大学でむ新市長が誕生するや大学とは無関係に「あり方懇談会」を作り、「廃止も選択肢」という答申を受けて、設置者と事務局が主導して任期制・年俸制の導入などの「改革」を進めている。そのもとで、いち早く「公立大学法人横浜市立大学定款」を議会で通過させ、学長・理事長分離型、教育研究審議機関への学外有識者の参入、学長選考会議に学外者を過半数配置などを決め、他の公立大学を先導している。
東京都と横浜市で「設置者権限」による大学「改革」が突出しているが、その特徴は、従来の教授会・評議会などの大学阻織を通じての改革という方式を取らず、首長部局の諮問機関「あり方検討委員会」や「あり方懇談会」などで将来構成を作らせ、これを大学管理本部、大学改革推進本部などによって直接「改革」を進めるやり方を取っていることである。
「改革」の名でもくろむもの
そこには、憲法が保障する学問の自由・大学の自治の尊重はもとより、大学の自主性・自律性を最大限発揮しうるための措置への配慮すら見えない。しかも、そこでは「改革」の名のもとに、産業開発を軸とした実学志向と人文科学系や基礎研究のリストラ、大学の単位認定の否定など、学問研究と高等教育の根本的な改編がもくろまれている。
自治体は、当歌公立大学をたんに「地方自治体のシンクタンク」とだけ見ずに、「分権」時代にふさわしく地方自治の観点からこれを見直し、大学との間で改革のルールを確立し、大学の主体性を尊重しながら、協議と同意にもとづく改革を進める必要がある。
(ほそい・かつひこ・教育学者)
しんぶん赤旗(8/17)より転載
Posted by 管理者 : 掲載日時 2004年08月19日 00:39
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2004年8月19日(1) 「全国国公私立大学の事件情報」によれば、大学問題の全国的最新情報をえるための「新ブログ・サイト」が公開されているという。コピーしておこう。
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いつも,大学問題について貴重な資料や情報を提供して頂いているAcademia e-Network Projectとその通信(Academia e-Network Letter)が,新しいブログ・サイトの形で公開されています。
URLは以下です。
http://ac-net.org/index.php
なお,Ping Serverが提供されており,ここに大学関係者が作成するブログ・サイトの記事をトラック・バックできます。その結果,同サイトでは各種サイト情報の閲覧の一元化が可能になっているようです。
■AcNet Letter一覧
http://ac-net.org/letter/log.php
■Net 署名
http://ac-net.org/index.php?itemid=5&catid=7
■実験中:Pin Server
http://ac-net.org/index.php?catid=13&itemid=16
■国立大独法化の諸問題
http://ac-net.org/dgh/blog/
■MyblogLists
http://ac-net.org/index.php?catid=8
■MyClip
http://ac-net.org/index.php?catid=9
Posted by 管理者 : 掲載日時 2004年08月19日 01:03
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2004年8月18日(2) 「全国国公私立大学の事件情報」は、大学自治を揺るがす国立大学の学長選挙制度について、報道をピックアップしている。これをここにコピーしておこう。
第1部2007年ショック走る(3)揺れる国立大学長選(大学激動)
日本経済新聞(2004/08/05)
学内論理か学外の声か
「大学の将来像をどう考えるのか?」。鹿屋体育大(鹿児島県)では六月半ば、「学長選考会議」の委員十三人が、四人の次期学長候補に質問を浴びせた。
国立大として初めて、学内外を問わず誰でも立候補できる「学長公募制」を採用した。
学外から名乗りを上げたのは、同校とは無縁の企業人二人だ。現職の学長、教授を加えた計四人が書類審査を通過。この日の面接で、学長候補を包装資材メーカー元社長と、芝山秀太郎学長の二人に絞り込んだ。
二人を学内選挙にかけた結果、芝山学長の再選が決まったが、同学長は「これからの大学トップは行政・経営手腕が必要。企業経営者二人が立候補した意味は大きい」と公募制の意義を強調する。
■ ■
民間のような経営手法ができるよう、国立大学法人法は学長に強力な権限を与えた。学長選びは、経営協議会の学外委員と学内代表者で構成する「学長選考会議」が担当する。学内人気を気にせず、存分に指導力を発揮してもらうためだ。
だが、学長は学内選挙で選ぶのが従来の大学の常識。大学自治や学問の自由の問題が絡むだけに、選考会議主導の学長選びは学内の異論が多い。各校は学内選挙を残したが、今度は選挙の結果と選考会議のどちらを優先するかという問題が生じた。
お茶の水女子大は、選挙で選んだ三人を選考会議が一人に絞る方式だが、選挙の得票順位は公表しない。「選考会議を縛らない工夫」(本田和子学長)というわけだ。
学内事情を優先しがちな大学側に、企業出身の選考委員からは注文が相次ぐ。
「学内投票は必要なのか」。北海道大では学外委員の発言が波紋を呼んだ。「今後は選挙なしで選考会議が選ぶ時代が来るかもしれない」と中村睦男学長は複雑だ。
元日本郵船会長の根本二郎氏は、議長を務める東京海洋大の学長選考会で、委員の顔ぶれを見ていぶかった。「企業で後継者育成は社長の最大の仕事。次の学長を決める会議に学長がいないのはおかしい」。急きょ学長が会議に加わったが、大学と産業界の発想の違いがはっきりした。
日本経済新聞社のアンケートでも学外委員の評価は揺れる。七九・六%が「学内選挙は必要」と回答しながら、「選考会議は選挙結果に従うべきだ」というのは三五・八%にすぎない。
外部の意見を反映させようと鳴り物入りで誕生した「経営協議会」も事情は同じ。学外の声をどう扱うかは、大学によって温度差がある。
■ ■
例えば香川大の木村好次学長は「実務的な問題も含め、大学経営について熱い議論を交わしてほしい」と言い切る。
これに対し京都大の尾池和夫学長は「学外委員の意見は重視するが、実務的事項を話し合っても仕方がない。大学の将来像について大所高所から意見を頂く。協議会は年に二回程度開けば十分」とのスタンスだ。
「大学運営は企業経営と違う面があることも理解してほしい」(田原博人・宇都宮大学長)との思いが、多くの学長にあるのも間違いない。
学内の論理か、学外の知恵か――。法人化は国立大の行動原理を鋭く問い始めた。「学内だけの発想ではだめ。学外者の意見を生かせるかどうかが大学の発展を左右する」。河村建夫文科相は国立大に迫る。答えを出すのは大学自身だ。
Posted by 管理者 : 掲載日時 2004年08月18日 00:33
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2004年8月18日(1) 総合理学研究科・佐藤真彦教授のHPが久しぶりに更新されたことに気づいた。たくさんの重要情報が掲載されている。
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2004年8月17日(2) 教授会の地位が不安定になり、経営=理事会の権限と権力が大きくなれば、四国学院大学で今回発生したような事件が全国いたるところで日常茶飯事になり、大学における研究や教育は歪められ、崩壊の危機にさらされることになろう。経営危機の打開と大学改革を情報公開に基づく全学的な議論とそれを通じる合意形成を踏まえて、全学の力を結集して民主的に進めないで、経営側のトップダウン的手法で経営至上主義的に重大な組織改変が強引に推し進められる結果のようである。大学経営がじつに安易にやられている(やられてきた)ということではなかろうか。それは教育研究と大学経営とが分離してきたことの結果ではないか。大学教員は経営のことを考えず、経営側は研究教育を考えない、ということではないのか。
長期的な展望を持って大学経営を行うのではなく、急激に進展する少子化・学生数減少・定員充足困難化・大量欠員等に直面して、教員削減、生首を切るやり方でその場を凌ごうとするのは、経営の失敗以外の何ものでもないだろう。情報によれば、理事会は、みずから掲げてきた大学設立の理念などを無視し、教員組合つぶしと連動し、物言わぬ教員をつくりあげようしているようである。物言わぬ教員からなる大学は、表面的には大学として存続しても、大学本来の生命力はなく、また掲げられた理念は欺瞞だとしてひそかな怨嗟の的になるであろう。キリストの精神とは?
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2004年8月17日(1) 「全国国公私立大学の事件情報」(本日付)には、定款問題や任期制問題に関する最新の重要な情報が掲載された。下記にコピーしておきたい。
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東京都立大学・短期大学教職員組合、大阪府立大学教職員組合、全大教とともに公立大学の法人化問題について文部科学省と会見 (手から手へ第2296号 2004年8月13日)
東京都大学管理本部が第4回経営準備室運営会議に提出した「法人組織(案)」、「定款(たたき台)」によると、次のような重大な問題があります;
○ 理事会規定が存在しないため、理事長がワンマンで全てを決定出来る
○ 事務局長を副理事長とし、実質的に学長を超える権限を持つ
○ 教授会が大学の組織上どこにも位置づけられていない
地方独立行政法人法に基づく公立大学の法人化が全国的にすすめられる中で、大阪府立大でも設置者権限を振り回した、およそ「大学改革」の名に値しない行政主導で法人化が進められています。
一方で、地方独立行政法人法の制定の際には、大学の教育・研究の特性に配慮した「公立大学法人の設立に関しては、(中略)、憲法が保障する学問の自由と大学の自治を侵すことがないよう、大学の自主性・自立性を最大限発揮しうるための必要な措置を講ずること」と付帯決議がなされています。東京と大阪で進められている公立大学の法人化の動きを、その認可の審査にあたる文部科学省の担当者が、地方独立行政法人法による大学の法人化の趣旨に照らして、審査の過程でどのようなチェックを行おうとしているのかについて見解を問い、また大学の現場で今何が起こっているのかを説明するために、組合は8月6日に文部科学省との緊急の会見を行いました。
会見には、文部科学省から大学振興課の嘉藤課長補佐、公立大学係の堀内係長等が、都立大・短大教職員組合からは浜津委員長と乾副委員長、大阪府立大学教職員組合から中嶋書記長、全大教からは、森田書記長、藤田書記次長が参加しました。
会見では、最初に全大教が、公立大学の法人化について、地方独立行政法人法で附帯決議がなされているにもかかわらず、東京都や大阪府はこれらを無視した形で法人化が進められようとしていることについて説明し、その後文部科学省とのやりとりが次のように行われました。(以下の発言者見出しで、「全大教」とあるのは、全大教、都立大・短大教職員組合、大阪府立大学教職員組合を指します。)
…(中略)…
全大教:大阪府の定款によれば、「地方独法」の「公立大学の特例」の仕組みに沿って教育研究審議機関と経営審議機関の定めがある。ところが実際にはその上位規定にある人事委員会の定めが全くされていない。また、「任期制」についても「教育研究審議機関」が教員の人事に関することも司るということになっているにもかかわらず、そこでは審議されず、教員任期法の趣旨にも反する形で助手全員に任期制を適用するということで極めて乱暴なやり方になっている。「地方独法」の附帯決議にも「大学の自主性・自律性が最大限発揮しうる仕組みとすること」と明記されている。これは公立大学を法人化する際きちんと対処するよう政府に対する要請でもある。審査では、是非実態も踏まえて行って頂きたい。
文科省:大阪府立大の定款の審査はこれからである。法の基準に沿って審査することになるが、おっしゃっているお話も踏まえてやっていきたい。
…
続きは上記サイトで参照して下さい。
Posted by 管理者 : 掲載日時 2004年08月17日 00:21 | コメント (0) | トラックバック (0)
URL : http://university.main.jp/blog/archives/001656.html
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2004年8月16日(4) 「全国国公私立大学の事件情報」には、神戸大学の学長選挙制度に関する情報(第2回目)が掲載されている。大学がひとつの大学としてのまとまりを得るために学長=理事長であるものの選出に全学の大学人がどのようにかかわるかは非常に重要である。とりわけ、学問の自由や大学の自治を考える場合、行政の一方的な圧力に抗しつつ科学の論理にしたがった大学の自立的発展を確立するためには、学長=理事長の選出は大きな意味を持つと思われる。
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学長候補者選考のあり方について(その2)
神戸大学教職員組合は、法人化後の学長候補者選考のあり方につき、6月30日「大学構成員の選挙による学長候補者の決定を求める緊急声明」を行い、さらに、8月3日付『組合ニュース号外』で、7月15日の教育研究評議会での議論をふまえ、あらためて私たちの考え方を明らかにした。
しかしながら、8月5日に開かれた臨時教育研究評議会おいて学長選考会議が提示した手続案は、こうした私たちの考えとはかなりの乖離があるといわざるをえない。
この日、示された案は7月15日案を修正したものである。その内容を配布資料学長選考の流れ」(裏面参照)をもとに簡単に整理しておくことにする。まず、「第一次意向投票」が行われるが、そのときの投票資格者は「学長、理事及び職員(学長選考会議の委員及び非常勤である者を除く)」とされている。学長選考会議は、ここで「結果上位者となった者」に「学長選考会議委員推薦」の者を加え「2人以上7人以内の候補者」を選出し、「第二次意向投票」に付すことになる。その際、「候補者の所信表明」が「意向投票管理委員会」の決定する方法に基づいて行われ、それに基づき投票が実施されるが、このときの投票資格者は「学長、理事、教授、助教授、講師及びその他の職員のうち課長補佐相当職以上の者」とされており、さらに投票方法については、「2回行う」とされている。そして最終的に、学長選考会議は、この投票結果を「尊重」し「学長予定者を決定し公表」するという流れになる。
「第一次意向投票」は、7月15日案にある「学長適任者の推薦」手続と比較すれば、大きな進展とみるべきだろうが、それでも投票資格者から非常勤職員を除いている点は未だ改善の余地はあると考えられる。また、「候補者による所信表明」は、従来から改善すべき点とされてきたところであり、それを規定することの意義は評価されるとしても、問題はその内実にある。単に「意向投票管理委員会」に"丸投げ"するのではなく、学長候補者選考会議は、十分な質疑・応答の時間の確保やその場への出席保証等、その実質を確実なものとするための方策を具体的に検討し責任ある回答を提出するべきだろう。
さらに、今回の案でもっとも重大な問題は「第二次意向投票」のあり方にある。
第一に、投票資格者から、従来認められてきた助手が排除されており、その合理的理由は開示されていない。大学の自治・学問の自由を守り発展させる上では、当然、全教職員が投票資格者とされるべきである。
第二に、2回と定められた投票方法である。この点でも、過半数得票者が得られるまで投票を実施してきた従来の選考手続をふまえれば、明らかな後退といわざるをえない。困難な状況であるがゆえに、全教職員の総意に支えられた学長の選考方法が強く望まれるのであり、この投票方法は、そうした総意を軽視し不当に学長選考会議の裁量を拡げるものといわざるをえないのである。回数を限るのではなく、過半数得票者が得られるまで投票を実施すべきである。
8月9日には学長選考会議が開かれ、学長選考規定を制定するといわれている。すべての教職員がこの問題を注視し、活発な議論を提起すべきと考える。
Posted by 管理者 : 掲載日時 2004年08月13日 07:25
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URL : http://university.main.jp/blog/archives/001638.html
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2004年8月16日(3) 国立大学法人化は、財政圧力のもとに、大学の「自主性」を表面の飾り言葉としつつ、実質は切り捨てを問答無用で押し付けるための手段になりつつあるようである。新首都圏ネットワークの記事「国立大学法人法下の大学財政:分析作業と危機打開行動開始の集い」にリンクを張り、「意見広告の会」ニュースを自分のものとしておこう。
-------「意見広告の会」ニュース184-------
*ニュースの配布申し込み、投稿は、
qahoujin@magellan.c.u-tokyo.ac.jp まで、お願い致します。
*《国立大学法人法下の大学財政:分析作業と危機打開行動開始の集い》
日時:8月14日(土) 東京大学本郷キャンパス、理学部5号館403室
*参加校は20を突破
** 目次 **
1 《国立大学法人法下の大学財政:分析作業と危機打開行動開始の集い》レジュメ
2 真に、かつ、種々の意味で危機を迎える都立大
2−1 勤務条件交渉についての弁護団意見
***
1 8/14レジュメ 「首都圏ネット」公表
「法人化後の国立大学―政策動向を中心に」
2004年8月14日
一、国立大学法人法で何が起こっているか
1. 国家統制の強化と官僚的業務の肥大化
1.国立大学の運営に対する行政的な統制は形を変えて(変えずに?)継続
2.役員数の増加(89大学503人)、経営協議会への文科省OBの大量浸透(銀行ほか経済人
、市長、都道府県幹部、弁護士)、JRは、東大に東日本社長、北大に同会長、京大に元
西日本会長、九大に九州社長、「経済官僚、大学へ転出急増」(産経7月4日付)
3.文部科学大臣任命の監事(各法人2名)
4.plan-do-seeのサイクルの開始(学内の「評価室」―弘前)
4.評価疲れの問題(独立行政法人大学評価学位授与機構、文科省国立大学法人評価委
員会、総務省政策評価独立行政法人評価委員会、内閣府行政改革推進本部、内閣府総合
科学技術会議、経産省・三菱総研・河合塾)
2. 中期目標・中期計画の悲喜劇
○「法人化」といかなる関係にあるのか、○数値目標の妥当性、○大学の教育機能と
研究機能、○評価対象(独立行政法人組織の整理・縮小や民営化―6月30日総務省独立行
政法人評価委員会分科会)
→行政改革推進本部内に独立行政法人の統廃合を検討する有識者会議(9月初会合)
▽大学院で2005年度から優秀な成績を収めた学生の表彰制度創設(北見工業大)
▽女性の採用・登用を拡大、教職員の20%になるよう努力(岩手大)
▽卒業生の大学評価と、卒業生に対する社会の評価の調査を継続的に実施(秋田大)
▽1年間で5件以上の学部横断的プロジェクト研究を目指す(山形大)
▽医師国家試験で合格率90%以上を維持(筑波大)、95%以上を目指す(滋賀医科
大)
▽地域との多様な連携を60件以上実施(東京農工大)
▽学習到達度の指標として、学内英語統一テストなど全学的基準を設定、活用(横浜
国立大)
▽学生サービス向上のためトイレの自動洗浄化などを計画的に実施(長岡技術科学大)
▽特許取得数拡大を目指す。本年度25件、中期目標期間中に倍増(静岡大)
▽全教員の個人評価を試行し、06年度から実施(名古屋工業大)
▽全授業の2分の1以上を公開授業として地域住民に提供する(高岡短大)
▽非常勤講師依存率を法人化前の50%をめどに減少。石川県や金沢の地域性を生か
した日本文化体験型の教育プログラムの充実(金沢大)、非常勤講師の1割削減(宇都
宮大)
▽留学生受け入れを2割増加(兵庫教育大)
▽3次被ばく医療機関としての機能を整備(広島大)
▽卒業研究は原則として一般に公開、社会的評価を受ける。南海大震災を想定、自治
体などと防災の準備を整える(高知大)
▽司法試験で法科大学院が全国平均を上回る合格率を目指す(熊本大)、70%程度(
横浜国立大)
▽大学を基盤とするスポーツクラブを創設(鹿屋体育大)
▽特化型研究プロジェクト推進のため、学部横断型の「特別研究推進機構」を学長直
轄で設置(琉球大)
▽外部資金の調達を50%増(九州工業大)、25%増(熊本大)、10%増(北見工業大)
そのほか、国立病院機構では治療成績評価を指標に
3. 学外者の影響力を通じて企業的大学へ (日本経団連の2003年3月18日意見書より)
1.産業技術人材の教育制度の充実
2.実践重視の工学系大学院教育
3.社会人等を対象としたMOT(Management of Technology)の普及
4.共同研究・委託研究への学生の参画
5.国立大学法人化への期待
(1)民間的経営手法の導入 (2)学長の権限強化 (3)産学の人材交流
知財戦略へ
1. 企業との包括提携(東大・三菱―交通安全、名古屋・トヨタ―環境・材料、熊本・
三洋電気―次世代技術開発、広島・広島銀行―商品開発・人材育成、北大・日本政策投
資銀行、大分大・大分銀・豊和銀)、九大は企業の人材育成事業に参入(日経7月23日付)
2. 産学連携の研究費は02年で513億円(20年間で3倍以上に、医薬品工業が53.6%、食
品工業が12.9%)、2003年度の産学共同研究は8023件(日経7月28日付)
3. 大学発VBは、2003年度末に累計800社
4. 知的財産のプロを養成する専門大学院―東工大、京大、金沢工大、東京理科大、
大阪工大など
5. 観光学の振興(観光学部・学科を設置する大学には運営費交付金増額)―観光立国
構想の一環、琉球・山口・和歌山など
6. 損保等、「新市場で争奪戦」共同保険を足がかりに、学生・教職員向けの保険に
照準
7. 矛盾の発現
○「売れる特許があるのか」(朝日6月30日付)
○未公開株の取得=「利益相反」
○「国立大特許料:96%が赤崎名大名誉教授の青色LED」(毎日8月1日付)
○COEに対する産経新聞の批判(7月22日付)
■内容先細り 再検討の時期
COEプログラムは、横並び意識の強かった大学に競争原理を導入する起爆剤として
、鳴り物入りで始まった。
「護送船団方式」を排し、大学間の競争を促す方針を打ち出した文部科学省の意向と
、国私の別や規模を問わず採択されれば予算が得られることへの大学側の期待が合致し
た。国立大の法人化といった変革が進むなか、大学の競争意識を高める一定の成果は収
めたといえる。
しかし、世界水準といえる研究拠点が数限りなく存在するはずはなく、トップレベル
の研究はすでに出尽くした感が強い。文科省も今回の申請・採択の中に過去の“落選組
”の再挑戦があったことを認める。今後、水準に達する研究拠点がどれほど構築される
かは未知数で、現在の選考方法では先細りになるばかりだろう。
文科省は「今のところ来年度の公募は未定」というが、COEはすでに一定の評価を
得て定着しており、大学側からの存続要望は強い。とはいえ、毎年漫然と同じ選考方法
を続けるだけでは、選に漏れた研究の救済を繰り返すことにもなり、予算の“ばらまき
”との批判を受ける事態になりかねない。
世界水準という当初の基準は担保した上で、研究拠点を充実させる期間を設ける意味
で、例えば数年に一度の申請にするなど、制度の抜本的な見直しを検討する時期に来て
いるようだ。(田中万紀)(産経新聞)
4. 地方大学の意味の変化
1. 「国土の均衡ある発展」の放棄
2. 「地域間競争の促進」への転換(研究重点大学と教育重点大学への種別化)
3. 知的クラスター創成事業を通じた地域経済への貢献(地方都市との相互協力協定)
、「地域密着で生き残りを」(『南日本新聞』社説2004.4.1)、「地域に根差し個性磨け
」(『北海道新聞』社説2004.4.1)、北大の産学連携研究施設の建設費を函館市が負担、
名工大・犬山市、信州大・長野市→「地域貢献」をめぐる競争的補助金「現代的教育ニ
ーズ取組支援プログラム」(9月下旬採択結果公表)
4. 入試の地域推薦枠(滋賀大教育など)
5. 地方国立大学ネットワークの試み(鹿大田中弘允前学長ら)対大学間競争→「県単
位の地方大学は複数県にまたがる地域圏で1校というように再編される、という見方が
出ている。」(朝日6月26日付)、「学外委員、「国立大、低評価で淘汰」66%・日経調
査」(日経8月3日付)
5. 学生の位置付け―受益者としての学生
1.新自由主義の人間像―「成熟社会」の個性的で自立した個、「フレキシブルな人間
」、「株式会社としての私 Ich-AG」
2.授業料の将来的な値上げ(受益者負担原則、法科大学院、法人財政の窮乏化)―User
としての学生(バウチャー制度の導入、日本経団連2004年4月19日意見書「21世紀を生き
抜く次世代育成のための提言」)、消費者主権論(八代尚宏編『市場重視の教育改革』日
本経済新聞社、1999)
3.日本育英会の廃止(「民業圧迫」)→教育ローンへの誘導(cf. 法科大学院ローン、
授業料型600万円、生活費型1300万円)
4.「人間力戦略」の対象としての学生(「産業人材供給システム」としての大学)
5.大学教育の標準化(日本技術者教育認定機構JABEE)―「品質管理」「品質保証」政
策
6.「労働力」としての若手研究者(研究支援職員technicianの激減―国立大学では10
次の定員削減)→「余剰博士」対策(文科省)、「大学院版インターンシップ」(毎日8月4
日付)
二、法人移行段階の諸問題
1. 運営費交付金の逓減問題(効率化係数1%、附属病院の経営改善係数2%、特別教育研
究経費―競争的運営費交付金、裁量的経費のシーリング問題)→「負の護送船団」と資
産運用へのインセンティヴ(東大は国債90億円購入)
2. 財政問題に特化した準備作業―非常勤職員の解雇、非常勤講師の削減・給与カット
・労働者性の否定・「ゼロ査定」)→常勤・非常勤の「利益相反」という創られた構図(
「人員削減先送りするな」『北國新聞』社説2004.4.19)
3. 中期目標・中期計画の書き直し(数値目標、定性的目標の数値的評価基準)
4. 就業規則問題(国家公務員法から労働基準法・労働安全衛生法へ)―過半数代表
5. 管理運営組織(トップダウン症候群=封建制の強化、近代的大学を作る上できわめて
重要)、福岡教育大問題
6. 全員任期制(北見工大など)、新規採用全員に任期制(阪大工)、裁量労働制
三、財務
1. 経済財政諮問会議の教育審議
2. 総合科学技術会議の成果主義的研究費配分
3. 大学財政 ○大学間格差 ○大学内格差 ○学問分野間格差→それぞれ、個別大学の
解体、個別部局の解体、「学会」の解体へ
参考1)北大の財産 時価2113億円、総面積は琵琶湖に匹敵(大学財産を担保に借入
金―「基礎体力」、北海道新聞6月2日付)
参考2)総合科学技術会議の重点分野―ポストゲノム、新興・再興感染症対策、ユビキタ
スネットワーク、次世代ロボット、バイオマス、水素利用/燃料電池、ナノバイオテク
ノロジー、地域クラスター
4. 人事管理と財務 ○退職金問題(職員のピークは2007年、教員は「前倒し」)、大学の
財務能力→病院の超勤手当不足数十億(朝日7月5日付)、広島大の事例
→株式会社立の大学・大学院プラス「特区」の全国拡大(「設置形態」という概念の変
容)
参考)
21世紀を生き抜く次世代育成のための提言−「多様性」「競争」「評価」を基本にさら
なる改革の推進を−
2004年4月19日(社)日本経済団体連合会
本年4月1日、国立大学は国立大学法人となり、特徴と魅力ある大学になるための自己改
革を行うチャンスを得た。しかしながら、依然として国と国立大学法人とはいわば共同
設置者として位置付けられており、運営交付金(ママ)と引き換えに国が管理するという
関係が継続され、例えば、国の指導で起債や長期借入れ等も制限されているのが現状で
ある。国立大学の法人化の狙いは、国が高等教育のグランドデザインを描く一方、その
具体化の方策は国立大学自らが決定して行動する形へと転換することを目指したものと
理解する。したがって、国は、早急に高等教育についての明確なグランドデザインを示
すとともに、大学を仔細に指導することは厳に慎むべきである。また、運営交付金(マ
マ)の配分が透明性の高いものであることに加え、国立大学の教育研究への取り組み、
経費節減や外部資金導入などの努力が経営力の強化につながる仕組みであることを求め
たい。一方、国立大学においては、経営の自立を目指し、運営交付金(ママ)に依存する
体制から早期に脱却できるよう努力すべき[6]である。平成16年度決算から、国立大学の!
会計制度が変わり、教員の人件費と事務職員の人件費が区分されるなど、予算の使途
がより明確になる。我々は、こうした点にも注目しつつ、大学経営の効率化に向けた各
大学の努力を注視していきたい。
なお、時代が急速に変化する中にあって、教員は、最先端を行く研究、教育を実施する
ことが求められる。その観点から、大学は、教員の人事評価はもとより、任期付き任用
を原則とする[7]などの人事制度改革を行うべきである。
2−1
「手から手へ」2294
勤務条件交渉についての弁護団意見
2004年 7月28日
東京都立大学・短期大学教職員組合弁護団
弁護士 尾林 芳匡
弁護士 松尾 文彦
弁護士 江森 民夫
1 「任期制」について
2 定款および規則の提案
3 当局の提示する勤務条件は不利益変更
4 「昇任基準」と「任期制」との連動
(1)誠実に答える姿勢を欠いた回答
(2)当局自身の資料によって連動は明らか
(3)「政策選択」の名による合理化は許されない。
5 「旧制度」は不利益変更
(1)不利益変更は明白
(2)昇任(人事)は教学部門で決すべき
------------------------------------------------------------------------------
都立大学・都立短期大学職員組合は、都立4大学の公立大学法人「首都大学東京」へ
の統合・移行について、教職員の雇用と勤務条件を擁護する立場から東京都当局と交渉
を開始しており、その中で当局から書面による回答も出されている。今般当弁護団で当
局の回答について検討した結果について、次の意見を述べる。
1 「任期制」について
組合が、「任期制」は教育研究に責任を持つ組織において十分な検討を行い慎重かつ
限定的に導入すべきことを求めているのに対し、要旨次のように回答している。
@大学教員任期法および労働基準法が有期契約を可能としている。
A「研究員」については、通算8年、「准教授」については10年の範囲で、教授に
ついては年数を限らず、通常の勤務成績・業績を上げていれば、再任できる制度とする。
B評価については、各専門分野の特性に配慮した評価基準を策定し、教員が参加する
人事委員会と教員選考委員会において実際の評価を行い再任等を決定していく。
しかしこれらの回答は誠実さを欠くものである。
(1)組合が指摘しているのは任期制を導入することが大学の研究・教育に責任を持っ
てこれを発展させる上で合理性が認められないのではないかという点であり、労働者が
合意するときに法律上可能であるか否かではない。当局の回答は、大学において任期制
を導入することの合理性を、何ら具体的には説明しようとしていないものである。当局
は、任期制を導入することでどのように大学の研究・教育の質が向上するのかについて
、具体的に説明すべきである。もしこれをしないとするならば、任期制が、研究・教育
にとって何ら合理的なものではなく、単に教員の地位を不安定にしその権利を弱めるた
めのものであると自ら認めるに等しいものである。
任期制を労働者および労働組合が合意していないのに一方的に導入することが許され
ないのは当然である。そして、任期制に同意しなければ昇給・昇任ができない制度にも
まったく合理性がないことは明らかである。
(2)当局は導入しようとしている任期制は通常の勤務成績・業績を上げていれば再任
されるものであるとくり返し述べる。しかしこのような制度であれば、それはもはや任
期制とは言えず、期限の定めのない契約としつつ、勤務成績・業績が著しく不良な場合
に解雇すれば足りるのである。当局が任期制に固執しつつ、このような抽象的な説明を
繰り返すのは、任期制への同意を促し、任期制によって教員の身分保障を著しく弱める
意図に他ならない。
(3)当局は、教員の評価について、各専門分野の特性に配慮した評価基準を策定し、
教員が参加する人事委員会と教員選考委員会において実際の評価を行い再任等を決定し
ていくと説明している。しかし評価をそのように行うためには、その前提となる学部の
組織や教学過程についても、「各専門分野の特性に配慮」し、「教員が参加」した体制
で検討しなければならないはずである。2003年8月以降、当局が現行4大学の教職
員との誠実な協議の中で4大学の統合を検討することを拒否することを言明しているも
とで、移行後の教員評価についてのみ「各専門分野の特性に配慮」し、「教員が参加」
した体制で行うと唱えても、何ら説得力がない。当局は、教員の評価について「各専門
分野の特性に配慮」し、「教員が参加」した体制で検討しようとするならば、現時点の
現行4大学教員に対する頑迷な態度をただちに改め、統合後の大学に関するあらゆる問
題について、現行4大学の教員との間で開かれた誠実な協議を行うよう、その態度を改
めるべきである。
2 定款および規則の提案
組合は、「任期制」の導入について、定款およびそれに基づいた規則の案を示して協
議すべきことを要求しているが、これに対し当局は、大学教員任期法で要求される規則
、労働基準法で要求される就業規則は平成17年4月の設立前に新大学設立本部―経営
準備室で案を策定して提示するが「今後詰めていく」内容があり、就業規則(案)を提
示していないのは当然だと回答している。
しかし、この回答も組合の要求を歪曲したものである。当局は、任期制を標榜しなが
ら「通常の勤務成績・業績を上げていれば再任される」と宣伝し、現行4大学における
教職員の生涯賃金よりも明らかに低下する賃金制度を提案しながら「不利益変更にあた
らない」と主張している。これに対し組合は、規則の案が示されれば、その文面の客観
的な解釈についての交渉ができるし、現行4大学の処遇と比較してどれだけ不利益にな
るかを算出することもできることから、規則の案を示しそれに基づいて交渉を行うこと
を要求してきたものである。
当局は、このように交渉の前提として規則の案を提示することを求める組合の要求に
対して、交渉の途中である以上規則の案の提示を求めることはおかしいと主張している
のであり、組合の主張の歪曲の上に立つ道理のない回答であることは明白である。
また、定款および規則の提案が設立直前であれば、組合において十分な検討も十分な
意見表明も困難である。当局は速やかに規定の案を策定し、教職員の賃金がどのように
変化するかの具体的な試算も組合に示し、誠実な交渉を行うべきである。
3 当局の提示する勤務条件は不利益変更
組合は、当局から現在提示されている「新制度=任期制・年俸制」は、明らかな不利
益変更にあたると主張しているのに対し、当局は、要旨次のように回答している。@「
新制度」は通常の職務を行い通常の業績を上げていれば下がらないから不利益変更に当
たらない。A評価制度を前提とした「任期制」で各教員の業績が適正に評価されるから
教員にとって不利益変更とはならない。
しかしこれらの回答も正当なものではない。
(1)当局の提示によると、「新制度」でも、とくに若い教員にとっては、現在正当に
期待できる賃金が大幅に減少する。「通常の業績」をあげていても助手(研究員)は8
年、助教授・講師(准教授)は10年しかその給与が期待できない。したがって生涯賃
金が大きく減少することは疑いない。
(2)当局の主張するような適正な評価が行われる保障も乏しい。民間企業における「
成果主義」賃金も、評価が不公正であることや総額賃金が抑制されること、あるいは評
価者との人間関係などによって評価が左右され真に組織としての業績につながらない等
の弊害が指摘され、見直しが始まっている例も多い。
また、大学における学問研究や教育は、営利企業のように収益によって評価すること
ができるものではないから、その適正な評価は、営利企業におけるよりもさらに困難で
ある。
したがって、評価制度を根拠にして不利益変更にはあたらないとする当局の回答は、
まったく理由にはならないものである。
4 「昇任基準」と「任期制」との連動
組合は、「昇任基準」と「任期制」とを連動させるべきではないことを主張し、これ
に対し当局は要旨次のように回答している。@助手の昇任審査は、助手再配置の誘因で
はない。A昇任審査等の新制度は、新法人の「政策選択の問題である」とする。
(1)誠実に答える姿勢を欠いた回答
当局は、助手の昇任審査と再配置との関係についてのみ回答しているが、組合の要求
の核心は、昇任問題を「再配置」、「任期制・年俸制」など都が構想する新大学のあり
方への同意を強制する道具として利用してはならないという点にある。このような利用
が行われれば、本来、新大学における勤務条件は、現行大学の教職員との協議をもとに
決定されるべきであるにもかかわらず、現行大学の教職員の自由な意見が抑圧され、都
の意向が押しつけられることになるからである。
このような性格の問題であるにも関わらず、その一部にだけ申し訳程度に回答する都
には、組合の要求に誠実に答えようとする姿勢が欠けている。
(2)当局自身の資料によって連動は明らか
この間当局自身が明らかにしてきた材料に即して考えれば、昇任問題が、「再配置」
、「任期制・年俸制」に連動させられていることは明らかである。
当局の「新大学の教員の任用制度」によれば、助手の昇任及びいわゆる「旧制度」(
終身雇用。昇給・昇任なし。)と「新制度」(昇給・昇任あり。任期制・年俸制。)の
選択問題は、次のようになる。
すなわち、昇任しようと思えば、「新制度」を選択しなければならないのはもちろん
、その前段では「昇任審査」を受けなければならない。そして、「昇任審査」を受ける
ためには、新大学を担当していなければならず、そのためには、「意思確認書」を提出
していなければならないのである。
他方、都が構想する再配置は、その内容について、「もっぱら『経営的観点』と機械
的な平準化論に基づいており、助手の教育研究、とくに新大学における学生や院生の教
育上の職務を考慮したものではないことを当局自身が認めています。」(組合の200
4年6月14日付「助手再配置問題に関する緊急要求」)などと厳しい批判が寄せられ
ているものである。
そして、当局の「新大学における研究員(助手)の任用制度について」が「現在、理
工系の助手については、大学間、学部・学科間でアンバランスがあることから、新大学
の設置に当たっては、その再配置を行う。」、「助手の再配置を適切に行うため、一定
の要件を満たす者については、新大学において『准教授B(仮称)』という呼称を使用
することを認める。」とのべていることから明らかなように、助手が新大学を担当する
ことが前提である。これに関連して、管理本部は、組合との交渉の中で、「意思確認書
を出さないで助手のまま残る人は、再配置しません。旧大学担当ですから。」とも述べ
ている。
以上のことから明らかなことは、助手が昇任しようと思えば、新大学を担当せねばな
らず、かつ、「任期性・年俸制」の「新制度」を選択しなければならないのである。こ
の点に関しては、昇任審査に合格しても、「新制度」を選択しなければ、昇任できない
との説明を組合に行っている。また、当局が示した「准教授B」に「昇任(学校教育法
上は助手であるから、厳密な意味で昇任とは言えない)」する「一定の要件」では、「
いずれかを満たす助手」の二つの要件のうちの一つとして、内容上問題が指摘されてい
る再配置を受け入れることが掲げられている(一定の要件2‐再配置になる助手で、過
去3年間において、研究実績があるもの)。
これは、まさに、「昇任審査」を「再配置」の誘因とし、「任期制・年俸制」と連動
させることにほかならない。
(3)「政策選択」の名による合理化は許されない。
このような制度は、都の回答のように「政策選択」の名で合理化できるものではない
。
組合弁護団意見書その2「東京都の『新大学』における任期制の導入に関する弁護団
の意見書」(2004年)2月9日付)は、新大学設置の根拠法である地方独立行政法
人法によれば、移行型独立行政法人である新大学においては、現教職員の身分は当然包
括的に新大学に移行するのであって、身分移行にあたって教員の身分保障を否定したり
、勤務条件を一方的に切り下げることは許されないこと、さらに「大学の教員の任期に
関する法律」(任期制法)や労働基準法等に照らしても任期制等の一方的押しつけが許
されないことを詳細に明らかにした。
また、地方独立行政法人法成立の際の参院附帯決議は「地方独立行政法人への移行等
に際しては、雇用問題、労働条件について配慮し、関係職員団体又は関係労働組合と十
分な意思疎通が行われるよう、必要な助言等を行うこと。」と述べている。
すなわち、新大学における勤務条件を都が一方的に設定し、「昇任審査」を誘因にし
て、現在の助手の意思を押さえつけて、その勤務条件を押しつけるということは諸法に
照らして違法なのであって、「政策選択」だとして合理化できるものではないのである。
5 「旧制度」は不利益変更
組合は、当局の提案する「旧制度」は不利益変更であると主張し、@教育研究部門(
教学部門)の下での公正で透明な評価に基づく昇任機会を定める、A経営部門が少なく
とも中期計画期間の職位、在職年数による給与基準を公表する、B住宅手当、扶養手当
等は労働者として当然の権利であり、それらの支給を保証する、という3点を提案して
根本的な改善を求めた。
これに対し当局は次の通り回答している。@「旧制度」、「新制度」の制度全体で不
利益変更に当たらない、A昇任機会は、教員が参加する人事委員会によって、公正で透
明な評価に基づき、昇任の機会が担保される。しかし、昇任する場合は、「新制度」を
選択する必要がある。B旧制度の給与水準は、諸手当を含め、現行と同様の基準を就業
規則に定め公表すると回答した。
このうち給与水準の公表(B)は当然のことであり、問題はその時期と内容であるが、
他の@とAには、以下のような問題がある。
(1)不利益変更は明白
「旧制度」、「新制度」の全体で不利益変更に当たらないとの回答は、まったくの誤
りである。
まず、「旧制度」についてみれば、従来、地方公務員の場合には「昇給」や「昇格」
の権利が法的に保障されてきた。
東京都の条例では文言上は、「良好な成績」をおさめている場合に定期昇給の機会が
あると規定されているが、運用上は原則として定期昇給の機会があった。また昇格の機
会は当然保障され、昇格できない身分の教員などは存在しなかったのである。
このような身分を有していた教員を、昇給・昇任なしの身分にすることは労働条件の
不利益変更に他ならない。
他方、「新制度」を選択すれば、昇給・昇格の機会はあるが、任期制によって、定期
的に首切りの危険にさらされることになる。従来の終身雇用からの不利益変更であるこ
とは明らかである。
したがって、「旧制度」、「新制度」いずれをとっても、不利益変更なのであるから
、これら制度全体も不利益変更である。
仮に、新旧制度の選択ができるとの主張がありうるとしても、一人ひとりの教員は、
従来、終身雇用で昇格・昇給の機会があった立場から、これらのいずれかを放棄しなけ
ればならない立場を強制されるのであるから、選択の余地をもって、勤務条件の不利益
変更を否定することはできない。
(2)昇任(人事)は教学部門で決すべき
当局は、昇任の機会について公正・透明が担保されるという。
しかし、当局の構想は、あくまで、「新制度」を選択しなければ昇任の機会がないと
いうことが前提なのである。なぜ、「旧制度」選択者には昇任の機会が与えられず、「
新制度」選択者のみにこれが与えられるのかがもっとも不公正・不透明な点なのであっ
て、これを不問に付して、教員が参加する人事委員会云々を持ち出してみても、何らの
解決になるものではない。
しかも、従来、大学教員の昇任を含む人事等の重要事項は、教授会によって決定され
てきた。これによって、学問の自由と大学自治が保障されるからである。
衆議院、参議院でも任期制法の決議にあたり「学問の自由および大学の自治尊重を担
保としている教員の身分保障の精神が損なわれないよう十分配慮する」との付帯決議が
なされている。
昇任を教学部門で決定すべきであるとの組合の要求は、このような意味を持つもので
あり、単なる手続問題に解消できるものではないのである。
当局の回答は、あくまで教員が「参加」する人事委員会による昇任決定であり、学問
の自由と大学自治を保障する見地は全く欠落しているのである。
以 上
------------
2004年8月16日(2) 任期制問題は、大学の研究教育のあり方、大学自治や学問の自由に深くかかわってくる問題である。都立大学に関する情報、および筑波大学に関する情報(「全国国公市立大学の事件情報」8月16日:『筑波大学新聞』筑波大、基礎医学系 問題抱えた任期制 同一専攻で待遇に格差)にリンクを張っておこう。
--------------
2004年8月16日(1) 本学名誉教授伊豆利彦先生の「日々通信」(最新号:8月13日)を頂戴した。その御主張に今回もまた共感すると同時に、作田啓一という方のHPも教えていただいた。憲法や教育基本法を改正しようと言う日本のナショナリスト(自国至上主義・排外的愛国心の人々)が、重慶等における中国人の若者の愛国主義的行動に怒ることへの批判と冷静なまなざし(視野狭窄への批判)に、共感する。
[1] 本学が公立大学法人となれば、どうなるか?
法人に属するのは教員のみで、事務局関係、一般の事務職等すべては市職員の派遣ということになる。大学プロパーの職員採用が可能となるかどうか、それがどの程度のウエイトを占めるようになるか、それによって独立性・自律性も左右されるであろう。
現状では、「定款」の問題もあり、大学の自治は無に等しくなろう。
[2] これまでの横浜市立大学においては、「学内の職員」なるものは、皆無に等しい。ほとんどすべて、数年間だけ、外からやってきてまた外に去るものばかりである。大学と運命をともにするような、私立大学に置けるような職員はいないわけである。
[3] 話題の「華氏911」、参照。
[4] 長崎県立大学のように不利益措置(サバティカル不利益措置、退職時不利益処遇など)と抱き合わせで提案されたりしたらどうするのか? きちんとしたプラスの制度は示さないままで、差別措置・不利益措置だけが提示されたらどうなるのか?
[5] 教員組合に対する文書だから、「教員」とだけ言えばいいものをわざわざ「一般職員(教員)」と、教員に括弧をつける事務当局の意識も、この数年の改革を流れるある種の意識を表明するものとして、興味深い。「一般職」の概念は、特別職に対する概念であろうが、教員は特別職ではなくわざわざ一般職だ、ということを強調したいのはなぜか?じっくり検討してみる価値はあるかもしれない。
「一般職員(職員)」は、わたしが得ている情報が正しければ、公務員としての身分保障の継続と公立大学への「派遣」ということのようであり、それならば、「一般職員(派遣、ただし市職員としての公務員身分の保障)」と書くべきかも知れない。
[6] これでは、「国立大学」の廃止の提案だ。国立大学の財務構造などの分析がなく、また公的に負担すべき科学技術の基礎研究の意味が無視されており、財界人の発想の一面性と狭隘性が露骨に出ている。
[7] ここにはっきり露呈しているように、「任期つき任用を原則とする」というのは財界的な効率主義の発想なのである。研究や教育の歴史を無視した経済主義である。
こうした財界人が大学経営の内部に堂々と入り込み、大きな発言力を持つようになるのが今回の独立行政法人化だとすれば、日本の将来は暗い。